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大陸共通暦1766年:ベルネシア王国暦249年:冬。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:南部国境付近。
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ヴィルミーナがクレテア軍と遭遇戦を行ったという報告が届いた時の、王国府と軍の動揺振りは凄かった。ある意味で、第一王子エドワードが小都市ワーヴルベークで戦闘を繰り広げた時よりも、動揺したかもしれない。
「王妹大公令嬢は後方で物資移送に従事してるはずだろうっ! なんでクレテア兵と出くわすような場所にいるんだっ! さっさと安全な後方まで下がらせろっ! 周りの人間ごとで構わんっ! とにかく急げっ!」
移送のために飛空船まで駆り出された辺り、この頃、既にヴィルミーナが御国の要人と見做されていたとする歴史家も多い。
まあ、ともかくこれにより、第17輸送隊軍事補助員――ヴィルミーナとデルフィネとその側近衆達は御役御免とばかりに後方へ引き戻された。ヴィルミーナたっての要望により、片足の切断手術を終えたマリサも一緒に後送される。それと、命を落とした五人の貴族令嬢達も簡易棺に納められ、帰路についた。
ヴィルミーナ達を後方へ移送したのは、隻眼の美女空賊アイリス・ヴァン・ロー船長率いる『空飛ぶ魔狼号』だった。
「こんなに大勢の貴族令嬢を乗せたのは初めてです。部下達なんてクレテア海軍とやり合う時より緊張してますよ」
アイリスは努めて明るく言った。船倉へ棺を積み込んだことから、ヴィルミーナの身に何があったのか察したのだ。
「王都まですぐです。士官用食堂を皆さんに開放しますから、休んでいてください。負傷者の方も当船の船医が看てますからご安心を」
「ありがとう、ロー船長。お言葉に甘えます」
丁寧に一礼し、ヴィルミーナは士官用食堂へ向かった。
士官用食堂と言っても小ぢんまりしたもので20人弱の令嬢達はほぼ鮨詰め状態だ。机や椅子を隅に片付け、車座になって寄り添い合う。なお、どういうわけか、デルフィネがヴィルミーナに引っ付いて離れない。
皆、無言だった。あの戦闘から時間が経ち、余裕が生まれていたからだった。恐怖と悲哀と喪失感と生き残った罪悪感に打ちのめされる余裕に。
「……レネは婚約者が出来た時、私が独り身なのを嬉々として煽ってきたわ。ボスよ? 私、派閥のボスなのよ? それを平気で煽るとか。本当に根っからの毒舌女だったなあ」
不意に、ヴィルミーナが死んだ令嬢達のことを話し始めた。
「サマンサ、いえ、サムは普段は地味にしてたけど、あれで着道楽だったわね。私が東方の衣類や生地を手に入れた時の食いつき方ったら、腹を空かせた魔狼みたいで、あれにはドン引きした」
側近衆達もぽつぽつと語り始めた。
「レネはホントに性質が悪かったよね。口を開きゃあ毒を吐きやがる。しかも、ちゃんと毒を吐いてる自覚がありやがる」
「あたしも口は悪い方だけれど、あいつには負けたわ」
「毒舌具合ならサムだって相当だったよ。サムの私服チェック、超厳しかったもん。私なんて、田舎娘が流行遅れに気づかずお洒落ぶってるみたい、とか言われたしっ!」
「いや、私もヘティの趣味はマジでそう思う。あのフリフリはないわー。マジでないわー」
「はーぁっ!? フリフリの何が悪いのよっ!」
やいのやいのと死人をネタにして盛り上がり始めたヴィルミーナ達に、デルフィネ達が唖然とする。
「レネの煽りと毒舌は不思議と不快感が無かったなあ。あれ、あいつだから許されたって感があるわ。アレックスに同じこと言われたら、立ち直れない自信あるよ」
「え? どういうことそれ。え? 私、そんなきつい人間だと思われてる?」
「や。レネの毒舌はイラッとするけど、ヘコむことはないんだよ。でも、アレックスに同じこと言われたら、なんかガチでショック受けてヘコみそう」
「分かる分かる。アレックスにレネ並みの煽りされたら、押し倒して犯すね。二度とナマ言えないようきっちり犯しますわ。で、私無しでは生きられない体にする」
「怖いこと言うなっ!」
「ざけんな。アレックスの処女は私ンだぞ」
「ちょっと止めてよっ! 変な目で見んなっ! 見んなよぉっ!」
「サムもなあ。あいつ、ヴィーナ様から貰った報酬を片っ端から趣味に注ぎ込んでたっけ」
「それな。服飾工房を買い取るとか、よぉやるわ」
「……お待ち。何それ、聞いてないわよ」とヴィルミーナ。
「? ヴィーナ様、知りませんでした? あいつ、工房を買い上げて職人囲ってたんです。メルフィナ様の服飾工房とバチバチやり合ってましたよ」
「なんですって? まさか勝手に事業を始める者が出るとは……これは監査の必要があるわね。貴女達の所得と資金の運用状況を監査します」
「お、横暴ですっ! わ、私達のお金なんだから、ど、どー使おうと私たちの自由です!」
「……テレサ。なんでそんな青い顔してるの? なんに使ってるの?」
「コヤツめ。いー反応しよってからに。よっしゃ、なんとかして吐かせよーぜ」
「やめてっ! 酷いことしないでっ!」
「……まだなんもしてねーよ。なに一人で盛り上がってんのよ。なんかキメてない?」
「ははは~」
ヴィルミーナ達は姦しく駄弁りながら、ぽろぽろと涙をこぼしていた。友達を過去形でしか語れないことが悲しくて苦しくて、今この場で一緒に駄弁れないことが辛くて悔しくて。寂しくて。
皆、ぽろぽろと泣きながら語り合い、笑っていた。皆で故人のことを語り合って悲しみと喪失感を共有する。耐えがたい心の痛みを皆で支え合う。
「……イレーナはいつも私の髪を触りたがってました。奇麗な髪が羨ましいって。私も彼女に髪を梳いてもらうのが好きだった」
不意に、デルフィネが死んだ側近衆達のことを語り始め、
「ユマはクッキー作りでいつもたくさん食べろと私に勧めるんです。デルフィネ様が食べてるところが可愛いって。リディはいつもたくさん楽しい話を聞かせてくれて、素敵な笑顔を見せてくれました」
寂しそうに言った。
「三人のことが、大好きでした」
「私はイレーナが嫌いだった」とデルフィネの『身内の中の身内』リアが言う。
リアは目を丸くして驚く皆を気にせず続けた。
「だって、イレーナがフィーの髪を梳くようになったせいで、私が梳けなくなっちゃったのよ? 私の方が上手に梳けるのにっ! 良いこと? あんた達、今後はフィーの髪は私が梳くんだからねっ!」
「嫉妬は醜い。つまり、リアは醜い」
「おい。今、さらっとなんて言った? おい」
「ユマのクッキーは美味かったなあ。あのカリカリ感、チョー好きだった」
「リディと飲んだことある? すっげーよ? 息継ぎ無しで二、三時間ずっとデルフィネ様の魅力を語り続けたからね。正直、ンなことどーでも良いって思ったわ」
「……なんか今、聞き捨てならねえことを言われた気がしますよ?」
「気のせいですよ、デルフィネ様。気のせいです。ふふふふ」
デルフィネ達も故人の思い出を語り合いながら、ぽろぽろと泣いていた。泣きながら、もう二度と会えない友達について語り合い続けた。
皆が語り合う中、ヴィルミーナは注意深く皆を観察する。
黙りこくっている者はいないか。一人で塞ぎこんでいる者はいないか。泣くことを堪えている者はいないか。一人一人観察していく。
こうしたグループセラピーは個人の心理状態がよく見える。支え合える者、支える者、支えられる者、輪に入らないが、寄り添う意思を見せる者。そして、輪に入ることを拒絶する者。
ヴィルミーナはデルフィネの側近衆の一人に声を掛ける。
「たしか、エステルだったわね」
涙をこらえて沈黙していた娘が名前を呼ばれ、びくりと震えた。顔が青い。真っ青だ。酷い自己嫌悪か、あるいは、罪悪感に襲われているようだ。
ヴィルミーナは腰を上げ、エステル嬢の許へ近づき、そっと耳元へ唇を寄せて、
「良いのよ。良いの」
告げた。
「泣いて良いの」
その優しい言葉がエステル嬢の堰き止めていた感情を決壊させる。
エステル嬢は双眸から大粒の涙を溢れさせ、声を出して泣き始める。それは心の傷から溢れ流される出血にも似た嗚咽であり、魂から噴き出した悲鳴だった。
姦しいおしゃべりが止み、士官用食堂はエステル嬢の悲愴な嗚咽に支配される。
ヴィルミーナは悲痛な泣き声をあげるエステル嬢のことを抱きしめて支えた。
涙に濡れ澱んだ声でエステル嬢は訴える。
あの日、自分の目前を歩いていたリディが撃たれて倒れた時、目が合った。でも自分には何もできなかった。血を流して死んでいくリディを見ていることしかできなかった。忘れられない。顔から血の気が失われていくリディの様子が。瞳から光が失われ、リディの命が消えていく様子が。
何より、そんなリディを見て、撃たれたのが自分でなくて良かったと思ったことが、苦しくて辛くて情けなくて――ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
エステル嬢だけではない。全員が拳を握り締め、唇を噛み、目を伏せる。この場にいる全員が抱いていたことだった。
生きていて良かった。怪我をしなくて良かった。
自分が怪我しなくて良かった。自分が命を落とさなくて良かった。
自分じゃなくて良かった。
善良な少女達はそんな感情を抱いたことに、死んでいった友や傷ついた友に対して後ろめたく、自己嫌悪と自己否定と罪悪感と後悔を覚え、自分自身を許せなくなっていた。
士官用食堂が懺悔の嗚咽に満ちる。
「良いの。良いんだよ。生き残ったことを喜んで良いの。自分を責める必要なんて何もない」
ヴィルミーナはエステル嬢を抱きしめながら、
「貴女がすべきことは、彼女達の笑顔を覚えておくこと。彼女達と笑い合ったことを覚えておくこと。彼女達との楽しい思い出と素敵な記憶をいつまでも覚えておくこと。それだけでいいの」
全員を見回して告げた。
「貴女達の中に咎ある者など誰一人としていない。それでも、自分が赦せないというのなら、この私が貴女達を赦します。天が認めずとも、聖王が赦さずとも、ヴィルミーナ・デア・レンデルバッハが貴女達が今ここに生きていることを祝福し、貴女達の心にある罪と悔いを赦します」
しばしの後、少女達が泣き止んだことを確認してから、ヴィルミーナは士官用食堂を出た。
そして、まっすぐに医務室へ向かい、マリサを見舞う。
マリサは意識を取り戻していた。顔の血色は悪くない。しかし、見慣れた溌溂さは欠片もなく、憔悴し尽くしていた。無理もない。年若い娘が左足の膝から下を失ったのだ。今はあらゆる負の感情が心を侵し、苛んでいる真っ最中だろう。
ヴィルミーナは努めて明るい表情を作り、微笑みながらマリサに歩み寄る。
「起きてたのね」
「ヴィーナ様」
マリサの声がかすれていた。目元も腫れている。泣き暮れていたのだろう。当然だ。
ヴィルミーナはマリサの傍らに腰を下ろし、その手を握り、前髪を慈しむように梳く。
「傷は痛む?」
「大丈夫です。平気です」
気丈に振舞うマリサに、ヴィルミーナは強い心痛を覚える。
「マリサ。これから、厳しことを言うわ」
眉を下げ、ふ、と息を吐いて告げた。
「貴女には多くの辛苦と困難が生じる。耐え難いことも忍び難いこともたくさん起きる。私なんかの想像も及ばないようなことが、“今以上”に」
「―――はい」
「貴女は勇敢な娘だから、きっと一人で乗り越えようとする。私や皆を心配させまいときっと強く振る舞う」
ヴィルミーナは左手でマリサの手を強く握り、頬に右手を添える。
「だけど、私を頼って良いの。皆を頼って良いの。マリサ。貴女には一人で困難を乗り越える強さより、頼れる“姉妹”が居ることを誇ってほしい。これは心からのお願いよ」
マリサの目尻から涙が溢れ始める。右手でその涙を優しく拭いながら続けた。
「落ち着いたら、これからのことをゆっくりと話し合いましょう。私のマリサ。貴女のことは私が守る。必ず守るわ。私にはその力がある。貴女がこれまで私に尽くしてくれたおかげで、それだけの力がある。だから、私と貴女の友達を信じて」
「はい……――――――はい。ヴィーナ様」
「良い子ね」
ヴィルミーナは母性的慈愛に満ちた微笑みを湛え、マリサの髪を撫でる。
「さ、もう少し休みましょう。少しでも体力を回復させないとね」
マリサを寝かしつけてから、医務室を出てヴィルミーナは悄然とした面持ちで大きく息を吐く。心身共に擦り減り、疲れ切った吐息だった。
その姿はいつも自信に溢れ、超然と振舞い、周囲を驚かせ、振り回す王妹大公令嬢とは思えないほど弱々しく――ただの年若い少女にしか見えなかった。
ヴィルミーナは船倉で”休んでいる”5人の許へ向かうつもりだった。棺の中で眠る彼女達を見舞うつもりだった。彼女達の棺に触れ、その死を悼むつもりだった。
でも、もう足が動かなかった。もう心が熱量を失っていた。体が、心が、軋んでいた。
ヴィルミーナだって人間である。ただの人間である。
皆が感じていたことは全てヴィルミーナ自身も感じていた。悲しい。苦しい。辛い。後ろめたさと情けなさと恥ずかしさと自己嫌悪と自己否定、罪悪感と後悔に襲われている。
エドに偉そなことのたまわっとうてこのザマか。きっつぃなあ……ほんとにきっついわぁ……こんなんならレヴ君にもっと甘えれば良かったなぁ……はあ……この辺の可愛げが無かったから”前”は結婚できへんかったんよねえ……今生でも独りぼっちになるんかなぁ……
数十年の前世経験があっても、いや、あるからこそ、少女達のように悲愴な体験へ素直に屈せない。数十年分の澱が溜まった魂は鬱々とした気分に蝕まれてしまう。
が、
その人生ウン十年の前世経験――ブラックエコノミー社会の表裏、現実世界の光と闇の中で生きてきたから、知っていた。こうした耐え難い体験の抗い方を知っていた。負の感情の扱い方を知っていた。深い穴に落ちた時の脱出法を知っていた。
ヴィルミーナは前世で何度も何度も何度もやってきた心理プロトコルを発動させる。
全ての負の感情を受け入れる。そのうえで、その全ての負の感情を心の動力炉にくべる。
罪悪感を決断力に昇華し、後悔を集中力に転換する。自己嫌悪や自己否定を分析して教訓を見出す。悲しみと苦しみと辛さを推進力にし、悼む気持ちを翼にする。
47秒。ヴィルミーナは茫然と船窓の外を眺める。
13秒。ヴィルミーナは瞑目して深呼吸を繰り返した。
きっちり1分後。
ヴィルミーナは”再起動”を完了していた。
紺色の瞳をらんらんとギラつかせて船窓の外を見つめる。
脳裏を巡る彼女達との思い出と記憶。彼女達と育んだ友情と愛情。その全てが壮絶な怒りを掻き立てる。
それでも―――――
復讐なんてせえへん。
これは戦争や。戦争で起きたことをいちいち恨んどったら、キリがない。
私はどこかの白痴共とは違う。
復讐心なんぞに駆られん。大事な友達の名を愚行の大義名分に掲げたりせえへん。
ただし――――――――――代償は払ってもらう。
奴らは私が手塩をかけて育てた人材を奪ったんや。
奴らは私を慕い、これまでずっと尽くしてきてくれた部下を死傷させたんや。
私の私の可愛い姉妹達を傷つけた。私の大事な友達を苦しめた。私の大切な人達を悲しませた。
その代価を毟り取ってやる。
その対価を搾り取ってやる。
切り取って、削ぎ取って、奪い取ってやる。
これは復讐なんかやあらへん。そんな”つまらん”ことやない。
これは報復や。奴らは私から”奪った”。その報復をせなあかん。
報復して、私から奪えばどうなるか、教訓を示さなあかん。
報復して、私の国に手を出せばどうなるか、思い知らせなあかん。
奴らだけやあらへん。この世界にすくうボンクラ共にはっきりと示したる。
二度と私の大事なものを奪わせないために。
二度と私の国を襲わせないために。
その見せしめとして、
「背骨をへし折ってやる」
長々と続いた7章はここまで。
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