閑話3:第一王子エドワードの憂鬱
大陸共通暦1762年:ベルネシア王国暦245年:秋。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国北部:王都オーステルガム。
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秋の諸侯御機嫌伺にグウェンドリンとアリシアを伴って参加した、その日の夜。
「婚約して一年と経たぬうちに婚約者と愛人を帯同させて、公式行事に出席するなど何を考えているのですっ!」
イストリア連合王国からベルネシアに嫁いできた王妃エリザベスは、大陸北方ノーザンラント人らしい麗しい金髪と翠玉色の瞳をした美女である。
が、今はその卓越した美貌を怒り一色に染めていた。
なお、父王は婚約者の父でエドワードの将来の舅ハイスターカンプ公爵と会談中(精確には、親として我が子のやらかしを謝罪中)。静かに激憤した王太后は終了後、一言も口を利かずにさっさと東館へ去ってしまった。
というわけで、第一王子エドワードは王妃と差し向かいで、説教を受けていた(なお、御機嫌伺中にも説教されていた模様。つまり、本日二度目)。
烈火の如く怒った母の気炎に仰け反りつつも、エドワードは反論を試みた。
「は、母上。アリシアは愛人などでは―――」
「貴方の意見など関係ありませんっ! あの場にいた者達にどう見えたかということが大事なのですっ! 貴方は分別を弁えず婚約者と愛人を公式行事に現れるボンクラ王子、そのように見られたのですよっ! それに、愛人でないなら、なお悪いっ! あの娘にも風評被害を与えたことになるではありませんかっ!」
王妃エリザベスの激昂振りと怒涛の説教。
アリシアに良かれと思ってのことが全て裏目に出たという事実は、エドワードに強い衝撃を与えた。
愕然としている我が子を見て、王妃は仰々しいほど大きな嘆息をこぼす。
「エドワード。もっと思慮深く、特に自分の立ち居振る舞いや言動が周囲にどう映るか、どう影響するか、真剣に考えなさい。ベルネシアは今、海上帝国というべき存在。次期国王たりえる貴方の持つ影響力はとても大きいのですから」
「それは―――分かっております」
「分かっているなら、あのような真似をなぜするのですかっ!」
眉目を吊り上げた母から叱声のパンチが飛び、エドワードは思わず仰け反った。
王妃エリザベスは侍女に合図し、氷水を注いだ水晶椀を用意させた。冷たい水を一息で飲み干し、ぎろりとエドワードを睨み据える。
「もしも母が嫁いだ時、今上陛下が貴方と同じような振る舞いをしていたら、母の祖国は厳重な抗議をしたでしょう。貴方の所業は場合が場合ならば、国際問題を招きかねなかった。それほどに愚か極まりない振る舞いなのです」
「し、しかし母上。聖冠連合帝国へ嫁がれたクリスティーナ叔母上は人質の如く扱われ、ベルモンテへ嫁いだユーフェリア叔母上は愛人を多数抱えた王子の許に嫁がれました。フランツ叔父上に至っては、御爺々様からおば上との離縁の命に逆らって出奔までされています。母上の言通りならば、これは全て問題でしょう。なぜ、処断されていないのですか」
「貴方の意見と疑問は正しい。しかし、それゆえに認識が浅いと断じざるを得ません」
「浅い、ですと?」
不満そうに眉をひそめるエドワードへ、王妃は滔々と語る。
「先王陛下はクリスティーナ様を人質として聖冠連合帝国に嫁がさせることで、アルグシアとクレテアに掣肘を加えたのです。ユーフェリア様が嫁いだベルモンテも同様。地中海方面のクレテア貿易ルートを圧迫するため。いずれもベルネシアのためが故です。翻るに、貴方の行いに同等の事情があったとでも?」
「それは……」とエドワードも口ごもる。
「フランツ殿下の離縁話は御細君との間に御子が生まれなかったが故。これは筋として先王陛下が正しい。子が出来ぬことは御家存続の大問題なのですから。フランツ殿下も自身の非を承知していたからこそ、王族の身分もお立場を捨てて出奔したのです。貴方に第一王子としての身分とこれまでの人生を捨てる覚悟があったとでも? 今の暮らしを捨て、下民の如く生きる覚悟を持っていたと言えるのですか?」
「ぅ……」
エドワードは反論できずに俯いた。たしかに母の言うような事情も覚悟もなかった。それは否定しようのない事実だった。
王妃エリザベスは疲れた面持ちで諭すように語りかける。
「エドワード。王族と言えども人間です。惚れた腫れたとは無縁ではありませんから、恋をするなとも言いません。しかし、分別を弁えなさい。でなければ、貴方も周りも相手も不幸なことにしかなりません。貴方も今回の件で、自分の行いがどれだけの人間に影響を及ぼすかよくわかったでしょう?」
「……はい」
取り巻き達は実家からこっぴどく怒られ、蟄居に近い状態にある。ただ、宮廷魔導士総監末子ギイ・ド・マテルリッツは人が変わったように魔導術の研鑽と鍛錬に勤しんでいる。御機嫌伺でアリシアがブッパした“アレ”が相当に効いたらしい。
アリシアは第一王子の愛人と見做されたし、グウェンドリンは婚約して一年も経たぬうちに愛人を作られた婚約者と嘲られている。
全て自分が原因だ。アリシアとグウェンドリンの名誉回復は難しいが、取り巻きの皆は……
「此度の件で罰を受けるべきは俺だけにしてください」
「そうはいきません」
エドワードの切実な申し出を、王妃は一蹴した。
「グウェンドリン達の方はともかく、貴方の側近衆が罰無しなどありえません。側近衆は貴方と共に研鑽鍛錬を積み、時に叱咤激励し、時には勘気を被ろうとも諫言を呈し、主君たる貴方が正道を歩む一助となる役目を負っているのです。それが、貴方と共に浮かれて愚挙を許すなど……言語道断にして論外。それに、我々が適正な罰を与えなければ、彼らの実家が過剰な罰を与えかねないでしょう」
事実だった。
三枚目系イケメン北部沿岸侯次男坊カイ・デア・ロイテールなどは、激高した親父が『性根を鍛え直す』と水兵として北部沿岸侯所有の私掠船に放り込まれるかもしれないという。事実上の王立学園中退&半勘当である。
王妃エリザベスの正論パンチは効いた。しかし、エドワードは踏みとどまる。
「しかし、それでは、主君たる我が面目が立ちません。どうか、構えて御寛恕願います」
「貴方はそもそもグウェンの面目を潰していたのですよ? あの子から望んで貴方の愛人と友人になったと本気で思っているのですか? 今は本当に友人となっているようですが、その一歩を踏み出す決断をした胸中を想像できますか」
「それは、その、ヴィーナが糸を引いたことで」
「でしょうね。貴方の迂闊な行動の尻拭いをしてくれたのでしょう。貴方が最悪の形で台無しにしましたが」
「ぅぐっ!」と痛いところを突かれたエドワードは再び仰け反る。
「エドワード。私達は人から敬われ、尽くされ、奉仕される立場です。しかし、それを当たり前だと思ってはいけません。その傲慢さを抱いた時、暗殺者が送り込まれます。身内のヴィーナとて例外ではありませんよ」
「はい……」
エドワードは内心で不満を抱く。でも、あの時、ヴィーナが俺の許に参じて擁護してくれていたら、こんな大騒ぎにならなかったはずだ。なのに、俺が呼んだのに無視なんかして。
王妃は息子が不満げなことを察したが、指摘する代わりに小さく嘆息をこぼし、
「貴方には貴方の言い分と考えがあることは分かります。ですが、周囲がそれを解するとは限らず、好意的に受け止めるとは限らない。むしろ、理解され、受け入れられることの方が少ないのです」
我が子を案じる一人の母親としてエリザベスは告げた。
「もっと己を律しない。貴方自身の未来、この国の未来、いずれも明暗は貴方の立ち居振る舞い次第なのだから。真にアリシアという娘を想うなら、尚のことです」
「……御諫言、ありがたく。性根を引き締めて更なる精進を積みます」
エドワードは深々と頭を下げた。取り繕った態度ではなく、本心からの殊勝さ。
刹那、王妃は言質を取ったと言いたげな面持ちを浮かべた。
「その言や良し。では、反省の気持ちが失われぬうちにきっちりと鍛え直しましょう」
「えっ」
〇
ヴィルミーナが自身の派閥でアリシア(とその友人)を預かり、なんだかんだで笑い溢れる乙女な日々を過ごしている間、エドワードと側近衆は過酷な過酷な日々を送っていた。
体育会系熱血イケメンのユルゲン・ヴァン・ノーヴェンダイクは親父の近衛軍団長に、軍の訓練へぶっこまれた。血の小便が出るほどきっつい訓練と教育を受けている。
クール系眼鏡イケメンのマルク・デア・ペターゼンは母親の怒りが凄まじかった(宰相である父が愛人持ちなので、余計に怒りが凄かった)。今、母の鞄持ちをやらされ、毎日のように女性尊重の精神を叩きこまれている。
三枚目系イケメンのカイ・デア・ロイテールは来年の春まで実家所有の船舶で船員暮らし確定。魚と潮の臭いに塗れ、寒風と冷たい海水に凍える日々を堪能中。
宮廷魔導士総監末子の弟系カワイイ美少年ギイ・ド・マテルリッツは悲惨な三人と毛色が違う。御機嫌伺以来、魔導術の鍛錬に熱中しているそうで、なんでも鬼気迫る有様だとか。アリシアのアレを見せられてはな。天才児と持ち上げられていた身としては心乱さずにはいられないのだ。
そして、王子自身は泣く子も黙る宮廷礼儀作法講師の再教育を食らっている。魂が萎れるほどきっつい教育をたっぷりと。
そんな再教育で毎日しおしおに弱っている王子に対し、婚約者のグウェンドリンが毎日のように通い、その労をいたわったという。
足しげく王子の許へ通うグウェンドリンの姿を見た人々は、『酷い扱いを受けたのに……立派な御令嬢だ』『流石はハイスターカンプ家の一粒種じゃ』と讃えた。
〇
「グウェンが毎日来て、俺に膝枕したがるんだよ」
金髪と青緑色の瞳を持つ正統派イケメンが頭を抱えて呻くように言った。突然、解雇通知を受け取って途方に暮れる会社員みたいな弱りっ振りだった。
学生活動棟の“オフィス”にやってきたエドワードは深刻そうな面持ちをしていて、ヴィルミーナは気を使って人払いしたのだが、出た発言がこれだった。
……惚気に来たのか? ヴィルミーナは片眉を上げて訝る。
「仲睦まじくなられたようで」
「そういうことじゃない。そういうことじゃないんだ、ヴィーナ」
悄然としたエドワードは頭を抱えたまま、吐露した。
「俺に膝枕をして、赤ちゃん言葉で話しかけてくるんだよ……」
ん? とヴィルミーナは目を点にした。
「あいつ、俺に膝枕をして、赤ちゃん言葉で話しかけてくるんだよ。蕩然とした顔で。それで、俺に赤ちゃん言葉で返すように求めてくるんだ……」
悄然としたエドワードは繰り返し言った。
婚約者グウェンドリン・デア・ハイスターカンプさんの見解。
『あんな弱々しい殿下は初めて見ました……なんというか、凄く……興奮しました。ああ、あの弱ったお顔。膝枕をして差し上げてイイ子イイ子して差し上げたい……♡』
恍惚とした表情での発言。超絶美少女は業の深い趣味に目覚めたようです。
エドワードは両手で顔を覆いながら、弱々しく告げた。
「なんとかしてくれ……頼むから……」
事情を聴いたヴィルミーナは眉間を抑えて唸った。
どーしてこうなった?




