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大陸共通暦1765年:ベルネシア王国暦248年:夏。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。
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「なんなんだ、あの御姫様はっ!? 無茶苦茶だっ!」
「ありゃあまだまだ大暴れするぞ。業界の秩序がぶっ壊されてしまう」
王妹大公の一人娘はヤバい。
この話は昔からベルネシア商経済界や実業界でまことしやかに語られていたが、それはあくまで一部の間で、だった。
フルツレーテン公国の回復剤騒ぎで名前が大きく知られたが、当時の大公令嬢は10代頭。それにあの一件には王国府もかなり深く関わっていたから、またぞろ王国府の陰険な奴らが王族の令嬢を看板にしただけ、と思われていた。
しかし、新たに造られた小街区。
その舵取りを握ったことで、ヴィルミーナはベルネシア商経済界や実業界はおろか、国外にまで名を広めた。
海千山千の大商会や業突く張りの大貴族達。狡すっ辛く陰険な王国府。とにかく扱い難い軍と危ない危ない軍利権者達。
そういう飢狼餓狼に人食いザメに腹を空かせたオーガみたいな奴らを向こうに回し、街区開発の主導権を握り続けたというだけでも瞠目に値する。
そのうえで、資金、資材、人材調達。意見調整、作業調整、利権調整の各種根回し、現場監督と作業スケジュール管理、資材配分管理、横槍の防止、不正防止、事故対策、あれやこれや……
「なんなんだよ、ほんとに10代半ばの小娘か!? 仕事の手際とやり口がプロより手慣れてるってどういうことだよっ!?」
なお、ガントチャートなど現代手法がさらっと導入されており、ベルネシアのマネジメント法が大幅にアップデートされていたりする(王国府の役人や軍人が視察に来て絶句した)。
小街区内の事業も、当初こそは予想通りに大赤字の有様だったが、一年経過しないうちに体制を整えた。現状の収支はちょい黒字程度らしい。つまり小街区の住民がこの先も食っていける、ということを意味する。それがどれほど凄まじいことか……。
始めたばかりの事業は軌道に乗るまで血を吐き続けるマラソンに等しい。将来的に実益が出ると分かっていても、この出血を止められなかったり、耐え兼ねたりして頓挫する事業や商売の例は事欠かない。一流と呼ばれる実業家達でさえ、多くの失敗を重ねているのだ。
むしろ、現状において血を吐かされているのは既存権益者側と言えるだろう。
小街区の工場にある新型の紡績機や織機が恐ろしい勢いで商材を製造している。供給量の激増により紡績と織布関係の価格が荒れまくっていた。バックに軍と王国府と複数の大手商会がいるから、迂闊に手も出せない。
こうした、ヴィルミーナのド派手な動きに、ベルネシア王国商経済界と実業界の既得権益者達は危機感を募らせていた。
というわけで、この日の”会合”は大いに荒れている。
「あれだけの大事業を回しながら、着々と事業と資本を拡大して増強させとる。早晩、国内十指に入る規模になるだろうな」
「素直に『無茶は止めて、業界の足並みに揃えてください』『私達にも技術を売ってください』て頼んだ方が早いんじゃね?」
「そんなみっともない真似ができるかぁっ!」
「分かった分かった。とりあえずは様子見で行くか。あれこれ理由を付けて、荷止め、取引額の割り増しと販売制限。人材の引き抜きに買収。こんなところか」
「小街区には手を付けるなよ。あそこを突けば、軍が敵に回る。それと、荒事は絶対にやらせるな。相手は王族だ。お姫様の身に何かあれば、我らはもちろん、一族郎党の命が危ういぞ」
「自分達の首を絞めているだけの気がしてきた」
「うるしゃあっ! このまま黙ってやられるわけにいくかっ!」
まさに出る杭は打たれる。
ヴィルミーナは派手に動いた代価を支払わされることになった。
〇
この手の話は足並みを揃えて動き出すまで時間が掛かるが、いざ動き出してしまえば、雪崩を打つような勢いで進む。
今、ヴィルミーナが直接保有する商会や工房、これまで買収したり傘下に収めたりした諸々の企業。それらが方々からあれこれと“攻撃”を受けている。
ただ、攻撃を受けている当人はまったくもって冷静だった。
”ようやく”か。今までこーいうことが無かったんがおかしいわ。小街区の件でついに見過ごせなくなったんやろな。
ひとまず、状況の把握から始めよか。
流石に年若く経験の浅い側近衆達にこの事態を対処することは厳しい。よって、ヴィルミーナは麾下の最高幹部達を招集して諸々の状況説明と報告を聞いていた。
「結構な有力商会や大実業家が主になっていますが、貴族も少なからず関与しています」
「王国府に王家親戚衆も見え隠れしていますから、場合によっては、その、王族も関与している可能性が……」
ヴィルミーナの背後に立ち、共に説明を聞いていた“侍従長”アレックスが状況をまとめるひと言を告げる。
「思った以上に嫌われていたようですね、ヴィーナ様」
しん、と室内に静寂が落ちる。皆が緊張した面持ちで領袖の反応を待つ。
優雅に御茶を嗜んだ後、ヴィルミーナはカップを置いて事も無げに言った。
「当座は活動規模を縮小して対応する。買収や引き抜きで転ぶ奴は放っておく。ただし、これまでの開発資料や経営記録に帳簿、あらゆる情報は必ず回収させて。そのためなら多少の荒事も許可する。仔細は皆に任せます。貴方達が私の期待を裏切ったことは一度もありませんからね」
その声の冷たさに皆の背筋がビッと伸びる。侍従長アレックスが大きく頷き、皆へ告げた。
「皆様。ヴィーナ様の御指図が下りました。ただちに差配なされませ」
高級幹部達が駆けるように部屋を出ていくと、残ったアレックスはヴィルミーナへ悪戯っぽく笑いかけた。
「ヴィーナ様なら挑戦してきた有象無象を片っ端から潰して回るとばかり」
「私を何だと思ってるのよ」
くすくすと喉を鳴らし、ヴィルミーナは茶請けの小さなクッキーを口へ放る。
「今回の攻撃は自業自得みたいなものだし、相手方に花を持たせてあげるわ。あくまで花だけで実はあげないけれど」
「敢えて敗北を甘受なさる理由は何です?」
「急速に事業を拡大したから、整理と調整が必要なのよ。今回の件は不要なものを削ぎ落す口実にもなる。贅肉を落とした方が健康になるのは人間も組織も同じよ」
確かに、今回の攻撃は痛い。というか、非常に鬱陶しい。
損失額は大きなものになる。いくつかの重要情報も少なからず漏れる。諸々問題が生じるだろう。だが、これはいつか起こりえることだったし、これが最後ということもない。
今度の件を大義名分として利用するのが最も建設的だろう。不要な人材と部署を整理し、分散している有能な者や優秀な者を再配置する。この再編成と適正化によって中長期的には組織全体の効率能率が向上するはずだ。
それにしても……“肩叩き”かぁ……海外出張地獄へ送られる前にやらされたなあ。大勢の恨みをぎょーさん買わされたっけ……そのうち刺されるんやないかと思ぅてビクビクしとったなあ。
遠い目をしているヴィルミーナの様子を不思議そうに窺いつつ、アレックスは言った。
「しかし、当分は忙しくなりそうですね」
「一つ一つ片付けていきましょ。一つ一つね」
ヴィルミーナはアレックスへ応じ、くたびれ顔を浮かべる。
働き者の表情筋はしょんぼり顔も見事に顔芸化させていた。
〇
てんやわんやはヴィルミーナだけでも実業界や経済界だけでもなかった。
王国府もクッソ忙しかった。
小街区の余波は凄まじく、海軍や海運空運業界、王立憲兵隊、冒険者業界からも熱烈な、とっても熱烈な陳情と請願が殺到していた。
『陸軍だけズルいっ! ボク達のとこにも傷痍障碍者がたくさんいるし、困ってる遺族もいっぱいいるんだからっ! なんとかしてよっ!』
動いたのは前述の業界だけではなかった。小街区の『奇跡』を聞いた各業界の未亡人や孤児達が殺到して『ウチらも助けてっ!』『後生ですぅッ! 助けてくださいッ!』と訴えた。
それどころか、ついには関連業種でも何でもない連中まで『オラ達にも仕事をくれろっ!』『なんとかしてけろっ!』と騒ぐ始末。
大クレテア王国や聖冠連合帝国では領主権を持つ貴族が多いため、こうした騒動が起きた場合、下民共が付け上がりおって、と力づくで大人しくさせることが多い。
ところが、ベルネシアの場合、格付型貴族制の関係から領地を持っている貴族なんて数えるほどしかいないし、その領地持ち貴族ですら領主権には多大な制約があるので好き勝手にできない。というか、ベルネシア貴族の実態は一定特権を有する行政官や官僚や公務員に近い。
一揆や反乱でも起きたなら話も違うが、法に則ったうえで陳情や請願が殺到した場合――
これもう本腰入れて、社会制度から整備して国を挙げてやるしかなくね?
大改革の始まり。レッツ、デスマーチッ!!
王国府や各役所の職員達が次々と過労と睡眠不足でグロッキー状態に陥った。もちろん、トップである各所の重臣達や国王とて例外ではない。
膨大な書類と大量の会議に襲われ、『仕事する』『飯食べる』『寝る(短時間)』の三行動しかしない日が幾日も幾日も幾日も続く。
働き者と評判のクレテア王アンリ15世なら嬉々として臨む状況かもしれないが、文化的かつ人間的生活を尊ぶベルネシア王カレル3世にとっては、拷問のような日々だった。
たまりかねた国王が疲れ切った顔でぼやく。
「これさぁ、迂遠に俺のことを殺そうとしてないよな?」
「私だって倒れそうですよ。死にそうですよ。堪りませんよ」
眼鏡イケメンマルクの父、宰相ペターゼンが呻く。
「陛下やペターゼン卿はまだお若いからマシです。私ら年寄りなんぞは、いつぽっくりいくか戦々恐々としておりますぞ……」
同じく消耗しきった顔の大臣達が嘆く。
そんな地獄の日々が延々と続く中―――
今度は外から面倒事がやってきた。同盟国のイストリア連合王国が申し入れをしてきたのだ。
『大使から聞いたんだけど、イカした改革してるんだってっ!? ボクらに是非とも見学させてほしいなっ! 王太子殿下御夫妻に親善訪問していただこうと思うんだけど、どうかなっ!?』
同盟国の、それも大国の王太子御夫妻御訪問となれば、王国府を挙げての受け入れ準備が欠かせない。チョー大事の大仕事である。残業残業&残業の発生である。
「勘弁してくれ」
勢いよく執務机に突っ伏した国王。デコが机を打つ鈍い音が広がるが、疲れ顔の重臣達は心配する素振りすら見せない。
「お断りしますか? 王妃陛下が久方振りの御家族との再会に喜色満面でございますが」
「奥が喜ぶなら受け入れる……」
国王カレル3世は遠国から嫁いできた王妃をとてもとても大事にしていた。傍から見れば、国王が外国人王妃の尻に敷かれているようにさえ見えた。しかし、その内実は、王妃がカレル3世にベタ惚れしていて“甘えて”いるに過ぎない。
「イストリア大使と交渉して、上手いこと調整してくれ。こちらが超多忙状態だと匂わせて構わん」
「御意」
宰相ペターゼンを始めとする重臣達は一礼した。デスマーチはまだまだ続く。
〇
王国府デスマーチの元凶、ヴィルミーナもこの騒動とは無縁ではなかった。
王国府各所から資料の提出を求められ、時には会議会合に招聘され、ぶっちゃけ、学校へ行く余裕さえなかった。
まったく揺れない馬車の中で、ヴィルミーナはぼやく。
「学生の本分は学ぶことだったと思うけれど」
「学生は街づくりなんてしませんよ、お嬢様」
御付き侍女メリーナがさらりと言った。アラサーに突入したメリーナは円熟した美貌を誇っている。マメに美容エステに通って生活習慣にも気を使っているらしい。もっとも、その涙ぐましい努力が素敵な殿方の心を射止めるには至っていなかったが。世知辛いね。
「それより、そろそろご結婚に関して本気で検討されては? 年長者として言わせていただきますと、学生時代に婚約を逃した者の多くは行き遅れと言われて、“買い叩かれ”ますよ」
メリーナ経験談だろうか、と思ったものの、流石にヴィルミーナをして口に出す勇気はなかった。
「レーヴレヒト様のことを気に掛けてらっしゃるのは分かりますが……音信不通になって既に3年。操を立てるにしても、花が咲き誇る時間には限りがございます。お忘れ無きように」
言いながら自分にダメージを受けるメリーナに、ヴィルミーナは生暖かい視線を返しつつ、ふ、と息を吐く。
レーヴレヒトのことは好きだ(恋慕ではない)。将来、彼と“寝る”日は来るかもしれない。
しかし、彼と家庭を築く姿が想像できない。ゼーロウ男爵夫妻のような夫婦になっている未来を思い描くことができない。
良くも悪くも、彼とは盟友としての関係が完成されてしまっている。肉体関係を持っても恋人、愛人の関係から先へは進めない。夫婦や家族には至れない。そんな確信があった。
とはいえ、これは自分だけの見解。レーヴレヒトは別の見解を持っているかもしれない。
思春期の3年は大きい。まして、軍高官すら触れえない最高軍事機密に属して何かしているのだ。ひとが変わっていてもおかしくない。
再会した時、結婚しようとか言われたら、どないしよ……
ヴィルミーナは少女漫画のヒロインになったような妄想に浸る。
馬車はヴィルミーナの心情とは裏腹に、ほとんど揺れずに走り続けていた。




