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遅くなって大変申し訳ございません。投稿ペースを戻せなかったよ……
大陸共通暦1781年:ベルネシア王国暦264年:晩夏
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム
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その時、ヴィルミーナは屋敷で次男坊ヒューゴと長女ジゼルと共に過ごしていた。
地中海情勢は予断を許さぬ時期であったが、ヴィルミーナには子供達と過ごす時間を捻出するくらいの余裕があったし、仮に余裕が無くとも時間を作っている。乳母や御付きを与えているからといって、子供をほったらかしにして良いわけではないのだから。
ゆえに、晩夏の昼下がり、ヴィルミーナは遊び部屋でお絵描きする子供達に混じり、自身も絵を描いていた。
「? ママ、これなに?」
ヒューゴがヴィルミーナの手元を覗き込んで訝る。
「クジラよ。海を泳ぐ鯨さん」
「!? シチューのおイモじゃないのっ?!」
逆側から母の手元を覗いていた娘が母の回答に吃驚した。
予期せぬ感想にヴィルミーナも驚く。鯨を描いたのにジャガイモと誤解されたとな。
室内に控える御付き侍女メリーナへ絵を見せてみれば「畑の蕪とばかり」。
なん、やと……
「パパはお絵かきがすごく上手なのに。ママはお絵かき下手っぴ!」
ジゼルの辛辣な(妥当な)評価にヴィルミーナは思わず顔を引きつらせた。
私だって本気出せば、他人様に見せても恥ずかしぅない絵が描けるんやでっ! ……まあ、レヴには負けるけども……。
夫レーヴレヒトは特殊猟兵の斥候・偵察の技術として、絵画技術を修得している(軍用に耐えるカメラが無い時代だ。絵に描き写すしかない)。なお、その原点は幼き日、ヴィルミーナの無茶振りに応じるべく始めた記録ノートのスケッチやイラスト、写景図などだったりする。
ヴィルミーナはウームと唸る。
このままでは母親の威信が地に落ちてしまうやもしれぬ。なんとかせねばならぬ。
「……ママはお絵描き下手かもしれないけど、パパにも作れないものを作れるのよ?」
「えー?」「ほんとぉ?」
双子が疑念を多分に含んだ眼差しを向けてきた。どうやら二人の中でママの評価はパパに劣るらしい。
むむむ。
く、悔しい。これはめっちゃ悔しい。レヴの上に立ちたいわけやないけれど、評価は必要や。母として威厳的に。母として威信的に。
「2人とも見てて」
ヴィルミーナは適当な紙をてきぱきと折り始めた。前世から30余年経つため、ちょっと手元が怪しいが、覚えていることは覚えている。
大学時代、留学経験のある先輩曰く『外国に行くなら折り紙を覚えとけ』。
事実だった。
日本人なら作れて当然の折鶴でさえ、海外ではそれなりにウケる。特に手裏剣は男の子やオッサン達にバカ受けする(ニンジャを世界に広めた千葉真一と、アニメのナ○トが如何に偉大か分かるゾ)。護衛のPMCオペレーター達がキャッキャッと折り紙の手裏剣を投げ合う光景を生み出した時は、ちょっと引いた。
そんなわけで、ヴィルミーナは作り方を思い出すためにまず簡単な折鶴を作る。
「「わぁ」」
母が紙を折ったり曲げたりするだけで鳥(鶴)を作り出したことに、ヒューゴとジゼルが目を輝かせる。
「凄いっ! 手品みたいっ!」「ママ! わたしも! わたしも作りたいっ!」
子供達の無垢な尊敬の眼差しに自己承認欲求と自尊心が満たされ、ヴィルミーナがちょっぴり得意な気分を抱く。よっしゃ、次は必殺のティラノサウルスみせたろっ!
「じゃあ、一緒に作って――」
「失礼します。ヴィーナ様、デルフィネ様より使者がお越しになりました」
申し訳なさそうに王妹大公家の執事補が姿を見せ、耳打ちする。
「地中海にて情勢急変。対策を講じるため、急ぎ王都社屋へ来られたし、と」
似たようなことをこれまで幾度も経験してきたため、子供達も母がこの場を去っていくことを察した。双子はただただ残念そうな顔を浮かべる。
ヴィルミーナは首肯し、告げた。
「ヒューゴとジゼルの約束を済ませてから出るわ。私の到着までに決断が必要な場合、全ての責任を私が負うから適切な判断を下すよう、側近衆へ伝えさせて」
「かしこまりました」と執事補が部屋を出ていく。
「ママ、行かなくていいの?」とヒューゴが不安そうに尋ねるも、
「大丈夫よ、ヒューゴ。ママには頼りになるお友達が要るからね」
ヴィルミーナはヒューゴに微笑みかけ、慈しむように頭を撫でた。
「さ、紙を用意して。一緒に作りましょう」
ヒューゴとジゼルが向日葵のような笑みを浮かべ紙を用意する様を眺めながら、ヴィルミーナは『情勢急変』について想像を巡らせる。
何が起きたにせよ、戦争の趨勢をひっくり返す事態は三つくらいや。
A:北部戦線でランドルディアが降伏した。
B:ナプレが調略に応じた。
C:チェレストラ海で決戦が起きた。
これ以外で騒ぎになりそうなんは、ギイが関わったちゅう大量破壊魔導兵器か、ヴィネト・ヴェクシアがなんぞやらかしたか。
あとは……ベルモンテやな。
ヴィルミーナは自作した折鶴の頭を突きながら、紺碧色の双眸の奥に冷酷な光を宿らせる。
まあ、ベルモンテで何が起きようと、連中が何をしようと、私のやることは何も“変わらない”で。お前らが辿り着く先は地獄の泥沼だけや。
不意に、こほん、とメリーナがわざとらしく打った咳が耳朶を打つ。
ヴィルミーナが顔を向ければ、メリーナが『お子様方の前ですよ』と苦言をこぼしそうな顔をしていた。
あかん、子供達の前や。あんなアホ共のこと考える時とちゃうわ。ヴィルミーナはメリーナへ謝意をこめて片目を瞑り、子供達へ温かな眼差しを向けた。
「用意できた? それじゃ、作っていきましょう」
○
時計の針を少し戻そう。
過日。
『公王ニコロに王権を委ねていては今次の戦にてベルモンテは亡国に至るであろう。私ピエトロ・ディ・エスロナは王太子として祖国に対する責任を果たすべく行動するっ! ベルモンテの将兵諸君ならび紳士淑女よっ! 我と共に祖国を、故郷を、家族を救えっ!』
王太子ピエトロの檄が飛び、曙光が夜闇を溶かし始めた早朝、靄の漂う静かな朝を軍靴の音色が引き裂いた。
腕に白いスカーフを巻いた軍勢が、ベルモンテ公国宮城と首都の一部施設へ流れ込む。
「陛下ッ! 王太子殿下が謀叛にございますっ!」
寝室に飛び込んできた近衛騎士から報告を受け、公王ニコロは上体を起こして金壺眼をかっ開き、
「―――――あの、うつけがぁっ!!」
慟哭するように叫んだ。
陰謀家の公王ニコロは国内にいる法王国使節団――宗教的監視団を利用して自身を排除させ、そのうえで息子の王太子ピエトロに使節団を倒させ、連合から足抜け。協商圏と手打ちに臨むつもりだった。
回りくどいようだが、重要なのは自身を政治的に排したうえで、“法王国を”渦中に引きずり込むことにある。すなわち、ベルモンテの戦争責任を法王国に転嫁し、何食わぬ顔で協商圏側に与すること。それがこの謀略の要諦だった。
間違いなく協商圏もこの茶番に食いつく。ニコロには確信があった。
法王国は莫大な現金や債権、資産を保有している。法王国という“食いで”のある獲物を差し出せば、協商圏は嬉々としてニコロの策に乗じるに違いないのだ。
政治的にも法王国に詰め腹を切らせることは大きい。法王国の権威を損なわせれば、各国の教権勢力がその支持を大きく損なう。
クレテアや聖冠連合は教権の強い国ではないが、それでも両国政府が教会勢力の弱体化を歓迎するだろう。ガルムラントの悲惨な情勢も法王国の威信低下により教権勢力が弱まることで多少好転するかもしれない。
何より、この策ならヴィルミーナを止められる可能性が高い。
法王国という生贄を差し出すことでベルネシア政府を動かし、ヴィルミーナを牽制する。あの忌まわしき小娘を“除去”するには未だ時が必要であり、その時間を稼ぐ意味でも法王国の犠牲が必要なのだ。
それを、王太子ピエトロは法王国使節団に先駆け、自ら動いた。
なんと短慮で浅慮な軽率な振る舞いか。ニコロは枯れた肉体を憤怒で上気させ、次いで顔を蒼褪めさせた。
人格その他に深刻な問題のあるニコロだが、その頭蓋に収まっている知性はとても優れている。ゆえに、ニコロは気づく。気づいてしまう。
恐怖政治を敷いているニコロは、諸臣諸官や諸侯が恐怖の源たる己を排除する機会を前にした時、どのような判断や決断を下すか、分かってしまう。
倅に従って愚者の群れは嬉々として己の首を協商圏と聖冠連合に差し出し、和睦を持ち掛けるに違いない。
阿呆共が……っ! 余の首を差し出したところで、“ベルモンテの”戦争責任が解消されるわけではないっ! 和睦できても賠償に尻の毛まで毟られ、骨の髄まで啜り食われるのだぞっ!
自身の編んだ謀略が崩れていく音を聞き、ニコロは再び叫んだ。
「あの、大たわけがぁっ!!」
かくて共通暦1781年、晩夏。
王太子ピエトロは公王ニコロを筆頭に政府要人や有力貴族を拘束、また聖王教会の“使節団”も捕縛した。
計画では流血を最小限に留め、破壊や略奪は厳禁のはずだったが、王太子ピエトロが陰謀家である父王ニコロに蹶起を見抜かれぬよう根回しを控えたことが裏目に出た。
“何も聞かされていない”近衛騎士達や一部貴族が激しく抵抗し、“何も知らない”聖王教会使節団の聖堂騎士達がこの狼藉に立ち向かったのだ。
『国難の時にありながら……何たる不忠不孝っ!』『人面獣心の卑劣漢めが。我らが血を以って忠義の何たるかを示してくれるわっ!!』『背教者共がぁっ! 許さん許さん絶対に許さんっ!!』
聖冠連合帝国近衛騎士が事実上の魔法騎士だったように、ベルモンテ公国近衛騎士達もまた魔法騎士だった。それも、魔導術に長じるコルヴォラントらしく強力な魔法を駆使する騎士達だった。挙句、聖王教会聖堂騎士や最精鋭たる聖騎士はそんなベルモンテ公国近衛騎士達をさらに上回る。さながら、超有名スペースオペラ映画の暗黒卿みたいな手練れ達だ。
彼らとの交戦は激しく、宮城や大聖堂周辺において少なくない犠牲と破壊を招いてしまった。
しかし、王太子ピエトロの最大のポカは別にある。
父ニコロを警戒するあまり、最も重要な『諸外国へ話を通しておく』という外交工作を怠っていたのだ。
これは非常によろしくない。
報連相と根回しはとっても大事。これを怠るとロクなことにならない。
たとえば、関ケ原で小早川秀秋の寝返りに便乗した赤座直保や朽木元網、小川祐忠は事前に話を通していなかったため、戦後に『裏切りとかいかんでしょ』と改易や所領大没収を受ける羽目になった。
つまるところ……王太子ピエトロはやらかしてしまったのだ。
○
「なんとも思い切った真似をしたものだ。稚拙というべき類よな、あれは」
ナプレ王国国王アルフォンソ3世はワイングラスを弄ぶ。
大陸西方メーヴラントが戦火の歴史に塗れているように、大陸西方コルヴォラントは陰謀と策謀、暗殺と謀殺の歴史に塗れている。その観点に立てば、ベルモンテ王太子ピエトロのクーデターは手抜かりが多すぎた。
「あの陰気な陰謀屋の倅にしては随分と脇が甘い。いや、仕事が甘い、と言うべきか」
「謀略に長けたニコロ公に策の及ばぬ拙速で挑む。理解は出来ますが、些か手抜かりが多かった。今頃は山積した問題に苦悩している頃でしょう」
ウディノ伯ペツリーノは疲れ切った顔で応じた。
ナプレ王国でも有数の大身貴族であるが、その身代は御先祖が興したもので、当代ウディノ伯は良識的凡俗に過ぎなかった。それが妾母娘の“親子丼”を楽しんだばかりに今や王の密偵頭の如く扱われ、今次戦争の外交戦において馬車馬のように酷使されている。
身から出た錆だった。
「とはいえ、若者は苦悩を得て成長するもの。ピエトロ王太子は正念場ですな」
ウディノ伯が慇懃な皮肉をこぼす。
アルフォンソ3世は表情を和らげてワインを一口呷り、
「カーパキエのようにか? 親父はだらしなかったが、倅の方は随分と気骨があるようだ。父同様に愚物であれば、娘か姪を嫁がせて取り込んでも良かったが、出来物では潰すしかない。後顧の憂いは断たねばならんからな」
「有能な若者の未来を奪うことは心が痛みます」
ウディノ伯の悪態染みた諧謔に、くつくつと喉を鳴らした。
「それで、教会の犬共に“義挙”を誘発できそうか?」
はい陛下、とウディノ伯が頷く。
「完全に沸騰しております。陛下の“御意向”次第ではいつ爆発してもおかしくありません。今もそこら中でベルモンテ誅伐のため、軍を動かすよう喚き散らしています」
「当然のように我々の軍を用いようとするか」アルフォンソ3世は不快そうに「法王庁の坊主共は聖伐軍を呼び掛けていた頃から変わらん」
疲れ顔をつるりと撫でてから、ウディノ伯爵は見解を開陳する。
「問題は我が国の純朴で敬虔な民や愚かな諸侯が、彼らの言い分を鵜呑みにしてしまうことですな。想定以上に“義挙”へ賛同する可能性があります。
王都内で完全に信用できる戦力は王室親衛隊と我が手勢、王妃陛下の御実家マッテナ公の軍勢のみです。地方の王党派と中立派の諸侯の調略は済んでおりますが、事が起きた時の即応は難しいでしょう」
「事態の長期化は内戦を招く。いや、それはそれでこの戦から足抜けし、教権を削ぐ機会になりえるか」
アルフォンソ3世は王らしい冷淡な計算を巡らせ、ウディノ伯へ問う。
「先方から確約は得ているのだな?」
「はい。聖冠連合、ベルネシア、クレテアは我が国の連合離反を了承し、支援を確約。また、“我が国が彼らの調略に応じる体裁”も確認しました。これで戦争責任の追及から除かれます。あとは約定書に陛下ないし全権大使の調印をするだけです」
愛人問題で王に尻尾を握られているウディノ伯は、馬車馬の如く駆けずり回らされ、見事に成し遂げた。
『オレンジ商人』と揶揄されることもあるウディノ伯家だけれども、そのオレンジの販路はウディノ伯の持つコネクションや情報網に等しい。本人や伯爵家は自覚していなかったが、この手の仕事に向いていたのだ。全く嬉しくない誤算である。
まあ、最大の被害者はウディノ伯に仕える者達で、彼らは方々でDOGEZAや泣き落としを繰り返したという。むろん、手土産はオレンジだ。
アルフォンソ3世はウディノ伯の“成果”を考慮し『もう少し無茶な仕事でもこなせそうだな』と思いながら尋ねる。
「ふむ……条件は? 第二戦線の形成以外に何を要求している?」
「コルヴォラント半島南部海域の通商保安。同海域にて生じる通商損失の補償。つまり、彼らの地中海通商を守れ、ということです」
ウディノ伯は往時の交渉――特に聖冠連合ソルニオル公の公認愛妾ユーリアやベルネシア白獅子財閥大幹部アストリードとの交渉を思い出し、げんなり顔で報告を続ける。
「この場合の脅威は連合諸国の海軍や私掠船に限りません。海賊海岸の賊徒やモンスターの被害も補償対象に含まれます。海軍総出でやることになるでしょう。負担は決して軽くありません」
「だが、コルヴォラント半島南部と周辺海域の統治権を認める、ということでもある」
アルフォンソ3世の見解に、ウディノ伯は首肯する。
「まさに。彼らは我々に“相応の責任を負え”と言っています」
「これは我が国が飛躍する最初の一歩だ」
ワイングラスを一息で飲み干し、アルフォンソ3世は冷酷に言った。
「彼奴等には生贄になってもらおう」
「敬愛する神の身許へ行けるのですから、彼らも本望でありましょう」
疲れからすっかりやさぐれているウディノ伯は辛辣なユーモアを披露し、王を大いに楽しませた。
○
「先方から何の打診も交渉も無かったのですから、相手にする必要など無いでしょう。話が通っているならば、ともかく今回の場合は連中の内輪揉めに過ぎません」
ヴィルミーナは答えながら服の上から鎖骨辺りを掻く。昨夜の営みでレーヴレヒトに甘噛みされた痕が痒かった。
表舞台に復帰したことで、ヴィルミーナは再びエンテルハースト宮殿や王国府へ招聘される機会が増えていた。無任無官といえど、王の勅任で補佐官や大使を命じられた前例があるし、そもそも今更の話でもある。
エンテルハースト宮殿の会議室に招かれ、王や宰相、王国府高官が居並ぶ中、ヴィルミーナは自身の考えを開陳する。
「戦争の早期終結は人道的にも経済的にも望ましいことは事実です。確約されているナプレの転向と合わせれば、コルヴォラント諸国も継戦を諦めるかもしれません。法王国に和睦の仲裁を打診すれば、喜んで協力するでしょう」
しかし。とヴィルミーナは続けた。
「現状況での戦争終結は、我ら協働商業経済圏と聖冠連合帝国の実利に乏しいのです。此度の戦で生じた犠牲と戦費負担に釣り合いません」
「……詳しく」
国王に促され、王妹大公女は説明を始める。
「今次戦争の本質は協働商業経済圏と聖冠連合帝国経済の地中海進出による、コルヴォラント諸国の経済的窮乏が原因です。
言い換えるならば、連中は金がありません。現戦況での講和は賠償金などの実益が期待できないのです。
よって、コルヴォラント諸国が国体の維持を除いた無条件降伏をするまで、追い詰めることを推奨します。さすれば、我々は好きなように諸国から収奪できます」
ヴィルミーナは微笑を浮かべ、会議室内の御歴々を見回し、別解を提示する。
「もしくは……クレテアとナプレが提案した法王国の戦争介入を招いてからの無条件講和。これがより望ましいですね。法王国は莫大な資産を保有していますから、賠償金も相当額を吹っかけられます」
「教会から金を搾り取る気ですか」と高官の一人が呆れ顔を浮かべた。
「我らを異端と侮蔑する伝統派の総本山です。それに、提案者は伝統派国ですよ? 我々が遠慮する必要はありますまい」
悪魔染みた微笑みを湛える姪に、カレル3世はやや厳しい目つきで問う。
「その提案、先の事件の私怨が絡んでいないか?」
「もちろん絡んでいますとも」
ヴィルミーナはあっさりと認めた。
「眼前で従甥を殺された恐怖と悲哀は一時とて忘れておりません。私のみならず家族と我が財閥の誉れまで踏み躙られた怒りは今も胸中で煮えております。されど、我が私怨が国益に転じ、御国と陛下の御稜威をより高めることに繋がるなら、何の問題も無いでしょう?」
これがこの姪の怖いところだ。カレル3世は思う。
ヴィルミーナは本質的に自己中心的で利己的である。が、その行動により利他的実利――この場合は国益をもたらす。もしくはその成果や利益を分配することを惜しまない。その合理的有益性により、利に聡い者ほど、理を重んじる者ほどヴィルミーナに呑まれてしまう。
まったく恐ろしい娘だ。頼りになり過ぎる。
「しかし、大公女様の私怨により計画に狂いが出る場合もありましょうや?」と高官。
「その時は皆さまが私を止めるなり、計画を修正するなり、なさればよろしい。私はあくまで無任無官。陛下の御厚意で意見を提示させていただいているだけなのですから」
ヴィルミーナはさらりと責任を政府へ放り投げ、口端を歪め、白い犬歯を覗かせる。
「ともあれ、私は為すべきを為す決意を固めておりますが」
怪物の笑みに誰もが顔を引きつらせたところで、会議室のドアが開く。蒼い顔をした官僚が姿を見せ、宰相の許へ駆け寄る。
宰相ペターゼンは眉間に深い皺を刻んで官僚を問いただす。
「間違いないんだな?」
「三度確認させました。間違いありません」
官僚の返答に渋面を濃くし、宰相ペターゼンは険しい目つきで全員へ向けて告げた。
「今生聖下ゼフィルス8世が崩御したとのことです」
「なんと」
国王カレル3世の吃驚を皮切りに会議室内が騒然となった。
現法王ゼフィルス8世は死の床に臥せって久しかったため、政治的には既にレームダックと化していた。が、現実に逝去したとなれば、法王国で至尊の椅子を巡る熾烈な政争が始まるだろう。
その影響や発生しうる諸々の面倒について高官達があーだこーだと騒ぐ会議室の中で、くすくすと鈴が鳴るような笑い声が響き、誰もが口を噤んでその発信源へ顔を向けた。
ヴィルミーナが嗤っていた。
「こんな時勢に法王をお召しになるとは。いやはや神は実に辛辣でいらっしゃる」
凶悪な愉悦と凶暴な嘲罵を込めて、怪物が嗤っていた。




