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今回もちょい長め。
どうも文字数がだらだらと伸びる……スパッと短くまとめられる人達はすごい。
大陸共通暦1766年:ベルネシア王国暦249年:晩冬。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム
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国境防衛線が小なりと言えど突破されたことで、国王と王国府は二つの決断を下した。
近衛軍団の前線投入と訓練期間を短縮した徴兵部隊の戦線後方投入――メローヴェン要塞線への配備だ(軍は徴兵部隊が前線勤務に耐えられないと判断した)。近衛軍団が王都の守りを捨てて前線へ赴く。誰の目にもベルネシアの窮状が窺えよう。
そして、国内の全高等教育学生――王立学園、魔導学院、その他私塾高等部が軍事補助員として動員された。
既に貴族子弟も招集されていたが、この学徒動員は各方面から猛反発が生じた。貴族だけでなく、学界や産業界の反発は激烈だった。彼らもヴィルミーナの技術/学術系人員の徴兵免除政策を大歓迎していたから、余計に大きい。
最大の反発者は平民だった。特に中下級層の平民――動員される学徒の親達がデモを行う騒ぎになった。彼らにしてみれば、高い金を投じて高等教育を受けさせた子供は一家一族の期待の星なのだ。それを鉛玉の餌食にされてはかなわない。
何より、王太后マリア・ローザが食って掛かった。
「エドワードを出征させることは絶対に許しませんっ!」
歳若くして戦死した次男の姿絵を常に手放さない王太后の激昂振りは、さながら鬼子母神を思わせる。
対する現国王カレル3世も疲労しきった顔で強く訴えた。
「母上……っ! 貴族も民も既に親兄弟に我が子を戦場へ送り出しているのですぞっ! 我らだけが戦に立たぬとあっては、道理が通りませんっ! 王家の信を失いますっ!」
「王族と民草の命を同列に語ることこそ道理が通りますかっ!」
「民あっての王家ですっ! 民の敬意と信頼を失くした王侯貴族など、ただの搾取者にすぎませんっ! これまで我らの父祖が先陣を切って民のため、国のために血を流してきたからこそ、今があるのですっ!」
王太后は血の気が引くほど手を強く握りしめる。
「ならば、お前は我が子を鉛玉の餌食にしても良いというのですか……っ! それが親としての貴方の決断なのですか……っ!」
「私は親である前に王ですっ! 貴女も母や祖母である前に、王太后でしょうっ! この国の全ての民が貴女の子であり、貴女の孫なのですぞっ! 身内可愛さにその責をお忘れかっ!」
怒声が飛び交っていたのは、国王執務室の中だけではない。
王妃エリザベスのサロンでも、第一王子エドワードの怒声が飛んでいた。
「広報宣伝部隊ですってっ! そんなものはお断りですっ!」
エドワードはエリザベスに怒声を浴びせた。椅子から立ち上がり、熊のようにサロン内をうろうろしながら、怒鳴り続ける。
「この国難の中、ただのお飾りであれというのですかっ! そんなこと承服できませんっ!」
学徒動員令により、やっとこさ出征できる。国に尽くせると喜んだところへ、母から持ち込まれた”凶報”に、エドワードは瞬間湯沸かし器の如く激憤していた。
議会――特に強い権限を持つ貴族院の反発と政治問題を厭うた軍が妥協案として、『第一王子エドワードを中心に有力貴族子弟子女の学徒広報宣伝部隊』を設立することとした。また平民の学徒も前線ではなく北部や西部の警備哨戒任務に付かせることで妥結していた。
この戦争のベルネシアは学徒動員しても、戦火の遠い場所に配するだけの“良心”があった(むろん、代わりの誰かが前線やその付近へ送られるのだが)。
激昂するエドワードを見て、エリザベスは複雑な面持ちを浮かべていた。
王妃としては、王子が国に尽くそうとする姿勢は誇らしい。しかし、母親としては、前線に立ちたがる息子の危うさをただただ案じてしまう。
同席している婚約者グウェンドリンと宰相令息マルクは、どうやってエドワードをなだめようかと思案顔だった。
同じくこの場に招かれていたヴィルミーナは素知らぬ顔で珈琲を啜っている。
「そもそもフランツ叔父上は既に出征し、ヴィーナも戦場に赴くではないかっ! 女のヴィーナが良くて、なぜ俺がダメなのだっ!」
「私は戦場に行きません。他の者達と同様に後方支援に従事するだけです」
「ヴィーナ、つまらん揚げ足取りはやめろっ!」
エドワードから罵声を浴びせられても、ヴィルミーナはしれっとしたままだ。カップを置き、言った。
「殿下はいささか誤解していらっしゃるご様子」
「誤解だとっ!?」
「第一に。王弟大公フランツ殿下は名うての武人でございます。出奔されていた間の数々の冒険譚は殿下もよくご存じでしょう」
王弟大公フランツは先王と嫁を巡る諍いから、出奔。兄の現国王カレル3世に連れ戻されるまで、嫁と共に大冒険していたという豪の者である。というか、“勝手に”出征して既に暴れている(王太后もフランツの出征には溜息をこぼしただけだった)。
「第二に、私は王妹大公令嬢として活動するのではなく、“白獅子”グループの統領として活動するだけです」
「欺瞞を弄すなっ! お前の側近衆が宣伝部隊に入れられなかったからだろうっ!」
「はて、なんのことやら」
図星であったが、ヴィルミーナは表情筋を動かさず、珈琲を再び口へ運ぶ。
学徒広報宣伝部隊はあくまで王族子女と有力貴族子女だけに留められた。具体的には捕虜になったり戦死したりすると厄介なことになる子供達だけだ。この辺の線引きは厳格で、ヴィルミーナですらごり押しできなかった。
この対応に、ヴィルミーナは側近衆と共に一般学徒と同様の任務につくよう、ごり押しした。さながら当てこすりだったが、このごり押しが通ってしまった。ヴィルミーナはある意味、エドワード以上に捕虜になったり死傷したりしたら大問題なのだが。権力ってすごい。
「だいたい、私だって戦場に立つことなんてありませんよ。出向いてもメローヴェン要塞線までです」
「嫌味か貴様っ!」
青筋を浮かべるエドワードに、見かねたエリザベスが釘をさす。
「少し落ち着きなさい、エドワード。心情は察しますが、少々見苦しいわ」
母に釘を刺され、エドワードが歯噛みして唸る。
「殿下。王子として兵と共に戦場で戦いたいという使命感と義務感は理解できます。しかし、やはり貴方が前線へ出ることは悪影響の方が大きすぎますよ」
宰相令息マルクが眼鏡の位置を修正しながら言った。すかさず婚約者グウェンドリンが便乗する。将来の王妃は機に敏い。
「ヴィーナ。広報宣伝部隊とて重要な任務。そうでしょう?」
「難易度で言えば、戦場で殺し合うより難しいわよ」
ヴィルミーナは言った。訝るエドワードへ説明する。
「不安を抱える南部諸都市の住民や避難所暮らしの者達を訪問し、野戦病院に収容された将兵を巡る。これは御想像されている以上の困難と苦労を伴う行為よ。
殿下はできますか? 親兄弟に我が子を亡くした者達の悲しみを少しでも和らげることが。
殿下はできますか? 手足や目鼻を失くした兵士達の苦しみを少しでも慰めてやることが。
百万の言葉を尽くしたとしても、為せるとは限らぬ難行ですよ」
「う」エドワードは思わず息をのむ。
「それに、艱難辛苦にある者達を慰撫し、激励するからには、臭いや見た目が酷いからと言って、眉を顰めることは許されません。彼らは敏感です。貴方が単なるパフォーマンスとして訪れたのか、真摯に自分達を思いやってくれるのか。必ず嗅ぎ分けます。前者だと思われた時、二度と彼らの敬意と信頼を得られないと思ってください」
たとえ、訪問の本質がパフォーマンスや偽善としても、それをそう感じさせない技量と態度は要求されるのだ。決して容易いことではない。
「それに、殿下が戦場へ赴くことになれば、当然、王立学院の生徒も全員が前線送りになりますよ。それでもよろしいのですか?」
「!? 待て! なぜそうなるっ!?」
慌てたエドワードが脳裏に浮かべたのは、当然ながらアリシアである。そのことを女の勘で察したグウェンドリンが面白くなさそうに唇を尖らせた。
同様に察したエリザベスが苦い顔を浮かべながら言った。
「エドワード。次代の主君たる貴方が戦場に赴くのに、臣たる貴族が付き従わなかったら、戦後に居場所を失くす。誰もが前線へ行くわ。いえ、行かざるを得ない」
唖然とするエドワードに、なんでそんなことも想像できんのだ、と露骨に態度へ表すヴィルミーナとエリザベス。
流石に、マルクも『そこは気づけよ』と言いたげに眉根を寄せている。
「殿下、いえ。エドワード。流石に視野が狭まり過ぎだ。それでは戦場に行っても、敵の手柄首にされるだけだよ。広報宣伝部隊。良いじゃないか。次期国王の君の言葉が民を慰め、兵を励ますんだ。立派な務めだよ」
側近であるマルクからも、お前の負けだと言われ、
「……ままならないな、本当に」
エドワードは意気消沈して椅子へ座り込む。グウェンドリンがそっと手を伸ばしてエドワードの手を握った。
グウェンドリンが傷心のエドワードを前にし、頬をほんのり桜色に染めていた。将来の王妃は業の深い趣味をお持ちだ。
「広報宣伝部隊に関しては既に活動計画の立案が進められています。殿下は民と将兵に掛けるお言葉を今からご用意ください。当然、現地の情報を絶えず集め、適正なものを考慮なさるように」
てきぱきと語るヴィルミーナに、エドワードはどこか傷ついたような、それでいて嫉妬を込めた目を返す。
「まったく……君には敵わないよ、ヴィーナ。きっと、皆は大なり小なり思っているだろうな……君が王家嫡男に生まれていたらと。俺もそう思う」
「エドワードッ!」「殿下っ!」「エドワード様!」
エリザベスとマルクとグウェンドンリンが仰天して思わず悲鳴染みた声を上げる。
エドワードの抱いている感情は極めて危険だった。下手をすれば、その嫉妬心や劣等感からヴィルミーナを敵視し、排除するようになりかねない。
それはエドワードのためにも、いや、王国のためにならない。ヴィルミーナはもはや実績を伴った要人なのだから。この面子の中でそのことを最も深く理解しているエリザベスの動揺は特に大きい。
が、当のヴィルミーナは一瞬、紺碧色の目をぱちくりさせ、次いで、あはははと大声で笑う。
「まったく貴方はいつまで経っても”可愛い”わね」
「そんなにおかしいか、ヴィーナ」
眉間に皺を刻んで不快感をあらわにするエドワードへ、
「貴方は分かってない。まったく分かってない。私にそんな些末な感情を抱いている時点で、貴方は自分の立場が如何に苦しく辛く重責と重圧に満ちたものか、まったく自覚してない。貴方は自分がどれだけその立場にふさわしい人間か、まったく自覚してない」
幼子を諭すように語り、ヴィルミーナは問う。
「ねえ、エド。貴方はどんな王様になりたいの? どんな“男”になりたいの? 玉座に就いてこの国をどう導きたいの?」
「それは―――」
エドワードはとっさに答えられなかった。その事実に、ヴィルミーナへ抱く意識以上の衝撃を受ける。自分自身への失望に等しい痛悔の衝撃に打ちのめされる。
俯きかけたエドワードに歩み寄り、ヴィルミーナは両手でその端正な顔を包んで無理やり上げさせた。傷心に浸ることを許さない。そんな甘えを許さない。
王が膝を折ってはならないからだ。
「エド。貴方が望む貢献ではないけれど、今回の広報宣伝部隊の仕事は極めて重要で、とても惨い現実を貴方に突きつけるわ。その現実を見たうえで、私の出した問いの答えを聞かせて」
ヴィルミーナはエドワードから離れ、恭しく一礼する。
「第一王子エドワード殿下。未来の我が王よ。どうか私に貴方の理想、貴方の夢を手伝う誉れを賜れますよう、お願い申し上げます」
エドワードは熱くなった目頭を拭い、ふ、と息を吐く。そして、憑き物が落ちたように微笑んだ。
「大変な宿題を押し付けられたな」
グウェンドリンとマルクも立ち上がり、ヴィルミーナに続いて深く一礼した。
「その宿題、是非ともお手伝いさせてくださいませ」
「非力ながら、全力を尽くさせていただきます」
若者達の青臭いやり取りを窺っていたエリザベスは静かに歓喜していた。自分の息子は人に恵まれている。人に恵まれず不幸な境遇を歩んだ王がどれほどいたことか。
同時に、思う。思ってしまう。
グウェンドリンは素晴らしい娘だ。美しく典雅で聡明で王妃にふさわしい人品を有している。それでも、ヴィルミーナを嫁に出来ていたら、と思ってしまう。
この姪は絶対に手放せない。婿は最大限の注意が必要だ。外国へ嫁がせるなどありえない(元よりユーフェリアが許さないと思うが)。
エドワードは小さく、だが強く首肯し、ヴィルミーナに尋ねる。
「ヴィーナ。君は持っているのか? 自分がなりたい姿を。為したいことを」
「もちろん」
ヴィルミーナは自慢げにほほ笑み、語った。
「私はね、この世界に自由資本主義市場経済圏を作る。その商業経済圏に君臨する大財閥を作る。この世界を動かすような私だけの帝国を作る」
その誇大妄想的な発言がヴィルミーナの本気だと理解した4人は、それぞれ感想を述べる。
「帝国を作るだと? 奸臣の極みだな」とエドワードは呆れ果てて「牢へぶち込んだ方が良い気がしてきたぞ」
「働き過ぎて、心を病んだのかも。少し療養させた方が良いのでは?」
本気で心配顔のグウェンドリン。
「こんなのに勝たないと宰相になれないのか……」
小声でぼやき、目を覆うマルク。彼は宰相である父に言われていた。『お前が俺の地位に就きたいと思うなら、少なくともヴィルミーナ様に勝るところを見せねばならんぞ』。
……これに勝てと? 大飛竜に素手で挑むより無理難題な気がする。
エリザベスは思った。やっぱり嫁に出来なくて良かったかも……
「好きなようにおっしゃい。私は私の覇道を邁進するのみよ」
ヴィルミーナは獣が牙を剥く様に口端を釣り上げた。
〇
学徒部隊の出征に向け、編成と準備が急ピッチで進められる中、海軍に護衛された4隻の大型輸送船が王都オーステルガムへ入港する。
外洋派遣軍の先行部隊がついに帰還したのだ。
その数は総勢わずか一個戦隊。
ただし、その戦隊はベルネシア最精鋭の特殊猟兵戦隊だった。
外洋領土各地に小部隊ずつ配置されていた彼らは、此度の戦に合わせて”イストリア”で集結した後、本国へ帰ってきた。なぜイストリア連合王国で? という疑問の答えは、冬季戦に備えた再訓練と支度をするためだ。
国の危機”くらい”で、彼らは慌てふためいたりしない。
世界各地で公式非公式/合法非合法の任務についていた彼らを率いるのは、ロン・デア・レヴェンヌ少将。特殊猟兵戦隊創設に関わった人物の一人で、彼自身も特殊猟兵戦隊創設以前から特殊任務に従事していた。
その証拠として、彼は左頬に大きな傷跡が走り、左手に小指と薬指がなく、左足も不自由だった。
レヴェンヌ少将は王国陸軍総司令部に出頭し、これまでの経過と戦況を聞いて冷笑した。
「なかなか厳しい状況ですな。外洋派遣軍の主力到着まで持たせるのは大変そうだ」
説明役の大将がその不遜な態度にイラッとしつつ、戦況図を示した。
「貴様の特殊猟兵でこの防衛線の穴を塞いでもらう」
「それは構いませんが、塹壕にはこもりませんよ」
「なに?」
「我々は浸透潜入偵察と襲撃戦に特化した部隊だ。塹壕にこもって防御戦など騎兵に土木作業をやらせるようなものだ。愚行の極みです」
その傲岸で勝手な言い草に、大将は至極当然に憤慨する。
「選り好み出来る状況だと思っておるのかっ!」
「この状況だからこそ、ですよ。無駄なことをしている余裕などありません。適材適所を図らねばね」
レヴェンヌ少将は小馬鹿にするような冷笑をより大きくし、
「我ら軍人は陛下と御国を守る盾。ですが、我々特殊猟兵戦隊に限って言うならば」
言った。
「守るより攻める方が、特に殺す方が得意ですから」




