閑話25:王太子夫妻は斯く悩めり
大変お待たせしました。難産でござった。
ベルネシア王国にとって、アンジェロ事件はベルモンテやクレテアとの外交問題であると同時に、怪物の取り扱い問題だった。
王妹大公家嫡女ヴィルミーナは莫大な資産と国債38パーセントを保有し、国際的権益と多種多様な独自技術を持つ企業財閥の総帥である。そんなヴィルミーナが仮に命を落とせば、国債38パーセントがどう扱われるか分からず、ヴィルミーナ亡き後の財閥が分裂して国際的権益と独自技術が流出しかねない。いずれにせよ国家的な混乱と損失を招くだろう。
超富裕層がそれなりにいるベルネシアでも、これほど一個人の命が経済に影響を及ぼす例は存在しない。国王カレル3世が死んでも、ここまでの危険が生じることはなかった(むろん、国王の命がヴィルミーナより軽いわけではない)。
“若い家”で新興財閥が故に、王妹大公家にも白獅子財閥にも“安全装置”が無かった。
ベルネシアの統治機構である王国府は、この問題を無視できない。目を瞑るには問題が大きすぎる。
王家も親戚の情理は抜きにして、強大な個であるヴィルミーナを弱体化することは価値が大きい。拡大増大肥大した傍流など嫡流本家からすれば、懸念と疑念を招く危険物だ。
クレテア王家が傍流サレルアン公爵家と玉座を巡る暗闘を重ねているように、ベルネシア王制もまた玉座を巡る血の暗闘は存在する(絶対王制化されているからこそ、玉座の権力を求める輩は決して絶えない)。
また、ハイスターカンプ公家とホーレンダイム候家が王女の降嫁を巡って争い、怨讐を抱えているような例だってある。
さて、読者の方々には王国府や王家の視点に立ってほしい。
彼らの視点に立ったうえでヴィルミーナとその業績を見て見よう。
魔導技術文明世界近代の人間には理解の及ばない発想や識見。冷たい合理と温かな情理を併せ持ち、莫大な金と強靭な組織を駆使して経済界を跳梁し、政界を跋扈する。何より大勢の人間をがんがん牽引して突っ走るその強力な指導力と統制力。
幼少時から市場で暴れたり商売を始めたり、フルツレーテン公国をいたぶったり。ベルネシア戦役では大規模仕手戦でクレテア財政の背骨をへし折った。王と宰相を通じてイストリアに耳打ちして協働商業経済圏や統一規格構想を囁きかけ、サンローラン協定ではカロルレンの段階征服案を提唱。聖冠連合相手に非合法作戦実施の合意を取り付け、経済特区の利権を掠め取っている。第一次東メーヴラント戦争後は、しれっとマキラ大沼沢地という資源地帯を財閥で囲い込んだ。今やベルネシア産業革命の推進者で牽引者で中核者。
このように商業経済と外交において、既に巨大な実績を上げている。国政に関しても、王都小街区建設やクレーユベーレ市開発を成功させ、社会的弱者層の救済などの功績がある。
軍と軍需産業と昵懇であり、さらには強力な民間軍事会社を保有している。
自らが玉座に座ることは難しいものの、自身が座らずとも自身の子供をエドワードの子供と婚姻させれば……。
そして、繰り返しになるが、これらの諸問題に加え、現段階でヴィルミーナが命を落とした場合、その保有する“力”がどんな大爆発を起こすか分からない。
たまげたなぁ……(動揺)。なんなんだこの女は(戦慄)。
王家や王国府が客観視すれば、ヴィルミーナの爪牙を抜き、弱体化を試みることは、当然の道理と言えよう。
しかし、道理が正しいからと言って、正しい結果をもたらすとは限らない。
これも当たり前のことだが、世の中は正論で回って“いない”のだから。
○
大陸共通暦1781年:ベルネシア王国暦264年:晩春と初夏の狭間。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム
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国王カレル3世と王国府がヴィルミーナの弱体化を試みていると聞いた時、ヴィルミーナと所縁深い王太子夫妻は目を剥いた。
2人は揃って『不味い』と即座に理解したのだ。
『王太子のOO7』たる近侍カイ・デア・ロイテールから『ヴィルミーナ様も夫君も側近衆も相当に“キ”てます。ヤバいです』と報告を受けていた。
王太子夫妻は揃って背筋に冷たいものを覚える。
エドワードはヴィルミーナをチビの頃から知っている。いとこだから。
グウェンドリンはヴィルミーナをチビの頃からよーく知っている。幼馴染でライバルと見做してきたから。
ヴィルミーナは幼い頃から隔絶した存在だった。その事実はヴィルミーナを嫌悪し、憎悪する者達すら認めざるを得ない。であるからこそ、ヴィルミーナを嫌う者達は敵対より疎遠を選ぶ。怪物へ石を投げた結果、炎の吐息を浴びせられては堪らない。
必要なら殺し屋を送り込むことさえ辞さない武装商人達や、汚れ仕事にも長けた古豪大資本家達すら、避けて通る怪物。
その怪物の爪牙を抜き、首輪と枷を付け、鎖につないで檻へ閉じ込める? しかも、怪物が心身共に傷ついて最も怒り狂っている時に、よりによって身内の王家がその背中へ槍を突きつける?
エドワードは思わず身を震わせる。グウェンドリンはその端正な顔を蒼白に染める。
幼い頃からヴィルミーナと“対等に”過ごしてきた2人はよく知っていた。
ヴィルミーナは感情表現が豊かで喜怒哀楽を野放図なほど露わにする。相手に心理の機微や胸中、腹蔵を読まれぬよう努める、なんて真似は一切しない。
しかし、これは心理的無防備でも無警戒でも考え無しの振る舞いでも無い。ヴィルミーナは自分の感情を晒し、相手がどう受け止めるか、どう読み取り、どう認識するかを正確に見抜く。
2人はヴィルミーナが怒る様を幾度も見た。感情表現豊かなヴィルミーナは喜怒哀楽を隠さない。ポーカーフェイスで感情の機微を読まれないように努める、なんて真似はしない。
感情を隠して相手の考えを探り合うことが受動的心理戦なら、ヴィルミーナは積極的感情を晒して相手の思考や心理を誘導する能動的心理戦の巧者だ。
ゆえに、ヴィルミーナは本気で怒り狂っている最中にあっても、最も冷静で冷徹で冷酷な部分で周囲を観察しているはずだ。
心身が傷ついた自分に誰がどう振る舞い、どう動くか。紺碧色の瞳でじっと窺っているはずだ。
そして、ヴィルミーナの身内たる2人すらも分からないことがあった。
「これまで、ヴィーナが身内を切った例はない。無かったよな?」
「ええ。ありません」
夫が確認するように問うたことへ、グウェンドリンは首を縦に振った。
「財閥社員を整理したことや、戦死した遺族へ縁切りを宣言したことはありますが、本当の意味で身内を粛清したことはありません」
“本当に”怒り狂ったヴィルミーナが敵と見做した人間へ、“どこまで”やるか。あるいは、自分を見限った、裏切った身内に対して“何を”するか。
誰も知らないのだ。
これまで、ヴィルミーナを裏切ったり見限ったりした身内はいない。どんな危機的状況になっても、ヴィルミーナは決して倒れなかった。つまずいても転ぶことは無かった。苦境にあっても最終的に勝利し、敗北しても上手に負けてきた。
このため、ヴィルミーナを裏切る意味も見限る意義もなかった。身内は身の振り方を案じる必要もなかった。
だが、アンジェロ事件によってヴィルミーナの置かれた状況は極めて厳しい。政治的問題はもちろん、財閥の事業的にも。
白獅子の根幹を支える希少金属資源は聖冠連合帝国産の比重が大きい。それを支えているのは、地中海貿易だ。ベルモンテの要求が通れば、白獅子は現状の生死をベルモンテに握られる。中長期的な対策は可能でも、短期的致命傷に至りかねない。
この状況では、ヴィルミーナを裏切る者、見限る者が出ることは充分にあり得る。
ヴィルミーナなら、悪意からではなく利害と打算から裏切り、見限る者を許容するかもしれない。古今、転落した権力者に最後まで付き従う者は少ないから。
しかし、自身を裏切り、見限った挙句、害まで加えてくる者をヴィルミーナが許容するだろうか。全てを奪われることを『仕方ない』と諦観と達観を抱いて許諾するだろうか。
「ありえない」
グウェンドリンが吐き気をこらえるように口元を覆い、呟く。
「今、この状況で自身を裏切ること、見限ることを受け入れても、もう二度と身内とは見做さない。ましてや、攻撃してくる者を甘受するなど、絶対にありえない」
「そうだ。ありえない」
エドワードは胃痛を抑えるように腹を押さえながら言った。
「俺達には二つの選択肢しかない。ヴィーナを助けるか。ヴィーナを確実に仕留めるか」
口に出されたその言葉に、2人はゾッとする。
どちらを選んでも、メリットとデメリットはそれなりに大きい。
前者は語るまでもない。ヴィルミーナはこれまで以上に王太子一家を手厚く扱うだろう。ただし、王妹大公家は強大化していく。ヴィルミーナの手によって。
後者は強大化するだろう王妹大公家を早期に抑え込める。王制上、この価値は大きい。だが、ヴィルミーナは二度と自分達を身内と見做すまい。
グウェンドリンは言った。
「ヴィーナを守るべきです。いえ、守らねばなりません」
その美貌に並ぶ深い青色の双眸は真剣そのもの。
「王妹大公家が大きくなっても、ヴィーナが王家を身内と見做すかぎり、脅威になることはありえません。時が流れてヴィーナが亡くなった後なら、王妹公家が如何に大きくともやりようはあります。ウィレム達は良い子ですが、ヴィーナのような怖さが無い」
王太子妃は次期王妃に相応しい顔つきではっきりと述べる。
「あの子達は怪物ではないし、怪物にはなれない」
「……怪物でなければ、将来的に対処できる、か」
エドワードは金色の髪を掻き上げ、大きく息を吐く。
「一つ気になる。軍だ。なぜヴィーナの擁護に動かない? ヴィーナと軍はかなり関係が深い。戦没者遺族や戦傷者達にとっては大恩人。退役軍人も白獅子には数多く雇用されているし、現役軍人達には重要な天下り先だ。地中海有事を控えているとはいえ、静かすぎる」
「軍は確かにヴィーナと白獅子と気脈を通じておりますが、軍は一枚岩ではありません。王国府内と同じく閥が対立しています」
「詳し……ああ、君の叔父御か」と納得するエドワード。
グウェンドリンの叔父デレク・ハイスターカンプ中将は自身も閥を持つ軍高官だ。
「それに……道理を抜きにしても、ヴィーナは私の大事な友人です。友人の背中を刺したくありません。そんな姿を子供達に見せたくありません」
「俺だってそうさ」
エドワードは心情を吐露したグウェンドリンの手を握る。
王侯貴顕の歴史には子殺し、親殺し、兄弟殺し、親族殺しはいくらでもいるが……親子兄弟すら警戒しなくてはならなかった時代と現在を比しても意味はない。そもそも、エドワードは優しくも哀しい祖母を見て育った。兄弟仲が破綻した父の苦労を見て育った。従弟であるソルニオル公カスパーの告発を鮮明に覚えている。その告発を聞いた時の祖母と父の顔も。
あの悲劇を自分の代でも繰り返す?
否。絶対に否だ。
――エド。貴方はどんな王様になりたいの?
ベルネシア戦役の最中、出征できずに不貞腐れた挙句、いとこへのコンプレックスを吐露した自分に、ヴィルミーナが与えた宿題。
エドワードはベルネシア一美しいと讃えられる妻の肩を抱き、告げた。
「ヴィーナを守るためにどう動くか検討しよう」
○
王太子エドワードの苦悩はいとこの件だけではなかった。
「―――もう一度言ってくれ。ギイがなんだって?」
「あいつ、法王庁封印指定文書に触れているそうで、聖堂騎士が常時張り付いています」
王太子近侍カイ・デア・ロイテールの報告に、王太子エドワードは眉間を押さえた。
「何をやってるんだ……」
「詳細は分かりません。現地協力者も接触できない状況です。ただ、封印指定文書と聖堂騎士を考慮しますと、おそらく失伝魔導術絡みの大量破壊魔導兵器かと思いますが……申し訳ありません。不明です」
ばつが悪そうに後頭部を掻いた後、カイは気を取り直して説明を続ける。
「正直、ギイを連れ戻すためには荒事抜きでは無理です。しかし、相手が法王庁の切り札たる聖堂騎士ではこちらも特殊猟兵を出さざるを得ず、国際問題になります。派遣の大義名分が整うとすれば、法王国を巻き込んでの戦争状態に至った場合のみでしょう」
「建前上でも、損得勘定でも中立を保つだろう。難しいな」
カイの意見を聞き、エドワードは小さく頭を振った。
「しかし、異端と罵られる開明派世俗主義者のベルネシア人を、聖堂騎士の監視付きとはいえ、法王庁がよく封印指定文書に触れさせたな」
「お忘れですか、殿下。あいつはすっかり身を持ち崩していますが、魔導の天才ですよ」
「……つまり要らん時に要らん場所で余計な才気を発揮したわけだ」
「ユーモアに富んだ表現をすればそうですね」
「勘弁してくれ」
エドワードは大袈裟なほど仰々しい嘆息をこぼす。
「ギイがこれほど扱いの面倒な奴になるとは思わなかったな」
「それを言うなら、ユルゲンが子沢山一家のオヤジになることも、マルクが幼妻に振り回されることも、想像の範囲外でしょう」
カイはにやりと口端を曲げ、懐から細巻を取り出してエドワードに勧める。
「子供達が嫌がる」とエドワードは断り、指先に魔導術で小さな火を点し、カイヘ差し出す。
「貴方が善き父親になることは想像していましたが、子煩悩なほどになるとは思っていませんでした」
くすりと微笑み、カイは王太子に火を賜った。
瀟洒で上品な王太子執務室に紫煙が広がっていく。
「そういえば、内々の話ですが」
カイは2人しかいない王太子執務室内を見回し、声を潜めて言った。
「クレテアのアンリ16世が姫をライナール王子殿下に嫁がせる、そんな噂が出ています」
エドワードは吃驚を飲み込み、大きく深呼吸してから問う。
「初耳だぞ。どこの筋からの情報だ?」
「ティルナ・ロンデです」
カイはイストリア連合王国の首都を挙げ、続けた。
「連中は協働商業経済圏成立のおかげでかなりの貿易収支を挙げてますから。此度の事件で協商圏が破綻することを恐れています。我が国とクレテアの関係改善にライナール王子殿下とクレテアのテレーズ王女の縁談を仲介したいと考えているようです」
「強欲な北方蛮族共め」
自身の血の半分がその蛮族という事実を棚に上げ、エドワードは不快げに鼻を鳴らす。
「婚姻同盟を図るなら自分のところの倅を差し出せというんだ。俺はあの好色デブと姻戚になるなんて嫌だぞ」
エドワードは歳下のアンリ16世を強くライバル視している。なんせエドワードが最も評価されたい人々――父カレル3世や宰相ペターゼン、ヴィルミーナから『好色で自儘で傲慢。されど、その知性は辛辣なほどに聡明で怜悧。決して油断してはならない』と“高評価”を得ているから。
「アルトゥール王太子弟殿下がマグダレーナ殿下と御結婚されたことも、影響してるのでしょうね」
ベルネシア王家末弟アルトゥールは結局、聖冠連合帝国皇女マグダレーナと結婚した。政略婚でありながら、両者が想い合う恋愛婚という稀有な例だった。
「マグダか」とエドワードは眉を下げた。
はっきり言えば、弟嫁マグダレーナはある意味で変わり者だ。
結婚に際してあっさりと伝統派から開明派に改宗すると、開明派世俗主義が宗教的制約の乏しい教義であることを利用し、『ずっと着てみたかったのです』と言って、中央域やテュルク系衣装を取り寄せて着たり(中央域の女性用民族礼装は緻密で複雑で洒脱な刺繍が素晴らしい)。
思えば、ヴィルミーナはマグダレーナにも好意的だった。帝国産資源を得易くするための政治的接近ではなく、可愛い弟分の嫁として純粋に可愛がっていた。
は、とエドワードは目を開く。
「聖冠連合帝国の動きは? いや、“クリスティーナ叔母上”の動向は掴んでいるか?」
「クリスティーナ女大公殿下の、ですか?」
カイは訝り、そして、顔色を悪くしていく。
「……少なくとも、クリスティーナ女大公殿下の動向は一切、届いておりません」
「前ソルニオル公家はたしか、コルヴォラント貴族と縁戚があった。そのつながりでコルヴォラント側から接触を受けていたはずだ。なのに、動きが無い? あの権謀術数を縦横無尽に扱う叔母上が静観している? ありえん。既に女妖蜘蛛の如く糸を張り巡らせていると考えるべきだ」
エドワードは真剣な目でカイヘ告げた。
「経済特区と白獅子本社の連絡状況を確認しろ。下手をすると“事”は既に起きているぞ」
○
「先頃、故郷から良い茶が届いたのです。御義姉様にも飲んでいただきたくて」
うふふ、と義妹のマグダレーナ王太子弟夫人が手ずからお茶を淹れる。
メーヴラント人の父とディビアラント人の母を持つ彼女は、黄味の強い栗色の髪に、紺青色の瞳をし、やや色調の柔らかな白肌をしていた。繊細な造形の顔立ちはまだまだ可憐さを濃く残している。
複雑で緻密な刺繍が素晴らしい、中央域の生地を用いた蒼いドレスが良く似合う。
そんなマグダレーナは艶やかなガラスポットを傾け、琥珀色の御茶を華やかなガラスカップへ注ぎ、カップへ桃色の氷糖を落とす。
桃色の氷糖が緩やかに溶けていくと、琥珀色の御茶からリンゴや桃など果物の芳醇な香りが広がり始めた。
「素敵な香り」とグウェンドリンが表情を和らげ「御茶も茶器も素晴らしいわ」
「聖冠連合の逸品、と自慢したいところですけれど、御茶も茶器も宿敵テュルクの産ですの」
ふふ、と楽しげに笑い、マグダレーナは背後に控える自身の御付き侍女――テュルク系女性を一瞥した。主に目線を向けられた侍女は小さく肩を竦めるのみだ。
捉えどころのない女、とはグウェンドリンの背後に控える御付き侍女ヘレンの評。
「どうぞ、御茶請けも召し上がって」
マグダレーナはガラス皿の上に置かれた茶菓子を勧める。
すり潰した茹でジャガイモの生地にチーズクリームを入れて団子状にし、ナッツを塗したディビアラントの菓子だった。
勧めに従い、グウェンドリンが小さなフォークで団子状の菓子を二つに割ると、トロトロのチーズクリームが溢れ出す。団子を口に運べば、生地のモチモチした食感が楽しく、外皮のナッツがもたらす歯応えが小気味よい。チーズクリームは風味こそ豊かながら甘味は控えめだ。フルーツの香りが豊かな御茶の甘味と重複させないためだろう。
「とても美味しいわ、マグダ」
「お口に合ってようございました」
微笑み合う2人の淑女。
グウェンドリンは果物の香りがするお茶を嗜みながら、呟くように尋ねる。
「本当に素敵な香り。聖冠連合はメンテシェ・テュルクと交易が無かったと思ったけれど、これはどのように?」
「ディビアラントは聖冠連合帝国とテュルクが二分しておりますが、二国の間にはまだ独立勢力が存在します。彼らを中継して貿易が行われているのですよ」
マグダレーナは御茶のお代わりを用意しつつ、話を続ける。
「聖冠連合とテュルクはディビアラントを巡って揉めていますけれど、ディビアラントを北中南と三分割した場合、北部と南部の支配権を互いに認め合っています。問題は中央部の優先権、それと灰狼海沿岸部ですね」
「では聖冠連合の東征は北部を征服しても終わらない、と」
「ディビアラント中部は肥沃な平原が広がっていますし、灰狼海沿岸部は灰狼海への窓口です。見過ごすには惜しい……というのが、私が本国に居た頃の東征派の意見です。彼らの中には旧東レムス帝国領を奪還するまでやる気の者もいるようですけどね」
「貴女の意見を聞く限り、地中海にはあまり関心が無いようね」
「まさしく」
マグダレーナはグウェンドリンへ微笑みかけ、
「協働商業経済圏との貿易が急速に拡大したことで地中海権益の重要性が増しましたが、本来、帝国の方針は『領土を拡大して内需で国を回す』というものでしたから。地中海には海から攻め込まれなければ良い、その程度の認識に過ぎなかったのです」
お代わりを注いだガラスカップに氷糖を落とした。
「しかし、今や協働商業経済圏相手の地中海貿易は聖冠連合の重要な外貨獲得と物資調達となっています。特にヴィーナ様の白獅子財閥は最重要御得意様の一つ。本国は此度の事件と三国協議の内容を注意深く見守っていると思いますよ」
「最重要御得意様、か」
グウェンドリンはガラスカップの取っ手を指で撫でながら、まっすぐにマグダレーナの目を見つめた。
「マグダ。一つだけ教えて」
「なんでしょう?」マグダレーナは小首を傾げた。どこか演技的な所作。
「アンジェロ事件後、聖冠連合帝国内にある白獅子の支社に動きはなかったかしら?」
「御義姉様。私は確かに聖冠連合帝国皇女でしたし、ベルネシアに嫁ぐ際、政略的役割を担っております。しかし、御義姉様がお求めの情報を得る立場にも、そういった問いに答えられる立場にも無いことは、御承知でしょう?」
咎めるように反問するマグダレーナに対し、グウェンドリンはただ真摯にまっすぐ見つめ返す。深い青色の瞳に込められた情理と意志は強く、熱い。
マグダレーナは嘆息をこぼしてガラスカップを口に運んでから、言った。
「御義姉様。これは善意で忠告さしあげますけれど、地中海が穏やかになるまでヴィーナ様とは距離を置かれた方がよろしいかと。“何が起きるか”分かりませんから……」
刹那。グウェンドリンは直感で悟った。
――ヴィーナはもう動いてる。あいつ……っ! 人が守ろうとしてる時にっ!
チョー絶美女の怒りはとても怖い。マグダレーナは怒気で美貌を大きく歪めたグウェンドリンに気圧される。
「マグダ」
「は、はい。御義姉様」
睨みつけられたマグダレーナは思わず居住まいを正す。
「貴女の立場は重々承知しているつもりよ。そのうえで問うわ」
グウェンドリンは問いを課す。
「貴女……私の身内で味方よね? 私に協力してくれるわね?」
ベルネシア随一の美女は目が完全に据わっている。この口頭試問によって、今後の宮廷生活の明暗が決することは間違いなかった。
「もちろんです御義姉様……っ! 私は貴女の義妹で味方ですとも……っ!」
マグダレーナは背筋を震わせながら即答する。
他にどう答えろというのか。




