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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第3部:淑女時代

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243/336

18:7

大陸共通暦1781年:ベルネシア王国暦264年:晩春

大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム

――――――――――

 全権大使が入国し、国王謁見を翌日に控えたその晩。

「アンジェロ君。掛けて」

 ヴィルミーナはアンジェロに着席を促す。

 失礼します、とアンジェロはヴィルミーナと向かい合うようにソファへ腰を下ろした。


 王妹大公家の応接室にはコルヴォラント、それもベルモンテ風情の内装が施され、調度品が揃えられ、美術品が並ぶ。全ての調度品と美術品はユーフェリアが持ち帰った遺産であり、エスロナ家を引っ掻き回した“呪物”だ。


 その応接室でアンジェロと向かい合ったヴィルミーナは、

「これから問うことは貴方の人生を左右する。よく考えてから答えなさい」

 静かに問う。


「君は帰国したら、これまでと同じような人生を送りたい? それとも、これまでとは違う人生を送りたい?」


「え、と、ヴィルミーナ様。それは、どういう意味なのでしょう」

 予期せぬ質問に、その意を図りかねたアンジェロは戸惑いを隠せない。


「貴方が望むなら」

 目を瞬かせるアンジェロへ、

「私は私の持てる全てを使って、貴方がこれまでとは違う人生を歩めるよう、挑むつもりよ」

 ヴィルミーナは柔らかな声で語りかける。


「西庭園から街へ自由に往来が出来るようにしたり、私の子供達やヴィンセント達と自由に手紙のやりとりが出来るようにしたり、貴方が大人になった時に自分の歩む人生を自分の意志で決められるようにしたり出来るように、私は全ての力を投じて公王ニコロに挑む」


 アンジェロは驚愕に目を剥き、喘ぐように口を幾度か動かした。それから、ごくりと生唾を呑み、懐疑と不信を滲ませる目つきでヴィルミーナを見た。

「……僕が憐れだからですか。籠の窮鳥だから慈悲を与えたいとそうお考えで」


 窮鳥だとしても、アンジェロにだって自尊心も尊厳も誇りもある。憐れまれて嬉しいなどとは思わない。アンジェロ・キエッザ・ディ・エスロナは幼くとも男なのだ。


「その感情が無いとは言わない。君の自尊心を軽んじるようではあるけれど」

 ヴィルミーナはそんなアンジェロの心理を正確に読み解きながら宥めるように言い、

「でもね、もっと個人的なことなのよ」

 どこか自嘲的に微笑む。


「私の可愛い子供達が貴方の幸せを願っている。私の大事な家人や友人達の子供達が貴方の幸せを願っている。私達も、貴方が幸せになれることを願っている。その願いを叶えることで私は充足感を味わいたい。子供達や皆が喜ぶ顔が見たい。そこに君が喜ぶ顔が見られるなら、なお宜しい」


 それにね、と続けるヴィルミーナは眉間に険の皺を作った。

「私は公王ニコロを心底嫌悪している。あの陰険な根暗男が帰国後に君を虐げると思えば、私の子供達が大好きな君を虐げると思えば、はらわたが煮えくり返る」


 大きく深呼吸してから、ヴィルミーナはアンジェロの瞳を見つめ、告げる。

「アンジェロ君。私に君を助けさせて欲しい」


「……出来るんですか、本当に」

 ハイお願いします、などとアンジェロには言えない。アンジェロは大叔父たる公王ニコロが如何に恐ろしい男かよく知っている。


「全てを叶えられるとは言わない。君が自由に街へ往来することは叶わないかもしれない。手紙は出せても検閲は必ずされるだろう。成人した時、君に与えられる選択肢は片手の指にも足りないかもしれない。それでも、だ」

 ヴィルミーナは続ける。

「今、ここで君がうんと言ってくれないことには、私は何も出来ない。私が全力を尽くすためには、まず君との合意が必要だから。これはただのお節介じゃない。恩の押し売りじゃない。アンジェロ君。これは契約だ」


「契約」

 反芻するアンジェロへ、ヴィルミーナは首肯した。

「そう。私は全力で公王ニコロに挑む。そして、能う限りの権利と自由を君にもたらそう。言い換えるなら、君もまた公王ニコロに挑むんだ。私を信じてね。この契約は、君が私を信じるという誓いであり、私が君のために戦うという誓いだ。絶対に不履行が許されない宣誓だ」


 そして、ヴィルミーナはこの話し合いの場において最も大事な問いを告げる。

「アンジェロ君。君はこの契約を結ぶか?」


 応接室に冷たい静寂が訪れる。

 緊迫と緊張に満ちた静謐が応接室を支配する。





 ぎゅっと小さな手を強く握りしめ、アンジェロは口を開く。

「……ヴィルミーナ様。公王陛下はとても恐ろしい人です」

「知っている」

「もしかしたら、ヴィルミーナ様の御身に危険が及ぶかもしれません。いえ、お子様方や御友人の家族にまで」

「知っている」

「僕は……ジゼル様達やヴィンセント達が傷つくなんて耐えられません。そんなことになるくらいなら――」


「なら、もう一つ約束しよう、アンジェロ君」

 ヴィルミーナは今にも泣きそうなアンジェロの言葉を遮って告げた。

「公王ニコロに私の家族や君の友人達を決して傷つけさせないと」


「そんなこと」

「出来る」ヴィルミーナは即答し「アンジェロ君。恐ろしいことが出来るのは公王ニコロだけじゃない。私にもできる。だから、奴に君が危惧しているようなことは決してさせない」


「僕は……」

 それでも、アンジェロは踏み出せない。生まれてからずっと生殺与奪を公王ニコロに握られてきたのだ。その恐れと畏れは余人の想像など及ばぬほど大きい。


 その胸中を慮り、

「この場で決めろ、と言いたいところだけれど、君にも考える時間が必要でしょう。明日、参内するまでに決めてくれれば良い」

 それから、とヴィルミーナは言葉を重ねた。

「アンジェロ君。最後に一つ」


 ヴィルミーナはこれ以上ないほど優しい微笑みをアンジェロへ向ける。

「私のことはヴィーナと呼びなさい。身内は皆、そう呼ぶのだから」


 アンジェロは一瞬驚き、目尻を拭ってから大きく頷いた。

「……はい。ヴィーナ様っ!」

 その笑顔は天使のように美しかった。


      ○


 その日は来た。


 晩春と初夏の狭間。全権大使の国王謁見に合わせ、ヴィルミーナはアンジェロと共にエンテルハースト宮殿へ参内する。


 警護体制は万全を取り、馬車は四輌。頑健な薄鋼板+ゴブリンファイバーの複合装甲板を備えた専用馬車にはヴィルミーナとアンジェロのみが乗り、車外護衛が付く。御付き侍女達は別車両に乗り、他2輌は完全装備の精鋭達が乗車する。加えて車列前後に騎馬のツーバイツー。“裏”の周辺警戒も一個小隊を投入していた。


「物々しいですね」

 朝っぱらから不穏な物々しさにアンジェロが不安顔を浮かべる。ヴィルミーナは肩を竦めた。

「近頃、コルヴォラントの間諜共が反ベルネシア、反白獅子の人間に接触しているらしくてね。貴方を巻き込む形になってしまって申し訳なく思っているわ」


「いえ、ヴィーナ様のお立場を考えれば、当然のことかと」

 予期せぬ謝罪を受け、慌てて言葉を紡ぐアンジェロへ、ヴィルミーナはくすりと笑う。


 出発の間際、アンジェロを見送るために子供達や家人達が勢ぞろいした。ユーフェリアでさえ、仏頂面ながらも姿を見せていた。

 

 どんな時も別れは悲しく寂しい。

 ジゼルとヒューゴはアンジェロに抱き着き、ウィレムとヴィンセントは固い握手を交わした。レーヴレヒトはアンジェロの頭を撫で、肩に手を置いて別れを惜しむ。


 そして、車列は発進し、王妹大公家から離れていった。


 道中、アンジェロは絹のハンカチで目元を何度も拭い、ヴィンセントの手作り聖剣十字の御守を固く握りしめている。彼には愛しき人々との別れを反芻し、感傷に耽る時間が必要だった。


 隣に座るヴィルミーナは泰然と構えていたが、その実、内心はハラハラドキドキしっ放しだった。働き者の表情筋が内心の感情を描かぬよう必死に抑えている。なんせ、アンジェロは未だ『回答』を寄こしていない。


 ちょっとーっ!? なんで何も言わんのぉっ!? ま、まさかとは思うけれど『NO』とか言わんよねーっ!? ああああああ、こんなことなら格好つけて合意を取り付ける真似なんてせんと、口八丁に説き伏せてまえば良かったぁああああっ!!


 いろいろ台無しである。


 と、エンテルハースト宮殿を目指していた車列が、不意に停まった。


 ヴィルミーナが車窓の外へ目を向ければ、勤め先へ向かう人々や学び舎を目指す子供達、朝の配達に回る荷馬車なども立ち往生していた。


 御者席とつながる小窓が開き、護衛頭が報告を寄こす。

「ヴィーナ様、この先で車輛事故があったとのことで通行できません」


「幸先が悪いわね」

 ヴィルミーナは難渋顔を作り、

「別ルートは?」

「少々遠回りになりますが、旧市街区を通る予備ルート2になります」

「? 1は?」

「三日前から路面の補修工事が始まっており、通れません」

 何か不快な感覚がうなじを通る。


 イラクとコーカサスで幾度か味わった不安と不審に近い、疑念。腐れテロリストが仕掛けるIED。ド低能民兵共の待ち伏せ。銃弾を浴びて亀裂が走る防弾ガラス。銃弾に殴りつけられる度に鳴く装甲SUV。う、なんか変な汗が出てきた。


 ヴィルミーナは護衛頭に告げた。

民間軍事会社(デ・ズワルト・アイギス)に連絡。完全装備の武装警備員(オペレーター)を乗せた飛空短艇を王都上空に入れろ」

「何か御懸念が?」

「はっきりとは分からないが……無駄骨で済むならそれで構わない。細かいところは任せる」

「了解しました」


 小窓が閉じられると、車列は予備ルート2へ移るべく、周囲の人々や馬車を除けて迂回路へ向かって走り出す。


 アンジェロが不安げにヴィルミーナを見ていた。

 ヴィルミーナは不安顔のアンジェロの頭を慈しむように撫でる。

「大丈夫。よくあることではないけれど、無いことでもないから」


「そう、なんですか?」と嫌そうに眉をひそめるアンジェロ。

「残念ながらね。なんだかんだ言って私も大勢の恨みを買っている人間だもの。ま、公王ニコロほどではないと思うけれど」


 軽口を叩いて場を和まそうとしたヴィルミーナに、アンジェロは思案顔を浮かべた。


「公王陛下は……確かに多くの敵がいます。でも、敵がいるからこそ、陛下は陛下でいられるのだと思います」

 予期せぬ会話の広がりに片眉を上げるヴィルミーナへ、アンジェロは続けた。

「あの方は不安と猜疑と不信の塊です。誰も信用なさらず、全てを疑っておいでです。周囲に敵がいると分かっているからこそ、その在り方が肯定されています。もし、周りに敵など居ないのに、周りに敵がいると思って誰も信用しないなら、それは」


「狂人ね」

「僕や父は憐れみを買うことが多かったけれど、僕はあの方が一番、憐れだと思います」

 ヴィルミーナへ首肯し、アンジェロはとつとつと言葉を紡いでいく。

「あの方は家族も友人も疑わずにはいられない。警戒せずにいられない。愛情も友情も、誠意もいたわりも信じられない。この世で最も孤独な人間の一人だと思います」


 ほう。面白い解釈やな。虐げられた子は鋭い観察力を持たざるを得んゆぅけど……いや、この観点に立った場合、どんな手が打てる?

 ヴィルミーナとアンジェロは揃って口を閉じ、考え込み始めた。


 馬車の車室をしばしの沈黙が支配する。

 そして、車列が予備ルート2の旧市街に差し掛かった頃――


「ヴィーナ様」

 アンジェロは意を決したように姿勢を正し、まっすぐにヴィルミーナを見つめた。

「昨晩のお話、お受けさせていただきたいと思います」


「良いのね?」

「はい。僕もヴィーナ様を信じて公王陛下に挑みます。ヴィーナ様と契約し、得られる限りの自由と権利を掴みたい」

 ヴィルミーナとアンジェロは固い握手を交わした。


 契約は成った。


 刹那--

 轟音がつんざき、強烈な衝撃が馬車を襲った。


      ○


 旧市街区からエンテルハースト宮殿へ向かう海燕通りは、独立前から存在する幹線だった。道路に敷かれた石畳は経年劣化やらなんやらで実に“味わい”深い。道路の両脇に軒を連ねる煉瓦造りの建物も改築や修繕が重ねられたものばかりだ。


 その海燕通りの路肩で一頭牽きの小型馬車が荷下ろし作業をしていた。邪魔ではあるが、車列の通行を妨げるほどではない。


 ツーバイツーの先導騎馬隊が小型馬車に留意しつつ、建物の出入り口や細道の角、街ゆく人々に注意を注いでいた。馬車の御者席や車外に控える護衛達は建物の屋上や窓、車列周囲に目を配っている。


 白獅子の車両警護技術はレーヴレヒトの監修――特殊猟兵の車列襲撃戦術に順応したものとなっている。すなわち、奇襲と待ち伏せ、仕掛け爆弾などに最大限の警戒を注ぐものだ。

 それでも、奇襲は襲撃側が主導権を握っている以上、限界はある。


 ツーバイツーの先導騎馬隊が小型馬車の脇を抜け、武装護衛を乗せた先頭車両が小型馬車の脇を通りかけた瞬間。


 小型馬車が大爆発を起こした。


 すぐ傍の建物は通りに面した外壁が崩れ落ち、吹き飛ばされた煉瓦片や石畳の石片、土砂が散弾のように吹き荒れ、通りを行き交う人馬を飲み込んだ。


 爆発の衝撃波によって海燕通りに並ぶ全建物の窓が砕け散り、割れたガラス片が水晶片のように道路へ降り注ぐ。


 立ち昇る噴煙。霧のように通りを満たしていく爆煙と粉塵。それは王都上空を行き交う飛空船や航空管制翼竜からもよく見えた。


 爆発の効力圏にいた先導騎馬隊と先頭車両は完全に破壊されていた。騎馬隊や馬車を牽いていた魔導強化馬すら、その巨躯をグロテスクな肉塊へ変貌させている。車体が完全に破砕された馬車の残骸は横転し、向かい側の激しく損傷した建物へもたれかかり、即死した武装警備員達の無惨な屍をこぼしていた。


 先行車輛が盾となったため、続くヴィルミーナの馬車は直接の被害を免れていた。

 が、無傷とはいかない。瓦礫片の暴風は馬車を牽く魔導強化馬や車外の護衛達を殺傷し、爆風と衝撃圧力は官位複合装甲を施された馬車を大きく歪めて、完全に行動不能状態になっていた。


 後続の侍女達を乗せた馬車と最後尾の馬車に乗っていた護衛達と後衛騎馬隊が即応する。

「急げっ! ヴィーナ様をお助けしろっ!!」「魔導通信っ!! 応援を緊急要請だっ!!」「騎馬は最寄りの憲兵隊分署へ連絡をつけろっ!」「了解っ! 2騎行けっ!」「侍女方を避難させろっ! 早くっ!」


 護衛達が爆煙と粉塵の濃霧を掻き分け、ヴィルミーナの救出へ向かう、も、

 再びの轟音と共に、護衛達の眼前に巨大な土砂と氷の分厚い壁が築かれた。


 魔導術による遮断壁が屹立した直後、建物の屋上から銃撃が降り注ぐ。爆煙と粉塵の霧の奥でチカチカと青い発砲光がいくつも煌めく。


「ちきしょうっ! 手が込んでやがるっ!!」「銃撃なんぞ無視だっ! さっさとこのクソ壁を破壊しろっ! 早くっ!!」「俺達は建物の中を突っ切って回り込むっ!」「急げっ!! なんとしてもヴィーナ様をお救いしろっ!!」


 護衛達が狼狽しながらも臨機応変に為すべきことへ取り掛かる。その練度の高さをもってしても、ほんの数メートル先にいるであろうヴィルミーナが遠い。


 そんな混沌とした状況の中、侍女達用の馬車から御付侍女メリーナが降り立つ。割れた車窓のガラス片で切ったのか、髪と顔の右半分を血に汚していた。

 メリーナは怪我も出血も気に留めていなかった。深青色の瞳を憤怒に染め上げ、憤激のあまり、体が震えていた。


「舐めた真似しやがって……っ!!」


 そう吐き捨てた直後、メリーナは台風のような風系魔導術を発動し、海燕通りに漂う爆煙と粉塵を一瞬で吹き払う。次いで、腕を大きく振るう。

 襲撃者達が展開していた建物の屋上へ大氷槍が叩き込まれ、敵を建物の屋上部ごと圧壊させた。


 怒れるメリーナは再び腕を大きく振るい、真空波の大鉈が分厚い遮断壁を叩き割った。

 銃砲がその殺傷性能と破壊力を著しく発展させようとも、魔導術の恐ろしさが減退したわけではない。“魔導術士”メリーナはその証明だった。


「ヴィーナ様の許へ、早くっ!!」

 青筋を浮かべたメリーナは護衛達共に障害壁を踏み越えた。


 視界に映る破壊された建物。抉られた石畳。散乱する瓦礫と石片と土砂に、人々の手荷物など。先頭馬車の残骸。護衛達や民衆の屍。血。肉片。肉塊。まだ息のある生存者の呻き声。まだ死ねない負傷者達の悲鳴。襲撃者達の放つ銃声。銃弾の飛翔と着弾の音色。


 その全てを無視し、メリーナと護衛達はヴィルミーナの馬車に駆け寄る。

 魔導強化馬と護衛の半数が死傷していた。瓦礫を浴びた御者は顔面が完全に陥没しており、隣の護衛頭も重傷で息絶え絶え。足の折れた魔導強化馬が狂ったようにもがき暴れている。


 メリーナは彼らに見向きもせず、馬車の歪んだドアを無理やり引っぺがした。

「ヴィーナ様っ!!」


 馬車の中は空だった。

 ヴィルミーナもアンジェロもいない。メリーナは思わず息を呑む。

 

 まさか――――攫われた?

 氷のような冷たい恐怖と不安にメリーナが身を凍り付かせた、その時。


 先頭車両の残骸がもたれかかっている、建物。その脇にある細道の先から発砲音が響く。鋭く大気を裂くような金属的銃声。金属薬莢弾薬を用いた回転遊底式小銃の発砲音だ。


「今のは我々の銃ですっ!」

 護衛の一人が叫ぶ。

「無事だった者達がヴィーナ様達を避難させたんでしょうっ! 賊と戦闘の最中かとっ!」


「急げっ!!」

 メリーナと護衛達は血相を変え、細道へ向かって駆けだした。


     ○


 動けた護衛は2人だけで、1人は右腕が折れ曲がり、1人は脇腹に木片が突き刺さっていたが、それでも彼らは自身の務めを果たしていた。


 馬車の中からヴィルミーナとアンジェロを降ろしたところで、障害壁が築かれると『この場に留まるのは危険』と即断し、2人を連れて脱出していた。


 背の高い建物の間に走る仄暗い細道を、ヴィルミーナはアンジェロを連れて必死に駆けていく。


「急いでくださいっ!!」

 後衛に付いた護衛が追ってくる“敵”へ向け、ボーモント小銃モドキを発砲する。

 木片の突き刺さった脇腹からどくどくと血が流れ、黒いズボンを濡らしていた。出血のせいで顔から血の気が失われていたが、単発小銃の槓桿を素早く操作して給弾と発砲を繰り返す。


 前衛役の右腕が折れた護衛がヴィルミーナとアンジェロを隣の通りへ先導する。

「走ってっ! 早くっ! もっと早くっ!」


 ヴィルミーナはアンジェロの手を握り、ひた走る。


 敵は仕掛け爆弾だけでなく襲撃まで仕掛けてきた。本気で殺しに掛かっている。味方は負傷した護衛2名だけ。自分は丸腰で魔導具以外に武器は無い。


 18の時、冬の森でクレテア兵と戦った時以上の危機。あの時は姉妹達と友軍がいた。レーヴレヒトが助けに来てくれた。

 だが、今回は……


 ここで命を落としたら、もう子供達にも“姉妹”達にも友人達にも、母にもレーヴレヒトにも会えない。子供達の成長を見守ることもできない。レーヴレヒトと愛を交わすこともできない。母と過ごすこともできない。友人達と語り合うことも笑い合うこともできない。


 あの冬の森で味わった以上の巨大な恐怖。あの頃よりも大事なものがはるかに多くなったからこその、深甚な恐怖。


 しかし、全身を爆煙と粉塵で汚し、下着まで冷や汗でびっしょり濡らしながらも、その秀麗な細面に怯懦は無い。前世に体験した地獄の海外行脚で鍛え抜かれた魂が、その恐怖の巨塊を勇気と戦意に昇華させていた。


 眉目を限界まで吊り上げ、ヴィルミーナは激怒していた。

 ふっざけんなっ!! こんなところでくたばってたまっかぃっ!!


 ヴィルミーナ・デア・レンデルバッハ=クライフ・ディ・エスロナは恐怖に怯え竦み、泣き震えるような可愛げのある女ではない。生来の強靭な気質と前世+今生分の精神的タフネスを持つこの女は、肩を掴もうとする死神の手を払いのけ、その頭を殴り飛ばす輩なのだ。


 ヴィルミーナは手をつなぐアンジェロを一瞥した。その美しい顔は怯えに歪んでいる。その小さな手は恐怖のせいか冷たくなっている。


 子供をこない怯えさせよってっ! どこの奴らか知らんが、覚えとけっ! 生きたまま切り刻んで活け造りにしたるからなっ!!


 怒りと勇気が一層激しく燃え盛り、

「大丈夫、絶対に助かるっ!! だから走れっ! アンジェロっ! 走れっ!」

 ヴィルミーナはアンジェロを強く激励した。


「もう少しですっ!」

 右腕の折れた護衛がヴィルミーナとアンジェロを励まし、角を曲がった。


 そこへ、物陰からにゅっと二連銃身が突き出され、峻烈な轟音と鮮烈な発砲光を放つ。散弾銃の銃口から放たれた鹿打玉の群れが護衛の胸を破壊し尽くし、打ち倒す。


 護衛を撃ち殺した襲撃者が陰から姿を出し、散弾銃の銃口を向けてくる。

 ずざざざっと慣性に滑りながら足を停めつつ、ヴィルミーナは反射的に魔導術の迎撃を試みる。されど、その挙動は―――遅い。


 当然だ。ヴィルミーナは戦士でも魔導術士でもない。戦う技を学んでいても研鑽も鍛錬もしていない。そんな“しようもない”ことに時間を割く身の上でもないから。


 ヴィルミーナが魔導術を発動するより早く、襲撃者の右手人差し指が散弾銃の引き金を引く。


 大きな発砲音が細道に響き渡り、青い発砲光が細道を照らした。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] さてさて、これを仕掛けた命知らずだれかな [一言] ウィーナの警戒の足りなさに違和感がな...まぁ、警戒したところで防げるものでもないと思いますけど
[良い点] 子供を生んで情にもろくなったヴィルミーナの判断の結果 暗殺を警戒していてもこうなるのは魔導術が個人技術である以上仕方ないのかもしれない それはそれとしてこのテロはどうする気なんだろ 暗殺…
[一言] 美少年に色ボケして、嫌な予感を甘く見て押し通った結果がこれか…… マヌケすぎて言葉が出ない 死んだ御者や護衛も報われないな
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