7:6
野戦病院は強制疎開させられ、空になった小集落が利用されていた。
手術棟は農家の母屋、病棟は納屋と天幕。集落の外れには仮埋葬所。
母屋の裏手では血塗れの包帯と毛布、シーツなどが洗濯され、干してある。
ヴィルミーナが到着した時、野戦病院は満杯だった。
医師達も看護師も衛生兵も聖王教会のボランティアも学徒補助員も、皆心身ともに擦り減っていた。負傷者が余りに多いため、重傷病兵ですら、母屋の前に並べられて順番待ちだった。
飛空船や馬車による後方への緊急搬送システムが既に破綻していたのだ。
片足の千切れかかったマリサを母屋に連れていくと、疲れ切った顔の衛生兵に「順番までそこに置いておけ」と言われた。
瞬間的に血が沸騰し、ヴィルミーナは反射的に腰の拳銃を抜きかけた。同道していた女性兵士が慌ててヴィルミーナを押さえる。
「落ち着いてっ! 憲兵にしょっぴかれますよっ?!」
「このままじゃ、マリサが死んでしまうっ! 早く治療しないとっ!」
「こればかりは貴女が大公令嬢様でも、無理ですっ! 堪えてくださいっ! これが戦争なんですっ! 皆、耐えてるんですっ!!」
「~~~~~~~~っ!」
ヴィルミーナは女性兵士を振り払い、転がっていた木片を蹴り飛ばした。
死体安置所に仲間達の亡骸を預け、ヴィルミーナ達は重傷を負って苦しんでいるマリサに付き添った。無力感に打ちひしがれながら。
ヴィルミーナはマリサを膝枕し、その髪を指で梳き、時折、額の脂汗を拭ってやる。今や瀕死のマリサに付き添うことしかできない。
マリサの手を握り続けるアレックスとニーナ。他の側近衆もマリサの側から離れない。デルフィネ達も近くにいる。ヴィルミーナの傍から離れたくないらしい。
太陽が西へ大きく傾き、夕闇の気配を感じ始めた頃、村内にレーヴレヒト率いる特殊猟兵達が馬車を伴ってやってきた。兵士達が畏怖と畏敬のまなざしを向ける。
ベルネシア軍内において、特殊猟兵が如何なる存在かよく分かろう。
レーヴレヒトは軒先に固まって座りこんでいるヴィルミーナ達を見て驚き、事情を聴いて小さく眉を下げた。
「すまない。その件は俺でもどうすることもできない。軍隊では生き死ににも規律がある」
そして、マリサの手当てをした仲間へ尋ねる。
「治療の順番が回ってくるまで持たせられるか?」
「今度、娼館奢れよ」
仲間が背中の行李を下ろし、マリサの容態を診始める。
「友達が心配なのは分かるけど、少し良いかな? 俺も余り時間が無くて」
申し訳なさそうにレーヴレヒトが言うと、アレックスが横車を押した。
「ヴィーナ様。良い機会です。少し休憩してきてください」
他の側近衆達も首肯した。ヴィルミーナは少し考えてから、
「ありがとう。皆の気遣いに甘えるわ」
マリサの額に口づけし、膝枕をアレックスと交代した。
レーヴレヒト共に野戦病院から離れた物置小屋の軒先に移り、ヴィルミーナは極自然にレーヴレヒトと身を寄せ合うように並んで腰を下ろす。
銃と行李を置き、レーヴレヒトは雑嚢脇の飯盒を取り出し、魔導術で飯盒内に熱湯を注ぐ。大気中の水分を収斂させつつ、加熱処理するという高難易度処理だった。
「随分とまあ、上手くなったのね」
「たらふく鍛えられたから」
レーヴレヒトは微苦笑を浮かべつつ、周囲の寒気に晒され、もうもうと湯気をくゆらせる飯盒の中へ何かの固形物を入れてゆっくりと振る。固形物は乾燥させた花のつぼみだったらしい。つぼみは湯の熱でばらけ、お湯を仄かな紫色に染めた。微かに甘い匂いが香る。
「? なにこれ?」
まるで見たことが無い代物に目をぱちくりさせるヴィルミーナへ、
「大天洋のハーブティーだよ。戦友から貰ったんだ」
レーヴレヒトはコップ代わりの内蓋に御茶を注いでヴィルミーナに渡し、自身は飯盒に口を付ける。
ヴィルミーナも空色のお茶を口へ運んだ。金木犀に似た香りとほんのりとした上品な甘み。熱くて美味しかった。
大きくゆっくりと深呼吸した後、
「それじゃ、『言い訳』を聞かせてもらおうか」
泣き腫れの目立つ双眸でぎろりとレーヴレヒトを睨む。
しんみりとしたこれまでの雰囲気をジャイアントスイングで投げ飛ばすような激変振り。
もちろん、『言い訳』とはこの4年間の音信不通に関して、だ。
レーヴレヒトはヴィルミーナの様子に安堵したような控えめの微苦笑を返し、
「や、軍機だったんです。ホントに。意図して消息を絶っていたわけじゃありません」
頭を掻きながら言った。ろくに休養が取れない関係か、ぱらぱらと髪からフケと汚れが落ちる。不衛生なのだが、不衛生に感じない。イケメンはお得だ。
「全部話すけど、他言は無用だから、その点は―――」
「良いからちゃきちゃき話さんかい」
紺碧色の瞳で睨み据えられたレーヴレヒトは即座に折れた。
「は、すぐに」
※ ※ ※
あの日(3:5参照)、レーヴレヒトは確かに士官学校へ入った。
のだが……入学後、士官学校入学時の成績と魔導適性と“素質”に軍が目を付け、レーヴレヒトを特殊猟兵の候補生課程へ放り込んでしまった(同様の貴族次男三男などや庶子、平民の少年達が集められた)。
以前にも言ったように(閑話6b参照)、外洋進出に伴う軍制改革により、ベルネシア軍は特殊猟兵戦隊を創設した。
今更だが、ベルネシア陸軍特殊猟兵戦隊はいわゆる特殊部隊である。
特殊部隊はどこの国でも最高の人員を揃えた最精鋭部隊だ。が、その選抜方法、育成方法はお国事情によって異なる。
地球のアメリカみたいに金も人的資源も豊富な大国ならば、候補生をがんがん削ぎ落す手法が取れるが、ベルネシア王国は人的資源の事情からも、そんな贅沢な手法は取れない。
そこで、ベルネシア伝統の精鋭主義に則り、日本的手法――素質ある者を選抜し、与えた課題を『出来るようになるまで徹底的に』鍛えること――を採った。
こうして特殊猟兵戦隊は期待に違わぬ最精鋭部隊となった。敵から恐怖され、味方から畏怖されるベルネシア最強の実働部隊に。
この成功に気を良くしたベルネシア軍は、更なるアイデアを試すことにした。
『どうせなら、入隊直後から見込みのある若い子らを、特殊猟兵として育成したらどやろ』
レーヴレヒトはこの早期育成プログラムと呼ばれる実験的手法が実施される年に、軍へ足を踏み入れた一人だったのだ。
『お! この坊主は優秀やな。特殊猟兵の候補生にしたろ。頑張って精鋭になるんやで(その目は優しかった)』
という塩梅でレーヴレヒトは他の候補生に選ばれた少年達と共に、一方的に早期育成プログラムへ放り込まれた。
機密性が重視されていたため、候補生達は実家との連絡を禁じられ、外部との接触も最低限にされた。その上で、過密な座学課程。虐待同然の訓練教練。洗脳と大差ない精神修練。実地研修という名の匪賊やモンスター討伐等の実戦。悪夢の如き教育を受けさせられた。もちろん、全てが”出来るようになるまで”徹底的に。
訓練や教育がどれほど過酷だったかを示す一例として、性欲ムラムラ真っ最中の年頃なのにマス掻きの元気すら残らないほどだった(男性諸氏なら、これでどれほど過酷か十分に理解できよう)。
やがて、レーヴレヒトを含めた候補生達は積極的に実戦を求めるようになった。匪賊やらなんやらをぶっ殺している間は、過酷な訓練から解放されるからだ。
訓練教練鍛錬修練教育&実戦実戦実戦、娯楽は日々の飯と実戦任務時に抱ける公娼ぐらい、という生活が2年ほど続いた。
この生活が終わりを迎えた時、候補生達は『これでクソ地獄から解放される』と涙を流して大喜びし、軍も彼らを祝福した。
『よぉ頑張ったなぁ……せや、御褒美に武功を挙げ易い現場に配属させたろ(善意)』
正式に特殊猟兵となった候補生達は、一時帰宅すら許されず、すぐさま各地の戦場へ放り込まれた。ここまで来ると、よく反乱が起きなかったものだと感心してしまう。
レーヴレヒトを例にとると、訓練期間修了後、その足で外洋領土の各地を転々とした。魔導術や薬物で精根を絞りつくして任務を遂行し、帰還して休息し、練度維持に訓練し、再び任務に赴く。偶に駐屯地近辺を散策して娼婦を抱くことだけが楽しみ。この戦争が始まるまではそんな日々を過ごしていた。
余談だが、この早期育成プログラムはわずか二期で打ち切られた。一人当たりの育成コストが予想より高すぎたこと、機密保秘を厳格にし過ぎた結果、彼らの家族が騒ぎ出して、非常に面倒だったことだ(ヴィルミーナとゼーロウ家が良い例だ)。
何より、この青田刈りともいうべき手法に、陸軍の他部署から不満と抗議が殺到したことが挙げられる。妥当である。どの部署だって有能な人材が欲しい。
なお、この早期育成プログラム卒者は『特期』と呼ばれ、事実上、ベルネシア王国軍最高の現場要員と見做され、国内外で非公式非公然非合法の秘密作戦にも投入されていた。
結果、レーヴレヒトの動向はヴィルミーナとて触れられない御国の最高機密だったのである。
※ ※ ※
「――とまあ、そんなわけでこの4年間。ひたすら訓練と実戦の日々だったんです」
「ふぅん」
ヴィルミーナの目は全く信用していない、と雄弁に語っていた。
「御同僚の言い草だと、お忙しい毎日を送っていた割に、出会いも多かったようだけれど?」
「君相手だから、はっきりというけど、俺だって健康な男なんだから性欲くらいある。それに、諸々のストレスを抜くために娼婦を買うくらいしたよ」
嘆息交じりにレーヴレヒトは正直に娼婦と寝ていたことを明かす。男には何も考えずに女の柔肌に溺れたくなる瞬間が確かにある。
……まあ、ええやろ。娼婦を買うたのは大目に見たるか。
ヴィルミーナは鋭いまなざしで追求を続行。
「基地の女性とも随分楽しく過ごしたんじゃない?」
「そっちは誤解だ。女性将兵に手を出したことはない。家名に泥は塗らないと母上に約束したからな。軍で浮名を流してるなんて知れたら、勘当物だ。そんな真似できない」
社会適合型サイコパス気味のレーヴレヒトは他人を野菜のように切り刻めるが、反面、大事にすると決めた相手は執着的なほど大事にする。家族はその筆頭だった。
「なら手紙くらい出せばいいじゃない。フローラおば様がどれほど心配なさっていたことか。だいたい、君ほど賢い人間が規則で禁止されてるからって、手紙一つ出さないとかありえないでしょ。上手いことやって連絡つけなさいよ」
「そりゃやれないこともなかったけど、バレた時に家族や君に余計な迷惑が及ぶだろ。それなら、まあ、便りが無いのが元気の報せ、かなと」
「かな、じゃないわよ、おばかっ! 人がどれだけ心配してたと思ってるのっ!」
ヴィルミーナに叱責され、レーヴレヒトは首を竦めた。
「すみません」
ふう、と仰々しく大きな息を吐いて、ヴィルミーナはぽつりと言った。
「まあ、無事で良かったわ。本当に」
「御心配をおかけして」
言葉は殊勝だが、レーヴレヒトの態度はしれーっとしていた。内心は全然反省していないらしい。この野郎。
追及から逃れるようにレーヴレヒトが尋ねてきた。
「ヴィーナの方はどうだった?」
「当初の思惑通りなのか、上手くいってないのか、判断に迷うわ……」
そう前置きしてから、ヴィルミーナはこの四年間のことを要点に絞って語った。
側近衆達。軍とのパイプ。アリシア騒動。小街区建設。麾下グループの拡大と再編。経済界と実業界の“会合”との抗争。王家の政商認定。アルグシアとの交渉。
そして、この戦争。
「小街区の件は聞いたよ。ありゃやりすぎだ。そりゃ恨みを買うよ」
レーヴレヒトは苦笑いを湛えた。
「もうちょっと下準備をしてから手掛けた方が良かったな。君らしくない」
その暢気な言い草に、ヴィルミーナは眉目を吊り上げて噛みつく。
「レヴ君の消息を掴むために張りきったからよっ!」
「は、すいません」
再び首を竦めた後、レーヴレヒトは空色のお茶を啜ってから、再び尋ねる。
「私生活の方は? 婚約者はできた?」
「婚約者はまだいない」
ヴィルミーナは不意に、問うた。
「立候補する気は?」
何の脈絡も何の色気も何の雰囲気作りもせずにさらりと問われ、レーヴレヒトは目を瞬かせて、逡巡なく言った。
「それはないだろ」
「まあ、ないわよね……私もレヴ君と家庭を持つイメージが全然わかないもの」
ヴィルミーナはうーむと唸る。
そう。レーヴレヒトのことはとても大事な人だと思っている。とても大切な人だと認識している。好意もたっぷりとある。しかし、レーヴレヒトを伴侶に迎え、家庭を築くというイメージが全然湧かない。
前世でも付き合っても結婚までいかない相手は何人かいた。彼らと結婚まで行きつかなかったのは、彼女が自身のキャリアを優先していたからだし、相手も自分の都合に彼女が添うことを求めて妥協しなかったという点が大きい。
しかし、レーヴレヒトは違う。自身のキャリアや野望云々ではなく、理解者として傍には居て欲しい。ずっと一緒に居たいと思う。でも、レーヴレヒトと家庭――人生の全てを共に共有して生きていく、というビジョンが全く見えない。
こんな相手は前世ウン十年の人生を通しても初めてだった。どうしたものか……
心身共に疲労しきった頭でヴィルミーナはぼへっと考え、飯盒を口元へ運んでいたレーヴレヒトへ言った。
「とりあえず、子供だけ作ってみる?」
瞬間。レーヴレヒトはブーッと豪快かつ盛大にお茶を噴き出した。
ヴィルミーナはテレビ以外で、驚いて飲み物を吹き出す奴を前世込みで初めて見た。
レーヴレヒトも驚いて飲み物を吹き出すという人生初の体験をした。
ゲホゲホと激しくむせた後、レーヴレヒトは深呼吸を繰り返し、生徒思いの教師みたいな面持ちでヴィルミーナを見つめ、
「……初実戦と友達が死んでショックなのは分かる。酷く傷ついているのも分かる。俺に出来ることなら、何でもしてあげたいと思う。子作りならむしろ喜んで協力したいくらいだよ」
嘆息を吐いて続けた。
「でも、それはダメだ。何も持たないそこらの村娘ならともかく、君は王妹大公令嬢だ。未婚懐妊なんてしたら、築き上げてきたもの全てが失われるぞ。俺は君を破滅させることなんて、そんな恐ろしいこと絶対にできない」
要約すると『貴女のことを物凄く大事に思っているから軽々しい真似はできない』と言われ、ヴィルミーナはポッと頬に朱を刺した。
「……なんだか恥ずかしくなってきた」
レーヴレヒトは再び大きな大きなとても大きな嘆息を吐いた。自分でも恥ずかしいことを言った自覚があるせいだろう。耳が仄かに赤い。病質的冷静さを持つサイコな彼には珍しいことだった。
「こっちだって恥ずかしいよ、もう……」
「ん?」
ヴィルミーナは小首をかしげた。
「私のこと、抱きたいのよね? でも、軽々しい真似が出来ないと言うなら、婚約すれば良いんじゃない?」
「それじゃ結婚することになるだろ。これも正直に言うけど、俺も君と家庭を築ける自信はないぞ。単独でクレテア国王を殺して来い、と言われる方がまだ実現可能な気がする」
なんかめちゃくちゃ失礼なことを言われた気がする。しかしまあ、自分が家庭的な女かと言われると、前世ウン十年含めてまったく自信が持てない。
ゆっくりと鼻息をつき、空になった飯盒の内蓋を置いて、ヴィルミーナはレーヴレヒトの肩に頭を乗せた。
4年振りだというのに、もう会話が途切れた。
だけど、気不味くはない。ヴィルミーナは心通った者だけが共有できる快い沈黙を味わう。
レーヴレヒトはヴィルミーナに身を寄せながら残っていたお茶を静かに啜る。ヴィルミーナと共有する時間を大事に味わう。
どちらからともなく、2人は指を絡め合うように手を握り合い、黙って時間と小さな温もりを分かち合う。
西日に焼かれて赤く燃える空に、少しずつ夜が混じっていく。
多くのことが起きた辛く苦しく悲しい一日が終わっていく。再会の歓喜と幸福な時間が終わっていく。
ヴィルミーナは名残惜しそうに身を起こし、ぽつりと呟く。
「……このままだと、他の男のものになっちゃうわよ?」
「それでも」レーヴレヒトはどこか寂しげに微笑んで「俺はずっと君の近くにいるよ」
「ずるい言い方」ヴィルミーナはくすりと笑って「まあ、仮に他の男と結婚しても、レヴ君は逃がさないけどね」
ヴィルミーナは『欲しい物は欲しい』という強欲さを隠す気はないし、捨てる気もない。誰と結婚して子供を産んでも、レーヴレヒトを手放したりしない。絶対に。たとえ旦那や子供や世間から後ろ指刺されようとも。
「旦那さんに恨まれそうだな。まあ、君に恨まれなければどうでも良いが」
事も無げに言うレーヴレヒト。
こいつ、この調子で他の女にも接してんちゃうやろな……
ヴィルミーナのジトっとした視線をあえて無視し、レーヴレヒトは荷物をまとめ始める。
「友達の件。大丈夫か?」
「悲しいし悔しいし寂しい苦しい辛いし、キツい。でも、大丈夫。“前”に経験してる。大丈夫よ」
前の人生ではウン十年生きた。
その間に爺ちゃん婆ちゃんを送ったし、病気や事故で先に逝った友人や上司もいた。だから大丈夫。立ち直り方は知っている。悲しみや寂しさの癒し方も、後悔や苦悩の乗り越え方も知っている。自己嫌悪や自己否定の押さえ方も心得ている。
「無理はしないでくれ。この戦争が終われば、普通に連絡が取れるようになるから」
「昔みたいに山ほど手紙を送り付けてやるわ」
ヴィルミーナが意地悪に笑うと、あれには参った、と苦笑いしながらレーヴレヒトは腰を上げた。銃と行李を担ぐ。手を差し伸べてヴィルミーナの起立を助けた。
「一つ頼みがある。俺のことを家族に知らせておいてくれないか?」
「貸し一つね」
「利子は負けてくれ」
レーヴレヒトは不意に真顔で告げた。
「ヴィーナ。君のことは好きだよ」
「だから不意打ちすんな。私だって君のこと好きよ」
ふん、と挑むように鼻を鳴らし、ほんのり頬を桜色にしたヴィルミーナ。
レーヴレヒトは胸元に手を当てて、
「時計。まだ預かっていても?」
「まだ貸しておいてあげる。返しに来られなくなったりしたら許さないわよ」
「約束するよ、ヴィーナ」
実に滑らかかつ自然な挙動でヴィルミーナの頬に口づけし、足音も気配もなく夕闇の中へ消えていった。まるで幽霊のように。
再度の不意打ちに、ヴィルミーナは顔を真っ赤に染め、レーヴレヒトの去った薄闇を見つめていた。




