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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第3部:淑女時代

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265/336

19:7b

お待たせして申し訳ない……

 午後4時。

 夏の海上を征くコルヴォラント西部連合艦隊の主力艦艇群。


 各船舶内の砲列甲板は男達の体臭や口臭、密航者(ネズミや虫)の糞尿の臭いなどが立ち込め、男達の汗や潮の湿気でサウナのように煮えていた。あまりの暑さに下着や肌着姿の水夫も少なくない。負傷した時、着衣を脱がされる手間も省けよう。


 犬でさえひと嗅ぎしたら失神してしまいそうな悪臭。茹で上がりそうなほど暑い湿気。ある種の極限環境の中、砲列甲板の水兵達は“その時”を待つ。


 最上甲板に居る者達は強烈な夏の西日にじりじりと焦がされていた。何より行く先に濃霧の如く漂う猛烈な砲煙と、水面で燃え盛る友軍の小型船艇群が気になって仕方ない。風上に居るため、戦友達の死の臭いを嗅がずに済むことだけがありがたい……


 死の不安と恐怖がゆっくりと迫ってくる独特な緊張感と緊迫感に、歴戦の船乗り達ですら憔悴を抱く。


 いくつかの船では戦いを前に従軍司祭によるミサが催された。司祭が加護と祝福の祝詞を口にし、士官や水兵達はメインマストに掲げられた聖剣十字像へ祈りを捧げる。誰も彼もがこの戦いに勝利し、生きて再び陸に上がれることを祈願し、家族や恋人とまた再会できることを哀願した。


 ただまぁ……彼らの信仰する神が祈りを聞き届けてくれる保障はまったくないが。


 一方、小型船艇群との戦いを終えたクレテア・ベルネシア共同艦隊は迫りくる西部連合艦隊の主力艦艇群との距離を測りつつ次の戦いに備えていた。司令官ドルーノン大将も参謀達もベルネシア海軍も撤退という判断はない。損害の確認をし、死傷者を船倉へ移送し、船体や装備を修理し、人員と弾薬の再配備を急ぐ。


 ドルーノン大将は最上甲板を慌ただしく行き交う水兵達を眺めていた。

 勇敢なコルヴォラント船乗り達が放った砲弾は、ドルーノンの乗艦する一等戦列艦にも少なからず損傷を与えていた(二等戦列艦よりも一回り以上デカい一等戦列艦は目立つため、その分だけ狙われた)。滑り止めに新たな砂が撒かれ、海水と血を吸って赤黒く染まる。


「損害はそれなりですが、いずれも応急措置で対処可能です。ただ、敵の主力と殴り合う時は先ほどと逆の舷で戦わなければ、大きな被害を受けるでしょう。加えて、敵に風上を獲られていますから、」

 参謀職は司令官へ考慮に値する意見を呈すことが務め。ゆえに、参謀長はドルーノン大将へ告げた。

「この場を一時撤退し、改めて戦機を図っても良いかと思います」


「ふむ」

 ドルーノン大将は参謀長に応じながら二角帽を脱ぎ、汗と潮飛沫でじっとりと濡れた髪を撫でつける。

「先ほどの小型船艇部隊は敵ながら天晴れであった。彼らの自己犠牲的勇敢と献身的忠誠には賛辞の言葉が尽きん。しかし、だ。諸君。私は彼らにクレテア地中海艦隊を撃退させた、という名誉まで与える気はない」


 人生の大半を海で過ごしてきた男は二角帽を被り直し、強い意志を込めた眼差しで全員を見回し、

「名誉。祖国。勇気。規律。クレテア海軍はこの四つの信念に決して背かん。全艦へ号令。敵へ向け前進せよっ!」


 参謀達から水兵達までが喝采のように叫んだ。

『ウィ・アミラルッ!!』



 午後6時。

 コルヴォラント西部連合艦隊の主力艦艇群とクレテア・ベルネシア共同艦隊がいよいよ決戦へ臨む。


 風上を獲った西部連合艦隊の主力艦艇群は西日を背にするように艦隊を運動させ、クレテア・ベルネシア艦隊へ接近していく。夕日のハレーション効果により敵の照準や攻撃精度を妨げようというわけだ。


 ちなみに、地球世界の第一次世界大戦。コロネル沖海戦でイギリス海軍が同様の作戦を行ったものの、ドイツ海軍がイギリス側の策を見抜いて日没ギリギリまで交戦を回避。その後、ドイツ側が夜影に紛れる中、イギリス側は日没の残照で船影がくっきり浮かび上がってしまい……後は分かるね?


「日没まであと一時間半か」

 ベルモンテ海軍司令官コルベールは西日の照らす後甲板で、軍帽を脱ぎ、日焼けした禿頭を撫であげた。


 敵影は近い。

 おそらくもう30分と掛からぬうちに砲火を交えるだろう。魔導通信により航空戦に敗れたが、小型船艇部隊が壊滅と引き換えに相応の損害を与えたことを確認している。ふと、24歳も年の離れた赤毛の妻を脳裏に浮かべた矢先。


「閣下っ! 敵艦隊に動きありっ!」

 部下の鋭い声に脳裏から妻の姿が消え、コルベールは双眼鏡を覗き込む。


 クレテアとベルネシアの軍旗を掲げる艦隊の上空に、飛空船の姿が見えた。ベルネシアのザトウクジラみたいな高速戦闘飛空艇2隻とクレテアの懸架式水上船艇型飛空船3隻。

「セオリー通り、艦隊決戦前に漸減を図る気か」


 ※  ※  ※

 少し物語を逸らせていただこう。


 飛空船と水上船。どっちが強い? と聞かれたならば。

 そらぶっちぎりで飛空船の方が“有利”である。


 水上帆船は構造上、船体側面を殴られてもなかなか沈まないし、喫水線下を狙うことも難しかった(伝説的なレパント、アルマダ、トラファルガーの海戦でも、戦闘で沈められた船はさほど多くない)。

 ただし船体上部――甲板は酷く脆弱であり、近世の前装式火砲による実体弾でも、水上船艇の複層甲板の全てをぶち抜き、船艇を破壊して撃沈することが可能だった。


 それでも、近世頃の飛空船は性能限界から搭載できる砲や弾薬の重量制限が大きかったし、船体や気嚢も貧弱で、水上船艇の貧弱な対空砲でも撃墜は可能だった。また、船底に厚みを増す、船底のスペースに貨物を積み込むなどの手段で船底の貫徹を防げた(主に砂嚢が用いられ、その撤去は悪夢の如き作業だった)。


 ところがぎっちょん。

 近代中期に足を突っ込んだこの時代。たとえば、ベルネシアの戦争鯨は強力な火砲と充分な弾薬量を保有したうえで、限界高度3000メートルから長射程砲撃をしてくる。砲弾も炸裂弾や榴弾に進化している。もはや木皮木骨帆船に能う防御力や耐久力で抗える次元ではない。


 対抗手段もどん詰まりだった。

 水上船艇の対空砲は甲板強度やマストや帆の配置から、十全な防空火線を築くことが難しい木製甲板では砲の反動で割れてしまうため、金属補強甲板が必要になるが、これは船体のバランスが悪化するなどなど、いろいろと制約が大きい。マストや搭載砲の数を減らし、対空砲を主力とした防空フリゲートや防空小型船艇が開発されたし、戦列艦に対空砲郭を築いた例もあるが……


 水上船艇では防御も対抗手段も厳しい。機動性では逆立ちしても勝てない。となれば。

 攻撃が当たらないようにするしかない。


 その結果、自分達の優位性を捨てることになっても。

 ※    ※    ※


「敵艦隊、煙幕を展開っ!!」

 双眼鏡を覗き込んでいた若い参謀補が大声を上げた。


 クレテア地中海艦隊の前方、風上に居るコルヴォラント西部連合艦隊の単縦陣がもうもうと煙幕を焚き、艦隊周辺を煙で覆う。

 一個艦隊を覆い尽くすほどの大量の煙幕は、風下のクレテア・ベルネシア共同艦隊にまで流れてくる。


「こちらの航空優勢を妨げるか。セオリーだな。次は切り込みか、撤退か」

「切り込みです。撤退はあり得ません」

 地中海艦隊司令官ドルーノンの問いかけに参謀長は即答した。

「小型船艇部隊の犠牲を無駄には出来ますまい。加えて、ここで退けば、向こうの艦隊司令官は経歴的にも社会的にも“終い”です。戦うほかありません」


 死者の負債。戦場のサンクコストが指揮官の判断を縛る。加えて、司令官の個人的立場がその決断を左右する(古今東西、司令官という職業は片足を政治という縄で縛られている)。


「ということは、選択権はこちらにある。面舵(みぎ)か。取舵(ひだり)か」

「煙幕から逃れ、太陽を背にするなら西、取舵ですが……その場合、先の戦闘で損傷した右舷側を敵に晒します」

「しかし、直進ないし面舵を取って左舷側で戦闘を図れば、煙幕内に留まることになり、攻撃が妨げられます」と戦務参謀が口を挟む。


 ドルーノンははためく軍旗を睨み据え、決断。力強く命令を発する。

「面舵半分っ! 船速三分の一、斜向前進っ!」



「なるほど。ドルーノン提督は我が軍の航空支援に頼まんようだ」

 ベルネシア派遣艦隊旗艦・二等戦列艦リデルヴォーフ。その後甲板に立つ長身の初老男性――司令官デア・エヴァーツェン少将はクレテア艦隊の動きを確認し、面白くなさそうに呟く。


 此度の戦争は手伝い戦だ。我が国の積荷を沈められてはいるが、沈められた船自体は他国のものに過ぎない。必死になって戦う理由などないのだ。純軍事的には。


 だが、組織政治的には、此度の派遣で絶対に戦功と武功を上げる必要があった。なんたって手柄を欲して派遣を熱望したのは、ベルネシア海軍水上部隊自身なのだ。手柄を挙げられず艦隊を損傷しただけだった、などという血税と陛下と犠牲に対してあまりに不面目だろう。


 派遣艦隊司令官エヴァーツェン少将はここで決断した(古今東西、司令官という職業は片足を政治という縄で縛られている)。

「我が艦隊はクレテア艦隊より離脱し、独自に動く。取舵一杯、最大船速っ!」


「戦域から離れるのですか?」と艦長が訝しげに問う。

「まさか」エヴァーツェンは艦長へ苦笑いを返し「クレテア艦隊は敵と反航戦を行うことになるだろう。我々はその横っ面を殴りつけてやるのさ」


 それに、とエヴァーツェンは子爵家当主らしい貴族的悪辣さを浮かべた。

「我々にはまだ無傷の戦力が残っている」


「プリンツ・ステファンには殿下が乗艦されてらっしゃいますが……」

「心配ない。あの船はこれまでの艦のように敵艦と並走して撃ち合う必要がないからな」

 エヴァーツェンは煤で汚れた髭を弄りながら口端を歪める。

「さあ。この戦いも佳境だ。出し惜しみするな。ベルネシア水上船部隊の実力を思う存分発揮するっ!!」

「了解。取舵一杯っ! 最大船速っ! 後続艦に連絡を急げっ!!」



 午後6時半。

 潮風によって煙幕が押し流された時には、既に両陣営の艦隊群は互いの間合いにあった。

 こうなると飛空船部隊は誤射を防ぐため、交戦に介入できない。彼らは絶好の狩り時を逃したことに臍を噛みつつ、眼下の戦況を食い入るように見つめた。


 コルヴォラント西部連合艦隊の主力艦艇群が逆L字に展開するクレテア・ベルネシア艦隊へ挑む形態となっている。


 西部連合艦隊の単縦陣はクレテア地中海艦隊の単縦陣に対して反航戦。転舵したベルネシア艦隊の単縦陣に対して側面へ飛び込むT字戦法的不利の状況にある。もっとも運動戦の最中で生じた一局面でしかない。

 そう、これは一局面でしかない。


 が。


 西部連合艦隊先導艦は十字砲火へ飛び込む形になったことも事実だった。

 そして、エトナ海諸島沖海戦のクライマックスが訪れる。

 両陣営合わせて戦列艦47隻、フリゲート26隻。片舷だけでも1000門を超す戦場の女神達が、恐るべき大合唱を始めた。

 女神達の猛々しき歌声は上空を泳ぐ戦争鯨達すら震わせた。


      ★


 陳腐なJPOPや和製のラノベや漫画はプロパガンダのように繰り返し謳う。

『努力すれば夢は叶う』『諦めなければ願いは叶う』『がんばれ。負けるな。きっと想いは通じる』


 戯言だ。

 平和な時代の平和な国で平和に生きている人間の、戯言だ。


 少なくとも、エトナ海諸島沖海戦で努力しなかった者など一人もいない。後世の歴史家達や軍オタの無責任な非難に晒される者達だって、最善と最良の決断と信じ、死に物狂いで努力した。


 愛する人々のため。愛する故郷のため。祖国のため。主君のため。信仰のため。戦友のため。自分のため。彼ら全員が必死の思いで努力した。


 それでも、彼らの願いは叶わない。


 砲弾は無慈悲に船体を貫き、炸裂した弾殻片が男達を一瞬で血肉片に変える。愛する人々や故郷を脳裏によぎらせる暇すら許さず、その命を奪い去る。


 どれだけ決死の覚悟を決めて励んでも、彼らの想いは通じない。


 榴弾に破砕された船体木片が散弾の如く飛び交い、水兵達を引き裂き、貫き、抉り、穿つ。生命の神秘によって即死を免れた者達はその凄まじき激痛に呻き、喚き、叫ぶ。千切れかけた手足を前に錯乱し、こぼれるハラワタを搔き集めながらすすり泣く。


 どんな夢を抱いていようと、どんな将来を夢見ていようと、戦場の破壊と殺戮は容赦しない。


 火砲から放たれる鉄殻炸裂弾が水兵達共々帆を引き裂き、水兵共々マストを破壊する。榴弾が船体と人体をまとめて破砕し、混ぜ合わせる。砲口から吹き荒れるピンポン玉大の散弾の嵐が敵兵を薙ぎ払い、甲板を赤く染めていく。


 マストの檣楼(しょうろう)に並ぶ陸戦隊員達が最上甲板で活動する水兵達や、後甲板で指揮を執る艦長や艦艇将校を狙い、小銃や機関銃、擲弾銃を撃ち続ける。


 砲弾運搬係の少年兵達は仲間や自身の血と砲煙で赤黒く染まりながら、ひたすら砲弾と弾薬を運び続ける。屍を踏み越え、助けを求める負傷者の声を無視し、弾薬庫の往復を繰り返す。


 船医と衛生兵は如何なる諧謔も許されない。

 負傷と治療の苦痛に暴れる負傷者を真っ赤な手術台に押さえつけ、破損した手足の創傷部を切断し、こぼれたハラワタを腹腔内へ押し込んで回復剤をぶっかけ、包帯を巻いていく。助からなかった者を乱暴に手術台から放り捨て、次の負傷者を手術台に乗せる。まるで肉屋のように。


 艦長はひたすらに命令を発し続ける。

 眼前の地獄と責任の重圧に竦む心身から、勇気と憤怒を絞り出し、恐怖と怯懦に慄く者達を叱咤激励し、あるいは尻を蹴飛ばして。

 マストが全てへし折られ、最上甲板が死者で埋まり、負傷者が呻き喚き、血肉が波打つ有様でも。

 全ての砲列甲板が破壊され、喫水線下を抉られ、船内が死傷者と血と海水に埋まり、船体が傾いでも。

 後甲板に砲弾が撃ち込まれ、士官や従卒が死に絶え、自身の手足が吹き飛ばされても。


 誰も彼もが必死に努力した。決死の覚悟を固め、勇敢に奮闘し、義務を尽くし、責務を果たした。


 それでも努力が絶対に報われること、などという保証は一切されない。歌や漫画や小説の陳腐なテーゼを嘲笑うように、西部連合艦隊先導艦ベルモンテ海軍三等戦列艦タルブは十字砲火を浴び、大破横転した。

 戦後の記録では、同艦の生存者は“若干名”と記されるのみである。


        ★


 後世の軍事研究家は語る。

 戦列艦タルブの大破横転。これがこの海戦における最大の焦点であった、と。


 コルヴォラント西部連合艦隊の主力艦艇群、単縦陣は大破横転したタルブとの衝突を避けるため、船首を振る必要が生じた。


 右へ舵を切れば、クレテア地中海艦隊から離れ、ベルネシア艦隊へ船首を向けることになる。

 左へ舵を切れば、クレテア地中海艦隊へより肉薄し苛烈な戦闘が生じるだろう。


 ベルモンテ海軍三等戦列艦タルブの後続艦、三等戦列艦ドーヴィルの艦長ペリッソン大佐は叫んだ。誇りある伝統的ベルモンテ公国貴族の彼は、コルヴォラント男らしい決断を下した。

「面舵だっ!」

 三等戦列艦ドーヴィルの面舵に西部連合艦隊の主力艦艇群が続く。


「海の戦士はそうでなくてはなっ!!」

 西部連合艦隊の勇敢な判断に、ドルーノンが野蛮な喜色を湛える。


 同時に、

「クレテア側に食いついたか」エヴァーツェン提督は不満げに唸り「面舵っ! 敵艦隊をクレテア海軍と共に挟撃するぞっ!」

「閣下、プリンツ・ステファンより魔導通信っ! 『本艦の実戦試験を許可されたし』以上ですっ!」

 エヴァーツェンは薄く笑い、大きく首肯した。

「許可する。しかし……ピーテルの奴、殿下を乗せてることを忘れてないだろうな」


         ★


 艦隊後方の上空にいる捜索哨戒飛空艇レブルディⅢ型改から伝えられた観測情報と、檣楼の観測班が獲得した砲撃標定情報を基に、船首と中央砲郭が砲撃準備を開始する。


 各砲は班長の指揮の下、射撃準備を開始。

 砲兵伍長が18センチ後装式火砲の方位と射角を調整。2番砲兵が信管導線の調定済み砲弾を装填し、3番砲兵が防水燃焼紙に包まれた魔晶装薬を指定量詰め、1番砲兵が砲尾を閉める。弾薬運搬係がせっせと各砲の下へ次弾と装薬を運んでいき、4番砲兵が信管導線の調定を行う。


 ベルネシア海軍試験砲艦プリンツ・ステファンの艦長ピーテル・ヴァン・モルデンブリック大佐が言った。

 全砲撃て、と。


 艦長の命令は副長から砲術長へ伝えられ、砲術長から各砲郭の担当将校へ下され、担当将校から各砲郭先任下士官へ告げられ、砲術下士官が叫ぶ。

 撃て、と。


 全砲の班長が叫びながら手を振り下ろす。

 撃て、と。


 即座に各砲の1番砲兵が点火縄を引き、解放された撃針が魔晶炸薬に励起活性反応を生じさせ――

 戦場の女神達が絶唱する。


       ★


 夕日の橙色と夜の暗藍色が混ざり合う。太陽と月が互いの顔を窺う中、気の早い星々が輝き始めていた。そんな夏の夕暮れ。


 エトナ海諸島沖に火球が生じた。

 試験砲艦プリンツ・ステファンが行った三度目の斉射が、西部連合艦隊フローレンティア海軍二等戦列艦ブルドンネを捉え、榴弾が弾薬庫を直撃。両舷90門用の砲弾と装薬が爆発したのだ。


 海域に巨雲から特大の雷が落ちたような轟音が響き渡り、全長50メートルを優に超える人工物が700名ほどの乗員諸共に跡形もなく消し飛ぶ。熱圧衝撃波によって爆発効力圏の大気中水分が蒸発、一瞬、半球状の蒸気膜が生じ、その熱流が雲を吹き払う。大気と音の凶悪な波動が半径数キロを突き抜けた。


 壮絶な光景に美しさを見出し、アルトゥールはある種の不道徳で不謹慎な感動を覚える。


 爆散したブルドンネの前後に居たフローレンティア海軍戦列艦は激しく揺さぶられ、帆やマストが損傷し、砲列甲板内では横転した火砲などによって死傷する者が頻出した。対峙していたクレテア海軍戦列艦も衝撃波や爆散した船体破片を浴び、少なからず被害を受けている。


 もっとも、ブルドンネの爆散はフローレンティア海軍の士気そのものを破壊してしまった。

 フローレンティア海軍司令官ド・モット提督は叫んだ。叫んでしまった。


「撤退……いや、転進、そう転進だっ!! 全艦、転進だあああああああああああっ!!」



「後続のフローレンティア艦隊が離れていきますっ!!」

「なんだとっ!?」

 報告を受け、ベルモンテ海軍司令官コルベールは後方を窺い、絶句した。その双眸が西部連合艦隊単縦陣の後方、フローレンティア艦隊が回頭して反航戦から逃げていく光景を捉えた。


「あのペチコート潜りの腰抜けがぁあああっ!」

 激昂したコルベールは思わず軍帽を脱ぎ捨てる。煤や汗で汚れた顔と違い、汗と潮飛沫で濡れた頭はやけに綺麗で、憤怒で赤く染まりながらも夕日を浴びて輝いていた。


 奴らの逃亡はすぐさま全艦の全水兵に広がる。一度、逃亡の誘惑に駆られた人間はもはや戦えない。これまでだが……


「我が艦隊はこのまま前進だっ! その後、最大船速で海域を離脱するっ!! 死にたくなければ、死に物狂いになって戦えっ! 倒すためではなく生きて帰るためにっ!!」


 コルベールは怒鳴り飛ばし、回頭して逃げていくフローレンティア艦隊を睨み据え、どこか憐れみを込めて呟く。

「日没まで生き延びれば助かったものを……」


 コルベールの予言染みた罵倒の正否はすぐに判明した。

 艦隊決戦の上空に控えていた5隻の戦争鯨達は嬉々としてフローレンティア海軍に襲いかかったのだ。ベルネシア艦隊も死に物狂いの抵抗を続けるベルモンテ艦隊より、怯えて逃げ出したフローレンティア海軍の背中を撃つことを選んだ。

 なんせ逃げ惑う敵は反撃をしてこないから。一方的な殺しほど楽なことはない。



 午後七時半過ぎ。

 日没の際。太陽が地平線に沈みかけ、空を夜の帳が覆う。月が優しく輝き、星々が煌めく。一方で海面は夜闇に塗り潰され、海面に浮かぶ生存者の発見、救助は困難を極める。


 西部連合艦隊の主力艦艇群ベルモンテ艦隊と、クレテア地中海艦隊は反航戦の交差射撃戦を終えていた。


「奴らは反転してこないな」

 遠ざかっていくベルモンテ艦隊を見送りながら、地中海艦隊司令官ドルーノンは鼻息をついた。二角帽を脱いで白髪の目立つ頭を撫でつける。

「こちらも反転追撃は無理か」


「先立っての小型船艇部隊との交戦で負った損耗と、この一戦で艦隊の将兵は疲弊しきっています。それに、夜間追撃戦より勝ち戦と生き延びた喜びを味わいたいでしょう」

「だな……将兵の治療と船体の補修。それに物資の補充もいる」

 参謀長の進言を受け入れ、ドルーノンは頷きつつ問う。

「拿捕した船は曳航できそうか?」


「天候次第、ですね。荒天では無理です。途中で遺棄することになります」

 マストや舵を破壊されて自走不可能になった敵艦が幾隻か漂っており、いずれも降伏している。その中にベルモンテ海軍の旗艦は無い。


「その時はその時だ。ともかく、引っ張っていけるならそうしよう。兵士達にも我々にも褒賞は多い方が良いだろう?」

 海の男的に笑うドルーノンに、参謀長も不敵な笑みを返す。

「同感です。ベルネシア人も上手くやったようですしね」


 回頭したフローレンティア艦隊を追跡した戦争鯨達とベルネシア海軍は、きちんと捕捉して大いに痛めつけた挙句、拿捕(彼らも拿捕賞金は欲しい)。フローレンティア艦隊司令官のド・モット提督を捕縛する大金星を挙げていた。

 こうして、日没とフローレンティア海軍の壊滅を以って、エトナ海諸島沖海戦の幕は下りた。


 前評判通り、クレテア・ベルネシア共同艦隊の勝利であり、後世の歴史家達はこの海戦を『意外性のない妥当な結末』と評している。


        ★


 エトナ海諸島沖海戦の大勝利を伝える新聞を読み終え、ヴィルミーナは新聞を執務机へ放った。

「これで地中海の西は押さえた。あとは東か。さっさと押さえないと……」

 頬杖を突き、新聞の隣に置かれた報告書を一瞥。どこか倦んだ溜め息が漏れた。


 白獅子財閥の上半期決算報告書。そして、各事業部や系列会社の経営報告書。

 あるいは……頭痛のタネと呼ぶべきか。

仕事で色々あって疲れちゃって疲れちゃって……

3周年記念にあれこれやりたかったのに……

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[良い点] >白獅子財閥の上半期決算報告書。そして、各事業部や系列会社の経営報告書。  あるいは……頭痛のタネと呼ぶべきか。  あら?健全では無いが、戦争特需で寝る暇もなく働いても需要に追い付かな…
[一言] 更新ありがとうございます! 感謝です。
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