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大陸共通暦1762年:ベルネシア王国暦245年:秋。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国北部:王都オーステルガム。
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エンテルハースト宮殿の大庭園に在王都中の貴族や高位聖職者が勢揃いしていた。地方にいて離れられない貴族達も名代を寄こしている。
宮殿の内も外もベルネシア陸軍近衛軍団ががっちりと警備を固めている。ちびっ子貴族達が壮麗で騎士然とした近衛兵に憧憬の眼差しを向けていた。
王妹大公ユーフェリアはとある男性貴族を侍らせて出席した。もちろん、分かる者が見れば、それが悪辣な嫌味だと分かる。その男性貴族はユーフェリアが心から愛した亡き貴族青年の親族だから。
ヴィルミーナは鮮やかな藍色の秋物ドレスに、上品な黒染めシルクの更紗柄ショールを羽織っていた。
その隣に伴われたのは、アレックスことアレクシス・ド・リンデ嬢。
この日のアレックスは“男装”していた。
※ ※ ※
遡ること数日前。
「アレックス、男装しない?」
「……はぁ?」
目を瞬かせるアレックスに、ヴィルミーナはかくかくしかじかまるまるうまうまとプランを説明した。ざっくり言えば、介添人がいないから貴女が男装して務めない?
「ぇええ……」
アレックスは困惑した。妥当である。が。
「良い。凄く良い考えです、ヴィーナ様」「やるべきだよ。いや、やれ」「早く了承してアレックス」「あくしろよ、あく」
側近衆の娘っ子たちが嬉々として賛同し、鼻息荒く同調圧力を以てアレックスに迫る。見ようによってはイジメである。
「ぇええ……」
アレックスはドン引きした。こいつら、普段どんな目で私を見てるんだ。
「無茶を言う分、服やその他は私が持つから。どう?」
ヴィルミーナはあくまで決定権をアレックスに委ねたが、
「ヴィーナ様に良くして頂いている御恩を忘れたの?」「側近衆筆頭として務めを果たすべきよ」「黙って受け入れろ」「あくしろよ、あくー」
周りはアレックスに拒否を許さなかった。なんという同調圧力。完全にイジメですわ。
アレックスは力なく頷いた。
「お受けします……」
ひゃっはー、と側近衆達が歓声を上げた。これにはヴィルミーナもちょっと引いた。
で。
ヴィルミーナはアレックスと側近衆を引き連れて贔屓の服飾工房へ赴いた。
男装させるとはいっても、まんま男の恰好をさせるわけではない。ある種のジョークを兼ねているのだから、女性であることをはっきりと前面に出さねばならない。コンセプトは『オンナらしい男装』だ。
アレックスは程よい肉付きをした長身のアスリート体型。胸周りの流線と腰回りから臀部脚部にかけての女性的曲線を強調するデザインが良かろう。加えて、上衣は腰丈にしてタイトにし、ハーフマントで背中から左肩まで覆ってみた。髪型は動きを付けてスカした感じに。
アレックスを着せ替え人形にして数時間後。肌の露出が極めて少ないのに、なぜか酷くセクシーな男装の麗人が誕生した。
服飾工房の職人と針子達が『いい仕事したぜ』と満足げに頷く。
「素敵っ!」「格好良い……」「期待以上、期待以上よアレックスっ!」「なんで? なんでアレックスは男じゃないの? ねえ、なんで?」「女でも良い。私と婚約しろ」
大興奮の側近衆。
「怖い。あんた達、怖い」ドン引きの、ドン引きの、ドン引きのアレックス。
ヴィルミーナも密やかに思う。
これは大ウケするかもしれんな。
※ ※ ※
そんなわけで、御機嫌伺の会場では、派閥領袖のヴィルミーナ以上に男装のアレックスが注目を浴びていた。貴族夫人達はもちろん、男衆からも視線が熱い。年若い、あるいは幼い貴族令嬢達はそれこそ初恋相手を見るような眼差しを向けている。
その中には第一王女まで混じっていたが、ヴィルミーナは見なかったことにした。
「心が痛いです……」
真顔で嘆くアレクシス・ド・リンデ子爵令嬢15歳。彼女の今後はどうなるのか……
御機嫌伺の予期せぬ存在はアレックスだけではなかった。
第一王子エドワードが取り巻き連中を引き連れて現れる。
自身の右側に麗しく着飾ったグウェンドリンを伴い、
左側に美しく着飾ったアリシアを伴って。
グウェンドリンの顔が微かに引きつり、アリシアがキョトンとしている辺り、2人はこの場に至るまで何も知らなかったのだろう。つまり、王子と取り巻き達の“やらかし”だ。
現国王も王妃もこの件は知らなかったらしく、目を白黒させていた。少し離れた卓に居た王太后はスンとした能面になっている。親戚衆達も『あいつはなにやってんだ』という面持ちになっていた。
ヴィルミーナも女として許されないレベルの憤慨面を浮かべ、歯噛みしていた。
あああああああああああ、もぉおおおおおおっ! 何やらかしとんやあああああああっ!
とまれ、秋の諸侯御機嫌伺が始まった。
王家主催で国王一家、王家一門の御臨席となれば、お堅い印象が伴うが、実態としては気楽な宴だった。賑やかで華やかで誰も彼もが少々飲み過ぎる楽しいひと時。ベルネシア王家の家風なのか、ベルネシア貴族の気風なのかははっきりしない。
ただ、この時代のベルネシアは外洋進出政策が上々で、中央集権化された法治王政は順調だった。景気は特別良いわけでもないが、安定していて世情に大きな不安もない。間違っても平和ではないし、紛争や抗争を抱えているけれど、ベルネシア王侯貴族には今この時間を楽しむ余裕があった。
後世から見れば、暢気としか言いようがないが。
ヴィルミーナは卒なく国王夫妻に挨拶し、王太后と談笑し、王弟大公夫妻と世間話をして、一門衆や大貴族衆、聖職者の方々に挨拶回りしていく。それから、グウェンドリン&アリシアやメルフィナなど友人達と触れ合いを済ませ、道中に自分を蛇蝎の如く嫌うデルフィネの許に寄って嫌味と皮肉の応酬をして心を“癒す”。
「デルフィネ様の許に立ち寄る必要があったので?」と側近衆のニーナが尋ねてきた。
本来なら“侍従長”アレックスが傍に居るはずだが、アレックスは歳若い御令嬢方と妙齢の御婦人方に取り囲まれて動けなくなっていた。
「私はデルフィネが大好きなの」矍鑠と笑うヴィルミーナ。「ああも堂々と私を嫌う人は他にいないからね」
デルフィネはガチンコでヴィルミーナを嫌っているが、ヴィルミーナは喧嘩友達として扱っていた。なので、今後もデルフィネはヴィルミーナに苛立たされる。合掌。
それから、ゼーロウ男爵家名代のアルブレヒトとも接する。隣には美しい御令嬢がいた。噂の熱愛相手だ。伯爵家の娘だという御令嬢は可愛らしい少女だった。
アルブレヒトとの会話は時候の挨拶からクェザリン郡のことや男爵夫妻のこと、お付き合いしている御令嬢のこと、そして、レーヴレヒトのことに至る。
「消息は分からないまま、ですか」
「当家も母の実家筋を頼って探してはいるのですが……何か、軍機に関わるようで」
そう語るアルブレヒトの顔には微かな心配が浮かぶだけだった。アルブレヒトは異才を持つ弟を信頼している。たとえ、この世の終わりが来ても弟なら飄々と生き延びる、とすら思っていた。
なお、ゼーロウ男爵夫人フローラの実家は軍人貴族セーレ家で、一族の男衆はほぼ全員が軍人だった。そのセーレ家をしても、レーヴレヒトの行方は定かにならないらしい。
となると。ヴィルミーナは考え込む。レーヴレヒトの行方を知るには、軍高官であるグウェンドリンの叔父御が最後の伝手、か。
そして、ヴィルミーナは挨拶周りの果てに、グウェンドリンの叔父デルク・デア・ハイスターカンプ陸軍少将と邂逅する。
〇
デルク・デア・ハイスターカンプ陸軍少将はまだ30代だ。名門ハイスターカンプ家の引きがあっても、近代化傾向の強いベルネシア軍では少将が限界だった(それでも、高位有力貴族特有の高速出世と言えるが)。
若き日のティム・ロビンスを思わせる顔立ちと長身の持ち主で、濃紺色の軍礼装が良く似合っていた。隣の細君は王国西部出身の貴婦人で華やかな存在感を放っている。
「お会いできて光栄です、大公令嬢様。姪が大変お世話になったようで」
「こちらこそ。知遇を得る機会を頂けて感謝しています、少将閣下。姪御様とは親しくさせていただいておりますから……今日のアレは想像の範疇を斜め上に超えておりましたが」
そんな調子の無難な挨拶を交わした後、卓に着いたヴィルミーナは、給仕が飲み物を置くと同時に側近衆達を外させた。ハイスターカンプ少将も細君へ席を外すよう告げた。卓にはヴィルミーナと少将しかおらず、気づけば周囲をさりげなく軍人貴族が固めている。
会談の準備は整った。
「姪から話は聞いております。なんでも、私を通じて軍に“貢献”なさりたいそうですな」
デルク・デア・ハイスターカンプ少将は隙の無い目つきで続ける。
「しかしながら、陸軍でも海軍でも貢献者は既に充分おります。姪の頼みとはいえ、大公令嬢様に貢献いただかずとも大丈夫ですよ」
「閣下の御高配有難く。ですが、私の貢献は既存の方々とは違いますので、軍に御迷惑をかけることはないかと」
「どのような貢献を御計画ですか?」
久々の営業や。腕が鳴るわ。
ヴィルミーナは静かに息を整え、居住まいを正してから切り出した。
「失礼ながら、御国に命を捧げた方々の御遺族や、御国へ御奉公した末に心身へ深い傷を負った方々の窮状を度々耳にいたしております」
「軍も心を痛めております。改善をしたいとは思っていますが、なかなかに難しい」
「はい。私はその点で軍に貢献したいと思っています」
「ふむ」ハイスターカンプ少将は少し考えこみ「すでに具体案をお持ちで?」
「軍人遺族と戦傷病障害者の優先的な就職先として、いくつかの工場と工房の設立。加えて福祉器具の開発製造。もちろん、私個人では限界がございますから、受け入れる方々は陸軍の方からご紹介くださると助かります」
ハイスターカンプ少将の顔つきが変わる。軍高官は軍内の政治家に等しい。つまり、協力者や後援者や支持者に利益誘導できなければ、如何に生まれが良かろうと階級が高かろうと戦が上手かろうと無能の誹りを受けてしまう。
その意味において、ヴィルミーナの提案はハイスターカンプ少将にとって巨大な権益をもたらす。
「その提案を実現する資金力はおありでしょうな。ですが、人材とノウハウはどうです? 絵に描いたケーキはいかに美味そうでも、食べることは適いません」
「閣下の御心配の通り、不安はあります。しかし、対策は考えております。詳しい資料を後日、閣下の許へ送らせていただきますので、ご検討ください。特に、人材に関してですが」
ヴィルミーナは言った。
「陸軍から退役軍人を御紹介いただきたい。特に後方で兵站業務や医療活動、研究開発などを担っていた方々を」
すなわち――軍の人材をくれ。ただし戦バカはいらない。
ハイスターカンプ少将は手元のグラスを口に運び、会話を遮る。考えをまとめ、勘定を整える時間が必要なのだろう。提案のメリット/デメリット、将来的な予測、ヴィルミーナの狙い等を。
そして、少将はグラスを卓に置き、話を再開した。
「大公令嬢様の貢献案は大変すばらしいと思います。ですが、まずは小規模な試験運用をして実績を示していただきたい。数多くの遺族と負傷者がおりますのでね。いきなり大々的に始め、失敗でした、となったら目も当てられません。陸軍としても責任を負いかねますから」
「その御憂慮は当然かと。試験の機会を与えられて光栄です。引いては、その用地を探すにあたって陸軍からご要望はありますか?」
「その辺りは内で意見をまとめてから、となりますね」
流石に、ハイスターカンプ家の領地に、とは少将も即答できない。この辺りは非常にデリケートだから。
「しかし、これほどの貢献となると、陸軍としても大公令嬢様に感謝を示す必要がありますな」
「私は王族の端くれとして御上と民から多くの幸を賜っている身です。軍への貢献は王族として勤めるべき奉仕だと考えています。この貢献案が通れば、それで充分ですわ」
「ふむ……大公令嬢様は欲がありませんな」言葉とは裏腹に少将の目つきに隙が無い。
「とんでもない。私はとても強欲ですよ、閣下。この貢献を通じて軍の方々に褒めていただきたいと思っていますからね」
ヴィルミーナはくすくすと笑ってから、小さく眉を下げた。
「ただ、とても私的なことなのですけれど、一つだけ閣下にお願いがあります。ただ、軍機に関わることでしたら、諦めますので、聞くだけ聞いて頂けませんか?」
「? どのようなことでしょうか」
「私の親しい友人が士官学校へ入校したのですけれど、その後音信不通になってしまって。私に対してのみならともかく御家族にも便りが無いそうで。御親戚のセーレ家を通じても行方が定かにないとのことでして、心配しております」
「ほう。そんなことが。その御友人の名前を伺えますか?」
「ゼーロウ男爵家御次男レーヴレヒト・ヴァン・ゼーロウ様です。今年の春に士官学校へ入学されました」
「わかりました。調べてみましょう」
少将は卓周辺の軍人貴族の一人を呼び寄せ、二言三言告げた。軍人貴族は速やかにその場を離れて言った。
「野暮なことを伺いますが、そのゼーロウ家御次男殿は大公令嬢様の良い人、ですか?」
「いえ。閣下には、苦楽を共にした戦友のような間柄、といえばお分かりになるかと」
「それはまた。男女の間では珍しい」
「はい。良く誤解されます」
「しかし、そうなると、大公令嬢様は少々ご苦労されるかもしれませんなあ」
「? とおっしゃると?」
「軍に厚い貢献をなさろうという大公令嬢様に良い人がいないと聞けば、軍の長老連中がこぞって姿絵と紹介状を送ってよこしますよ」
ほんとにえらい迷惑な話やな。
「それはまた……少々閣下の援護を是非」
「どうでしょうねえ。私は戦下手なので」
はっはっはと笑うハイスターカンプ少将。
ヴィルミーナは追従の微苦笑をこぼしつつ、内心で毒づいた。
マジで勘弁してえや。




