閑話27a:クラトンリーネ会戦
陸戦も読みたい人が多いみたいなので……書いてみた。
字数が一話にまとまりきらなかった……すまない……
大陸共通暦1781年:夏
大陸西方コルヴォラント:タウリグニア共和国:国境付近
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タウリグニア・ランドルディアの国境山稜地域を抜けた先に、クラトンリーネという土地がある。
なだらかな丘陵と盆地からなり、古代レムス時代から残る幹線道路が通っている。ブングルト山脈付近らしく冷涼さから麦の耕作には適さないものの、点在する村や集落の周りには羊や牛の放牧地や食品作物用耕作地が広がっていた。
共通暦1781年の仲夏。この牧歌的で緩やかな雰囲気のクラトンリーネで、ランドルディア王国軍約5万とクレテア東部軍第32軍団約3万弱が衝突した。
世に言うクラトンリーネ会戦である。
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クラトンリーネの街を抑えたのはクレテア東部軍の先駆け、第32軍団だった。
軍団司令官グラモン中将は固太りした小柄な初老男性で、軍人というより老いた農夫を思わせる。しかし、瀟洒な軍服の胸元には様々な勲章と従軍章が並んでおり、その一つはベルネシア戦役従軍章だった。彼はあの戦いで三男坊と甥を亡くしていた。
グラモン中将の手元には軍団直属戦闘団と銃兵旅団4個。騎兵師団1個。軍団砲兵約200門。軍団付翼竜騎兵100騎にその他。合わせて約3万弱(これは当時、一本の道で運動できる最大数に等しい)。
将兵は帽子が革製の円筒帽に変わり、暗青色の詰襟上衣と側線入り赤いズボン。軍靴は半長靴で裾を靴内に詰めることが規定されていたが、兵士達は『お洒落』として裾を外に出していた。将校達の軍服は下士官兵と違い、仕立てが良く佩剣している。兵科ごとにケピ帽の飾りと上衣の肩章、ズボンの側線の色が違う。
銃兵は金属薬莢弾薬の遊底駆動単発銃を装備し、各中隊に擲弾銃班と手動式機関銃一丁が配備されている。
中小口径の平射砲や騎兵砲は油圧式の、高射砲や榴弾砲は自重式の駐退復座器付(大口径砲の反動に耐えられる油圧式駐退復座器はまだ開発出来なかった)。ロケット弾は牽引式発射器が開発された関係で、騎乗砲兵が運用している。
そして、騎兵は基本的に軽騎兵だ(西方騎兵の常として他兵科よりお洒落な格好をしている)。速度を重視し、分厚い胸甲も付けない。得物はサーベルと騎兵銃、回転式拳銃。重装騎兵はベルネシア戦役の頃と同じく、人も馬も身体強化魔導術を用いて分厚い甲冑をまとい、槍や斧槍をぶん回す。
加えて、ベルネシア観戦武官ユルゲン・ヴァン・ノーヴェンダイク中佐と彼付きの警護分隊があった。
グラモン中将は参謀達に作戦の糸を引かせている間、クラトンリーネの街と周辺地形を確認した(彼は自ら翼竜騎兵の後ろに乗って空から地形を見て回った)。
確認した結果、グラモン中将は4つの地形特徴を把握する。
1:盆地に建てられたクラトンリーネの街と国境から街へ通じる古い幹線道路。
2:街の西側に広がるなだらかな丘陵で、街や周辺集落の放牧耕地だ。
夏の今は夏草の海が広がり、耕作地では冷涼なこの辺りでも作れる夏野菜が並ぶ。
3:街の南東にある高地で、風車がぽつぽつと点在している。
4:街の北側から南西へ向かう小川。
ブングルト山脈の雪解け水のため、夏場でも恐ろしく水温が低い。
確認を終え、グラモン中将はすぐに隷下部隊を展開させた。
まず街に司令部と軍団直属戦闘団を作戦予備に置く(ついでに非戦闘兵科も)。
幹線道路の各集落と丘陵地域、高地に銃兵旅団を配し、風車に砲撃観測を据えた。
各旅団の隙間と側面を補うように騎兵を配置。約100騎の軍団付翼竜騎兵は防空と戦況観測に終始し、対地攻撃は命令あるまで行わない。
グラモン中将が参謀達に作らせた作戦は単純だった。
クラトンリーネを目指すランドルディア王国軍を各旅団で受け止め、砲兵で出血を強い、弱ったところへ重装騎兵大隊と作戦予備の軍団直属戦闘団でぶちのめす。敵が退けば騎兵で追撃して尻を蹴り飛ばし、敵を包囲したならば降伏させるか、皆殺し。
グラモン中将は作戦会議で各指揮官に語った。
この会戦後は先陣を後続の第34軍団と交代するため、砲弾備蓄を気にせずとも良い。仮に使い尽くしても東部軍輜重部隊に加え、ベルネシアの民間軍事会社が手配した飛空貨物船がすぐに前線へ運んでくる。
敵の飛空船や翼竜騎兵は東部軍司令部の飛空船部隊や翼竜騎兵が牽制する。頭上は砲弾以外気にせずとも良い。
最後に、
「諸君らが念頭に置くことは二つ。まず勝つこと。次に上手く勝つこと。勝ったとしても大きな損害を被れば、それは敗れたに等しい。国王陛下は此度の戦で諸君と将兵を失うことを望んでいない。そのことを肝に銘じておくように」
グラモン中将は指揮官達を見回し、質問がないことを確認。にやりと口端を大きく吊り上げる。
「では、諸君。この14年の努力を試してみようじゃないか」
指揮官達が獰猛な笑顔を返した。
○
ランドルディア王国軍が国境を突破した翌日。ランドルディア軍務大臣の予想より早く、クレテア軍の先駆けが国境戦域に到着していた。
クレテア東部軍第32軍団。約3万弱。
この時、ランドルディア王国軍には選択肢があった。
A:転進して他国戦区へ回り込み、タウリグニア国境防衛線の背中を刺す。
B:このままタウリグニア国内へ進撃し、クレテア軍の先駆けを叩く。
ランドルディア王国の軍務大臣や将官は『A案』を進言した。クレテア東部軍が10万強であることを考えれば、動員兵力5万のランドルディアが単独で戦うことは厳しい。仮に無傷で先駆けの3万を倒しても、まだ7万も残っている。
北部戦線のコルヴォラント連合軍は総勢12万に届く(あくまで数字上の総計だが)。ここで転進し、クレテア軍の本隊が到着する前に優位な山稜地域を確保すれば、かつてのベルネシア戦役のように出血を強いることが出来る……
しかし、ユリウス5世は『B案』の進撃を選んだ。
理由はいつもの宗教的情熱ではなかった。堕落した背教者共を前に転進することが気に入らないことは事実。しかし、それ以上にユリウス5世は戦争の長期化を懸念していた。
繰り返すが、コルヴォラント諸国は金がない。そもそも協商圏と聖冠連合によって、コルヴォラント諸国の稼ぎが酷く悪化したから対立が起き、戦争に至ったのだ。
ユリウス5世は語る。
長期化する持久消耗戦など国家経済が耐えられない。
さっさとタウリグニア諸都市を押さえて保障金(安全を確約する代価に銭を巻き上げる)をせしめるか、収奪。そして、クレテアをぶちのめして講和し、タウリグニアとティロレの権益を確保せねばならない。
宗教的情熱と異端に対する敵意に駆られていても、ユリウス5世は君主としての冷静さを保っていた。
ただ、ユリウス5世の決断には先の国境突破戦において、肝入の魔導騎士団が期待以上の活躍を示したことも大きい。
魔導騎士団の中核、中高位の戦闘魔導術士一個中隊は巨大な泥傀儡を作り出し、タウリグニア軍の阻止弾幕を飲み込みながらトーチカ群や防塁へ肉薄(タウリグニア兵達は『まるで土石流のようだった』と証言している)。破壊魔導術でトーチカを守備兵ごと叩き潰して回り、防塁に大きな突入口を作った。そこへ同騎士団の山岳兵が流れ込み、動揺し混乱するタウリグニア軍を蹂躙した。これが蟻の一穴となり、ランドルディア軍は担当戦区の国境を突破したのだ。
ともかく、ランドルディア軍はユリウス5世の決断の下、進軍。
クレテア軍が先んじて展開したクラトンリーネへ向かった。
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夏の青空に浮かぶ太陽が高くなり、時計の針が昼飯時近くに回った頃。
ランドルディア軍はクレテア軍に遅れること2日後、クラトンリーネの近郊に達し、クレテア東部軍第32軍団を視界に収めた。
常識に則って戦列や隊形を組み、盤上に駒を並べるように布陣していく。
「街と幹線道路。高地。丘陵。全て押さえられています」
部隊が布陣中に、国王ユリウス5世の天幕内で作戦会議が開かれていた。参謀長が簡素な地図に赤鉛筆でクレテア軍の配置を記していく。
「高地と丘陵には簡易ながら塹壕陣地が確認されました。また幹線道路沿いの集落にも銃兵二個旅団ほど布陣しており、集落家屋の建材を用いた馬防柵や障害物が施設されています」
「幹線道路を進めば、高地と丘陵から挟み撃ち。逆を取れば、幹線道路から押しあがってくるな」
悲観的な軍務大臣の声色に、将官の一人がムッとした顔で言った。
「戦力はこちらが2万ほど優越している。高地と丘陵を牽制し、主力で幹線道路から押し込めばいい。数と数のぶつかり合いならこちらが勝つ」
「しかし、幹線道路は平たい盆地を通っています。高所の敵から丸見えだ。クレテア軍砲兵の餌食にされませんか?」
別の将官が慎重に問うも、先の将官が鼻で笑うように応じる。
「敵に素早く肉薄すれば砲は撃てん。なんなら、国境線の時と同じく魔導騎士団で押し潰してはどうだ? そのうえで騎兵を投入、高地と丘陵の背後を遮断して各個包囲撃破だ」
軍務大臣が眉根を寄せ、渋面を刻む。
「斯様な強硬案では犠牲が出過ぎる。敵にはまだ7万もいる。我々はこの5万だけだぞ。それに此度は充分な航空支援もない」
ランドルディアの航空部隊――貴重な武装飛空船と翼竜騎兵は午前中に国境付近の上空でクレテア軍航空戦力に捕捉され、国境から先へ進出できずにいる。また、先の国境突破時の消耗で補給と整備が必要だった。
「ゆえに迅速な強攻で叩くべきだと言っている」
将官は黙ってやり取りを聞いていた国王ユリウス5世へ水を向ける。
「陛下。御決断を」
将官や参謀達の視線を一身に集め、ユリウス5世はしばしの黙考後、決断を明かす。
「時間は彼奴らの味方だ。時を与えれば、陣地はより堅牢となり、本隊が到着しよう。その前に眼前の敵を討つべしっ!」
王命の下、速やかな攻勢準備が始められる。
5万の軍勢はパイのように切り分けられ、幹線道路沿いに進撃する中央軍団が2万。両翼の高地と丘陵にそれぞれ1万ずつ。残る1万は作戦予備兼本陣の守り。200騎ほどの翼竜騎兵は地上部隊と上空援護と偵察に留める。
出撃前にランドルディア兵へ昼飯が与えられた。もしかしたら人生最後になるかもしれない飯は固く焼しめられた黒パンと干し肉。数粒の干しブドウだけだった。
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太陽が南の空を過ぎた頃、ブングルト山脈から雲塊が流れてきて、涼風にほんのりと湿気が宿る。クラトンリーネ一帯の頭上を真っ白な雲が蓋をし、小粒の雨をぱらぱらと落とし始めた。
小雨の降り始めと共に、ランドルディア王国軍が攻勢を開始。
ランドルディア下士官兵達はモヒカンみたいな飾り付革兜に深緑色の上衣。黒い軍袴。足元は深緑色の巻き脚絆と革靴。黒い硬皮革製胸甲を巻き、茶色い弾盒帯を胸元で交差させて下げている。得物はアルグシア製元込め単発銃が主だが、同口径の自国産元込め銃も一定数支給されていた。
彼らを率いる将校達は瀟洒な二角帽と刺繍入りフロックコートの上衣をまとう。小銃は持たず佩剣と回転式拳銃を持つ。
典雅な連隊旗を掲げる旗手と楽器班を先頭に、深緑色の銃兵部隊が戦列縦隊で進んでいく。
銃兵の後に直協支援砲兵達が小型の平射砲や臼砲を手押しで運ぶ、も折からの雨と大人数の行進で幹線道路以外が早くもぬかるみ、移動を妨げる。
そんな中、風車の点在する高地となだらかな丘陵へ砲口を向けていた支援砲兵が、攻撃準備砲撃を開始した。
ランドルディア軍の火砲は旧来の前装式で架車仕様。砲撃すれば、反動で架車が後退してしまう。その度に架車を射撃位置へ押し戻し、照準を修正し、砲身内を掃除し、炸薬と砲弾を詰め込まねばならない。ナポレオンの砲兵達は人力で反動を抑え込み、射撃速度を上げていたという……無茶をするなぁ……
ともかく、ランドルディア軍砲兵が仕事を始めた。遠雷に似た轟音がクラトンリーネの盆地に響き渡り、吐き出された炸裂弾が高地や丘陵に降り注ぎ、クローバーなどの緑葉を吹き飛ばして土砂を巻き上げる。
試射を確認した砲兵達が効力射を開始。
砲弾の雨を叩き詰められた高地が沸騰する水面のように泡立つ。高地と丘陵に広がっていた緑の海が鉄と炸薬に引き裂かれていき、いくつもの砲撃孔が穿たれ、焼け焦げた地肌とまき散らされた土砂に塗れ、雨と攪拌されて泥に化ける。いくつかの砲弾が風車を直撃して車翼をへし折り、塔を抉った。
ぼんがぼんがと砲撃が行われる中、ランドルディア軍銃兵の戦列縦隊が高地と丘陵へ歩みを進める。彼らはじきにクレテア軍の砲撃が始まることを知っているため、表情が硬く、足取りも重い。とぼとぼと進みながら少しずつ戦列の幅を広げ、散兵横隊へ切り替えていく。
街道に沿って進む2万の将兵も同様だ。両翼の味方がクレテア軍を引きつけてくれなければ、前方と両翼の三方向から砲弾を浴びることになる。街道はたちまち屠殺場になるだろう。
戦場の両翼でランドルディア軍の砲撃が降り注ぎ続ける中、前進していた銃兵達が高地と丘陵の麓に到着すると、撃たれるままだったクレテア軍陣地の背後が“噴火”した。
ランドルディア軍の火砲より硬く金属的な砲声の大合唱が始まり、ランドルディア銃兵達を押し包むように爆炎の花が咲き乱れる。
着発榴弾や炸裂弾とはいえ、砲弾の暴露目標に対する殺傷力は小銃や機関銃の比ではない。ましてや目標が隊形運動を取っているとなれば、一発の砲弾で分隊や小隊、下手をすれば中隊を戮殺せしめる。
爆炎と爆煙と粉塵と血煙が踊り、土砂と血飛沫と肉片が舞う。大地に倒れて人生を終える者。生と死の狭間を行き来する者達が朦朧と母や恋人の名を呼び、神に救いを求める。死神の手から逃れた者達が耐え難き苦痛に絶叫する。
ランドルディア銃兵達が次々と肉と土の混合物に化け、虫の餌になるか、塩気が強い肥料となっていくが、それでも歩みを止めることもなければ、踵を返すこともない。雨と血でぬかるんだ泥を踏み越え、仲間の屍をまたいで進む。
誉れ高きランドルディア軍は怯懦の汚名を持たない。まあ、そもそも逃げ出せば、将校や下士官にすぐさま殺されるのだが。
高地と丘陵の緩斜面を進むランドルディア銃兵の前衛が中腹を過ぎると、誤射を防ぐためにランドルディア軍の支援砲撃が止む。むろん、クレテア砲兵はランドルディア側の事情など斟酌せず、砲撃を浴びせ続ける。
雨に濡れ、戦友達の血と撥ねた泥と砲撃の煤煙に塗れ、顔も体も美しかった軍服も黒々と汚れたランドルディア兵達が速歩前進に切り替えた。
と、同じく砲撃が止んだことを確認した高地と丘陵のクレテア兵達が、塹壕や掩体の底から身を起こす。数学的確率論による犠牲は出たものの、身を隠していたクレテア兵の被害は少ない。
鍛え上げられたクレテア兵達は死の恐怖に晒されながらも、パニックを起こすことなく、訓練通りに迎撃の準備を始める。銃兵達は土砂や泥に汚れた単発銃の遊底駆動部を手や軍服で拭い、安全装置を解除して構えた。手動式機関銃を扱う者達が機関銃に異常がないか確認。給弾手が弾薬箱から30連保弾板を一枚取り出し、装填口へ差し込む。擲弾銃班が先込め式擲弾銃へ擲弾を送り込み、射撃準備を整えた。
クレテア兵達が歓迎の用意を終えた時、ランドルディア兵達の先頭と距離はまだ200メートル以上離れていたが、
「打ち方ぁ、始めぇっ!!」
各中隊の指揮官達が指揮棒代わりに軍刀を振るい、あるいは、スターターの代わりに拳銃を撃った。
高地と丘陵のクレテア軍陣地が見事なまでの統制射撃を行う。
金属薬莢弾薬と遊底式薬室の組み合わせは高い密閉性を発揮し、魔晶炸薬の励起反応エネルギーを高密度で蛋形弾頭へ集中させ、薬莢口から銃身へ射出する。高い運動エネルギーを付与された口径10ミリ越えの蛋形弾頭は、従来の元込め式単発銃から放たれる椎の実弾頭よりもずっと高い弾道特性を発揮した。
すなわち。斜面を登るランドルディア銃兵達へ数多くの命中弾を与えた。甲高く金属的な銃声の大合唱と共に蛋形弾頭の高初速弾幕は、ランドルディアの最前衛を文字通り薙ぎ払う。
クレテア銃兵達の統制射撃の間隙を補うように、手動式機関銃の演奏が始まる。各中隊に一丁ずつ配備された機関銃は、啄木鳥が樹木を突くようなテンポで弾丸を吐き続けた。保弾板の弾数はわずか30発。連射速度も現代地球の機関銃に比べれば、暢気なほど遅い。
それでも、単発銃が主力のこの時代、隊形戦術を取るランドルディア軍にとっては死の音色であり、機関銃は文字通り殺人機械だった。
統制射撃を生き延びた者も機関銃に射抜かれ、それすらも潜り抜けた幸運者は擲弾で狙われて吹き飛ばされた。
高地も丘陵も鉄風雷火が吹き荒れ、砲煙弾雨に荒れ狂う。砲声と銃声。爆発音。悲鳴と怒号と断末魔。人類史で繰り返されてきた戦争交響曲がクラトンリーネに響き渡っている。銃弾と砲弾は生者を薙ぎ倒し、死者を打ち砕く。撒き散らされる血肉が雨と混じり、斜面を流れていく泥水が赤黒い。
あまりの損害の大きさにランドルディア軍の両翼は挫け、いったん後退を始めた。
まだ戦いは始まったばかりだ。
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戦場の両翼でランドルディア軍が下がった頃、幹線道路を進むランドルディア軍中央部隊は意外なほど順調に押し込んでいた。
幹線道路のクレテア軍は大隊規模の前哨部隊で、ランドルディア中央部隊の前衛と小競り合いした後、速やかに後退した。
「誘い込まれているのではないか?」
そんな不安もあった。このまま両翼が押さえられている中、中央だけ突出してしまうことは軍事的に危うい。
「何が危ういものか」と司令部で強硬案を訴えた将官が吠える。
「このまま幹線道路を進められるならば、クレテア軍の両翼を孤立させるだけだ。如何に強力な火器で武装していようと弾薬には限界があろう。後は肉弾を持って押し潰すのみっ!」
懸念していた事態になった、と軍務大臣は額を抑えた。
この一戦だけで決着がつくなら将官のやり方でも良いだろう。だが、この会戦は全体の一場面に過ぎない。クレテア東部軍にはまだ7万もの大軍が残っており、連合の諸国軍は国境の向こうで遊んでいる。我々は手持ちの5万を失ったら撤退するしかない。
「両翼に配している騎兵を動かそう」と別の将官が言った。「このままでは銃兵の損害が大きすぎる。騎兵で両翼の裏へ回り、塹壕陣地の背中を突くなり砲兵陣地を叩くなりした方が良い」
「もしくは翼竜騎兵を投入して空から叩くか、だな。本陣上空の守りなど気にしている場合ではない。このままでは戦力が溶けてしまう」
ユリウス5世は将官達のやりとりを聞いていなかった。
司令部前に据えられた大きな双眼鏡を通じ、両翼の惨劇を目の当たりにして酷いショックを受けていた。
ユリウス5世にとって戦争とはチェスのようなものだ。
戦場という遊戯盤の上で駒の諸部隊を動かし、ぶつけ合うものだ。
勇敢な戦列歩兵が対峙し合い、銃火を交え、銃剣で決着をつけるものだ。
勇気と信念の相剋。剣によって正義を為すものだ。
だが、今しがたユリウス5世が目にしたクレテア軍の戦い方は、ただ鉄と炸薬をひたすらに叩き込み、効率よく敵の戦力を破壊する作業に過ぎなかった。
「あんなものが、あんなものが戦であって堪るか……っ!」
蒼い顔をしたユリウス5世が呻くように呟く。
クラトンリーネの会戦はまだ中盤にも入っていない。




