第一章 リーゼントと金属バット(2/4)
学園校舎。その廊下を老齢の女性と若い女性が二人歩いている。ゆったりと廊下を歩いている老齢の女性と、そのすぐ後ろを歩いている若い女性。するとここで――
「……はあ」
老齢の女性が悩ましげに溜息を吐いた。
「どうかされましたか、学園長?」
若い女性が首を傾げる。老齢の女性が「それがね……」と眉をひそめた。
「ちょっと朝に気になることがあって……」
「気になること? それは学園と関係があることですか?」
「いいえ。あくまで個人的なことだけれど」
「気に病むことがありましたら、秘書官である私にもご相談ください」
老齢の女性がふっと微笑んで、若い女性に「ありがとう」と礼を告げる。
「そうさせてもらうわ。ところで今日のスケジュールはどうなっていたかしら?」
「午後一時に南区画長が定例会議のため訪問される予定となっています。その時間までは学園長の承認が必要な書類が溜まっているので、その処理をお願いしたいと思います」
「あらあら……休日だというのに私のような老人をそんなに働かせるなんてひどい人ね」
若い女性が「……学園長」と表情を渋くする。真面目な秘書官の反応にクスクスと肩を揺らす老齢の女性。ここでふと老齢の女性の視線が窓の外に移った。
「あら? あれは……」
窓から二人の男性と一人の少女が歩いている姿が見える。二人の男性は老齢の女性も良く知る学園の教師だ。ベン・ローガン主任教諭とハーマン・マクレイ教諭。だが少女のほうは服装からして学園の者ではないようだ。
「そういえば今日は一人、入学試験における最終試験が予定されていましたね。スーツを着ていることから、恐らくあの少女がその面接を受けに来た子なのでしょう」
足を止めた老齢の女性に、若い女性がスラスラとそう言った。校舎から離れていく一人の少女と二人の教諭。その歩く方向から彼らは野外演習場に向かっていると思われた。
「学園長?」
目を細めて少女を見つめる老齢の女性に、若い女性が首を傾げる。一房にされた栗色の三つ編み。飾り気のない紺のスーツ。老齢の女性が目をパチクリと瞬かせ――
「もしかしてあの子……」
自身の白髪をさらりと撫でた。
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「それではこれより聖霊との契約を行います」
大規模な工霊術を行うための野外演習場に案内されたモニカは、二人の試験官に向けてそう宣言した。モニカのこの言葉に、ハーマンがぎょっと目を丸くする。
「聖霊との契約を今この場で行おうというんですか?」
「はい。聖霊との契約は工霊術師における技術の集大成と言えるものです。わたしの現段階の力を示すうえで、これに勝る実技はないと思います」
ハーマンが「それはそうなんですが……」と頷きつつも眉をひそめる。
「聖霊との契約は高度な技術が必要とされます。学園でも契約を成功させた生徒は二割もいません。入学試験となるこの実技ではもう少し簡単な術でも構わないんですよ?」
「問題ありません。成功させてみせますから」
きっぱりと言い放つ。ハーマンがしばし沈黙してから「分かりました」と頷く。
「実技試験で聖霊と契約するとは前代未聞ですが許可しましょう。僕も貴女がどのような聖霊を呼び出すのか興味がありますしね。ローガンさんもそれでよろしいですね」
ハーマンの問い掛けにベンが「……好きにしろ」と吐き捨てるように呟く。相変わらず不愛想なベンにやや眉をひそめつつ、ハーマンがモニカに微笑んだ。
「それでは始めて下さい」
モニカは背負っていたリュックサックを地面に下ろして中から伸縮式のステッキを取り出した。そしてステッキの先端を手早く伸ばして演習場を歩き始める。
ステッキの先端を地面に突いて演習場に図形を描いていく。聖霊と契約するための構成式。霊子回路を記述しているのだ。大きさは直径十メートル強。僅かな図形の歪みも許されない霊子回路だが、モニカは道具を使わずにそれを正確に描いていく。
時間にして三十分。モニカは足を止めると、ステッキの先端を地面から持ち上げた。広大な野外演習場。そこに描かれた霊子回路。一見するとそれは円形の枠に複雑な幾何学模様が描かれているようにしか見えないだろう。だが工霊術に精通する学園の教師、ハーマンはその霊子回路にごくりと唾を呑み込んだ。
「これは……すごいな。こんな霊子回路を僕は見たことがない。複雑なだけじゃなく、これまでにない理論を元に構築されている。この霊子回路は貴女が考えたものですか?」
「……いえ。この霊子回路の基礎となる理論はある文献を参考にしています。しかしその理論を元にして、聖霊と契約するための霊子回路を構築したのはわたしです」
「なるほど。素晴らしいですね。しかしその理論が書かれた文献とは一体――」
「おい。いつまで待たせるつもりだ」
ここでハーマンの言葉を遮り、ベンが苛立ちの声を上げる。
「これまでにない理論だとか大層なことを言っているが、動かなければ霊子回路も落書きと大差ない。詰まらん世辞に浮かれていないで、さっさと霊子回路を動かしてみろ」
「……分かりました。それでは始めます」
ベンの物言いにやや眉をひそめつつ、モニカはステッキをリュックサックにしまい屈みこんだ。地面に描かれた巨大な霊子回路。その一端に手を触れて――
モニカは意識を霊子回路に注ぎ込んだ。
霊子回路が眩い輝きを放ち、大気が雄叫びを上げるようにして暴れだす。吹き荒れる強風に巻き上げられる砂埃。空間を引き裂きながら周囲を駆ける稲光。モニカは強烈な光に栗色の瞳を細めつつも、自身が構築した霊子回路の中心をじっと見据えた。
霊子回路の中心に光が灯る。物理に支配された実数世界。精神に支配された虚数世界。その異なる二つの世界を霊子回路により強制接続、虚数世界に属する存在、聖霊を実数世界に実体化する。そのプロセスが――
工霊術師による聖霊契約と呼ばれている。
霊子回路の中心に灯された光が脈打つように輝きを増していく。まるで卵からヒナが孵るように。そして増幅された光が大きく膨れて周囲を一瞬のうちに白色に染め上げた。
咄嗟に栗色の瞳を閉じる。瞼越しでも眼球を焼き付ける強烈な光。その痛みに無言のまま耐える。五秒。十秒。眼球の痛みが引いていくとともに、瞼越しに見えていた光も止んでいく。モニカはゆっくりと瞼を開けて――
霊子回路の中心に立っている影を見つめた。
「……なに? あれ……」
モニカは唖然とそう呟いた。
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獅子堂卓志は困惑していた。
河川敷での喧嘩。そこで敵対していた学校の頭、宮島健二に拳銃で左胸を撃たれた。大量の出血。赤く濡れた左胸。そして生まれた実感。自分はもう助からない。確信めいた死の予感を抱えながら、自分の意識は確かに闇の中に消えたはずだった。
(それなのに……俺はどうしてここにいる?)
脳裏をもたげる疑問。撃たれたはずの左胸も今は痛みを感じない。仮に一命を取り留めたとしても、左胸に何の違和感もないというのは在り得ることだろうか。
(まさか河川敷でのことも、銃で撃たれたことも、夢オチじゃねえだろうな)
それを確認する方法は簡単だ。閉じている目を開ければいい。目を開けて布団の上にいれば全てが悪い夢だったと判断できる。だがここで獅子堂はふと思う。
(目を開けたら、ここは天国でしたってことはねえよな?)
冗談半分にそう思う。現実的な話として、目を開けたらそこが天国や地獄など、自分のいた世界とは異なる世界であるなどあり得ないだろう。そもそも永遠に目を閉じているわけにもいかない。獅子堂は覚悟を固めると、閉じていた瞼をゆっくりと開いた。
「……あん?」
そこは広いグラウンドだった。周りを取り囲んでいる高いフェンスに雑草の生えていない土色の地面。パッと見まわした限り、その雰囲気は学校の運動場に似ている。
「どこだよ……ここは」
逆立った黒髪をボリボリと掻きながら、獅子堂は自身の格好を見下ろした。赤いシャツに長ラン。ボンタンに簡易なサンダル。いつもの格好だ。特に変わったところはない。拳銃で撃たれたはずの左胸も出血どころかかすり傷一つなさそうだった。
「やっぱ夢だったってことか?」
だが仮に河川敷の出来事が夢だとして、どうして見知らぬグランドにいるのか。獅子堂はそんな疑問を抱きつつ、改めて周囲をぐるりと見回した。するとここで――
「……ねえ、そこの貴方……」
背後から声を掛けられた。
眉をひそめて背後を振り返る。背後には紺色のスーツを着た一人の女がいた。栗色の髪を三つ編みにした眼鏡の女。歳は恐らく十代半ばほど。栗色髪の女がこちらを訝しそうに見ながら、「あの……」と口を開く。
「聖霊……よね? 何だか人間みたいだけど」
栗色髪の女が口にした言葉。セイレイ。その奇妙な単語に獅子堂は首を傾げた。
「何だよセイレイってのは? つうか、お前誰だよ?」
栗色髪の女が困惑したように栗色の瞳を瞬かせ、自身の胸にそっと手を当てる。
「モニカ・キングスコート。貴方の契約者よ」
傾げた首の角度を深くする獅子堂。この反応に栗色髪の女――モニカが目を丸くする。
「契約者が分からないの? 貴方が聖霊なら工霊術にも詳しいはずじゃない」
「知らねえよそんなの。ていうかお前、俺を誰かと勘違いしてんじゃねえのか? 俺は獅子堂卓志って名前で、セイレイとか言うヘンテコな名前じゃねえぜ?」
「シシドウ・タクシ? 何で聖霊が初めから名前を持っているのよ? 普通は契約者が聖霊に名前を与えるものでしょ?」
「だからセイレイじゃねえって。んなことよりも俺も訊きてえことがあんだよ。お前ここがどこか知ってんか? なんかどうも迷子になっちまったみてえでよ」
キョロキョロ周囲を見回す獅子堂に、モニカが困惑を浮かべながらも答える。
「ここはイニティウム支部工霊術師育成施設――通称学園の野外演習場よ。わたしはその学園に入学するために実技試験を受けていて、聖霊契約の工霊術を実践したのよ」
「イニティ……あのよ、訳わかんねえこと言わねえでくれよ。俺はこの場所を知りてえだけなんだ。ここは日本のどこらへんなんだ?」
「……何よ、ニホンって?」
「お前、日本も知らねえのか?」
まさかの返答に、獅子堂は驚きつつもモニカに同情の視線を送った。
「お前……馬鹿なんだな。俺が言うのもなんだがもうちっと勉強した方が良いぜ?」
「何で唐突に蔑まれてるのよ!? 言っておくけどわたし勉強に関しては優秀なほうよ!」
「いいか。日本ってな国の名前だよ。ここの国が日本って名前なんだ」
「貴方こそ馬鹿じゃない! ここはラーディクス国! ニホンなんて名前じゃないわ!」
ラーディクス国。聞いたことのない名前の国だ。だが国の名前などろくに覚えてないので、きっとどこかにある国なのだろう。獅子堂はそう判断して目をポカンと丸くした。
「ここ日本じゃねえのか? いやどうりで……お前なんか外人っぽい顔してんもんな。だけど外人ってな英語をしゃべるんじゃなかったか? 俺って英語しゃべれたっけ?」
「ちょっと待って! 話を整理しましょ!」
モニカがパッと手のひらを向ける。反射的に口を閉ざしてしまう獅子堂。モニカが思案するように瞳を閉じて、しばらくしてから瞳をまたゆっくりと開く。
「……確認するわね。えっと……貴方はその……聖霊を知らないの?」
「だから知らねえって。そのセイレイって奴と俺ってそんなに似てんのか?」
「余計なこと言わないで。それで貴方は工霊術とかラーディクスも知らない?」
「……知らねえな」
「……これが最後の質問なんだけど……貴方の存在意義は何なの?」
怪訝に眉をひそめる獅子堂。彼の反応にモニカが狼狽も顕わに口調を強くする。
「スキルよ! 貴方にもあるでしょ!? 聖霊ならその存在に関連した能力を持っているはずじゃない! 他の知識はともかく自分のスキルぐらい把握しているでしょ!?」
何かを期待するようなモニカの視線に、獅子堂はふと考え込む。スキル。能力。つまり自身の特技と言うことか。獅子堂はしばし思案してからポンと手を打った。
「腕立てと腹筋が千回以上できるぜ?」
「失敗だわああああああああああああ!」
獅子堂の回答にモニカが絶叫する。
「嘘でしょ!? どうしてなのよ!? わたしの霊子回路は完璧だったはずよ! それなのにどうしてこんなポンコツで役立たずでチンチロリンな聖霊と契約しちゃうのよ!」
「……おいお前。何を言ってんのか分からねえけど俺のこと馬鹿にしてんの――」
「馬鹿にぐらいするわよ!」
睨みを利かせる獅子堂に、モニカが詰め寄りながら怒声を上げた。彼女の鬼気迫る形相に思わずたじろぐ獅子堂。モニカが目を血走らせながら大量の唾を飛ばす。
「聖霊はそのランクによって知識や知能に偏りはあるけど、スキルのない聖霊なんて聞いたこともないわよ! こんな低レベルな聖霊なんて信じられないわ!」
「だ、だから俺はセイレイなんて奴じゃ……」
「聖霊よ!」
獅子堂に人差し指を突きつけて、モニカがギャンギャンと子犬のように吠える。
「霊子回路で契約したんだから聖霊であることは間違いないの! ただ貴方が馬鹿すぎてそれに気付いていないだけ! もう最悪よ! どうしてくれんのよ!」
「どうしてくれるって……何がだよ?」
「これは実技試験なのよ!? もしこんな聖霊と契約したと知れたら――」
「さっきから何をコソコソと話している!」
モニカの肩がびくりと揺れる。ふと視線を他所に向けると、こちらに近づいてくる二人の男の姿が見えた。モニカが慌てたように男たちに振り返り引きつり笑みを浮かべる。
「ああ、いえ。何でもありません。契約したばかりの聖霊と親睦を深めていただけです」
「……怒鳴り声が聞こえていたが?」
近づいてきた男の一人、禿げかけた中年男が表情を歪ませる。男のこの発言にモニカが露骨なまでにギクリとして、「そそ、そんなことありません」と高速に頭を振った。
「ああその……聖霊との会話が弾んでしまい声がつい大きくなってしまったんです。とても知的でユーモラスな聖霊でわたしも時間を忘れて話し込んでしまいましたわ」
こちらを口汚く罵っていたはずのモニカが口早にそう言った。彼女の態度の変化に首を傾げる獅子堂。脂汗を流しているモニカに、近づいてきた若い男が「へえ」と微笑む。
「会話ができる聖霊とは珍しいですね。これはかなり高位な聖霊なんじゃないですか?」
「え……ええ、はい。もちろんバリバリ高位な聖霊です。間違いありません。ほほほ」
「折角ですし、契約したばかりの聖霊の力を見せては貰えませんか?」
獅子堂を一瞥する若い男。彼の視線を受けて、獅子堂はとても一般的な対応をした。
「なにガンくれてんだ。ぶっ飛ばすぞー―」
モニカに振り向きざま殴られる。不意の一撃に堪らず転倒する獅子堂。ぽかんとする若い男にモニカが「ほほほ」と謎の笑いを飛ばし、すぐ倒れた獅子堂に顔を近づけた。
「ちょっと、いきなり何を馬鹿なこと言ってくれてんのよ!」
「いやだってよ……初対面の男にはまず喧嘩売れってのが常識だろ?」
「どこの野蛮な風習よ、それは!」
つい殴られた怒りも忘れて答える獅子堂に、モニカが声を潜めながらも絶叫する。
「とにかく貴方は余計なことしないで! ここはわたしが何とか誤魔化すから!」
「余計なことも何も……そもそも俺はこの状況をまるで理解できてねえんだが」
「いいから言うことを聞きなさい! 貴方の話は後でいくらでも――」
「またコソコソと何をしている! 聖霊の力を見せてみろと言っているだろうが!」
禿げた中年男が怒鳴る。慌てて立ち上がるモニカに中年男が舌打ちをした。
「それとも見せるだけの力もないのか? そうなんだろ? 白状しろ」
「い、いいえ。そんなことは決して……ただどうもお腹が痛いらしくてその……」
見るからに狼狽するモニカに、中年男が「はっ」と嘲るような笑みを浮かべる。
「聖霊が腹痛だと? どうやら化けの皮がはがれてきたようだな。新規理論により構築した霊子回路だのと御託だけはご立派だが、所詮はその程度の実力だったわけだ」
「し、しかしローガンさん。言語を介するだけでも高位な聖霊とは言えませんか?」
若い男の躊躇いがちな言葉に、禿げた中年男が「どうだかな」と肩をすくめる。
「確かに言葉を介する聖霊は珍しいが、聖霊の態度を見たところ大した知能はなさそうだ。話せるだけの低級な聖霊なのだろう。俺の見立てではこの精霊はただの雑魚だ」
「……ああ?」
獅子堂は静かに立ち上がった。
「ちょ、ちょっと……」
険悪な雰囲気を感じてかモニカが中年男と獅子堂の間に割って入ろうとする。だが獅子堂はモニカをやんわりと手で退けると、中年男に大股で近づいた。獅子堂の荒々しい視線。それを中年男が不快げな表情で受け止める。
「なにか俺に文句でもあるのか?」
不遜な態度の中年男。その目の前に立ち止まり獅子堂は口から牙を覗かせた。
「雑魚ってのは俺に言ったのか?」
「……だったら何だ?」
「馬鹿だ何だと言われるのは構わねえ。実際たいして頭もよくねえしな。だけどよ――」
獅子堂は尖らせた黒い瞳を細めていく。
「弱いと思われんのは我慢ならねえな。俺が雑魚かどうか何なら試してみるか?」
「……なるほど。随分と野蛮な聖霊だ」
中年男がゆっくりと嘆息して――
その表情に歪んだ笑みを浮かべた。
「いいだろう。ならばそのご自慢の力とやらを見せてもらおうじゃないか」




