Ⅲ.士官学校の堕ちる日
ジンクはリオを心配して、近付いて声を掛ける。
「おい…また奇声を上げて大丈夫かよ?」
「ん?何が?」ジンクの心配する言葉に対して、リオは何事もなかったように返答する。
先程の何かに絶望したような、悲痛な声を上げていたとは思えないくらいの豹変ぶりだった。
「いや、奇声を上げただろう?先生たちも心配しているぞ…」
ジンクだけではなく、リオに3年生の最後に告げた先輩達や教授達も心配そうに様子をうかがっていた。
「アスタルテの街が侵略された光景をふと思い出しただけだよ。無力だった昔とは違う…今は落ち着いている。あの奇声はもう弱い自分じゃないと思い込む為の暗示だよ!!」
リオは右手の白の書を見せ、大丈夫そうに微笑んだ。正直、自分が何故奇声を上げたかも良く分かっていなかった。だから理由はそれらしいものを言って誤魔化した。
-どうしてだろうか?ジンクは昨日までと違って凄く優しく感じる…
ジンクが優しい事に違和感を感じている。普段ならば「うるせえ」と一喝してきそうな人間なのに…
十数分が経ち、校庭には帝国兵と戦う心構えが出来ている人間のみになった。
校舎内や寮にも誰もいなくなったようだ。それを確認して校長である老齢の男性ノヴ・アトラスが騎士アクアを後ろに引き連れ大きな声を発する。
「勇敢な者達よ。まず礼を言おう。帝国兵と戦う為にこの場に残ってくれて、ありがとう。」
そう言って、校長は頭を深く下げた。それに続き、アクアたち共和国の兵士も頭を下げる。
「この場にいる人間が、王都へ続く関所まで生徒を逃がす時間を稼ぐ殿となる。関所まで2時間程の時間を稼ぐため、私達が帝国の兵士と戦う。敵兵は3年生の精鋭達を倒したレベルだ。この戦いでは多くの者が死に、生き残っても地獄を味わう事になるかもしれない。」
ノヴ校長の顎下に垂らした髭は、大声により振り子のように左右に行ったり来たりを繰り返す。いつも糸のように細かった目は見開かれ、冗談で言っているのではない様子がうかがえる。
その言葉を聞いて校庭に残った生徒は不安な表情をした。地獄を味わうと言われたのだ。
帝国兵と戦い戦果を上げて英雄になろうという、甘い考えの生徒はこの場に残ったのを後悔し始めた。数人の生徒は馬舎の方へ逃げ出す。
怯えて逃げる者やざわめきが生じる中、校長は話を続けた。
「だが若い芽は可能な限り摘ませない。我ら教師と王国兵が殿の第一陣として可能な限り兵士を食い止める。君たちは第二陣、第三陣として、諦めかけた人間をを勇気づけてより多くの生徒を逃がして欲しい…」
校長の瞳は未だかつてない程に、ギラギラとしていた。その意気込みを汲むが如く、他の教授は覚悟を決める。
彼はそう言った後、大きく一息ついた。その後両手を組んで目を瞑り祈り、天を仰いだ。その瞬間士官学校の校舎が燃え始めた。『炎上』のギフトを用いて士官学校を燃やし始めたのだった。
「恐らくこの戦いに我々は負ける。だから魔法の触媒を敵に奪われない為に…そして少しでも早く王国兵の援軍を向かわせるために、この校舎は今ここで燃やす。」
生徒達は驚き泣き始める者もいた。それと同じように教授、兵士も涙を流す者がいた。
もう昔のように、この学校に通っていた平和な日々に戻れないのだと理解したからだ。
ノヴも泣きながら話していた。200年の歴史を持つ士官学校をここで終わらせる事を決断したのだ。並みの覚悟では到底出来ない決断だった。
話す中で色々な想いがこみ上げて来たのか、彼は泣きじゃくり話せなくなってしまった。
それをサポートするかのように涙目のアクアは校長の言葉に続いた。
「殿の第二陣は『叡智の書』の適合者リオと学園最強のジンク、3年生の残りの精鋭達がいる。だから安心して欲しい。もし死にそうなら逃げて構わない。隠れて構わない。君達が戦い1滴の血を流したなら、少なからず助けられた者がいる筈だから!!」
校長の演説を聞いた生徒は皆緊張していた。皆ここで死んでしまうという思いが強くなっていたからだ。アクアはこの場の兵士の長としてその緊張をほぐし、ここに残った者の力を最大限発揮出来るように安心できる言葉を選んだ。
「私達は常に帝国兵に勝つつもりで特訓している。校長は弱気だったが、我々は1ミリも負ける気はないぞ!!もし勝ってしまったら、逃げた生徒に学校の消火活動を頼むだろう。戦うよりそちらの方が大変だから覚悟しておいてくれ!!」
アクアのその言葉で、その場にいる者は奮い立った。それまで不安そうにしていた者は、皆吹っ切れたようだった。
それぞれが持てる最大限の力を生かすために団結をした瞬間でもあった。
その言葉を聞いて安堵した校長は不安そうに呟いた。
「もしも勝ってしまったら、ワシは色んな意味でヤバいの…」
帝国兵は先程の3年生との戦いで消耗していた為か、予想より侵略するのが遅いようだった。
おかげで各々が戦いの準備を十分に行えた。学校に残るのは兵士と教授達、殿の第一陣。可能な限り帝国兵を足止め出来るように、簡易的な要塞のような布陣となっていた。
校門には何重にも柵が用意され、落とし穴や敵の動きを阻害出来る罠を魔法やギフトにより十分に用意できていた。それを超えられても良いように、先方にアクアを中心として直接戦闘を得意とする兵士と教授、後方には魔法を得意とする人間が配置されていた。
本当にこれならば勝ってしまいそうだ。実践経験のあるジンクもこの布陣を褒めていた。
第二陣はリオとジンク、戦える状態の3年生が配置される。逃げながら第一陣が討ち逃した兵士を倒す役割を受ける。
第三陣はギフトを保有する勇敢な2年生と1年生が受け持つ。彼らは戦闘経験が浅いため、辛うじて戦闘が出来る最後の砦の意味であった。
第四陣は傷を負った3年生。より多くの生徒が逃げる為の最後の肉壁だ。残酷な事だが敵兵が第四陣まで来てしまった場合は戦闘要員がいない為、自らの死の特攻と引き換えに少しでも時間を稼ぐ布陣だった。
もし第四陣まで敵兵が来たのならば、無事に逃げられた生徒が多いことを祈るだけしか出来ない。
リオにだけは別の命令が下される。必ず生き残り王都へたどり着く事であった。
アクアや校長から「他の者を囮に使ってでも、危なければ必ず逃げろ」と非情な命令が下される。白の書の適合者が最後の希望なのだ。もしもここで彼がいなくなれば、ゾディアに対して勝ち目は皆無となる。
本来ならば第三陣に配置したかったようだ。しかしそこに配置させても無駄に1,2年生の死人を増やす可能性が高い、もし陣が全滅する際に囮として弱いという理由で第二陣となったようだ。
第四陣、第三陣が順番に馬に乗って、王都のある東の方角へと去っていく。しかし第四陣で馬は足りなくなった為、陣形を組んでの徒歩での出発となった。半分ほどの第三陣から可能な限り走ることになった。
第三陣も去りいよいよ第二陣の出発となった。ジンクは学校最強の自分が守護者となると言い、二陣の3年生達を先に行かせるように促す。
リオも3年生達と一緒に立ち去ろうとしていたが、ジンクに呼び止められて彼と一緒に行くことになった。
リオに二人きりで話がしたいとの事だった。