第二章 居眠りと殴り込み(1/4)
イニティウム支部工霊術師育成施設――通称学園。学園とは工霊術師を育成する機関である。機関に所属する人間は大きく指導者と研修者の二つに分けられ、前者を教師または教諭、後者を学生と呼称している。
学園の教師となるには教員免許が必要となるが学生は特別な資格を必要としない。入学試験に合格さえすれば身分や年齢を問わず、学園での教育を受けることが可能となる。
だがその入学試験に合格することは決して容易ではない。入学希望者は筆記や面接などを経て、一般教養及び専門的な工霊術の知識技術を厳しく審査されるのだ。合格率は一割にも満たず、不合格時は再試験に最低でも一年の期間を開ける必要があった。
その狭き門をモニカ・キングスコートは見事通過したのである。
だが学園長より合格を言い渡されてより三日後の現在、モニカの表情は不機嫌に染まっていた。学園の敷地内にある学生寮。その個人に割り当てられる一人部屋。一般的な家具が備え付けられたリビングに、浴室やキッチンなどの水回りも完備されており、一人で暮らしていくにあたり不満はないだろう。あくまで一人ならばの話だが。
モニカは栗色の瞳を半眼にすると、目の前の同居人をジトリと睨みつけた。
「何だよ? さっきからジロジロ見やがって」
リビングに置かれたテーブル。そこにモニカと向かい合いに座る若い男。ツンツンの黒髪に獣を彷彿とさせる鋭い瞳。赤いシャツに黒の上着。太腿周りが妙に太いズボン。一風変わった格好のその同居人が、モニカの視線に怪訝に眉をひそめた。
朝食のパンをかじるその男に、モニカは大きく息を吸い込んで一気に吐き出す。
「んだよ気色わりいな。俺に言いてえことがあるなら言ってみろよ」
仏頂面をする同居人の男に、モニカは眼鏡の奥にある瞳をギッと尖らせた。
「言いたいことは山ほどあるわよ。シシドウ・タクシさん」
敢えて他人行儀に男の名前を呼ぶ。だがモニカの意図に気付いていないのか、ただ首を傾げるだけの同居人――シシドウ。間の抜けた彼の反応に、モニカは苛立ちながらテーブルに置かれた封筒を手に取り、その封筒から一枚の紙を取り出した。
「この通知書の内容よ! このわたしがカースト三位に配属って――在り得ないわ!」
「なんだよ、またその話か?」
嘆息するシシドウに、モニカは封筒から取り出した紙をテーブルにバンと叩きつける。
「なんだとはなによ! 貴方この意味が本当に分かっているの!? 学園はカースト一位から三位まで学生の能力に応じて階級が分けられているのよ! カースト三位ってことは学生の中での最低ランク! わたしが落ちこぼれだと思われているってことよ!」
実際のところ、カースト三位が落ちこぼれかと言うとそうではない。入学したばかりの学生はその大半がカースト三位に配属され、工霊術を基礎から学び直すからだ。
しかし実力を認められた一部の学生は、入学してすぐカースト上位に配属される。当然自分もそうだろうと考えていたモニカは、カースト三位の通知に憤りを覚えていた。
「言っておくけど、わたしがカースト三位だと思われたのは貴方のせいだからね!」
「あん? 何でだよ?」
不満げに顔をしかめるシシドウ。モニカはテーブルを叩きながら椅子から腰を上げた。
「当然よ! わたしに落ち度なんてなかったもの! 筆記試験も完璧にこなしたし、もしわたしの評価が下がる要因があるとすれば貴方以外に考えられないわ! わたしの聖霊である貴方がどうしようもなく馬鹿で粗暴だから、わたしまで見くびられたってことよ!」
一息にそうまくし立てる。ゼエゼエと息を切らせるモニカに、パンを咥えたまま仏頂面をするシシドウ。しばしの沈黙。モニカは嘆息して椅子にまた腰を下ろした。
「まあ今更文句を言ったところで、どうしようもないことだけどね」
「そう思うなら言うんじゃねえよ」
愚痴をこぼすシシドウを無視して、モニカは栗色の三つ編みを撫でながら淡々と言う。
「最終学歴には学園のカーストも記録されるわ。わたしの夢である国立研究所で働くためには、カースト一位で学園を卒業することが最低条件。つまりわたしは学園の卒業よりもカーストの昇格をまず優先する必要があるの」
「研究所とかよく分かんねえけど、仕事なんて金貰えれば何でもいいと思うけどな」
「貴方の意見なんて聞いてない。カーストの昇格は一定基準の単位を取得して、昇格試験に合格すれば認められるわ。講義のスケジュールは自分で組めるから、講義を隙間なく詰め込めば必要な単位は半年もあれば取れる」
「朝から晩まで入れられた例の時間割か。お前あんなに勉強してたら死んじまうぞ?」
「余計なこと言わない。とにかく単位は問題ない。問題があるとすればやっぱり貴方よ」
モニカはそう言うと、ビシリとシシドウに指を突きつけた。
「聖霊と契約した学生の場合、昇格試験ではその聖霊の質も審査される。わたしがいくら努力しても、聖霊の貴方がさぼっていたら昇格試験に失敗することもあり得るの」
「……つまり俺にどうしろって?」
「わたしの聖霊として恥じないよう貴方も努力しなさいってこと。差し当たってはまず最低限の知識を身に着けてもらうわ。わたしが貴方に渡しておいた工霊術に関する参考資料は目を通してくれたのよね?」
「うんにゃあ」
「何でよ! ちゃんと読んでおきなさいって言っておいたでしょ!」
気楽に頭を振るシシドウに激昂する。
「なんか参考書を持って時折姿を消すからてっきり一人で勉強しているんだと安心してたのに! その時一体なにしてたのよ!?」
「いや昼寝する枕に丁度いいかなって」
「頭に敷くな! 頭に入れろ! それでその参考書はどこにやったの!?」
「お茶こぼして汚れたから捨てた」
「捨てんな馬鹿!」
ダンッとテーブルを両拳で叩いて、モニカは苛立たしく大きな溜息を吐く。
「呆れてものも言えない……大体、聖霊のくせに工霊術に無知なのが信じられないのよ」
「仕方ねえだろ。俺の住んでたところじゃ工霊術なんてもんはなかったんだからよ」
「……ニホンとかいう国の話ね」
モニカはまた溜息を吐くと、先日にシシドウから聞いた彼の世界について思案する。
「工霊術のない世界か……ニホンなんて国が存在していた記録は歴史上にもないから、貴方が暮らしていたというその世界は、わたしたちの世界とは別の世界――異世界ということになるんでしょうね。あくまで貴方が嘘をついていないと仮定しての話だけど」
「嘘なんかついてねえよ。俺も別の世界って言われてもピンときてねえしさ」
「聖霊を構成する霊子は人間を含めた生物の魂がその源だと言われている。その仮説が正しいなら、死んだ貴方の魂が聖霊として転生することもあるかも知れない。もっとも異世界の魂だとか前世の記憶があるだとか、そんな例はこれまでないけど」
そう自身に確認しながら呟いて、モニカはふと眉間にしわを寄せる。
「この現象……おじいちゃんの霊子回路を参考にしたことがやっぱり原因なのかしら」
「ん? おじいちゃんが……なんだって?」
やや前のめりになるシシドウに、モニカは「な、なんでもない」と慌てて頭を振った。
「ああっと、そう。貴方が異世界の人間だったって言うなら、貴方にも家族がいたんでしょ? 貴方が死んじゃって、家族の人も悲しんでいるだろうなって思っただけよ」
「んん? ああ、その心配はいらねえよ。俺に身内は一人もいねえからな」
シシドウがあっけらかんとそう言い、逆立った黒髪をボリボリと掻く。
「両親はガキの頃に死んじまったし、唯一の家族だった二歳違いの妹も一年前に交通事故で死んじまったからな。俺が死んでも悲しむ奴なんか誰一人いねえんだ」
シシドウがカラカラと笑う。その陽気な姿に暗い気配は感じられない。家族のいない生活に慣れているのだろう。モニカは「……そう」と呟いて顔を僅かに伏せた。
「……貴方も独りなのね。わたしと一緒……」
「ん? 声が小せえよ……何だって?」
眉根を寄せるシシドウに、モニカは目をギロリと尖らせて頭を振った。
「だから何でもない。無駄話はもうおしまいよ。今日から本格的に講義が始まるから、早く朝食を済ませて貴方も準備しなさいよね」
「げっ! その講義って奴は俺も受けなきゃダメなのか!?」
「当たり前じゃない。貴方はわたしの聖霊なのよ。契約者と聖霊が別々に行動するなんて聞いたことないわ。そうでもなければ、こうして貴方と同居なんてしないわよ」
「死んでまで勉強かよ……面倒くせえな」
シシドウがそう愚痴りながら牛乳をごくごくと飲む。そして手早く朝食を済ませた獅子堂が、空の皿を手にしてキッチンへと姿を消した。彼がいなくなりリビングで一人きりとなるモニカ。冷めたパンを一口かじり彼女は嘆息した。
(面倒なのはこっちよ)
契約者と聖霊は行動を共にする。それは確かに常識なのだが、シシドウは人間の記憶を持った聖霊であり、しかも異性だ。このまま生活を共にしていて本当に大丈夫なのか。
(今のところその素振りはないけど……邪なことを考えないとも限らないわよね)
何にせよしばらく様子を見るしかないだろう。聖霊との契約破棄もできないことはないが、使役する聖霊を頻繁に変えることは周囲の心証も良くない。何よりも――
(模擬戦でのあの力……あれが本物なら、わたしの夢を叶えるのに役立つ)
ならば契約破棄して使い捨てるよりも手懐けるのが得策だろう。
(わたしならできる。わたしはヒューゴ・アレクサンドラの孫で誰よりも優秀なはず。だからあんな聖霊ぐらい簡単に従えられる)
キッチンに引っ込んでいたシシドウがまた姿を現す。彼の手には大きなカゴがあり、そのカゴには衣服やバスタオルが入れられていた。どうやら洗濯物を運んできたようだ。
(この聖霊をうまく手懐けるには、まずこの聖霊の特徴を理解しないとね)
これまでの観察からシシドウの性格を分析する。直情的で単純。暴力的で粗野。第一印象はそうだ。だが同居して分かったことだが、彼は意外にも家事全般に精通していた。
(妹と生活していたって言ってたし、身の回りの世話には慣れているのかしら)
ベランダに出たシシドウがカゴを片手に洗濯物を手早く干していく。非常に手慣れたものだ。家事全般を苦手とするモニカとしては、シシドウのこの特技は率直にありがたい。
(これで頭さえ良ければ、使用人として使ってあげてもいいんだけどね)
バスタオルを干したシシドウがカゴから次の洗濯物を取り出す。それはフリルのついた白のブラジャーだった。ブラジャーを手際よく干して次は白のパンツを取り出す。さらにストライプ模様のパンツと花の刺繍がされた可愛らしいブラジャーを干して――
「――って待ちなさいよぉおおおおおおお!」
我に返りモニカは絶叫した。「ん?」とこちらに振り返るシシドウ。悪びれる様子もないその彼に、モニカは大股で近づいていく。
「なにわたしの下着を勝手に洗濯してんのよ! わたしの下着には触んなって同居してすぐに言っておいたでしょ!」
「だってお前、ほっといても自分で洗濯しねえじゃねえか。いい加減にくせえから、こうして俺がまとめて洗濯してやってんだろうが」
「臭くないわよ! ていうかなんでベランダに干すわけ!? 外から見られるじゃない!」
「細かいこと気にすんなよ。太陽で乾かしたほうが気持ちいいだろ? 妹が生きてた時はあいつの下着も俺が洗ってたけど、あいつはそんな文句一言も言わなかったぞ」
「わたしは貴方の妹じゃないのよ! いいからベランダから洗濯物を引っ込め――」
ベランダに干された洗濯物に手を伸ばす。だが慌てていたため窓の縁につまずいた。「わっ」と咄嗟にシシドウに抱き付くモニカ。「うおっ」とシシドウも体勢を崩して、干していた洗濯物を腕でなぎ払いながら、持っていたカゴを落とす。そして――
ベランダからモニカの下着を含めた洗濯物が豪快にバラまかれた。
「ちょ――いやあああああああああ!」
清らかな空気に満たされた早朝。モニカの悲痛な叫びが遠くまで響き渡った。




