閑話28a:ブラックオプス1781
大変お待たせして申し訳ない……
例によって長くなりましたので分割しました……
ことは大陸共通暦1781年の夏半ば頃にまで遡る。
ベルネシア王国府首脳部は国王カレル3世の認可を得て、秘密作戦を計画した。
作戦内容は、大陸西方コルヴォラントの法王国へベルネシア本国軍機動打撃戦闘団強行偵察隊クライフ分遣隊を潜入させ、邦人魔導師ギイ・ド・マテルリッツの確保と新型大量破壊魔導兵器の奪取を試みる、というもの。
同作戦の命令書は但し書きがあり『最大限の努力を払い、そのうえで確保と奪取が能うべからざる場合、当該魔導師と当該兵器の資料および現物を抹消すべし』と記載されていた。
なお、この但し書きの追加には魔導総監マテルリッツ卿の意見があったとか無かったとか。
国王認可の秘密作戦ゆえに情報保秘のレベルが高く、王太子エドワードですら詳細な情報を得られなかった。
より正確には、エドワードの許に同作戦の但し書き部分――特に『当該魔導師と当該兵器の抹消』が強調して届けられてしまった。
性悪な運命の女神による作為か、それとも情報を届けた担当員がボンクラだったのか。ともかく伝言系コントなブラックジョーク的展開により、王太子エドワードはバカな旧友が、よりにもよって父の認可で殺されそうになっていることを知る。
この時、エドワードが父カレル3世の許へ殴り込み『俺のダチを殺すたぁ、どー言うことなんだ親父ィッ!』と詳細な説明を求めていれば、事態は変わっていたかもしれない。
もしくは、カレル3世がどうにか秘密作戦の可否と是非を問う場にエドワードを呼び寄せ、『統治者として旧友を見捨てにゃならんこともあるんや』と言葉を尽くしていれば、やはり事態は変わっていたかもしれない。
しかし、エドワードは父の心情を、カレル3世は息子の心情を慮り、互いに秘密裏の判断と行動を決意した。
父は息子に恨まれる覚悟で秘密作戦を認め、息子はそんな父の苦悩を察して秘密作戦を黙認した。互いを思い合うことが常に最良の結果につながるとは限らない、そんな一例だろう。
ただし。
“いろいろ”あった末にグウェンドリンと結婚し、我が子を儲け、夫であり子の親となったエドワードは情の人になっていた。
そんなエドワードが指をくわえて旧友の死を容認することなど、あり得ない話で。
エドワードは最も信頼できる人々に相談した。最愛の賢妻グウェンドリン、忠良なる近侍カイ、誠実なる高級官僚マルク、そして、ヴィルミーナに(ユルゲンは既に観戦武官として派遣されていたため、不在だった)。
この時、ヴィルミーナは『国王陛下に作戦条件の変更を進言すれば良い』と当たり前のことを提案したが、エドワードは首を横に振り『父上が苦悩の末に決断なされたことを、俺個人の心情で覆したくない』。マルクも『殿下の御厚情を付け込める弱さと誤解するバカが出かねない』と指摘すれば、覚えのあるヴィルミーナとしてはこれ以上意見を出せない。
かくして、ベルネシアが国として行う秘密作戦とは別口で、王太子主導の秘密作戦が立案された。国内政治工作はマルクが担い、外交的な根回しはエドワードとグウェンドリンが義妹マグダレーナを通じて聖冠連合経由で行い、資金その他はヴィルミーナが用意し、現場監督としてカイが現地へ潜入した。
ちなみに、練達の宰相ペターゼン侯が倅マルクの動向からあっさりとこの秘密作戦を捕捉して国王カレル3世に耳打ちしたところ、カレル3世は『エドワードには良い経験となるだろう。失敗に終われば、猶の事な』と王の顔で応じたという。
それに、ヴィルミーナがこの秘密作戦を夫レーヴレヒトへしれっと暴露していた。
なんたってこの秘密作戦により、現地へ派遣されるクライフ分遣隊の指揮官レーヴレヒトが厄介な事態に遭いかねない。ヴィルミーナがそんな事態を許容することは決してない。
事情を聞かされたレーヴレヒトは呆れ顔を浮かべつつ、『事を実行するなら、俺が派遣される前にやってくれ。それなら危ない目に遭わずに済む』と言った。レーヴレヒトが妻に計画中止を求めなかった理由は『君のことだ。タダで引き受けてないんだろ?』。
その通りだった。
ヴィルミーナはこの秘密作戦に協力する代価として、アンジェロ事件時の支援や聖冠連合帝国に拠点を設営する際の横車等の借りを返済。ギイの救出に成功した場合、新型大量破壊魔導兵器の基礎理論等の優先的開示と利用権を分捕っていた。
そんなこんなで王太子エドワード主導の秘密作戦が準備されていく中、ベルモンテ公国でクーデターが発生。ナプレ王国でクーデター未遂が発生。両国が揃って連合から離反。あまつさえナプレ王国は法王国へ宣戦布告紛いな最後通牒。
状況が激変した。
計画では、エドワード主導の秘密作戦は初秋に行われる予定であり、王国府の秘密作戦はチェレストラ海で決定的な海戦が生じて以降の予定だった。
が、コルヴォラント南部で第二戦線が構築されるとなれば、話が変わってくる。
王国府は作戦日程の繰り上げを検討し始め、クライフ分遣隊に準備待機を命令。これに王太子エドワードの秘密作戦も釣られて計画を早めることになった。
言い換えるなら、準備が万全と言えなくとも実行せざるを得ない。
その皺寄せが向かう先は――いつだって現場である。
○
大陸共通暦1781年:初秋。
大陸西方コルヴォラント:法王国。
――――――――
10輌前後の馬車列が港町を目指して進んでいく。車列の馬車は半数が貨物車で、もう半数が客車。聖堂騎士の騎馬が警護についており、騎士達は全員が完全武装の甲冑姿。
伝統に基づき、彼らはデザイン華美な全身甲冑に野暮ったいマント。騎乗槍や斧槍を持ち、背に盾を担ぎ、腰に騎士剣を佩いている。サブカル好きな日本人なら思わず心がときめくアニメチックな装いの騎士達だ。
ちなみに、彼らは銃を持っていない。
希少魔導素材製の頑丈な甲冑は強化魔導術が付与されており、生半な銃弾など通じない。彼らの持つ刀剣類は一般的な騎士や装甲兵を容易く切り捨てられる。加えて、聖堂騎士は魔導術の使い手も多い。遠距離戦も魔導術で対応できる。聖堂騎士に銃など無用なのであるっ!
話を進めよう。
鈍色の空の下、車列は古代レムス帝国時代の街道を進んでいく。
街道の周囲には黄金に染まった収穫直前の冬麦畑や野菜畑が広がっており、野菜を相手に汗を流す農民達は車列に気付くと、男達は帽子を脱いで一礼し、女達は胸元で両手を組む。街道をゆく人々は路肩に寄って一礼しながら車列の通行を優先させる。
「お。あのお嬢さん、可愛いね」
そんな聖堂騎士団の車列。その一輛の車窓から外を眺めていたギイ・ド・マテルリッツが、農民の少女を目に留めて呟く。
「野暮ったい農民衣装に時折浮かぶ体のライン。汗が光る日焼けした肌。頬に散るそばかす。土の香りがする指先。そんな純朴なお嬢さんに厩の藁の上でイケナイことを仕込む。楽しいだろうね」
……斬りたい。早く斬りたい。この野郎を斬りたい。若い聖堂騎士が疼く右手を左手で握り込む。
「何か至らぬ点がございましたか?」と隣に座る高級娼婦が不安を浮かべた。
「豪華な料理も毎日食べ続けると感動が薄れてしまう。そんな時は街の軽喫茶や素朴な田舎料理を食べることで、豪華な料理の素晴らしさを再認識できるようになる」
「浮気者がよく口にする言い訳に通じますね」と唇を尖らせる高級娼婦。
「その通り。浮気者と美食家はどちらも快楽と新たな刺激の追求者という点で、まったく同質だよ。違いは満たしたい欲望が性欲か食欲かの違いだね」
ギイはくつくつと笑って農婦を眺め、にやり。
「ふむ。朴訥な御婦人でも良いな。夫や子供が農作業に汗を流している間に、寝室で背徳的なまぐわいに汗を流す。ぞくぞくするね」
……この下劣な異端者を斬りたい。斬りたい。たたっ斬りたい。若い聖堂騎士が眉間に皺を刻んで唸る。
「そう怒らないでくれよ。冗談だよ、冗談」
若い聖堂騎士に笑いかけた後、ギイは隣に座る高級娼婦へ腕を回して抱き寄せ、胸をムニムニと揉む。高級娼婦の呼気に艶がこもり始めた。
「昼間から破廉恥な真似はやめていただきたい」
若い聖堂騎士が額に青筋を浮かべて吐き捨てた。もう斬っちまおうかなコイツ。
――ところへ、ギイは不意打ちを浴びせる。
「今回の移動。アレをナプレ相手に使う気なのかい?」
虚を突かれ、若い聖堂騎士が呆気にとられた。
「基礎理論を構築し、現物の設計方針を担った身でこう言うのもなんだけれど」
ギイは娼婦の胸を揉みしだきながら、
「アレは海戦ないし敵艦隊への沿岸防衛に使う前提で設計した。それを陸上で、それも市街戦に用いようものなら」
娼婦に濡れた呼気を吐かせつつ、薄い微笑を湛える。
「大勢死ぬよ。大勢ね」
悪魔染みた微笑を前に、若い聖堂騎士は気圧され、思わず息を呑む。
「いや、君達は気にしないか。これまでたくさん殺してきたものなぁ。老若男女に赤ん坊や妊婦まで」
嘲笑う悪魔に、若い聖堂騎士は歯噛みして心胆を奮い立たせ、睨み返す。
「我らを虐殺者のように語るかっ!」
「僕は君らに弾圧された北洋沿岸の異端の子孫だからね。嫌みくらい言わないと御先祖に申し訳が立たないだろう?」
くつくつと喉を震わせ、ギイは娼婦を解放する。乱れた呼気を整える娼婦と憤慨する聖堂騎士を無視し、車窓の外へ視線を移す。
そう。使い方次第でかなりの犠牲が出る。その犠牲の責任を教会上層部が負うとは思えない。おそらくイカレた異端の魔導師――僕が周囲を騙して行った、という脚本にする気だろう。
つまりは潮時だ。
どうしたものか。僕の予想が正しければ、そろそろオーステルガムが特殊猟兵を送り込んでくる頃合いだが。
彼らが僕の確保か抹殺のどちらに比重を置いているかが問題だな。
ギイはこめかみを揉み、思考する。
かつて魔導の深淵を覗いた頭脳で。
○
中近世日本の寺社が城砦や軍事拠点として用いられてきたように、キリスト教寺院も似た性格を持つ。たとえば、サン・マロ湾に浮かぶ高名なモン・サン・ミシェル教会は英仏100年戦争時、沿岸要塞として活躍している。
法王国オルゴネーゼ伯領都の郊外に建つ聖ベンヴェヌート騎士修道院も、そうした城塞修道院の一つだ。
丘陵の起伏に合わせて建設されており、厳めしい中世バロック様式の修道院を中心に、複数の宿舎と広い練兵場、頑健な防壁が並ぶ。
修道院の周辺は三圃農地が広がっており、丘の麓には小さな寺内町がある。
王太子近侍カイ・デア・ロイテールはアルグシア商人に扮し、この小さな寺内町に潜り込んでいた。
秋の気配が近づき、一抹の肌寒さを感じるようになった朝方。戦争の足音が近づいているせいか、寺内町はどこか物々しい。アルグシア人を装っているとはいえ、時節柄かメーヴラント人のカイを警戒する目も多い。
もっとも、当人は寺内町に逗留して早々に若い未亡人を誑し込み、こうして床を共にする始末だったが。
カイは隣で熟睡する若い未亡人の裸体を一瞥し、思案する。
準備は整った。
騎士修道院に出入りする飯盛り女を通じて掴んだ情報によれば、ギイは修道院本館二階の客室で高級娼婦――コルヴォラント美女と寝泊まりしているという。開発資料の場所は不明。現物は裏手の大倉庫で組み立て作業が行われているらしい。
民間軍事会社から武装飛空船1隻と貨物飛空船1隻、飛空短艇2艇、要員数十名。
なお、現段階で法王国は“まだ”中立国なので、用意された飛空船類はベルネシア製ではなく、地中海圏で使用されている民生飛空船で、武器弾薬はエスパーナ帝国製。要員もクレテアの属国タウリグニア共和国で調達されたコルヴォラント人で占められている。
この連中で修道院を強襲させ、その騒ぎに乗じてカイが施設内に潜り込み、ギイを連れ出す。
危険の大きな作戦だが、クライフ分遣隊が本国を発ったという情報が届いている。
もう時間が無い。
近日中に仕掛けなくては。
カイが思案していると、不意に股間をまさぐられた。
「ねえ、ヨハン」若い美貌人がカイの名乗った偽名を口にし「朝食前に軽く“運動”をしない?」
蠱惑的な笑みで誘われ、カイは股間をまさぐられながら思う。
とりあえず……今はヤるか。
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聖冠連合帝国ソルニオル公爵領コタル村。
白獅子財閥の資本によって民間軍事会社の飛空船離発着場付き駐屯地となったこの村は、戦争勃発以降、大きく姿を変えていた。
民間軍事会社の飛空船部隊がやって来る度、村は搭乗員相手の商売で大いに賑わう。
飲み食いに性風俗、土産物。それと搭乗員達の“私的な交易”。(トランクケース一つ分程度なら、目こぼしされていた。無論、物にもよるが)。
開戦からひと季節たった今では、駐屯地を中心に屋台や露店が並び、街娼が建つ始末だ。当然ながら付随する面倒も多発しており、「従姉殿のやることは利得と面倒が嵐のようにやってくる」とソルニオル公カスパーが愚痴をこぼしていた。
この日も夜間襲撃作戦に備え、戦争鯨達があばら屋同然の整備場で戦支度を整えている。搭乗員達も夜の狩りに備えて飯処で美味い物を掻っ込み、娼婦相手に腰を振り、あるいは黙々と戦争商売の準備を進めている。
開戦以来、見慣れた光景だった。
コタルにはコルヴォラント半島に与する間諜もいて、搭乗員達の口から洩れるネタを搔き集め、出撃する戦争鯨や運び込まれる物資などの情報を本国に送っている。
ただし、アンジェロ事件以降、神経症気味な防諜体制を取る民間軍事会社は、本当に重要な物を表に見せない。決して。
たとえば、この日は民間軍事会社の扱うベルネシア戦闘飛空艇ではなく、聖冠連合帝国やコルヴォラントでも使われている懸架式武装飛空船が入念に整備されていたこととか。
その飛空船の武装はどういう訳か、エスパーナ軍制式銃砲が中心で、船に乗り込む傭兵達もコルヴォラント人が多いこととか。
「やりたいこたぁ済ませたかぁっ!? 美味いもんを食ってきたかぁっ!? 女を抱いてきたかぁっ!? 借金は返してきたかぁっ!? 心残りがある奴ぁさっさと済ませてこいよっ!!」
ゴリラ面の30男が搭乗員や傭兵達に発破を掛けている。
無理もない。船長帽を被ったゴリラ――ロベルト・ニステルバウムは大きなチャンスを前にしているのだから。
白獅子財閥の経由で提示された依頼。それはとてもとても危険なものであったが、その成功から得られる利益と栄誉は計り知れない。アイリス・ヴァン・ローのように準貴族となれるかもしれない。
ニステルバウム家は慣例世襲を認められた騎士爵家だった。が、ロベルトの親父(先代)と兄貴(当代)が尻尾を振る相手を間違え、ソルニオル事変に伴う外務省粛清に巻き込まれてニステルバウム家は騎士爵位を剥奪された。親父は失意のうちに病死し、兄貴は不名誉に耐え切れず自殺。海軍将校だったロベルトも依願退役を強要され、私掠船の雇われ副長に成り果てた。
この依頼を成功させれば、御家を復興できるかもしれない。自分が当主になれるかもしれない。妻や子供達を準貴族にできるかもしれない。
「野郎共、気合いを入れろっ!!」
かくて、ロベルト・ニステルバウムは気炎万丈だった。
「おーおー……士気が溢れてるねえ」
高速戦闘飛空艇『空飛ぶ魔狼号』のブリッジ。外の様子を眺めていたアイリスが鼻息をつく。
「ニステルバウム船長はかなり大口の仕事を請け負ったらしいですよ、叔母様」
新任副長のティネッケ・ラ・グシオンが言うと、
「外では叔母様と呼ぶんじゃないよ。何度言わせるんだい、バカ娘」
アイリスは嫌そうに顔をしかめた。
20代半ばのティネッケ・ラ・グシオンは、アイリスに似ていた。
勝気な眉目が印象的な細面。小生意気な胸元と小癪なお尻。引き締まった腰回りに美麗な脚線。顔つきはアイリスの若い頃にそっくりで、体つきの特徴も似通っている。
それもそのはず、ティネッケはラ・グシオン準男爵家に嫁いだ姉の娘で、アイリスの姪だった。
今次戦争に民間軍事会社が派遣されるうえで、ベルネシア軍は連絡と戦訓確保を目的に、陸海軍から顧問や現場要員として派遣していた。
ティネッケは出向組の一人で、敬愛する叔母の船に副長として搭乗している。
叔母に叱られてもさして気に留めることなく、姪は小首を傾げた。
「なぜ白獅子総帥の信任が厚い叔母様ではなく、ニステルバウム船長に委ねられたんでしょう? 大きな仕事なら実績のある叔母様にこそ任せるべきだと思うのですが」
姪の口振りに『デカい仕事をやりたかった』という野心が窺え、アイリスは鼻で嗤う。
「ティー。この商売で大口の仕事ってのはね、総じてヤバいってのが通り相場なのさ。で、ヴィルミーナ様は身内を使い潰すような真似はしない。だから、あたしに声が掛からなかったんだよ」
「ニステルバウム船長が受けた依頼は、小戦隊で一国の首都へ強襲するより危険、と叔母様はお考えで?」
危険な戦いこそ望むところ、と言いたげなティネッケへ、アイリスは笑みを消す。
数々の修羅場を潜ったベテランらしい顔つきで、隻眼の美人船長は言った。
「あたしが思うに、竜の巣へ飛び込むような仕事だろうね」




