第五章 喧嘩と喧嘩(1/4)
イニティウム南区。その一画にある通りを一台の車が走っている。車の車体に書かれた文字。タウン・ヴェセル無線。その車内にて荒々しい声が鳴り響いていた。
「オラ! 何ちんたら走ってやがんだ! もっと急げよテメエ!」
怒鳴り声の主――獅子堂卓志はそう言いながら後部座席から運転席を蹴りつけた。「ひぃいい」と運転手が声を震わせて、前方を見ながら反論してくる。
「む、無理ですよぉ。一般道でこれ以上の速度はだせません」
「ああ!? テメエ! ナマ言ってんじゃねえぞコラァアアア!」
再度運転席を蹴り上げて、獅子堂はツンツンの黒髪をさらに怒りで逆立てた。
「もし取り返しのつかねえことになったらどうすんだ! 一般道だか何だか知らねえがとにかくもっと速度上げろ! つうか飛べ! 大空に高く舞い上がりやがれ!」
「むちゃですよぉおお」
「無茶でも何でも良いから急げコラアア!」
「……落ち着いて、少しはね」
ヒートアップする獅子堂に冷たい声が投げられる。獅子堂の隣に座っている女、学生会長のミア・レインが落ち着いた声音で言う。
「モニカさんのところに辿り着くのが遅れるわ、そんなことして事故でも起きればね」
獅子堂は「だ……だけどよ」とややテンションを落としつつミアを見やる。ミアが腰まで伸ばした水色の髪を指先で解きながら、アクアブルーの瞳をパタパタと瞬かせた。
「話したでしょ。モニカさんの救出に向かわせたわ、ある男をね。連中がアジトにしている建物には詳しいの、彼もカーストゼロだから。きっとすぐに駆けつけてくれる」
「……信用できんのかよ、そいつは?」
「彼は適任よ、荒事に関してはね」
そうポツリと呟いて、ミアが眠たげな瞳を細める。
「だって彼――『最強』だから」
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カーストゼロなる男たちに廃墟と思しきビルに連れ込まれモニカは絶望していた。男たちから向けられる好色の視線。欲望のままに醜く歪められた笑み。そして無機質に見据えられたカメラのレンズ。それらに取り囲まれてモニカは最悪の事態を想像した。
だが男がこちらに手を伸ばそうとしたその時、突如ビルの天井が崩れ落ちる。伽藍洞とした部屋に舞う土煙。モニカを襲おうとしていた男たちが狼狽する中、土煙が晴れるとモニカの目の前にはいつの間にか――
一人の見知らぬ男が立っていた。
「モニカ・キングスコートは俺が預かる」
深緑の短い髪に黒の革ジャケット。ズボンが学園指定の制服のため学生なのだろう。だが周囲を取り囲んでいる男たちとは明らかに風格が違う。ぽかんと眼鏡の奥で栗色の瞳を丸くするモニカ。その彼女を背後に置いて革ジャケットの男が淡々と言葉を続ける。
「お前たちは失せろ。そして二度とこの女に関わるな」
革ジャケットの男の発言に、周囲を取り囲んでいる男たちが騒めく。モニカに襲い掛かろうと愉悦に歪めていたその表情を、動揺と狼狽、そして畏怖に硬直させる男たち。モニカは唖然としながらも、見知らぬ革ジャケットの男に声をかける。
「あの……わたしのこと知ってるんですか?」
「……ミアから話を聞いている」
ミア・レイン。学園で学生会長を務めている美しい女性だ。革ジャケットの男から彼女の名前が出たことに、モニカは驚きに目を丸くした。
「ミアさんの知り合いなんですか?」
「そんなところだ。ここにお前が連れさらわれたこともアイツから聞いた」
男の言葉にさらに驚く。どうしてミアがこの件に関与しているのか。どうやってこの場所を特定したのか。疑問に思うことはたくさんある。だが何よりも優先して確かめなければならないことがある。モニカは慎重に息を吸ってその言葉を呟いた。
「わたしを……助けてくれるんですか?」
「……さてな」
革ジャケットの男がポツリと答える。男の曖昧な返答に困惑するモニカ。ここで革ジャケットの男が振り返り、疑問符を浮かべる彼女を目尻の垂れた深緑の瞳で見つめた。
「だがここにいる連中からはお前を守ってやる。その点においては安心しろ」
それはどういう意味なのか。革ジャケットの男の言い回しにますます困惑する。だが革ジャケットの男に敵意がないことは確かなようだ。そのことに安堵していると――
「あまり勝手なこと言わんでくださいよ……ダリルさん」
周囲を取り囲んでいる男の一人――金髪を首筋でまとめた男がそうポツリと呟いた。
革ジャケットの男が視線を前に戻す。革ジャケットの男の登場に表情を強張らせていた男たち。だが少なからず落ち着きを取り戻したのか金髪の男がその瞳を鋭く尖らせた。
「これはダリルさんには無関係なことです。俺たちの邪魔をせんで貰えませんか?」
金髪の男がそう言い放つ。周囲を取り囲んでいる男たちもまた、金髪の言葉に躊躇いながらも同調して頷いた。革ジャケットの男を包囲している男たち。その凶暴に輝いている眼光。それら視線を一身に受けながら――
「お前らの言い分などどうでもいい」
革ジャケットの男が淡々と言う。
「俺が失せろと言ったら失せろ。カーストゼロの支配者が誰か忘れていないな?」
周囲の男たちから息を呑む音が鳴った。モニカは革ジャケットの男の背後にいる。ゆえに彼の表情を確認できない。だがその表情は少なくとも、周囲を取り囲んでいる男たちを凍りつかせるのに十分なものだったようだ。
しかしその男たちの中で、金髪の男だけはまだ反発の気配を見せていた。額にびっしりと脂汗を浮かべながらも、金髪の男が革ジャケットの男に言葉を返す。
「なんですか? ダリルさんはその女に一体なんの用があるんですか?」
「お前たちが知る必要はない」
「それじゃあ俺たちが納得できませんよ」
「納得する必要もない」
「それはないんじゃないですか? 俺たちは同じカーストゼロの仲間でしょ?」
「お前らクズ共と一緒にするな」
「……クズってな言い過ぎじゃないですか?」
ここで金髪の男が初めて、革ジャケットの男に明確な敵意を投げた。
「この状況分かってますか? ダリルさんが強いのは知ってますよ。だけどここにいる連中を一人で全員相手にするつもりですか? 俺たちがキレて馬鹿な真似をしないうちに、身を引くのが利口って奴じゃないですかね?」
「俺に歯向かうつもりか?」
「……いつかやってやろうと思ってたんだよ」
ついに敬語すら忘れて、金髪の男が表情を憤怒に染めていく。
「アンタがカーストゼロのトップに君臨してからというもの、こっちはアンタに頭押さえつけられて大人しくせざるを得なかった。俺たちはもっと自由にやりてえんだよ。今回みたく俺たちのやることなすこと、いちいち口出しされちゃあ堪んねえぜ」
「自由にやればいい。だがそれが俺の癇に障れば潰すだけだ」
「アンタは甘いんだよ。悪いがもうアンタについて行くことはできねえ。ここでアンタをシメて下克上とさせてもらうぜ」
金髪の男が革ジャケットの男にジリリとにじり寄る。金髪の男の意見に賛同したのか、周囲の男たちもまた表情を引き締めて、革ジャケットの男を睨みつけた。
安堵から一転、またも絶体絶命のピンチにモニカは表情を青くした。周囲を取り囲んでいる男たち。その数は十人以上。しかも彼らは一般人ではない。カーストゼロについては知識に乏しいが、学園の学生だというのなら彼らもまた工霊術師の端くれだ。この中には聖霊との同化できる者もいるかも知れない。
だがこの絶望的な状況にもかかわらず、革ジャケットの男は怯えるでも慌てるでもなく平然としていた。彼の不可解なその態度にモニカが困惑していると――
ふと上空を大きな影が過る。
反射的に頭上を見上げるモニカ。彼女だけでなく、周囲を取り囲んでいる男たちもまたその気配に気付いたのか視線を上げる。粉々に破壊された天井。ポッカリと開いた穴から覗いている青い空。白い雲がゆったりと流れているその空に――
巨大な緑色の影が浮かんでいた。
「――なに……あれ?」
モニカは唖然とその緑の影を観察した。
全身が鱗で覆われた全長十メートル以上にもなる生物。鰐のような頭部に水牛のような太く捻れた角。長い首に馬のようなたてがみ。太い手足に分厚い爪。大木ほどもあるだろう尻尾。巨大な両翼を広げて空に浮かんでいるその緑の影は――
神話にあるドラゴンの姿をしていた。
「――ひ……ひぃ」
金髪の男が腰を抜かして座り込む。周囲の男たちもまた上空に現れたドラゴンに威圧されて体を硬直させていた。誰もが声を失っている中で――
革ジャケットの男が溜息を吐く。
「確かに俺は甘いようだな。ほんの僅かでも俺に勝てるなどと勘違いさせるようではな」
穏やかながら絶対的な力を感じさせる声。その声を聞きながらモニカはふと気付く。
「まさかあのドラゴンは……聖霊?」
すでに戦意を喪失させた男たちに――
革ジャケットの男が淡々と語った。
「『万懐の闘神』――ダリル・ウォール。その俺に楯突いたんだ。覚悟はできているな」