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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第3部:淑女時代

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245/336

18:8b

お待たせ候。

 時計の針を少し戻す。

 --ヴィルミーナの車列が襲撃される。


 その一報が届いてから小一時間も経たぬうちに、白獅子財閥の王都社屋は臨戦態勢を完結させていた。


 周辺2ブロックに渡って白獅子民間軍事会社(デ・ズワルト・アイギス)武装警備員(オペレーター)達が展開し、社屋屋上では観測と狙撃手が周囲を警戒監視している。

 他施設も同様で、特に技研と銀行の警備は普段の何倍も分厚くされていた。全ての側近衆が王都社屋に集まり、事業代表や幹部達には護衛が付けられた。


「ヴィーナ様の襲撃が陽動の可能性を考慮しろっ! 安全が確認されるまで各施設と要人の守りは厳戒態勢を保てっ!」

 民間軍事会社を担うエステルが指揮官となって差配している。


 大会議室は臨時司令部となり、アレックスは財閥全体の、デルフィネとリアが政治がらみの、ミシェルが資金その他を、キーラが法関連面を扱って統制を保っている。他の側近衆達も彼女達の支援に回っていた。


 誰も彼もが不安と恐怖と憤怒と焦燥を抱え、今すぐ現場に駆けつけたい衝動を抑えながら、為すべきを為し続けていた。


 そこへ届くヴィルミーナの無事とアンジェロの訃報。

 雌ライオン共は“長姉”が生き延びていたことに安堵しつつ、アンジェロの死によって誰もがあの日、極寒の森での出来事を思い返していた。


 誰もがヴィルミーナが抱いているであろう悲憤と苦悩を察し、理不尽にも命を奪われたアンジェロを想い……

「どこのクソ野郎が糸を引いたんだか知らないが」とテレサが眼鏡の奥で瞳をぎらぎらさせながら「絶対に見つけ出してぶっ殺すっ!」


「当たり前だろ。関与した奴は一人残らず八つ裂きだ……っ!」

 真っ白になるほど拳を固く握りしめたパウラが吐き捨てる。


 穏健派のパウラですら、この激昂振りである。武闘派のマリサやアストリードがどれほど怒り狂っているか語る必要もあるまい。“信奉者”ニーナは言わずもがな。他の雌ライオン共も似たり寄ったりで、涙する者など一人もいない。


 十代の頃から“長姉”の薫陶を長く受けてきた“妹”達らしい有様だろう。全員が報仇雪恨を誓う中、“侍従長”アレックスは少し思案し、口を開く。


「デルフィ様はヴィーナ様の許へ参じてください。政治絡みは錯綜していますし、リアが補えます。それに、貴女もヴィーナ様に会うべきです」


 伊達に側近衆筆頭格を負っていない。アレックスは姉妹達の中でデルフィネが“罪悪感”を抱いていることに察している。今、ヴィルミーナと一緒に哀しみと怒りを共有しなくてはならない人間は、デルフィネだとも。


「恩に着ます、アレックス」

 デルフィネは素直に厚意を受け取る。ヴィルミーナを焚きつけたデルフィネは、今、ヴィルミーナが抱いているであろう罪悪感と自罰意識を和らげる責任がある、と思っていた。


「連絡役にもう一人いた方が良い」とテレサが指摘した。「多分、ヴィーナ様は猛烈に情報を欲しがってる。そのための人員が要る」

「あたしが行くっ!」

 マリサが噛みつくように言った。


 ベルネシア戦役で片足を失った時、ヴィルミーナに見舞われた恩義を、マリサは一日とて忘れたことが無い。今こそ御傍へ参じねばならぬ。

「あたしはヴィーナ様の許へ行かなきゃいけないんだっ!! 今っ!」

 

 アレックスは思い詰めた顔のマリサに気圧されつつ、“信奉者”ニーナへ水を向けた。

「マリサに譲っても良いわね?」


「良いことあるか。クソッ! マリサ、一つ貸しだからな」

“信奉者”ニーナは苛立ちを隠さない。初報を受けてからずっとヴィルミーナの許へ行きたくてイライラカリカリしていたのだから。


「礼に秘蔵のブランデーをやるよ」とマリサ。

「そのブランデー、あたしが“離婚祝い”に贈った奴だろっ!」


 丁々発止の遣り取りに場の空気が仄かに和らぐ。

 ぱん、と柏手を打ってアレックスは全員に発破をかける。

「ヴィーナ様に凶事が起きた今こそ、白獅子が万全であることを内外に示すっ!」

 応、と雌ライオン共が意気軒昂に吠えた。


           ○


 誰もが襲撃されたヴィルミーナを案じたわけではなく、気遣ったわけではない。

 ヴィルミーナや白獅子を敵視する連中の中にはこの凶事を喜び、高級酒の封を切ったり、宴会の支度を始めた奴もいた。

 そして、別ベクトルで激怒した者もいた。


「貴国の要人が襲われたことは憐憫するっ! だが、その襲撃に我が国の要人が、しかも、我が国の公王子が命を落としたことに関しては断固として抗議、追及させてもらうっ!」


 王国府の応接室にて、ベルモンテ全権大使ザンブロッタ内務大臣が口から大量の唾を飛ばしながら、怒鳴り散らしていた。


 小柄ながら恰幅の良いザンブロッタが青筋を浮かべて喚き散らす様は、小柄な熊が暴れているみたいだ。


「此度の件は誠に遺憾であり、亡くなられたアンジェロ勅任公使殿には哀悼の意を表する。ただし、王妹大公嫡女が襲撃されたことは事実だが、現段階で襲撃者の狙いが彼女だったとは限らない。貴国の勅任公使殿が標的で王妹大公嫡女が巻き込まれた可能性もある」

 宰相ペターゼン侯が雨霰と飛んでくる唾に辟易しつつも冷静に応じる。


 も、ザンブロッタにはそのスカした態度が気に入らず、怒りの火を強くさせた。

「言い逃れする気かっ!!」


「現段階では原因の所在が分かっていない、と指摘しているだけだ」

「それが言い逃れだというのだっ! 我らが何も知らんと思っているのかっ!」

 ザンブロッタは太い右手人差し指をペターゼンへ突きつけ、

「此度の地中海危機に際し、我らは必死に情報を集めているっ!! この状況下で貴国を憎み恨むクレテアの跳ねっ返り共が蠢動していることを掴んでいたっ! 遠地の我らが知っていたことを、当事者たる貴国が知らぬわけなかろうっ!! それとも」

 血走った眼でペターゼンを睨みつけて吠える。

「貴国はクレテアと聖冠連合に乗じ、我らコルヴォラントを侵すべくアンジェロ公王子を暗殺させたのではあるまいなっ!!」


「言いがかりだっ!!」

 誹謗中傷にも等しい非難に、同室に臨席していた外務大臣や官僚達も流石に憤慨する。


「何が言いがかりだっ!」

 が、ザンブロッタの非難は増々激しくなった。

「襲撃されたヴィルミーナ様は継承権を持たぬとはいえ、我がベルモンテ御先代公王陛下の亡き第三公王子殿下、その一粒種ぞっ! その筋から勘繰りをしたクレテアと貴国が共謀したのではないかっ!?」


 あまりの言い草にベルネシアの官僚がキレた。

「ふざけんなコノヤローッ!! 好き放題抜かしやがってコノヤローッ!!」

「なんだバカヤローッ!! ガチャガチャ言い訳すんじゃねえバカヤローッ!」

 応接室はたちまちアウトレイジな怒鳴り合いに支配された。これが外交……?


 無様な惨状に宰相ペターゼン侯は眉間を揉む。

 列強たるベルネシアがベルモンテの抗議を蹴り飛ばすことは容易い。


 しかし、その強硬策で生じるデメリットも無視できない。

 本国と外洋領土の関係がビミョーな時勢だ。“小勢だから”と乱暴に扱えば、外洋領土が本国に要らぬ不信感を抱きかねない。商業、貿易面で信義に大きな瑕疵がつくこともよろしくない。周辺国との関わり方にも影響が出るだろう。


 なんであれ、ベルネシアは外交的、政治的に苦しい状況に置かれた。勃発寸前の地中海有事に対し、クレテアと聖冠連合と連携を保つことが難しくなっている。


 加えて、ヴィルミーナが持つ“危険性”もはっきりした。

 今回のような事件が起きて、もしもヴィルミーナが唐突に急逝し、白獅子内で継承抗争が起きて分裂したら? 多様な国際的権益はどうなる? 様々な独自技術は流出してしまわないか? この混乱によって動力機関や高品質資材、高精度機械などの製造、供給が滞ることにならないか?


 何よりも現発行量38パーセント分の国債の行方は? 

 幼い子供達が相続するとして、その管理後見人は誰だ? 婿のレーヴレヒトか? 母のユーフェリアか? 前者はともかく後者は不味い。ユーフェリアは兄の国王と王国府を恨んでいるが、その本音はベルネシアそのものを憎悪している。そんな人物が大量の国債を握る?


 無視するには事が大きすぎる。看過できない。それがヴィルミーナと白獅子に危険な反応を招くことになっても。

 宰相ペターゼンは懊悩の溜息を堪えられなかった。


       ○


 晩春の夕暮れ。鳥達が夕日に背を向けて飛んでいく。


 病院の屋上にて、レーヴレヒトは手紙で呼び出した王太子近侍カイ・デア・ロイテールと面会していた。かつてのチャラ男も今や王太子直属の優秀な密偵である。


「王国府もエンテルハーストも蜂の巣を突いたような騒ぎになってる。おまけにベルモンテの全権大使がブチギレてて喚きまくってる。財界も似たようなもんだ。どこもしっちゃかめっちゃかだよ」

 カイは魔導術で細巻に火を点け、溜息と共に紫煙を吐いた。

「ヴィルミーナ様の様子は?」


「先頃、側近衆の方達がお越しになりましたから、今頃は病室で会議中でしょう」

「大丈夫なのか? 休ませなくて」

 レーヴレヒトの回答にカイが心配と呆れを混ぜた目線を送る。


「立ち直り方は人それぞれということでしょう」

 淡白に答えるレーヴレヒト。


 カイは肩を小さく竦めて本題に入る。

「こちらの人員を気取られることなく一方的に無力化できる腕の魔導術士を一個班。それだけ集めるとなると、メーヴラント内ではないな。必ず情報が洩れる」


 魔導術士の世界は狭い。それはベルネシアに限らない。クレテアやアルグシア、聖冠連合も例外ではない。一流どころの魔導術士を集めて……なんてことは“必ず”バレる。

「調達先はおそらくガルムラントかコルヴォラントだろう。そこなら我々の耳目も及ばない。ガルムラントはエスパーナの大乱で魔導術士達の動向把握は不可能だし、後者は歴史的に腕の立つ魔導術士が多い」


 レーヴレヒトは問う。

「襲撃犯達の素性については?」


「クレテア人はベルネシア戦役に従軍した奴、あの戦争で身内を失くした奴。要するに反ベルネシア派クレテア人だ。襲撃に混じっていたベルネシア人の方は白獅子の商売で潰された中小や人員整理で解雇された連中の身内だ。元軍人や冒険者の親子兄弟親戚共だよ」


 事件発生から半日。ベルネシアの治安当局と情報機関はここまで捕捉していた。それだけ本気になっている。


 カイの答えを聞き、レーヴレヒトは眉をひそめた。

「“あからさま”ですね」


「だが、無難な兵隊だ。外国人魔導術士にしても、オーステルガムは国際都市だ。怪しい外国人なんかいくらでもいる。事前情報が無ければ行確対象として捕捉することは難しい」

 天井へ向けて紫煙を吐き出し、カイが尋ねる。

「クレテア人はともかく、ベルネシア人の方は白獅子の“商事”や民間軍事会社の警戒対象(ブラック)リストに入っていてもおかしくないぞ」


「行確から漏れた理由は確認しました。一つは地中海有事のために人的資源が割かれており、危険性の低い者が監視対象から外されていました。もう一つは襲撃に関与した連中が今回の件まで組織として行動していなかったようです」

 レーヴレヒトの回答に頷き、カイは細巻の灰を落とす。

一匹狼(ローンウルフ)の寄り合い所帯か。管理人(ケースオフィサー)がいるな」


 電話も電子メールもない時代で、魔導通信器は常に妨害と傍受の危険がある(しかも高価な物だから、所有者はだいたい絞られてしまう)。となれば、個々の連絡を取り持ち、調整し、管理する人間が絶対に欠かせない。


「一流どころの外国人魔導術士を一個班に、使い捨てとはいえ兵隊を一個分隊。そいつらの装備に旅券、その他諸々。これほどの仕込みが出来る資金力と組織力となると限られる」

 自分に言い聞かせるように語るカイ。


「目の前の事実だけを見るなら、反ベルネシア派のクレテア人組織ですね。非主流派の大物貴族か大商会辺りが手を組んで、と言ったところでしょう。クレテアなら亡命を餌にエスパーナ人魔導術士を調達できる」

 レーヴレヒトの見解に、


「無いな」

「ええ。無いですね」

 カイは即座に否定し、レーヴレヒトも頷く。

「クレテアの当局がこれほどの仕掛けを行える組織を放置しておくわけがない。そもそも地中海有事に当たって協力体制の構築から利権分配まで話が付いているんです。今更、関係を破綻させる意味がない」


「やはりコルヴォラントか」と呟くカイ。

「そう考えるのが妥当な筋です」レーヴレヒトは首肯し「この事件で外交的、政治的にベルネシアの動きを抑え込み、クレテアとの関係に亀裂を入れる。候補としては北部のヴィネト・ヴェクシアか、フローレンティア……もしくはベルモンテ」


「ベルモンテ? 殺されたのは連中の身内だぞ」

 訝るカイへレーヴレヒトは説明する。

「客観的には受益者です。アンジェロ君が殺されたことで。彼らは我が国とヴィーナに対して強力なカードを手に入れた」


「理屈は分かるけど……そこまで、やるか? 勅任公使は公王の甥孫だ。最近まで認められなかったとはいえ、正式な庶流公王子だ。それもたった12歳の」

「古今東西、王侯貴顕子女の不審死など珍しくも無いでしょう」

 レーヴレヒトの告げる陰惨な事実に、カイは口を噤み、顔を不快感でいっぱいにする。

「何か確証が?」


「ヴィーナ達が撃たれた現場を調べました。散弾銃の射手は銃口をヴィーナではなく、アンジェロに向けていた。相当に腕の立つ奴です。散布界にヴィーナを捉えつつ、弾の大半がアンジェロを捉えるように撃っている」

「そんな……偶然だろう」

 困惑するカイに、

「否定はしません。ですが、あくまで狙いがヴィーナだったとするなら、彼女が今生きていることがおかしい。仮に俺が襲撃者なら、ヴィーナとアンジェロに確認殺害の弾を撃ち込んでも、余裕をもって脱出できた。仕留めない理由がない」

 レーヴレヒトは無機質な面持ちで淡々と言葉を重ねていく。


「そして、最も問題なのは、俺の推測が真実だとしても“意味がない”ことだ。表面的な事実はアンジェロ君がヴィーナの襲撃に巻き込まれて命を落としたようにしか見えない。ベルモンテの自作自演が真実だったとしても、その真実は責任転嫁の陰謀論にしか聞こえない」


 無視できない指摘だった。

 たしかに、もはや真実など意味がない。目に見える明瞭な事実が大きすぎる。


「証人や証拠文書を確保したら?」

 カイの指摘へ、レーヴレヒトは首を横に振る。

「世間がそれを信じなければ意味がありません。ベルモンテ側が我々の捏造と言い逃れれば、それまで。後は水掛け論になるだけだ。周囲がどちらの肩を持つかと言えば、」


「厳しいな」カイは唸り「クソを塗りつけられたクレテア辺りは我が国に賛同するだろうが……列強が手を組んで強引に責任を転嫁したようにしか見えない」


 嫌な沈黙が流れる。

 西へ沈んでいく晩春の夕日は血のように赤い。オーステルガム湾から流れ込む風がどこか生ぬるい。


「まあ、所詮は推論です。先に言ったようにヴェクシアやフローレンティアの可能性も充分に高い。連中も受益者ですから」

 レーヴレヒトが口を開く。

「いずれにせよ、我々に必要なのは、もはやこの事件の真実や真相ではありません。この事件を塗り潰すほどの新たな衝撃です」


「新たな衝撃?」

 カイは不穏なものを嗅ぎ取り、心底嫌そうに眉をひそめた。


 が、レーヴレヒトは気にも留めず案を開陳する。

「地中海でコルヴォラント人勢力によって、ベルネシアの血が流れることです。女子供を含めて二桁後半ほど死ねば、今回の事件など吹き飛びます。工作条件としては容易い。

 コルヴォラント人勢力に化けて適当な貨客船を沈め、アンジェロの報復だと声明を出せば済みます。これを口実に地中海有事へ参戦。コルヴォラントの息の根を止めてしまえば良い。後世は我々を非難するでしょうが、現世において問題は解決します」


「そんな策が認められるかっ!!」

 怒声を飛ばすカイ。

 戦争という手段で強引に事態を解決することはともかく、そのために無辜の同胞、それも女子供を殺す策など決して認められなかった。密偵としては甘っちょろい限りであるが、カイは職務のために常識的倫理基準を放り捨てるほど、“イカレ”ていない。


 眉目を吊り上げて睨みつけてくるカイに、レーヴレヒトはおどけるように小さく肩を竦める。

「単なる例ですよ」


 しばらくレーヴレヒトを睨みつけた後、カイは短くなった細巻を踏み消して、

「……まさしくヴィルミーナ様の婿殿だな。お似合いだよ」

「ありがとうございます」

「褒めてない」

 にっこりと微笑むレーヴレヒトにげんなりする。


「……それにしても、この襲撃の仕込みといい、効果といい、恐ろしく念入りだ。十重二十重に組んである。この謀略の最終目標はなんだ?」

「正確には分かりません。ヴィーナの襲撃は敵が手役を作った段階です。勝負を仕掛けてくるのは明日からでしょう」


 レーヴレヒトは冷たい目で真っ赤な夕日を見つめた。

 脳裏にヴィルミーナの姿が鮮明に浮かぶ。心身共に傷ついて嘆く愛しい女。脳裏に根付を受け取った時のアンジェロがありありとよぎる。はにかむように笑う哀しい少年。

 胸の中で沸き上がる一つの感情。


 レーヴレヒトは凪いだ海のように穏やかな心持ちで、静かに思う。

 仇は取る。必ず。


      ○


 巻き毛のショートヘアがよく似合う少女だったエステル・ド・シュヴランも、今や三十路を過ぎた淑女。民間軍事会社の職務を通じて陸軍将校と結婚し、今はエステル・ヴァン・デルサール男爵夫人である。


 デルサール。ベルネシア戦役において戦線突破口閉塞作戦で投入された装甲兵部隊『デルサール戦闘団』の指揮官だ。エステルはその息子と結婚していた。


 夫婦仲等々についてはいずれ触れるとして、この日のエステルは深夜に及んでも忙しかった。白獅子の実戦力たる民間軍事会社(デ・ズワルト・アイギス)の司令官であるから、当然と言えば当然だが。


 そんなエステルは北洋貿易商事の大幹部ゲタルスと会合を持っていた。

 白獅子総帥が襲撃されたこの事件は、民間軍事会社(デ・ズワルト・アイギス)だけでなく、白獅子の情報機関たる“商事”にも大きな動揺をもたらしていた。


 王都官庁街の一角にある飲食店。営業時間を終えたその店の厨房で、エステルとゲタルスは麦酒を傾けながら情報の擦り合わせを行っている。


「やはり内から漏れたと考えるべきか」

 ナイフでベーコンの塊を削ぎつつ、エステルが毒づく。


「これほど用意周到な襲撃は主ルート、予備ルート、警備の展開配置。事前に把握していなければ不可能です。我褒めになりますが、我々と民間軍事会社の対外防諜能力を考慮したなら、外から情報を奪取されたと考えるより妥当でしょう」

 細巻を吹かし、ゲタルスも苦い顔で応じた。

「……ヴィルミーナ様への御恩を理解しない世代も増えた。くだらん不満から情報を売るアホも出てくる頃です」


「確かに」

 エステルは削いだベーコンを口に放る。今日はあまりの多忙さに食事もろくにとってない。


「しかし、組織内の勢力争いやポスト争いでヴィルミーナ様の御命を狙うほどのアホは居ません。おそらく現場か、その上辺り。重要情報に触れられるが、自分に見合った報酬やポストが与えられていない、と思っている手合いでしょう」

「許し難い愚かしさだ」

 ゲタルスの意見に頷きつつ、エステルはぐさり、とベーコンの塊にナイフを突き立てる。


 エステルも“商事”も、昼の時点で身内の調査を始めていた。

 部下を信用していないとか、そういう“低次元”の話ではない。白獅子ほどの巨獣ともなれば、体毛の隙間にノミやダニが潜むことを避けられない。体内にも寄生虫が潜んでいるだろう。白獅子も“商事”の人員を競合他社や敵対組織に潜り込ませている。お互い様だ。


 現代地球においても社内セキュリティは外からの侵入者を警戒したものではなく、内部の不埒者を警戒している。イーサン・ハントやルパン三世みたいな侵入者が現れる確率と、金や女に転んだアホが機密情報を盗もうとする確率。どちらが高いかといえば、まあ、そういうことだ。


 なので、エステルと“商事”はヴィルミーナの護衛とルート選定に関わった全ての人間を調査している。本人はもちろん家族や交友関係まで念入りに。

 本人に問題がなくとも、家族や交友関係に付け込まれて……なんて例は珍しくないからだ。


「仮に我々の予測通り、ノミやダニが見つかった場合……内々に片付けますか?」

 ゲタルスがこの会合の“本題”を切り出す。


 組織の爪牙と耳目の人間が、組織の頂点たるヴィルミーナの襲撃に与した。もちろん大問題だが、それ以上に不面目過ぎる。下手すれば、組織解体だってあり得るレベルだった。


 エステルは苦悶を浮かべながら、突き立てたナイフを動かしてベーコンを切り取る。

「内々に処理できなくもないだろうけれど、事は国際問題だ。私達のレベルで隠蔽工作などして発覚した時、最悪、我々がアンジェロ殿の暗殺を企図した、と話をすり替えられるかもしれない。これ以上の政治的リスクは絶対に防がねば」


 眉目を吊り上げ、エステルは続ける。

「今回の件で方々がヴィーナ様と白獅子を侮るだろう。汚名を雪ぐだけでは足りない。アホ共に教訓を与え、正しい認識を与える必要がある。二度とヴィーナ様の危険が及ぶことの無いよう、徹底的に」

 がぶり、と切り取ったベーコンを食いちぎるエステルは、まるで獅子のようだった。

たくさんの御感想をありがとうございました。

皆さんの御意見、御指摘を活かし、今後も御笑読頂けるよう頑張ります。

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― 新着の感想 ―
[一言] こういう場合って、襲撃犯っぽいクレテアに責任取らせようってなるよね? そもそもベルモンテ大使の警備の責任の第一はベルモンテの警備陣だよね 相手の国に警備を丸投げしちゃう大使なんていないでしょ…
[一言] いままでずっと優秀な交渉人はタフネゴシエーションでーって感じの描写だったのにベルネシア外交部あっさり押されすぎぃ 弱気な理由として外洋領土問題が挙げられてるけどそっちの根本は人種差別問題だか…
[一言] まぁぶっちゃけ現実世界の中東情勢とか見てると小国が何をほざこうが列強同盟が本気になったら何もできないよね 大国にとって体面は確かに大事だけど自国の利益に優先されるほどじゃない ましてやネット…
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