新自由主義的経済観の非現実性① リカード・バローの中立命題と非ケインズ効果
リカードの中立命題だとか非ケインズ効果とか言われる代物は、言葉の意味をきちんと認識したうえで考察すると噴飯モノの代物だ。何が書いてあるかと言うと、100ℓの水の半分を使ったら50ℓになると書いてあるだけという話である。本当にそれだけなのである。こんなクソ仮説がもっともらしく君臨している世界に我々は住んでいる。日経新聞に面白い記事が載っていた。消費減税について述べるモノなのだが、ふたりの識者()を呼んで両論併記させるに、片方はハイパーインフレになると述べ、もう片方はハイパーデフレになると述べるのだ。
インフレとは物価が高騰する現象である。デフレとはそれと逆に誰もモノを欲しがらず財布の紐を締めるので、販売値を下げて売らざるを得ない状況だ。両者は完全に真逆の事象である。仮にも科学のフリをしている経済学は何故にこんな事になるのだろうか?
答えは簡単である。
完全にして善なる神が創ったこの世界において、悪い事が起こる事などがそもそもあり得ないからだ。
実際に経済学では自然○○みたいな用語が多い。自然失業率だの自然価格だの自然経済だのと、これ等の自然は”あるべき姿”という意味で使われている。ちなみに、自然経済とは物々交換の社会の事らしい。貨幣の代替物Bが設定される事はあっても、AとDは交換出来ないから、AとBを交換してそれを更にCと交換してDに交換するみたいな頭の悪いお使いゲーなど存在しない。普通に考えて、こんな七面倒な事をすると思うか? と言う話である。だいたい、人間の社会活動の自然ってなんだ? 古代人が投石と棍棒で戦争するのを自然戦争とか言うか?
まあ要するに、連中が減税に反対するのは減税はあるべき姿に反するので天罰が下ると言うとる訳で、自然現象として洪水や地震が起きると言うとるわけではないのだ。神の御業は偉大であるからして。灼熱の硫黄が降り注ごうが大地が割れて海に沈もうが、そこに罰する意図が無ければ誰も傷つかず。逆に罰する意図があるならば風が吹いただけで皆死ぬという訳だ。
リカードやらバローの中立命題、そして非ケインズ効果によると、税率を100%でも10000%でも好きに引き上げて、消防も警察もインフラも全部有料化&民営化すれば、人々は将来負担を楽観視するから熱心に消費するようになり景気が良くなる。逆に減税や公共投資をすると民間は将来の負担に怯えて、貯蓄や資産の構築に勤しむから不景気になる。いやそんなわけ無いだろと思うだろうが、実際にこの仮説を選択していると内閣府や財務省は提示している。
増税後の消費減退に対してマイクを向けられると、夏が暑かったからだの台風がどうの雨が多かっただのと意味不明の言い訳に終始するのはこの理論()の為だ。増税したら景気が良くなるのに、毎回悪化してるのはどう考えてもおかしいよなぁ? そもそもリカードの中立命題なんてのは、当のリカード自体が現実の話ではないと述べるような話なのだ。
そもそもなんでこうなるのかというと、冒頭に示した通りである。リカードやらバローの中立命題は、100ℓの水の半分を使ったら50ℓになると書いてあるだけなのだ。サラ金からカネ借りて全部浪費すると返す時に困りますよ、という小学生レベルの話を偉そうに言っているだけなのである。
政府支出によって絶対に経済成長は起きないという前提下で、”公債の負担は将来世代にかかる税によって償還されなければならない”というドグマを完遂すればそりゃあそうなるわなと言う話。このアホらしい前提を現実のモノとするために、若者の草食化だの日本は成長しきったんだァ~とかいう汚らわしい空論が逆算的に作り出されている。ドグマの方に至っては、中央銀行の利益は国庫に返納される国庫納付金制度を完全に無視している。
ぶっちゃけ「国債なんて発行したら民間は不安を感じるゥ」と牽強付会に述べているだけである。なんぞ、減税時期に民間貯蓄の増加が起こった事がスウェーデンだかノルウェーで起こったらしく、わずか数例の、相関関係すら不明で因果関係の証明も無い事象を自明の事柄の様に喧伝している説なのである。たまたま吹雪でも吹いてたんじゃないの? 知らんけど
非ケインズ効果だとかインフレ期待理論の根底は、”そう思ったらそうなる”である。現実にそうなっていないんだから、これらの論に従う範疇でもそう思う要素が不足してんだろという話なのであるが⋯⋯。そもそも、こんなもんは自然科学界隈では偽薬効果と呼ばれる代物に過ぎない。実際の偽薬は何の効用も無い砂糖の粒やらだが、連中が盛んにやろうとするのは増税緊縮という猛毒である。まるで水銀を万能の霊薬とする頭のおかしい実験に付き合わされているようだ。ありとあらゆる現実のデーターはこんな馬鹿げた実験になんの価値も無い事を示している。しかし、そんな事は関係が無いのだろう。だから、ず~っと「景気は緩やかに回復してます」とかほざいていたのに、コロナのどさくさに紛れて消費増税前から景気は悪くなっていました~と言っちゃったりする。
まぁ、確かに、こんな錬金術が成功すれば、国民生活を良くするより遥かに歴史に名を残す偉業であろう。新自由主義的な政策を好む連中は「政治家の目的が、国民の生活を良くする事だなんて間違ってます」とか公然と言っちゃったりする。ホント、なんで政治家やってんの? と思うだろうが、こういうのは共産主義者だとか清貧思想だとか、気色の悪い理想に燃えている連中にはありがちな事なのである。ポル・ポトが狂信者だったか腐敗政治家だったかの議論に何の意味があるのだろうか?
本当におっそろしいことだ。今はコロナの影響で多くの企業が不景気に陥っている訳である。しかし構造改革論者はゾンビ企業を退出させよう! とか言い出している。中小企業を減らせばハッピーとかGAFAがどうの言う連中に限って言い出したりする。どうやらGAFAは生まれた瞬間からGAFAで、我々は年商数百億ドル規模の巨大企業が存在している事を、ある瞬間になるまで認識する事が出来なかったらしい。どんなSCPだよ? 挙句の果てにだ、”今”、コロナ危機の脱出などとても出来ているように見えない今だ。消費税の増税は必要かというテレビ討論で必要であると菅は述べたという。ま、流石に官房長官会見で「今後10年は消費税の増税を行わない」と述べたがな。発言を翻しているように見えるが、こういうのを観測気球という。要するに、菅が本当にやりたいのは増税であり、反対が噴出しなければやってやろうという意図があるわけだ。因みに、10月には酒税改定で事実上の酒税増税がされます。ビールと日本酒が安くなるよやったね! それ以外は全部上がるがな。
結局のところ、新自由主義者やら均衡財政論者は、完璧な世界、完璧な人たちを勝手に前提にして、「なんで世界は完璧じゃないんだろう」とか中学2年生なみの事を言い出し「そうだ、政治や社会なんてモノがあるから完璧じゃないんだ」みたいな斜め上の結論を陳述しているだけである。新自由主義者として有名だったサッチャーなどはハッキリと「社会なんて存在しない」と言っている。文明を否定すれば、人類はエデンの園に回帰出来てハッピーハッピーとか言い出すキリスト系カルトと何の違いがあるのか?




