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大陸共通暦1757年:ベルネシア王国暦240年:晩夏。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国北部:王都オーステルガム。
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ベルネシア王国は四つの宮殿を持っている。
王都中枢街にある王国府宮殿(曰く世界一豪華な行政施設)。
王都郊外にある王家の執務兼住居宮殿エンテルハースト宮殿。
王国西部にあり、歴代王室が夏の離宮として用いているヘルダーロッテ離宮。
王国北部にあるウルガム離宮。
王族がオーステルガム宮殿に顔を出すことは公式行事の時だけだ。王家は基本的にエンテルハースト宮殿にいる。このため、ベルネシア人が『王宮』と言えば、エンテルハースト宮殿を指す。
この日、このエンテルハースト宮殿の雅な西庭園で私的な茶会が催された。
色とりどりのドレスと礼装に身を包んだ少年少女達は、例外なく高位有力大身貴族の子女達だった。
その中心にいるのは、主賓たる第一王子殿下。その周りには側近候補である令息達と婚約者候補の令嬢方。その周りには、側近候補の令息達と婚約者候補の令嬢方の取り巻きになる子供達。高位有力大身貴族の子女達だけあって、大半の子達が立ち回りを心得ている。
そんな様子を少し離れたところのテーブルに着き、ヴィルミーナは紅茶を飲んでいた。赤と黒の二色ドレスが良く映えている。もっとも、ヴィルミーナは醒めた面持ちをしていたが。
子供が無自覚におっさんおばさんの茶会と同じ光景を再現するって、カリカチュア的で怖いわ。いや、末頼もしいと思うべきかしら……帰ったらお母様に思い切り甘えよう。あ? 中身ウン十歳の癖に? 外聞ものぅ甘えられるゆぅんは素敵なことなんやで。それに……
ヴィルミーナは茶会会場の西庭園周囲をさりげなく窺う。
会場で働く使用人に混ざり、王家の侍従や国王夫妻付らしい執事や侍女の姿がちらほら見える。おそらくは『採点官』だ。子供達の立ち居振る舞いを採点し、査定しているのだろう。側近や婚約者に相応しいか。
まあ、必要なんは分かるけどぉ……ええ気分はせぇへんなぁ。
ヴィルミーナが倦んだ気分で茶を啜っていると、美少年達がやってくる。
先頭に立つのはベルネシア王国第一王子エドワードと側近候補達。
大名行列ならぬ王子行列ね。とヴィルミーナは内心でしょうもないことを思いつつ、億劫そうに立ち上がり、眼前に到達したエドワード王子に上品なカーテシーを行なう。
「殿下の御尊顔を拝謁させていただき、恐悦至極でございます」
将来は正統派イケメンに成長するだろう美少年は不敵な微苦笑を浮かべた。
「よしてくれ、ヴィーナ。君にかしずかれても空々しいぞ」
「あら、お言葉ですこと」
ヴィルミーナはあっさりと礼節を放り出しつつも、男性であるエドワード王子のエスコートで椅子に腰を下ろす。
「楽しんでいるか?」
「ええ。今はたくさんの美少年に囲まれて御満悦、と言いたいところですけれど、華やかすぎて少々目が眩みます」
ヴィルミーナの迂遠な言い回しに微苦笑し、第一王子エドワードは周りの少年達に告げた。
「しばらくいとこと二人で過ごす。卿らは知己を広げ、交友を深めてくるといい」
少年達は少し不満そうにしつつも、恭しく一礼し、会場の方々へ散っていった。ただ、護衛の役割を担っているらしい近衛軍団長の令息など幾人かが傍に残っていた。
「これでいいかな、ヴィーナ」
「お気遣いどうも、エド」
同い年のいとことして応対し、ヴィルミーナはカップを口に運ぶ。
「側近候補はもう決まったみたいね」
「マルク、ユルゲン、カイ、ギイ。この四人は決まりだろう。以前から王宮に出入りして僕と一緒に過ごしてきたからな。もう二、三人入れておきたいが……ヴィーナの意見は?」
第一王子エドワードに問われたヴィルミーナは少し考える。
宰相令息、近衛軍団長令息、北部沿岸侯の次男坊に宮廷魔導術士総監の末息子。中央の人間三人に北部閥が一人。ならば……
「増やす面子は地方閥の子にした方が良い。ただし、今ここで選ばなくても良いわ。王立学園へ入学後に上級生や下級生から選べば、年齢的な幅も作れるでしょ」
「なるほど」と第一王子エドワードは考え込む。
ヴィルミーナはエドワードの横顔をちらりと窺う。
大陸北方のイストリア連合王国から嫁いだ王妃の血が濃いのか、光沢ある金髪に青緑色の瞳をしている。名前もイストリア的だし、ベルネシア王家は婚家に随分と気を使っている。ま、大事な同盟国だもんなあ。
「それで、婚約者候補は決めたの?」
「そっちは知らん」
第一王子エドワードはむすっとした。しかし、いちいち顏芸的になるヴィルミーナと違って美貌が損なわれない。
「これだけ美少女が揃ってるのにお気に召す子がいないの?」
「ヴィーナだから言うけどな。どうせ結婚相手を決めるのは、父上と母上と王国府の年寄り達だぞ。なのに、さも僕が決めるように言いふらしたせいで御令嬢方が次々と押し寄せてくる。魔狼の群れに放り込まれた気分だ」
ヴィルミーナは第一王子の愚痴を聞き、ころころと喉を鳴らした。
「他人事だと思って笑ってるな? 言っておくがな、狙われてるのは僕だけじゃないぞ。ヴィーナもだ」
「え? 私も?」
「当然だろう。君が味方する娘が婚約者レースで絶対有利になるんだから。それに、君に婿入りしたい次男坊三男坊は少なくないぞ」
「……面倒臭ぁい」とヴィルミーナが渋面を浮かべた。やはり顏芸的だった。
「ヴィーナはホントに表情豊かだな……」と呆れ気味の第一王子エドワード。「そういえば、ヴィーナはどこかの男爵家次男坊と昵懇だったか。そいつを婿取りする気なのか?」
「……エドの耳にも届いてるんだ」
ヴィルミーナは少し驚く。
思った以上に自分とレヴ君のことは知られているらしい。共有している『秘密』が漏れるとは思わないが、もう少し警戒した方がよさそうだ。
「当然だろう。王妹大公殿下がその男爵家を毎年御訪問しているのは、ヴィーナの強い要望ともっぱらの噂だぞ。自分の動向が注目を集めることをもう少し自覚しろ」
第一王子エドワードはくすくすと微笑み、からかうように尋ねる。
「それで? 本命はそいつなのか?」
「内緒」
ヴィルミーナは思わせぶりに微笑みを返す。さて、この回答がどう広まるかな。レヴ君に迷惑が掛かると後々怖いんだけどなあ。
周囲の御令嬢方がちらちらとこちらを窺っている。今にもこの場に突入しようかと機を図っている者も少なくないようだ。いとこ同士だけで過ごすのも時間切れらしい。
「“魔狼”達が焦れてきてるわね。いつまでも私がエドを独占していたら恨まれそう」
「もう、か? 僕はもう少し息抜きしたいんだが……」とぼやく第一王子エドワード。
ヴィルミーナはそんな第一王子エドワードへこんこんと説いた。
「エド。この場にいるのは、今日のために頑張って準備してきた子ばかりなの。その気持ちを少しで良いから汲んであげて。側近や婚約者候補になれない子達も、王子殿下から思いやりある言葉を賜った、そういう思い出を得られれば、将来の子々孫々に王室尊崇と勤王の精神を伝えていくのだから。貴方自身のためにも彼らと接してきなさいな」
「分かったよ」
第一王子エドワードは嘆息を吐いて、じ、とヴィルミーナを見る。
「君がいとこで残念だよ、ヴィーナ。親戚でなければ、婚約者を探す必要も無かった」
「私はいとこで良かったわ、エド。こうして親しくしていても周りに嫉妬されずに済むもの」
ヴィルミーナは第一王子エドワードをしれっとあしらった。
第一王子エドワードは小さく鼻息をつき、腰を上げた。お伴を連れて“魔狼”達の群れへ向かっていく。
いやあ、ばり奇麗な美少年からあんなこと言われたらドキドキしちゃうわあ。大人の対応できた私、偉ない? 偉ない?
カップを口に運んでお茶を飲む。と、数人の少女達がやってきた。
千客万来ねえ。とヴィルミーナは密やかに嘆息をこぼす。
先頭に立つ少女は超絶美少女ロートヴェルヒ公爵家の次女メルフィナ嬢だ。
栗色の長い髪を一本の三つ編みにしてまとめ、大きなリボンを結っている。とても可愛い。
メルフィナ嬢と取り巻き達はヴィルミーナの前に来て、上品なカーテシーを行なう。
「ヴィーナ様。お久しぶりです」
礼儀正しく挨拶してきたメルフィナ嬢に対し、ヴィルミーナは立たずに隣の椅子を指さす。不遜な態度だが、不思議と嫌味に感じない。
「堅苦しいのは、“向こう”だけで充分よ。座って座って。皆も、ほら」
メルフィナと取り巻きの少女達は微苦笑しつつも、誘われたままに席へ着いた。
ヴィルミーナはさりげなく控えている王宮付きの侍女へ手振りして御茶を用意させ、席に着いた少女達を見回し、満足げにうなづく。
「可愛い娘がたくさんいると気分が華やぐわね~」
「御冗談を。私達ではヴィーナ様の添え物にしかなりませんよ」
「目が笑ってないわよ、メル。お世辞にはもうちょい気合を入れて」
親しげに愛称で呼びつつも、ヴィルミーナは小鳥をついばむような怖い笑みを浮かべ、取り巻きの少女達がびくりと身を震わせた。が、メルフィナだけは動じない。
「相変わらずお厳しい」
「メルは毒舌を言える貴重な相手だからね、遊んでくれてありがと」
「ズルい人」
にまっと微笑むヴィルミーナと小さく微苦笑をこぼすメルフィナ。
「それで、殿下の婚約者として推せ、とかそういう話?」
「まさか。流石のヴィーナ様でも、殿下の婚約者決めに口出しできようはずもありません」
メルフィナは見透かしたように告げる。
「せいぜいが側近候補決めに御助言するくらいでしょう?」
「そんな調子だから貴方には毒舌を言いたくなるのよ、メル」
ヴィルミーナは内心で舌を巻く。メルフィナは本当に聡い。自分と同じように中身がウン十歳なのでは? と思う時がある。
「本命の用向きは?」
「投資について御相談したく」
「貴女も好きねえ」
ヴィルミーナは思わず破顔した。
ヴィルミーナは前世記憶を元にちょっとした投資や融資をして小銭を稼いでいた。
そして、超絶美少女の公爵令嬢メルフィナもヴィルミーナ同様に小遣いを投資に回したりしている。曰く『お金儲けは世界の動きに関わっているようで楽しい』。これで9歳。いやはや。末頼もしい。
「せっかく高位有力貴族の子女が一堂に会してるのよ? いろんな方と知己知縁を結ぶ方がよほど将来的な価値を生むでしょうに」
「お言葉ごもっとも。ですが、ヴィーナ様とこうして懇談できる機会はもっと稀少ですもの。どちらを選ぶかと問われれば、迷わずヴィーナ様を選びますよ」
「嬉しいこと言っちゃってこのぉ」と笑うヴィルミーナ。「良いわ。悪企みしましょ。でも、お友達は自由にさせてあげなさい。皆、この茶会のために準備してきたんだろうから、私達の悪企みに付き合わせるのは気の毒よ」
「皆、ヴィーナ様の御配慮を賜りなさい。楽しんできて」
メルフィナの許可を得ると、取り巻きの少女達は礼儀正しく一礼し、席を離れていった。
「さ、本題に入りましょ、ヴィーナ様」
二人きりになったメルフィナはとてもとても良い笑顔を浮かべた。可憐で愛らしい天使のような笑みだ。金儲けの話をするためでなければ、素直に感心できただろう。
「今度の投資はどこを狙ってるの?」
「外洋領土に手を出してみようかと」
「ん~……外洋領土かあ……私はお勧めしないなあ……」
この時代、外洋領土投資は一種の博打だった。
なんせ外洋領土は危険が大きい。叛乱勢力とドンパチしているところも多いし、外洋先で他国との抗争もある。交易に投資しても、貿易船が拿捕されたり、撃沈されたり、モンスターや災害に襲われて海難にあったりしたら、投資したお金はパーだ。
様々な事情から現地事業が失敗に終わるケースも珍しくない。やはり投資額がパーになる。
こういう危険が付きまとうため、配当率が極めて高かった。まさに博打である。
「でも、ヴィーナ様。配当率は国内投資よりずっと高いです。挑戦する価値があるのでは?」
「それだけリスクが高い証拠よ。ちょっと冒険的すぎない? 何か理由が?」
「私もヴィーナ様みたいに大きく稼いでみたくて」と恥ずかしそうに目を伏せるメルフィナ。
「あら、目標にして貰えるなんて光栄ね」とヴィルミーナは笑った。
堅実な投資は小さな利益しか得られない。ローリスクローリターン。
危険な投資は当たればデカい。ハイリスクハイリターン。
当然、大きく稼げればそれだけ達成感も充足感も興奮も大きい。しかし、そこが落とし穴。投資は軽く見ていると尻の毛まで毟られる狂気のマネーゲームだ。
ふむ。ヴィルミーナは少し考えてからメルフィナへ代替案を提示した。
「2人で事業でも起こしてみる?」
「事業、ですか」
ちなみに、ヴィルミーナは既に小口の事業を起こしている。
天然素材で作った女性向けハンドクリームを製造販売していた。家人の女性使用人達が冬場の水仕事で難儀していることに気づいて作ったのだ。天然素材の手工業品だから安くはないが、売れ行きは良い。手荒れした女性は多いから需要は充分。それに『旦那様から奥様へのちょっとした気遣い』と夫が妻の荒れた手先にハンドクリームを塗る絵のポスターがヒジョーに受けた。女性向け生活雑貨でありつつ、平民男性が奥方への贈り物としても良く購入する。
「具体的な考えはないけど、条件は決めてある。家の名前は出さない。王妹大公家もロートヴェルヒ公爵家の名前もなし。私とメルのお金だけで、私達の責任でやる。成功した場合も失敗した場合もね」
メルフィナは少し考えこんでから、
「……取り分は?」
「7・3のメル持ちで良い。将来的には私の割り当て分をメルが買い取る形にしたい」
ヴィルミーナの出した条件に驚き、
「なぜそこまで配慮していただけるのです?」
「私は将来、お母様の遺産を継ぐし、王権親戚衆の地位を保てる。でも、メルは次女だから他家に嫁ぐでしょう? その時、自由になるお金や収入先があれば、いろいろ捗ると思う」
その見解を聞いて頬を上気させた。
「ヴィーナ様を抱擁してキスしたい気分です」
「修道院に放り込まれるわよ」
ヴィルミーナが苦笑いしたところで、庭園の一角から騒ぎが聞こえてきた。