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大陸共通暦1762年:ベルネシア王国暦245年:秋。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国北部:王都オーステルガム。
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この世界に魔導術が生じた黎明期、その魔導術能力の有無と高低が社会的地位に大きく関わった。
世界の東西南北を問わず王侯貴族の原点は強力な魔導術遣いであり、その力を持って土豪となり、領主となり、王となったのだ。
それだけに、王侯貴族は例外なく血統主義だ。魔導適性に関わる血の濃度を維持するため、貴族同士の婚姻に拘る。
もっとも、魔導技術文明が発展、進歩するに伴い、利便性に優れた各種魔導具等が登場し、対魔導術技術や魔導術付与武具が生まれ、魔導術の優位性は相対的に下がっていった。
それでも、貴顕が魔導適性に拘る理由を、某ゲームの魔法を例えに用いよう。
平民が扱う魔導術のレベルは努力して努力してメラ程度。才能に溢れていてもメラミ程度が限界だった。
王侯貴族は違う。最低でメラミ(これは“恥ずべき”最低値だ)。メラゾーマが打てて当然。魔導適性が高い者はカイザーフェニックスだって使える。
貴顕が魔導適性を重んじる理由がお分かりいただけただろうか。
ベルネシア王国の場合、貴族制により貴族籍を抜ける次男以下にしても、基本的に同様の貴族次女以下を嫁に望む。そうすれば、血統的に“血の濃度”を維持できるからだ。裕福な家が貴族子女を嫁婿に望むのも、血の濃度を強められるからだ。
逆に、貴顕が平民を正妻、夫に迎えるようなケースは下級貴族か準貴族、あるいは、家を継がない立場の倅や娘達が生活や恋愛感情を優先した場合に限られる。
こうした平民階層への血統流出や、戦争や犯罪などによる予期せぬ事態(平たく言えば、強姦)などにより血が混ざり、時折、平民や準貴族の中から高い魔導適性を持った者が生じる。
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宴が進み、ある程度酔いが回った連中が出始めたことで、諸侯御機嫌伺はますます盛り上がっていた。ただし、王家御臨席の場で痴態を晒す者は現れない。万が一にも泥酔して国王一家や外国の要人相手に粗相しようものなら御家断絶もあり得るのだから。
現代日本人なら酒の席のことだし、と鷹揚に捉えるかもしれないが、逆だ。酒の席だからこそ、自制できないようなバカは信用も信頼もされないのである。
で。事は起きた。
誰が与えたのかは分からないが、アリシアはその時、しこたま酔っていた。後に王宮付医官が調べた結果、魔導薬物が検出されたから、何者かが悪意を以てアリシアを酔わせたことは間違いない。
グウェンドリンや取り巻き達は無実だ。彼女達は第一王子エドワードの“やらかし”のとばっちりを受け、王太后や王妃、王弟大公夫人やその他王家親戚衆の女性陣に捕まり、『王族に嫁ぐ者の心構え&浮気への対処法』を懇々と説かれていたからだ。
第一王子エドワードにしても、父である国王や叔父の王弟大公、王家親戚男衆に捕まり、『浮気をする場合のマナー』を懇々と説教されていた。
エドワードの取り巻き達もそれぞれの家族からお叱りを受けていた。
当のアリシアは、といえば、物珍しいことばかりの諸侯御機嫌伺いを観光客気分で楽しんでいた。この時、いつも学園内でツルんでいる友人の男爵令嬢が傍に居れば、また違ったのだろうが、運悪く件の男爵令嬢は家族と共に親父の上司へ挨拶していた。
その間に、アリシアは何かしらの薬物入りアルコールを摂取させられ、泥酔したのだ。
その酷く酔っぱらったアリシアはふらふらと会場を回遊している最中、男衆がしていた会話を聞き留めた。
誰それの魔導術が一番凄いか、という割としょうもない話である。
そのしょうもない話を聞いたアリシアは、酩酊状態の好奇心のままにその会話へ参加した。
「わたひもまどーじつはとくいれすっ!」
酒が入った男衆はぐでんぐでんに酔ったアリシアにぎょっとしつつも、酒が入った悪ノリを返した。おぉそうかそれじゃちょっとやってみぃ。わはは。そうだそうだ。ちっと披露してみれおじょーちゃん。
「はぃっ! ありひあ、がんばーまーすっ!」
アリシアは庭園の上空に向けて「んむーっ!!」と全力で魔力を放出した。
エンテルハースト宮殿の上空で巨大な閃光が炸裂する。さながら局地反応兵器が如く。
この時代の魔導適性と放出可能魔力の平均を段違い上回る規格外の魔力量。その凄まじい魔力エネルギーを抑え込むため、宮殿の7つ重ねた魔導防護障壁が一瞬で5つまで破砕した。
アリシアの魔力発動へ咄嗟に反応した宮廷魔導士や近衛軍団の戦闘魔導士が、緊急防御魔導術を即時展開しなければ、全ての魔導防護障壁が破られたかもしれない。
高出力の魔力に焼かれた大気中魔素が青い光粒子となり、明光風靡な庭園内へ雪のように降り注ぐ。それは極めて幻想的な光景であったけれど、会場内の人間は大抵が唖然茫然慄然としており、この美しく儚い光景を純粋に楽しめた人間は限られた。
最も楽しんだのは、幼い第二王子だった。
「うわぁ……」光の淡雪が降り注ぐ中、幼い第二王子が目をキラキラさせながら「凄い凄いっ! お母様、今の凄かったねっ!」
最も慄然としていたのは宮廷魔導士達だった。彼らは『これほどの魔力を放出可能な人間がいる』という事実に戦慄していた。
特に、宮廷魔導士総監末子にして第一王子側近ギイ・ド・マテルリッツは驚愕と焦燥と嫉妬に弟系のカワイイ顔を歪めていた。
我らがヴィルミーナは、騎士の如く身をもって盾たらんとしたアレックスに押し倒されていた。アレックスの端正な顔が近く、2人の鼻先が触れ合い、吐息が混ざり合う。
―――女の子と分かっとっても……や、変な気分になってくるわぁ。
側近衆の娘っ子達がヴィルミーナとアレックスに熱烈な眼差しを向けていた。
「貴い。でも、羨ましい妬ましい」「ズルぅい。ヴィーナ様ズルぅい」「素敵……この光景を残したい……」「おう。私のことも押し倒すんだよ、あくしろよ」
気持ちは分かる。分かるで? でも私の心配もせぇや。ボスやぞ。お前らのボスやぞ。
ヴィルミーナはアレックスの頬を撫で、
「ありがとう、アレックス。大丈夫だからそろそろ」
「し、失礼しました。御無礼の段、平にご容赦を」
顔を真っ赤にしたアレックスが飛び退き、ヴィルミーナの手を取って引き起こす。
「報告」
ヴィルミーナが側近衆へ告げると、ニーナが答えた。
「原因はアレみたいです」
ニーナの指差した先で、アリシアが近衛兵に両脇を抱えられて連行されていた。
もっとも、本人は全ブッパして幸せそうに意識を飛ばしていたが。
ヴィルミーナは目を覆った。
なにやらかしとん。あの嬢ちゃんは。今度ばかりは私でも助けられへんぞ。
国王一家が御臨席の場でこの大狼藉だ。下手すりゃ即打ち首。良くて修道院送り(事実上の終身蟄居)。ワイクゼル家も準貴族籍剥奪の御家御取り潰しもあり得る。
色ボケ第一王子もグウェンドリンも取り巻き達もこの所業は庇いようがあるまい。むしろ、アリシアをこの場に連れて来た責任を問われ、罰を受ける側だろう。
そこへ、
「待たれよっ!」「お待ちくださいっ!」「しばらくっ! しばらくっ!」
聖王教会のお偉いさん達が一斉にアリシアの許へ駆け寄った。
ベルネシア王国は聖王教会開明派世俗主義国で、聖王教総本山(伝統派)の法王庁からは『異端』と敵視されている。そして、開明派は総本山というものを持たない。この関係からベルネシアの聖王教会組織体系は国教会に近しく、宗派上の分類はベルネシア聖王教会と呼ぶのが正しい。
そのベルネシア聖王教会のトップ総主教を筆頭に、高位司祭達が次々とアリシアの許へ駆け寄っていく。そして、彼らは口々に怒涛の勢いでアリシアの弁護を始めた。
ある種異様な事態に、ヴィルミーナは眉間に皺を刻む。
アリシア嬢の後援者は教会か。またぞろ生臭いウラがありそな話かぃ。
〇
「あの野良猫の放ったアレ。実は魔導術じゃなくて、単純に魔力を放出させただけだったそうよ。もしもあの魔力が具体的な魔導術に転換されていたと思うと、ゾッとする話ね」
「ギイ様のお顔を見ました? あのカワイイ顔がくしゃくしゃに歪んでましたよ」
「そりゃそうよ。さんざん天才だの神童だの持ち上げられて育ってきたところにアレよ? 今頃はプライドがずったずたでしょうね」
「今回の件は殿下達にも良い薬になったんじゃない?」
「そうね。これでお立場というものを自覚してくだされば、重畳だと思うわ」
すっかり酔いが醒めてしまった諸侯御機嫌伺の一角で、王立学園生の雀達がひそひそとこんな話をしていた。
ちなみに今現在、国王と総主教がアリシアの処遇を巡ってバチバチにやりあっている。アリシアはひとまず処分保留で宮廷医官の検査を受けていた(そこで先述したアルコールと薬剤が検出され、アリシアは潔白となるが、代わりに国王一家御臨席の場に毒紛いの薬物が持ち込まれたことで大問題が生じる)。
バカね、とアレックスは思う。今回の一件で最も注意すべき点はそこじゃない。ワイクゼル嬢の後援者が聖王教会で、その擁護のために総主教が出張るほどの存在ということよ。
アレックスが視線を雀共から外し、ヴィルミーナへ移す。
ヴィルミーナは王子やグウェンドリンの呼び出しを蹴り飛ばし、自身に洗礼をしたゴセック大主教を問い詰めていた(当時は主教だったが、主教に洗礼を施される時点で、ヴィルミーナが如何に特権階級上層の存在か窺えよう)。
「教会はとんでもない娘を囲ってらっしゃったようですね」
「まるで教会がポン引きか何かのような言い草だな」
マイケル・ケイン似のゴセック大主教は楽しげな苦笑いを浮かべた。若い頃は従軍僧を務め、剣林弾雨の中、倒れた兵士達の臨終を看取って回ったという剛の者だ。
加えて、海千山千の教会内政治で大主教まで登るだけあってその方面でも剛の者だった。
「確かに教会はあの娘に目を掛けておる。しかしな、ヴィーナが“危惧”するような類の話ではないぞ。我々は伝統派の連中とは違う。国政を牛耳ろうなどとは考えておらん」
「では、広告塔ですか。今時、聖女や覚者なんて流行りませんよ」
「相変わらず辛辣な賢察だな、ヴィーナ」
ヴィルミーナの指摘を認めるように嘆息をこぼすゴセック大主教。小さく嘆息を吐いて周囲を見回した後、ヴィルミーナにだけ聞こえるように告げた。
「大陸西方は伝統派が優勢を占めておる。これは歴史的に考えても無理からぬこと。ただ外洋領土において、改宗者の数が伝統派の後塵を拝しておることを憂慮しておる」
「なんとまあ。神聖なる教会がそのような俗事に心を割くとは」
嫌味を言われても、ゴセック大主教は平然としたり顔を返す。
「世俗の衆生たる我らが神聖な存在であるなど、驕りに過ぎんよ。僧衣をまとって聖典を読み耽ったところで特別な何かになるわけではない」
「お歴々の耳に入ったら議論が招きそうなご意見はさておき、その憂慮とアリシア嬢がどう関係するんです?」
話の先を促されたゴセック大主教は続けた。
「彼女は生まれが外洋領土なのだよ。君なら外洋領土出身の聖女が登場することの意味が分かろう」
外洋領土の者達は同じ境遇に生まれ育った聖女に同胞意識を持ち、崇め敬うだろう。その聖女が開明派なら、開明派に転ぶ奴が増えてもおかしくない。
ヴィルミーナは不快そうに眉間へ皺を刻んだ。
「それは彼女を利用することと同義です。大主教様はそれを許すのですか」
「恥ずべき悪徳であることは承知だ。しかし、その点を考慮しても、より多くの人々に正しき福音を届けるという善徳は為すべきだろう」
「それは聖職者ではなく政治家の物言いです」
「高位司祭とは政治家だよ、ヴィーナ。だから、歴代の高位聖職者達は皆、地獄の底におる。もちろん悪魔を悔い改めさせるためだぞ」
明確に非難されても不敵にのたまうゴセック大主教へ、ヴィルミーナは思わず笑顔を返した。このユーモアがあるからこの大主教は嫌いになれない。
「しかし……なぜ彼女なのです? 如何に常人離れした魔導適性を持つとはいえ、彼女はお世辞にも敬虔とは思えませんが……」
「これは真実本当のことだが、儂も報告書でしか知らん。ただ、彼女は幼い頃に福音を授かったそうだ。あの常人離れした魔力がその福音の証明と聞いておる。アレが福音の結果といわれては、儂も否定しがたい」
「確かに。宮廷魔導士達なんか顔真っ青ですしね……個人で宮殿の魔導防壁を五つも同時破壊なんて……ん?」
ヴィルミーナは真剣かつ血の気の引いた顔で話し合う宮廷魔導士達を一瞥し、ふと思い出したようにゴセック大主教へ尋ねた。
「ところで、アリシア嬢のパトロンということは、宮殿の魔導防護障壁の修繕費は教会が持つので?」
なお、建築物の魔導防護障壁施術は高額な費用が掛かる。国王一家が住まう宮殿となれば、段違いに。
「………」
ゴセック大主教は瞑目してしばし天を仰いだ後、くわッと刮目してヴィルミーナの肩を強く叩いた。
「寄付を待っとるぞ、ヴィーナっ!」




