第二話:帰還不能!
――しかし、記録は何者かによって全て消されていた。
「帰還プログラムに変更して、地球に戻ろう!」
「無理よ。私は帰還プログラムの変更作業はやったことがないし、もし手伝えたとしても二人だけではプログラムの変更と各種調整作業に1カ月は掛かるはず。それよりもっとも重大な事は、この位置からだと太陽系まで燃料が持たないわ」
宇宙航海用のモニターを見ると、既に惑星ポラリスまで1カ月ほどの位置まで来ていた。
確かにハミルの言うように、漏れて少なくなった燃料では太陽系に着くよりも前に燃料は切れてしまう。燃料が切れれば、もうワープも使えないし姿勢制御も出来なくなる。それでも小型で頑丈に作られている脱出カプセルなら地球から常時発進されている誘導電波に乗ってなんとか帰還できるけれど、大型のこの船では姿勢制御が出来なくなるとコースを逸脱する可能性も非常に高くなるから地球はもとより太陽系にさえ向かうことは困難となるだろう。
まさに、絶望的な状況。
「私たちだけでも、任務を全うするしかないわね。ひょっとしたら先に調査を始めている無人探査船に燃料が残っているかも知れないし、惑星ポラリスの地下資源の中に燃料を精製できるような資源があるかも知れないわ」
そのハミルの声は、いつもの優しく可憐な声ではなく、決意をした者だけがもつ凛と張り詰めた艶があった。
僕はハミルに励まされて、それに従うことにした。
船内の調査に追いまくられているうちに、やがて宇宙船はスローダウンして、窓から惑星ポラリスが肉眼で見えるようになってきた。
それは、子供の頃に教科書で見た昔の地球のように、緑の森と青い海で覆われて宝石のように青く輝いていた。
着陸軌道に入る宇宙船から窓の外を見つめる僕の肩に、ハミルの柔らかい手が置かれる。
「ここで、救助を待つしかないわね」
「うん」
しかし僕たちが送った救難信号を受けて、直ぐに救助隊が月基地から発進したとしても、この惑星に居る僕たちは100年近くその到着を待つことになる。
残った燃料を全て費やして睡眠カプセルで寝て過ごしたとしても、持つかどうか……。
僕は、技術者だから惑星の環境などの情報は詳しくは知らないが、それを知る権限を持っている科学者のハミルが“ここで救助を待つ”と言う楽観的な見方をするのであれば、きっと人間が不自由なく暮らせる星なのだろう。
でも、何故他の隊員は消えてしまったのか……。
ハミルは過ぎた事だと割り切っているみたいだけど、僕にはいつまでも付き纏う疑問。
肩に置かれた柔らかい華奢な手をそっと掴み、それを椅子の背もたれに移して席を立つ。
「どこへ行くの?」
少し散歩をしてくると伝えると、もう直ぐ着陸態勢に入るから早めにコクピットに戻って来るように言われたが、なぜ皆が居なくなってしまったのか気になって船内に何か手掛かりがないか歩き回った。
皆が消えてしまったあの日から、ハミルと一緒に何度も調べ周ってはいたものの、この日も何も手掛かりは見つからない。
まるで僕たちを忘れてしまったかのように、彼らは消えたまま。
もう諦めるしかない。
そう思ったとき、急にある事を思い出した。
それは、各部屋、各通路に設置されている監視カメラ。
確かにコックピットから、集中管理用システムで調べたときには全ての監視カメラが故障していて、蓄積されているはずのデーターも消滅していた。
しかし何らかの事故で宇宙船が致命的なダメージを受けシステム全体が破壊されたとしても、船内で何が起こったのか分析できるように監視カメラには各個体別に内蔵されたICチップが付いている。
そのICチップのデーターは、中央のシステムからは消去できない。
消去するためには、設置されている一個一個を設置面から外し更にケースを分解して、中に仕込まれたICチップを取り出すほかはない。
しかも監視カメラは、その性格上ワザと外しにくい作りになっていて、なれた技術者でも1台外すのに二時間以上掛かる。
そして、このクラスの宇宙船だと、その数は10万台以上。
もしも、逃げ出した32人が総出でその作業を行ったとして、一日にひとり10台の監視カメラからICチップを取り外すことが出来たとしても約1年近く掛かってしまう。勿論カメラからICチップを取り出さなくて、カメラごと宇宙に廃棄すればもう少し早く処理できるだろう。しかし、監視カメラは今まだここに無傷のまま残されている。
倉庫から脚立を持ち出して、天井の板を外す。
宇宙空間を長時間航行する宇宙船には、骨の劣化を防ぐため重力負荷装置が付いているので高い所で作業をするには、旧世紀に発明されたこの脚立が必要となる。
もっとも何らかの原因で航行に支障が出て数十年単位で救助を待つ必要が出た場合は、この重力負荷装置を解除してコールドスリープで救助を待つことになるのだが、いまこれを切ることは出来ないしハミルにこの作業が知れてしまうのもマズイ。
……でも、何故ハミルに知れるのがマズイのだろう?
ハミルと協力して調査すれば、作業は半分になるのに、自分の行動ながらなにかが引っかかる。
その何かとは、可能性の問題。
僕以外に、船に残っているのはハミルだけ。
そして僕を起こしたのもハミル。
その時、ハミルは既に船内着に着替えていた。
“まさか……”
僕は、僕自身が考えた仮説の一つを、このカメラが排除してくれることを願っていた。
カメラを外し、そして分解して、中からICチップを取り出す。
そして、それを解析するためPCにセットした。
直ぐに読み取り中の表示が出て、それから……!?
モニターに表示された画面は意外な物だった。
『このファイルを表示できません』
何度も試したが画面表示は変わらない。
違う方法で試してみても『このファイルを表示できません』から
『フォーマットが違います』
『プログラムのインストールが必要です』
『プログラムがありません』
『プログラムの一部が破損しています』と拒否られるだけで、画像が表示されない。
しかしICチップに中には確かに80ゼタのデーターが記録されていることになっている。
(※ゼタは10の21乗。ちなみにテラは10の12乗です)
“有り得ない!”
ICチップのケースは、放射線や磁力など全ての外的要因からデーターを守るため、特殊な加工が施されている。
だからもし、このデーターが読めないとするならば、原因はひとつ。
そう、宇宙船全体のPC環境を変更すること。
そして変更前のデーターを消去してしまえば、この船内にいる限り永遠にICチップのデーターは開けない。つまり、完全犯罪。
犯人は僕たちが……いや、僕がこのICチップの解析を行うことに対して先回りして対処しているということになる。
そして考えられる犯人像は2つ。
僕らを置いて船から脱出した連中と、もうひとつは船内に留まっているもの。
“いったい何のために……”
急に恐ろしくなり、僕はICチップを抜いたまま、カメラを元に戻してコクピットに戻った。
「長いお散歩ね」
なにかの作業をしていたハミルが、モニターから目を離し僕を見て笑った。
時計を見ると、僕が散歩に行くと言ってから既に3時間が過ぎていた。
地上なら何の不思議もないけれど、長距離用の宇宙貨物船とは言え船内着のまま行動できる範囲は限られているから、さすがに3時間は長い。
けれどもハミルは何の理由も僕に聞かなかったし、僕もハミルに何も言い訳はしない。
他人のプライベートに軽々しく立ち入らないのは、この様な長距離任務に携わるものが当然のように身に着けなければいけない、いわば“おきて” それはイザコザの原因を排除する目的もあるが、いざという時に人に左右されない冷静な判断をするために必要不可欠な能力。
「なにをしているの?」
僕はハミルの見ていたモニターを覗き込んだ。
それは、さっきまで僕が見ていたものと同じで、画面の中央に『プログラムの一部が破損しています』と書かれてあった。
「……これは?」
「うん。少し気になって監視カメラにセットしてあるICチップの解析をしていたんだけど……」
「駄目なの?」
「そうね」
ハミルは、PCからICチップを取り出しながら言った。
“なんだ、ハミルも気になっていたんだ”
そう思うと、なんだか少しホッとした。
どうやらハミルも自分を置き去りにした犯人が、僕か逃げだした仲間たちなのかと勘繰っていたらしい。そうなると、犯人は逃げ出した仲間たちと言う事になる。
「さあ、もう少しで惑星の軌道に入るから、着陸プログラムを確認しよう」
「そうね」