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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第1部:少女時代

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79/336

8:6

大陸共通暦1767年:王国暦250年:春。

大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム

 ――――――――――――――――――――――――

 午前3時。クレテア軍、春季攻勢開始。


 ヴィルミーナの許へ報せが届いたのは一時間後。王妹大公屋敷で就寝中だった。

 家人に起こされたヴィルミーナはナイトガウンの上にショールを羽織り、情報を持ち込んだ麾下職員から直接報告を聞く。

 そして、

「御苦労様。しかし、可能ならば、もう30分早く報せが届くようにして。経費はいくらかかっても構わない」


「はっ! 善処しますっ!」

 麾下職員を見送り、ヴィルミーナは夜番の家人に休むよう告げ、1人で調理場へ向かう。魔導灯を点し、魔導術ではなく水瓶から薬缶へ水を汲みいれ、魔道具を使って火を起こし、お湯を沸かし始める。


 不便やな。


 魔道具という破格の器具があってなお、現代日本に比べて恐ろしく不便だ。何をするにも手間と時間が掛かる。特に不便なのは情報の入手だ。即時性の高い高速通信機器と高度情報機器を知っている身としては、一時間の誤差など耐えがたい。


 しかし、電話の作り方なんて知らない。パソコンなんか逆立ちしたって開発できない。集積回路もマザーボードやハードディスクも液晶ディスプレイの作り方なんか知らない。


 原理的なものはどこかで聞きかじった気がするが、どのみち、鋼鉄すらろくすっぽ量産できない社会でどうやって作れっちゅうねん。

 ヴィルミーナは額に手を当てて嘆息をこぼす。


 落ち着こう。まだイラつく時やない。


 薬缶が勢いよく湯気を吐き出し始め、ぽこぽこと沸騰する音色を奏でた。火を落として珈琲を淹れようかと思ったが、この時代にはインスタントが無いことを思い出し、再び嘆息を吐いて御茶にした。

 御茶を淹れ、花蜜を淹れて掻き混ぜる。


 不意に、強い腹痛を覚えた。

 下腹部から胃まで強く締め上がられる感覚。生理とは違うキリキリとした痛み。強烈な不快感と不安感。


 計画通りにいくかどうかは前線で戦う将兵に懸かっている。この国も運命も、私の全財産も麾下組織の社員達の生活も、全てが前線で戦う人々の献身と勇気と犠牲に懸かっている。

 自身の命運を完全に他人へ委ねる、この強烈な不安感。心を削っていく鋭い苦痛。何度経験しても、決して慣れない。


 それに、今回は未知の不安もあった。

 レーヴレヒトや多くの知人達が今、この瞬間に死ぬかもしれないという恐怖。そして、この恐怖を払う手段が何一つ存在しない。自分には何一つ出来ることが無い。

 ただ待ち、ただ耐える以外に出来ることが何も、無い。


 ふと、ルシアの言葉が脳裏に浮かぶ。

 ――私達の子供達も、いずれ戦場に行くことになるのかしら。


 ヴィルミーナは手の震えを堪えながら、御茶を口に運ぶ。熱さとハーブの風味と花蜜の甘みが少しだけ心を慰めてくれる。


 なるほど、特権階級の連中が肉親を戦場へ送らないよう手を尽くすわけだ。

 どれだけ権力や金を持っていようと、一旦、戦場へ行ってしまえば何もできない。この途方もない無力感。この耐え難い不安。心を苛む巨大な苦痛。辛すぎる。


 先人達は如何にして耐えてきたのだろう。想像もつかない。

 ヴィルミーナは両手で包むようにカップを持ち、御茶を口に運ぶ。

 まだ、始まったばかりだ。


      〇


 小街区オフィスは恐怖に似た緊張感に満ちていた。

 大会議室にはドデカい板が運び込まれ、手書きされた戦況図が描かれている。二色のピンが大量に差してあり、持ち込まれる戦況情報に基づいて修正された。


 他には数枚の黒板が運び込まれていて、それぞれの黒板には国債価格や先物の金額、金の換金率などが記入され、こちらも情報に合わせて絶えず修正されていた。


 アレックス達側近衆も麾下事業の幹部達も、持ち込まれる情報とその結果の動きに一喜一憂している。

 忙しなくお茶や珈琲を飲む者。忙しなく煙草を吹かす者。常に何か食べ物を口に運ぶ者。爪を噛む奴、ペンを噛む奴。幾度もトイレへ向かう奴にうろうろと動く奴。


 デルフィネとリアは握りあった手を離さない。ニーナはヴィルミーナの傍に座り、戦況図と黒板を見てはヴィルミーナの顔色を窺っている。他の側近衆達も幹部達も似たようなもので、誰も彼もが一喜一憂しながら、ヴィルミーナに注意を向けていた。


 だから、ヴィルミーナは落ち着いているように振舞うしかなかった。

 部下に支えられて立つタイプのリーダーなら、ここで慌てふためいた方が、むしろ部下達は冷静になるだろう。こいつを支えるためにしっかりしなくちゃ、と気を引き締めるからだ。


 しかし、率先垂範で部下を牽引したり、指示出しして部下を動かしたりするタイプのリーダーは動揺を許されない。部下が余計に不安を強めてしまうからだ。


 ヴィルミーナは確実に後者だった。今更、前者にはなれない。ここで慌てふためいたりしたら、事業幹部達は二度とヴィルミーナの大勝負を許さなくなる。それどころか、下剋上やクーデターを企む奴も出るだろう。金の世界はピラニアやハイエナが可愛く見える輩ばかりだ。


 長テーブルの端に座るドラン青年が不意に口を開いた。

「ヴィルミーナ様。散歩に行っては如何ですか? 何か甘いものでも召し上がってきては?」


 全員が呆気にとられる。ヴィルミーナすら目を瞬かせた。


「お、お前は状況が分かっているのかっ!?」

 幹部の一人が顔を真っ赤にして怒鳴った。


「お歴々も、少し気晴らしをされてきた方が良い。何、魔導通信が出来る者が傍に居れば、この場にいる必要はありませんから。大丈夫ですとも」

 ドラン青年は怒鳴られても平然と言った。その毒気のない顔とやたら冷静な口振りに怒鳴った幹部の方がなだめられてしまう。


「ふ、ふふ、あははははは」

 ヴィルミーナは高らかに笑い、

「分かった。小一時間ほど出てくる。もしも緊急事態が入ったら魔導通信で連絡して。指示を出すから」

 冷たく輝く紺碧色の瞳でドラン青年を見据えた。


「ドラン君。この場を君に預けます。もしも、私に連絡取れず、即断を要求されたならば、君に判断を委ねるわ。責任は私が負う。気兼ねなく決断を下しなさい」


「ヴィーナ様っ!?」「ヴィルミーナ様っ!!」

 アレックス達側近衆も幹部達も悲鳴染みた声を上げた。ドラン青年は新参者の若造だ。その新参者の若造に全ての命運を預けるといわれれば、まあ、そりゃ古参の彼ら彼女らは悲鳴も上げよう。


「皆さん、落ち着いてください。もしもの時に憎まれ役をやるなら、新入りの私が適任、それだけですよ」

 さらっと説明して微笑むドラン青年。

 全員が唸りつつも口を噤む。たしかに、一理あった。


 くすくすと喉を鳴らし、ヴィルミーナは腰を上げて告げた。

「誰か魔導通信機を持って一緒に来なさい」


「で、では……わた、いえ。ニーナ、行って」

“侍従長”アレックスはあえてニーナを指名した。自分はこの場に残って、ドラン青年を見張るつもりなのだろう。ニーナも察したのか、即座に首肯した。


「あの、私も御一緒して良いですか?」

 デルフィネがおずおずと言った。リアもこくこくと頷く。小動物っぽくて可愛い。


「良いわよ。一緒に散歩しましょう」

 ヴィルミーナは幹部達へ顔を向け、

「皆もずっと気を張ってきたでしょう。少し息抜きしてきなさいな。なんなら、愛人のところへ行ってひと勝負してきなさい」

 下世話な冗談を飛ばした。


 幹部達は思わず苦笑いをこぼす。この状況で愛人のところへ行く奴がいたら、それこそ語り草になるだろう。


「じゃ、少し外すわね」

「ごゆっくりどうぞ」

 ドラン青年に見送られ、ヴィルミーナは会議室を出ていく。

 クライフめ。ええ人材寄こしよってからに。たっぷりこき使ったろ。


 ヴィルミーナは楽しげに喉を鳴らし、怪訝そうに眉根を寄せるニーナ達へ言った。

「小腹が空いたわね。皆は何が食べたい?」


      〇


 春季攻勢における戦闘の重点は突出部のイストリア義勇兵団陣地だった。


 クレテア軍はイストリア人義勇兵団を過小評価していた。

 所詮、他人の戦争に駆り出された連中、死に物狂いで戦うわけがない。一突きすればすぐに逃げ出すか、降伏するだろう……


 ところがどっこい。


 イストリア人義勇兵団は凄まじいまでの闘志を見せた。

 その頑強な抵抗に撃退されたクレテア軍部隊は毒づいた。

『イストリア人が弱っちいって抜かした奴は誰だっ! ベル公より始末に悪いじゃねーかっ!』


 攻勢開始直前に指揮官や参謀といった将校の大損失も、この苦戦をもたらしていた。

 指揮統率とは本来、専門教育と訓練で習得する立派な技能である。大人数ともなれば、それこそ、専門技能である。付け焼刃で出来ることではない。


 臨時指揮官を送り込んでも支える幕僚がいなかったり、幕僚が居ても意思疎通を図る時間がなかったりしたため、部隊指揮はちぐはぐな有様になっていたのだ。各部隊は連携を欠いた単純な押し攻めに終始していたのだ。


 それでも、攻勢開始から三日目。イストリア人陣地がついに崩れた。

 兵力差に耐えきれず、イストリア義勇兵団は半数の死者を残して予備陣地へ脱出。クレテア軍が突出部から後方へ通じる突入路を切り開いた。


 しかし、イストリア人はとことんしぶとかった。予備陣地にこもった後は一歩も引かず、それどころか陣地回復を企図した逆襲までする始末。銃剣突撃がやたら上手かったという。


 このため、クレテア側は切り開いた突入路の拡大に失敗し、意図していた大突破にしくじった。

 ただし、予期せぬ成功もあった。

 助攻面である近衛軍団陣地の一角を突き破ることに成功。ランスベールはその穴へ装甲兵大隊を強引に捻じ込んだ。


 装甲兵達は自らの体を防塁とし、近衛軍団の反撃を押し留めた。24時間後、ベルネシア飛空船の集中爆撃で装甲兵大隊は全滅した。その犠牲が稼いだ24時間に、クレテア軍第9師団が突出部から前進。泡食ったベルネシア飛空船部隊の阻止空爆を浴びながらも、なんとか防衛線後方のメローヴェン要塞眼前まで到達した。


 この報せに大クレテア王国の王宮は喝采に沸き、クレテア国債が爆発的に値を上げた。この頃、既にベッドから降りることも厳しくなっていたアンリ15世も、この報せを大いに喜んだという。


 勝利を確信した彼らが祝杯を挙げた翌日。

 凶報が届いた。


 突出部での成功と反比例するように、防衛線突破口を巡る戦いが最悪の状況へ至っていた。


 クレテア側の記録によれば、突出部からの進出に成功したその日の夜。突破口右翼側に展開していた部隊と対空回廊を形成する対空部隊の一つが、一晩で壊滅、翌朝にはベルネシア軍が橋頭堡を築いていたのだ。

『夢なら醒めて』と参謀長は記している。


 何が起きたのかを知るべく、ベルネシア側の記録に目を通してみよう。突破口右翼の橋頭堡へ展開した部隊の日誌には、次のように記録されている。


『特殊猟兵戦隊から連絡が届き、我々は前進した。敵陣へ踏み入った時、既に特殊猟兵の姿はなく、敵は将校も下士官兵も少年兵も軍夫も一人残らず殺されていた。誰一人、生きてはいなかった』


 そして、突破口の対空回廊に生じた空白から、数隻のベルネシア軍飛空船が強引に突入。そのまま落着し、船体をトーチカとして突破口を閉塞した。


 この瞬間、クレテア軍は防衛線の内と外に分断され、突出部に展開した10万人近いクレテア軍が補給を断たれた。



 誰よりも早く突破口の閉塞成功の報せを入手し、小街区オフィスの全員が湧いた。ヴィルミーナも密やかに拳を握りこむ。


 これで突出部のクレテア軍はもう動けない。あとは突破口の戦況次第だが、あの船型トーチカなら大丈夫。イストリアから調達した鋼板とゴブリンファイバーを重ねた原始的な積層装甲を張り巡らせてある。クレテア軍の火砲に耐えられることも確認済み。送り込んだ兵士は装甲兵達で、そう簡単にはやられない。橋頭堡と両側から支援もできる。


 舞台は整った。

 クレテア軍が突破口を再奪取できるか。ベルネシア軍が外洋派遣軍到来まで持ち堪えられるか。全てはそこに懸かっている。

 ここから数日が本当の山場だ。


    〇


 突破口を巡る戦いを表現する言葉は、『死闘』以外にない。

 クレテア軍は防衛線の内外から挟撃を掛け、死に物狂いで再奪取を図った。

 ベルネシア軍は閉塞した突破口の維持に死力を尽くした。


 装甲化された飛空船で送り込まれた装甲兵部隊は、指揮官の名前をとって『デルサール戦闘団』と名付けられていた。


 当然ながら、彼らには莫大な量の砲弾を叩きつけられた。が――

「? ? ? なんだありゃあっ!? 砲弾を当ててもびくともしねえぞっ!?」

「鉄板が張り付けてありやがる。面倒臭ぇもん持ち込みやがってっ!」


 驚愕するクレテア軍側は知らなかった。飛空船を覆っているのは鉄板ではない。イストリア製鋼板とゴブリンファイバーを重ねて鋲止めした原始的積層装甲だ。この時代の未熟な砲弾にことごとく耐える。むろん、確率論と様々な要素から破壊された場所は少なくないが。


 飛空船トーチカを屋根とし、モグラの如く掩体壕を掘って土嚢を積み重ねた装甲兵達は、何時間も何時間も降り注ぐ砲弾に耐えた。そして、砲撃が止むと突撃してくるクレテア兵達を血みどろの白兵戦で返り討ちにし続ける。


 死体の多くはその場に放置され、再開される砲撃で破壊され、大地に撒かれる。戦後、この辺り一帯の植生が非常に豊かとなった(ただし一世紀以上、林業や農業に利用されることはなかった。不発弾や弾殻片が多すぎたためだ)。


 当初、攻撃は日中だけだったが、四日目を迎えた時、夜襲が始まった。

 飢えの恐怖が現実になってきた突出部のクレテア兵達が躍起になって攻撃する。かくして、装甲兵達は昼も夜も戦闘に明け暮れた。しまいには飯と一緒に覚醒薬物が出される。薬物の力を借りねば、肉体的にも精神的にも耐えられない極限状況だった。


 あまりに過酷な戦況のため、デルサール戦闘団の将校達は士気を維持すべく、幾度も兵士達へ作戦の意義と意味を語って聞かせ、わずかな戦闘停止時間に兵士達を休ませて自らが歩哨に立った。


 この時『将校は兵士の何倍もタフでなければならない』という認識が確立された。戦後、ベルネシア軍将校教育は余計にキツくなる。


     〇


 つまるところ、この春の戦いは、外洋派遣軍の到着をどのような戦況で迎えるか、という点に尽きる。


 ランスベールとしては突破口の兵站を維持し、突出部から前進。外洋派遣軍と会戦で決着をつけることを望んでいた。

 クーホルンの方は、突破口を閉塞して突出部のクレテア軍を掣肘。外洋派遣軍をもって突出部の包囲撃滅を企図していた。


 外洋派遣軍が到着した際に突破口を確保していた方が勝利を得る。ゆえに、春季攻勢の勝敗は突破口の戦いに掛かっている。

 ここまでは両軍の想定通り。


 ランスベールの予想外だったことは、兵力的限界にあるベルネシアが捨て駒戦法染みた強引さで閉塞を図り、それが半ば成功したことである。

 クーホルンの予想外だったことは、近衛軍団陣地が突き崩されてクレテア軍がメローヴェン要塞線まで進出してしまったことである。

 両軍の総司令官は、この予期しえなかった状況の対処に苦心していた。


 そんな戦況の中、メローヴェン要塞線付近まで進出したクレテア軍第9師団の師団長ペロー将軍は、焦燥感に駆られていた。

 ペロー将軍は前任師団長がベルネシアの準備破砕砲撃で行方不明になり、急遽、師団を任された人物だった。


 彼の危惧は第9師団が全部隊の先頭にいながら、物資充足率も補給率も最低状況にあることだった。輜重段列は前線へ届くまでに損耗し、あるいは、中抜きされたりしている。

 既に、部隊の物資は危険域に到達している。なんとかせねば。


 何よりも、このまま停滞していたら、せっかく脆弱な敵後背へ進出したのに、ここで足踏みしていたら敵が態勢を整えてしまう。貴重な時間が失われてしまう。

 手柄が無駄になってしまう。武勲を得られなくなってしまう。なんとかせねば。


 ペロー将軍は考えた。


 我が軍は兵力的には圧倒的優位なのだ。ベルネシアには既に予備兵力は存在しないのだから、物資不足になろうと前進することに問題はない“はず”だ。

 敵に戦力が無いのだから、ちまちまと街や拠点を制圧していく必要などない。ベルネシア人がスノワブージュで示したではないか。何も制圧や占領をせずとも良い。戦略的機能を破壊できれば、同義なのだと。


 街や拠点を迂回し、一気呵成に王都まで攻め上がってしまえばいい。その事実だけでも前線のベルネシア人達に抵抗の意志を挫ける“だろう”。それに、外洋派遣軍を『祖国救援に間に合わなかった』という後悔と屈辱に沈められる。


 何よりも。何よりも、だ。

 




 吾輩の手でこの戦争の勝利を決定づけられる。子々孫々末代まで語られる大手柄ではないか。



 ペロー将軍は決断した。

 「前進じゃあああああああああああああああああああっ!」


           〇


 かくして戦史に刻まれた『ペローの突進(ペローズ・プッシュ)』が起きた。

 この『ペローズ・プッシュ』は後世の専門家達が度々議論に俎上させる代物で、当時も大勢を困惑、混乱、驚愕させた。

 その中でも最も驚いた人間の一人が、大公令嬢ヴィルミーナだった。


「え? 攻めにでた……? え?」

 ヴィルミーナは報せを聞いて愕然と凍りつく。

 この完全に想定外な事態の発生は、国債暴落計画を完全に狂わせてしまう。国債価格のカギが突破口の戦いや外洋派遣軍ではなく、この突進になってしまったら取り返しがつかない。


 背後を遮断されたんやぞっ! 普通は足を止めるやろっ!? 現地徴発がデフォルトの時代やからて、補給線を無視して前進させるか、普通っ!? 意味が分からないっ! なぜ、なんで? 訳分からんわっ! なんなんや、この理不尽な事態はっ!?


 動揺のあまり、賭博黙示録の如く『ぐにゃあ』と精神と表情がヨレる中、奇麗な顔を引きつらせたアレックスが声を掛けてくる。


「ど、どうしますか、ヴィルミーナ様。クレテア国債、為替、先物、いずれもどんどん値上がりしてます。買い注文が殺到してますから、売りに出せば即座に売れると思いますが……」


 は、となんとか我に返り、ヴィルミーナは首をブルンブルンと横に振った。

「―――――だめよっ! 今売っても私が儲けるだけで、クレテア国債を暴落させられないっ! まだ、まだ機を待つわよっ!」


 ヴィルミーナは指の感覚が痺れるほど強く拳を握りしめ、戦況図を睨む。

 うううううううううう……っ!

 だ、誰でもいいっ! 誰でもいいから、こいつらを今すぐ叩き潰してっ!!


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