閑話1:ヴィルミーナ前史
7歳児相手にムキになった時点で大人げないのだが……ヴィルミーナは美貌を台無しにするほど切羽詰まった顔で言った。
「そこへ座り。じっくりお話しようや」
是非を言わせぬ迫力だった。
かくして語られるヴィルミーナの前世物語を、ダイジェスト形式で御紹介しよう。
〇
彼女は富農の家に長女として生まれた。
その頭脳は聡明にして賢智。学生時代、全国学力模試で3000番以下になったことが無い。
では真面目な委員長型少女かというとそんなことはなく、野心家で上昇志向が強い欲の皮を突っ張らした肉食どころか猛獣型娘だった。
名誉欲と内申点稼ぎという私欲我欲丸出しの理由で中高と生徒会役員を務めた。勉強で目立つだけでは物足りないから、部活も頑張った。陸上部の短距離と高跳びに勤しみ、全国大会こそ出場できなかったものの、県や地方レベルでは名の知られた強豪選手であった。
もちろん、彼氏だって作った。青春の華は恋愛であるから、そこが抜けては手落ちである。彼女はそんなヘマはしない。自身が主導権を握り易いよう年下彼氏(カワイイ系)をこさえていた。そこに愛はあるんですかねえ……
進学した先の大学はもちろん旧帝大である。
なお、受験中に彼氏が浮気したため、破局。この際、彼女は仲間を数人集め、彼氏を囲んで説教説教&罵詈雑言の説教という由緒正しい女子式リンチを行なった。恐ろしや……
在学中は資格取得に勤しみつつ、無難なサークルで人脈とコネ作りに勤しんだ。もちろん、再び彼氏を作った。今度は将来を視野に入れてイイとこの坊ちゃん(やはりカワイイ系)である。貴女に純愛というものはないんですか……?
順風満帆な大学時代を過ごし、次なるは就職、なのだが……
彼女の世代は昭和後期世代――いわゆる就職氷河期世代であった。如何に旧帝大卒者といっても、容易く職を得られない。そういう無残な世代である。
彼女ですら第一志望の企業に入社できなかった。唇を噛み締めながら足を踏み入れたのは、旧財閥系の某大手商社だ。
なお、彼氏は就職に失敗。故郷に帰って実家(大地主)を継ぐことにした。彼氏は結婚を前提に彼女を地元行きへ誘ったが、上昇志向の強い彼女は自身のキャリアを優先し、拒否した。破局である。後年、あそこで断るんじゃなかったと後悔する。愛はあった、のかな?
さて、大手商社に入社した彼女を待っていたのは、パワハラセクハラ&モラハラであった。
愛人になれと迫る上司。隙あらばホテルへ連れ込もうとする先輩。一夜の“接待”を求める取引先。やたら女性差別意識の強い上役。高圧的で鬱陶しいお局軍団。
なんたることか。某大手商社はブラック企業だったのだ(この物語はフィクションです)。
鬱陶しいので、全て叩き潰した。
策を弄し、謀を巡らし、法的に社会的に道義的に叩き潰した。
野心家で上昇志向が強く業突く張りの猛獣型娘は、このろくでもない労働環境で狡猾なモノノケ女にクラスアップしてしまったのだ。ああ、ブッダよ、どうしてこんな……
図太くタフで狡猾な彼女は社の中でめきめきと頭角を伸ばしていく。
さらに、部下が出来る頃には、名誉と成功と成果を求めてダンプカーの如く突っ走る存在と化していた。オフィスラブ? はっ(憤り)! 周りは敵か敵の敵だけだっ!
競合他社の担当者が自殺したとか心身を壊したとか聞いても屁とも思わず、邪魔な会社やベンチャー企業を倒産させて少なくない社員とその家族を路頭に迷わせても気にも留めず、ベルリンを目指す赤いスチームローラーの如く仕事に邁進し続けた。
ある種の修羅道を歩みつつ、彼女は若くして主任、係長、課長と順調に昇進していった。
もっとも、勝ち続けられる者はそう多くない。
アメちゃんがイラクの砂漠へ突っ伏した頃、彼女も足を取られてすっ転んだ。社内派閥闘争の負け組に属してしまい、出向出向出向&海外出張海外出張海外出張っ! 勝者達は彼女を窓際左遷するのではなく、扱き使い回すことにしたらしい。
この時期、会社はガチで殺しにかかったのではないか、と彼女は疑っている(自業自得の感があるが)。なんせ海外出張の行き先が危険地帯ばかりだった。
ドンパチ真っ最中のイラクやコーカサスにも行かされたし、麻薬戦争が最も激化していた時期のメキシコに留め置かれたこともあった。経産省の後ろ暗い海外事業にも関わらされた(一部外国では、経産省が産業スパイ組織として警戒対象にされている。その真偽は――)。
それでも、彼女はめげずに女らしい弱さを見せることもなく、ガツガツと精力的に働き続けた。ダンプカーというより戦車ですね、もはや。
ただ、私生活においては暗澹たるものであった。恋人は出来ても結婚まで行き着かない。年齢的に婚期が過ぎ、出産適齢期を逃した辺りから、大学卒業する時に別れた彼氏を思い返すようになった。
そんなこんなで数年間、ガチで命を懸けて働いた末に本社に呼び戻され、その成果と経験とコネクションを評価されて取締役に抜擢。
三国一の腰抜け仙石秀久の如き大復活である。
役員となった後は、巨額の予算と大量の人員と資源を投じるプロジェクトをいくつも手掛けた。この充足感と満足感は社内権力闘争の勝者のみが得られる快感だった。加えて、社会的地位のある男達におべっかとゴマすりをさせられるという甘露な愉悦。彼女はまさに勝ち組であった。
それでも、社会規範と通俗的観念として、女を偉大ならしめる要素――結婚して妻となり、母親となることを得られなかったことは、強い痛みを伴った。
家族親戚と顔を合わせた時、同窓会などで旧友達と再会した時、彼ら彼女らが、彼女の社会的経済的成功を称え、羨み、妬みもするが、
『独身ババア』
そう心の奥で笑われていることは嫌でも分かる。
だから、という訳でもないと思う。
久方振りに早く帰ったある夜のこと。何気なく点けたテレビに映ったゲームのコマーシャル。人気声優の美声で語られた『愛も成功も全て掴み取っちゃおう』というキャッチコピー。
彼女は酷く心を刺激された。動揺と言い換えても良い。
言っておくと、彼女はゲームと最も縁遠い人種だった。
中高大と学生時代から精力的にあれこれ活動していたし、就職後はセクハラモラハラパワハラとあらゆるプレッシャーに晒されながら働き、あっちこっちに飛ばされ回り、取締役に就いてからもクッソ忙しかった。
彼女の人生にはゲームに割く時間などなかったのだ。
そんな彼女が待つ者のいないコンドミニアムに帰宅し、心身が疲れ切った状態で目にした恋愛ゲームのコマーシャルは、酷く彼女の心を揺さぶった。
気が付けば、ネット通販でゲーム機とソフトを注文していた。
こうして彼女は齢ウン十歳にして、サブカルの世界に激ハマりした。
シナリオの一つ一つが文豪の名著のように彼女の心を捉えた。ヒロインに自己投影して涙し、笑い、またヒロインに反感を抱き、怒ったりもした。登場人物の一人一人に好悪を抱き、彼らの生きざまに一喜一憂した。
慣れないミニゲームパートを攻略するため、持ち前の聡明さと優秀さと勤勉さで現実の戦術や戦略まで研究し、ゲームのシステム分析と考察をした。
公式はもちろんSNSや攻略サイト、匿名掲示板を常にチェックして情報収集に勤しみ、少しでもプレイ時間を稼ぐために仕事を同僚や部下に回した(手柄仕事を回された同僚は訝しみ、大きな仕事を任された部下は『信頼されてる』と喜んだ)。
努力の果てに全ルートを踏破。超高難易度シナリオすら突破。やり込み要素も全て制覇。実績要素をコンプリート。
分厚い設定資料集やイラスト集やファンブックに各種グッズを買い漁り、ついには同人の沼に飛び込む。これまで滅多に取らぬ有休を使ってイベントや即売会にも参加した。
周囲は『男でも出来たんだろう』と思った。
妥当だろう。妙齢のビジネスウーマン(しかも多忙な取締役)が乙女ゲームに激ハマりしてヘビーユーザーと化したなどと想像できようはずがない。彼女がまとめて有休を申請した時も、まさか家にこもってDLCに没頭するため、とは思わなかった。
有給申請が受理され、彼女はほくほくしながら会社を出て、タクシーに乗った。
そのタクシーがトラックに衝突されることになるとは知らずに。
〇
「ふーん」
長話を聞かされたレーヴレヒトの感想は、それだけだった。
「何よ、そのうっすい反応はっ!? 私の人生に対する感想が『ふーん』て、塩対応過ぎるでしょっ!? もっとこう、私の心をときめかせるような甘い対応をしてよっ!」
さながら顔芸のごとき怒り顔で猛烈に抗議するヴィルミーナを前に、レーヴレヒトは思う。
7歳児に心をときめかせる甘い対応を求めるなよ。
「―――あったまきたっ! 良いわ、とことん話して聞かせてやろうじゃないのっ!」
ヴィルミーナはこめかみに青筋を浮かべて宣言した。
こうして長話は再開される。