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大陸共通暦1766年:ベルネシア王国暦249年:夏。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:国境付近
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アルグシア側の要求は突き詰めれば、金と関係改善だ。
ベルネシアに物資を売りつけて外貨と恩を得たい。出来れば、外洋領土辺りを売ってくれるとなおよろしい。とはいえ、両国の間にはそう簡単に払拭出来ぬ怨讐があり、友好条約や不可侵条約、軍事同盟といった点まで踏み込むつもりはない。
ただまあ、将来的にアルグシアが聖冠連合帝国と事を構えた時は、今回の自分達同様、便宜を図ってもらえるとありがたい。
――といった内容を小一時間近く聞かされたヴィルミーナはくすりと笑って言った。
「私達はこれまで互いに相手が溺れているところを見かければ、煉瓦を投げつける間柄でしたが、今後は溺れているところへ、浮き輪を売ってやると告げるわけですね」
唐突な毒舌に、宰相ペターゼン侯やシュタードラー達だけはもちろん、天幕内の端に控える警備兵や官僚達も顔を強張らせた。
例外は、フリードリケ王妃だった。くすくすと鷹揚に笑う。
「まさしく大いなる関係改善ですよ。少なくとも相手の弱みに付け込む程度にはね」
切り返される毒舌に、ヴィルミーナは機嫌をよくした。ええやん。こういう人好きやで。
「あー……うん。貴国の提案は誠に興味深く、戦禍の迫っている我が国としては諸手挙げて歓迎したい。しかし、残念なことに我が国と貴国の間に信用も信頼も乏しい。まずはそちらの誠意を示していただきたいが、如何か」
気を取り直した宰相ペターゼン侯が攻める。
提案を呑んで欲しけりゃ、まずは先にモノを寄こせ。窮状にあって強気を崩さない。列強国の宰相まで昇った男は、国の存亡くらいでは下手に出ない。
「こちらは貴国へ善意の提案を持ち掛けているだけだ。不要なら不要で一向にかまわない。そちらこそ、我が国の善意に対する誠実な姿勢を見せてはどうかな」
高等外務官シュタードラーも強気に切り返す。
実に欧州的な言葉の殴り合い。ひたすらにド突き合って、互いに利益を引っ張りつつ妥協点を模索していく手法は現代でも主流である。えらく時間が掛かる、という難点があるが。
ヴィルミーナとしては、このクソ忙しい時分に、ンなかったるい真似していられない。
「活発な議論を続けてもよろしいですが、ここは切り口を変えませんか? まずは両国の関係改善の嚆矢として、小口の取引をしてみてはいかがでしょう。小口とはいえ、正式な国家間契約ですから、両国関係を改善し、今後へ続く最初の一歩に変わりありません」
リュッヒ伯爵は密やかに唸る。
仕掛け方が上手い。
王族で国の代表者が『まずは国家間契約の成立だけでいい』と迂遠に告げているのだ。ここまで交渉条件のハードルを下げられた挙句、関係改善の事始めと言われたら、検討もせず蹴ることは出来ない。
小口の取引と告げて、こちらの面目を煽って容易く退けぬようにしているのも狡猾だ。
何より、継続的取引の可能性を前提としていることが小憎たらしい。人間とは”期待”をちらつかされると途端に投機的挑戦をしたくなる生き物だと知っているのだ。
この娘っ子は甘く見ると大変なことになる。リュッヒ伯は気を引き締めた。
「そうですな。何も大きく扱うだけが解決策ではありません。して、具体的には如何ほどの取引になりますか?」
「両国の仕事始めですし、手堅くいきましょう」
ヴィルミーナはリュッヒ伯爵へ微笑を返し、さらりと告げる。
「食料と医薬品を5万人分。武器は後装式小銃3000丁。大小火砲30門。弾薬はそうですね。とりあえず一会戦分。こんな控えめな要求で恐縮ですけれど、如何です?」
全然小口じゃない要求に、アルグシア側が絶句した。
会談は昼飯時を迎えて中断された。アルグシア側が昼食を提供する。
9年戦争で荒廃しきったアルグス地方がなんとか食いつなげたのは、外洋から持ち込まれた救荒植物ジャガイモのおかげだった。
地球史では欧州に持ち込まれてから食用と根付くまでかなりの時間を有した。時の権力者達があの手この手で普及を図ってようやく、といった苦労話が多い。
この魔導文明世界の場合は、食うに困って、という必要性から食用として広まったという。
今では、ジャガイモのない食卓はありえない、とまで言われている。
「野外炊爨ですので、美食に慣れた御二方のお気に召すかどうか」
ホスト役のフリードリケ王妃が微苦笑を湛えた。白いテーブルクロスが掛けられたテーブルの上には、たくさんの料理が並ぶ。
ヴルストとジャガイモとタマネギのグラーシュ。
金毛鹿のステーキ。付け合わせはアスパラとベイクドポテト。
ポテトガレットと小魚のフライ&ザワークラウトとピクルス。
ホカホカの白パン。
食事中は赤白のワインが伴い、おっさん連中はパカパカと煽る。
怨讐ある両国の会食は当初こそぎこちなかったが、そこはホストの腕の見せ所。フリードリケ王妃がヴィルミーナへ巧みに話題を振り、その回答をもっておっさん連中に話を振り、と中々の接待術を示す。流石は王妃。社交慣れしている。
「オーステルガムの小街区については我々も聞き及んでいます。中々に困った事態を招いてくれたと連邦政府がぼやいておりますよ」
リュッヒ伯が言った。
「? どういうことでしょう?」とヴィルミーナが小首を傾げると、
「簡単な話です。あえてこう言いますが、敵であるベルネシアに出来たことを、なぜアルグシアでは出来ないのだ、と傷痍退役軍人や戦没者遺族が訴えましてね。まあ、我々としても無碍にはしたくありませんが、国情が貴国と違いますので、中々に難しい」
シュタードラー子爵が説明すると、宰相ペターゼン侯が小さく頭を振って言った。
「これは、善意から言うが……手を付ける気なら、本腰を入れることですな。“大変な”ことになります」
ベルネシアでは小街区を発端に国を挙げての大改革まで発展してしまった。どれだけ過酷なデスマーチだったことか……
その元凶たるヴィルミーナは小魚のフライを摘まみ、「あら美味しい」なんて嘯いている。
「そういえば、ヴィルミーナ様はまだ御婚約されていないとか」
フリードリケ王妃が悪気なく話を振った。悪気なく、だ。外国人である彼女はその話題がベルネシア貴族界におけるタブーとは知らない。ヴィルミーナの背後に母飛竜が控えているとは思わないから、当然だろう。
唯一事情を知っているのは、ベルネシア事情通のシュタードラー子爵だった。
が、その彼にしても、ビジネスが本題であるこの会談でヴィルミーナの縁談関連が話題に出るとは思っておらず、リュッヒ伯やフリードリケ王妃に“釘刺し”を忘れていた。
であるから、この瞬間、シュタードラー子爵の顔は『あ、やべ』と強張った。慌てて、話題を変えようとするも―――
「アルグシアとベルネシアの懸け橋として、我が国に嫁いできませんか?」
フリードリケ王妃がまったく悪気がないまま、本日最大の爆弾を放り込んだ。
『私のヴィーナをアルグシアに嫁がせる? ……死にたい奴はどこの誰?』
宰相ペターゼン侯の脳裏に、修羅と化した王妹大公ユーフェリアの姿が脳裏にありありと浮かぶ。
「私如きの身に過分なお話ですが、そのような大きな話題には私の一存で御受けも御断りもできかねます。御容赦ください」
ヴィルミーナが卒なく話を受け流す。
ほっと安堵するペターゼン侯とシュタードラー子爵。
「そうそう。婚姻と言えば、やはりクレテア王太子と聖冠連合皇女の結婚でしょうな。たしかもうそろそろ挙式を上げるのでしょう?」
シュタードラーとペターゼンの様子から、不穏なものを嗅ぎ取ったらしいリュッヒ伯がさりげなく話題を転換する。流石は高級官僚。空気を読む能力が高い。
シュタードラー子爵はすかさず乗った。心の中でリュッヒ伯を絶賛しながら。
「臆面なく周辺国に招待状を送っています。我が国は招待に応じるつもりですが、ベルネシアは如何です?」
「我が国は王弟大公殿下御夫妻に名代としてご出席いただく予定です。事情はあれど、招待を頂きましたし、慶事に野暮な話題を持ち込みません。たとえ相手が山賊の真似事を企んでいてもね」
ペターゼン侯は疲れ顔で応じ、運ばれてきた食後の珈琲に手を伸ばす。
ヴィルミーナはデザートのパナコッタを口にし、
「思うに、大陸西方や北方の人間はあまりにも戦争というものを軽く考えすぎなのです」
表情をほころばせながら続けた。
「……耳に痛いですな」
シュタードラー子爵が顔をしかめた。今年の春先にも戦を起こしたアルグシアとしては痛烈な批判に聞こえる。
「外洋領土で紛争を抱えている我が国とて同じですよ。ただ、通商部のリュッヒ伯は思いませんか? 戦争などせず戦費や物資を国内に投じていれば、と」
「それは―――」とリュッヒ伯爵が眉根を寄せる。図星だった。
「平和こそ望ましい。これは観念論ではなく、現実的事象として、です。基本的にあらゆる事業は平和の下でこそ、最大の利益を生み出しますからね。戦争は経済の促進剤となりえますが、恒常的な成長の妨げでもあるし、何より投機的に過ぎます」
ヴィルミーナは珈琲を啜って、怖気を誘うほど美しい微笑を湛えた。
「もちろん、他人の戦争はその限りではありません。戦争とは甚大な消費活動ですので、いくらでも商売になります。貴国は今まさに最良の立ち位置にある。我が国に物資を売りつけてひたすらに稼ぐことが出来ますよ。実に羨ましい」
「言葉を弁えられよ。要らぬ反感を買います」
ヴィルミーナのあまりに露骨な言い草にペターゼン侯が渋面を浮かべた。天幕内に控える両国の官僚や護衛達も眉をひそめている。
「……他国が同胞の血を啜って肥え太るのを良しとされるのですか?」
フリードリケ王妃がヴィルミーナの真意を探るように問う。
「誤解を恐れずに言うならば、」
ヴィルミーナは前置きして、
「我が国が此度の国難を迎えるのは、我が国とクレテアの責任です。他国が糸を引いたわけではない。であるならば、他国が我が国とクレテアの戦争を奇貨とし、利得を図ることは当然の行動でしょう。はばかることなく戦争特需の甘露を堪能なさればよろしい」
淡々と語り、
「そして、その他国が戦争の長期化を恣意的に目論むならば、相応の懲罰を与えるだけです。
やりようはいくらでもありますから」
パナコッタの残りを食べ終え、その余韻を楽しむ。
徹底した怜悧性と実利性、冷徹な客観的理性主義を思わせる意見。シュタードラー子爵もリュッヒ伯爵も唸る。フリードリケ王妃はますます気に入ったようにヴィルミーナを見つめた。
珈琲を嗜んでから、ヴィルミーナは言った。
「平和とは夢見る理想ではありません。施政者である我々が実現してしかるべき“環境”なんです。我々自身が繁栄し、甘露を貪るためにもね」
〇
再開された午後の交渉は、ヴィルミーナとリュッヒ伯による鎬の削り合いだった。
シュタードラー子爵が援護射撃をするも、ヴィルミーナはまったく苦にしない。織り込み済みというように受け止め、いなし、あしらった。
ペターゼン侯は完全にヴィルミーナへ任せ、ホスト役のフリードリケ王妃と談笑する始末。
天幕内で交渉を見守っていた両国の官僚達は、いつか自分もこんな風に国運を賭した大仕事をしたい、と野心をときめかせていた。
そして、午後4時を回る頃、ようやっと契約が成立した。
その内容は食料と医薬品2万人分、小銃1500丁、大小火砲20門、弾薬3基数まで減らされた。通商部高等参事官リュッヒ伯のタフネゴシエーションでがりがり削られたのだ。
ただし、図太いヴィルミーナもタダで譲歩しない。取引額を負けじとがりがり削ったし、この取引を無事完遂したなら、次回取引を改めて交渉するという宣誓書を書かせることに成功した。もちろん、立ち会ったシュタードラー子爵とフリードリケ王妃のサイン入りで。
ちなみに、物資の検品や移送はヴィルミーナ麾下の物流業者などが担当し、利権をがっつり食い取った。親方ライオンの権能をさっそく利用している。図太い。
こうして両陣営は握手で別れた(護衛の兵士達はメンチを切りながら去って行ったが)。
去っていくベルネシア一行を見送り、シュタードラー子爵が呟く。
「ベルネシアの賢姫。噂に違わぬやり手でしたな」
「やり手なんて可愛いものじゃないよ。まったく酷い目に遭った」
リュッヒ伯がくたびれたように椅子へ腰を落とす。ぎしりと悲鳴を上げた椅子を心配そうに窺いつつ、ぼやいた。
「財界の古狐を相手にしたような気分だよ。アレでまだ18? 勘弁して欲しいね」
「うちの子達もあの子の半分くらい頼もしければ安心できるのに」
フリードリケ王妃が半ば本気でそう言った。
「次回取引の宣誓書を結んでよろしかったの?」
「ベルネシア支援は確定方針ですから、構うことはありません。その辺りを見透かされていましたが……いや、出張って正解でした。下手な輩に任せていたらと思うとゾッとします」
リュッヒ伯は嘆息を吐く。威張り散らすか怒鳴り飛ばすしか能のない連中では相手にならん。身ぐるみ剥がれた後に、ケツの毛まで毟られてしまう。
シュタードラー子爵が釣られたように苦笑いを湛えた。
「貴方と刺し合いを繰り広げながらも、外交的配慮を欠かさなかった辺りも薄ら恐ろしい。終始こちらの顔を立ててましたからね。どんな育ち方をすればああなるやら」
リュッヒ伯は首肯した。
だが、あの娘っ子の何が恐ろしいと言えば、自身の利己的強欲を利他的公益にすり替える手管だ。自身の懐を肥やすために動いているのに、結果として皆のため、最大多数の幸福のために動いているように見える。ホントに何者だよ、あのお姫様は。
「もしかしたら」
フリードリケ王妃は呟く。
「あの子と知遇を得られたことが、この会談で得た最大の国益かもしれないわね」




