第三章 バイクと警察(2/4)
朝食を終えたモニカは早速祖父の屋敷へと向かう準備を整えた。とはいえそれほど長旅というわけでもない。祖父の屋敷はイニティウムの北区に存在している。南区にある学園からは交通機関を利用しておおよそ二時間ほどで到着できるだろう。
モニカはパジャマから私服に着替えると――休日まで学園の制服は着ない――、携帯端末を取り出してある人に連絡した。連絡相手と話すこと五分、朝食の後片付けを終えたシシドウがキッチンから姿を現す。
「――ということだから、屋敷の鍵を開けて待機していて欲しいの……ううん、迎えなんかいらないわ。もう子供じゃないんだし。うん。それじゃあよろしくね」
携帯端末を耳から離して通話を切る。モニカの様子をじっと見ていたシシドウが、「ところでよ」と不思議そうに首を傾げた。
「たまにその板切れみたいのに話し掛けてるよな? それって何の意味があるんだ?」
「これ? これは携帯端末って言って、都会なら大体の人が持っている霊子機器よ。携帯と省略して呼ぶことが多いわね。機能は色々あるけど、わたしがしていたのは通話機能、平たく言えば離れた人と話をしていたの」
「へえ、つまり電話みてえなもんか?」
目を丸くするシシドウに、モニカは「そうね」と頷いてから眉をややひそめる。
「電話はそっちの世界にもあるのね。まあこっちの世界だと、二十年ほど前に日用品の多くが霊子機器に切り替わって、電気を用いた機器は田舎ぐらいにしかないけど」
「ふーん……でも俺んとこの電話はそんな小さくねえし家から持ち運べもしねえな」
「固定電話ね。この世界でとうに廃れた技術をそっちではまだ利用しているのね。まあ無理ないけど。工霊術が存在しない以上、発展する技術レベルには限界もあるだろうし」
「そうかな? 俺の世界もあと数十年もすればケータイってのができるかも知れねえぞ」
「無理よ、電気が主力エネルギーじゃね。因みにこの携帯は動画や写真も撮れるし、ゲームだってできるわ。これも全部、工霊術による高度な霊子回路があって実現できる技術。単純な電気なんかでこんなことができる?」
「マジかよ……いやどうなんだろうな。さすがにそんな機械は想像できねえかな」
田舎者のように驚いているシシドウに、モニカは携帯をかざして優越感に浸る。難しい顔して沈黙するシシドウ。しばらくして彼が「なあ」と表情を明るくした。
「そのケータイっての触らせてくれねえか?」
「はあ? イヤに決まってるでしょ」
かざしていた携帯を引っ込めるモニカに、シシドウが「ええ?」と唇を尖らせる。
「冷てえこと言うなよ。別に減るもんじゃねえんだろ?」
「あのね、携帯は個人情報の塊なの。おいそれと他人に貸すようなものじゃないのよ」
「じゃあ俺にもそのケータイってのくれよ」
「自分で買えば。聖霊に携帯端末の契約が結べるのならだけど」
携帯端末を懐にしまい、モニカは「そんなことより」とパンパンと手を鳴らした。
「もう屋敷に出掛けるわよ。準備はいいの?」
「……まあな。と言っても、俺は自分の持ちもんもねえし準備も何もねえんだけど」
「……それもそうね。ただ貴方、街に出るにもそんなヘンテコな恰好で行くの?」
シシドウが着ている学ランなる奇抜な格好にモニカは眉をひそめた。シシドウが自身の姿をジロジロと見下ろして首を傾げる。
「んな変な格好か? 俺たちの世界じゃ、わりかし一般的な学校の制服なんだけどな」
「その無駄に裾の長い上着と、無駄にだぼだぼのズボンが?」
「ああいや、それはツッパリとしての嗜みというか……オシャレってやつだ」
「……まあ服を着替える聖霊ってのもいないし仕方ないわね。でも学園の外に出たら、極力わたしから離れて歩きなさいよ。知り合いだと思われたくないから」
「泣くぞオイ」
半眼になるシシドウ。モニカは肩をすくめると彼を残して一人部屋を出た。無駄な寄り道もせずに学生寮を出る。ここで追い付いてきたシシドウがモニカの横に並んだ。
「お前のじいちゃんが住んでたって家はどう行くんだ?」
「まずはバスに乗るわ。そして最寄り駅で鉄道に乗って、そしてまたバスね」
シシドウが「めんどくせえ」と顔を渋くする。知ったことではないと校門に足を進めていくモニカ。もうすぐ校門に到着するというところで、シシドウがポンと手を打った。
「そうだ。んなバスやら鉄道やら乗り継がなくてもサクッと行ける方法があんぞ」
「は? なによサクッて?」
「まあまあ、いいからよ。ちょっとこっち来てみろよ」
シシドウがモニカの手を掴む。突然手を握られて「ちょ、ちょっと」と動揺するモニカ。だがこちらの反応など気にもせず、シシドウがスタコラと歩調を速めて進み始めた。
休日ながら校門前には私服姿の学生がちらほらといる。中には恋人と思しき男女の姿もあった。その彼らの視線が男性に手を引かれて歩いているモニカへと注がれる。それを意識した時、モニカは途端にこの状況が恥ずかしくなり顔を赤くした。
「て、手を離しなさいよ! こ、こんなところ見られて勘違いされたらどうすんの!?」
「勘違いって何のだ?」
「な、なにって……それは……あれよ!」
「あれって何だよ。まあんなことより、ほらここ曲がんだよ」
校門を出てすぐ道を曲がる。顔を赤くしながらシシドウと歩くこと一分。学園が管理する駐輪場に到着した。学生の自転車が並べられているその場所でシシドウが立ち止まる。モニカはシシドウの手を強引に振り払うと、顔を赤くしたまま唾を飛ばした。
「いきなり何なのよ! これで変な噂でも立ったら承知しないからね!」
「なに怒ってんだよ変な奴だな……っと、あったあった、ほらこっちだよ」
シシドウが駐輪場の一画へと駆ける。赤い顔を仏頂面にしたままシシドウの後をついて行くモニカ。シシドウが向かったそこには、一台のバイクが止められていた。
「……このバイクがどうしたの?」
「これに乗ってお前んとこのじいちゃんの家に行こうぜ」
怪訝に首を傾げるモニカ。シシドウが腰に手を当ててニヤリと笑う。
「こいつはジョニーのバイクだよ。お前に昨日部屋から追い出された時に、ジョニーの奴に学園を案内してもらってたんだ。そんでこのバイクのことを教えてもらった」
学生会長との戦いでモニカはシシドウから屈辱的な仕打ちを受けた。その怒りは学生寮に戻っても収まらず、モニカはシシドウを自室から一時追い払っていたのだ。夕食時にふらりと部屋に戻ってきたシシドウだが、どうやらその間にジョニーと会っていたらしい。
「鍵はそこの茂みに隠してあるからよ、いつでもバイクを動かすことができんぞ」
「人のバイクを勝手に使うなんてダメでしょ」
「大丈夫だよ。ジョニーの奴も俺ならいつでも使っていいって言ってくれてんだ」
シシドウが茂みから鍵を取り出して、バイクの鍵穴に突き刺す。ハンドルロックを手早く外してバイクを動かし始めるシシドウに、モニカはきょとんと目を丸くした。
「貴方随分と手慣れているわね。バイクに乗ったことがあるの?」
「おうよ。前にいた世界じゃ毎日乗り回してたぜ。ジョニーの説明を聞いた限りじゃ、この世界のバイクも俺の世界のバイクと動かし方は同じみてえだし楽勝だよ」
「……念のために訊くけど、免許は持ってるのよね?」
「あたりめえだろ? こう見えても俺は交通ルールにはうるせえんだ」
ひどく当たり前のことに、シシドウがなぜか偉そうにふんぞり返る。そこにやや呆れつつモニカはふと思案する。バイクが使えるのなら確かに乗り換えの手間もなく楽だ。
「ほらさっさと乗れよ」
パンパンと座席を叩くシシドウ。催促してくる彼にモニカは表情を渋くした。シシドウの運転など信用できない。安全面を考慮すれば公共交通機関を利用するのが得策だろう。だがそんな理性的な判断とは別に、モニカの脳裏にはある想いもあった。
(……バイクか)
生まれてこの方、バイクを運転したことはもちろん乗ったこともない。これまで興味があるわけでもなかった。だがいざその機会が巡ってくると、モニカの胸の中でどうしようもなく好奇心がむくむくと膨れていく。
(……ちょっと楽しそうじゃない)
表情はあくまで渋くしたまま、モニカはドキドキと胸を鳴らす。風を切りながら道を駆け抜ける。悪くないかも知れない。モニカの頭にライダースーツに身を包み颯爽とバイクを走らせている自身の姿が思い描かれる。
(そうよね……何事も勉強よ)
工霊術師とは未知の探究者だ。その頂点を目指している自分がバイクごときに怯んでどうするというのか。未知の経験を恐れることなく貪欲に求めることこそが――
(工霊術師としてのあるべき姿よね)
何やら言い訳くさいが、モニカはそう自分を納得させるとこれ見よがしに嘆息した。
「……仕方ないわね。ものすごく不本意ではあるけど、貴方がどうしてもバイクで行きたいって言うのなら、しょうがないから付き合ってあげてもいいわよ」
やれやれと頭を振るモニカに、シシドウが眉をひそめてポツリと言う。
「そんなにイヤなら、別に無理してとまでは言わねえけど?」
「な……別にイヤだなんて言ってないでしょ! 不本意ではあるけど付き合ってあげるって言ってんじゃない! 人の善意を無駄にしないでよね!」
「なんで怒るんだよ……まあ何でもいいけど。乗るっつうなら早く乗れよ」
またバイクの座席をパンパンと叩くシシドウに、モニカは「わ、分かってるわよ」と慌ててバイクに近づいた。内心の興奮を隠しながらバイクの座席にたどたどしくまたがるモニカ。ちょこんと座席の前面に座ったその彼女に、シシドウが困惑げに呟く。
「……何やってんだお前?」
「へ?」
「前の方に座ってどうするんだよ。お前がバイクを運転するわけじゃねえだろ?」
呆れたように言うシシドウに、モニカはカッと顔を赤くした。
「わわ、分かってるわよ! ちょっと間違えただけじゃない!」
「分かってるなら少し後ろに下がってくれよ。俺が乗れねえじゃねえか」
顔を赤くしたまま口をパクパクさせるモニカ。だが彼女は結局何も言わず、座席の後ろに黙ってお尻を移動させた。シシドウが「うし」と頷いてモニカの目の前に座る。
「そんじゃ出発しようぜ」
「ちょ……待ってよ。わたしこの距離だとハンドルに手が届かないんだけど」
手をハンドルに伸ばそうとするモニカに、シシドウが不思議そうに首を傾げる。
「何でお前がハンドル持つんだよ。そんなことしたら危ねえだろ?」
「え? それじゃあ、わたしどこに掴まっていればいいのよ」
「そんなの、俺の腰に腕を回しとけよ」
平然とそう話したシシドウに、モニカは「こ、腰に!?」とまた急速に顔を赤くした。
「それってつまり貴方に抱きつけってこと!?」
「そうしねえと振り落とされちまうだろ? あっと、それとコイツを忘れてた」
シシドウがハンドルに吊るされていた赤いヘルメットをモニカの頭にポンっと被せる。目を白黒させてヘルメットの位置を調整するモニカに、シシドウがカラカラと笑う。
「似合ってんじゃねえか。ヘルメットは一つしかねえからな、お前が被ってろよ」
「一つって……貴方はいいの? ヘルメットって絶対被らないといけないんじゃ?」
「あん? ヘルメットなんて一人被ってればいいんだよ」
至極当然のようにシシドウが言うので、モニカは「そ、そうなんだ」とその言葉をあっさり信じる。いそいそとヘルメットを締めるモニカに、シシドウが苦笑交じりに言う。
「料理や家事もそうだが、お前って勉強できるのに当たり前のことは何も知らねえのな」
「っ……それって馬鹿にしてるの?」
「いいや、可愛いとこもあるなって思っただけだよ」
またも顔が熱くなる。今日だけで一体何度顔を赤くすればいいのか。モニカは自分がひどく滑稽に思えてくる。シシドウがバイクのエンジンをかけて視線を正面に向けた。
「道は後ろからお前が教えてくれ。出発するから早く俺に掴まれよ」
「……う、うん」
思わず声が小さくなる。僅かな躊躇を挟んで後ろからシシドウの腰に腕を回す。
「……いや、もっとしっかり掴まらねえとマジで振り落とされちまうぞ?」
「わ、分かってる! いま……するから」
意を決してシシドウの背中に体を密着させる。聖霊の肉体は工霊術により疑似構築されたものであり、厳密に言えば物理的な肉体を彼らは持たない。だがシシドウの背中からは彼の温かな体温が確かに伝わってきた。
心臓が早鐘を打つ。バイクにまたがり一人勝手にドギマギするモニカ。その彼女の様子にはまるで気付くことなく、シシドウが「んじゃ行くぜ!」と快活に声を上げた。
バイクが大きなエンジン音を鳴らして前に進み始めた。そしてその直後――
モニカはふと思う。
(……あれ? そういえばコイツ、バイクの免許持っているとは言っていたけど……)
その免許とはこの世界でも通じるものだろうか?