悪戯好きの杉野さん。でも嘘告はダメだと思う
「……またやられた」
数学の小テストの自己採点をしながら、俺・関昌也は苦虫を噛み潰したような顔をする。
小テストの一問目は、簡単な計算式だったこともあり、俺は正解することが出来た。うん、幸先の良いスタートだ。
だから大きく赤丸を書いてやろうと思っていたのに……実際解答用紙に書かれているのは、黒い丸で。
こんな悲劇が起こった原因は、既に判明している。四色ペンの中身が、入れ替えられていたのだ。
四色ペンの芯を正しい場所に戻しながら、俺は溜息を吐く。
こんなしょうもない悪戯をする奴なんて、一人しかいない。
俺は隣の席の女子生徒・杉野千紘を睨み付けた。
隣席では、杉野がクスクスと笑っている。期待通り俺が黒ペンで採点し始めたので、満足したようだ。
全く、この女というやつは。
いつもそうだ。事あるごとに悪戯を仕掛けては、無様にも引っかかった俺の姿を見て大笑いする。
「おはよう」から「またね」まで、あの手この手で悪戯される毎日。ぶっちゃけ普通に授業を受けるのと比べて、倍近い疲労感に見舞われている。
普通の高校生活を夢見ていた筈なのに、一体全体どうしてこんな日常になってしまったのか?
俺は全ての元凶ともいえる、杉野と初めて出会った日のことを思い出した。
あれはそう、今年の春の出来事だった。
ふと訪れた中庭、そこにそびえる桜の木の下で、杉野は佇んでいた。
小学生レベルの悪戯ばかり仕掛けてくる杉野だが、見てくれだけは美少女だ。校内でも、五指に入ると思う。
そんな彼女の横顔に、何も知らない当時の俺は思わず見惚れてしまうのだった。
「……綺麗だ」
ポツリと、率直な感想が俺の口から漏れる。
色鮮やかな桜も、杉野の前では単なる背景に過ぎなくて。だから俺の呟きも、桜ではなく杉野に向けたものだ。
しかし杉野は、自分の容姿が誉められたのだとは微塵も思わない。
彼女は俺を見て微笑むと、「こっちにおいで」と言わんばかりに手招きをしてみせた。
一緒に桜を見ようと誘ってくれているのだろうか? だとしたら、断る理由はない。
正直桜はどうでも良いが、もっと近くで杉野を見たい。なんなら、彼女と話がしたい。
俺の中でそんな下心が、芽生え始めていた。
恋……と呼ぶには、少し早いような気がするな。だけど恋の始まりであるのは確実だろう。
吸い寄せられるように、俺は足を踏み出す。
5、6歩進んだところで――俺の体は、突然落下した。
「……?」
落下した直後、俺は自身に何が起こったのか理解出来ていなかった。
しかし突如として変化した視界と地面に体を打ちつけられた衝撃が、俺をラブコメの世界から現実に呼び戻す。
それから10秒かけて、俺はようやく自分が落とし穴に落ちたことを理解し、そして受け入れたのだった。
ここである疑問が生まれる。
どうしてこんなところに、落とし穴が掘られているのだろうか?
形状からして、自然発生したものとは思えない。つまりこの落とし穴は、何者かによって作られたものだ。
ではその何者かとは、一体誰なのか? ……犯人はすぐに明らかになった。
「アーハッハッハッハッ! やーい、引っかかった引っかかったー!」
清楚で奥ゆかしい雰囲気はどこへやら。
杉野が地上から俺を指差し、その醜態を大笑いしていた。
これが俺と杉野の最悪な出会いで、これこそが俺の最悪な日常の始まりだった。
俺の反応が余程気に入ったのか、それからも杉野は俺に悪戯を仕掛けるようになり。
偶然にも彼女と同じクラス&隣の席になってしまったのは、俺の高校生活における最大の不幸と言えよう。
しかし不思議なのは、杉野が悪戯好きという事実を、ほとんどのクラスメイトが知らないということだ。
彼女は俺以外の人間の前では、第一印象の通りの清楚で奥ゆかしい女子生徒を演じている。言い換えれば、俺にだけ悪戯を仕掛けるのだ。
あまりに気になったので、前に一度「なぜ俺にだけ悪戯をするのか?」と尋ねたことがある。
杉野は俺の問いに、「どうしてだと思う?」と質問で返してきた。
「……引っかかった時の俺の反応が、面白いからだろ?」
俺の回答を聞いた杉野は、一瞬ポカンとする。しかしすぐに、
「大正解! よくわかってるじゃない!」
杉野はグッと、親指を突き出して答える。
だと思ったよ、畜生め!
杉野にとって、俺は最高の揶揄い相手に過ぎなくて。
きっと趣味嗜好を問われれば、迷うことなく「関昌也で遊ぶこと」と答えるだろう。だからーー
そんな彼女から受け取ったラブレターも、本気にしない。いつもの悪戯の一つに決まっているのだ。
◇
『放課後、私たちが初めて会った場所に来て下さい』
ラブレターにはたった一文だけ、そう書かれていた。
杉野と出会った場所を、忘れるわけがない。中庭は俺にとって、苦い思い出の残る場所だ。
放課後、俺は帰りのホームルームが終わるなり教室を出る。
杉野より早く中庭に到着しなければならない。もし彼女が俺より5分でも早く中庭に着いていたのならば、その間に数多の悪戯を用意することだろう。
俺が教室を出る時、杉野はまだ自分の席に座っていた。なんなら、まだ帰り支度が終わっていなかった。
この機を逃すまいと、俺は廊下を猛ダッシュして、更には階段を一段飛ばしして中庭へ向かう。
杉野がそれこそ瞬間移動みたいな特殊能力を持っていない限り、現実的に考えて彼女が俺より早く中庭に来るのは不可能だ。案の定、俺は先に中庭に到着した。
中庭の桜の木(季節柄、流石な桜は咲いていないが)を少し離れた位置で眺めながら、俺はふと考える。
「本当に杉野が悪戯を仕掛ける時間はなかったのか?」と。
恐らく俺は最速で、放課後の中庭に訪れた。故に杉野が悪戯を仕掛ける余裕はない。
だけどそれは、放課後に限った話だ。
このラブレターが下駄箱に入っていたのは、今朝の話。
それから放課後までの6、7時間、杉野が何もしなかった保証がどこにあるのだろうか? 例えば、昼休みとか。
……また落とし穴でも掘っているんじゃないのか?
俺は警戒しながら、一歩ずつ桜の木に近付く。果たして落とし穴は……存在しなかった。
「落とし穴はない。そうなると、別の悪戯を用意しているのか?」
あごに手を当てて俺が考えていると、
「関くーん! お待たせー!」
小走りで、杉野がやって来た。
「遅くなってごめんね。中庭に向かおうと思ったタイミングで、先生に頼まれ事をしちゃって」
「いや、別に構わないぞ。それより……これはどういうことなんだよ?」
ラブレターを掲げながら、俺は杉野に尋ねる。
さて、この後彼女が何を言ってどんなことをするのか、見ものだな。
「それ、読んだくれたんだ。……って、読んでくれたからここにいるんだよね。何当たり前のこと聞いてんだろ、私」
「ハハハハ」と苦笑いをする杉野。……気のせいか? なんだか彼女の様子が、おかしいような。
「手紙を受け取った時点で大体のことは察していると思うけど……それは紛れもなく私の気持ちです。その、改めて言葉にしようと思うと凄く恥ずかしいんだけど……」
杉野はそこで一旦台詞を切り、大きく深呼吸をする。そして――
「好きです」
俺に告白した。
杉野は目を逸らさず、ジッと俺を見つめている。そんな彼女に、俺は溜め息を吐きながらこう返した。
「わかった。……で、カメラはどこに仕掛けているんだ?」
「え? カメラ?」
「そうだよ。杉野のことだ。どうせ嘘の告白をして、照れたり慌てたりする俺の姿を録画したかったんだろ? 何ヶ月お前の悪戯に付き合ってると思っているんだ? 流石に学習する」
俺の言葉に、杉野はポカンとしていた。
「えーと……もしかして、今のが嘘の告白だと思っているの?」
「あぁ。でも告白ってのは、本来自分の秘めた気持ちを相手に伝える行為だ。「好き」の2文字には、沢山の苦悩と覚悟が詰まっている。だから……いくら悪戯好きでも、嘘の告白はいけないと思うぞ」
「……そっか」
杉野は寂しそうに微笑む。
俺に叱られたことが、余程ショックだったようだ。
「そうだよね。嘘の告白なんて、趣味が悪すぎるよね。ごめんなさい。反省しています。……因みにカメラなんだけど、ここに仕掛けてありました」
そう言って、杉野は胸ポケットに挿してあったボールペンを手に取る。
俺も同じメーカーの、同じ柄のボールペンを持っているのだが、勿論小型カメラなんて内蔵されていない。そんな便利なものがあるのなら、今度探してみるとしよう。
「悔しいけど、色んな意味で今回は関くんの勝ちだね。でも、次は負けない。関くんがあっと驚くような悪戯を仕掛けてやるんだから!」
「楽しみに待ってるよ。……とは言い難いな。悪戯は極力控えて欲しい」
「その申し出は、拒否させていただきます。……最後に、一言だけ良い? …………バカ」
脈絡もなく杉野の口から発せられた、「バカ」の一言。俺には彼女の真意がまるでわからなかった。
杉野は中庭から走り去る。
その瞳が涙で潤んでいるように思えたのは……見間違いだろう。
◇
杉野に変化が生じたのは、翌日のことだった。
登校した俺は下駄箱を開けて、上履きを取り出す。そこで、俺はある違和感を覚えた。
……上履きが普通に入っている。
下駄箱は絶好の悪戯場所だ。昨日のラブレターのように、杉野はほとんど毎日下駄箱の中に何か悪戯を仕掛けている。
しかし、今日はそれがない。まぁ、それならそれで良いんだけど。
違和感が異変に変わったのは、午前中の授業を終えたあたりだった。
あの悪戯好きの杉野が、今日一度も悪戯をしていないのだ。
昨日俺に叱責されたから、自重しているのか? ……いいや、杉野はそんなタイプじゃない。
嘘告白はやり過ぎだと言われた。ならばやり過ぎでない範囲で、俺に再度悪戯を仕掛ける。それが杉野千紘という人間だ。
悪戯をされなかったので、この半日俺は授業に集中することが出来た。
しかし杉野と出会ってから昨日まで、連日のように悪戯されていたわけだから、俺の体も悪戯されることが当たり前になっていて。
疲労感は軽減されている筈なのに、俺は言い知れぬ不調に襲われていた。
「杉野が大人しいのって、どう考えても昨日の一件が原因だよなぁ」
俺はラブレターを見返しながら、そんなことを思う。
するとふと、ラブレターに消しゴムをかけた跡があるのに気が付いた。
昨日は下駄箱でさっと読んだだけだったから、気付かなかった。でも、これは確かに、消しゴムの跡だ。
それもかけたのは一度や二度じゃな。何度も何度も、文字を書いては消している。
ラブレターの文章を悩んでいた? ただの悪戯で、そんな手の込んだ真似をするだろうか?
……いや、待てよ。
もしもの話だが……このラブレターが、悪戯ではなかったとしたら?
ラブレターは本物で、昨日の彼女の「好き」は本当の気持ちで。去り際に瞳を涙で滲ませていたのも、見間違えではなかったとしたら?
昨日杉野が口にした、脈絡のない「バカ」という言葉が思い出される。
……彼女の言う通り、俺は大バカ野郎だった。
なんたって杉野の苦悩と覚悟のこもった「好き」を、悪戯だと決め付けてしまったのだから。
杉野が悪戯を仕掛けなくなったのは、俺に叱られたからじゃない。彼女は俺を見限ったのだ。
でも、本当にそれで良いのか? 杉野との関係を、終わりにしてしまっても良いのだろうか?
……良いわけがない。
俺もまた、杉野に自分の気持ちを伝える必要がある。
俺は杉野のメッセージを送る。
文面なら、考えるまでもない。
『放課後、俺たちが初めて会った場所に来て下さい』、だ。
◇
俺は二日続けて、放課後の中庭に訪れていた。
昨日同様、俺は杉野より前に中庭に到着する。
桜の木の下で待つこと数分、彼女は俺の呼び出しに応じて、中庭に来てくれた。
「関くん、何? 私、忙しいんだけど」
「わかってる。そんなに時間を取らせるつもりはないから、安心してくれ。……ちょっと距離があるな。もう少し近付いて話すか」
俺は杉野に5、6歩近付く。そして……見事に落とし穴に落っこちた。
「関くん!? 大丈夫!?」
「いてててて。あぁ、大丈夫だ。怪我はない」
穴を覗き込みながら心配する杉野に、俺は笑って答える。
「でもどうして落とし穴が? 私、今日は掘ってないよ?」
「知ってるさ。だってこの落とし穴は、俺が掘ったんだから」
そう。この落とし穴は昼休みを使って、俺が作ったものだった。
「自分で作った落とし穴に、自分で引っかかったの? 間抜け過ぎない?」
「そうでもない。元々この落とし穴は、俺を標的としたものだからな」
「……どういうこと?」
「杉野の気持ちを、踏み躙ったんだ。そんなバカ野郎は、一度穴に落ちて頭を冷やすべきだろう?」
「!」
杉野が目を見開く。
「昨日の告白が悪戯じゃないって、気付いたの?」
「このラブレターのお陰でな」
言いながら、俺はポケットからラブレターを取り出す。
「このラブレターには、何度も何度も書き直した跡がある。……俺に何て良いか、必死で考えてくれていたんだろ?」
『放課後、私たちが初めて会った場所に来て下さい』の一文では、杉野の思いが本物かどうか判断つかなかった。
皮肉にも、杉野が消した言葉にこそ本音が隠れていたのだ。
「実はこの落とし穴には、俺への罰以外にもう一つ意味があってだな。俺たちの出会いは、中庭の落とし穴だっただろ? だからーー俺たちの再出発も、落とし穴から始まるべきだと思うんだ」
苦悩をした。覚悟も決まった。
今度は俺の方から、胸に秘めた想いを伝えるべきだ。
「杉野、お前に悪戯をされないと、俺はどうにも調子が出ないんだ。今日みたいな悪戯されない日が何日も続いたら、俺はきっと体調を崩しちまう。俺の中でお前は、それ程までに大きな存在になっていて。だから、その、何が言いたいのかというと……ずっと俺の隣で、悪戯をし続けてくれ」
俺なりの「好き」の二文字を、杉野に伝える。
杉野は俺の言葉を、嘘でも悪戯でもなく、正真正銘本心だと信じてくれて。
杉野は穴の上から、俺に手を差し出す。
「「ずっと隣で」って、関くんが言ったんだよ? 頼まれても、離れてあげないから」
俺は杉野の手を借りて、落とし穴から這い上がる。
「あっ、関くん。顔に土がついてる」
「え? どこだ?」
「ここだよ」
そう言うと……杉野は俺の頬に口付けをした。
「へへへ。付き合って最初の悪戯、しちゃいました」
……何だよ、それ。可愛いな。
こんな嬉しい悪戯だったら、いつでも大歓迎だ。