7:0a:忘れえぬ18の年。秋~冬
戦争です。残酷描写が増えます。御留意ください。
大陸共通暦1766年:ベルネシア王国暦249年:中秋。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:南部国境付近。
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ベルネシア王国侵攻作戦は最初から不穏な気配が漂っていた。
クレテア軍は国境を越えた瞬間から、ベルネシア側のサボタージュに遭遇する。
全ての橋が破壊されていて、道路は倒木によって塞がされていた。兵士達が橋を直そう、倒木を撤去しよう、と近づけば、糞を塗ったスパイク付落とし穴があったり、爆薬が仕掛けられたりしていた。被害は微々たるものだったが、士気と行軍速度の低下は大きかった。
苦労しいしいで架橋し、道路を復元して進んでいくと、次の違和感に気づく。
現地徴発可能な村落や集落が一つもない。村や集落があった場所は更地と化しており、井戸や用水路は埋め潰されていた。食料を徴発するどころか水すら得られない。
秋の到来により、夜はかなり冷え込んでいたが、夜間の焚火は禁止されていた。
ベルネシアの夜襲のせいだ。
侵攻開始初日の夜から、焚火の灯りを目印に、飛空船の夜間爆撃や砲撃が行われ、これにより大きな被害を被った。ある銃兵師団などは師団司令部が吹き飛ばされ、師団長(将官)以下幕僚が全員戦死している。会敵前にもかかわらず、だ。
そうして侵攻開始から三日目。会敵前から出血と消耗を強いられつつ、山稜帯に敷かれた国境防衛線に接する。
「なんてこった」
ベルネシア軍国境防衛線を目にしたクレテア軍の偵察翼竜騎兵は絶句する。
開戦前の長い準備期間がベルネシア国境防衛線を長大な野戦築城陣地に変えていた。
突破困難な地形――丘陵や高地や山林や小川沿いに、巧妙な偽装と充分な補強が施されたトーチカ群と塹壕陣地が幾重にも連なっている。しかも、塹壕陣地は従来の単線ではなく、前哨線―主抵抗線―予備線の複線からなる分厚い帯型陣地だった。
偵察翼竜騎兵の目には、分厚い塹壕帯がクレテア軍をからめとろうとする蜘蛛の巣に見えた。
〇
リュシアン・ド・ルルー銃兵大尉は気合が入っていた。
ド・ルルー一族の一人にして、練達の中年将校である彼は、昨年に戦闘飛空船乗りの従兄をベルネシア軍に殺されていたこと(閑話6b参照)から、ベルネシアへ個人的な憎悪と怨恨を持っていた。
青い縦襟フロックコートに赤いズボン。将校用シャコー帽。膝まで届くブーツ。腰に巻いた幅広の装具ベルトには回転式拳銃とサーベル。貴族将校らしく軍服の仕立てはオーダーメイドで美しい。
周りの兵士達も見た目は同じような格好をしている。違いはズボンが白く、下士官兵用シャコー帽を被り、トラップドア型後装式小銃を抱えていることくらいだ。
昼食前の午前中。
リュシアンは突撃待機壕の中で、率いる中隊の兵士達と共に『その時』を待っていた。
大国クレテア陸軍は近代的軍隊であるから、頑強に守りを固めた敵野戦築城陣地へ戦列を組んで突撃を仕掛ける、などという愚行はしない。敵同様に塹壕を掘って攻撃開始距離を詰めた。
もちろん、その作業を見守る敵などいないから、作業中にも阻止砲撃や銃撃をガンガン浴びて少なくない犠牲を払ったが。
リュシアンはそっと突撃待機壕の縁から様子を窺う。
敵塹壕線まで500メートル。
それがクレテア側塹壕線の進出限界だった。
敵塹壕線まで500メートル。
朝方に威力偵察に出て倒れた友軍将兵達が散乱している。無数の死体が横たわり、むせかえるほどの死臭が漂っていた。中にはまだ息がある者もいるかもしれない。
ベルネシア人共め。待っていろ、思い知らせてやる。
リュシアンが口腔内で怨嗟をこぼす。
500メートル先にそびえる背の低い丘は友軍の砲兵に幾度も叩かれ、完全に耕されていた。それでも、あそこにいる敵が死に絶えることはなく、既に二度の攻勢を退けている。
突撃待機壕の後方から遠雷のような音色が響く。友軍の砲撃が始まったのだ。
中秋の青空を砲弾の大群が頭上を駆け抜け、幾重もの風切り音が降り注ぎ――丘に無数の爆発が生じた。びりびりと震える大気と大地。爆風と衝撃波が待機壕まで届く。
リュシアンが頭を引っ込め、横目に周囲を窺う。兵士も下士官も将校も緊張と恐怖で顔を引きつらせている。皆、息が荒く冷や汗を掻いている。緊張に耐えかねて嘔吐する者もいた。
一時間に渡る砲撃が終わり、丘を中心に粉塵と爆煙が薄霧のように漂う中、奇妙な静寂が訪れた。
不意に師団軍楽隊が演奏を始める。腹立たしいほど能天気で陽気なメロディ。
リュシアンは右腰から拳銃を抜き、首に下げた突撃笛をくわえた。他の将校達と共に突撃笛を吹き鳴らす。あちこちの突撃待機壕から笛の甲高い音が響き渡った。
直後、下士官達が青筋を浮かべて怒鳴り散らす。
「クレテア万歳っ!」「国王陛下、万歳っ!」「突撃前へっ! 突撃っ!」「行けえええっ!」
そして、
「ふらああああああああああああああああああああああああああああっ!」
リュシアンを含めた全将兵達がやけっぱちに吠えながら、突撃待機壕を飛び出していく。
北部軍第81旅団の81-2銃兵連隊約3000名の突撃が始まった。
瞬間。正面の丘が“噴火”した。
塹壕内に身を潜めたまま、ベルネシア銃兵が見事な統制射撃を繰り返す。塹壕内の擲弾砲(擲弾を放つ小型臼砲みたいなもの)が擲弾を雨霰と投射する。トーチカ内に据えられた軽量平射砲もキャニスター弾をぶっ放す。
ピカピカと煌めく無数の青い発砲光。金属的な銃声と砲声の大合唱。
丘の後方からも甲高い砲声が聞こえ、丘の背後からロケット兵器の大群が白煙を吐き出しながら飛翔していた。
大陸南方大半島地域から大陸西方へ持ち込まれたロケット兵器は、要するにデカいロケット花火だった。簡素で安価で対費用効果が良い兵器だった。
ただし、威力と命中精度と安定性に難があるが、この時代のロケット兵器はとにかく大量投入してナンボの代物であり、単発の性能は重視されない。
突撃待機壕から敵塹壕線の間に広がる500メートルはたちまち、鉛と爆炎に満たされた。
クレテア軍将兵がばたばたと薙ぎ倒されていく。
銃弾に穿たれ、貫かれ、砕かれる。擲弾とキャニスターの散弾に千切られ、引き裂かれ、破砕される。ロケット兵器の爆炎と爆風と衝撃波と飛散破片に飲み込まれ、焼かれ、薙ぎ払われ、吹き飛ばされる。
炎に巻かれた者が転げ回り、手足を失った者がのたうち回り、耳鼻や目を失った者が悲鳴を上げ、はらわたを抉りだされた者達が泣き叫んでいた。
巻き上げられる大量の土砂と立ち上る爆煙。降り注ぐ土砂の中には、砕かれた人体が大量に混じっていて、その血肉が大地へバラまかされる。
まさに酸鼻極まる光景。しかし、逃げ出す者は居ない。大国クレテアの精兵達は地獄の中にあって退くより進むことを選ぶ。鉛と炎が吹き荒れる中を必死に駆け続けた。
将校や下士官達も喉が裂けんばかりに叫び続ける。
「突撃ぃいいいっ!」「怯むなっ! 進めぇええっ!」「行けぇっ! 行けえええっ!」
巻き上げられた土砂と共に降り注ぐ仲間の血肉を浴び、仲間の屍を踏み越え、負傷した仲間を見捨て、兵士達はやけっぱちに怒鳴り吠えながら敵塹壕線へ向かって駆けていく。
「進めええええええええっ! 進めええええええええええっ!」
リュシアンも怒鳴り散らしながらひたすらに駆けていた。ともに飛び出した部下の多くは既に命を落としている。中隊先任下士官の肉片が右肩に張り付いていた。従卒の返り血で顔の左側が赤く染まっている。
銃砲の弾が吹き荒れ、魔晶炸薬の発砲煙が薄霧のように立ち込める中、リュシアンの中隊残余60名弱が前哨塹壕線へ到達。塹壕内へ雪崩れ込む。
「殺せーっ! ベルネシア野郎をぶっ殺せぇええええええっ!」
意外なことに、ベルネシア兵達はリュシアン達の突入を確認するや否や、トーチカにこもっている少数の兵士を除き、すぐさま前哨線から引き始めた。
恐怖の500メートルを駆け抜けた兵士達は猛り狂い、逃げ遅れた敵を容赦なく殺害していく。
前哨線の兵士達がやけに脆いことに、リュシアンは疑念を抱かなかった。ベルネシア人を蔑視している彼は、腰抜けのクズ共が地金を現したな、とあざ笑うだけだ。
それが過ちだとすぐに思い知らされる。
主抵抗線から前哨線へ砲撃と集団戦闘魔導術が叩き込まれた。火砲の射程に劣るため廃れた戦闘魔導術ではあるが、対魔導術装備がない者にとっては致命的と言って良い。
炎熱の奔流が前哨塹壕線の中を舐め尽くしていく。クレテア兵達は次々と炎に呑まれ、言葉にならぬ断末魔を上げ、塹壕の底へ倒れていった。
魔導術の心得がある者達にしても、砲撃を浴びている状態では精神的余裕や冷静さに欠くため、とっさに対抗魔導術を駆使できない。
その刹那の遅れが致命的となり、貴重な魔導術使い達も火だるまになって塹壕の底に倒れる。
事ここに至り、リュシアンは自分達が誘い込まれたのだと理解する。
「おのれ、ベルネシアの卑怯も―――」
砲弾の一つがリュシアンの体を七つに引き裂きながら吹き飛ばした。
リュシアンと中隊残余の半分はこの砲撃で命を落とし、残りの半分は逆襲してきたベルネシア軍に殺された。連隊の他部隊も同じ運命を辿った。
炎の収まった塹壕内には黒焦げの骸がいくつも転がり……臭いが漂っている。
食欲と嘔吐感という背反する感覚を刺激する臭いが。
北部軍81旅団81-2銃兵連隊は大損害を出して後退。攻撃発起点まで生還できた連隊残余は約700名足らず。うち半数は負傷していた。
この日の夕刻、クレテア軍は戦場に放置されている死傷者収容のため一時休戦を申し出て、ベルネシア側も受け入れた。
収容作業が終わった時、息があった者は一割に満たなかったと言われている。
〇
侵攻開始から一月が経ったが、クレテア王都ウェルサージュに吉報は届かない。
宮殿内の執務室で報告書に目を通していた宰相マリューは、苛立ちから無意識に頭をがりがりと掻き、貴重な髪の毛を散らしていた。
計画では長くとも一週間で国境防衛線を突破して橋頭堡を確保、今頃はその後方にそびえるメローヴェン要塞線の攻略に取り掛かっているはずだった。
ところがどっこい。
20万を超す兵力を投じたにもかかわらず、未だ国境防衛線の突破に成功していなかった。
このひと月の間、防衛線突破を図って3度の大攻勢を実施し、4万人超の死傷者を出して得たものは、いくつかの前線拠点だけだった。
開戦から1ヶ月で侵攻軍の約5分の1が死傷したにもかかわらず、防衛線を突破できていない。宰相マリューでなくとも頭を掻き乱したくなろう。
報告書にはさらなる凶報も記載されていた。
侵攻軍の補給事情が急速に悪化しているという。
今回の侵攻に際し、国境付近の都市スノワブージュとシャルルヴィル=バジメールの2都市に大量の物資を集結させ、国境傍の各集落や村落を中継地とし、前線へ物資を届ける手はずだった。
しかし、そこから先――国境を越えたベルネシア領内での活動が著しく停滞している。
なんせ中継地となる村も集落もない。当然、人足として扱う住民もいない(敵国民だから奴隷の如く使い潰せる)。挙句、ベルネシア軍は飛空船や翼竜騎兵を使い、頻繁に輜重段列を襲撃し、掛け直した架橋を破壊した。
飛空船はいまさら言うまでもなく高価な代物だ。せせこましい作戦に使うものではない。
そして、翼竜騎兵はエリート部隊である。翼竜は生育も調練も高価であり、翼竜騎兵の教育もクソ金が掛かる。
そんな翼竜騎兵を偵察と後方襲撃だけに専念させることは、対戦車ヘリコプターにピザのデリバリーをさせるようなもの。常識の埒外であった。
とはいえ、こうなっては輜重に対空部隊を同行させ、橋に防空陣地を作らねばならなくなった。ベルネシア領内に物資集積所をこさえる必要もある。特に架橋の維持は死活問題だった。
橋が壊される度、食料糧秣や武器弾薬、特に重たい火砲と砲弾が何時間も、場合によっては何日も前線へ送れなくなってしまう。
魔導術で土橋や氷橋をこさえてしのぐことも出来たが、これも魔導術士の練度如何では渡橋中に崩落してしまい、大事故に至ることもままあった。
面倒だが、諸々対策をしないと、前線に弾薬と食料が届かない。どれだけ兵力があろうと勇猛であろうと、弾薬が無ければ戦えないし、食い物が無ければ動けない。
むしろ、大兵力が仇となっていた。後方の細々とした遅滞が積もっていき、前線で深刻な物資不足を生んでいる。
腹を空かせた兵士が食い物を探して森に入り、モンスターの餌食になる事例が急増していたほどだった。
そうしてなんとかデポを作り、対空部隊を展開させたものの、後装式砲を搭載した敵飛空船は長射程を活かし、対空部隊の射界外から悠々と砲撃を浴びせ、デポを破壊し、防空部隊を殺傷した。これには徒労感と敗北感を味あわされた。
前線上空に飛空船と翼竜の防空網を作ろうとするも――
海軍は反発した。飛空船は機動してナンボだ。上空待機させて守らせるなど論外っ!
エリート意識の高い翼竜騎兵の反発はさらに激しかった。物置の警備係など出来るかっ!
では、もっと積極的に、と敵の後方基地を襲撃し、航空戦力を弱体化させようとしたところ、待っていたのはハリネズミの対空陣地と阻塞気球の群れ、戦闘飛空艇と翼竜騎兵の歓迎委員会だった。
出撃した翼竜騎兵の三分の一が帰ってこなかった。大損害である。
事ここに至り、クレテア首脳部は理解した。
国境防衛線こそが主力防御陣地であり、ここで侵攻軍を出血死させる気だと。
そして、今、敵の狙いにハマり切っている。
宰相マリューは報告を執務机に叩きつけ、両手でがりがりと頭を掻く。数少ない髪は抜け、荒れた頭皮がフケのようにぱらぱらと落ちる。爪の跡が残る禿頭が痛々しい。
ドアがノックされ、マリューの返答を聞く前にドアが開く。
国王の侍従が姿を見せ、告げた。
「宰相閣下。陛下がお召しです。至急、会議室まで御出頭ください」
マリューは大きな嘆息を吐いて了承した。胃が酷く痛んでいた。
戦争はまだ始まったばかりだった。
そして、この戦争は彼らの起こした戦争だった。
今日はもう一話投稿します




