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大陸共通暦1767年:ベルネシア王国暦250年:初秋。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:南部国境付近。
―――――――
法王庁の仲介と聖冠連合帝国の斡旋により、ベルネシアとクレテアの外交官達が聖冠連合の帝都ヴィルド・ロナで講和交渉が始まった頃、国境付近では戦闘が続いていた。
敗北的講和を避けられないクレテアが少しでも条件を有利にしようとあがいていたし、ベルネシアはそうしたクレテアの意思を挫こうとしていた。
レーヴレヒト達は山林道脇の深藪内に潜み、クレテア軍の銃兵連隊本部中隊を待ち構えていた。山林道両脇に大量の爆薬を仕掛けてあり、レーヴレヒト達は小銃と擲弾銃と手榴弾を用意してひたすら待つ。
やがて、軍馬と馬車を伴った120名の四列縦隊がやってきた。敵連隊本部中隊だ。
レーヴレヒト達は敵連隊本部中隊をキルゾーン内に十分引き付け、攻撃した。
6人対120人は恐ろしいほど一方的な殺戮となった。爆薬の同時爆発が連隊本部中隊を飲み込み、巻き上げられた土砂と砕かれた人体が降り注ぐ。爆煙と粉塵が濃霧のように立ち込める中、レーヴレヒト達が擲弾と手榴弾と銃弾をバカスカと打ち込んでいく。
敵連隊本部は恐怖と混乱に打ちのめされ、立ち直る暇も許されず、為す術なく殺されていく。
恐怖に凍りついた悲鳴。凄惨な断末魔。壮絶な絶叫。混乱した怒号と罵声。そこへ覆い被さる銃声と爆音。飛び散る血肉。吹き飛ぶ肉塊。散乱する破壊された屍。
山林道はまるで肉屋の俎板みたいな有様になっていく。
時間にすれば、五分もなかっただろう。
レーヴレヒト達は攻撃をやめ、藪から山林道へ出た。
連隊本部中隊で立っている者は一人もいない。爆薬と弾幕で完全に粉砕されていた。
破壊しつくされた馬車と馬共々命を落とした敵将校達の死体を調べ、書類や手帳などを回収する。ついでにちょっとした金目の物も懐へ入れていく。こうしたインセンティブがなければ、兵隊稼業なんてやってられない。
レーヴレヒトが敵連隊長の骸から書類と手帳を回収し、ナイフで指を切り落として魔導術触媒らしい高価な指輪を奪う。流石にこれをヴィルミーナや家族へ贈る気はなく、売り飛ばすつもりだ。売れば良い額になるし、金はいくらあっても困らない。
転がった馬車の天板を蹴り除けると、若い娘が倒れていた。軍服ではなく、煽情的なドレスを着ていた。どうやら愛人か私娼らしい。
近代の軍隊は中世時代の悪癖を色濃く残していた。軍隊の移動や駐留に民間業者や娼婦達の追従を許し、高級将校や貴族将校が戦場へ妻や愛人を同伴させることも多かった。
もちろん、このように戦闘に巻き込まれて命を落とすことも珍しくなかったが、この手の犠牲は記録としても逸話としてもほとんど残らない。取るに足らないことだから。
レーヴレヒトはこれまでの残酷な戦場暮らしで何度も女子供を殺してきた。武器を持っていれば、それは『敵』だ。女子供として認識しない。破壊工作や襲撃で巻き添えにした女子供の数はどれ程にのぼるか考えたこともない。こんなことでレーヴレヒトの精神は揺るがない。
だが、その若い娘の亡骸を見た時、レーヴレヒトの無機質で病的な冷徹さに一瞬の間隙が生じた。
その刹那―――
「ちぇあああああああああああああああああああああああああっ!!」
すぐ傍の死体の山から、血塗れの男が飛び出して長剣を振るった。
意識に間隙が生じていたため、反応が遅れた。避けられない。とっさに判断したレーヴレヒトは即座に小銃をかざして斬撃を防ぐ。
が、男の直剣は金剛鋼製の業物だった。身体強化魔導術の加わった斬撃は、回転弾倉式小銃ごとレーヴレヒトを斬る。
「レヴっ!?」
仲間達が即応して男に弾丸を叩きこむ。男は大口径の椎の実弾を何発も浴び、頭と腕部を砕きもがれて倒れた。
「しくじった」
レーヴレヒトも左胸部上方から右脇辺りまでバッサリとやられ、女の屍の隣に倒れこんだ。
訓練で仕込まれた通り、ほぼ反射的に負傷具合の評価を図る。
付与込みの硬皮革製防護ベストまで紙のように裂かれている。負傷は初めてではないが、斬られたのは初めてだ。創傷部が熱いのに体自体は冷たくなっていくような……これは不味いな。急性出血性ショックだ。
急激な大量出血で意識が急速に遠くなっていく。聴覚が鈍り、視覚が暗くなっていく。
おい、しっかりしろっ! 回復剤だっ! 出血を止めないと死ぬぞっ! 急げよ、すぐに脱出するぞっ! レヴッ! 聞こえるか!? レヴッ!
仲間達の慌てる声も別世界から届いてくるようだった。
レーヴレヒトは仲間の手当てを受けながら、ただ茫洋と若い娘の骸を見ていた。
〇
白く高い天井。大きな窓から白いカーテン越しに降り注ぐ柔らかな陽光。シーツからは石鹸とお日様の香りがする。
そして、ベッド脇にヴィルミーナが座っていて、レーヴレヒトが四年間の従軍中に書き溜めた革張り紐綴じノートを読んでいた。
夢か?
レーヴレヒトは目を瞬かせる。
まあ、夢でも良いか。
今日のヴィルミーナは艶やかな薄茶色の長髪をポニーテールにして編み込んでいる。紺碧色の瞳は陽光を受けて麗しく輝いていた。すらりと均整の取れた肢体を白いフレアブラウスと黒いスカートで包み、軍の野戦コートをショールのように肩に羽織っている。
美しく成長した幼馴染。カーテン越しに差し込む陽光。時折聞こえるページをめくる音。窓の外から届く微かな雑踏。
レーヴレヒトはぼんやりと穏やかな気分でヴィルミーナを見つめていた。
「ん?」
視線に気づいたヴィルミーナが、ノートから顔を上げて眉根を寄せた。
「……起きた?」
「起きてた」とレーヴレヒトはぼんやりと返す。
直後、血相を変えてヴィルミーナはノートを放り出し、ダッシュで部屋から飛び出して叫ぶ。
「医者っ! 医者を呼んでっ! 早くっ!」
相変わらず忙しないなあ。
レーヴレヒトは優しげに微苦笑を湛える。
で。
医師の下した診断は―――。
顔色はまだ良くないし、お世辞にも体調がよくなさそうだが、病理学的にも外傷治療的にも、異常なし。半月も目を覚まさなかった理由は、過労と睡眠不足による体力低下が原因。しばらくは休養しつつ、体力回復に努めなさい。
「半月も寝くさり寄ってからに。何かの後遺症かと案じていたら、その理由が疲労と睡眠不足だと? 人をおちょくるにもほどがある」
医師の診断を終えた後、再び二人きりになったヴィルミーナは、腕組みしてつらつらと不満を並べていく。
レーヴレヒトは上体を起こしてベッドのヘッドレストに背中を預け、しれっと謝った。
「すみません」
ヴィルミーナは機嫌を直さない。表情筋を巧みに操って不満の意を表現する。
「心配させるのはこれで二度目よ。三度目はないからね」
「最初の件は君のとばっちりだった気がするけど」
「……だとしても、心配させたのは二度目だから。そこは変わらないから」
目を泳がせつつ強弁で押し切るヴィルミーナ。
「そういうことにしておくよ」
レーヴレヒトは控えめに微笑み、どうでもよさそうに尋ねた。
「戦争はどうなった?」
「レヴ君が撃たれてから三日後くらいに暫定停戦になった。ひとまずクレテア人は国境向こうへ帰ったわよ。こっちは国境付近に部隊を展開して睨み合い中。後はヴィルド・ロナでの講和交渉次第ね」
「やれやれ。あと三日上手くやっていればよかったのか。泣けるな」
ぼやくレーヴレヒトに、ヴィルミーナは小さく微笑む。機嫌を直したらしい。椅子を動かしてぴったりとベッドに寄り添い、レーヴレヒトの頬を撫でた。
「助かって良かった」
「俺もだ。こうしてまた君に会えて嬉しい」
恥ずかしげもなくさらりと言うレーヴレヒト。
イケメン小僧め。ヴィルミーナはもにゅもにゅと口元を動かした後、ふ、と息を吐く。そして、表情を引き締めて、問う。
「何があったの?」
レーヴレヒトは胸元にまかれた包帯を撫でながら、ぽつりと吐露する。
「集中力が切れたんだ」
特殊猟兵はどんな極限環境でも極限状態でも、集中力を切らさず思考力を維持できるよう、徹底的訓練されている。加えて、任務中は精神系魔導術や薬物すら使う。
それでも、人体的限界は存在するし、ふとしたきっかけで集中力や思考力が鈍る。
「誤解を恐れずに言えば、俺はこの四年の間に大勢殺した。戦闘員も非戦闘員も。男も女も。子供も老人も。赤ん坊も妊婦も病人も。大勢殺したんだ」
ヴィルミーナは何も言わない。
「この手で直接、相手を絞め殺したこともある。少年兵の喉笛をナイフで切り裂いたこともあるし、女性兵士の顔面を銃床板で殴り潰したこともある。妊婦を撃ち殺したことも、赤ん坊がいる建物を焼いたこともある」
レーヴレヒトの声には後悔も反省もない。ただ事実を述べる淡白さだけだ。
「大勢の、百人以上の難民が渡河中の橋を吹き飛ばした。民間人が退避中の街区に砲弾を撃ち込ませた。ヴィーナ。俺は本当に大勢殺してきたんだよ」
「それが貴方の務め」
「そう。俺の務めだ。命令された仕事を遂行する。事の正否は関係ない。俺達、特殊猟兵は猟犬ですらない。人の姿をした兵器だ。道具は事の善悪など求めないし、気にもしない」
ヴィルミーナの指摘に首肯し、レーヴレヒトは淡々と続けた。
「そうはいっても、道徳的問題や倫理的苦悩に苦しむ奴はそれなりにいた。でも、俺は気にならない。俺の優先順位は常に家族と君が最上で、他の命の生死は些末なことだから。女子供老人その他を殺しても、全く気にならない。後悔したこともないし、悪夢を見てうなされたことも、一度もない」
ふ、とレーヴレヒトは息を吐いて、
「あの時も一個中隊を殺した。それも気にすることじゃない。だけど、その中にいたんだ」
深い青色の瞳がヴィルミーナをまっすぐに見つめ、
「君と同じ髪の色をした、君と同じ背格好の女が。軍服ではなくドレスを着た若い女が」
言った。
「瞬間、脳裏に君が浮かんで、任務への集中力が切れた」
レーヴレヒトの端正な顔に浮かんだ表情は、これまで見たことがないほどに感傷的だった。
ヴィルミーナは心をゆっくりと深呼吸して、レーヴレヒトの手を握った。
冷たい手だった。指や手のひらには銃やナイフを扱うために出来たタコがいくつもあった。よく見れば細かな傷痕が多い。切り傷、擦り傷、火傷……きっと体のあちこちにもあるのだろう。
美しい手だ。
前世で雇ったPMCの護衛もこんな手してたなぁ。本人へ「戦士の手ね」と告げたら、筋肉ゴリラが頬を赤くして照れたっけ。
生き様が表われた手は美しい。農家だった祖父や父の手、その妻である祖母や母の手は美しかった。仕事で接した職人や作業員達の手も美しかった。日に焼かれ、土や油で肌が荒れ、タコやシミだらけだった彼ら彼女らの手には、生きた人生が表れていた。
私の”秘密”の共有者。私の大事な理解者。私の大切な盟友。
私が甘えられる貴重な一人。私が頼ることができる貴重な一人。私が恃むことが出来る貴重な一人。私が無条件に信じることが出来る特別な一人。
私は彼が弱さを見せられる、たった一人の特別な……
私も彼も、互いを特別に……
不意に、ヴィルミーナの強烈な利己主義と強欲さが問いかける。
彼を手に入れなくていいの? 自分が他の男と一緒になることを、彼は受けて入れてくれるけれど、私は? 彼を他の女に取られてもいいの? 彼が他の女と家庭を築くのを許せるの? 彼が自分以外の誰かと人生を築くことを、受け入れられるの?
無理。絶対に、無理。嫉妬に狂わない自信がない。後悔と自己嫌悪を抱かずにいられる自信がない。自分以外の女を選ぶ彼と、その女を憎まずにいるほど自分の人格は高尚じゃない。
前世、大学を卒業する時に”彼”の誘いに応えていれば、と思ったことは何度もある。何度もある。帰りを待つ者がいない家に帰った時、広いコンドミニアムの中で一人過ごす時、夜、1人でベッドに入った時、衝動的に考えてしまう。
あの時、あの瞬間に違う選択肢を採っていた人生を想像してしまう。後悔と共に。
また、同じ後悔を抱く? 絶対に嫌や。絶対に、嫌やっ!!
この決断は別種の後悔を抱くかもしれない。失望と落胆に苛まれるかもしれない。
でも、そうならない可能性だってある。
派閥闘争に巻き込まれて出世ルートから脱落した時だって、地獄の海外行脚から復活したことだって、予想はできなかった。
なら……答えは一つや。
美しいレーヴレヒトの手を柔らかく握り、
「私を想って死にかけるとか、夢見が悪くなることは止めてほしいわね」
ヴィルミーナは冗談めかして微笑んで、続けた。
「前にも言ったけれど……私。君と家庭を築く想像が出来ないわ」
「俺もできないな」
レーヴレヒトは微苦笑気味に首肯した。
「だけど、気が変ったわ。レヴ君を放っておくと、私の精神衛生に良くないもの」
ヴィルミーナは指を絡ませるようにレーヴレヒトの手を握り直し、
「想像できないことに挑戦しましょう。失敗するにせよ、成功するにせよ。きっと面倒で大変で厄介で鬱陶しくて、すごく楽しい」
目を瞬かせるレーヴレヒトへ、にんまりと不敵に笑いかける。
「レーヴレヒト・ヴァン・ゼーロウ様。私、王妹大公令嬢ヴィルミーナ・デア・レンデルバッハ・ディ・エスロナを婚約者にしてくださいますか?」
その告白を受けた時のレーヴレヒトは、脳震盪を起こした鳩みたいな顔だった。
理性主義者で理知的で万事に無機質なほど冷静なレーヴレヒトが、驚愕のあまり思考停止状態に陥り、そのまま、かくん、と頭を垂れて意識を飛ばした。どうやら驚愕ついでに再び体力的限界が来たらしい。
「――――は?」
ヴィルミーナは猛烈な不満を込めた憤慨面を浮かべ、声を荒げた。
「婚約の告白を受けて失神するとか……なによそれ―――っ!!」
〇
ヴィルミーナの大規模仕手戦とヌシェーブル会戦の敗北以来、クレテアは物心共にへし折れていた。通貨価値の暴落であらゆる物の値が高騰している。食糧生産をしている一次産業従事者はともかく、都市生活者は既に日々の食事にも事欠く有様だった。
「麦と綿を売れない、てどういうことだよっ! 倉庫内にあるんだろっ!?」
「ダメだダメだっ! ここの倉庫内の品は全て売約済みなんだよっ!」
客と商人のこうしたトラブルがあちこちで生じていた。
先物取引で売約されている小麦と綿が順次、聖冠連合の業者へ引き渡されていく。さながら飢餓輸出のような有様だった。
輸出された小麦と綿は半数以上がベルネシアへ流れ、もう半数が再びクレテアへ売られた。凄まじく高騰した価格で。値上がり前に購入したクレテア産麦と綿を、値上がりしたクレテアに売りつける。泣けてくるほど悪辣な商売であろう。
刻々と締め上げられ、悪化していく大クレテア王国。聖冠連合帝国の帝都ヴィルド・ロナで行われている講和交渉は進展が見えない。
そんな中、暦は夏から秋へ移り―――
初秋の朝、大クレテア王国内全ての教会が弔鐘を鳴らした。
国王アンリ15世が崩御したことに多くの民衆が冥福を祈りつつ、王の死を機に国がベルネシアとの戦争を終わらせることを祈った。
「父上が死んだ」
王太子アンリ16世は玉座の脇に立ち、謁見の間に居並ぶ諸侯諸将諸官へ告げた。沈痛な面持ちで俯く彼らに続けて告げる。
「父の葬儀。俺の、いや、余の即位について、卿らに準備を命じる。と言いたいところだが……」
ふてぶてしく鼻息をつき、王太子アンリ16世は玉座に着いた。皆がどよめく。王太子といえども即位式まで玉座に着くことは許されないのだが……
「宰相マリュー、国王代行として命じる。講和交渉をまとめ、此度の戦役にケリをつけろ。こちらの面目を保つようにするなら、多少の不利は妥協しよう」
殿下ッ! と諸侯諸将が悲鳴を上げる。文官達はどこか安堵の面持ちを浮かべた。
「此度の戦は負けだ。いい加減に認めろ」
アンリ16世は二十歳にも届かぬ小僧とは思えぬ貫禄と偉容で皆を睥睨し、告げる。
「不満がある者は領地へ帰って謀叛の支度をするがいい。余は即位後の初仕事として粛清を始めよう。卿らの財産を没収すれば、財政を焼く炎も多少は勢いを落とそう」
小太りな小僧から発せられた恐るべき発言に、領地貴族達は身を震わせた。諸侯の力を削ぐどころか潰すことすら企図している。そう告げられたのだから、当然だろう。
続けて、アンリ16世は文官達へ目を向けた。
「財政を今すぐ立て直せ、とは言わん。が、これ以上の延焼を防ぐ術を講じろ。必要なら講和交渉を利用しても良い。このままでは大蜂起の再来だ。それは避けたい」
それから、少し間を置いた後、アンリ16世は言った。
「此度の敗北は卿らの想像も及ばないほど大きな苦難を生むだろう。今後、5年、10年と我が国を苦しめるはずだ。そのことを肝に銘じ、余を支えよ、国を支えよ。全てはそれからだ」
居並ぶ臣下達は畏敬するように頭を垂れた。
宰相マリューは内心で安堵する。自身の進退は分からないが、国難を迎えた中、次の王が暗君ではないことに、安心感を抱いていた。
〇
大陸共通暦1767年・秋。
大クレテア王国とベルネシア王国の間で、ヴィルド・ロナ条約が結ばれた。
1766年から67年にかけて行われたベルネシア戦役の講和が成立。戦争が終わった。
条約内容は両国間の領土割譲(外洋領土含む)や戦費賠償のやり取り無し。
付加条項を挙げるならば……
ベルネシア側はクレテアに自国主導の通商条約を飲ませ、クレテア市場の門戸を開かせた。事実上、自国商圏と経済圏にクレテアを取り込んだことになる。
なお、ベルネシアは5万強のクレテア兵捕虜を貴賤問わず戦後復興の強制労働に駆り出し、戦犯の法的処分(死刑含む)を行った。
最後に、両国の犠牲者について語っておこう。
大クレテア王国。
死傷約14万人。この犠牲に民間人や軍属者は含まれない(というかそもそも統計記録がない)
ベルネシア王国。
死傷約6万強。徴兵や学徒など銃後の人材の損失も少なくない。
たった一年弱の戦争期間内で両軍合わせて約20万の死傷。戦争の多い魔導技術文明世界の近代でも、短期間にこれほどの犠牲が生じた例は少ない。
クレテア側の死傷率の高さはベルネシア側の兵站破壊と空襲により、物資欠乏と暖を取れない環境に追いやられての傷病死が多かった。
むしろ、純粋に戦闘で死亡した比率はベルネシア側の方が高い。血みどろの防御戦を繰り広げたために多くの戦死者を出した。
後世の歴史家達は、このベルネシア戦役を『魔導技術文明世界における戦争形態の転換点』と見做した。
帯型野戦築城陣地。航空戦力と陸上戦力の有機的連携。兵站破壊。戦略爆撃。特殊部隊。
たしかに、後世の戦争に大きな影響をもたらした事実は大きい。
だが、歴史家達がベルネシア戦役で最も注視する点は、この戦争によって『白獅子』財閥が勃興し、クレテアへ仕掛けた大規模仕手戦によって莫大な資金を手にしたことだった。
『白獅子』を生み出した戦争。
言い換えるならば、
ヴィルミーナ・デア・レンデルバッハ・ディ・エスロナという女が、世界で暴れる力を手にした戦争。
それがこのベルネシア戦役だった。
長く続いた戦争編はようやく終わり。




