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もう一回分割します。
母と共に王立歌劇場で演劇を鑑賞した帰り、立ち寄った贔屓のクレテア系レストランで“そいつ”に出くわした。
「これはヴィルミーナ様っ! ここで出会えるなんて、やっぱり僕らは運命で結ばれていますなっ!」
レストランに入店すると、カーレルハイト侯爵家嫡男アーベルトと遭遇した。
線の細い長身痩躯に、繊細な造形の顔立ち。一昔前に流行ったビジュアル系バンドのメンバーみたいなナヨっとした中性さを持つ彼は、ヴィルミーナより2歳年上の19歳だ。
これまで触れてこなかったが、彼とヴィルミーナの関わりは長い。
なんせ彼はヴィルミーナがデビュタントを迎えて以来、週に一度は傍迷惑な愛の詩を送り付け、月に一度は花束を持ってやってくる。現代日本ならストーカーとして訴えられているケースだ。
おかげでヴィルミーナは週に一度はお祈りメール風手紙を返し、月に一度は叩き返す。という不毛な作業を強要されている。
一度は『貴方と添い遂げることは世界が崩壊する日が来てもあり得ません』とはっきり引導を渡したのだが、本人は『照れ隠し』と受け止めたらしい。この人、前向きすぎませんかね。
ヴィルミーナはアーベルトが視界に入った段階でスンと冷たい能面になった。自慢の表情筋も匙を投げる始末である。
お母様と鑑賞した演劇の感想を楽しく語り合おうと思っとったんや……美味しいもの食べながら楽しい時間を過ごせるなぁ思うて、ええ気分になってたんや……
台 無 し じ ゃ あ っ!!
絶対零度の憤慨を湛えたヴィルミーナを横目にし、ユーフェリアはくすくすと笑う。
ユーフェリアは愛娘が毛嫌いしているアーベルトが嫌いではない。なんせこいつがいると娘の珍しい顔が見られるから。
「アーベルト様はお一人なの?」
「いえ。姉上と共に、です。ユーフェリア様」
アーベルトが視線を向けた先には、二十歳半ばほどの豪奢な貴婦人がいた。
アーベルトの姉ニステルロー侯爵夫人だ。子供がおらず、夫も外洋派遣軍で出征しているため、彼女は虫除け代わりに弟を連れ出すことが多かった。
ニステルロー侯爵夫人がやってきて、
「王妹大公殿下、大公令嬢様。今宵もご機嫌麗しく」
上品なカーテシーをした。そのうえで、きっちりと為すべきこともなす。
「よろしければ、同席しませんか? 」
「どうする、ヴィーナ? ご相伴に与る?」
試すような母の口振りに、ヴィルミーナの負けん気が刺激された。
は~ん。安い挑発ですね、お母様。上等じゃあっ! 接待で鍛えたコミュスキルを見せたらぁっ!
「喜んでご相伴に与りますわ、ニステルロー侯爵夫人。アーベルト様も、よしなに願います」
「はっはっはっ! 喜ぶのはこちらの方ですともっ! 今夜は特別な夜になりますぞっ!」
能天気に喜ぶアーベルトに、ヴィルミーナは早くも決断を後悔し始めていた。
料理はいつも通り最高だった。ベルネシア人のクレテア嫌いは筋金入りだが『料理についてはクレテアを認めざるを得ない』というのがベルネシア人の本音。
食前酒はピンクのロゼ。前菜は柑橘と北洋タラのサラダ。魚のメインは黒鮭と秋野菜の包み焼。肉のメインは鴨の胸肉ロースト。チーズとシャンパンを楽しんだ後、デザートはアイスクリームの赤ビーツソース添え。
どの料理も食べるのが惜しくなるくらい美しく、シェフの腕が冴え渡っていた。
その味は見た目以上に素晴らしかった。いつも通り大満足だった。
ただし、食事自体は最悪だった。気分ダダ下がりだった。
ヴィルミーナと同席したことでハイテンション極まるアーベルトがひたすらに、煩わしい。毒舌の嵐を浴びせてやりたくなるが、非礼を働いて母に恥を掻かせるわけにはいかず、ニステルロー侯爵夫人の気分を害するわけにもいかず。
ヴィルミーナは精神的艱難辛苦に耐えながら、余所行き用の笑みを絶やさず、適切な話題振りと受け答えをこなして場の雰囲気を和やかに保った。これぞ日本会社員の接待技術である。
その様子を間近で見ていた母ユーフェリアとニステルロー侯爵夫人は意地悪な愉悦をたっぷり堪能した。
母は帰宅後にヴィルミーナをたっぷり甘えさせようと心に誓い、ニステルロー侯爵夫人は帰宅後に実弟の道化振りをツマミに一杯飲もうと決めた。
そして、ある意味でこの食事の主役となったアーベルトはとても幸せそう。今夜の勝利者は紛れもなく彼だった。鈍く図太いことが英明さに勝ることもある。
デザートを食べ終え、テーブルに珈琲が運ばれてきた。
「そういえば」
能天気なアーベルトが口を開く。
今度はなんやねん。ヴィルミーナがげっそりとした気分を抱えたところへ、
「この間、珈琲喫茶店でヴィルミーナ様の側近衆を見かけましたよ。若い男性と一緒でしたな」
「私の側近衆も幾人かは婚約者を得ましたから、逢瀬を楽しんでいたのでしょうね」
「楽しんでいたのは確かでしょうが、婚約者ではないですよ。絶対」
「? どういう意味です?」
アーベルトはさらっと爆弾を投下した。
「一緒にいた男、あれはジゴロですから」
「あらま」「それはまた」とユーフェリアとニステルロー侯爵夫人が控えめな吃驚をこぼす。
ピキッとヴィルミーナの片眉が上がった。
「アーベルト様。詳しくお聞かせ願えるかしら?」
〇
小街区の成功からこっち、国内商経済界と実業界の“会合”から攻撃されて、私掠船投資で丸損して、お次は身内がジゴロに引っかかった。
なんなん? 厄年には早すぎやろ。
「この時期、この状況で私の身内を的にするとはね。“会合”の寄こしたネズミなの?」
アーベルトから話を聞いた翌日。
ヴィルミーナは執務机を挟んだ向かい側に立つアレックスを見据えて問うた。
言うまでもなく、機嫌は最悪だった。自分の身内がハニートラップに掛かったかもしれない。それだけでも不愉快なのに、派閥外の第三者から知らされたのだから機嫌も悪くなろう。
氷より冷たい紺碧色の瞳に見据えられ、アレックスは完全に委縮しながらも、きちんと報告した。
「調査したところ、ネズミに紐はついておりませんでした。
ルイ・サヴォルリー。21歳。名門貴族の御落胤を自称していますが、ベルネシア国内にサヴォルリーという貴族が存在した記録はありません。身分詐称の平民です。
元々各地で女絡みの騒ぎを起こしていたらしく、一年ほど前に王都へ流れてきたようです。既に、王都内でも何件かのトラブルを起こしています」
「流れ者のドブネズミが偶然、私の身内を的にした。それを信じろと?」
ヴィルミーナは承服しかねた。アレックスや側近衆の仕事は信用している。それでも、この時期、この時節、自分がいま置かれている状況において、『偶然』、ジゴロが身内に接近したと?
「お疑いになるのは分かります。
しかし、事実です。陰謀でも工作でもありません。これは確実です。
私もこんな重要な時期にニーナがジゴロに引っかかったことが解せません。現状、情報漏れと肉体関係はまだありませんが、金を渡し始めています」
アレックスは慨嘆をこぼした。自分だって信じられないと言いたげに。
ハニートラップではなかったことは、喜ばしい。しかし……
ヴィルミーナは眉間を抑えて唸る。
金を貢ぐとか、泥沼に片足を沈めとるやんけ。まさか、私の身内にジゴロへ貢ぐような子が出るとは……苦笑いも出えへん。
数秒かけて報告内容を真実として嚥下した。ふ、と息を吐く。
「これまでも、幾人かバカを“駆除”したが、どうにも世のバカ共は私の大事な“姉妹”を的にする意味を学んでいないらしい。どうやらより分かり易く示すべきかもしれないな」
「お怒りは分かりますが、今は荒事を避けるべきです。“会合”が王立憲兵隊を利用した場合、無視できない被害が生じます」
「確かにその危険性は無視できないわね。公権力を利用して刺すのは基本戦術だもの」
「ヴィーナ様、この件は私に委ねていただけませんか?」
アレックスが固い面持ちで言った。“侍従長”として仲間の不始末を、友達としてニーナの危機を解決したいのだろう。
ヴィルミーナはアレックスの面目を立たせることを選ぶ。
「良いわ。この件は一任する。きっちり始末までつけなさい」
「あの、ヴィーナ様。それで、ニーナのことは……」
不安を滲ませたアレックスへ、ヴィルミーナは眉を大きく下げた。
「私もニーナのことは可愛い。閥から追い出したくはない。でも、情報漏洩が生じたら、私も大目には見られない。相応の厳罰を科す必要がある」
「では、情報漏洩が無ければ、」
「ニーナが高い授業料を払っただけなら、まあ、降格処分ね。任せる仕事の重要度を下げ、報酬も大きく減額する。後はアリシアがしている教会の奉仕活動へ参加させる。平たく言えば、一からやり直させるわ」
「御寛恕に感謝します」
ほ、と安堵の息を吐くアレックスに、ヴィルミーナは語りかけた。姉から妹へ心得を説くように。
「情報を集めたうえで私への報告を判断する、という貴女の考えは悪くない。ただ、貴女やニーナが扱っている情報の重要性を今少し高く認識して。その辺りを台無しにされたら、私の計画全てが水泡に帰す。私は貴女達2人にも、他の“姉妹”達にもそれだけの信頼と信用を寄せているの」
「はい、ヴィーナ様」
居住まいを正して首肯するアレックスの面持ちは、まるで武士のように凛々しかった。
「ニーナのこと、よろしく頼むわね」
ヴィルミーナは満足げに頷き、椅子の背もたれに体を預けた。気分を変えるように大きく息を吐く。
「しかし、今回のような件が起きると“会合”の攻撃が非常に疎ましいな。思いのほか行動と選択肢が妨げられる」
「仰る通りですが、“会合”と戦うにしても、今は厳しいです。組織再編と適正化が完了するまでは御辛抱くださいませ」
“会合”からの攻撃を急激に肥大化した組織を再編と適正化に利用するため、これまで防御に徹してきた。事は目的通りに進んでいるものの、大きな損失を出しているのも事実。ここで逆撃に出て経済抗争となると、被害の拡大と混乱は避けられない。
「アレックスの諫言、もっとも。とはいえ、このままやられっ放しも癪に障るわ」
しかし、ヴィルミーナは何やら仕掛ける気になったらしく、整った顔に意地悪な笑みを湛えた。
「面白くないことが続いているし、向こうにも不愉快を御裾分けしましょう」
アレックスはヴィルミーナの顔芸を眺めつつ、内心で呆れる。
不愉快を御裾分けって。どんなもの食べて育てばそんな発想が出てくるのやら。
続きの5:4cは明日に回します。