最終回:ポラリスとアウストラリス
脱いでいた宇宙帽を被り直し、狭いブースト加圧室から、燃料供給用パイプを這いながら通り抜けて加速装置を抜け、無菌シャワー室で10分間シャワーを浴びたあと、船外更衣室で服を脱ぎ、また5分エアシャワーを浴びて漸く機械室に辿り着いた。
ここから走って、いくつかのフロアと階段を抜けて、もう一度エアシャワーを浴びてからようやく休憩室に付いた。船体の90パーセントを動力関連施設が占めるから居住区に戻るのも容易じゃない。
直ぐにハミルに連絡したが、まだ出ない。
とりあえず指令室に居るはずだから行ってみよう。
通路を走っていると、ハミルも向こうから走って来ていた。
「ハミル大変だ!」
「私も!」
いったい何があったのだろう。長い距離を走って来た僕は汗だくだったが、ハミルもまた同じように汗をかいていた。
「どうしたんだ!?」
「何か居た!」
「居たって何が!?」
「何か分からない」
「色や特徴は?!」
「……」
気が動転しているのか、珍しくハミルは要領を得ない。
「白くて、人間くらいの大きさで、もっと横幅の大きいものか?!」
「そう。それ! なんでシュンが知っているの!?」
「俺も見たんだ。ブースト室の先端で作業していた時に足音が聞こえたから、外を覗いて見たら、そいつが先に到着していた宇宙船に入って行くところを」
「どうやって見たの?ハッキリと確認できたの?」
「いや、アウタードリルで穴をあけて樹脂レンズ越しに肉眼で見たから、ハッキリとは見えていないが僕も確かに見た」
「記録は取った?」
「いや記録装置は持っていなかった」
「そう……」
ガッカリしたのか、それまでテンションの高かったハミルの口調が急に静かになった気がした。
「そうだ、外部監視モニターの記録で確認してみよう!」
「駄目よ、丁度メンテナンスを始めた所で、モニターの電源は落としていたの、ごめんなさい」
「ちくしょう!なんて間が悪いんだ!」
「ごめんなさい」
勢いで、強く言ってしまいハミルを傷つけてしまった。
「僕の方こそゴメン……」
「いえ、いいの。悪いのは私だから……」
それから数日間、僕たちの間には気まずい空気が流れた。
お互いの作業もほぼ終わり、僕のほうは装置による自動メンテナンスモードにシステムを切り替え、すべての機械室を無酸素状態にすることで金属類の酸化と火災を防ぎ、少しでも長く使えるようにした。
ここに来てから天気のいい日が続いていたが、その日初めて雨が降った。
ゲリラ豪雨の様な強い雨。
雨の上がった夕方には、地球で見るのと同じ夕焼けと虹を見る事が出来た。
「夕焼けと虹が同時に見えるなんて素晴らしいわね!」
あの日以来、塞いでいたハミルが今日は上機嫌。
「ああ綺麗だ」
夕焼け以上に、明るく振る舞うハミルが綺麗だと思った。
「今日は朗報があるのよ」
夕食後に二人で久し振りにカクテルを飲みながら夜景を見ていた時、ハミルが言った。
「なに?」
「明日から船外活動が出来ます♪」
「そりゃあ凄い! この緑豊かな自然を直に外で見れるんだね」
ハミルの言葉に僕もワクワクした。
次の日、僕たちは船の外に出た。
ハミルは船外着なしでも大丈夫だと言ったが、あの白いヤツの事もあったので、とりあえず安全のために着用して銃も持って出た。
未知の世界への第一歩は僕が踏み、ハミルは指令室で僕のサポートをしてくれる。
本当は一緒に出たかったけれど、二人しかいないので、安全が十分確認できるまで当分はおあずけ。
宇宙帽のスクリーンに映し出される青い点は動体感知器の信号。
それがチャンと肉眼で見ているロボットと重なる。
赤色に表示される生体感知器は作動していない。
僕は地面を見て悔しがった。
もしも昨日、雨が降らなければ、あの白い奴の足跡を見つけられたはず。
いつ奴が襲って来るとも限らないので、青と赤のスクリーン表示に注意しながら、先着した宇宙船に向かった。
僕の目的は、この宇宙船の状態確認。
一応遠隔通信で、大体の状況は把握できたが、それが全て正解とは限らない。
僕たちの宇宙船よりたった1年先にここに付いただけだけど、この宇宙船は実に50年以上もここに放置されていることになるのだから。
リモコンでハッチを開き中に入る。
エアシャワーを浴びたあと、船外着を脱いで、船内の居住区に入った。
居住区と言っても無人ロボット探査船だから、ごく簡単なもの。
コックピットも打ち上げ前に、その準備をする作業者が使うもので、簡素な作りになっている。
ここで僕は、各項目が通信で得た情報と相違ないかを先ず確認してから、機械室に入り実物の確認をした。
残念ながら燃料はキチンと片道分だけ入れられていた様で、残っているのは200年分の発電用に使うだけの僅かなもので、これを全部頂いたとしても地球に帰るだけの量には遠く及ばない。
もう部品取りにしか使う道がないので、殆どの機能を僕たちの船に送り、セーフモードにすることにした。
しかし僕の目的はこれだけではない。
この船は打ち上げ後、誰も入った事がないはずだから、僕には試したいことがあった。
それは監視カメラの映像。
もちろん、こいつのじゃなくて、それは僕のポケットにある。
そう。
僕の宇宙船で何があったのか全て記録してあるチップ。
宇宙船のコンピューターシステムには2種類ある。
安全のために外部から遠隔操作できるものと、外部からの信号を受け付けないもの。
つまり打ち上げられてから誰も入ったことのない船内だから、信号を受け付けない方のシステムを使えば監視カメラの映像は確実に見える。
僕はチップを差し込んだ。
ゴクリと自然に生唾を飲んでいた。
そして画面に集中する。
『このファイルを表示できません』
映し出された文字を見て驚いた。
“なぜ!?”
何度試しても同じだった。
理解不能。
ひょっとしたら、このICチップが不良とも考えられる。
そう思って、コクピットにある監視カメラを分解して、コンピューターに読ませてみた。
しかし映し出された文字は同じ。
『このファイルを表示できません』
これはいったいどういうことだ!?
俺たちの宇宙船にはハミルと僕だけのはず。
そして僕たちは、宇宙船から一歩も外へ出ていない。
「シュン。何かあった?予定の時間より随分すぎているけれど」
ハミルから無線が入った。
僕は、この事は伏せておこうと思い、何でもないと答えて船を出た。
意味が分からない事を考えながら歩いていた。
全くノイローゼになりそうな気分。
その時、不穏な影に気が付いた。
それは、あの時見た白い奴!
咄嗟に銃のセーフモードを解除して、威嚇のために地面に向けて一発撃った。
“ズドン!”
しかし奴は微動だにしない……。
「シュン何があったの!!」
ハミルの悲鳴にも似た声が届く。
「奴が居た!」
「奴?」
「そう、あの白い奴」
「まさか……」
僕はハミルと連絡を取りながら、奴との間を詰めて行く。
そして知った。
白い奴の正体を……。
宇宙船に戻ったとき確認した。
やはり間違いない。
白い奴の正体は俺自身が宇宙船に映ったもの。
そして船外着置き場には、少しだけ位置のズレた船外着がもうひとつあった。
僕は確信した。
「ハミルちょっといい?展望室に来てくれないか」
「いいわよ」
ハミルと僕は展望室に上がった。
「カクテルでも作りましょうか?」
「いや、ミネラルウォーターでいい」
ハミルはミネラルウォーターのボトルを僕に投げ、僕はキャップを開けてそれを飲んだ。
「どうも、いま君にカクテルを作ってもらう気分にはなれないんでね」
「そう。それは残念ね……で、なんの用?」
ハミルはいつになく、そっけない冷たい声で聞いてきた。
「さっき僕は、この前見た白い奴と出会ったよ」
「そう」
「驚かないのかい?」
「もちろん驚いてはいるわ。で、正体は分かったの?」
「僕さ」
「貴方が?」
「そう。今回の白い奴は船外着を着た僕自身が、機体の一部に映ったものだった」
「じゃあ前回のも?」
「まさか、前回の奴は、ハミル。君自身だ」
「まさか」
「僕はあの時、白い奴が向こうの船内に入るのを見て壁を叩いた。船外着は音も増幅されるので離れていても充分気が付いたはず。そして君は目的の用事を済ませて走って船に戻った」
「シュン、それはおかしいよ。音が聞こえたなら私なら直ぐに引き返すわ」
「それが、そんなに慌てる事も無いんだ。僕が居たのはブースト加圧室の先端だから、通信が可能な居住区迄戻るには約500メートルもの距離を移動しなければならない。その中には狭いパイプの中を這って通る場所もあるし、一番時間が掛かるのは無菌シャワー室で10分、エアシャワー室で5分の時間が掛かる事。これは非常信号ボタンを押さない限り解除されないし、ボタンを押せば宇宙船内外にサイレンが響き渡る。だから君は僕が居住区へ到達する時間の数分前まで作業時間が取れるんだ」
「まあ、面白い推理ね。でも第三者と言う可能性は?」
「それはない」
「どうして?」
「僕は慌ててコクピットにいるハミルに知らせようと走った。そしてハミル、君もまた、僕に知らせようと走って来た。お互いがお互いを気づかった行動。しかし、本当にそうだろうか? 僕は機械室を出て一番に君に連絡したのに何故出なかった?」
「手元に通信機が無かったから。音声をOFFにしていたから気付かなかった」
「なるほど。そしてハミルが出ないから、僕は走った。君はどうした?」
「知っているでしょ。私もシュンのことが気になって走ったわ」
「そう、君は走って来てくれた。コクピットの管内通信も使わなかったし、生体センサーで僕が無事であることも確認せずにね。それに一番重要なのは、もしも第三者が居たなら、コクピットを占拠される最悪の事態も考えずに行動した」
「好きだったら当たり前じゃない」
「ありがとう。でも君は走らなくてはならなかったんだ」
「どういう事かしら?」
「つまり作業を終えて、慌てて宇宙船に戻ってきた君は、自分が汗だくである事を隠さなければいけなくなった。温度管理されているコクピットでデーター関係の作業をしている人間が汗でびっしょりって言うのはおかしいからね」
「……」
「もしも証拠が要るのなら、未だ着て居ないはずの君のDNAが付いた船外着を証拠として提出しようか? 昨日の雨で外の足跡は消えたけれど、慌てて中に入ったから靴底にはまだ砂が付いているんじゃないか?」
「さすが、思っていた以上に頭が良いのね」
ハミルがフッと溜息をついて笑う。
「君ほどではない。何故こんなことをした! 他の奴らは何処に行った?」
「帰ってもらったわ。強制的にね」
「どうして……」
「さあ。貴方と二人で居たかった。これじゃあ駄目かしら?」
こんな事がなかったなら、僕は今のハミルの言葉に有頂天になっていただろう。
しかし、今となっては、ただ切ないだけ。
「駄目に決まっているだろう!」
激しく言ったせいか、僕は少しよろめいた。
「そっか……失敗しちゃったな。ねえ宇宙に出て思ったんだけど、光速を越えるとドンドン時間は進むけれど、その時間を過去には戻せないの?」
「残念だけど、過去には……戻せない」
何だか急に気分が悪くなってきた。
「そうね。確かに時間は過去には戻せないわ。でもね、過去自体は幾らでも変えることができるのよ、知っていた?」
「ハ、ハミル。ミネラルウォーターに最初から何か仕込んでいたな……」
苦しむ僕のことなど意にも返さない素振りで、ハミルは話を続ける。
「過去を変えられるのは、人間だけが持つ超能力。そしてそれは誰でも持っている能力なの。例えばシュン。君は航海の途中で私に起こされなかったことにしよう。寝ている間にここに着いた。しかし船は着陸に失敗して私と君以外は全員死亡。どう? これなら私を愛すことが出来るでしょ?」
「そんな虫のいい話……」
「誰でも持っているのよ。嫌な過去を消してしまい、都合いい過去に置き換える能力を。例えば田舎で同級生からその容姿の醜さから虐めにあっていた子が、大人になって整形手術をして美人になって、田舎では人気者だった嘘を言う。自分自身への嘘ならそれを信じ続ければ、いつか本当のことになる。勿論この例えと私は関係ないけれどね」
「どうして、こんなことを……」
「だって、シュンったら全然私の事振り向いてくれないんだもの。そりゃあ私は天下のイースト大学を飛び級して卒業した天才娘よ。でも中身は普通の女の子と何も変わらないの。恋人にする相手は天才でもなければマッチョマンでもない、少しはにかみ屋さんで優しい人。それだけでいいの」
「そんなことを、しなくても……ぼ、僕は……僕はき、君のこと……」
そこで僕の意識は途切れた。
僕がこんなにハミルの事を好きだったのに、どうしてハミルはそんなことを思ったのだろう?
僕が何も言わなかったから?
好きだと言う気持ちを抱いていると言うだけでも僕には、おこがましいとさえ思っていたのに……。
真っ暗な時間の底に吸い込まれて行く、もう何も考えられなくなる。
そしてもう何も思い出せない。
僕はもう死ぬのか……。
黒い世界の奥から、一点の光が差し、それが徐々に広がって行く。
誰かが僕を呼んでいる気がして、耳を傾ける。
遠くでハミルの声が僕を呼ぶ。
「シュン! 起きて!」
目を開けると、既に船内着に着替えているハミルが僕に覆いかぶさるように僕を揺らしていた。
目を開けた僕の顔の前にあるのは、彼女の豊かな胸。
ほんのりと甘く温かい香りがする。
「ここは何所?」
「惑星QB-111ポラリスよ!」
芝生の上に横たわる僕。
「ふ、船は!?」
慌てて飛び起きると、そこには焼けて微かに骨組みだけが残っている宇宙船の残骸が二つ。
「着陸に失敗したの」
「他の皆は?!」
ハミルは首を横に振って悲しい顔をして言った。
「私とシュンの二人だけ。残念だけど」
「僕はどうして?」
「あなたは、睡眠装置から目覚めなかったの。それで私と二人で医務室に居て、そこに居た二人だけが助かったの」
「そうか……」
「でも大丈夫。この惑星は太古の地球と環境が似ているの。川の水は綺麗でそのまま飲めるし、木には様々な果物、それに海には魚もいるわ」
ハミルは僕を勇気づけるためだろうか、楽しそうに話してくれた。
その姿を見て僕は、たった二人だけ生き残ったもう一人がハミルで良かったと心からそう思った。
僕は実を言うと、この仕事が終わって地球に帰ったとき、思い切ってハミルに告白するつもりでいた。どうせお互いに身寄りも無くなった孤児同然。駄目で元々、これ以上失うものは何もないから。
「歩ける?」
「あっ、うん。大丈夫みたいだ」
ハミルの細い手が伸ばされて、僕の手を掴む。
その手をつないだまま、お花畑のような所を歩き、砂浜の広がる海辺に出た。
さざ波が寄せては返す静かなエメラルドグリーンの海。
その向こうに広がる、はてしなく透き通った青い空。
ぽっかりと浮かぶ白い雲。
やがて、その白い雲が赤く染まりだす。
海に足をつけていたハミルが、僕に水を掛けた。
僕も海に入って逃げるハミルに水を掛ける。
二人しかいない星で戯れる。
ハミルの服が濡れて、艶めかしいボディーラインを浮き出させる。
そのまま手を伸ばしハミルを抱き寄せて、その唇を奪う。
よろめくハミルを抱き寄せたまま、砂浜に寝転がり、長く熱い抱擁をいつまでも繰り返す。
何度か砂の上を転がっているとき、太もも付近でチクッとした痛みを感じた。
何だろうと思って手を伸ばすと、それはポケットの中に入っていたICチップ。
なんのICチップだろうと不思議そうに見つめていると、ハミルも興味深そうにそれをみて「要るの?」と聞いた。
「さあね。こんなものに何の用もないさ」
そう言って海に投げると、さざ波が、恐る恐る手を伸ばすようにさらっていった。
僕の首に腕を巻き付けたハミルが、僕の瞳の奥まで覗き込むような透き通る目をして言った。
「私たち、アダムとイブになるしかないようね……」
僕は返事の代わりにハミルの首筋に顔を埋め、いたるところにキスの雨を降らせた。
確かにこの惑星QB-111ポラリスは、アダムとイブの住む楽園と言うのには相応しい。
「太陽は、どこだろう?」
「今はまだ夕方だから見えないけれど、夜になればズット向こう。ちょうど南の方角に見えるはずよ」
ハミルが紫色に変わってゆく空を指さす。
地球で昼の世界を照らしていた太陽が、夜にならないと見れないなんて、何とも不思議な感覚。
そして僕たちは、その紫色の空のかなたにあるはずの空の果てをいつまでも見上げていた。