19:0:共通暦1781年における白獅子財閥流の戦争商売
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メディア・コントロールの例として、普仏戦争の主因となったエムス電報事件を挙げる。
当時、空位になったスペイン王の座を巡り、フランスとプロイセンが揉めていた。
そんな時勢の中、保養地エムスの別荘に滞在していたプロイセン王ヴィルヘルム一世の許へ、フランス大使が押し掛け、スペイン王継承の件で話し合いを申し込み、ちょっとしたいざこざが生じた。
ヴィルヘルム1世はエムスから『フランス大使がちょっと無礼だったから追い返した(超意訳)』といった旨の電報をビスマルクの許へ送り、後始末云々を任せた。
電報を受けとった超有能宰相ビスマルクは、瞬時にこの電報を利用して対フランス戦争計画を立案、実行する。
この時、ビスマルクの目的はフランスの打倒ではなかった。ドイツ統一論者のビスマルクは、フランスを敵としてドイツ諸邦を糾合。近代帝国の建国を企図したのだ。
余談ながら、ビスマルクは同席していた超絶有能軍人モルトケに『フランス相手に戦争してイケる(大丈夫)?』と尋ね、モルトケは『イケます(勝てます)』と応じたという。
そして、ビスマルクはほとんどアドリブながら完璧な仕事をした。
受け取った電報の文言を書き換えることなく、ドイツ人にはフランスが侮辱したように、フランス人にはドイツが侮辱したように、そう読み取れるようほんの少しだけ文面の印象を変え、各国大使館や外務省、メディアに向けて電報内容を公表した。
これだけ。
たったこれだけのことでドイツとフランス、両国民は互いに激憤して戦争へ突っ走った。性悪で腹黒なイギリスすらビスマルクの工作に気付かなかった。
ビスマルクの狙い通り、プロイセン王国を中核にドイツ諸邦は結集。普仏戦争後に渇望していたドイツ帝国が誕生する。
メディア・コントロールのお手本とさえ言える仕事だ。
このように、ビスマルクの大目標は開戦段階で達成されていた。普仏戦争そのものはオマケに過ぎない。そもそも普仏戦争とは先述したように、電報の内容を巡って起きた、馬鹿馬鹿しい戦争なのだから。適当に銃火を交え、事の背景たるスペイン王位の件で上手く妥協が成れば、片が付く。
という見込みだったはずだ、ビスマルクの政治感覚的に。
結果は歴史が語るように、モルトケが指揮するプロイセン軍が短期間に完勝を収め、フランス第二帝政が崩壊。この屈辱的な大敗によってフランスはドイツを怨敵と定め、後の第一次大戦の遠因になってしまった……
話を戻そう。
メディア・コントロールは経済活動でも有効である。
三井と住友が新聞で民衆を煽り、鈴木商店を焼き討ちさせたことは有名な話だ。オイルショックのデマゴーグでトイレットペーパー騒動が起きた例は、テレビ番組で紹介された食品が次の日にスーパーの商品棚から消える事例の走りと言えよう。
かくもマスメディアのもたらす影響はすさまじい。
NBAの有名選手ステフィン・カリーと契約したアンダーアーマー社の売り上げと株価が爆上がりした事例は、メディアへ影響力のある人間がどれほど経済的価値を持つか、という好例だ。
情報の価値を知り、情報戦の重要性を知る前世持ちのヴィルミーナが、策として使わぬ道理が無かった。
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大陸共通暦1781年:ベルネシア王国暦264年:初夏。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム
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戦争を起こす。
そう決断した段階で、ヴィルミーナはメディア・コントロールによる開戦工作の検討を始めていた。
白獅子財閥はデルフィネ・デア・ホーレンダイムというベルネシアで指折りの歌姫を抱えている。貴族界に対する“外交官”で、文化事業や慈善事業、広報事業を担う白獅子の顔だ。
ヴィルミーナは白獅子の明るい面、綺麗な面をデルフィネに担わせてきた。
ベルネシア戦役で深く傷ついたデルフィネに必要なことだったし、デルフィネの美貌と勝気さ――昇華されて社会への利他的慈愛や慈善になった――は社会貢献に相応しかった。
であるから、メディア・コントロールの開戦工作にデルフィネを広告塔として使えない。一度イエロージャーナリズムに汚れたらその印象が拭えなくなる。
『白獅子の顔』というデルフィネのイメージは、これまでデルフィネが汗と涙を流して築いてきた財産だ。“こんなこと”で損なわせられない。
しかし、メディア・コントロールはメディアの前に立つ広告塔が必要で、しかも広報に慣れた人間でなければ、難しい。事業を手掛けることとは違った経験や見識が求められる。
デルフィネの片腕として補佐し、時に自らが主導となっていたリアなら、安心して任せられるだろう。
だが――
リアも大事な身内や。デルフィの親友で私の親友でもある。大切な“姉妹”に汚名を被るような仕事はやらせられへん。
どちらか一方を使わなければならない。どちらか一方を使い捨てねばならない。デルフィネかリアか。
そんな選択、クソくらえや。
ではどうする。“商事”に任せるか? 白獅子の暗部を担う彼らなら、この汚れ仕事も請け負ってくれるだろう。だが、日頃から影働きで危険な仕事に命を賭している彼らに、このような歴史に不名誉を刻むような役割を与えて良いものか。
ダメや。忠誠と献身に甘えるような真似はあかん。至誠には誠心で応えな、裏切りの芽が生える。
ヴィルミーナの冷酷な部分が答えを出す。
使い捨てられる人間を用意するか。いや、今後も同じような工作をするかもしれへん。この機会にいつでも煮られる走狗を何匹か飼っとくか。
「メリーナ」
ヴィルミーナは御付き侍女メリーナを呼び、命じる。
「小街区社屋へ人をやってデルフィネとリアを呼んで。それから“商事”にゲタルスを寄こすように連絡してちょうだい」
○
身体作用系魔導術と同様、精神作用系魔導術も存在する。
多くの技術が戦いのために生まれたように、精神作用系も戦士達を高揚させ、狂奔させ、戦いへ駆り立てるための手段として生まれ、やがて陰謀や悪事の手管として用いられた。
身体作用系魔導術がドンパチチャンバラから肉体労働や医療介護の現場まで幅広く普及したことに対し、精神作用系はほとんど普及していない。
意識を乗っ取って操るとか、自白させるとか、発狂させるとか、思考を誘導するとか、そんな悪用されたらシャレにならないものを、権力者や世間が容認するはずもなかった。
精神作用系魔導術は権力や法で厳しく制限され、違反すれば問答無用で首チョンパ。古今東西、どこの国でもそこまで対策していた。だってあまりに危ないから。
また、対抗手段や対策手法が徹底的に研究された結果、精神作用系は様々な方法で無効化が可能になっていた。
なので、魔導技術文明世界の現状はよほどの権威を背景にしているか、掛け値なしのバカでもない限り、精神作用系魔導術は使わない。
このため、“強制的”な情報取得手段は伝統的手法に因っていた。
能書きはこの辺にして、そろそろ本題に入ろう。
聡明なる読者諸賢はウォーターボーディング、水板責めという拷問を御存じだろうか。
仰向けに寝転がされた囚人の顔に保水性の高い布を被せ、水を浴びせるだけ。お手軽に溺水体験を味わえる“人道的”強度尋問だ。
ヴィルミーナが戦争計画を練っている頃、民間軍事会社『デ・ズワルト・アイギス』の施設にて、その人道的強度尋問が行われていた。
ベンチに括りつけられた50男は、意識が茫洋としている。
最初にたらふく水を飲まされた後、顔に布を被せられたうえで、キンキンの冷水で水板責めを受け続けた。長く冷水を浴び続けたため、顔は土気色で唇が真っ青だ。
意識が飛びかける度、雷系魔導術のショックを加えられ、水っ腹のおかげで胃袋の中までビリビリ。その苦しさは『口から胃袋を吐き出しそうなほど』に凄まじい。
男がペラを回すまでに掛かった時間はわずか3分47秒だったが、尋問は執拗に繰り返されて3時間32分54秒の間、水板責めが続けられた。
ベンチに括りつけられた50男は今や半ば意識が飛び、ぶるぶると全身を震えさせている。体が冷えているからではない。拷問、おっと間違えた、人道的強度尋問のショックにより、精神的自失状態+肉体が衰弱して痙攣を起こしている“だけ”だ。
安物のイスに座って尋問に立ち会っていたエステルもまた、別の意味で顔を青くし、指先を震えさせていた。
拷問の様子に慄いたからではない。50男の自白内容が衝撃的だったからだ。
順を追って説明する。
アンジェロ事件後、エステルは“商事”と協力してヴィルミーナの移動ルートや警備情報を漏らしたであろう裏切り者を特定すべく、内部調査を行った。
結果、民間軍事会社にも王妹大公家護衛衆にも裏切り者はいなかった。現場要員にも支援要員も、社内の要職にいる者も。
では、どこから情報が漏れた? 誰から情報が漏れた?
答えは清掃係の50男だった。
本来、清掃係が機密に触れる機会は皆無だ。しかし、現実にはオフィス内で何気なく処分されるゴミに、重要書類の下書きやらメモやらが含まれていることが少なくなかった。
ベルモンテ工作官達は民間軍事会社と護衛衆の“固さ”から、買収や脅迫による取り込みを諦め、清掃係を使って情報を盗み出そうとした。
ところが、接触を受けた清掃係の50男は『盗み出すまでもない』と応じ、こう告げたという。
『総帥の移動ルートのパターンや警備体制はこの10年、変更されてない。廃棄書類を見る限り、変更案が出されたこともない』
ヴィルミーナの移動ルートや警備体制は完璧さを求めるあまり、酷く固定化していて10年以上変更が無かった。
これはヴィルミーナやエステル達が抜けている、という話にはならない。現代地球の銀行や現金輸送車などの警備と同じく“内部情報が洩れなければ問題ない”からだ(だから、銀行や現金輸送車が襲われる案件では、当局はまず内部協力者を疑う)。
別視点では、この10年間はヴィルミーナと側近衆が結婚と出産など、いろいろ落ち着かない期間だった。これも警備体制の固着化を招いた要因だった。
それに、エステルの立場で、ゴミの処理方法まで指示出しすることはまずありえない。
ヴィルミーナだって気付かなかった。シュレッダーのゴミすら再現して情報を漁る現代地球の諜報業界ならともかく、魔導技術文明世界の中近代の現状で、そこまでの情報防衛が必要とは考えていなかった。
そもそも、ベルモンテだってゴミ漁りをする気はなく、清掃員を使って情報を“盗み出す”つもりだったのだから。
50男にしても、組織を裏切る自覚すらなかった。清掃係の賃金と自分の年齢を鑑み、将来を想像しただけだ。老後が脳裏をよぎった彼に、情報を漏らさない理由はなかった。
この事態は『不幸な偶然』が積み重なった末、と言えるかもしれない。
まあ、エステルには何の慰めにもならないけれども。
掃除夫“如き”に最重要情報を暴露されたこともそうだし、自分達が完璧と思っていた警備システムが斯くも脆かった事実を突きつけられた。
--なんという大失態。なんという不面目。なんという無様。ヴィーナ様や皆に合わせる顔が無い……
酷く動揺したエステルは、顔を覆ってうずくまってしまう。
「エステル様。顔をお上げくださいませ。名誉挽回の機会はすぐに訪れます」
ド・シュヴラン家令嬢時代から侍る専属秘書が、柔らかな声で告げた。
「その機会をいただけると思うの? これほど重大な失態を犯して。引責辞任の機会も許されず、懲罰解雇を告げられてもおかしくないのよ? もしかしたら、もしかしたら側近衆から追放されるかもしれない」
蒼白な顔で呻くエステルへ、秘書は励ますように言葉を紡ぐ。
「なればこそです。なればこそ、汚名を雪ぎ、誉れを取り戻すべく立ち上がりなさいませ。ヴィルミーナ様はこのような時こそ起つ者を尊ばれるはずです」
秘書の言葉がエステルの琴線に触れ、双眸に力が宿らせた。
「そう、ね。そうよ。そうだわ。この職を辞めることも白獅子を追い出されることも耐えられる。でも、ヴィーナ様に失望され、姉妹と呼んでいただけなくなることだけは、絶対に嫌」
椅子を蹴倒すように立ち上がり、エステルは矢継ぎ早に命令を飛ばす。
「証言内容を大至急に文書化しなさい。証言内容に基づき、社内の情報管理体制を全て見直す。そのための作業計画を起こして。もちろん、地中海有事の計画改定も滞らせるな」
「このドブネズミはどうします? バラバラにしますか?」と民間軍事会社の社員が凶暴な顔つきで問う。彼は襲撃事件の際に友人を亡くしていた。
エステルは人間味の欠片もない目つきで50男を一瞥し、告げる。
「まだ生かしておけ。バラバラにするくらいでは済まさない」
○
初夏の雨日。ぱらぱらとぬるい雨粒が降り注ぐ昼下がり。
レーヴレヒト・デア・レンデルバッハ=クライフ少佐は狩りを終えて帰宅した。
子供達を抱きしめて御土産を渡し、はしゃぐ愛犬達を撫で倒し、義母に挨拶をしてから、部屋にこもっているという妻の許へ向かう。
「食事はきちんと摂っているし、子供達やユーフェリア様とも過ごしているんでしょう?」
「ええ。でも、事件前に比べたらそれらの時間がとても少なくて……」
御付き侍女メリーナが心配そうに俯く。
「なら、表に引っ張り出しますか。テラスに御茶の用意をしてもらえます? 小雨ですし、庇の下なら問題ないでしょうから」
「畏まりました。すぐに御用意します」
メリーナはレーヴレヒトへ恭しく一礼し、足早に厨房へ向かっていった。
レーヴレヒトは荷物を担ぎ直し、ヴィルミーナの書斎へ向かう。レーヴレヒトの立場なら荷物を家人に持たせて然るべきだが、私物の軍用装備を含めた荷物だから自分で運ぶ。レーヴレヒトは武器を他人に預けない。
書斎のドアをノックし、『どうぞ』と固い声が返ってくる。
機嫌は良くない。でも、声の調子から察するに”最悪”ではない。
レーヴレヒトはドアを開け、書斎に足を踏み入れた。床のあちこちに書類や書籍が並べられ、高価な執務机の傍には大きな掲示板が置かれていて、コルヴォラント半島の地図が貼られていた。なかなかにキているようだが、“良い傾向”だと夫は妻の心理状態を図る。
愛する妻は戦う人間だ。戦う人間が戦いに勤しむなら、それは平常運転だろう。ベルセルクが戦わずに花壇をこさえていたら、それこそ異常事態だ。
ヴィルミーナは入室したレーヴレヒトに目もくれず、ソファの上で胡坐を掻き、じっと地図を睨んでいる。
「ただいま、ヴィーナ」
「御帰り、レヴ」
ヴィルミーナは腰を上げるどころか、地図を睨んだまま応じた。
「ハグもキスも無しかい?」
レーヴレヒトはぼやきながら室内を進み、ソファの脇に荷物を下ろしてから、ヴィルミーナの隣へ座る。
「どういう悪企み?」
「戦争を起こす」
ヴィルミーナはレーヴレヒトへ目も向けず、さらりと応じた。
「大事だな」
どうでも良さそうに言い、レーヴレヒトはヴィルミーナを抱き寄せた。
「今忙しいんだけど」
ムッとした顔を向けてきた愛妻へ、レーヴレヒトは微苦笑を返す。
「ようやくこっちを見てくれた」
ヴィルミーナは目を瞬かせてから大きく息を吐き、体の力を抜いてレーヴレヒトに身を預ける。バツの悪そうに小声で告げた。
「……ごめん。お帰りなさい、レヴ。無事に帰ってきてくれて嬉しい」
「気にしなくていいよ」
レーヴレヒトはヴィルミーナを抱擁し直し、薄茶色の髪に顔を埋め、最愛の女の匂いを肺一杯に吸い込む。
「仕留めたの?」
ヴィルミーナが問う。冷たい目つきで。冷たい声で。
「ああ」レーヴレヒトは表の天気を告げるように「“同じ目に遭わせた”」
ヴィルミーナはしばし瞑目し、ちっとも気が晴れていない顔で応じる。
「ありがとう」
「どういたしまして」とレーヴレヒトは返し「外で一息入れよう。メリーナさんに御茶を用意して貰ってるんだ」
「そんなことしてる暇はない」ヴィルミーナは怪訝そうに「そもそも雨が降ってるわ」
「雨の庭を眺めながら御茶を楽しむのもオツだろう? それに、部屋にこもっていて良い考えが浮かんだか?」
見透かしたようにのたまうレーヴレヒトに、ヴィルミーナは眉間に皺を刻み、苛立たしげに吐き捨てる。
「……生意気な“小僧”め」
「どうしても嫌だって言うなら」レーヴレヒトはヴィルミーナの首元に鼻先を擦りつけ「このまま君を押し倒す。実のところ早く君を抱きたくて仕方ない」
「どういう交換条件よ」
ヴィルミーナはげんなり顔でレーヴレヒトの胸を押して身を放し、腰を上げた。
「御茶に行くわよ。乳繰り合うより短く済みそうだから」
「そっちの言い草もどうかと思うなあ」
“お誘い”を袖にされ、レーヴレヒトは残念そうに肩を竦めた。
北洋沿岸の初夏、その雨天は仄かに肌寒い。
ぱらぱらと降り注ぐ雨を浴びる初夏の新緑が艶めかしい。夏花から滴る雨粒が色っぽい。様々な雨音――テラスの庇を叩く音色、水溜まりを騒がせる音色、植木を歌わせる音色、雨樋を流れていく音色――の静かで豊かな雨の調べ。
雨雲の広がる空と濡れる庭園の情景。淹れたての珈琲が薫る。真っ黒な水面に垂らされたミルクが白いマーブル模様を描き、加えられた花蜜の甘い匂いが鼻をくすぐった。
黒と赤のカジュアルドレスに白いショールを肩に羽織ったヴィルミーナは、熱い珈琲を口へ運び、ほ、と息を吐く。情感たっぷりに呟いた。
「美味しい。ありがとう、メリーナ」
シンプルな賛辞に微笑みを返し、メリーナは一礼してテラスの出入り口へ下がる。
最も信用して信頼する人間と二人きりになったヴィルミーナは、温かなカップを両手で持ちながら夫へ問う。
「私が戦争を起こすことに反対しないの?」
「そうだな」
雨に濡れる庭を眺めながら、レーヴレヒトは珈琲を一口飲み、
「大勢死ぬ。アンジェロのような子供もたくさん死ぬ。親を失う孤児が山ほど生じ、困窮して野垂れ死んだり、悲惨な人生を歩んだりすることになる」
無情動に言った。
「だが、それは君と君の財閥が“既にやってきたこと”だ」
無機質な声色は非難でも批判でもなく、単に事実を突きつけただけ。それだけに、一切の言い訳を許さない峻厳さと冷厳さを持って、ヴィルミーナの心を深く貫く。
ヴィルミーナはカップを両手で包むように持ったまま、何も言わずにレーヴレヒトの言葉を聞いていた。ある意味で自身の『罪』を糾弾されているようなものだが、表情を一切変えることなくただ耳を傾ける。普段呆れるほど百面相をするのに。
代わりにというのもおかしいけれど、レーヴレヒトの声が届いたのか、テラス出入り口に控えていたメリーナが、顔を赤くしたり蒼くしたりしている。
「君が組織を拡大し再編し隆盛させていく過程で、大勢が職を失い、困窮した。中には自身だけでなく一家で首を括った者もいるだろう。路頭に迷って残酷な人生を歩んでいる者もいるはずだ。
君がフルツレーテンの医療行政を破綻させた時、その結果として命を落とした者もいるだろう。
ベルネシア戦役の大規模仕手戦やその後の経済攻勢で、クレテアの女子供がどれほど無惨な目に遭ったか、想像もつかない」
ソルニオル公事変の時、ヴィルミーナの決断から自身が負傷し、戦友が死傷したことには触れない。聡明な彼はここで“誤解”を招くような例を用いない。
事実を並べ終え、レーヴレヒトは尋ねた。一切の情動もなく機械的に。
「君は無自覚だったか? 自分のしてきたことに」
ヴィルミーナは首を横に振る。
指摘されたことは全て自覚している。一度だって目を背けたことは無いし、耳を塞いだこともない。
”全てを踏まえたうえで”やり遂げてきたのだ。
ああ、せや。私はとっくに死体の山の上に立っとる。剣や銃で殺しとらんだけや。男も女も子供も老人も貧困の地獄に蹴り落として、涙の一滴、血の一滴まで搾り取ってきた。今更”戦争如き”でイモ引く理由にもならんわ。
せやけど……
「私の所業でレヴや子供達が誹謗中傷を受けるかもしれない」
ウィレムやヒューゴやジゼルが傷つくようなことがあったら、あの子達が私を恨むようになったら……とても耐えられへん。
強い不安を抱くヴィルミーナへ、
「そんなことで悩んでたのか。誹謗中傷を受けないよう必要なことをすればいい。そのために慈善事業を行って人心の宣撫と慰撫に努めてきたんだろう? 部屋に引きこもり過ぎて鈍ったんじゃないか?」
レーヴレヒトはさらりと笑い飛ばす。
こいつ、私好みの良い男になりよってからに。
ヴィルミーナはカップを置いた。仰々しい不満顔を作ってレーヴレヒトを睨む。
「傷心の妻を散々に責めて。覚えてなさい。今夜はいじめ倒してやるから」
お手柔らかに、と微苦笑を湛えてから、レーヴレヒトは雨を浴びる庭へ視線を向けた。
「三国協議は長引いているそうだ。王国府もクレテアも妥決条件をかなりゴネてる。恣意的な時間稼ぎの臭いがするが……君が手を打ったのかい?」
「違う。王国府の方は姉妹達が動いたか、私や白獅子に親い人間が動いてくれてるのかもね。クレテアの方は心当たりがないけど……」
ヴィルミーナの脳裏に小太りの青年王や道化染みた大蔵相が横切る。
貸しのつもりか? なら、さっさと返さないと利子が高くなりそうやな。
密やかに舌打ちしてから、ヴィルミーナはドレスの懐から手帳を取り出し、挟んであった地図を卓上に広げる。
「私のために知恵をお貸し」
「コルヴォラントの地図か。どんな知恵をお召しかな?」
答えを知っているような顔のレーヴレヒトに、ヴィルミーナは夫が予想した通りの回答を口にした。
「戦争を起こす方法」
紺碧色の眼はまるで爬虫類のようだった。




