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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第3部:淑女時代

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閑話33:地中海戦争、その顛末。

ベルモンテ編の蛇足2

誤表記を修正しました。内容に変更はありません(12/16)

 大陸共通暦1781年の晩秋にベルモンテ公国が発表した政変及び協商圏への降伏とコルヴォラント連合からの離脱。

 そして、ナプレ王国との婚姻同盟――将来的な合併は法王国と国境を隣接するフローレンティアに衝撃をもたらした。


 ベルモンテ公国は時の法王が一族に領地を与えて起こした国だ。法王国にとっては正しく御親藩。江戸幕府将軍家に対する紀伊徳川か尾張徳川に等しい。そんなベルモンテが法王国に弓引くナプレ王国へ与するだけでなく、婚姻同盟の後に事実上の併呑を許すという。


 しかも、調印式襲撃事件――先代王太子ピエトロの暗殺とベルネシア第二王子アルトゥール及び王妹大公女ヴィルミーナ、加えて諸国外交官とベルモンテ王家エスロナ一族の暗殺未遂が法王国の紐付きで行われたとして、法王国とコルヴォラント連合へ宣戦布告した。


 あまりの事態に、法王国の強硬派や超保守派の重鎮が白目を剥いた。


 白目を剥いたのはフローレンティアも同様だった。

 なんせ国境の南に半島南部を制する大国(メーヴラントからしたら中堅国家規模だが)が出現し、挙句は自分達に宣戦布告している。


 特にフローレンティア公王家はベルモンテ公王エスロナ家の凋落に震え上がった。フローレンティア公王家は自分達が尊貴な一族であるという点以外になんら寄る辺がない。いわば室町末期の足利家みたいなものであり、周囲の尊重によって生き長らえている存在に過ぎなかった。


 宮城で御猫様や御犬様の如く暢気に過ごしていたフローレンティア公王家は、この戦争の敗北が自分達の存亡に繋がることを遅まきながら理解し――

 末期の足利家同様に政府や軍へ要らぬ口出しを始めた。


 フローレンティア公国は貴族と教会高官による議会政府が実権を掌握している。が、その議会政府自体が歯の落ちた櫛のような有様だった。教会高官の一部は法王国へ逃亡し(逃げた先でも戦に巻き込まれるとは思っていなかっただろうが)、議会は主戦派と講和派に分かれて真っ二つ。

 さらに言えば、主戦派は積極論と受動論等々で揉め、講和派は講和派で色々揉めており、そこへ公王家が口出しするものだからまとまるものもまとまらない。


 日本史で例えるなら、幕末の情勢に近い。現実を直視しない攘夷派と現実に迎合しようとするも具体策がない開国派が揉め、愚昧な佐幕派と野心だけの討幕派が争い、朝廷が引っ掻き回す地獄絵図。


 幕末の場合は諸外国が傍観していたけれど、ナプレ王国とベルモンテ公国はそんな暢気でも悠長でも無かった。

 1781年中に戦力を再配置し、年末年始の冬が去ると共に法王国とフローレンティアへ侵攻開始。


 同時に北部戦線でも、クレテア東部軍が春季攻勢を始め、コルヴォラントは小康状態の冬を終えて戦火の春を迎えた。


 ここで、更なる驚天動地。

 ヴィネト・ヴェクシア共和国が聖冠連合帝国と講和。戦争から脱落し、中立宣言を発して足抜け。モリア=フェデーラ公国はコルヴォラント連合から協商圏へ鞍替えし、フローレンティアとランドルディア、法王国へ宣戦布告。


 昨日の友は今日の敵。西方情勢は複雑怪奇なり。


 ランドルディア国王ユリウス5世はこれらの報せに鼻血を噴出させるほど激憤し、両拳を骨折するほどの勢いで執務机を殴りつけ、絶叫したという。


「このような信義を破り捨て、正義に唾吐く所業がまかり通るというのかっ! ぉおおお、神よっ! 人面獣心の卑劣漢共に神罰を下したまえっ!!」

 しかしながら、ユリウス5世の悲愴な嘆願を神が聞き入れることは無く。


 聖王教会圏における神の代理人たる法王国元首セルギウス5世は、諸国へ告げた。

「愛です。今こそ博愛と友愛の精神を示す時です」


       ○


 敗北者達の運命を記していこう。


 聖冠連合帝国と講和したヴィネト・ヴェクシアは海軍が大損害を被り、ヴィネト島や沿岸諸都市に強烈な空爆を受けたが、国土を軍靴に蹂躙されずに済んだ。


 ただし、今次戦争の敗北は決してヴィネト・ヴェクシアにとって安いものではなかった。


 勝者たる聖冠連合帝国は東地中海通商の利権を掌握し、チェレストラ海を制した。この海上権益をより強固にすべく、ヴィネト・ヴェクシアへ厳しい講和条件を突きつけている。


 海軍の保有艦艇は戦前の三割まで。陸軍の総兵力を半分まで。民間船舶の火砲搭載を禁止。ヴェクス湾沿岸砲の全廃。これらを呑まない場合、ただでさえ高額な戦勝賠償金を大増額する。


 ヴィネト・ヴェクシア議会は喧々諤々の論争の末、この講和条件を呑んだ。

 本土決戦をして国土を焼かれるよりマシ、カーパキエのように滅ぼされるよりマシ、ベルモンテのように併呑されるよりマシ、そう自身を慰めて。


 もっとも、この敗北はヴィネト・ヴェクシアの国家としての尊厳を大きく損なった。

 活躍の場がないまま敗北し、大幅な軍縮を課された共和国陸軍は強く反発。少なくない将兵が腰抜けの祖国を見限り、義勇兵としてランドルディアや法王国の戦いに身を投じた。


 また、戦中に多くの犠牲を出したヴィネト島や沿岸諸都市は、中央政府に対して強烈な反感を抱くようになった。この反発意識が国内の対立と分裂を招き、ヴィネト・ヴェクシアは国民の団結や連帯といった共和国精神が急速に失われていった。


 代わりにコルヴォラント人が尊ぶ郷土主義、家族主義、地域主義が台頭し、ヴィネト・ヴェクシアは共和制の皮を被った地域諸勢力の連合体に成り果てる。


 同時代の著名な詩人が次のように記している。

「ヴィネト・ヴェクシアは生き延びた。しかし、共和国は死んだ」




 ヴィネト・ヴェクシアの脱落から三月と経たぬうちに、フローレンティア公国が降伏する。

 その経緯を見ていこう。


 先述したように内情がグッダグダのグッチャグチャだったフローレンティア公国は、ヴィネト・ヴェクシアの脱落を期に、主戦派と講和派の本格な内ゲバが発生。国家中枢の動揺は最前線にも届き、脱走者が相次ぎ、また作戦上の混乱が多発。侵攻したベルモンテ公国軍とモリア=フェデーラ公国軍に敗北を重ねていった。


 ぶっちゃけ、侵攻軍は抵抗らしい抵抗を受けなかった。

 その一方で、想定以上に捕虜や投降者が発生し、現地の窮状が侵攻軍の足を大きく鈍らせた。

これまで幾度も繰り返してきたが、現代地球の戦争でも現地調達は珍しくない。

 つまるところ、現地調達が出来ないと全てを自前の補給に頼らざるを得ず、大変な苦労と多額の費用が掛かってしまう。


 フローレンティアは期せずして敵の侵攻を鈍らせ、時間を稼いでいた。

 が、稼いだ時間を有効に使えたかと言えば、そんなことはまったく無い。


 議会は内ゲバを重ね、政府は機能不全になり、国庫はとっくに空っぽで、軍はまともに戦えず、民衆はその日の飯にも困る有様。


 結局、決戦らしい戦いが生じることなく、フローレンティア公国は内部崩壊し、戦争継続が不可能になってしまった。

 侵攻軍にしてみれば、エトナ海諸島沖海戦やクラトンリーネ会戦、エリュトラ攻防戦のような決戦が最後まで生じず、相手が勝手に崩れていく、フローレンティア侵攻はそんな戦いであった。


「我々はこんな連中を警戒してたのか……」

 降伏の通知を受け取ったベルモンテ公国軍の司令官が思わずぼやく。無理も無かろう。

 もっとも、降伏したフローレンティアの扱いこそ勝者達を悩ませた。


 なんたってフローレンティアは借金と負債と窮乏の塊だ。下手に征服して併合すれば、巨額の負債まで抱え込むことになる。徳政令よろしく強引に負債をチャラにしたなら、どんな事態が生じるか分からない(明治政府が幕府や諸藩の借金を無理やり帳消しにした結果、大名貸しをしていた商人の多くが破産した)。


 既に莫大な借金を背負っているナプレ=ベルモンテは不良債権の権化フローレンティアを併合する気など無かった。自然国境アルノン川を挟んで対峙していたタウリグニア共和国も同じで、『要らねえ』の一言であった。


 例外はモリア=フェデーラで、自国配当分の戦勝賠償金を辞退して他国から買い取る形でフローレンティア東部を大きく分捕った。

 曰く――南に強大な国が出来た以上、我が国も拡大しなければ危うい。


 こうして、フローレンティアは財政破綻状態の莫大な負債に加え、戦争賠償金を背負う羽目になり、挙句は国土を大きく失った。

 戦後、フローレンティア政府は貴賤を問わぬ増税と民間資本の国有化、外国資本へ国家資産の売却などで経済の立て直しを図るも、貴族や教会、民衆の大反発を招いて暴動や一揆、叛乱が多発するようになった。

 地獄である。


 戦争を何とか生き延びたフローレンティア公王家は、こうした世情に強い不安を覚えて1790年に国外逃亡、もとい亡命。

 フローレンティアは王制を廃止し、1792年に貴族共和制へ切り替えた。



 腰抜けのヴィネト・ヴェクシア、グダグダのフローレンティアと異なり、ランドルディア王国は最期まで真面目に戦争し続けた。


 もっとも、彼らに徹底抗戦を決意させたのは、国王ユリウス5世ではなく、モリア=フェデーラ公国の公王ドナテッロだった。


 ハンプティ・ダンプティ染みた肥満男ドナテッロは、腹黒狸な親父と違ってお人好しな面があった。彼は国土を侵されながら必死に戦うランドルディアを裏切り、その背中を刺したことに後ろめたさを覚えていた。

 そこで、ドナテッロはまったくの善意から大御所サルエレに無断で、ランドルディアに降伏を進め、協商圏と講和の仲介を申し出た。


 モリア=フェデーラが貴国の存亡を約束させるから武器を置かれよ、と。


 これが不味かった。


 ランドルディアは国王ユリウス5世だけでなく、軍も貴族達も民衆もブチギレた。

「恥知らずめ! 裏切っておいて我らに恩を着せようてかっ!! 浅ましき豚に縋りついて長らえるくらいなら亡ぶ方がマシだっ!!」


 ブラックジョーク染みた話だが、マジである。

 公王ドナテッロの善意がランドルディアを最後まで戦わせたのだ。


 とはいえ、強大なクレテア東部軍の攻勢に蹴散らされ、後背をモリア=フェデーラ軍に刺されていたランドルディアはとっくに限界であり、初夏を迎えた頃に王都を包囲された。

 

 クレテア軍は危険な王都攻略戦を避け、王都に砲弾をぶち込みながら包囲兵糧攻めに徹した。

 砲弾が降る日々が続き、食料が尽きて鼠や雑草を食らうほど追い詰められても、ランドルディアは戦い続けた。その辛抱強さにクレテア東部軍総司令部が本国へ『驚嘆と称賛を禁じえず』と報告している。


 そうして迎えた真夏の昼下がり。ユリウス5世はお忍びで王都内を視察し、軍民の限界を悟った。

 この時、彼の心情が如何なるものだったか、後世に伝える記録は残されていない。


 視察の翌日、ユリウス5世は御前会議で降伏を決断し、諸官に降伏条件とその他を纏めるよう命じた。

 そして、王城のバルコニーから王城前広場に集まった民衆へ演説した。


「親愛なる我が同胞諸君、戦に敗れた愚かな王より別れの言葉を贈る。

 待て、然して希望せよっ! 

 この国は幾度も滅亡の危機に瀕しながらも、必ず再起してきた。ゆえに艱難辛苦に挫けず、悲苦困窮に折れず、待つべしっ! 心が屈せんとした時はこの愚かな王を恨み、奮い立てっ! 結束し、団結し、連帯し、皆で希望すべしっ!

 さらばだ、諸君っ! 勇壮なるランドルディアの民に神の御加護があらんことをっ!」


 演説後、ユリウス5世は近衛騎士の志願者を伴って出撃。

 クレテア軍の包囲網へ突撃し――戦死した。


 剣豪王ユリウス5世は最後まで自らの生き様に忠実な男だった。また、彼はコルヴォラント半島において国家元首として最後の戦死者である。


 当時においても後世においても、ユリウス5世の最期は是非両論であるが、少なくとも当時のクレテア人は肯定的だった。


 王として、男として最期まで己の生き様を貫いた王と、その王に従って最後まで戦ったランドルディアに対し、クレテア軍と政府も同情的だった。また、コルヴォラント諸国に比べて潔い在り方にも好感を抱いた。


 なんたってナプレは早々に調略に乗り、ベルモンテは散々陰謀を巡らせて煩わせ、モリア=フェデーラは周囲を裏切って、ヴィネト・ヴェクシアは最終的に自己保身に走り、フローレンティアは愚かな自滅。

 そうしたコルヴォラント諸国に比べ、最後まで潔く戦い抜いたランドルディアに好意を覚えても無理はない。


 もっとも、クレテア国王アンリ16世自身はうんざりしていたが。

「再三、素直に降伏して賠償金を払えば許すと言ったろうに。人の話を聞かんにも程がある」


 ともあれ、クレテアの好意は敗北したランドルディアの処遇にも反映される。

 モリア=フェデーラがランドルディア南部地域を買収割譲させた以外、国土は安堵。賠償金や軍備制限等々の制約が課されたが、クレテア資本による復興支援や経済援助が約束された。


 ランドルディア王国はタウリグニア共和国同様にクレテアの属国になった。

 しかし、ランドルディアは強く結束し、団結し、連帯し、敗北を抱きしめながら独立独歩し続けた。


     ○


 国家元首たる法王セルギウス5世は、国土を侵されても『愛です』と繰り返すのみで、法王庁の坊主達から法王国の貴族や民衆に軍はもちろん、攻め込んだナプレとベルモンテとモリア=フェデーラも戸惑っていた。


 法王国側はなぜ法王が聖戦あるいは和平を呼びかけないのか不思議だったし、侵攻軍側はなぜ破門宣言してこないのか謎だった(教会に楯突く勢力はまず破門される)。


 とはいえ、法王国の戦いは決して楽なものではなかった。

 この頃、法王国はコルヴォラント連合義勇兵の最後の寄る辺になっていた。


 各地で協商圏や聖冠連合に敗れながらも戦う意思を失っていない者達。連合を裏切ったナプレやベルモンテ、モリア=フェデーラに復讐を望む者達。祖国に失望して個人的信念から戦いに身を投じた者達。ガルムラントから流れてきて行き場を失くしていた者達。


 彼ら義勇兵は死に場所を求めて法王国へ集まり、最後の戦いに臨んでいた。

 いわば大阪城に集結した浪人衆。あるいは函館に立てこもった旧幕府軍だ。

 

 法王国の貴族勢や教会勢が次々と敗北する中、義勇兵達はしばしば勝利を重ねた。

 が、いずれも局地的勝利であり、戦術的勝利に過ぎず戦略的劣勢を覆すに至らなかった。


 1782年の中秋。

 ついに伝統派総本山の法王庁が置かれたペテローナ市と周辺地域まで押し込まれた。


「頃合いよな」

 法王セルギウス5世はそう呟くと共に、突如として即時停戦と和睦の対話を要求した。


 呆気に取られる周囲を余所に、セルギウス5世は講和派や和平派を通じて各国の外交官を招聘し、和睦条件を明かした。


 法王国領は現在保有地で留め、占領地域の回復を求めないこと。

 賠償金額は要交渉のこと。

 義勇兵を罪に問わないこと。

 被占領地の貴族は占領国が貴族として迎えること。

 各国の荘園や教会領地を返納する代わりに各国の教会財政に独自性を容認すること

 等々。


 恐るべきは前線などで捕虜となった強硬派や超保守派司祭の返還を求めず、処断に任せたことだろうか。


 唖然とした各国の外交官や枢機卿達に対し、法王セルギウス5世は牧歌的な農夫然とした顔立ちに笑みを湛えた。禍々しいほどの笑みを。

「私は聖職者としての熱意も信念も無く、皆さんのような精力的な野心や功名心も無ければ、皆さんのように優秀でも有能でもない。はっきり言えば、僻地の貧村で慎ましく畑を耕していることが似合いの司祭です。小役人的と言ってもいいでしょうな」


 セルギウス5世はくつくつと喉を鳴らし、

「そんな私が聖座にあること。それ自体が一種の奇跡であり、神の御意志なのではないか。ならば神の御意志は何か。神はこの非才な矮躯に何を求めておられるのか。鉄風雷火の吹き荒れる時勢に私が出来ることとは?」

 口端を大きく吊り上げ、言った。

「私に与えられた聖務。それは伝統派教会の再建に他なりません」


「な、何を言っておられるっ! 法王領の大半を奪われては再建も何もありますまいっ!」

 枢機卿の一人が血相を変えて喚く。


「これは異なことを仰られる」

 にたりと頬を歪め、セルギウス5世は嗤う。

「我らが異端と誹る開明派教会は領地など持っていません。イストリア、ベルネシア、大陸北方諸国の開明派国教会は領地を持たず、信徒の献金と日々の労働で組織を賄い、信徒を導いています。異端に出来て我らに出来ぬ道理はないでしょう」


「まさか」

 別の枢機卿が唇を震わせながら、声を絞り出す。セルギウス5世を推挙した一人だった。

「最初からこれが目的だったのか」


「法王国は、法王庁はあまりに世俗の悪しき部分に染まり過ぎています」

 セルギウス5世は笑みを消し、虚空を見つめながら紡ぐ。底なしに暗い声音で。

「免罪符を売りさばいて風紀と人心を著しく紊乱させ、教権拡大のため各地の戦に関与して流血を促した時代より多少マシになったとはいえ、教会は未だ不徳に塗れています。皆さんの中にも身に覚えがあるのではありませんか?」


 枢機卿達の半数が目を背け、顔を俯かせる。不犯の禁を破り女や少年を抱く者、不正蓄財する者、権力を濫用する者。教会の禁令を破っている者はいくらでもいる。

 そして、それは聖職者だけではない。教会騎士や法王国貴族達も例外ではない。


「神は教会の再建を望まれています。ゆえに、私のような凡俗を聖座へ至らせたのです」

 狂気的な微笑を浮かべ、セルギウス5世は目を細める。

「ゆえに教権の根幹たる領地を捨てます。教権を支える法王国貴族を捨てます。教権の剣たる強硬派や超保守派、教会騎士団も最低限の人員を残して捨てます。世俗の穢れを全て捨て去り、教会の本懐たる信徒の救済に立ち返るのです」


「しょ、正気の沙汰ではないっ!」枢機卿の一人が蒼白な顔で叫ぶ。

「何と稚戯なことを」

 周囲が慄く中、法王は楽しげに嗤う。

「我ら聖王教会が福音をあまねく届けるべく、どれほど凶行を重ねてきたとお思いか。我らは千年と数百年余に渡り、おぞましき蛮行を神の御心なりけりと称してきたではありませんか。狂気こそ我らの本質ですよ」


 枢機卿達は恐怖的驚愕に震えていた。

 戦時の生贄として選出したはずの凡庸な男が恐るべき断行者に化けたことに、心胆を大きく竦ませていた。


「何をそんなに驚いているのです?」

 法王セルギウス5世は凍りついている面々をからかうように笑い、

「私は繰り返し繰り返し述べたではありませんか。この世を救うものは愛だと。これも同じことですよ。教会に対する私の愛です」

 絶句する一同を余所に、満足げな面持ちで聖剣十字を切った。

「祝福あれ」



 セルギウス5世の評価は難しい。

 聖王教会伝統派を完全に衰退させた暗愚と誹る者もいれば、法王庁を旧弊から脱却させた革新者と見做す者もいる。1781年の地中海戦争を利用して組織を刷新した政略家と考える者もいるし、有事に指導力を発揮できず法王国を衰亡させた無能者と評する者もいる。


 いずれにせよ、セルギウス5世の時代に法王国は都市国家にまで落ちぶれた。政治勢力としての聖王教会は絶望的なまでに減退したと言って良い。

 別の見方をすれば、聖王教会伝統派はこの時期から各国にて存在感を強め始めた。法王自身や法王庁の力が失われた代わりに、聖王教会伝統派信徒が増加している。


 組織としての衰退と宗教としての再起。

 この中興は後々の聖王教左派思想の発生による混乱期まで続いた。


 なお、セルギウス5世は地中海戦争終結から数年後に“病死”した。彼の残した日記や著書は法王庁特別書庫の機密区画に封じられているという。


     ○


 1782年の中秋。

 地中海戦争は終結した。


 挿絵(By みてみん)

地図のヘボさはご容赦ください。

前回お叱り頂いたものを再使用しています。申し訳ない。

一時間後に、19章から本話までの人物紹介と小話を投稿します。

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― 新着の感想 ―
[一言] 開明派のご老体二人が世俗の汚泥を抱えながら下界での信仰の在り方を考え続ける宗教家であるならば、 猊下は世俗の汚泥を焼き払って原初の信仰へ立ち返ろうとする宗教家か…… どっちも大概覚悟キマって…
[良い点] ああ!愛がすべてを滅ぼす 自分を顧みない愛は凄まじいの一言ですなあ。戦後病死してしまうのも已む無し
[良い点] 法王様が一番やべぇ奴じゃないですか…… [一言] 真に信仰に厚い聖職者が法王に祭り上げられたら普通どこかおかしくなってしまう。 振り切れた先が宗教としての原点回帰というのが根が聖職者な…
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