第一章 リーゼントと金属バット(4/4)
「いって……何も殴ることはねえだろう。わざとじゃねえんだからよ」
獅子堂はそうぼやきながら、仰向けに寝転んでいた上半身を起こした。表情を渋くしながらモニカに打たれた頬をさする。だが不思議と頬に痛みはない。まだズキズキと痛んでいる額を指先で掻きながら、獅子堂は体を起き上がらせようと前のめりになった。そこで彼は体のとある違和感に気付く。
「……ん?」
胸が大きく腫れている。転倒した時に胸を打ったのだろうか。獅子堂は怪訝に思いながらも、肩よりも長い黒髪を無意識に触れようとして――
「うおおおおおおおおおお!? なんじゃこりゃああああああああ!?」
ガバリと勢いよく立ち上がり、自身の姿を見下ろした。
一房の三つ編みにされた黒髪に大きく膨れた胸。紺色のスーツにスカート。筋肉のない細い腕にくびれた腰。獅子堂は見慣れない自身の体をジロジロと眺めて呆然と呟く。
「まさか俺は……気色悪い体になっちまう病気に掛かっちまったのか?」
(誰の体が気色悪い体よ!)
頭の中で女の絶叫が聞こえた。聞き覚えのある声――モニカの声だ。獅子堂はきょろきょろと周囲を見回してふと首を傾げる。
「あれ? そういやお前どこにいんだ? 見当たらねえけど地面にでも潜ったか?」
(んなわけないでしょ! わたしは貴方の体の中に――じゃなくて、わたしの体の中に貴方が入り込んでるのよ! つまり同化が成功したってわけ!)
改めて自身の体を見下ろす。髪の色などの違いはあるも、言われてみると確かにその肉つきや服装はモニカのものであった。足元に落ちた眼鏡を一瞥しつつ――転倒した際に外れたのだろう――、獅子堂は黒い瞳をパチパチと瞬かせる。
「これが同化って奴か? しかし何だって急に成功してんだよ?」
(それは分からないけど……というか、貴方の意識が表面化しているのもおかしいのよ。本来は契約者であるわたしの意識が表に出るはず――って、貴方なにしてんのよ!?)
大きく膨れた自身の胸をモミモミと揉んでいた獅子堂にモニカが絶叫する。頭の中に響き渡る彼女の怒声に、獅子堂はパンパンと胸を叩きながら答える。
「いや何か違和感がな……こんなもんぶら下げてちゃ喧嘩の邪魔になっちまう」
(今度からわたしの許可なくわたしの体に触ったら殺すわよ!)
「無茶言いやがる。まあそれはどうでもいいか。んなことよりもこれで――」
獅子堂はくるりと背後に振り返り――
ジョニーを鋭く睨みつけた。
「心置きなく喧嘩できるってわけだな」
「……それがアンタたちの同化っスか」
ジョニーがニヤリと笑い、ホームランを予告するように金属バットを前にかざした。
「手間取っていたようっスけど、これで対等っスね。せっかく同化したのにすぐ終わったら詰まらないっスから、そっちから攻撃してきて構わないっスよ」
「ほざくじゃねえか。後で後悔しても――知らねえぞ!」
全力で地面を蹴りつける。
ジョニーとの距離が一瞬にしてゼロになる。表情を強張らせるジョニーに獅子堂は右拳を愚直に突き出した。獅子堂の右拳を金属バットで受け止めるジョニー。ガキンッとおおよそ拳のものとは思えない甲高い音が鳴り響いて、ジョニーの体が衝撃に浮いた。
「マジっスかああああああ!?」
地面をゴロゴロと何度も転がり、二十メートルほどの距離を空けてジョニーが静止する。金属バットを唖然と眺めるジョニー。獅子堂の拳を受け止めた金属バットが――
九十度付近まで折れ曲がっていた。
「おお、すっげえ力だ。これが同化って奴の効果なんか?」
表情を輝かせる獅子堂。もとより人間離れした力を持っていたが、それがさらに強化されている。はしゃいで拳を素振りさせる獅子堂に、モニカが唖然とした様子で言う。
(し、信じられない。同化して造り出しされた武器を拳だけでへし折るなんて……)
「どんなもんだ。俺は喧嘩じゃ負けたことねえんだよ」
(……変な奴だけど……もしかすると思ってたより高位な聖霊なのかも……)
「あん? あんだって?」
(な、何でもないわよ! それよりあまり激しく動かないでよね! スカートがめくれてパンツが見えたらどうするのよ!)
「別にどうもしねえよ。なんだ? お前は人に見せられねえヤベエもんはいてんのか?」
(普通の白い――じゃなくて、どんな下着でも見られていいわけがないでしょ!)
「そういうもんか? 面倒くせえな。見られて不味いならスカートなんぞ――」
モニカの理不尽な要求に愚痴をこぼそうとしたその時、ジョニーが巨大な火柱に包み込まれた。空気を焦がす熱量に口を閉ざす獅子堂。巨大な火柱の中に佇んでいるジョニーが、これまで以上にその赤い瞳を爛々と輝かせていた。
「これはどうも……様子見をしている場合じゃなさそうっスね。悪いっスけど、最大出力で勝負を一気に決めさせてもらうっス」
肌をジリジリと焼く熱風に、獅子堂は「――はっ!」と牙を剥いて荒々しく笑った。
「上等だ。こっちも手加減なんざ御免だ。全力でくるってならむしろ望むこところだぜ」
「今度は簡単には躱せないっスよ。火傷ぐらいは我慢してもらうっス」
「端から避けるつもりなんざねえよ」
獅子堂は腰を落とすと半身の姿勢で構えを取った。火柱に包まれたジョニーを鋭く見据える獅子堂。こちらの真意が理解できないのか、ジョニーの表情に怪訝の色が浮かぶ。
「なんか秘策でもあるんっスか?」
「思いつきだ。ただ理由は分からねえが、それができる自信があんだよ」
「思いつき……それは――燃えるっスね」
ジョニーが金属バットを構えて――
「行くっス! 全振炎投!」
金属バットを力強く横なぎに振るった。
ジョニーを包み込んでいた巨大な火柱。その炎が瞬間的に一点に凝縮され、振られた金属バットによって打ち出される。これまでをはるかに凌ぐ五メートル級の火球。熱風をまといながら高速に迫りくるその炎の塊を――
獅子堂は歓喜の笑みで迎い入れた。
「うっしゃああああああああああああ!」
ダンッと力強く足を踏み込んで、腰を捻りながら右拳を突き上げるように振るう。眼前に迫りきた巨大な火球。その下腹を右拳で強烈に叩いて――
巨大な火球を上空に殴り飛ばした。
(……うそ)
「炎を……ぶん殴ったっス?」
モニカとジョニーがぽつりと呟く。上空に跳ね上げられた火球。それを呆然と眺めているジョニー。隙だらけとなったその彼の懐に獅子堂は一息に接近した。そしてジョニーが反応するよりも早く右足を振り上げて――
ジョニーの巨大なリーゼントにかかと落としを喰らわせる。
「――がっ」
ジョニーがぐるんと白目を剥いて前のめりに倒れた。ジョニーの赤い髪がもとの金色の髪へと戻り、右手に握られていた金属バットが細かな炎の欠片となり消える。うつ伏せに倒れたまま沈黙するジョニー。気を失っているだろうその彼を前に――
「よっしゃああああああああああああ!」
獅子堂は勝利の雄叫びを上げた。
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意識が白い輝きに包まれて、気付いた時には獅子堂は自分の姿に戻っていた。
「あん……なんか元の姿に――いて!」
後頭部を突然殴られる。頭を押さえながら背後に振り返ると、そこには顔を真っ赤にしたモニカが立っていた。ひどく憤慨している様子のモニカに困惑する獅子堂。モニカが栗色の瞳を凶暴に尖らせて声を荒げる。
「貴方は……何を考えてんのよ! どうして最後の最後であんなことするわけ!?」
「あんな……って、俺なんかしたか?」
「あのリーゼントの人をかかとで蹴ったじゃない! 思いっきり足を上げて!」
「……それが何だよ?」
「パンツが見えちゃうでしょうが!」
喉が破れんばかりに絶叫するモニカに、獅子堂は拍子抜けして肩を落とした。
「んだよ……そんなことかよ」
「そんなことは何よ! 男の目の前で足を振り上げるなんてあり得ないわ!」
「そんなに下着が見られるのがイヤなら、端からはかなきゃいいじゃねえか」
「より駄目よ! 馬鹿なの!? ホント信じられない! それにわたしはキスした件だって許してないからね! 一体どうしてくれるのよ! 初めてだったのよ、わたし!」
「キスぐらいでそんな怒んなよ。とにかく喧嘩には勝ったんだ。なら文句ねえはず――」
「貴様ら! とんでもないことをしてくれたな!」
ここで野太い声が聞こえてきた。声に振り返る獅子堂とモニカ。離れたところから喧嘩を眺めていた禿げた中年男、ベン・ローガンが大股でこちらに近づいてくる。
「学園に通う大切な学生に暴力を振るい、失神させるとは何て野蛮な連中だ! こんな非常識な連中を学園に入学させるわけには行かん! よって貴様は不合格だ!」
ベンのとんでもない理屈に、モニカが顔面を蒼白にして抗議の声を上げる。
「ちょっと待ってください! この模擬戦はそちらからの提案だったはずです!」
「だったら何だ! 俺は実力を示してみろと言っただけだ! 誰が大切な学生に怪我をさせていいと言った!」
「ローガンさん! いくら何でもその理屈は滅茶苦茶です!」
ベンの背後から駆けてきた若い男、ハーマン・マクレイがベンに非難を飛ばす。
「聖霊を用いた模擬戦です! 怪我をすることぐらい想定できます! 学園の学生もまた全力を出していた以上、彼女だけを責めるのはおかしなことです!」
「若造は黙っていろ! 俺が最終試験の責任者だ! どう判断しようと俺の自由だ!」
ハーマンを強引に脇に退かし、ベンが怒声をさらに高める。
「さあこの神聖な学園から出ていけ! それとも俺が力強くで叩き出し――ぶげっ!?」
一方的に怒鳴っていたベンを――
獅子堂は無造作に殴りつけた。
禿げた中年男が軽快にふっ飛ばされて地面を無様に転がる。ぽかんと目を丸くするハーマン。そしてモニカ。しばしの静寂。獅子堂は突き出した拳を引っ込めて――
「さっきからうるせえよ、テメエは」
仏頂面でそう吐き捨てた。
「あ――貴方は何してんのぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
沈黙を脱したモニカが絶叫する。獅子堂に詰め寄り胸倉を掴み上げるモニカ。彼女に首を絞められながら、獅子堂は「だってよ」とやや困り顔をした。
「あいつムカつくじゃねえか。お前はムカつかなかったのかよ?」
「ムカつくけど殴っちゃダメなのよおおお!」
ブンブンと獅子堂の胸倉を振り回して、モニカが栗色の瞳に大粒の涙をためる。
「もうおしまいよ……試験官を殴るなんて……言い訳のしようもないわ……学園に入学できないなら……わたしの夢も……これまでの努力も……全部パアよ……」
「いや……よく分かんねえけど泣くなよ」
「泣きたくもなるわよ……こんな……」
するとここで――
「貴女が悲しむことなどありませんよ」
凛とした声がグランドに響いた。
聞き覚えのない声だ。瞳を涙に濡らしたまま声に振り返るモニカ。その彼女につられて、獅子堂もまた声に振り返る。二人の視線の先。そこにはこちらに近づいてくる――
一人の老齢な女がいた。
「一部始終を拝見させていただきました。貴女は試験官の指示に従い全力を尽くしてくれました。そしてその貴女の成果は、私の目から見ても申し分ないものです」
栗色の瞳をパタパタ瞬かせるモニカ。困惑しているその彼女に、老齢の女が自身の白髪をさわりと撫でながらニコリと微笑む。
「ダイアナ・マシューズ。この学園の学園長を務めています」
「が、学園長!?」
ぎょっと目を丸くするモニカに、白髪の女――ダイアナが頷きつつ苦笑する。
「不快な思いをさせてごめんなさいね、モニカさん。一言だけでも今朝のお礼と謝罪をしようかと来たのだけれど、まさか貴女にこんな理不尽なことをしてしまうだなんて」
「……今朝のお礼?」
「ベンチを譲ってくれたでしょう? しかしそのせいでバスに乗り遅れてしまい貴女が困っているのではと気に掛けていたんですよ」
「あ……ああ! あの時のおばあさ――」
モニカが慌てて口をつぐむ。ダイアナが苦笑を屈託のない笑顔に変えた。
「イヤな思いをさせてしまいましたが、もしそれを許して頂けるなら、どうかこれから学園に通いながら、その優れた才能を伸ばしていく努力をして頂けませんか?」
「……それってつまり――」
栗色の瞳を見開くモニカに――
ダイアナが「はい」と朗らかに頷いた。
「もちろん試験は合格です。明日からよろしくお願いしますね、モニカさん」




