4:5
大陸共通暦1762年:ベルネシア王国暦245年:初冬。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国北部:王都オーステルガム。
―――――
こんにちは。ヴィルミーナ・デア・レンデルバッハ・ディ・エスロナです。
この度、側近衆が一人増えました。
「アレックスさんはもう男の子にならないんですか?」
にっこにこしながらアレックスの地雷原へ頭から飛び込むアリシア。
「私がいつ男になったというのか……っ!」
ぎろりとアレックスがアリシアを睨みつける。まさに噛みつきそうな目つきだった。
「ひぇっ」
強烈な眼光を浴び、アリシアがきゅっと首を竦める。
アリシアとアレックスのやり取りを他所に、ヴィルミーナは密やかに嘆息を吐いた。
なんでこうなるん?
〇
なんでこうなったかって?
諸侯御機嫌伺後、アリシアの処分は見送られたが、やらかしたことがことだけにただ無罪放免するわけにもいかない。
それに、王家の女衆は、第一王子が婚約して一年も経たぬうちに“愛人”同伴で公式行事に現れた、という件をヒッジョーに問題視していた。
かくして、王子と取り巻き達は“再教育”が完了するまで、アリシアを引き離すことが、内示で通達された(もちろん、逆らえばタダでは済まない)。
で、その間のアリシアの処遇だが、国王夫妻と王太后と親戚衆の意見は一致した。
ヴィルミーナに預けて管理させるべし。
信頼信用の証というべきか、面倒事はあいつに任せとけというべきか。
なお、グウェンドリンはアリシアが気になるのか、マメにヴィルミーナの許を訪ねるようになった。子供が拾ってきた猫を渋々世話しているうちに、一番溺愛するようになったママンみたいだ。
メルフィナはヴィルミーナの肩を小さく叩き「愚痴ならいつでも聞きますから……」
その優しさが、しみる。
で、凄く上機嫌になったのが、デルフィネである。ヴィルミーナを毛虫の如く嫌うデルフィネは『ヴィルミーナ様がざまぁで、飯が美味いっ! でございます』。
不愉快な話で言えば、アリシアと引き離された王子と取り巻き達がヴィルミーナに不満を抱いていることだ。あの事件の時にヴィルミーナが上手くフォローしなかったせいで自分達が割を食った、と思っているらしい。
寝言は寝て言え。なんなら、いつでも永眠させてやる。
ちなみに、諸侯御機嫌伺でアリシアに一服盛った奴は、30手前の給仕係だった。
その給仕係はアリシアが空へ“大砲”をぶっ放した時には既に宮殿外に逃げていて、国家憲兵隊と近衛兵が給仕係の家に押し入ると、女房と幼い子供はそれぞれの寝室で息絶えていた。給仕係は台所のテーブルで自分の頭に拳銃の弾を撃ち込んで死んでいた。
死体の傍には手から零れ落ちた拳銃と『罪を犯した。どうか許して欲しい』と記された遺書。
こんなコッテコテの偽装工作に騙される捜査関係者はいない。それに、国王一家御臨席の場で生じた毒薬騒ぎの捜査を任されるような人員は優秀に決まっている。
その優れた捜査員達をして、この始末の精緻さには舌を巻くことになった。
何一つない。
給仕係から先に辿れる証拠も痕跡も、何一つない。現場には第三者の痕跡が一切なく、金の流れも、交友関係も、給仕係とその家族の近辺にも、まったく怪しいところがない。DNAやらなんやら科学捜査の手法が取れれば、また話も違ったろうが、この時代にそんなもんはないし、その手の魔導術も存在しない。
魔導術は暇人が考える『万能の問題解決手段』ではないのだ。
少なくとも、この線から手繰ることが不可能なのは誰の目にも明らかで、国家憲兵隊は王国府と協議の結果、『不埒な叛逆者が王家を狙うも、失敗。準貴族の娘が代わりに毒を呷ってしまった。犯人は家族を道連れにして自殺した』という報告を公表した。後世においても、この事件はこの報告書が“真実”として語られている。
給仕係の妻と子供は辛うじて葬式を出されて墓に入れたが、粗末極まりなかった。そして、給仕係本人は墓に入ることが許されず、葬式もなかった。死体は完全に焼却され、灰は北洋に捨てられた。
公式にはこれで事件終了。
別のストーリーを知る者もいる。
総主教や大主教達のキモ入りの娘に不祥事を起こさせ、彼らの目論見を台無しにしてやろうという控えめな一手を打った黒幕がいた。
黒幕の見込み違いはアリシアが規格外の存在だったこと。そして、この件に対して総主教と大主教達が“本気”だったこと。事件から数日後、ある主教が“病気”で急逝した。聖王教会は死亡した主教に立派な葬儀を行い、その生前の功徳を讃えた。
その弔辞の内容は知る者が聞けば、背筋が寒くなるほど悪辣なもので、総主教の対立派閥はこれ以降、アリシア・ド・ワイクゼル嬢から手を引く。
生半な覚悟で竜の尾を蹴り飛ばすバカはいない。
もっとも、このストーリーを知る者は極めて少ない。今後も増えることはないだろう。
〇
アリシア関連に関しては、王家からも教会からも干渉は今のところないようだし、当分様子見。アレックス達と喧嘩漫才させておけば良かろう。
大事なのは、ハイスターカンプ少将との折衝でまとめた、傷痍軍人と遺族を対象とした雇用創設と福祉器具の開発。このテストケースの準備が急務だ。後々のことを考えたら、絶対に失敗は許されない。
ここで軍の信用を得ておけば、一気にやれることが増える。
もちろん、既存の事業と投資も手を抜けない。これらから上がってくる儲けが新事業の燃料になるのだから。
ヴィルミーナはあれこれと考えつつ、“オフィス”である学生活動棟の一室で側近衆達と共にガリガリと仕事をしていた。
その様子をぽかんとした面持ちで眺めていたアリシアが感嘆をこぼす。
「凄いですね、ヴィーナさん。ウチのおとーさんより仕事してますよ」
「ヴィーナ“様”だ。敬称は正しく使えと何度言えば」ぎろっと睨むアレックス。
「ひぇっ」仰け反るアリシア。
「そういえば、アリシアさんは外洋領土の出身なのよね?」
「はい。大冥洋群島帯のエシュケナ諸島というところです。ド辺境なんて言われてますけれど良いところですよ」
「私は貿易に出資してるの。大冥洋群島帯のことでアリシアさんに一枚噛んでもらいたいのだけれど、どう?」
「え? 私もヴィーナさ―――ま? のお仕事に関わって良いんですか?」
さ――――ま? て。ヴィルミーナは小さく微笑み、頷いた。
「貴女は客分みたいなものだから、他の子のように仕事を任せることは出来ないけれど、そうね。相談役みたいなものかな。大冥洋群島帯関連のことで有益な情報や助言をくれたら、ちゃんと報酬を払うわ」
「ほえー」アリシアは目をぱちくりさせ「ヴィーナさんって他の人達と全然違いますねえ」
「ヴィーナ“様”だ」と眼光鋭いアレックス。
「ひぇっ」と首を竦めるアリシア。
こほん、とヴィルミーナは咳を打って話を続ける。
「どうする? やってみる?」
「ちょっと家族と相談したいです」アリシアは眉を下げ「私、貿易とかさっぱりだし、ヴィーナさま? を大損させちゃうかもしれないから」
なんで疑問形なんや。ま、ええけどね。
「そう。じゃ、返答は待ちましょ」
あるいは、教会とな。アリシア嬢経由で一枚噛めるとなれば、どう出るか。小口とはいえ、表向き教会とは無関係の貿易ルートは使い勝手が良かろう。私の“貸し”にどう応えてくれるか、楽しませてもらおうじゃないか。
人の悪い笑みを浮かべるヴィルミーナ。その顏芸チックな有様にアリシアは反応に困り、アレックスに目線を向けた。
「気にするな」
アレックスの答えに他の側近衆もしみじみと頷いた。
不意に、ドアがノックされた。
ヴィルミーナが首肯し、側近衆の一人が腰を上げて応対に出る。
「あ、あのぅ、アリスは居ますか?」
一言で言えば、芋っぽい。芋っぽい娘であった。地味とかではない。貴族令嬢にもかかわらず、垢抜けず芋っぽい。顔立ちは可愛らしく、おずおずとした仕草は小動物的で庇護欲をそそる。だが、芋っぽい。ポテトって感じだ。
アリシアを愛称のアリスと呼ぶ辺り、親しいのだろう。
「……用向きを告げる前に、まず貴女が何者か名乗るべきでは?」
側近衆は冷え冷えとした目つきで芋娘を睥睨する。
芋娘は慌てて小さく一礼して名乗った。
「すすす、いますんっ! ヴァン・ナスコル男爵家次女コレットと申ひます。アリシアがこつらにいるときいて、た、尋ねますた」
カミカミだった。
「あ、コレット。どーしたのー?」
暢気な調子で席から手を振るアリシア。
ヴィルミーナは控えめに微苦笑し、告げた。
「入れてあげて。皆で一服しましょう」
〇
花蜜とハーブを加えた爽やかな風味の御茶。それと、ドライフルーツを混ぜたパウンドケーキ。大公令嬢のオヤツとしてはちょっと素朴かもしれないが、味はよろしい。
コレットはヴィルミーナ達に囲まれて恐縮しつつも、
「酷いよ、アリス。今日の放課後は一緒に魔導術の練習するって約束してたじゃん」
しっかり用向きと苦情を訴えた。が、アリシアは悪びれることなく小首を傾げた。
「あれ? その約束、明日じゃなかったっけ?」
「今日だよぉ」と恨みがましくアリシアを見据えるコレット。ハムスターみたいだ。
「私が連れてきてしまったかもしれないわ。ごめんなさいね、コレットさん」
「いい、いいえ、そんな、大公令嬢様が謝ることでは」恐縮するコレット。やっぱりハムスターっぽい。
芋っぽくてハムスターっぽいとか、お前。マスコットかや。可愛いやんけ……
ヴィルミーナは機嫌を良くしつつ、アリシアに尋ねる。
「アリシアさんは魔導術の練習をしているの? あれほどの魔力放出が出来るのに?」
「あー、私。ドガーッて出すのは得意なんですけど、シュシュ~ってやるのは苦手なんです」
アリシアは擬音と身振り手振りで応じた。どうやら全ブッパは得意で、細かい制御は苦手、と。あー、サブカルでよくある大砲型ヒロインやな。最終的に熱核兵器みたいな威力に達するんやろ? 人間戦略兵器とか苦労しいしいの人生しかあらへんわ。
「私も魔力制御の習得には苦労したわ」ヴィルミーナは御茶を口に運び「コレットさんも魔力制御が苦手なのかしら?」
「はい……私は出力を出すのが苦手で……」としょんぼりコレット。
「私達の中だと……ニーナが一番上手かしら」
「ヴィーナ様にお褒め頂き光栄です」とまんざらでもないニーナ。「でも、私達の代で一番となると……やはり、マテルリッツ様かと」
「ギイくんはたしかに上手でした」
アリシアが同意する。
宮廷魔導士総監末子ギイ・ド・マテルリッツ。その魔導適性の高さと早熟の技量から神童とか天才とか言われている。本来ならば、魔導学院でさらにその能力を鍛錬研鑽すべきなのだろうが、王子の側近衆として王立学園入りしていた。
「でも、この前の御機嫌伺から、なんか距離を取られてる感じがするんですよー。私なんかしたかなぁ?」
小首を傾げて唸るアリシアへ、ヴィルミーナも側近衆もコレットもビミョーな生暖かい眼差しを向けた。
そりゃ、あんな熱核弾頭みたいな魔力ブッパを披露されちゃあ、天才少年のプライドバッキバキである。今頃は過剰な自意識と折れた自尊心と天狗だったことへの羞恥心と敗北感でぐっちゃぐっちゃであろう。ここで立ち直れれば、真の一流へ向かうかもしれない。折れれば、芸能界に付き物の落ちぶれた天才子役みたいになっちゃうかもしれない。
こほん、と気分を変えるように咳をして、ヴィルミーナは言った。
「女子の中ではグウェンとデルフィネが頭一つ抜けてるかしら」
「です、ね。その後にエステル様、ラウラ様、メルフィナ様でしょうか」とニーナ。
「あれ? ヴィーナさ、ま? は入らないんですか?」
アリシアがパウンドケーキをもしゃもしゃと齧りながら尋ねた。
ヴィルミーナは小さく肩を竦める。
なんだかんだ二親が王族のため血統的魔導適性は折り紙付きだが、魔法と全く縁のない現代日本人ソウルが足を引っ張り、理論立てての運用は出来ても、直感的感覚的な使用は苦手だった。それに中身がウン十歳のババアなのだ。今更魔法少女みたいな真似は心が持たない。
でもまあ―――たまには良いかな。
「明日は予定を変えて、皆で魔導術の練習でもしてみましょうか?」
ヴィルミーナの提案に、皆が了承する。
魔導術でちょっと遊ぼう、程度に考えていたヴィルミーナは、翌日の放課後、頭を抱える羽目になった。