閑話2:子爵令嬢アレックスの場合。
アレクシス・ド・リンデ子爵令嬢は『茶会のビンタ事件』でヴィルミーナの罰を受けた一人だった。
慰謝料を稼ぐために働かされることになった時、アレクシスは酷く腹を立て、両親も大公令嬢の横暴だと憤慨した。ところが、リンデ家御意見番となっていた祖母は両親とアレクシスを強く叱った。
「弁えなさいっ! 王宮にて粗相をしたことは事実。この程度で済んだことを感謝なさい」
その上で、祖母はアレクシスへ優しく告げた。
「話を聞く限り、大公令嬢様は単なる嫌がらせで此度の罰を与えたわけではありません。きっと大きな意味があります。不貞腐れずしっかり務めさない。それが貴女のためにもなるはずですよ、アレクシス」
祖母の忠告は正しかった。
ヴィルミーナが用意した働き先は王都内の宿屋で、アレクシスは厩の雑務を命じられた。
宿屋の者達はアレクシスにおもねることもへりくだることもなかった。なんせ、彼らは王妹大公家からしっかりと言い含められていた。彼らはその命令を忠実に遂行し、9歳のアレクシスに無理のない作業を実行させた。
当のアレクシスは屈辱を抱いていて、不満たらたらで渋々作業をこなした。宿屋の者から仕事の不十分を叱責された時は悔しさのあまり、涙を流した。
だが、幾日が過ぎ、皆と食事を共にし、交流していき、労働を誉められ、リンデ子爵家の娘ではなくアレクシスという一人の人間として扱われ、認められることに心が弾むようになっていた。
そして、平民達に混じって労働することで、アレクシスの価値観は大きく変わった。
貴族がいるから平民が存在できるのではない。彼らが貴ぶに値する存在だと認めてくれているから、貴族は存在し得ることを理解した。自分は貴族として彼らの敬意に相応しい人間でなければならないのだと自覚した。
であるから、宿屋の者達から『アレックス』という愛称を与えられ、彼らの信用を勝ち得たことが素直に誇らしかった。
無事に『罰』を完遂し、帰還したアレクシスは以降、アレックスを自分の愛称として使っている。男の子みたいで女らしくないという者も居たが、アレクシスは気にしなかった。
自分が何者であるか認められた証を恥じる気などない。
娘を下民のように扱われたことに憤慨していた両親も、精神的に大きく成長して帰ってきた娘を前にすると、手のひらを返した。祖母はアレクシスを見て一言だけ告げた。
「私は貴女のことが誇らしいです、アレクシス」
そして、アレクシスは初等部に入学後、ずっとヴィルミーナの傍に侍べていた。
ヴィルミーナの傍に居れば、自分の知らない世界が見られると思って。
もっとも、初等部入学後のヴィルミーナは自分で派閥を起ち上げることもせず(大公令嬢という出自を考えれば、あり得ないことだった)、傍に侍るアレクシス達を顧みることもしなかった。相応の付き合いはしてくれたが、取り巻きとしては扱わず、あくまで級友学友としての扱いを超えることはなかった。
ヴィルミーナのビジネスパートナーとして付き合う公爵令嬢メルフィナやその恩恵を受けるメルフィナの取り巻き達を羨み妬んだことは一度や二度ではない。
それでも、アレクシスを始めとした『罰』を経験した少女達はヴィルミーナの傍に居続けた。時折、気まぐれに見せるヴィルミーナの友愛を励みにして。
そうして訪れた初等部卒業の間近。ヴィルミーナに呼び集められ、側近として認められた。
「私のことはアレックスとお呼びください」
アレクシスは誇らしげに言った。
ヴィルミーナは首肯し、慈しむように告げた。
「これからよろしくね、アレックス」
高等部の入学式に向け、アレクシスは支度を整える。
綺麗に整えられたショートヘア。短い襟足から覗くうなじが美しい。程よい肉付きの長身はアスリート体型と言えるだろう。現代ならバレーとかバスケットで活躍しそう。いや、男装したらえらく映えるかもしれない。
鉄灰色の制服に身を包み、護身用魔導触媒である魔晶石のネックレスを掛けた後、左手首に青魔鉱銀製のブレスレットを巻いた。
支度を済ませたアレクシスは期待と希望を胸に部屋を出る。
今日から高等部生。
今日からヴィルミーナの側近となる。
どんな世界を見ることが出来るのだろう。




