閑話27c:クラトンリーネ会戦の終幕。
「突撃だっ! 突撃せよっ! 突撃せよっ! 皆、突き進めっ!! 神は我らと共にある、進め――――っ!」
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!』
巨大泥傀儡に続いて騎馬を駆るユリウス5世がマントをたなびかせ、騎士剣を掲げながらひた叫ぶ。王の激励に近衛も高級将校も将兵も雄叫びで応え、ひたすらに駆ける。
誰も彼もが雨に濡れ、汗に塗れ、煤と泥に汚れ、血を浴びていたが、顔は士気に漲り、体は戦意に燃えていた。ヒロイズムと闘志による集団狂気。
殿の銃兵達がクレテア軍二個銃兵の残余による襲撃を受け止め、包囲を防いで退路を確保する。
泥色の巨大ナメクジを操るベルサリエリの魔導術士達が街の前面に並ぶ砲列を視認し、同時に強い魔導反応を捕捉した。クレテア軍の魔導術士達による集団魔導術が来る。
「クレテアの魔導術士が何するものぞっ! 皆の者、我らの力を背教者共に見せてやれぃっ!」
魔導騎士団団長が触媒の魔導合金製小剣を掲げ、叫ぶ。
直後、クレテア軍魔導術士達が集団魔導術を発動した。
雨天と濡れた台地。水溜まり。湿気。そうした環境を活かすべく、極低温冷気の大奔流が放たれた。
幹線道路をばきばきと凍り付かせながら、絶対冷気の激流が巨大泥傀儡へ襲い掛かる。ベルサリエリ魔導術士達が対抗に炎熱の大旋風を放つ。
冷気の大奔流と炎熱の大旋風が激突し、大気が瞬間的に大膨張し、
どがぁあん。
大爆発が起きた。空の雨雲に穴が開くほど強烈な衝撃波が世界を震わせ、暴圧的な音波が駆け抜ける。ベルサリエリの魔導術士達が幹線道路の路肩に急造した防壁などは一瞬で吹き飛ばされ、街路樹がへし折れていく。
激甚な衝撃波から主君や友軍を守るべく、ベルサリエリ魔導術士達の半数が泥傀儡の制御から魔導防壁の展開へ切り替える。クレテア軍魔導術士達も死に物狂いで傍らの砲兵部隊を守るべく魔導防壁を張った(彼らを守らねば砲弾と装薬が誘爆して自分達が死ぬ)。
凶悪無比な衝撃波と音波が走り抜けた直後。大気爆発により一瞬で乾燥した大地から巻き上がった粉塵と蒸気の靄が、幹線道路に白い闇を作っていた。
誰も彼もが強烈な衝撃波を浴びて呆然としている中、生理的な意識の間隙を突くように、クレテア砲兵が榴弾砲の水平直接射撃を一斉射する。
戦場の女神達が挙げる硬く重たい合唱。砲口から発せられる励起反応エネルギーが白い闇を引き裂き、砲弾の群れが白い闇を払いのけながら駆け抜け、大気爆発と魔導術士の半数が制御から抜けたことで弱っていた巨大泥傀儡に突き刺さる。
砲弾の群れは運動エネルギーを使い果たすまで泥傀儡の巨躯に深々と侵入した後、尻の遅延信管によって起爆した。
直前の大気爆発よりは弱いが、充分に大きな爆発が生じ、泥色の巨大ナメクジを弾けさせた。
それでも、その大質量と土の特性から泥傀儡の大きな体躯は半分以上残っている。地球史近世においてフランス軍の大砲をイタリアの土塁がしのぎ切ったように、泥傀儡は榴弾砲の斉射に耐えた。
クレテア砲兵はそんなこと知ったことか、と持続射撃を開始する。
ナポレオン時代のフランス軍砲兵は駐退復座器を持たない前装式火砲を扱いながら、照準作業をしなければ、一分間に五発以上も砲撃したという。
この時、クレテア砲兵はナポレオンの砲兵に優るとも劣らない手腕を発揮した。砲撃。装填。砲撃。装填。砲撃。装填。砲撃。装填。砲撃。撃つべし撃つべし、撃つべし!!
ベルサリエリの魔導術士達もまた、ダイヤより稀少で高価な高位魔導術士の実力を大いに発揮した。既に心身共に疲弊しきっているにもかかわらず、歯を食いしばって魔導術を行使。
精神と肉体の限界を迎えた者達が鼻血を噴き出し、目から血涙を流して倒れ込むが、構ってなど居られない。背後には友軍が、何より王がいるのだ。泥傀儡の残骸と周囲の大地を用いて土塁壁を構築して弾幕砲撃に耐え忍ぶ。
「幹線道路の外へ展開せよっ! ベルサリエリが砲撃を押さえている間に、両側から敵砲兵を――」
砲声と爆発の轟音に負けじとユリウス5世が大音声を放った矢先。
騎馬砲兵のロケット弾の雨が耳障りな風切り音と共に、足を止めたランドルディア軍へ降り注ぐ。炎熱と弾殻片の嵐が吹き荒れた。
もちろん、ロケット弾を浴びている部隊は二万人強の中の一部に過ぎない。
ただ、その一部は前衛部隊。ベルサリエリ。近衛。高級将校達。そして、国王ユリウス5世だった。
ロケット弾の爆炎が大気に溶けた直後、不意に榴弾砲の砲撃が止む。
王のいた辺りが砲火に呑まれ、動揺するランドルディア軍の中衛と後衛--の側面に迂回していた第32軍団直属戦闘団が襲い掛かった。
素早く展開した騎乗砲兵が騎兵砲を用い、後衛部隊に近距離砲撃を浴びせた。惚けていた横っ面を殴りつけた隙間へ、軽騎兵中隊と擲弾兵が殴り込む。
軽騎兵が白刃を振るい、擲弾兵がウォーワゴンを走らせながら射撃し、擲弾や焼夷弾を投げつけ、車載の手動式機関銃を掃射する。
ラインハルトが部下に『滅茶苦茶だ』と言われたように(16:9+を参照)、この乗車襲撃も滅茶苦茶だった。激しく揺れ暴れる荷台から落ちそうになる奴がいくらでもいた。実際、敵兵を撥ねたり、死体を轢いたりした時に運悪く横転した車両もあった。
直属戦闘団は後衛に突撃した後、幹線道路上の敵を蹴散らしながら”中衛に向かって”突進した。
この無茶苦茶な強襲突撃により、幹線道路上に展開していたランドルディア軍は後衛が壊乱し、道路外へ潰走。中衛は反転し、イカレポンチ共の迎撃態勢をとった。
そう。中衛はロケット弾の群れを浴びて混乱する前衛を守るべく、“反転した”。迫りくるイカレポンチ共から王を守るためだ。当然の判断であろう。
その当然の判断により、混乱する前衛と反転した中衛に隙間が生じた。
クレテア東部軍第32軍団隷下第219重装騎兵大隊が、その絶好の潮目を見極め、騎馬突撃を開始した。
○
クレテア重装騎兵は聖冠連合帝国の有翼重装騎兵みたく、使い捨ての騎槍を使って蹂躙突撃を繰り返す戦術はとらない。敵部隊に突入後、踏みとどまって槍や剣を振り回してぶっ殺しまくる。馬から引きずり落とされても装甲兵として暴れまくる。なんという脳筋。
そんな脳筋共が間隙をついて、ユリウス5世のいる前衛部隊へ突入した。
たちまち怒号と罵倒と悲鳴と断末魔が轟き、剣戟の調べが奏でられる旧時代の戦場模様が繰り広げられる。
クレテア重装騎兵は人馬共に、身体強化魔導術の使用を前提とする分厚く頑健な魔導合金や金剛鋼製の重甲冑をまとう。ベルサリエリの山岳兵や近衛の銃兵が放つ椎の実弾では、装甲表面が陥没するだけで貫けない。疲れ切ったベルサリエリの魔導術士達の魔導術も通じない。
「ふははははっ! 矢玉を弾き飛ばしながら一方的に切り殺し、踏み砕くっ! これぞ重装騎兵の本懐よっ!!」
第219重装騎兵大隊の大隊長が喜色を浮かべ、斧槍を振るい、軽装の山岳兵や銃兵を惨殺していく。
大隊長に続き、重装騎兵達も嬉々として敵兵を槍で刺殺し、剣で斬殺し、戦鎚で撲殺し、戦斧で殴殺し、騎馬が蹴り殺し、踏み殺していく。甲冑も馬も返り血で濡らしながらユリウス5世の首級を目指す。まさにメーヴラント蛮族の宴。
そこへ、
「異端如きに負けた聖王教信徒の面汚し共めっ! ここで成敗してくれるっ!!」
なんとユリウス5世が近衛騎兵を率い、自ら反撃に現れた。
ユリウス5世も近衛騎兵もクレテア重装騎兵同様に、魔導術付与の頑丈で強固な甲冑で身を包み、金剛鋼や魔導合金製の刀剣類で武装している。両者は装備の点で互角だ。
「おおっ! その装い、その顔、ランドルディア王ユリウス5世陛下とお見受け致すっ! 者共、大将首だっ! 掛かれ掛かれぃっ!!」
大隊長の発破に重装騎兵達が蛮声を上げ、
「貴様ら風情に我が首を獲らせるものかっ! 皆の者、彼奴等を切り捨てぃっ!」
ユリウス5世と共に近衛騎兵が戦叫を上げて突撃した。
かくして、中近世のように騎士達が勇気と戦技をぶつけ合う大合戦が生じる。
曰く足利義輝公は三好三人衆に襲撃された時、剣豪将軍と讃えられた腕前を発揮し、迫る三好勢相手に大立ち回りを披露したという。また剣豪大名と知られた北畠具教公は織田の刺客を相手に自ら剣を握って奮戦したそうな。
若き日に聖王教会聖堂騎士団で鍛え、騎士に叙された剣豪国王ユリウス5世もまた、その実力を発揮した。
迫りくる獰猛なクレテア重装騎兵の斬撃を弾き、打撃をいなし、刺突をしのぐ。練り上げた剣技で切り捨て、鍛え上げた戦技で打ち倒し、積み上げた膂力で薙ぎ払う。マントを切り裂かれ、甲冑が削られ、傷ついていくもなお、怯むことなく戦い続ける。
剣豪王の名に恥じぬ力と技。そして、勇気。
勇戦敢闘するその姿に近衛騎士達が奮い立ち、首級を狙うクレテア重装騎兵達も猛り狂う。
騎士がその尊厳と誇りを賭し、勇気を振り絞って戦う崇高な、愚劣な死闘。
しかし、戦場全体で見た時、この死闘は一局面でしかない。
「陛下ッ! 限界ですっ! 御退きをっ!!」
自らも甲冑をまとって帯同していた軍務大臣が駆け寄り、怒鳴る。
「後続部隊が撃破されましたっ! このままでは包囲されますっ! 御退きくださいっ!」
「このままおめおめと退き下がれるかっ! 虜囚の辱めを負うくらいならば、ここで雄々しく討ち死にしてやるわっ!!」
完全興奮状態のユリウス5世が今にも切り殺さんばかりに怒鳴り返すも、軍務大臣は臆することなく諫言を浴びせる。
「陛下には王国に対する責務がございますっ! このような場所で死ぬなど許されませぬっ! 王子殿下や王妃陛下に面倒一切を押し付けるおつもりかっ!」
思わず口ごもったユリウス5世から視線を切り、
「全軍、撤退だっ!! ベルサリエリ、近衛っ! 陛下を御守りして脱出せよっ!! 他の者は陛下の脱出援護に当たれっ!」
軍務大臣は剣を振り上げて叫んだ。
「各員、“我に続け”っ! 国王陛下とランドルディアに神の御加護をっ!!」
「な」
仰天して絶句するユリウス5世の許へ近衛騎兵達が駆け寄り、ユリウス5世の腕を掴み、愛馬の轡を握って駆けだす。
「陛下、こちらへっ!!」
「待てっ! 余は、余はっ!」
鉄火場から強引に連れ出されていくユリウス5世は、肩越しに軍務大臣の姿を凝視し続けた。
傷つき疲れ果てた兵士達を率い、軍務大臣はクレテア重装騎兵の剣林へ飛び込んでいき、やがて見えなくなった。
○
日暮れ時を迎え、クラトンリーネに静けさが戻ってくる。
千々に散った雲の隙間から覗く橙色の夕日が、戦場だった一帯を寂しげに照らしていた。
ランドルディア軍はクラトンリーネから敗走した。クレテア軍は追撃用の騎兵と直属戦闘団を消耗していたため、追撃は出来なかった。
ランドルディア王国軍の損害は死亡約8000。重軽傷約14000。捕虜約10000(負傷者の一部と重複有り)。魔導騎士団の損耗7割、中核の魔導術士中隊は帰還49名。近衛は損耗4割。軍務大臣以下高級将校が多数死亡ないし捕虜。
大敗である。
クレテア東部軍第32軍団の損失も中々手痛い。幹線道路で集団魔導術の大水塊を叩きつけられた二個銃兵旅団が半壊した。意外に死傷者は少なかったが、二個旅団の重装備や軍事器材が破壊されてしまった。弾薬消費量は想定をはるかに上回っており、大至急の補給が必要。
敵中へ突入した直属戦闘団は損耗3割。第219重装騎兵大隊はランドルディア王国軍務大臣を始め、高級将校や高位魔導士、高位貴族子弟を数多く討ち取ったものの、大隊も多くの死傷者を出している。
「やれやれ、ベルサリエリとかいう連中が出張ってくるまでは順調だったんだがな」
疲れ顔でぼやくグラモン中将。
損害を抑えるという初期目的は完全に失敗した。第32軍団自体は戦闘力を失っていないし、軍事的には許容範囲の損耗だ。しかし、今次戦争は勝って当たり前、損害を押さえて勝て、という王命が出ている。その意味では失態と言えるかもしれない。
「ギョーヌ閣下にお叱りを受けそうだ」
クレテア東部軍総司令官ギョーヌ大将は、此度の戦争の出来に元帥仗が掛かっているため、麾下指揮官達へ口を酸っぱくして『手柄に逸って損害を出すなよ。戦功を焦って損害を出すなよ。いいか、とにかく損害を出すなよ』と念を押していた。
「まあ、今くらいは勝利を味わいましょう。14年振りの勝利ですから」
参謀長がカップを差し出す。ブランデーの香りが強い紅茶だった。
グラモン中将は苦笑いと共にカップを受け取り、紅茶を飲む。
最高の味だった。
夕焼けの中、戦闘後の戦場掃除が行われる。
敵味方を問わず武器弾薬、物資が回収され、主計班が管理する。工兵達が道路や各所陣地の修繕を行う。
従軍司祭の祝詞の下、友軍の戦死者は丁重に埋葬され、敵の戦死者はひとまとめに埋められる。味方の負傷者は野戦病院や治療所へ運ばれて丁寧に手当てされた。敵の負傷者は……助からないようなら始末された。
認識表や軍隊手帳など軍籍や身元の分かるものが回収されていく。友軍なら遺品も手続き通りに回収され、故郷の遺族へ届けられる。敵の私物はよほど身元が確かなものでない限り、兵士の戦利品となった。
気の早い兵士達の一部が従軍商人から酒を購入し、勝利と生き延びたことを祝って歌い始めている。
ベルネシア王国の観戦武官ユルゲン・ヴァン・ノーヴェンダイク中佐は、与えられた部屋で早速クラトンリーネ会戦の報告書を記しながら、溜息を吐いた。
魔導騎士団による大規模集団魔導術を用いた大突撃。それと、中近世さながらの大合戦。こんなのを報告したら『酒でも飲みながら書いたのか』と言われかねない。
「しかし、クレテア軍の軍制刷新と火力向上は大問題だ。本国に警鐘を鳴らさないと」
ベルネシアとクレテアは協働商業経済圏の発足後、半ば同盟国になったが、歴史的に互いを不倶戴天の仇敵と見做してきたし、ほんの14年前には血みどろの殺し合いをした。何かがきっかけとなって、元の敵対関係に戻るかもしれない。クレテアを警戒しないわけには行かないのだ。
ふ、と再び溜息を吐いたところへ、窓の外から鼓笛とトランペットの音色が聞こえてきた。
軍楽隊が弔歌を奏でているらしい。
ユルゲンはペンを置き、姿勢を正して黙祷する。敵味方の違いや仰ぐ旗は異なれど、戦没者の御霊に敬意を払う。軍人が弁えるべき絶対の礼節だ。
悲しく寂しい旋律が流れる中、夏の夕日が静かに地平線へ沈んでいく。
○
ユリウス5世は打ちのめされていた。
軍の過半数を超える人的損害。撤退のために遺棄した重装備。何より、軍務大臣を始めとする軍高官や部隊指揮官をごっそり失った。魔導騎士団は高位魔導術士の大半が失われ、再建が不可能だった。
もはやタウリグニア征服やティロレ権益の奪取どころではない。クレテアがタウリグニア国境を越え、逆侵攻をしてくる可能性に備えねばならない。
だがどうやって。
重臣が倒れ、精鋭部隊は壊滅し、高級将校も将兵も多くを失い、軍は半身不随。
此度の敗戦が広まれば、風見鶏のモリア=フェデーラ辺りは今にも手のひらを返す準備を進めているのではないか。ベルモンテやナプレも、連合を抜ける算段を立て始めるだろう。
ああ、神よ。なぜこのような試練をお与えになるのか。なぜ我が信仰を、我らが信心に応えて下さらなかったのか。
ユリウス5世の信仰する神は何も答えない。
○
1781年の地中海戦争は開戦から数日。
海はカーパキエ王国の王都エリュトラ襲撃以降、各国は自国領海と沿岸の防衛、艦隊保全に終始していた。
陸は連合の中核だったランドルディア王国軍の大敗により、連合全体の士気が落ち始めている。
だが、戦争は始まったばかり。
終わりはまだ見えない。
連続更新はひとまずここまで。
本当なら閑話1話で終わらせる話だったのに、それがこんな……
劇中弔歌のイメージは『TAPS』ではなく、『アメリカン・スナイパー』の葬送曲か『硫黄島からの手紙』のテーマ。




