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日常の終焉

陽子ようこちゃん…本当に陽子ちゃんだ!」


 電話口の向こうで、子供のようにはしゃいだ声が響く。


「お前も元気そうで安心したよ…しのぐ。」


 昔のまんまな彼…園場凌そのば しのぐの様子に、久城陽子くじょう ようこの顔にも自然と笑みがこぼれる。


 こうして互いの声を聞くのは学生時代以来だが、まったく変わり映えしないところがかえって安心できた。


「生きてたんだね! いきなり消息不明になったから心配してたんだよ」


 ご挨拶だな。でもまあ借金で家がなくなったり両親が離婚したり夜逃げしたりと散々だったから、自分でもそう思うが。


「連絡しようにも電話が繋がらないし」


 まあ自宅の固定電話は差し押さえられたし、携帯も格安プランに変えたついでに念のため番号変更したしな。


 その後もなかなか仕事が見つからなかったりとバタバタ続きで、この土地に来てからやっと一息つけた。


 なんとか生活のメドも立ったし、心機一転を図るために、まずは連絡先を整理しようとスマホを調べていたところ…


「お前の携帯番号が目についたから、試しにかけてみたところなんだ」


 本当は懐かしさが込み上げて、つい電話してしまったのだが…そんな小っ恥ずかしいことは口が裂けても言わない。


「そうか…大変だったんだね」


 兄弟同然に育った凌は、陽子の家族が崩壊したことにかなりショックを受けたようだった。

 もっとも、久城家の両親は多忙で不在がちだったから、ほとんど面識がないとは思うが。


「でも、希望通り先生になれたんだね。おめでとう! まさか陽子ちゃんに先を越されるとは思わなかったよ」


 ホントに一言多い奴だな。まあ医者になるのがどんだけ大変かは知っている。

 凌は推薦入試で一発合格したようだが、まだ医大に在学中だし、その後も研修だの何だのとまだまだ苦難は続くらしい。


「でさ…今いるトコが、ゆいと同じ学校なんだよ」

「え゛…真中まなか先生がそこにいるの!?」


 電話の向こうで凌が血相を変えた様子がありありと伝わった。彼が医大に進むために尽力してくれた恩人だから無理もないだろう。

 かくいう陽子も、彼女と同じ職場で働いているどころか、今では同じ家で生活しているだなんて、いまだに半信半疑だ。


 そしてしばらくは真中唯談議で盛り上がる。彼女に多大な影響を受けたのは陽子だけではなく、凌や他の生徒たちも同様だったことが解ってホッコリできた。


「そうかぁ。陽子ちゃんの夢、全部叶ったんだね。おめでとう!」


 言われてみればそうなるのか。今の今まで何故だか不思議と実感がなかったが。


「でも、こうして話を聞いてるとさ…真中先生ってまるで、最初から陽子ちゃんが目当てだったとしか思えないよね」


 冗談めかして凌は笑うが…おそらく本当にそうだったのかもしれない。

 けれども、真相を知ることが怖くて…すぐ目と鼻の先に本人がいるというのに、いまだに何も言い出せずにいる。


「あと…月乃つきのちゃんもそこにいるんだよね?」

「ああ、当然みたいにくっついてきてな。特にここの土地に来てからは異常に元気でさ」


 仕返しにこちらも冗談めかしてやろうとしたのに、


「そっか…やっぱりね。」


 凌は何かを確信した様子だった。なので陽子も、意を決して訊いてみることにした。

 これまで訊こうとするたび、必ず何らかの邪魔が入って訊けすじまいだったことを。


「お前さ…知ってただろ? 月乃が人間じゃないって。」




 陽子は洗いざらい話した。

 この土地に来てから知った、あらゆる事柄を。

 人ならざる者…禍人まがびとのことを。


 そして…妹の月乃が禍人だったことを。


 兄弟同然の間柄である凌には、もう隠し事はしたくなかった。


 自分たちと知り合ったばかりに、散々振り回されてきた彼に…


 自分に想いを伝えてくれたのに、結局何も応えられなかった彼に…


 それが、いまの陽子ができる、せめてもの罪滅ぼしだと思った。





「…まさか、そんなことが…?

 いや、でも…そうか…そうだったんだ…」


 すべてを聞いても、凌はにわかには信じ難い様子だった。

 だが、それまでの不可解な出来事が、それですべて説明がつくのもまた事実。困惑しこそすれ、受け入れざるを得なかった。

 

「…でもさ、月乃ちゃんがその禍人だっていうなら…双子の陽子ちゃんも、そうなるんだ…よね?」


「そうなっちまうよなぁ…やっぱり。あたしには禍力まがりきってヤツは無いみたいだけどさ」


 しかしシロガネは言っていた。陽子には接触した禍人の禍力を飛躍的に増幅させるプースター能力があると。


 現に月乃の病状もそれで全快したわけだし、他の連中の能力もそれぞれ凄まじい威力を発揮したから、もはや疑いようがない。


 自身の禍物まがものへの攻撃力は皆無なのが悔やまれるが、そんな能力を持ち合わせた者が普通の人間なわけがない。


「と、いうことは…陽子ちゃんが持ってる能力ちからって、そもそも禍力とはまるで別物ってことにならない?」


 別物…?


「禍人たちは禍力そのものじゃなくて、その作用で強化されてるんだよ。

 なんていうか…『変質』って感じかな?」


 変質…たしかにそんな感じだ。

 たとえば、月乃。


 彼女が長年にわたり原因不明の闘病生活を強いられていたのは、元々禍人として生まれ、元々禍力が少ない都会での生活ですぐに禍力不足に陥ったからだった。


 それが劇的な改善を見せたのは、例の『刺殺未遂事件』以降。それから目まぐるしい回復を遂げて現在に至った彼女は、禍力が豊富なこの土地でますます元気になっている。


 シロガネの解説によれば、枯渇状態に陥りながらもわずかに残っていた禍力が、陽子により増幅され命を繋いだのだろうとのことだった。


 でも、だとすれば…それは月乃の『呪詛攻撃』の凄まじい威力の説明にはならない。


 それまでは精々、遠方の少年院に収監された『事件』の加害者である副会長を精神錯乱状態に追い詰め、警察病院に移送させる程度の効果しかなかった。

 いや、コレはコレで充分スゴイが、それでも対象者を殺傷するまでには至っていない。


 ところがこの土地を初めて訪れた夜、突然襲撃した禍物を…都乃宮美夜みやこのみや みやたちですら倒すのに一苦労な大型禍物を、月乃は五寸釘一本で一撃のもとに葬り去った。


 今にして思えば…あの威力は異常すぎた。

 禍力の増幅程度では説明がつかないほどに。


「でも、それまでの陽子ちゃんには確かにそんな能力ちからは無かったと思うよ。

 月乃ちゃんの禍力が見えた僕が、なんにも感じなかったくらいだし」


 最初は月乃を好いていた凌が急によそよそしくなったのは、その目撃が原因だった。

 そして、当時はごく普通の人間だった陽子には、今では禍物や禍力がハッキリクッキリ見えるようになった。


「きっかけ、って言ったら…やっぱり『アレ』くらいしか無くない?」

「やっぱ…『アレ』しかないよなぁ」


 『アレ』とはすなわち、『事件』直後に唯が陽子に施した応急処置である。

 ちぎれかけた心臓を元通りに修復できるほどの処置が「応急」と呼べるかどうかはさておき。


「思い当たるフシが…あるよね、当然?」

「ああ。これ以上ないほどバッチリとな」


 詳細をつまびらかに教えるのはさすがに避けたが、要は唯が陽子の傷を癒し、助けてくれたのだと凌に話した。


「…どう考えても不可能な芸当だよね、普通の人間には?」

「ああ。もとから普通じゃないと思っちゃいたが…アレで確信した」

「…じゃあ、陽子ちゃんが真中先生を探してたのって」


 それは勿論…借りを返すため。

 正確には『借りたモノ』を返すためだ。


 いやまあ単純にまた会いたいって気持ちもあった…というかそっちの方が大きかったのは事実だが。


 そして、いざ再会を果たした後どうするか、なんてことは微塵も計画してなかったせいで、いまだになすがまま状態なわけだが。




 あのとき唯はたしかに言った。「チカラを半分貸した」だの「後で返してもらう」だのと。

 そこへシロガネの解説を加味すれば、必然的に陽子の能力は元々唯のものだという結論になる。


 陽子の傷を癒やすには、それだけのチカラが必要だったのだろうが…これだけ治ったのなら、もう要らない。

 こんな得体の知れない能力はとっとと突っ返したかった。


 返却すれば、陽子はただの人間に戻る。

 禍人の月乃はもう陽子から禍力を得ることはできなくなるが、彼女はもう自分で禍力を得られるようになった。


 買い物も自分でできるし、学校にも通える。もう以前の何もできない月乃ではない。

 いつまでも甘えん坊な妹のままで良いわけがない。そろそろ自立させるべきだろう。




 ところが、いざ再会を果たしても、唯は一向に返却を迫ろうとはしない。…なぜか?


 思えば…陽子をここの土地へ呼んだのも、あの学校に放り込んだのも唯だ。


 さらに言えば、陽子が教職を目指したことは、当時とっくに辞めていた唯は知る由もない。

 …はずなのに、久々に電話を掛けてきたとき、彼女は陽子が赴任先にあぶれていることを最初から知っていた。


 さらにさらに言ってしまえば…凌にすら教えてなかった今のスマホの連絡先を、唯はどうやって知ったのか?


「つまり…最初っからアイツに仕組まれてたのか」


 そして、唯がいまだ陽子に能力を託したままなのも…まだ、何かを企んでいるからだろう。


 ハッキリ言ってムカつく。

 ムカつくことはムカつくが…


「…お前のおかげでスッキリしたよ。ありがとうな…凌」


 やはりコイツとの会話は落ち着く。おかげで状況整理できた。自分一人だけなら堂々巡りに陥っていたことだろう。


「どうしたの柄にもないこと言って。気持ち悪いなぁ?

 あ…でもそろそろいい時間だね。それじゃ、また連絡するよ」


「ああ、お前も気をつけろよ。

 …じゃあな。」


 そう言い置いて、陽子は凌との通話を終えた。


「また連絡するよ…か。フフッ」


 自分がもはや人間じゃないと知っても、まだ関わり続けようとするとは…ずいぶん酔狂な奴もいたものだ。


 ならばせめて、これくらいの洗礼は受けて貰わねば、今後は身が持たないだろう。

 まさか唯のヤツも、かつての教え子にそこまで悪辣なコトはしないと思うが…これ以上首を突っ込む気にならない程度には脅すだろうし。


 注意はしたからな、精々ガンバってくれ。




「…とゆーわけで久しぶり、凌クン♪」


 陽子との通話を終えるなり、出し抜けに誰かに耳元で囁きかけられ、


「まっ真中先生!? なんで…どーして!?」


 慌てて振り向くなり、そこにあった唯の姿を目の当たりにして、凌は心停止寸前な恐怖を味わった。


 凌は在宅中にもキッチリ施錠するタイプだし、そもそもここはオートロック式マンションだから、そう簡単には侵入できない。


 だいたい、ここは唯たちが住まう土地から何百キロも離れているから、こんなに短時間で移動できるわけがない。


「ん〜、ちょっとこっちに用事があってねン。

 ついでだからご忠告にお伺いしてみたよん♪」


「…言われなくても、僕にはいまさらどうにもできませんけど…陽子ちゃんや月乃ちゃんを、どうするつもりなんですか?」


「陽子ちゃんは別にどうする気もないかな〜? あの子はあの子のままでイイし♪

 …月乃ちゃんもたぶん大丈夫じゃない?

 ちょっと痛い目みてもらわなきゃだけど♪」


「だからそーゆーのがダメなんですよっ!」


 果敢に詰め寄る凌を、唯はデコピン一発で跳ね除けて、


「思いのほか勇気があるのは褒めたげるけど、これ以上深入りするようなら…解ってるン?」


「だから僕なんかにはどうにもできませんよ。

 …連絡くらいはさせて貰いますけど」


「ハァ…ま、そんくらいならいっかな?」


「あと…医大の推薦、ありがとうございました」


 凌の唐突な感謝に、唯は一瞬目を点にして…それから困惑したように苦笑すると、


「やっぱり憎めないな〜チミは♪

 しょうがないから除外しとくよン。

 まあ悪いようにはしないから、せいぜい大人しくしといてねン⭐︎」


 言い終えるかどうかの一瞬で、唯の姿は跡形もなく掻き消えた。


「…除外?」


 なんだか解らないが、すんでのところで助かったらしい。

 だが、あの口ぶりからすると…他にもターゲットがいるってことか?


「…陽子ちゃん…」


 再び静寂が戻った室内で、先程まで陽子の声が溢れていたスマホを見つめ、凌はぽつりと呟いた。





「…私達をこんな場所に呼び出して、いまさら何のつもりだ?」


 真夜中の貨物港。岸壁に停車した高級車から降り立つなり、初老の男は不機嫌そうに言い放つ。

 その後ろには同世代の女性が、ブランド物で着飾ったいでたちで退屈そうに立っている。


 サスペンスドラマで真っ先にやられそうな印象の、典型的な似非セレブ夫婦。

 何を隠そう、本作初回に出演したっきりご無沙汰だった、双子の両親である。


「ご挨拶だねぇん。夜逃げまでしたクセに、まだそんな格好してるし♪」


 コンテナの角に腰掛けて嫌味っぽく笑うのは…つい今しがた凌の部屋を訪れたばかりの唯。

 この港はそこからは何キロも離れている。


「放っといてくれ。…いやそもそもこうなったのはアンタのせいだろう!?

 全部アンタの指示通りにしたのに、どうして事業の邪魔をした!?」


「ん〜そうだねぇん…ぶっちゃけ、要らなくなっちゃったんだよね〜もぉ♪」


 しれっと応える唯に双子親はますます激昂し、


「フッザケるなっ!! 人員不足で事実上の活動休止に追い込まれた都乃宮みやこのみや家に代わって『裏稼業』を取り仕切れと我が家に命じたのは、そもそもアンタだろう!?」


「あ〜そうだったねぇん。その節はお世話になりまちた♪」


「だから我が家は死に物狂いで…文字通り数多の死を乗り越えてまで、アンタの期待に応えただろ!?

 そもそもウチは真っ当な人間なんだ。禍人の真似事なんて出来るかっ!」


「だから禍物を貸したげたじゃん」


「あんなモンが禍人の代わりになるか! 訳もわからず暴れ回るだけで、命令なんてろくに聞きやしない!」


「おかげで『本家』の新人たちのいい練習相手になったけどねン♪」


 何を言おうが暖簾のれんに腕押しの唯に、両親はいよいよ地団駄を踏み鳴らし、


「しまいには…あんな双子の世話まで押し付けやがって! 私達がどれだけ苦労させられたと思ってる!?」


 これにはさすがの唯も思うところがあったのか、しばし押し黙って真っ暗な水面みなもを眺めていたが…


「…そこだけは褒めてあげてもいいかなン。

特にお姉ちゃんのほうは、期待通りに育ってくれたからねン♪」


「あんなじゃじゃ馬がか!? アレはもう私達の手には負えなかったぞ。隣ん家のデキたガキが手懐けてくれたから、多少はマシだったが。

 アレよりは大人しい妹のほうがよっぽどマシだ…カネはたんまり掛かったがな!」


「だから妹ちゃんのほうは諦めちゃってもイイって、最初っから言っといたじゃん?

 てゆーか早々にそうなるコトを期待したのに…結局しぶとく生き残って、お姉ちゃんにくっついてくるし〜?」


 唯は辟易したように溜息をつく。


「…今じゃ〜手に負えないほど強くなっちゃってんだけど。どうしてくれんの?」


「文句は本人に言ってくれ。私達だってギリギリまで姉妹の引き離しを図ったんだ。

 なのに姉について行くと言われたら、もうどうしようもないだろ?」


 当時の心労がぶり返したか、両親は苦虫を噛み潰したような顔色を浮かべた。


「私達にだって世間体ってものがあるんだ。あんな奴らでも見殺しにしたら周囲にどう見られるか、分かったものじゃない…。

 とりわけ隣ん家のババアは界隈にやたらと顔がきいたからな。あいつの顔色を窺うだけでも骨が折れたぞ…。

 結局、最後は勝手に病死してくれて清々したぜ!」


 憂さが晴れたようにから笑う両親に、唯の眉尻がピクリと跳ねる。


「その割にはずぅーっと放ったらかしだったけど、双子ちゃんのこと?

 お姉ちゃんが刺されて死にかけたときだって、病院に顔さえ出さなかったし?」


「自業自得だろうがそんなモン! あのまま死んでくれたら、どんなに楽だったか!

 それに私達だって忙しかったんだ、アンタのせいでな!」


 それを聞いた唯がどれほど険しい表情を浮かべたか、夜目がきかない両親にはまったく窺い知れなかった。


「…仕事できない奴の常套句だねぇ。ムカついたから、とっとと潰して差し上げちゃいまちたケドね〜ん♪」


「貴っ樣…ッ!?」


 両親が詰め寄ったところへ、唯は開き直ったかのようにスクッと立ち上がり、


「けど約束通り、双子ちゃんをここまで育て上げてくれたお礼はしなきゃだからねン。

 ホレ、とっとと持ってき♪」


 と、傍に寝かせておいたアタッシュケースをコンテナの上から蹴り落とした。

 ケースの留め金が地面に当たって外れると…


「ぅおおっ!?」


 中から飛び出した大量の札束に、両親の目の色が露骨に変わった。


「ソレで手打ちってコトで。今までご苦労さん♪」

「ワハッワハハッ! もう受け取ったからな、もう返さんからなァーッ!!」


 辺りに散乱した札束をケースに詰め戻しつつ、両親は浅ましく笑い転げる。

 その様子をヤレヤレと溜め息混じりに見つめる唯の足下で、すべてのカネを回収し終えた両親は、二人がかりでアタッシュケースを高級車へと運び込む。


「あばよ化け物っ、もう二度と会わんぞッ!」


 捨て台詞を言い切らないうちからアクセルを空ぶかしした両親は、車を急発進させて何処ぞへと走り去った。


「それはこっちのセリフだよん。

 …あばよ、カネの亡者さん♪」


 急速に遠ざかるテールランプの赤い灯火を眺める唯の顔にも、邪悪な笑みが灯った。




「やったぞッ! これだけあれば当分は左うちわで暮らせる!」


 意気揚々とハンドルを転がし、乱暴な運転で夜道を疾走する父親…役だった男の背後で、


「長々と苦労して親子を演じた甲斐があったわ! あは〜んこのズッシリした重み…これでこそ我が子よ♪」


 アタッシュケース相手に、我が子(仮)にさえしたことがなかった愛情てんこ盛りの抱擁を披露する母親…役だった女。


「ね、これでもう離婚の必要はないんじゃない!?」


「ああそうさ、厄介な双子はもういない。これからは夫婦水入らずのバラ色生活さ♪」


「まぁ〜ステキ♪」


 こんな俗物どもでも互いへの愛情は人並みにあるのか、うっとりと見つめ合う。

 もっとも瞳の中に浮かぶのは『¥』マーク、カネの切れ目が縁の切れ目であることは言うまでもないが。


「なんなら新婚旅行がてら、こんな腐った国は捨てて、どこか他へ移住するか!?」


「そうね。これだけあれば何処へでも行け…る…?」


 ホクホク顔で再びケースを開け、中身を確認した女の顔がみるみるかき曇る。


「…どうした?」


 女の異変に気づいた男がバックミラー越しに尋ねると、


「…コ、コレって…?」


 バラけた札束から一枚だけ抜き取った女は、その紙幣を男の肩越しに差し出した。


 紙幣の肖像画に描かれていたのは…

 あかんべーをする唯の姿。


「あ…んっのアマァーッ!!」


 騙されたと気づき、ハンドルをバンバン叩いてクラクションを打ち鳴らす男。

 刹那、その紙幣が眩く光り輝いたかと思うと、一瞬にして燃え上がった。


「ひぃ〜〜〜っ!?」


 梅図かずおばりの悲鳴をあげた女の膝の上で、ケース内の残りの札束が満遍なく光り輝き…




「た〜まや〜♪」


 遥か遠方で立ち昇る火柱が、夜空を赤々と焦がす様を、唯は目を細めて見上げていた。





 時刻は深夜二時。

 草木も眠る丑三つ時には、美夜たち禍人も就寝中である。


 本来は食事も睡眠も不要な禍人だが、人の世で暮らす上ではなるべく生活スタイルを合わせる必要がある。

 …などという前提とは無関係に、美夜やクロはグースカ眠りこけているのだが。


 そんな闇夜の静寂に紛れて、控えめなノックが部屋のドアをかすかに打ち鳴らした。


「…入って」


 呼びかけたのは、部屋の主である月乃。


「こんな夜更けに何か御用でしょう…か?」


 それに応じて遠慮がちに入室したのは、眼鏡を外したパジャマ姿のシロガネ。元々眼鏡など不要な視力を誇る彼女は、就寝時刻には素顔で過ごしている。


 ちなみにシロガネが入室をわずかに躊躇ためらったのは、月乃の寝巻きが愛用のロングTシャツではなく、妖艶なネグリジェ姿だったから。


 自室に客人を迎えるための最低限のたしなみとして配慮したらしいが、その方向があさってを向いているばかりか、シロガネが本来男性であることを失念しているあたりが彼女らしい。


「ちょっと…見てほしい」


 すぐさま本題に入った月乃がシロガネに向けたのは、自前のスマホの画面。

 解像度が低くて不鮮明だが、どこかの港っぽい風景の中を飛行する様子が映っている。


「…これは?」

「式神くん壱号…の録画。…1時間ほど前」


 説明不足すぎるので解説すると、『式神くん』というのは月乃が近所のホビーショップで買った安物ドローンである。

 機能的には内蔵カメラとマイクで拾ったライブ映像をスマホで視聴できるだけだが、特筆すべきはその超絶な機動性にある。


 なんと、駆動部分に月乃お得意の呪詛回路を施すことにより、電力不要で半永久的に活動可能。

 原理は月乃自身にもよく解らないが、禍人は飯食べなくても大丈夫だからイケんじゃね?と試してみたら出来たそうな。


 さらに追跡対象を指定すれば、対象がどこへ移動しようと時空を超えて追跡可能という恐るべき性能を誇る。

 これまた原理は不明だが、遠く離れた相手にも呪詛が届くから、ならドローンも届くんじゃね?とやってみたら出来たそうな。


「す…凄い。禍人に目覚めて、まだそれほど日も経たないうちから、ここまで能力を使いこなせるだなんて。しかも、この応用力の高さ…!

 お嬢より才能ありますよ月乃殿!」


「それ…従禍つきびと的に…どうよ?

 でも…ありがとう」


 などとやりとりしている内にもスマホ画面は進行し…岸壁近くのコンテナの上空で静止。


 眼下にはギャルっぽい派手な服装の人物と、それに対峙するセレブっぽい服装の男女が映し出されている。


 ドローンのカメラが低解像度なため、いまいちハッキリしない映像だが…


「これは…もしかしなくても真中先生ですね。なぜ彼女を?」

「…尾行けさせた」


 事あるごとに陽子にちょっかいを出す唯を警戒し、監視手段を探していた月乃の目に留まったのが、この式神くんである。

 ショップのワゴンセールで叩き売られていた五千円の安物だが、貧乏性な月乃にとっては思い切った買い物だった。


「はあ…それでは、この男女は…?」

「…お父さんと…お母さん」


 どれほど不鮮明な画像だろうと、日頃見慣れた顔くらい判る。とはいえ入院生活が長かった月乃は、陽子ほど頻繁には両親と接したことがなかったが。


「…なぜ?」


 眉をひそめて問うシロガネに、無表情な月乃は淡々と答える。


「つい最近知った…うちのお仕事。

 都乃宮家の…補佐」


「んな…っ!?」

「姉さんは知らない…ナイショ」


 さすがのシロガネも知らなかったらしい事実を…ごく一部の関係者しか知り得ない事実を、月乃は最近目覚めたばかりの禍力を駆使して突き止めていた。まさに天才である。


「ちょっと待ってください? そんなやんごとなき方々が、なぜ真中先生と…」

「…聞けばわかる」


 月乃に促され、シロガネは黙って耳をそば立てた。


 映像は不鮮明だが、音声は割合クリアに聞き取れる。深夜で辺りが静まり返っている上に、興奮した男が大声でがなり立てていることも功を奏した。

 さらにはシロガネの聴力は元々人間をはるかに上回っている。その抜群な聴力が捉えたやり取りは…。


「…これは…!?」


 驚愕の事実を目の当たりにして愕然とするシロガネの隣で、すでに一部始終を見知った月乃は辛そうに顔を伏せる。


「…本当の…親子じゃなかった…」

「月乃殿…」


 だが、さらに驚愕すべきはその後だった。


 画面の中で、唯からアタッシュケースを受け取った男女は逃げるように車を急発進させ現場から消えた。

 ほどなくして、遥か向こうで爆炎が上がり、赤々と立ち昇る火柱が闇夜を焦がす。


「…………」


 あまりの事態にシロガネはもはや呆然と映像を目で追うしかできない。

 そして、月乃にも…約1時間前の…過去の出来事を覆すことは不可能だった。


 やがて…画面の中の唯がおもむろにこちらを振り返り、にんまり笑って手を振りかざした。

 そこで映像は大きく乱れ、後は延々とノイズが続くのみだった。


「…本当の…家族じゃない。

 けど…それまでは…家族だった」

「月乃殿…」


「親らしいことなんて…何もして…貰ってない。

 でも…ここまで…育ててもらった…っ」


 震える月乃の頬を一筋の涙が伝った。

 かつて生死の境を彷徨った彼女にとっては、それこそが何ものにも代え難い彼らの功労だった。




「…では、自分がコレを拝見させて頂いた理由は」


 月乃が落ち着くまで待ってから、ようやく本題を切り出したシロガネに、彼女は頷き、


「客観的な視点で…判定して欲しかった。

 あなたは…いちばん冷静に…観察できる」


 その期待に応えるべく、シロガネは腕組みをして考え込み、


「…最初から只者ではない気配はありました。

 自分の前に真中先生が現れたのも、今にして思えばタイミングが良すぎましたし」


「…姉さんのときもそう。トラブルがあって…投稿拒否になった…途端に出てきた」


「つまり…最初から我々に関わる気満々だった訳ですな、真中先生は」


「うちの親…だった人たちと…知り合いだったのが…何よりの証拠」


 なるほど、たしかに一人で考え込むよりも結論がはやいな…と互いに認識する。


「あと…あの、瞬間移動みたいなヤツ…」

「アレは自分にも原理が判りません」

「…シャトルは…?」


 都乃宮家が各地に張り巡らしている高速移動手段を使ったのでは?と問う月乃に、シロガネは被りを振り、


「最寄りの中継地点のものを使ったにせよ、到着時刻か早すぎます。なにしろ物理的移動なのでいくらか時間を要しますし、あれだけ遠方までの直通ルートは存在しません。さらに…」


 シロガネは人差し指をピンッと立てて、


「禍力にも限界はあると、以前申し上げましたが…あの能力はその限界を遥かに超越しています。

 瞬間移動的な能力は、禍力の範疇ではあり得ません」


「…ということは…禍力以外?

 たとえば…姉さんの能力…みたいな?」


 月乃の言葉にハッとしたように、シロガネの立てた指がフニャリと折れ曲がる。


「…たしか、姉上があの能力に目覚めたのは真中先生と会って以降…でしたね?」


「もっと言えば…刺されて重症になって…から」


「それです。だとすれば、姉上のあの能力は…

もとは真中先生の能力…なのでは?」


 今度は月乃がハッとする番だった。

 なぜなら、能力の譲渡には粘膜接触が必須な訳だからして…


「…あのオンナ…ッ」


 到底、おおやけにはできない形相の月乃に恐れをなしたシロガネは、話題を切り替えるべく室内を見回してネタ探しを…

 …するまでもなく、部屋の端々に置かれた様々なアイテム類に興味深げに目を留めて、


「…このシリーズ…お好きなんですか?」

「…うん。入院中から…ずっと読んでる」


 本棚にズラリと居並ぶ長期シリーズのラノベを指差し、しばし作品談義に花を咲かせる。

 結果、二人とも相当ディープなファンであることが発覚した。


「あと、このタイトル…!」

「たまに…退院できたとき…姉さんと…遊んでた」


 一般的には浸透していないものの、優良作としてマニア間で高評価なゲームタイトルについて、これまた濃ゆい談義を繰り広げる。

 結果、これまた互いに相当遊び込んでいたことが発覚。


 たったこれだけのことでもオタクはもはや運命共同体的なシンパシーを得るものである。

 しかも一見とっつきにくい相手ほど、一旦打ち解けられれば結び付きはより強くなる。


 すっかり意気投合した二人の会話は弾み…

 ふと気づけば、窓の外がもう白み始めていた。相当長いこと話し込んでしまったらしい。


「…今夜の話は…絶対ナイショ。特に…姉さんには…ヒミツ」

「解っています。こんなコト、口が裂けても言えませんよ。

 …まあ言ってみたところで、にわかには誰も信じないでしょうが」


 二人だけの秘密の共有。そんな場合ではないと解っていても、そこはかとないトキメキを感じる。


「では、また学校で!」

「うん…」


 滅多に見せない笑顔で部屋を去ろうとするシロガネに、月乃も珍しく心底リラックスした微笑を返す。


「…やっぱり…あなたに相談して…良かった」

「はい?」


 部屋の戸口から身を乗り出したまま振り向くシロガネに、月乃は照れ臭そうに告げる。


「初めから…思ってた。

 あなたは…信用できる。」


 月乃の口からこぼれた素直な言葉に、シロガネは胸中に熱いものが込み上げるのを感じた。


「その…自分にはこれまで、そういった存在がいなかったもので…おこがましく思われるかもしれませんが…」


 この機を逃せば、もう二度とこんな小っ恥ずかしいセリフを口にする機会はあるまい。

 わずかばかりのプライドをかなぐり捨てたシロガネは、勇気を振り搾った。


「月乃殿。是非ぜひ、この自分と…

 …友達になってください!」

 




 明けて午前中。


「と、ゆーわけでぇ。次回の社会見学先をどうするかっつー話ですがぁ〜」


 なんだかずいぶん久々な感じの私立・都乃宮女学院では、只今オリエンテーション中。

 要は、前回好評だった社会科の課外授業を今後も継続するための打ち合わせである。


 教室の壇上で指揮をとるのはもちろん陽子。 その様子を傍で見守るのは先輩教師の唯。

 美夜、シロガネ、月乃、クロの生徒たちは、ワクワクした面持ちで会議に参加している。


 それぞれ、深夜の出来事には当然のように一言も触れない。

 表向きは穏やかで和やかな空気が場内には流れていた。


 だがしかし、どのような世界においても歪みは少しずつ拡大していくものだ。

 とりわけ約2名の周辺では、その歪みは顕著に表れていた。


「その前に、禍物対策を万全にすべきじゃないかと先生は思うんだよな〜。

 前回の授業自体は概ね成功だったけど、その後が最悪すぎたかんなぁ…」


 陽子の提案に、誰もが前回の禍物…あの擬態トラックとの死闘を思い出し、げんなりした表情を浮かべる。


「う〜む。こればかりはやむを得んというか…我々禍人は常に禍物に狙われ続ける存在だからな。臨機応変に対処するより他はないと思うが…」


 シロガネは渋り顔で応え、


「月乃殿はどう思われますか?」


 …あれっ?


「シロガネ…さんの言い分は…わかる。

 だからって…何の対策もないのは…ダメ」


 …あれれぇ?


「シャトル…での移動…は?」

「安全といえば安全ですが、一般的な民間施設付近に中継ポイントが無いのがネックですね。

 結局そこから目的地まで移動せねばならず…」

「移動中を…狙われる?」

「左様。でも目の付け所は良いですよ、さすがは月乃殿です」

「シロガネ…さんも…」

「呼び捨てで結構ですよ」

「…シロガネも…判断がはやくて…助かる。

 あと…こっちも…呼び捨てでいい」

「えっ、いや、それはさすがに…」


 あれアレあれれれレェ〜〜〜ッ!?


「ちょちょちょほいと待っておくんなましですぅ!

 お二人とも…なんか急に仲良くなってね?ですけどぉ〜!?」


 慌てふためいて尋ねる美夜に、シロガネと月乃はポポッと頬を染めて、


「…と、友達になりました」「…オトモダチ。」


 がががぁ〜〜〜んっっ!?


 漫画のように大げさにのけぞる美夜の周囲で、皆一様に衝撃を受けている。

 よりにもよって、打ち解けにくさではダントツの座を競い合う両者がなぜ?…と。


「オ、オトモダチ…そっかオトモダチかぁ。

 あの月乃にオトモダチ…。

 …アレ? 嬉しいはずなのに、涙と一緒になんか変な汁が出るぞ?」


 滂沱ぼうだのごとく流れ落ちる涙と、ギリリと噛み締めた唇の端に滲む血潮とがないまぜになって塩分鉄分良好な味覚に舌鼓を打つ陽子。


「…なんだかチクチクしますぅ」


 いつぞやの夜の記憶はシロガネによって消されてはいるものの、その時の感情までは完全に薄れてはいなかった美夜も、言い様のない違和感に支配されていた。


「…ヤバイの同士がくっついちゃったか。

 ちぃーとばかし予定が狂っちゃったかもン」


 新生白月コンビの様子を遠巻きに見つめる唯も、予想外の融合に人知れず難色を示していた。





 ずずうぅ〜〜〜〜〜んんん…


 昼休み。

 重苦しい空気が場内を支配している。


 かつて都乃宮家の中庭だったその場所には、現在は屋根付きのカフェテラスが設けられている。

 そのテーブルに揃って突っ伏しているのは、陽子と美夜という割と珍しい組み合わせ。


 シロガネと月乃は、そこから目と鼻の先ではあるが校舎内の『銀狼書庫』にてオタク談義に花を咲かせている。

 それぞれのパートナーが個別に活動しているというのは、今までならあり得なかった。


 ちなみに唯はスマホ片手に保健室に引き篭もり、そこに昼メシを食べたばかりのクロがおやつをタカリに行っているようだ。


「…シロガネさんの主禍は私なんですよぉ。なのになんで他の主禍のトコに行っちゃうんですかぁ〜?」


 テーブル上のティーカップには紅茶しか入っていないはずだが、美夜はすっかりヘベレケな飲んだくれモードで、先ほどからブツブツ同じ小言を繰り返していた。


「まさか月乃に友達がねぇ…しかも中身野郎じゃん。ボーイフレンドじゃん…」


 対面席の陽子はコーヒー入りの紙コップを携えているが、その中身は一滴も減ってはいなかった。


「…てゆーか、よく考えたらあたしにも友達なんていなかったなー…妹に先越されたわ…」


「私だって、友達なんて一人もいませんよぉ。シロガネさんは従禍だし、クロちゃんはペットだし…」


「それでも二人もいたら充分じゃん。あたしには本当に一人も…

 あ、幼馴染が一人いたわ」


「お友達いるじゃあないですかぁ〜?」


「いや、アイツは男だし…プロポーズされたから、もう友達じゃないし…」


「へぇー…。

 ………………。

 ……はい!?」


 耳慣れない単語に、美夜はガバッと顔を上げた。


「よ、陽子先生…婚約者がいらっしゃったんですか…!?」


「んにゃ、結局受けてないから破談じゃね?

 …あれ、そういやキッチリ断った憶えねーや。じゃあまだ保留になってんのかな?」


 月乃のことに気を取られすぎて何もかも上の空な陽子は、プライバシーがだだ漏れになっていることに気づいていない。


「ふえぇ…オトナですぅ〜! じゃあじゃあ、具体的にこう、どのあたりまで進展して…?」


「あー…アイツとはチューもしてなかったな〜、そういや。

 唯には最後までされちまったけど…」


「サ、サイゴマデ…ッ!?

 ふえぇえぇえ〜〜〜〜〜っっ!!」


「うっせーぞミルクタンクのくせに…ってアレ?」


 そこで陽子はようやく、耳の先まで真っ赤に茹で上がった美夜の羨望の眼差しがこちらに注がれていることに気づいた。


「…あたし今、どこまで話した?」


「安心してください。陽子先生のただれたノロケ話は、墓場までお持ち帰りですぅ⭐︎」


「ぜんぶゲロってたァーッ!?」


 陽子は頭を抱えてのたうち回るが、いまさら後の祭りである。

 そんなしょーもない身の上話でも、美夜的には何か得られたらしく、さっきよりは俄然元気になった。


「…ホントに他言無用だからな? 月乃にバレた日にゃ、マジで死人が出るからな…」


 赤面しつつも否定はしない陽子の潔さに、美夜の心の壁もかなり地盤沈下したらしく、


「私も…シロガネさんにちゃんと告白したほうが良いんでしょうかぁ…?」


 ついに観念して、素直に打ち明けた。


「えっ…お前ら、まだそんな関係だったの!?

 あんだけエロエロ…いやイロイロやってんだから、とっくにイロイロ…いやエロエロな関係なのかと思ってたぞ?」


 今度は陽子が驚く番だった。


「カラダの繋がりと心の繋がりは別物ですぅ」


「生々しすぎ。でもまぁ…よく解るぞ。

 なまじカラダが先行しちまうと、かえって虚しくて切なくなっちまうよな。

 相手がどこまで自分を気にかけてくれてんのか、どうしても確かめたくなっちまうんだ…」


 まさしく自分の気持ちを的確に言い当ててくれた陽子に、美夜は尊敬とも共感ともつかない不思議な気持ちを抱いた。


 日頃の言動が粗暴すぎるため見過ごしがちだが、やはり陽子は初めて出会ったときに思った通り、実直でカッコイイ大人の女性だった。


 どんな質問も誤魔化さず、真正面から受け止めて、誠心誠意応えてくれる。

 常に逃げの一手なシロガネとは大違いだ。


「今の質問の答えだけど…焦ることはねーんじゃねぇか?」


「…え?」


「だってお前、まだ目ぇ覚めてから一年しか経ってねーだろ?

 でも、そんなお前を復活させるためにシロガネの奴はすんげぇ手間暇かけたらしいぜ。

 そんだけ気合い入れてんなら、お前を大切に思ってんのは間違いねーと思うぜ?」


 言われてみれば…確かにシロガネは、いかなる時でも美夜のことを最優先してくれる。

 今は出来たばかりの友人である月乃に御執心だが、何かあればすぐさま自分のもとに駆けつけてくれるだろう。


「けど気合いが空回りしすぎて、今はまだ戸惑ってんじゃねーか? お前だって、やっとアイツの扱い方が解ってきたばかりだろ?」


 実際には、現在の美夜が以前の美夜…すなわちシロガネの理想と違いすぎて戸惑っているのだが、そんなどうにもならないことは言いっこなしだ。


 あらゆる事は時間が解決してくれる。

 いずれシロガネの中で、現在の美夜が以前の美夜を上回るときが来る。それまで気長に待てば良いだけの話ではないか。


「それまで我慢できなきゃ、またあたしが愚痴でも何でも聞いてやるよ。

 でなきゃ乳の一つも揉ませてみろ。アイツぁ絶対ムッツリだから効果テキメンだぜ?」


「ソレもうやりましたぁ。シロガネさん、たぶん貧乳派か不能ですぅ」


 なん…だと…っ?


「でもでも、ありがとうございますぅ。陽子先生に聞いてもらったら、なんだかスッキリしましたぁ♪」


 いや今度はあたしのほうがスッキリしねーんだけど!?…と言いたい気持ちを懸命にこらえ、陽子は無理やり頷いた。


「そ、そーかぁ? ま、ガンバレ!」


 本人たちは教師と教え子の関係と思い込んでいるが…

 これもまた、女同士の友情の一つかもしれなかった。



 


 そして友情を育んでいるのは、この二人もだった。

 ただし、多分に物欲に支配された仲ではあるが。


「…そっか、陽子ちゃんになかなか近づけないかぁ」


 お茶受けの羊羹を和菓子切で切り分けつつ、卓上で頬杖をつく唯に、


「ふにゅうん…」


 口の周りをスナック菓子の食べカスだらけにしつつ、いつになく意気消沈な面持ちでベッドにちょこんと座ったクロが頷く。


 昼下がりの保健室。

 開け放たれた窓から吹き込むそよ風に髪を揺らしつつ、昼食直後のティータイムをゆったりと満喫するのが、ここ最近の二人の日課になっていた。


 図式的には、縁側で猫とひなたぼっこするお婆ちゃんさながらである。


「ここ最近の月乃ちゃんはスゴイからね〜いろんな意味でネン」

「んにゅ」


 陽子を狙う敵の多さを痛感したからか、月乃による周辺警備は日増しに厳しさを増していた。

 将来的には陽子とツガイになることを目指すクロにとっては、まさしく繁殖の危機である。


 月乃自身もこの土地に来てから禍力切れの不安がなくなったためか、ずいぶん活発かつ積極的になった。

 こうなることを唯は以前から危惧していたようだが…


「ハァ…しょーがないかぁ。コレだけは使いたくなかったけどねン」


 溜息ひとつ、唯は手元にあったスマホを操作し、写真アプリを立ち上げた。

 慣れた手つきで記録を検索し…やがて指を止める。


 そこにあったのは…一本の動画。

 実はコレ、かつて学生時代の陽子が、校舎の屋上で凌にプロポーズされた際の劇的シーンである。

 当時、その一部始終を貯水タンクの上で目撃していた唯は、ちゃっかり動画撮影もしていたのだ。


 こんな劇物を果たしてどう使おうというのか?

 最も手っ取り早い手段としては、月乃のスマホに送りつけて姉妹仲を分断させる方法があるが…


 残念ながら唯は月乃の連絡先を知らない。

 仮に知っていたところで、いざ連絡した瞬間に着信拒否されることは目に見えている。


 ならば、他には…


「…クロちゃん、頼めるン?」

「んにゃっ♪」


 応えるが早いか、クロはちょこまかと保健室を後にし…ものの数分で戻ってきた。


 その手に携えられていたのは…

 陽子のスマホ。


 すでにご承知だろうが、陽子は自己所有物の管理に無頓着なばかりか、セキュリティもガバガバである。


 そんな彼女のスマホを受け取った唯は、鼻歌混じりに片手でロック解除を進めつつ、もう一方の手にした和菓子切で…


 …スコーン!


 羊羹とは思えない小気味よい音を立てて、最後のひとかたまりが一刀両断された。


 都乃宮女学院の日常がいま、大きく変わろうとしていた。



【第十話 END】

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