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大陸共通暦1762年:ベルネシア王国暦245年:初冬。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国北部:王都オーステルガム。
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王立学園の魔導術修練場は、三重の魔導防護障壁が施され、ちっとやそっとの魔導術くらいではびくともしない。まあ、アリシアの全ブッパは宮殿の特別製魔導防護障壁を一瞬で五つもぶち抜く代物だけれど、これは規格外ということで。
「ほんとに細かい制御ができないのね……」
修練場の真ん中に出現した巨大な氷塊に、ヴィルミーナは側近衆と共に呆れ顔を浮かべていた。
御付き侍女から習った魔力制御練習法――タライの水を中心から少しずつ凍らせていく、をアリシアにやらせたところ、タライの水が即座に凍りつき、さらに大気中の水分を収斂吸収。この有様と相成った。
「あんた、いったいどんな魔導術の教育を受けてきたのよ……」
アレックスが呆れ顔のまま問う。
「先生が元気よくやりなさいって」
アリシアがえへへと笑う。何笑うてんねん。
教師の当たり外れは人生に大きな影響与えるからなぁ。ヴィルミーナは仰々しく嘆息を吐き、次いで、コレットの方を窺う。
こちらはこちらでダメダメだった。君、私はタライの水を凍らせろぉ言うたんよ? なんでタライの中を氷のお魚さんが泳いどんの? なんでそんな難しぃことやっとんの?
ヴィルミーナのジトっとした目で見据えられたコレットは、きゅっと委縮する。
「すいませんっ! すいませんっ!」
「可愛いねー」とコレットのタライの中をのぞいて笑うアリシア。お前は笑うとる場合ちゃうがな。
「一人は出力バカ。一人は手先バカ。どっちも能力はあるのに活かせないときたもんだ」
ニーナが容赦なく言い放ち、
「集団魔導術みたいに二人で協力してやらせたらどうか? アリスが出力してコレットが制御」
「アリスの出力に振り回されるコレットの姿が目に浮かぶけれど……」
アレックスがちらっと二人を見て、
「やってみようか。どうでしょう、ヴィーナ様」
水を向けられたヴィルミーナは目を瞬かせつつ、頷いた。
「え? あ、うん。どうぞどうぞ」
あっれー? 魔導術で遊ぶつもりが真剣にアリシアとコレットの魔導術訓練、や、なんかの実験みたくなってん?
とまれ、数分後。
疲労困憊で車に轢かれた蛙みたいに倒れ伏すコレット。
おっかしいなーおっかしいなーと小首をかしげるアリス。
予想通りの結果だった。
側近衆が集まってあれこれと議論を交わす。
「予想した通りとはいえ、完全に失敗とも言えなかったわね。アリスの出力に一定の制限とベクトルが掛かってたわ」「となると、コレットの限界が問題かな?」「2人の意識に齟齬があるのでは? 見た感じ、コレットが遠慮がちだったし」「馬に遊ばれてる牧童みたいだったのは確かね」「次はその辺を考慮してやってみようか」
彼女達の様子を見て、ヴィルミーナは頭を抱える。
魔導術で遊ぶつもりやってん、なんでこんな……仕事人間過ぎへん? 私のせい? 扱き使い過ぎて少女らしい心が無くなってもうたん? あっかんわ、このままじゃあっかんわ。
その後、下校時間までこの“実験”は続いたが、アリシアとコレットの魔導術は向上しなかった。
とはいえ、まったくの無駄でもなかった。
アリシアはコレットを通じて制御の感覚を感じ取ったし、コレットは出力を上げる感覚をしっかり感じられた。側近衆とアリシアの距離が縮まって、コレットも客分入りした。
それと、罪悪感を強く強く刺激されたヴィルミーナは、彼女達を連れて飯に行き、大盤振る舞いした。
〇
軍が提供してきた用地は王都の東郊外だった。
「王都近郊とは……地価も高いでしょうに」
書類と地図を交互に確認しながら、ヴィルミーナは小さく唸る。
王妹大公家の瀟洒な応接室にも全く動じず、連絡員の将校はヴィルミーナへ説明した。
「この件には軍だけでなく、王国府や諸侯も強い関心を抱いておりますから。大公令嬢様が管理し易く、また我々が視察し易いことなどを優先しました」
軍が寄こした連絡員は、20代終わりの男性少佐だった。鞄持ちの若い男性中尉も伴っているが、こちらは置物と化している。
少佐はヴィルミーナに尋ねた。
「試験開始はいつ頃になりますか?」
「いろいろ準備がありますから……順調にいけば、来年の夏頃かと」
「来年の夏。それは早い、のですか?」
少佐には判断がつかない。傷痍退役軍人や遺族のための雇用現場や福祉器具製造に、どれほど時間と資源を有するか分からなかった。
「無茶をしている、と言えばしていますね。真っ当に考えれば、物の準備や各方面の根回しだけでもかなりの時間を要しますから」
「それを夏まで……大丈夫なので? 早いことに越したことはありませんが、この計画には注目が集まっていますから、失敗されると大変厳しいですよ?」
「やりようはありますよ」
ヴィルミーナは上品に微笑んだ。
かなりキツいが、前世に比べればマシだ。王妹大公令嬢という肩書のおかげで、セクハラやモラハラにパワハラを受けないし、スカタン共に足を取られない。客(この場合は軍)もワガママや無理無茶を早々言ってこない。何よりマトモだ。
若手のペーペーだった頃は酷かったわ……や、特に海外ドサ回り時代やな。何度死に掛けたり、強姦されかけたりしたことか。アレに比べたら……あかん。思い出したら叫び出したいほど腹立ってきたわ。
大きく深呼吸して、気分を変える。
「問題は人材、特に管理職の不足です。軍から紹介していただける話はどうなりましたか?」
「申し訳ありません。そちらは調整中でして、お待ちください」
まあ、軍の外とはいえ、立派な天下りポストだもんね。政治と利害が絡むわな。
「分かりました。閣下にはよしなにお伝えください」
小半刻ほど細かな連絡の話を続け、あらかた片付いた後、
「それから最後に、少将からこちらをお預かりしています」
少佐が封蝋された手紙を取り出し、
「大公令嬢様の御所望された情報だそうです。小官は一切関知しておりませんので、ご質問等はご容赦ください」
「ありがとうございます」
ヴィルミーナは有難く手紙を受け取る。
少佐と置物だった中尉は礼儀正しく敬礼し、応接室を出て行った。
彼らを見送った後、ヴィルミーナは彼らの残していった資料とノート類を抱え、自室へ向かってダッシュした。
お嬢様はしたないですよ、と道中に侍女から叱られたが、そんな叱声を置き去りにして部屋へ駆け込み、ノートと資料を机の上にぶん投げ、手紙を抱いたままベッドにヘッドダイビング。
もどかしく封蝋を引っぺがし、封筒内から手紙を取り出し、逸る気持ちのまま目を通す。
そして―――
「つっかえねぇ―――――――っ!」
思わず叫んだ。
少将の寄こした内容は―――
『申し訳ありません。
件の少年に関しては最重要国防機密関連に属するため、大公令嬢様にも詳細をお伝えすることは叶いません。ただ、大公令嬢様の貢献に感謝の意を示すべく、可能な限りのことをお伝えします。
件の少年は無事です。現在は優秀な軍人になるべく教育を受けています。機密保持のため、外界との連絡を遮断されており、直接連絡を取ることは叶いません。どうかご容赦ください』
要するに、機密が堅くて俺でもどうにもなんねーわ悪いな。だ。
ぬぅううううう。王族に属する大公令嬢とは思えぬ形相と唸り声。今日の顏芸も完璧だ。
ヴィルミーナは枕に顔を埋めて、じたばたと手足を動かしてもがきまくった後、大きく深呼吸して気持ちを宥める。
はあ、と仰々しいほど大きな溜息を吐いて、独りごちた。
「それにしても……士官学校へ入学しただけなのに、最重要国防機密って。アイツはいったい何をした?」
身を起こしてベッドを降り、窓辺に置いた椅子に腰かけた。物憂げな面持ちで夕陽を浴びた庭を眺める。
憂い顔で窓辺から庭を見つめるヴィルミーナの姿は、まさに深窓の令嬢そのもの。まるで巨匠の手掛けた一枚絵のような光景に、見かけた誰も彼もが思わず感嘆の吐息をこぼす。
その様子を目にした家人達は『うっとこの顏芸姫様もお年頃になられたのだなあ』と感慨深く思い、侍女達から話を聞いた母ユーフェリアは『レヴ君のことを想っているのかしら。音沙汰が絶えてようやく気持ちを自覚したのかも』と恋愛小説みたいなことを想っていた。
で、その当人は―――
「小街区の開発自体も手間だけど、そこで働かせる連中の教育と習熟にも相当な時間かかるわよねー……黒字になるまでどれほど”出血”することになるやら……とはいえ、戦死者遺族と傷痍退役軍人の窮状を考えれば、やらないわけにもいかないし……別口で補填するしかないけど、何で稼ごうかなー」
これである。
ヴィルミーナが中身ウン十歳という特大ハンディを超えて色気づくまで、まだまだ時間が必要だった。
なお、今回取り付けた軍のトライアルにより、ヴィルミーナの野望は一気に加速する。その進展に伴い、予期せぬ事態も引き起こすことになるのだが、それももう少し先の話だ。




