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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第4部:美魔女時代

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336/336

22:10b

大変お待たせし、申し訳ござらぬ。

 少しばかり説明しておこう。


 ミランディア侵攻開始以来、逃亡してきた奴隷や貧困層の先住民達がベルネシア軍に協力を申し出ていたけれど、当のベルネシア軍は冷淡だった。


 これはベルネシアのミランディア東部四州地域統治計画に関係している。

 統治計画を一言に要約するなら、『横暴』だ。

 ベルネシアは産油地のブランケロ湖及び同湖湿地帯、その周辺地域からミランディア人も先住民も一人残らず追放し、完全にベルネシア化する予定だった。


 加えて、幹線道路と敷設予定の鉄道沿線周辺からミランディア人と先住民を完全に排除し、スリナム山地と密林地帯内にある開拓村と開墾現場も、鉄道沿線付近のものは全て破棄。鉄道周辺を無人化し、交通と流通の安全保障を確立する。


 酔っ払いが描いたような地図(閑話39a参照)を基に説明するならば、少なくともトト州とスリナス州は完全にベルネシア化する。そこにミランディア人と先住民の存在を許容しない。


 在住を許可するウルダネタ州の一部とヌエバ・ウルダネタ州においても、要地は完全にベルネシアが押さえてしまうつもりだった。


 既に占領地域では布告が始まっており『今出ていくなら、家財と資産の持ち出しを許可し、土地その他は買取してやる。猶予期間が過ぎた後は全て強制徴収し、抵抗する場合は実力で排除する』とまあ、上品ぶるギャングみたいな厚顔無恥さを披露している。


 さらに言えば、残留を許す前述の二州においても、ミランディア人や先住民を“自主的”に出て行くよう、表裏から締め上げる予定だった。


 この極めて人種・民族主義的な統治計画は本土と外洋領土、“双方”の意向が入念にすり合わされている。


 ベルネシアという国家はメーヴラント北洋沿岸民族のベルネス人が、大クレテア王国から分離独立して起こした国だ。

 そして、メーヴラントという土地柄からベルネシアは混血者が少なくない。


 お隣のアルグス系、クレテア系はもちろん、大侵略時代に大陸北方人との混血している。我らがヴィルミーナはコルヴォラント系と混血だし、王太子エドワードもノーザンラント人の母を持つ。入植地でも現地人と混血化が進んでおり、外洋派遣軍では異人種と家庭を持つ者や混血者の比率が年々高くなっている。


 一方で、外洋侵略時代の白人らしく有色人種を蔑視している者や、聖王教徒の白人らしく異教徒を嫌悪する者もまた、貴賤を問わず相当数存在する。


 白人の聖王教徒ならともかく、異人種異教徒との結婚などけしからん、“混ざり者”などけしからん、と考える手合いだ。

 王女クラリーナが異人種混血者と結婚したことは、こうしたベルネシア保守系右派を強く刺激していた。


 曰く――聖王教的文明とベルネシア的伝統文化の正統価値観を持たぬ連中は、ベルネシアの民として受け入れるべきではない。


 人口は力だ。だから増やしたい。が、本国の求める人口とはベルネス人であり、仮に混血であっても、ベルネシア的価値観とベルネシアに国家帰属意識を持つ“国民”を増やしたい。


 血統的にも文化的にも価値観的にもベルネシアに同一化出来ない連中は叛乱者とその支援者になる。というこれまでの外洋領土統治の経験も保守系右派の主張を後押ししていた。


 さらに言えば、イストリアやエスパーナの南小大陸植民地が本国と縁を切って独立したことも、彼ら保守系右派の危機感を刺激している。


 外洋領土――この場合はベルネシア領スリネア総督府も本国の『横暴』な計画を支持した。


 スリネア総督府が本国の人種差別的計画を支持した理由は二つ。

 仮にミランディア東部四州地域の住民をそのまま受け入れた場合、人口比において純血のベルネス人が完全な少数派へ転落してしまう。


 本国は余剰人口の移民を奨励しているけれど、スリネアの純血ベルネス人人口の伸びはいまいちで、人口は混血層(ベルネシア人やエスパーナ人――白人と先住民の混血者)と先住民が主体になりつつある。


 法律と教育でベルネシア化を進めてはいるが、何かの拍子でイストリアやエスパーナの植民地のようにクーデターや独立運動を起こす可能性も決して無視できない。


 そして、もう一つの動機。こちらは単純というか実に人間味溢れるというか。

 単純にベルネシア領スリネアがミランディア東部四州地域の利権や権益をがっつりと完全に掌握したい。そのためにはミランディア人と先住民が邪魔だった。


 入植して以来、汗水垂らして開墾してきたミランディア人は、このような『横暴』などもちろん受け入れられまい。

 奴隷から解放され、自由と自分達の権利が得られると思っている先住民達も、許容すまい。


 つまり、ベルネシアは既に戦後の反乱と抵抗を視野に入れていた。

 同時にこの差別的な計画が酷く風聞の悪い物であることも、正しく理解していた。


 だからこそ、弾除けと生贄を用意したのだ。

 時に、ベルネシア人の狡猾さと冷酷さは同胞にも向けられる。


      ○


 そうか……大冥洋にはマグロがおったんか。

 今生40年弱。半世紀近くそんな大事を知らずにおったとは……なんたる不覚。


 アレックスから群島帯の話を聞いて以降、ヴィルミーナの頭はマグロでいっぱいだった。


 今でこそマグロは馴染み深い食材であるが、食べ物として大衆に受け入れられた歴史は存外に浅い。

というのも、マグロはサバ科の魚らしくアシが早い。鮮度保存技術のない時代は食卓へ届くまでに傷んでしまっていた。


 マグロ大好き民族日本人は縄文時代から沿岸に生息する種のマグロを食べていたようだが、それでもやはり腐敗が早く、保存加工が難しい特性から沿岸地域で消費されるだけだったらしい。


 マグロ食が一般化したのは近代以降。加えて脂の多い(特に傷み易い)トロが珍重されるようになったのは、やはり技術進歩の著しい第二次大戦後だ。世界が『狂気的』と表した日本の海産物移送技術によって、である。


「しかし、この世界には魔導術があって、魔導による高純度冷凍可能なのに、魚介類は地産地消傾向が強い……どういうことかしら」

 ヴィルミーナの疑問は年末の夜会で解消された。


 王妹大公家はあまり夜会を催さない。ユーフェリアは付き合う相手を選ぶ気質だし、ヴィルミーナは多忙な立場だし、レーヴレヒトは基本的に夜会の類を好まない。


 とはいえ、社交界シーズンや年末年始の催し事として大公家の面目を立てるべく、夜会を開く。ただまあ、前述の通り主催者達がアレなので招待客は厳選されるけれども。


 そんな夜会の最中。

 宴は穏やかに賑わっており、ユーフェリアは招待客と談笑し、レーヴレヒトは久し振りに会った実兄夫婦と盛り上がっている。ウィレムは招待客の子女達相手に如才ないホスト振りを披露し、ヒューゴは親しい者達とギークでナードな会話を楽しみ、ジゼルは親友であるメルフィナの娘と少女特有のシビアな男性評を交わしていた。


 で、実際的に王妹大公家の家長たるヴィルミーナは、と言えば、接客そっちのけで親友のメルフィナとあれこれ話し合っていた。


「魔導術があるのに、冷凍保存技術がさほど発展してなかった理由って何かしら」

 ヴィルミーナの疑問に対し、メルフィナが簡単に説明する。

「色々あるでしょうけれど、一番は利益と費用の釣り合いが取れてないことですね。小口でちょぼちょぼ運んでいてもお金にならない。生鮮食品は地産地消が一番、という話になります」


 高魔力適性と不断の努力を抜きにしても、メルフィナの美貌と色気と艶気はエグい。生まれる時代と場所が違えば、傾城傾国の妖妃と謳われていただろう。


「つまり商業ベースになり得る大量移送技術が欠いていた、と」

 ヴィルミーナの指摘にメルフィナは頷く。

「馬車は論外。では、飛空船ならばとなりますけれど、現地産物と比較して割高になることはどうしても避けられません」


「そして、世間一般は安くないお金を出してまで氷漬けになった外洋の野菜や果実、魚介類を食べたいか、という疑問の答えが『現地品で十分』と」

 ヴィルミーナはうーむと唸る。


 欧米がマグロを食い始めたのも、20世紀終わり近くになってからやったな……

 でも、食べたい……マグロ食べたい……。


 マグロの寿司を食いたい。いや、無理なのは分かる。日本米もねェ。日本山葵もねェ。上等な醬油も米酢もねェ。寿司職人もいねェ。これでは美味い寿司など夢幻の如し。


 しかし、もう我慢できない。前世で味わった高級寿司店の味を魂が思い出してしまった。寿司は無理でも海鮮丼なら、いや、もうツナマヨで良い。とにかくマグロ。マグロが食いたい。


 しゃあない。まずはツナ缶や。群島帯にツナ缶工場を起こして、マグロの美味さを世界に普及させる。次に冷凍マグロを各地に下ろして食い方を模索させて、その間に海産物の高鮮度保持移送の技術を開発する。


 私が死ぬまでに海鮮丼だけでも成し遂げる。必ずや!


 となれば、協商圏内で大冥洋の漁獲量協定とか諸々の打ち合わせをせなあかん。前近代の白人は超アホで超バカやから、放っておくと絶滅するまで乱獲しかねへん。いや、待て。そもそも“この世界のマグロ”についても研究せないかんちゃう? 海洋学者と魚類学者も要るな。こらぁ忙しくなるで……盛り上がってきた!!


 百面相しながらかちゃかちゃと頭の中でマグロ戦略を組み立てている親友に、メルフィナはくすくすと妖艶に微笑む。

「今度はどんな悪企みですか?」


「世界の食卓に新たな彩を加えようと思ってね」

 ヴィルミーナが百面相を止めて不敵に笑う。


 いや、笑ってる場合ではないのだが。


 ミランディア侵攻は圧倒的優勢を保ってはいるものの、少しずつ計画に遅延が生じている。

 これはバリマ河の突破に想定より時間が掛かってしまい、雨季を迎えてしまったためだ。


 この侵攻計画の遅延は戦費増加を意味しており、王国府もスリネア総督府も経済界も苦い面持ちを浮かべている。

 最終的勝利は揺るがないが、持ち出しは少ないに越したことはない。


 南小大陸黒色油鉄道と産油地の開発にかなり深く関わっている白獅子財閥としても、戦争終結は早ければ早いほど喜ばしい。


 ただまあ、戦争とは簡単に始められるが、容易く終わらせられないものだ。

 なんせミランディア公国自体が一枚岩ではない。


 以前(22・8c参照)にも触れたが、ミランディア公国は戦国時代の大友家みたいなもんで、少数の支配層が公王家一族を担いで寄り集まった国人領主封建連合に近い。


 当然ながら、国人領主という生き物は自分の都合次第であっさり主君に叛く手合いだ。

 ミランディア公国では東部四州を切り捨てでも国体を守りたい公国政府、死守を訴える東部諸侯が対立している。明日の我が身と考える西部と南部も東部に同情的で、つまり中央と地方が対立していた。


 軍も軍で中央派と地方派で意見が一致していない。

 民衆にしても、絶対多数を占める被搾取層――先住民や奴隷は叛乱と蜂起の機会を虎視眈々と狙っている有様。中間層の“愛国者”達が『国土を守れ』と騒ぐ一方、火の粉を被りたくない貴族や富裕層、徴兵されたくない地方者達が渋い顔を作っている。


 状況は複雑怪奇。

 ベルネシアの勝利は揺るがない。が、望んだ通りの結末を迎える保証は、どこにもない。


「まぁ、南小大陸の件が片付くまで本格的な動きは出来ないけれどね」

 ヴィルミーナは肘置きを使って頬杖を突き、思う。

 金もそうだけれど……人と物を食われているのが痛い。

「どうしたものやら」


      ○


 新年を迎えた本国は冬真っ只中だが、南小大陸のミランディアは熱帯気候地帯のため、本国と違って雪など欠片も存在しない。雨季を迎え、重苦しい曇天が続いている。


 七難隠す若さと生来の強気な美貌を備えた貴婦人イダ・ヴァン・リンデ=オッケルと、俳優リチャード・マッデン似のイケメン貴族青年ケフィン・デア・カーレルハイト=ホルの2人はこの日、占領下であるバリマ河以東の鉄道施設工事の視察を行っていた。


 密林や深藪を切り開き、開墾し、起伏や斜面を根気強く整地した線路敷設予定地は、連日の豪雨を浴びてふやけ、泥色の雨水によって水浸しになっていた。


 イダはてるてる坊主みたいな雨合羽姿で、雨天の低空を跳ぶ中型飛空船の甲板舷側から双眼鏡を用いて眼下の様子を窺う。

「線路の両側に敷いた水堀はもっと深くした方が良さそうだな。これでは雨季が運行不能になる」


「いや、肝心の線路の土台自体は問題なさそうだ。冠水はしても形状変化してない」

 同じくてるてる坊主みたいな雨合羽姿のケフィンが双眼鏡で眼下を窺いながら言った。


「お二方、あまり柵から身を乗り出さんでください。安全帯を付けているとはいえ、落っこちたらことですぜ」

 白獅子財閥の民間軍事会社の護衛達が2人の様子にハラハラしながら御注進。

「ただでさえ、この悪天候をボロ船で飛んでるんです。御注意を」


 そう2人が視察に用いているこの飛空船は、侵攻緒戦で撃墜/遺棄されていたミランディアの飛空船を回収し、修理改造したものに過ぎない。


 旧式の船体懸架型飛空船は気嚢も船体もツギハギで、塗装し直された船体はともかく、白獅子紋が描かれた気嚢の気密布は、洗浄してもなお落とせなかった汚れがありありと見て取れる。武装も自衛用の貧弱なもので、空戦になったら逃げの一手しか取れまい。


 しかしながら、このボロ船が工事現場の上空警備/緊急活動に専従して以来、モンスターの襲来や突発性作業事故の被害が減ったのも事実。

 ちなみに、登録コードは『鹵獲船:810号』もっとも、関係者は『オテンバル・イダ』御転婆イダ号と呼んでいる。本人には内緒だ。


「気を揉ませて済まんな。しかし、これも仕事だ」

 イダは不敵に微笑んでいると、ロードトレインが冠水した線路予定の道をのろのろと進んできた。


 大型の蒸気機関車輛が6両の貨物車を牽引し、機関部両側の排気管からもうもうと煙を吐きながら、泥色の冠水を描き分けるように走っていく。


「武装車輛は無しか?」

「ああ。雨季が始まって以来、大型モンスターの襲来は途絶えているし、中小モンスター程度なら同乗警備員の火器で対処できる」

 イダの問いに答え、ケフィンは双眼鏡を首から下げ、防水加工されたクリップボードを秘書から受け取る。


「今のところ、昨年中に確保した架橋予定地エル・パチョまでは問題なく運行可能なんだ」

 ケフィンは同じく双眼鏡を下げたイダへ、クリップボードに挟まれた地図を示して続けた。

「ただし、架橋工事は年単位になるから、現状は更地にしたエルパチョに艀用の停泊場と操車場の建設、積み下ろし用の昇降機を設置を進めてる」


「川向こうの啓開工事は先送りか」美麗な顔を不満げに歪めるイダ。

「戦線自体が停滞しているし、それは仕方ない。問題はエル・パチョがヌエバ・ウルダ方面戦線の後方策源地にされつつあることだ。ロードトレインの貨物積載量を工事用資源ではなく軍需に食われてる」

「……その辺りはニーナ様から軍に掛け合って貰おう。我々では貫目不足だ」

 ケフィンの説明に、イダは眉間に皺を刻む。自分の手で片が付けられないことに対し、イダは何かとスネがちだ。


 と、樹海の梢の先で、現地改修されたばかりのティプ86重装飛空短艇の小編隊がバリマ河の先へ向かっていく。


 ノコギリザメの群れを見つめ、ケフィンは険しい顔で呟く。

「今日も今日とて人間狩りか」


 イダはケフィンの言葉を聞かなかった振りをし、フッと表情を和らげた。

「雨季明けに開墾地の再整備といよいよ線路の敷設だ。スリネアの倉庫で寝ている鉄道機関車をようやく走らせられるぞ」


 誰もがハッと目を見張るほど女性的魅力に満ちた微笑を湛え、イダはケフィンの肩を拳骨で軽く突く。雨合羽から水飛沫が散った。

船室(キャビン)で一息つけよう」

 眼下でロードトレインが泥水を掻き分けながら進んでいく。


     ○


 朝を迎え、ニーナはベッドの上で身を起こす。

 一年を通して熱帯気候の土地柄だけにベッドも通気性が高い作りで、シーツやその他も絹ではなく最上等の麻製。そして、ベッド脇には大きなタライが置かれていて、就寝中の暑気を和らげた氷塊の残りが浮いている。


「今日も雨か」

 最高級宿のロイヤルスウィート。コルヴォラント製高級家具が並ぶ広々とした寝室の大きな窓辺に立ち、ニーナは気だるげに呟く。


 灰色の空から雨と共に申し訳程度に降り注ぐ日光を、ニーナは素肌に浴びる。

 ニーナは裸だった。昨夜の情事を終えたままの恰好といっても良い。


 齢四〇間近ながら、高魔力適性と絶え間なき努力により、ニーナの容貌はいまだ老いの侵略を許さない。端麗な細面に皺やシミは存在せず、バストからウエストを通りヒップまで流れる曲線のなんと見事なことか。若さに頼らぬ美貌。滴るような女盛り。


 同年代のミランディア貧農女性が酷く老け込んでいることを思えば、身体魔力と生活様式が如何に肉体へ影響をもたらすか分かろう。


「外から見えてしまいますよ、ニーナ」

 情夫がベッドの上から声をかけてきた。


 ニーナは肩越しに情夫を窺う。ベルネシア領スリネアの土着貴族のフィリポ……なんだっけ?


 まあ、何でもいい。フィリポは美男で気がよく、ニーナに性的満足をもたらす。そして、ニーナはフィリポに精神的娯楽と肉体的快楽以外の一切を求めていないし、与える気もない。


 十代の時、ジゴロに引っ掛かって全てを失いかけて以来、ニーナは公においてはともかく、私において男をまったく信用していない。


「シャワーを浴びてくるわ」

 ニーナが浴室へ爪先を向けると、フィリポが甘いマスクに似合いの笑みを返した。

「ご一緒しても?」


 その言葉の奥にあるものを、ニーナは受け容れる。

 出張先で少しばかり楽しんでも、罰は当たらない。


      ○


「参ったな」

「参りましたな」


 ミランディア公主フェルナンド・ド・ミランドルは綺麗に整えた鉛筆髭を弄りながらぼやき、宰相も疲れ顔で慨嘆する。


 フェルナンドも宰相も政府の誰もが、どう頑張ってもミランディアがベルネシアに勝つなんて出来ないことを、正しく理解している。

 それどころか、下手に頑張って国力を大きく疲弊減退させようものなら、公国の南に控えるアズラード帝国と西のダリエン共和国――ミランディア建国以来の宿敵――が雪崩を打って襲い掛かってきかねないことも、しっかり理解している。


 つまるところ、ミランディア中央の総意はこの戦争をスマートに最低損失で負けたい。


 そこで、アレでソレでナニで上手く話をまとめてもらいたくて、かつての宗主国エスパーナ帝国時代の伝手を頼ってガルムラント経由で、あるいは国教たる聖王教伝統派のコネを恃んで法王国経由で、ベルネシアに講和交渉を打診しているのだが……

 どうも上手くない。


「連中だって戦争を長引かせたくはあるまい」

「然様ですな。彼らはあくまで東部四州の割譲を求めておるだけで、我が国を併呑する気はありません」

 宰相の見解にフェルナンドは鉛筆髭を弄り、ふむんと唸る。

「我々とあちらの意志は大枠で共通している。なのに、話がまとまらない。幾度試みても、だ。どう見る?」


「……どこかで水の流れが澱んでいると思われますな」

 ちぢれた顎髭の先を摘まみながら、宰相が奥ゆかしい表現を用いて答えたなら。

「解決できそうな澱みか?」

 公主の目つきは冷徹という言葉以外に表現できない。

「全てではありませんが。それに、解決には相当な痛みを伴います。御国にも陛下自身にも」

 宰相は讒言誣告と捉えられないよう、注意深く告げる。権力者として多くの責任や恨みを負っている自覚はあるけれど、王の憎しみは買いたくない。


 公主は鉛筆髭を指でしごきながら少し長く考えた後、

「痛みに嘆くことも生き延びてこそ、御国が存続してこそだ」

 命じた。

「澱みを取り除け」

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― 新着の感想 ―
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[一言] 面白くてここまで一気読みしました。こんな素晴らしい物語書いてくださってありがとうございます。 それはそれとして、東方関連用語や名前の発音知りたいのでどこかでふりがなを書いてもらえませんか?…
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