閑話32:ある一族の話。
ベルモンテ編の蛇足1
ヴィルミーナ・デア・レンデルバッハ=クライフ・ディ・エスロナはベルモンテを滅ぼしたことを後悔していなかったし、ベルモンテ人達の悲愴な思いや怨嗟など一切斟酌していなかった。
ただし、例外もある。
ベルモンテを歴史の存在に蹴落とすために利用した、亡きピエトロ王太子の娘ペネロペ王女について、ヴィルミーナは無視しなかった。
ベルモンテ公国の身代を背負わされ、ナプレへ嫁ぐ王太女ペネロペ・ディ・エスロナは、この年、未だ13歳に過ぎない。
王侯貴顕に政略結婚は付き物なれど、ペネロペに背負わされた重圧はあまりに重い。
ヴィルミーナは子供を見殺しに出来る。しかし、子供を利用して恥を覚えぬほど性根が腐っていなかった。
何より、陰謀と謀略でくたびれた良心が善を求めていた。たとえ、それが独善の極みで、偽善にもならないとしても、ひと時の気休めが欲しかった。
だから、ヴィルミーナはベルネシアへ帰国する前に為すべきことを為したうえで、ペネロペと会うことにした。
ベルモンテ宮城西宮のサロンにて。
ヴィルミーナは応接用テーブルを挟んでソファに腰かける少女を見据えた。
美しい少女だ。
華奢な細身にしなやかで長い手足。目鼻立ちのすっきりした可憐な顔立ち。茶色の長髪は艶やかな光沢を伴っていた。
笑顔を浮かべれば天使のようだろう。
しかし、ペネロペは愛らしい顔を固く強張らせている。テーブルに置かれた紅茶や茶菓子に手を付ける素振りすら見せない。
付き添いである母親の王太子妃が愛娘を案じながらも、ヴィルミーナの顔色を窺って不安を露わにしていた。王太子妃は母獅子や母熊のような類の女性ではないらしい。
紅茶で唇を湿らせてから、ヴィルミーナはペネロペに告げる。
「親しみ合う仲にはなれないでしょうから、本題に入りましょうか。
結婚は戦後になるわ。輿入れに際して身近な人間の帯同を飲ませてあるから、ナプレ宮中に侍女や近侍を連れていくことが出来る。
それと、ベルモンテ進駐軍暫定臨時総督として私個人から支度金を出す。自由に使って良い。
当然ながら、ナプレには貴女に対して礼を失した真似をしないよう、強く釘を刺しておいたから、その点は安心して良いわ」
業務連絡のように淡々と語られた内容は、ペネロペにとって悪いことではなかった。
少なくともペネロペが嫁ぎ先で冷遇されたり、迫害されたりせず、宮中生活で不自由しないよう手を回してある――そう告げられ、王太子妃は安堵の息を漏らして隣に座る娘の手を握った。
その刹那。
「支度金など結構です。貴女の汚らわしい金など触れたくもありません」
ペネロペはヴィルミーナを強く睨みながら、忌々しげに吐き捨てた。父親を亡くし、祖国の滅亡を背負わされた少女は気丈だった。それが却って痛ましい。
隣で母が顔を蒼くする中、ヴィルミーナは冷笑を返した。
「その気概や良し。めそめそと泣かれるよりずっと良い」
気丈に振る舞う従姪を見つめ、
「誤解の無いよう言っておくけれど、私はベルモンテを滅ぼしたことを悔いてないし、恥じてもいない。“あれだけ”で済ませたことを感謝して欲しいくらいよ」
魔女は容赦なく突き放すように言葉を編む。
「私を憎もうと恨もうと貴女の自由だけれど、一つだけ忠告しておくわ。もしも結婚後にニコロや私の真似事をしようと思っているなら、やめておきなさい。その時、待っているのは貴女の死とエスロナ家自体の滅亡だから」
「どういう、意味ですか」と眉間に皺を刻む王太女。
「ナプレにとって、エスロナは反乱の旗頭になる一族よ。滅ぼす口実があれば、嬉々として滅ぼすわ。我々協商圏とて同じ。貴女が要らぬことをして地中海通商を妨げるなら、貴女やいずれ生まれる貴女の子供、エスロナ家を排除するわ」
ヴィルミーナは可憐な顔を蒼白したペネロペに柔らかく語り掛ける。
「もしも私やこの世界に復讐したいと思うなら、幸せになりなさい。故郷から遠い地で欠片も好いていない男の子供を産むことになっても。幸福になりなさい。そうして私や協商圏に向かって言えば良い。ざまあみろ私は幸せになったぞ、とね」
どこか毒気を抜かれた面持ちになった従姪へ、
「それでも、自身や我が子、一族を危険に晒してでも復讐を遂げたいというなら、掛かって来なさい」
ふ、と小さく息を吐いてヴィルミーナは優しい微笑を湛えた。怪物のように。
「今度こそ綺麗さっぱり滅ぼしてあげるわ」
ヴィルミーナがペネロペに薫陶を与えている頃。
ある意味で、今次戦争最大の受益者となったナプレ王国の元首が、頭を抱えていた。
「確かに余はナプレをコルヴォラントの雄にせんと願ったし、半島南部に覇を唱えた。しかしな、僅か数カ月で達成されても、対処しきれんわっ!!」
アルフォンソ3世は強く強く慨嘆した。他国の高官や王が聞いたら助走をつけてぶん殴るような発言であろう。滅ぼされたカーパキエ王国の人間が聞いたら流血沙汰待ったなしだ。
しかし、アルフォンソ3世にも言い分がある。
アルフォンソが求めたのは、カーパキエ全土とベルモンテと法王国の“一部”だ。間違ってもベルモンテの全土併呑など、それも婚姻による併合など想定外だった。
そんな“穏当な”手段による併合では、旧ベルモンテ系貴族が多く残り過ぎる。カーパキエ征服ほどではないにしろ、ベルモンテ系貴族を減らしておきたかった。
ならなんで受け入れましたのん? と問われるなら、一言にいって『欲』である。
手に入るなら欲しい。楽に手に入るならなおのこと欲しい。おまけに極悪魔女ヴィルミーナが『この話を受けるなら、白獅子に対する貴国の債務を一部減免しても良い』と言ってくれば、アルフォンソ3世としては受け入れない理由がない。
が、美味い話には裏があり、笑えないオチが付き物だ。
「大蔵省の概算ですと、今次戦争に関する債務の返済に数十年かかるとか。もちろん、この数字は債務が増えないことと税収の安定状態が前提です」
アルフォンソ3世の嫡男である王太子サルヴァトーレが気鬱顔で語った。
王太子サルヴァトーレは齢20歳。筋骨たくましいオヤジと違い、細マッチョなイケメンである。物腰も柔らかく折り目正しい好青年だ。が、整った顔に些か翳がある。
というのも、サルヴァトーレには国内貴族の婚約者がいたが、此度の政略婚姻で婚約解消となった。婚約者とは円満な関係だっただけに、サルヴァトーレとしては新たな婚姻に思うところが多い。
「債務の返済期間数十年に渡り、我が国は協商圏に経済的主導権を握られ続けます」
息子の素っ気ない様子に理解を示しつつも、アルフォンソ3世は眼前の問題に意識を集中させる。
「だが、連中も我が国の財布を握っている間は我が国を害そうとはせんだろう」
「どうでしょうね。連中の手にはエスロナ家とカーパキエ王族の生き残りがあります。ナプレ=ベルモンテ二重王国が成立したなら、順位が低かろうとエスロナ家にもナプレの王位継承権が生じますし、カーパキエ王家を担ぎ出せば旧領奪還の名分で武力介入できます」
「だからコルヴォラント南部を制しても列強の飼い犬に甘んじると? お前は手綱を食いちぎろうとは思わんのか?」
不満顔の父に問われた息子は遠慮なく宣う。
「我が国が列強に並び立てるほど国力を育成できれば。まあ、債務返済に数十年かかりますから、その後です」
「ままならん」アルフォンソ3世は舌打ちした。
「それは私が言いたいセリフです、父上」
サルヴァトーレは仰々しく嘆息をこぼす。
「我々に祖国を飲み込まれる13歳の女の子を嫁に迎えるとか。想像するに苦労が絶え無そうで……今から憂鬱ですよ」
「分かっていると思うが、非道な扱いはするなよ」
アルフォンソ3世はマリッジブルーな倅に強く念を押す。
「私が幼妻を虐げるとでも? 父上は私がそんな下衆だとお思いなのですか?」とサルヴァトーレが嫌みを返す。
「そう噛みつくな」とアルフォンソ3世はバツが悪そうに目を逸らす「親心という奴だ」
サルヴァトーレはこれ見よがしに大きな溜息を吐いた。
「上手くやっていけるか、不安です」
結論を記しておこう。
ベルモンテ王太女ペネロペとナプレ王太子サルヴァトーレは予定通りに結婚し、ナプレ=ベルモンテ二重王国を起こし、後の南コルヴォラント王国初代国王と王妃になった。
サルヴァトーレは結婚の経緯が経緯だけに7歳年下の妻に心配りと心遣いを欠かさず。
ペネロペも年上の夫を愛するべく努力を重ねた。
両者の謙譲と配慮と思いやりの甲斐もあり、夫婦仲は円満と言わずとも概ね良好で、5人の子供に恵まれ、子供達も夭折することなく健康に育った。
ただ……後年、サルヴァトーレが元婚約者と愛人関係を持っていたことが判明すると、宮中でひと騒動起きたという。この件は後世に発表された喜劇『王様のナイショ』に詳しい。
南コルヴォラント王国王妃となったペネロペは67歳で逝去するまで、一貫して旧ベルモンテ領の諸問題に距離を取り続けた。
旧ベルモンテ領で反体制暴動や分離主義者のテロや一揆が起きても動くことなく、エスロナ家を保護はしても基本的に利益誘導その他をすることは無かった。
ペネロペは子や孫を慈しみ育て、文化振興や芸術を愛する穏やかな宮中生活を送り続け、ナプレ系やカーパキエ系国民から『穏和な王妃様』と敬愛された。その一方で、ベルモンテ系国民からは『我らを見捨てたエスロナの女』と失望されている。
そんなペネロペは終生ベルネシア産物を毛嫌いし、特に白獅子製品を一切身の回りに置かなかったという。
○
ベルモンテを発つ前日、ヴィルミーナはレーヴレヒトを伴って王家の墓地を訪ねた。
アンジェロの墓を参るために。
哀しい少年の骸は事件後にベルモンテへ送還されていた。墓地の一角に建立されたアンジェロの墓は小さく質素なものだった。
民間軍事会社の護衛達が周囲を警戒する中、レンデルバッハ=クライフ夫妻はアンジェロの墓の前に立つ。
「寂しい墓だな」
レーヴレヒトが悲しそうに呟く。
「アンジェロ君の母君の消息は?」
「随分と探させたし、内務省や秘密警察の記録も当たったのだけれど、手繰れなかった。まるで喜劇だわ。国を滅ぼすことが出来ても、母親一人を見つけてやれないなんて」
ヴィルミーナが心底悔しげに、自分をなじるように吐き捨てる。
苦悩する愛妻の肩を抱き寄せた後、レーヴレヒトが無機質な声色で問う。
「ニコロを始末しなくて本当に良いのか?」
「その件は既に話がついてる。私達が手を汚す必要はない」
ヴィルミーナはアンジェロの墓を見つめながら言った。
「あんな負け犬のことは良いわ。さ、早くアンジェロに花や御土産をあげましょう」
2人は持ってきた花束や供え物の菓子や玩具を並べていく。最後に、レーヴレヒトがアンジェロの死後に返還された狸の根付を墓石の足元に置いた。
静かに故人の冥福を祈り、ヴィルミーナは右手の人差し指と中指の先に口づけしてから聖剣十字の墓石に触れた。指先に花崗岩の冷たさを感じながら静かに告げる。
「貴方のことを決して忘れない。さようなら、アンジェロ」
ふ、と息を吐いて小さな墓に背を向け、ヴィルミーナは泣きそうな顔に強張った笑みを浮かべた。
「帰りましょう。家族の許へ」
○
地中海が秋の終焉を迎えていた頃、北洋沿岸のベルネシアは既に冬へ入っている。
ベルネシア王妹大公ユーフェリアは王妹大公屋敷のサロンで愛犬達に囲まれながら、紅茶を嗜んでいる。飼い狸のポンタがユーフェリアの膝の上で腹を見せて寝息を立てていた。
主の膝で図々しいまでにくつろぐ狸。ユーフェリアがポンタの腹をくすぐって睡眠を妨げる意地悪を図るも、飼い狸は意に介すことなく眠り続ける。胆が太いのか鈍いのか。
愛狸の様子にユーフェリアが小さく微苦笑しているところへ、執事長が姿を見せて耳打ちする。
「ヴィルミーナ様がベルモンテを御発ちになりました。レーヴレヒト様と共に御帰国される予定です」
「そう。2人に大事無くてよかった」
鷹揚に首肯し、ユーフェリアは問う。怖気を覚えるほど冷たい声で。
「アレは?」
「ベルモンテ公王妃は一日でも長く絶望の余生を送らせたいようです」と執事長。
「それも悪くないけれど、私はアレが一日でもこの世に存在することが我慢ならない」
王妹大公は命じる。冷酷かつ冷厳に。
「終わらせなさい」
執事長は恭しく一礼し、サロンを退出していった。
サロンに残ったユーフェリアはふっと息を吐く。
「スッキリしたわ」
「御機嫌麗しく何よりです、姫様」
侍女長がにっこりと微笑み、問う。
「御茶のおかわりは如何ですか?」
「ええ」ユーフェリアは微笑みを返し、少し悪戯っぽく「ブランデーを少し多めに加えてちょうだい」
勝利の美酒が加えられた紅茶が淹れられる様を眺めながら、ユーフェリアは振り返る。
ユーフェリアは娘を溺愛している。
自身を深く投影し、自身の理想を体現した実の娘。誇りであり誉れ。
そんな愛娘を害した敵を、ユーフェリアは決して許さない。
ユーフェリアは孫達を可愛がっている。
特に初孫のウィレムを寵愛していた。双子の孫達とて目に入れても痛くないほど愛おしい。が、ウィレムは特別なのだ。
ユーフェリアが唯一愛した想い人と同じ名を持つ孫。ヴィルミーナとレーヴレヒトがその名を付けることを受け入れてくれた。夫婦で考えていた名前もあったろうに、自分を慮って命名の喜びを譲ってくれた。
そして、ウィレムはその名に相応しく素晴らしい少年に育っている。大きくなれば、その名に相応しい立派な男性になるだろう。きっと一廉の人物になるだろう。
ウィレムの大成と幸福を見届けることで私の喪失感は癒され、人生が完結する。ユーフェリアはそう信じていた。
そんなウィレムを手元から奪おうとした者がいる。
ベルモンテ公王ニコロはヴィルミーナを殺害し、ウィレムを孫娘の婿にとってベルモンテ公王に据えようとした。あまつさえ、ウィレムと孫娘の間に出来る子を意図的に“排除”し、ヴィルミーナの血統を一代限りにするとも。
その情報を得た時、ユーフェリアはニコロの殺害を決意した。
私の娘を害し、その名を貶めただけでは飽き足らず、私の許から“再び”ウィレムを奪おうとした。
殺さねばならない。
必ず。
怒れる王妹大公にはその手立てがあった。
亡夫エマヌエーレの秘密帳簿とクライフ翁が加えた帳簿補記。
30年という時間により価値は大きく損なわれていた。が、全てが無駄になったわけではない。30年前と言えど情報は情報。謀の手掛かり足がかりになる。むしろ30年という時間が“利子”を積み重ねていることもあった。
ユーフェリアは旧クライフ商会の伝手を用い、“取り立て”を行った。
時勢もユーフェリアの追い風となった。ベルネシア国教会がベルモンテに赴き、和解の交渉を行っており、ベルモンテ南部国境にはカーパキエを滅ぼしたナプレ軍が圧力を加えていた。何より王太子ピエトロによる降伏がいよいよ現実味を帯びていた。
この時期、秘密帳簿の“債務者”達には深刻な懸念があった。
降伏後、巨額の戦争賠償金の補填に何が行われるか。国家の再建に何が行われるか。
間違いなく大きな増税が行われる。国家資産が売却され、外資の侵入も起きるだろう。
何より、反王太子派貴族の取り潰しと財産没収が生じる。
“債務者”達は過去の悪事を理由に自分達の財産や利権を没収され、御家御取り潰しになることを恐れた。ゆえに、ユーフェリアの“取り立て”が迫った時、戦後の保身を図るためにも否やは無かった。
後は事態が示した通り。
ブランデーの濃い紅茶を口にし、ユーフェリアは柔らかく微笑んだ。
「美味しいわ。すごく」
○
サブカルでその名が知られた“女吸血鬼”エリザベート・バートリは逮捕後、裁判で終身刑が課され、食べ物を差し入れる小窓以外、全ての窓や出入り口を煉瓦と漆喰で塞がれた暗闇の寝室に幽閉されたという(監禁後、三年半で死亡したらしい)。
アメリカのADXフローレンス重刑務所を例に考慮するなら、おそらくエリザベート・バートリは短期間のうちに自我が完全に崩壊したはずだ。以降は幻聴と幻覚を友にしてゆっくりと衰弱死していったと思われる。
人間は社会性動物であるがゆえに、閉鎖的空間に孤独監禁されて外部から完全に情報を遮断されると、想像を絶する速度で精神が破綻してしまう。
調印式後、ベルモンテ宮城の尖塔に再び幽閉されたニコロの扱いは、エリザベート・バートリほど酷くはなかったが、調印式以前ほど優待されなくなった。室内から書籍等を全て排除され、机や椅子も撤去。紙とペンも取り上げられた。当然、酒や伽女の差し入れも無くなり、教戒神父との接見も禁止された。
外部との接触は朝と晩に小窓から質素な食事が提供されるだけ。
言い換えるなら、寝床以外に何も残されていなかった。
これはヴィルミーナが下した指示ではない。ニコロの妻たる王妃の指示だった。調印式の一件で王妃の悲哀と悲憤は夫への憎悪と復讐心に昇華されていた。
絶対的な孤独。外界からの完全な隔離。無為のみが支配する部屋の中で、ニコロは朝から晩まで罵詈雑言を吐き続けた。ヴィルミーナとユーフェリア、家族や一族、諸侯諸官、その他自身の知る全ての人間を憎悪し、怨恨し、憤怒しながら、食事用の木匙を壁や床に擦り付けて陰謀計画を記し続けた。
寝ても覚めても熾烈な負の感情で魂を焼き続けた結果、調印式からヴィルミーナがベルモンテを発つまでのわずか数日の間で、ニコロは妄執の世界に踏み込み始めた。
もっとも、ニコロはエリザベート・バートリやADXフローレンス重刑務所の終身刑囚のように狂を発することなく、浮世の苦しみから解放された。
多くは記すまい。
ヴィルミーナがベルモンテを発ってから3日後。
幽閉されているニコロの許を、数人の男女が訪ねた。
彼らがニコロを訪ねた数日後、ベルモンテ公国は前公王ニコロの“伝染病による病死”を宣言した。王妃の命令により、伝染病予防のため死体は検分されることなく荼毘に付され、遺灰はエトナ海へ撒かれた。
諸国も、ヴィルミーナも、ニコロの死に何の反応もしなかった。
政治の世界において既にニコロは死んでいたからだ。
後世、ニコロの死について記された書物は多岐に渡る。人々はニコロの死を病死とは思わず、旧王太子派の報復、ニコロの恐怖統治時代の犠牲者遺族の復讐、ナプレやベルネシア(ヴィルミーナ)の暗殺など色々な可能性を考えた。
真実は如何。
彼らはニコロを押さえ込んで首を斬り落とす直前、嗤った。
「ベルネシア王妹大公殿下は貴様が生きていることに我慢ならんとさ」
体から首が落ち、ニコロの意識が消失する最期の瞬間、脳裏によぎったことは。
祖国のことでも、家族のことでも無く。後悔でも反省でもなく、呪詛でも怨嗟でもなく。
新たな陰謀計画のことだった。




