7:5b
残酷描写がございます。御留意くださいませ。
青い光がピカピカといくつも煌めいたと認識し、硬い金属的な炸裂音の連なりがつんざいた直後、マリサの左膝下に衝撃が走り、その場に倒される。
全身を駆け巡る激痛。全身を駆け抜ける衝撃。意識が急速にぼやける。視界が狭まり、音が遠くなって自分の呼吸音しか聞こえない。
ニーナが何か叫んでる。ヴィーナ様が皆に向かって怒鳴っている。女性兵士達が森の中へ向かって発砲している。自分のように地面へ倒れた女性兵士達や馬もいた。サマンサの奴、泥に顔から突っ伏してるよ。何やってんだか。あれ? レネって頭に花飾りなんかつけてたかな?
茫洋としていると、アレックスに襟首を掴まれて引きずられた。瞬間、激痛が走って口から勝手に悲鳴が飛び出す。
アドレナリンがようやくマリサのメゲていた意識を覚醒させる。
マリサは自分の左足の膝下が半ば千切れかけていることを認識する。肉がべろりとめくれ、砕け折れた骨が顔を出していた。真っ赤な血液がどくどくと流れ、湯気をくゆらせていた。
「ぃぃいぃいあああああああっ!? 足がっ!? あたしの足がああああっ!?」
苦痛と恐怖に襲われ、マリサがパニックを起こす。
「落ち着いてっ! マリサっ!」
アレックスは叫びながら取り乱すマリサを強引に木陰へ引きずっていった。雪と泥濘に真っ赤な血の筋が引かれていく。
完全なアンブッシュだった。
初撃の斉射は先頭馬車と最後尾に集中していた。行軍隊形における要所は先頭と最後尾であるから、当然、重点的に配されていた女性兵小隊の面々は大損害を被った。
女性兵小隊の半数が打ち倒され、ヴィルミーナとデルフィネの側近衆にも被害が出ている。
先頭と最後尾の馬が倒れたことで車列は進むもならず退くもならず。
女性兵小隊は指揮官と次席の先任下士官を一挙に失ってしまい、統率が乱れた。少女達は言うまでもなくパニックに陥っている。馬車につながれた馬達はいななき暴れ、蹴り飛ばされた者まで出た。
錯乱する人馬の群れ。その中で、
「落ち着けぇいっ!」
ヴィルミーナの鮮烈な怒声が女性兵士達と少女達の心を殴りつけて思考力を奪い、本能的に命令へ従わせる。
「身を隠せっ! 敵は車列左側方のみっ! 取り乱さず動けっ!」
ヴィルミーナは前世の海外行脚でこの手の事態を幾度か経験していた。
そして、学んだ。こういう状況ではまず冷静さを確保する。拙速は敵に付け込む隙を晒す。手遅れにならない限りは巧遅で良いのだ。
ヴィルミーナは暴れる馬達を無視し、皆の様子を見回した。
女性小隊の半数が死傷。小隊長と先任下士官が揃って戦死している。
自身の側近衆はマリサが重傷。レネとサマンサが……即死。
ヴィルミーナは奥歯が割れそうなほど強く歯噛みした。悲しみより怒りが湧き上がる。恐怖より怯懦より憤激が込み上がる。よくも私の大事な友達を――
一方で中身ウン十歳の冷徹さが働く。地獄の海外行脚体験がヴィルミーナを冷静に突き動かす。
「魔導術で掩体を作れっ! 銃弾が防げればなんでもいい、急げっ!」
貴族令嬢は基本的に高魔導適正を持ち、学園で魔導術を仕込まれた準魔導術士だ。その能力を適正に発揮すれば、態勢を立て直せる。
「兵隊共っ! 何を泡食ってるっ! 訓練の成果を見せろっ! クレテア人へ目にもの見せてやれっ!」
ついで、女性兵士達へ命令を飛ばす。
もちろん、ヴィルミーナにそんな権限はない。が、その堂々たる立ち居振る舞いが命令を発することを許した。その威容と頼もしさはカリスマと言ってもいいかもしれない。
明確な命令を与えられた少女達と女性兵士達は即座に動き出す。
ニーナを中心に側近衆が魔導術で馬車列を守るように掩体を作っていく。
命令されたからとはいえ、ド素人が突発戦闘の恐怖に晒される中、行使に高い集中力を要求される魔導術を使用しただけでも瞠目に値する。ひとえにヴィルミーナという信仰にも似た対象の存在があればこそだった。
同じく、立ち直った年若い女性伍長が指揮を取って応戦射撃を実施。二線級部隊扱いの女性兵士とはいえ、精鋭主義に基づいて鍛えられているだけに、立ち直ってしまえばしぶとい。
ガードフェンス大の土と氷の掩体壁が構築されると、大急ぎで負傷者の回収が行われた。
ヴィルミーナは既に命を落としているサマンサとレネを無視し、左足に重傷を負ったマリサの許へ駆け寄る。
「マリサの容態はっ!?」
「ち、血が止まりませんっ! ヴィーナ様、マリサが死んじゃうっ!」
泣きべそを掻くアレックス。普段の凛とした様子は吹き飛び、ただの女の子になっていた。ヴィルミーナはアレックスの頬を張る。
「しっかりしなさいっ! すぐに止血するっ! マリサを押さえててっ!」
「は、はいっ!」
気を張り直したアレックスが慌ててマリサを押さえ込む。
ヴィルミーナは行李を下ろし、応急処置キットを引っ張り出して止血帯を取り出す。マリサの左腿付け根をきつく縛り上げて出血を止めた。その間にも銃弾が掩体壕に着弾する音色が響き、土くれや氷片が飛び散る。
「ああああああああああああああああああああああああああああっ!」
あまりの激痛にマリサの絶叫を上げて暴れだす。驚いたアレックスが思わず手を放しかけるが、
「何やってるっ! しっかり押さえろっ!」
ヴィルミーナに叱責され、なんとかマリサを押さえ続ける。
両手と袖口を血塗れにしながらも、ヴィルミーナはマリサの傷口に圧迫包帯を縛り付けて処置を済ませる。次いで、側近衆を見回し、兵士と共に戦っている者、怯えている者、負傷した者を素早く見極め、命じた。
「アレックスっ! ヘティッ! 負傷者を任せるっ! 一か所に集めて手当てしろっ! とにかく血を止めろっ! エリンッ! テレサッ! 荷馬車から擲弾銃を出して皆に配れっ! 私が責任をとるっ! 使える物は何でも使えっ! 出し惜しみするな!」
名指しされた側近衆は他の者に声を張り、命令をすぐに実施する。命令に逃避したと言ってもいい。銃声と怒号が止まず、周りを見回せば死体が転がり、負傷者が増えていく状況。恐怖と恐慌から目を背けるため、彼女達はヴィルミーナの命令に徹する。
アレックスとヘティは涙を拭って負傷者達の応急手当て――主に止血作業を行う。
エリンとテレサは自身に身体強化魔導術を掛け、馬車の荷台から重たい武器ケースと弾薬箱を手荒に引きずり落とし、擲弾銃と弾を女性兵士や皆へ配る。
擲弾銃は射程と速射性は小銃に劣るものの、その殺傷火力は小銃の比ではない。擲弾銃の火力で圧倒すれば、敵を迎撃できるかもしれない。そんな淡い期待もあった。
不意に、ヴィルミーナは気づく。デルフィネとその派閥の面々が掩体壁の陰に来ていない。馬車の陰に隠れたままだった。
なにやっとんねんっ! そないなとこより掩体壁の方が安全やろがっ!
ヴィルミーナは表情筋の限界まで眉目を釣り上げ、馬車の陰で震えあがっているデルフィネとその側近衆の許へ向かう。
デルフィネ達は恐怖に圧倒され、ひと固まりになってすすり泣いていた。無理もない。荒事とは無縁の貴族令嬢達だ。突然、死の恐怖に晒されて正気でいられるわけがない。
むしろ、怯え切って動けずにいたことで、彼女達は迂闊に逃げ出して弾丸に身を晒さずに済んでいた。まさに不幸中の幸い。
「デルフィッ! 皆ッ! 無事なのっ!?」
駆け寄ったヴィルミーナが怒鳴るように問い質すも、デルフィネは怯え切って何も反応を返さない。代わりに、デルフィネにしがみつかれているリアが応じた。
「い、イレーナ達が……イレーナ達が倒れて、動かなくなって、ヴぃ、ヴィルミーナ様、私達、ど、どうすれば」
血の気が引いて土気色になった顔。わなわなと震える青い唇。リアもまた恐怖と怯懦で心がへし折れていた。
ヴィルミーナは少し離れたところに倒れている少女達を一瞥する。大きな血だまりが広がっていた。出血量が多すぎる。あれではもう―――
再び歯噛みし、ヴィルミーナはデルフィネの襟首を掴んで引きずり起こした。
鼻先が触れそうなほど顔を近づけて一喝する。
「しっかりしろ、デルフィネッ! お前はこの子達の主だろうっ! 務めを果たせっ!」
派閥の領袖たるデルフィネが士気を盛り返せれば、その側近衆も立ち直る。頭数が足りないのだ。めそめそ泣いていてもらっては困る。だからこそ、無理やり引きずり起こして大喝を浴びせたのだ、が――
「む、むむ、無理です。無理です、ヴィルミーナ様、わ、私、怖い、怖い、怖いんです、ヴィルミーナ様」
デルフィネの奇麗な目から大粒の涙がボロボロ零れだす。
「怖い、怖いよぉ、ヴィルミーナ様ぁ」
ヴィルミーナは瞑目する。
くそ。ダメか。や。まだ子供なんやしゃあない。この非常時に反抗されるよりマシや思お。それに……子供を守るんは大人の、人間の務めや。
幼子のように泣きくれるデルフィネをその側近たるリアへ預け、ヴィルミーナはデルフィネの頬に手を添えながら、他の少女達を見回して柔らかく微笑んだ。
「あの掩体壁の陰で身を隠してなさい。大丈夫。私が何とかするから」
その笑みは溢れるほどの母性的慈しみと謙譲的勇気に満ちていた。
「援護するわ。その間に行きなさい」
ヴィルミーナは煩わしくなった帽子を脱ぎ捨てた。はずみで髪がほどけ、薄茶色の長い髪が広がる。腰の装具ベルトに挿したホルスターから回転式拳銃を抜く。そして、躊躇なく敵兵達へ向かって引き金を引く。
伊達に前世で歳を食っていないし、鉄火場巡りを経験していない。ヴィルミーナはどこぞの思春期小僧みたいにうじうじ悩んだりしないし、心理的な倫理問題に囚われたりしない。
私の大事なものを奪おうとする奴ぁゴキブリ以下のカスや。ゴキブリ以下のカスをぶっ潰すのに良心の呵責を覚えるバカがどこにおる。何より、奴らは既に私の大切な友達を傷つけ、命を奪った。許さん許さんっ! 絶対に許さんっ!
銃弾の荒れ狂う中、敵へ向かって拳銃を撃つその凛々しい姿を、デルフィネ達は涙で濡れた瞳に焼き付ける。
「今だ、行けっ!」
厳しい怒声を浴び、デルフィネ達は脱兎のごとく掩体壁の陰へ移動した。
デルフィネ達の移動を確認した後、ヴィルミーナは美しい薄茶色の髪をたなびかせながら、小隊残余の指揮を取る若い伍長の許へ駆けて行く。すぐそばを弾丸が駆け抜けても気にも留めない。いや、もう気にしている余裕もない。
「状況は?」
「最悪だよ」
伍長は顔を強張らせながらも、口端を緩めた。
「敵は二個小隊くらい。こっちは最初の斉射で半分死傷。このままだと虫の御馳走だね」
「私達みたいな奇麗どころを食べられるなんて、幸せな虫達だこと」
「……さっきから思ってたけど、やけに荒事慣れしてるわね。本当に貴族令嬢?」
「多分ね」ヴィルミーナは小さく微笑み「それより魔導通信器は? 救援要請はしたの?」
「連絡ならさっきからしてる。だけど、助けは来ないかも」
「? なぜ?」
ヴィルミーナは訝しみつつ、伍長の背後でランドセルみたいな通信器の通話具に怒鳴っている通信兵を窺う。どうやら、何か問題が起きているらしい。
伍長は力なく笑った。
「王子殿下が訪問中の街に、敵が攻撃を仕掛けたんだってさ」
〇
ランスベール大将は自らを正しいと信じて疑わないバカの行動力を舐めていた。
本国のバカ共は侵攻軍が動かないと察するや否や、独自に戦力を用意し、本当に王子襲撃作戦を実施した。国王アンリ15世をそそのかし、近衛軍団を拘束するために陽動攻撃まで実施させて(ヴィルミーナ達が遭遇したのは、この陽動攻撃部隊の一つだった)。
襲撃作戦へ投入された兵力はなんと大隊規模。
部隊は指揮官の名をもって『ボレル任務大隊』と名付けられた。
大隊長を務めるボレル大佐は先のスノワブージュ爆撃で両親も妻子も失っていた。
兵士の半数も彼同様に身内をベルネシアとの戦いで失った者達で、強烈な憎悪と怨恨を持つ復讐者達だった。彼らはこの作戦が片道切符であることを承知であり、その上で戦う意思を固めていた。ある意味で死兵と化していた。
残りは刑務所などから引っ張り出されたクズ共で、弾除けの肉壁だ。
こいつらにしても、もう後がない人間で、捨て鉢の怖さを有していた。
突出部の部隊が陽動攻撃を開始し、ベルネシア軍を拘束している間に、飛空船や飛空短艇を使って強引に前線を突破。そのまま船ごとベルネシア南部小都市ワーヴルベークへ突入した。
この強行突入は完全な奇襲となり、ベルネシア側は完全に裏を掻かれた形になった。
かくして、王子エドワード率いる広報宣伝部隊が訪問中のワーヴルベークはたちまち戦場と化した。
狂気的復讐心を持つ『ボレル任務大隊』は、視界内にいる全てのベルネシア人に殺意と害意を叩きつけていく。女子供老人だろうとお構いなしに銃を撃ち、刃を振るい、手榴弾を投げつける。もはや単なる無差別テロだ。
一部のクズ共は任務を放り出し、どさくさ紛れの強姦や略奪に走った。これもまた、混乱に拍車をかけた。
第一王子エドワードは直衛の兵士達からすぐに退避するよう言われたが、これを拒絶した。
「ここで民を見捨てて逃げ出したら、王家末代までの恥となる。いや、王家の不名誉に留まらない。ベルネシア王侯貴顕の権威が根本から失墜してしまう。退くわけにはいかないっ!」
第一王子エドワードは佩刀を抜き、叫んだ。
「心ある者は我に続けっ! 同胞を守れっ! 我らに神の御加護をっ!」
かくして、広報宣伝部隊は『ボレル任務大隊』と戦闘に入った。
これに泡食ったのは、ベルネシア軍だった。
なんせ、たった大隊規模とはいえ、メローヴェン要塞線の裏にまで入り込まれたのだから。
防衛線総司令部は大混乱に陥っていた。
この大混乱に呑まれ、ヴィルミーナの部隊――第17輸送隊の救援要請は陽動攻撃に対する報告の1つとして埋没してしまった。
混乱による人的ミス。珍しいことではない。古今東西、よくある単純な失敗だ。
その単純な失敗が、ヴィルミーナ以下20人強の貴族令嬢を窮地に追いやっていた。




