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第三章 バイクと警察(1/4)

 イニティウム支部工霊術師育成施設――通称学園。その学園の最高権力者。支部局長であり学園長のダイアナ・マシューズ。すでに齢六十を超える彼女だが、日々を学園運営に尽力し、年老いてなお現役であることを周囲に知らしめている。とどのつまり――


(学園長の座を退くのは当分先だろうということだ)


 そんなことを考えながら、主任教諭のベン・ローガンはデスクを両手で叩いた。


「どうしてあの女を野放しにするのですか!? 学園長!」


 場所は学園長執務室。機能性を重視してレイアウトされたその部屋で、ベンは学園長のダイアナと対峙していた。自身のデスクに腰掛けてベンを見つめているダイアナ。彼女の金色の視線を受けながら、ベンはさらに荒げた言葉を続ける。


「モニカ・キングスコートは落ちこぼれの学生どもを言いくるめ、彼らとともに第一校舎で騒動を起こした問題児ですぞ! それなのに何の処分も下さないのは何故ですか!?」


「……まずひとつ訂正しておきましょう」


 ベンの怒声とは対照的に、ダイアナがひどく落ち着いた声音で反論する。


「この学園の学生に落ちこぼれなどいません。皆が優秀な工霊術師の原石です」


「そのような詭弁は止めて下さい!」


「それと第一校舎での騒動についてですが、学生会から正式に報告を受けています」


 学園長が金色の瞳を瞬きさせ、デスクに置かれていた一枚の紙をトントンと指で叩く。


「モニカ・キングスコートは友人とともに第一校舎の見学に訪れただけのようです。その際に恐喝とも取れる発言もありましたが、それはモニカさんに学園を案内したいとする友人の気持ちの現れ。少々過激ではあったようですが、問題視することもないでしょう」


「連中はこれまでも学園の秩序を度々乱してきた連中です! そんな連中の言うこと信用するんですか!? 見学などとデタラメに決まっているでしょう!」


「彼らが校則違反などで名前のよくあがる学生だということは認識しています。しかし他の学生に理不尽な暴力を振るったという話は聞いたことがありません」


「それは明るみになっていないだけです!」


「事実、彼らに恐喝されたと被害者による直接の訴えは有りませんでした」


 それは学生会が――というより学生会長のミア・レインがこの件を問題にしないよう、学生たちに指示したからだろう。学生会長のミアはその優れた容姿と実力により学生から高い支持を得ている。彼女からの指示となれば学生たちも喜んで口をつぐむはずだ。


(どうやってあの女が学生会長を味方につけたのかは分からんがな)


 ベンはそう苛立たしく思いながら、懐から一枚の写真を取り出してデスクに置いた。


「第一校舎にある偉大な創設者の石像です。見ての通り頭部が破壊されています。これを破壊したのはあの女の聖霊だと聞いていますが、この件に関してはどうお考えですか?」


「これはモニカさんの聖霊である彼が道に落ちていたレンガを花壇に戻そうと投げたところ、誤って石像の頭部に命中したのだと報告書にありました。レンガを投げた危険行為に関しては学生会も問題視し、学生会長自ら野外演習場にて彼に罰則を与えたようです」


「それだけで済ませるのですか!? 学園としても対処すべき案件でしょう!」


「彼も自身の軽率な行動を深く反省しているとあり、学生会長もこれ以上の罰則は不要と考えています。学園は学生会に治安維持を一任しています。怪我人が出たというならば話は別ですが、そうでないのなら学生会の判断を尊重すべきでしょう。因みに石像の修復は学生会が責任を持って行ってくれるそうです」


「……どうして……どうしてそうまでして、あの女の肩を持つのですか?」


 ベンはギリギリと歯ぎしりしながら、唸り声のように声を吐き出す。


「あの女が……ヒューゴ・アレクサンドラの孫だからですか? 工霊術師として偉大な実績を誇るヒューゴの孫だから、あの女を特別扱いしようというのですか?」


「……モニカさんの身内が誰であろうと関係ありません。むしろ私には――」


 学園長の金色の瞳が鋭く細められていく。


「それにこだわっているのは貴方のように見受けられます。ベン・ローガン主任教諭」


 学園長の言葉にベンは息を呑んだ。老齢でありながら力強い学園長の視線。それに突き刺され、ベンの全身から冷や汗が滲んでくる。ベンと学園長。互いが沈黙して静寂が流れる。カチカチと鳴る置時計の秒針。ベンはごくりと唾を呑み込んで――


「……失礼しました」


 学園長に頭を下げて部屋を退出した。


 学園長の執務室を出て廊下を歩く。今日は休日であり廊下に学生たちの姿はない。ゆえにベンは誰の目も気にすることなく大きく舌打ちをして、その表情を憎々しげに歪めた。


(おのれ……このままでは済まさんぞ)


 歩きながら自身の右頬に触れる。まだズキズキと痛んでいる赤く腫れた頬。これはあの女――モニカ・キングスコートの聖霊に殴られたことによる傷であった。


(この俺をこけにしやがって)


 本来なら教師に暴力を振るった奴らが学園にいる資格などないはずだ。だがこちらもまだ入学すらしていない一般人に模擬戦――しかも無許可――を行わせたという弱みがあり、この件を公にすることができなかった。


(だがこの報いは受けてもらうぞ。あの女もその聖霊も……必ず潰してやるからな)


 ベンは廊下を歩きながらギラギラと危険な眼光を輝かせた。



======================



「もう我慢ならないわ!」


 学園の敷地内にある学生寮。その一室。モニカ・キングスコートは自室のリビングにて、テーブルを両手で叩いた。眼鏡越しに栗色の瞳を尖らせるモニカ。その彼女の前には向かい合いに座る一人の男がいる。逆立てた黒髪に黒ずくめ。聖霊のシシドウ・タクシだ。


 シシドウが目をパチクリとさせながら朝食を口に運ぶ。メイプルシロップがたっぷりとかけられたパンケーキ。それをもぐもぐと咀嚼してシシドウがごくりと喉を動かした。


「なんだよ。そんなにバターがないことが気に入らねえのか?」


「そんなこと話してんじゃないわよ!」


 モニカはプリプリと怒りながら、自分のパンケーキをナイフで切り取り頬張った。シロップと生地の甘さが口いっぱいに広がり、思わず表情がとろけそうになる。だがすぐ自身が憤慨していることを思い出し、モニカは弛緩しかけた表情をギッと引き締める。


「わたしが言っているのは聖霊である貴方の日頃の態度よ! 入学試験での件も、昨日の第一校舎での件も、貴方のせいでわたしは夢を失いかけているのよ!」


「またその話か? お前もしつけえな」


 嘆息するシシドウに、モニカは「しつこいとは何よ!」とさらに激昂する。一房にした栗色の三つ編みを怒りに震わせるモニカに、シシドウが楽観的に肩をすくめた。


「丸く収まったんだからいいじゃねえか。いつまでも根に持つもんじゃねえぞ」


「丸く収めたのは学園長や学生会長でしょ! 貴方が威張ることじゃないわよ!」


「まあそりゃそうなんだけどよ」


 そう言いながらもシシドウがパンケーキを頬張る。相変わらず飄々としているその彼に怒りを通り越して呆れてくるモニカ。大きめに切り分けたパンケーキを一口で頬張り、モニカはもしゃもしゃと口を動かしながら「まったく」と愚痴をこぼす。


「第一校舎での一件……学生会長のミアさんが根回しをしてくれなかったら停学は免れなかったでしょうね。ホント、ミアさんが話の分かる人で良かったわ」


「俺はあの喧嘩、あんま納得いってねえんだけどな。一方的に降参なんて言われても勝った気がしねえよ。なんか見た感じ、まだまだ奥の手ってやつを残してそうだったしな」


 学生会長であるミアとの戦い。それはミアの敗北宣言により終結した。ゆえに学生会長を負かした新入生として、モニカの存在は学園でちょっとした噂にまでなったようだ。


 だがシシドウの言う通り、ミアが全力を出していたとは考えにくい。敗北を宣言した時にも彼女には余裕が感じられた。それは戦いを観戦していた学生たちも感じたのだろう。広められた噂にも、会長が手心を加えていたという旨の内容が含まれていた。


 不満顔でコクコクと牛乳を飲むシシドウに、モニカは「当然でしょ」と嘆息する。


「ミアさんはカースト一位で学生会長にも選ばれる優秀な人よ。貴方のような喧嘩馬鹿と違ってあんな勝負になんてこだわらないのよ」


「そんじゃ何だってミアって奴は俺たちとの勝負をそもそも受けたんだ?」


「分かんないけど……なにか深い理由があるんだと思うわ。もしかしたら敢えて勝負に負けることで、わたしの問題をもみ消す理由づくりをしたのかも、きっとそうよ」


 シシドウが「回りくどくねえか?」と眉をひそめる。懐疑的な彼にモニカは嘆息した。


「馬鹿な貴方には分からないんでしょうね。学生会長のミアさんが特定の学生に肩入れするわけにはいかないのよ。だけどミアさんはカースト三位ながらわたしの才能にいち早く気付いて、その才能を守るために敢えて危ない橋を渡ってくれたんだわ」


 モニカはそう口早に話すと、両手を合わせてキラキラと栗色の瞳を輝かせた。


「なんて素敵な人なのかしら。さすがカースト一位にして学生会長。容姿端麗で理知的。他の学生からの信頼も厚い。まさに学園生活におけるわたしの目標となる人ね」


「……その目標となる奴に、俺たちは凍死させられそうになったわけだが?」


「貴方が馬鹿な喧嘩仕掛けるからでしょ? それに手加減してくれていたはずよ」


 モニカはそう断言して、「とにかく」とシシドウにピッと指を突きつけた。


「こんな問題ばかり起こす聖霊なんて、契約者であるわたしの身が持たない。今後のことも考えて、対策を立てる必要があるわ」


「何だよ、その対策ってのは?」


「まずは……貴方と契約するときに使用した霊子回路を改めて分析することね」


 モニカはそう言いながら、最後の一切れとなったパンケーキをパクリと頬張った。


「貴方との契約に使用した霊子回路は、これまでにない理論に基づいて構成されたものなの。わたしはその理論を完全に把握して、使いこなせると思っていた。だけどもしかしたら、私のその認識に誤りがあったのかも」


「難しいこと言われても分かんねえよ……とどのつまり何をすんだ?」


「だから……その理論を発案した人の文献をもう一度確認して、自分の認識のどこに誤りがあったのかを調べる必要があるってこと。もしそれが分かれば、霊子回路を改良して新しい聖霊と契約することができるから」


「理論の発案者ね……それでそいつは一体誰なんだよ?」


「……おじいちゃん――わたしの祖父であるヒューゴ・アレクサンドラよ」


 モニカはやや躊躇いつつそう言うと、カップにある牛乳を一口飲んだ。


「わたしの祖父であるヒューゴ・アレクサンドラは偉大な工霊術師だった。わたしの工霊術師としての知識のイロハはおじいちゃんの文献や資料から学んだことよ。おじいちゃんの屋敷に行けばその文献や資料を確認することができるから今日はそこに向かうつもり」


「それ俺も行かなきゃいけねえのか?」


「当たり前でしょ。わたしが行くのに聖霊の貴方が留守番なんてあるわけないじゃない」


 至極当然のように話したモニカに、シシドウが「ええ?」と不満げに嘆息した。


「今日は学園が休みだっつうから、今日こそは遊び行けると思ったのによ」


「それはおあいにく様。でも普段は休日も勉強しているから遊びになんていけないわよ」


 平然とそう言ってやると、シシドウが「うげっ」と露骨なまでに顔を歪めた。彼の不満そうな表情にこれまでの留飲を下げるモニカ。だがそのことに多少満足しながらも――


 彼女は心にチクリとした痛みを覚えていた。


(何も分かってないわね……工霊術師が新しい聖霊と契約するってことのその意味が)


 工霊術師は原則一体の聖霊としか契約することができない。すでに聖霊を使役している工霊術師が新しい聖霊と契約するためには、現在使役している聖霊との契約を破棄する必要があった。つまり新しい聖霊と契約する霊子回路が実現したのなら――


 シシドウ・タクシは用済みになる。


 契約を解除された聖霊がどうなるのか。それは単純な話だ。自然な形に戻る。聖霊は工霊術師の契約により実数世界に実体化している。その契約が破棄されたなら聖霊は本来の住処である虚数世界へと帰還する。


 虚数世界は精神に支配された世界だ。虚数世界に帰還した聖霊は個人の認識を失い、世界に揺らめく精神の一部となるだろう。それは実数世界に生きる人間からすれば死に近い感覚ともいえる。もちろん聖霊からすればあるべき形に還るだけなのだが――


 そこに躊躇いがないと言えば嘘になる。


(こいつが妙に人間臭いから、そんな余計なことまで考えちゃうのよね)


 だが躊躇は不要だ。シシドウに同情して夢を失うなどあってはならない。昨日まではしばらく様子見をするつもりだったが、早急にシシドウを切り捨てて新しい聖霊と契約し直すべきだろう。なぜなら今の自分には、シシドウの態度とはまた別に――


 もう一つ切実な問題を抱えているからだ。


(入学試験の時はキスを……そして昨日は股に顔を突っ込まれて……同化に成功した)


 顔を蒼白にして思う。記憶から消し去りたい悍ましい悪夢。だが考察する必要はある。聖霊との同化。どういうわけかシシドウとは通常の手段では同化に至らず、セクハラ行為の果てに同化に成功した。その理由は分からない。だがいま問題なのは――


 その成功するための手段が、徐々に過激になっているということだ。


(この調子で進んだら最後にはわたし……どうなっちゃうのよ?)


 ブルリと全身が悪寒に震えた。表情を強張らせるモニカに、シシドウが怪訝に言う。


「どうした? 腹でも下したか?」


「ななな、なんでもないわよ!」


 デリカシーのないシシドウの発言を一蹴し、モニカはテーブルをバンバンと叩いた。


「何にせよ、今日はおじいちゃんが暮らしていた屋敷に行くから、貴方もそのつもりでいてよね! 屋敷で霊子回路を完成させて絶対新しい聖霊と契約してやるんだから!」


 工霊術師としての将来のためにも――


 女性としての将来のためにも――


 それは何よりも優先すべき事項だろう。



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