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遅くなったあげく、9000字近いです。すまぬすまぬ……
大陸共通暦1781年:ベルネシア王国暦264年:春
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム
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ベルネシア王国とベルモンテ公国の書簡によるやり取りが交わされている間、アンジェロ・キエッザ・ディ・エスロナは人質として王妹大公家で、半ば軟禁生活を送る……はずであった。
全ては王妹大公家公女ジゼルちゃん(5歳)が、アンジェロを一目見て気に入ったことに起因する。
可愛い子好きな母譲りなのか、面食いなのか、ジゼルは『アンジェロ兄さま』と甘い声を出すほど懐いている。
実兄のウィレムくん(7さい)が『ぼく、ジズにあんな声で呼ばれたことない』と眉を下げ、双子の絆か日頃からジゼルに振り回されがちなヒューゴくんは、解放されたことが嬉しいような寂しいような。祖母ユーフェリアさんは嫉妬で歯噛みしていた。
なお、ヴィルミーナから厳命を受けている護衛達が早くも胃痛を覚えている模様。
ともかく。
ジゼルは持ち前の馬力でアンジェロを毎日連れまわす。お気に入りの三つ編みサイドテールと衣装でばっちり決め、『デート(本人談)』に赴くのだ。5歳でも女は女。
最初は屋敷を案内して回った。王妹大公家自慢の庭を愛犬達とめぐり、ヴィルミーナの東方コレクションを披露し、レーヴレヒトが軍務から持ち帰った各地の文物や時折自作する様々な品を紹介し、最後に自分の『宝物』をアンジェロに見せる。
屋敷内の冒険が終わると、ジゼルはアンジェロを連れて王都観光に出向く。
これには母ヴィルミーナと護衛達が難渋を示すも、結局はジゼルの馬力に押し切られた(ヴィルミーナ談:まったく末頼もしい。誰に似たのかしら?)
こうして、ジゼルとアンジェロ少年、偶にウィレムとヒューゴも伴い、王都観光が始まった(ジゼルはアンジェロとの『デート』に水を差されたと憤慨していたが)。
この王都観光には最高の警護体制が取られた。少なくとも直衛に最精鋭が8人。随行馬車2台で完全装備の精鋭14人。“裏”側で展開する周辺警戒チームは一個小隊。ヴィルミーナの警護体制より硬かった。同道する侍女達には最高級の防護魔導具が支給されていた(いざという時、その身を盾にして子供達を守るためだ)。
そんな大人達の苦労を知らないジゼルはアンジェロ少年(+兄弟を含めた余計な御供)を連れ、王都内の観光地を巡る。時折、買い食いしながら、あっちへ、こっちへ、そっちへ。
ジゼルはそこらの旅人も訪れられるような場所だけでは済ませなかった。
白獅子財閥施設にもバンバン連れていく。
まず王都社屋。
突然、総帥の御令嬢が天使のような美少年を連れて訪問したことに、受付は仰天。連絡が飛び交い、5分後には困り顔の母ヴィルミーナと苦笑い顔のニーナが登場。子供達を総帥執務室へ連れて行き、おもてなし。
噂となっている天使の如き美少年アンジェロの訪問に、側近衆も全員集合。
「アンジェロ君。お姉さんの隣に座ろ?」「何がお姉さんだ、子持ちババアは引っ込んでろ」「誰がババアだお前と同期だっつのっ! ぶっ飛ばすぞバツイチっ!」「怖いおばさん達は放っておいて、こっちおいで?」「デルフィ様、抜け駆けっ!」
側近衆が醜い争いを始める中、常識人の一人パウラがアンジェロ少年に優しく微笑みながら問う。
「ここでの生活に気に入ったものはある?」
「毎日が楽しいです。皆さん、とても善くしてくださいますから」
アンジェロ少年は麗しい笑みと共に卒のない回答を返した。
文化事業や広報事業で子供達に接し慣れているデルフィネが、“気付く”。が、この場で口に出すほど無思慮ではない。ただヴィルミーナに目配せした。ヴィルミーナは密やかに首肯を返す。
「アンジェロ兄さまはポンタがお気に入りなんだよね」と高馬力のジゼルが言った。
「あ」とアンジェロが気恥ずかしげに眉を下げた。その様がとても、尊い……
「ポンタ、というとあの変わった犬ですか?」
「犬ではなくタヌキよ」とヴィルミーナがパウラに訂正する。ま、どうでも良いことだが。
「ヴィーナ様の御屋敷を訪ねた子達は大概、あのタヌキ? を気に入りますよね。うちの子も欲しがって大変でした」
キーラがくすりと笑い、他の子持ち側近衆も同意の首肯と微苦笑を浮かべた。
タヌキは見た目の愛嬌が強い。しかも、人慣れした王妹大公家飼い狸ポンタは愛想が良いので二重にウケる。
「ポンタが気に入ったの?」
ヴィルミーナが問う。
アンジェロは頬を仄かに染めつつ、長い睫毛を伏せ気味に答えた。……尊い。
「……はい。とても可愛いので」
「そういうことなら、滞在中は一緒に過ごしても良いわ。いずれ帰国する時が来て寂しくなるかもしれないけれどね」
ヴィルミーナが許可を与えると、ジゼルがニコニコしながら『よかったね、アンジェロ兄さま』と笑いかける。
アンジェロはジゼルに頷き、はにかむように微笑んだ。とうとぉい。
「ありがとうございます。ヴィルミーナ様。ジゼル様。とても嬉しいです」
こうして、ジゼルとアンジェロの『デート』には狸のポンタも加わった。
○
ジゼルとアンジェロと狸ポンタの『デート』は毎日続く。
流石に白獅子財閥の機密が詰まった技研への見学は許されなかったが、造船所や蒸気機関製造工場などの見学は出来た。“姫君”の訪問はどこでも歓迎され、蒸気機関作業車の製造工場では試験場で試運転の同乗さえさせてくれた。
ジゼルとアンジェロと狸を乗せた蒸気トラクターや『展示会』で披露された小型鉄道が走る。蒸気機関の力強い排気音と躍動に、アンジェロは驚きながらも笑顔を浮かべた。
ジゼルが背伸びして各種製造販売事業の店舗を巡り、ウィンドウショッピングもどきを楽しもうとした時は、御付き侍女がやんわりと『無駄遣いするとお小遣いが減りますよ』と釘を刺される。
王妹大公家は金の扱いにシビアだ。御令息御令嬢と言えど、決して甘やかされない。
面目を損なったジゼルは憤慨しつつも、そこはあの母にしてこの娘ありだ。搦手に出る。母ヴィルミーナの友人メルフィナの許を訪ねた。
ここ数年。メルフィナは子供達を連れ、よく王妹大公家を訪れていた。
そこには『我が子達をヴィーナ様の御子方と親密にさせ、将来的に結婚させて私とヴィーナ様が家族になる』という深慮遠謀な、業のとても深い計画があったりするが……ジゼルにしてみれば、メルフィナは優しいおば様で、その子供達は仲良しの幼馴染達だった。
メルフィナはジゼルとアンジェロと狸を歓待した。
が、同時に警戒もする。
――ジゼル嬢がこのベルモンテの王族と結ばれてしまったら、残る相手はウィレム君とヒューゴ君だけになってしまいますね……ヴィーナ様に気質が似たジゼル嬢こそ我が子と結ばせたいのだけれど……
そんなメルフィナの心中を知らないジゼルは、メルフィナの娘と共にブランド・ロートヴェルヒの衣服を幾度も着替え、着せ替え、アンジェロに披露する。
「よくお似合いです」「大変お似合いです」「とても綺麗ですね」「可愛いです」「わぁ凄い」
“ファッションショー”が終わるまで、アンジェロ少年は知りうる称賛の語彙を総動員し、ジゼルとメルフィナの娘を褒め続けた……
このメルフィナの許を訪ねた策は成功半分、失敗半分であった。成功は先述した通りで、失敗はメルフィナの娘もアンジェロ少年に熱を上げたのだ。ライバルが増えてしまった事態に、ジゼルは失敗を学び、賢くなった。
次は上手くやろうっ!
が。
「遊びすぎ。ちゃんと勉強もしなさい」
母ヴィルミーナの小さな雷が落ちた。
「で、でも、ママ。アンジェロ兄さまは春がおわればかえっちゃうんでしょ? 今しかいっしょにいられないから……」
次のデート計画が水泡に帰しそうな事態に、ジゼルがなんとか母の説得を試みる。も、
「なら、アンジェロと一緒に勉強しなさい」
「ぅぇええ……」
かくてジゼルの“次”のデート計画は無期限中止になった。
○
御付き侍女メリーナの育預――ほぼ養子扱いのヴィンセント少年は10歳を迎えていた。
魔導学院の教員魔導術士だったポーター氏の私生児という出自ゆえか、ヴィンセント少年の魔導適性も高かった。
というわけで。
「10歳になったからね。魔導学院の初等部に入学できる。魔導適性も充分だし、学力も問題ない。後は君次第だよ」
メリーナが師匠然として言った。が、ヴィンセント少年は困ったように表情を曇らせる。
「でも、“御本家”が良い顔しないのでは? それに、学費も高いと聞きます」
魔導学院にはポーター家の子女も通っている。一族の恥部に等しいヴィンセント少年の入学に良い顔はしないだろう。それにこの時代の高等教育機関だけあって、学費もかなり高い。
「君の人生はポーター家のためにあるんじゃない。君自身のために選択しなさい。お金の件にしてもやりようはいくらでもあるわ」
が、メリーナは『ンなこと気にすんな』と言い放つ。収入のために魔導術士としてのキャリアを選ばず、王妹大公家の侍女になったメリーナらしい考えだろう。
ヴィンセント少年は悩み顔を浮かべ、答えた。
「少し……考えさせていただいても良いですか?」
「構わない。よくよく考えなさい」
メリーナは首肯し、助言を与える。
「良くも悪くも魔導学院に入学するか否かで、人生の方向が大きく違ってくるから」
かくして、ヴィンセント少年は10歳にして人生設計に直面せざるを得なくなった。
そんな悩めるヴィンセント少年が王妹大公家の庭園、その一角にある菜園区画の世話をしていると、アンジェロ少年がやってきた。足元には太々しく歩くポンタがいる。護衛と侍女の姿は見えない。
「こんにちは、ヴィンセント」
「こんにちは、アンジェロ様。今日はお一人ですか?」
「うん。ジゼル様は御兄弟と一緒にお勉強だ。侍女と護衛は……研修だね」
アンジェロの侍女達は王妹大公家侍女長の『特別研修』を受けさせられている。侍女長曰く『未熟さが目に余る。もう勘弁ならぬ』とのこと。ついでに侍女長の強烈な発言力により、護衛達も王妹大公家護衛の訓練に放り込まれていた。とばっちりである。
もちろん、この場に姿が見えないだけで王妹大公家の目がアンジェロから離れることは無い。今、この瞬間もどこからかアンジェロを監視している。
王妹大公家は甘くない。
「今日は浮かない顔をしているね。悩み事?」とアンジェロ。
「ええ。ちょっと人生について考えていまして」とヴィンセント。
12歳と10歳の会話である。世知辛い……
2人は似た境遇だ。どちらも本人にはどうしようもない生まれの問題で、悲しい育ちを経験している。ヴィンセントにしても、メリーナによる救済がなければ、今頃は良くて孤児院。最悪、オリバー・ツイストさながらの浮浪児になっていたはずだ。
同族憐憫が無いとは言わないが、2人の少年は立場と肩書の違いを超え、短い時間の中で友情を築いていた。
特に、アンジェロにとって、ヴィンセントは人生で初めての友達だった。
「魔導学院に入学するかどうかで悩んでいたのか」
事情を聴いたアンジェロはしみじみと頷き、
「悩めることが羨ましいよ。僕には選択で悩む機会もない」
「あ……すいません……」
「ちょっと意地悪を言ってしまったね。ごめんよ」
恐縮するヴィンセントへ微苦笑を返した。
「僕の考えだけれど、君は魔導学院に進むべきだよ。適性があるんだ。才能を伸ばした方がいい」
「でも、御本家やお金が」
「お金のことは何も言えないけれど、シュトライバーさんと相談すれば、何とかるんじゃないかな。それで、君の言う本家のことだけどね」
アンジェロは言った。
「それこそ、シュトライバーさんの言うとおり、気に掛けることなんかない。御本家との関係は君の父君と母君の問題であって、君には何の非もない。それに、君の立ち回り次第だと思う」
「立ち回り?」
想像もつかなかった単語に訝るヴィンセントへ、アンジェロ少年は説明する。
「入学後に本家の顔を立てるのか、それとも、本家を見返してやるのか。それだけでも、だいぶ違ってくるよ」
「な、なるほど」呆気にとられた後、ヴィンセントは敬意を込めた目を向け「アンジェロ様は凄いなぁ」
「結局は傍観者の立場だからだよ。当事者じゃないから言えるだけ」
アンジェロはどこか自嘲的にいい、
「実際に僕が同じことをできるかと言えば、出来っこないからね……公王陛下は僕が起つことも許さないだろうから……」
大きく深呼吸した後、痛ましいほど真剣な眼差しをヴィンセントへ向けた。
「ねえ、ヴィンセント。お願いをしても良いかな?」
「僕にできることなら」
なんだろう、とヴィンセントは緊張しながら居住まいを正して、備える。
アンジェロは切り出した。哀願するように。
「ヴィンセント。僕の初めての友達の君に、魔導術士になって活躍して欲しいんだ。僕に代わって、世界に羽ばたいて欲しい。そうして、君の活躍が運よくベルモンテの僕の許にも届いたなら。これに優る喜びは無いから」
手紙をくれ、でもなければ、いずれ会いに来てほしい、でもない。アンジェロは知っているのだ。帰国したら自分は再び宮城の西庭園に囲われることを。手紙など届かず出せず、面会など決して叶わないことを。
穏やかに語られたアンジェロの願いが、如何に悲壮で悲痛で、哀切に満ちたものか、10歳のヴィンセントでも察せられた。察してしまった。
だから、ヴィンセントは答えた。少年らしい純粋無垢な義心と友情への誠実さで。
「……わかりました、アンジェロ様。僕は魔導術士になります。アンジェロ様の許にも届くくらい活躍する魔導術士になります」
「ありがとう。ヴィンセント」
心から嬉しそうに笑い、アンジェロは右手を差し出した。
「僕達は友達だ。友達に敬称は要らない。そうだろう?」
ヴィンセントはアンジェロの右手を強く握り、大きく頷いた。
「はい。アンジェロ」
いつの間にか近づいていたポンタが、握られた二人の手にぽふっと右前足を乗せた。
「そうだった。君も僕の大事な友達だったね」
アンジェロは微笑みながら、ポンタの頭を優しく撫でた。
その天使のような横顔を目にしたヴィンセントは、なぜか無性に悲しかった。
○
ちょっと話をしましょう。
退勤時間を迎えた矢先。王都小街区社屋の総帥執務室にデルフィネが訪れた。
手にイストリア産の最高級蒸留酒を一本持って。
素面ではしたくない話をする気らしい。ヴィルミーナは溜息交じりに首肯し、専属秘書達へ先に上がるよう命じ、別室で控えていた護衛達に長くなるからと食事を取り寄せて済ませるよう告げた。
そうして、酒杯を傾け始める二人の三十路女。
「哀しい子ですね」
デルフィネは魔導術で真球の氷を二つほど作り出し、それぞれを二つの水晶グラスの中へ入れる。次いで、琥珀色の蒸留酒を指二本分ほど注いだ。
「あの礼儀正しさや気品、性格の素直さ。全てが“作られた”子供らしさです」
「……指摘されなくても察してるわよ」
グラスを渡されたヴィルミーナが苦渋に満ちた顔を作る。巧緻に長けた表情筋の苦渋顔は見事だった。
「私達が12の時にも、ああいう子は少なからずいたわ。貴女もグウェンも似たようなところがあった」
「……私もグウェンも多くを背負わされていましたから」
現王太子妃グウェンドリンはハイスターカンプ公爵家の一人娘で、当時は第一王子の婚約者候補筆頭。デルフィネはその対抗馬。ホーレンダイム侯爵家の娘で王家外戚になるという一族の悲願を背負わされていた。
蒸留酒を上品に一口飲み、デルフィネは酒精の香りが混じった溜息をこぼす。
「思えば、私もグウェンも、ヴィーナ様やメルと憎まれ口を叩き合うことで救われていた気がします。少なくとも、ヴィーナ様以外の前ですまし顔を崩せなかった」
「貴族に生まれることって幸せなのかしら」
どこか疲れた顔でヴィルミーナが嘯くと、デルフィネは深い青色の瞳で睨みつけた。
「それは流石に自己憐憫が過ぎます。自分だけが不幸だと考える人間は、概して、自分は不幸だから何をしても許されるべき、と考えがちです。負け犬的自己本位思想ですよ」
「辛辣ね」と眉を大きく下げるヴィルミーナ。
「本当に過酷な人生を送りながらも、正道を踏み外さず清廉に生きている人々はいくらでもいます。彼らこそ敬意を払い、尊重すべき人々です。私は負け犬を憐れんだりしねェ、です」
デルフィネの厳格な意見には、ヴィルミーナも反論は無い。だが、今はもっと甘ったれた理想主義的な意見を聞きたい気分だった。そんな気分のままに嫌みを吐く。
「その冷厳な正論を持つ貴女をして、あの少年には憐れみを禁じ得ない、と?」
は、とデルフィネはヴィルミーナの“甘え”を鼻で嗤い、
「ヴィーナ様だってお判りでしょう。あれほど美しく才気ある子供が、あんな彫刻みたいな様なんて、どれほど惨いことか。同情します。憐憫もします。当然じゃないですか」
見透かしたように言う。
「貴女だって絆されてるくせに」
「……そりゃ絆されるわよ」
ヴィルミーナはヤケクソ気味に蒸留酒を呷った。強い酒精に喉が焼ける。酒が流れ込んだ胃が熱い。その熱量のままに感情を吐き出す。
「私はこれまで大勢の人生を蹂躙してきた。国内はおろか大陸西方中でね。今も蹂躙を続けてるし、これからも続ける。いずれ、子供達も私に問うでしょうよ。ママは酷い人なの? てね」
「何を今更。貴女は充分にヒデェ女でクソ女だ、でございます」
「期待通りの答えをありがとう」
せせら笑うデルフィネに、ヴィルミーナも楽しげに笑った。そして、小さく頭を振る。
「私だって子を持つ親よ。母性も良心も善意も人並みに持ってるわ。冷血なんかじゃない」
グラスの中の氷を覗きながら、ヴィルミーナは忌々しげに吐き捨て、
「ベルモンテ公王は私のそうした心持を弱みと見做してる」
デルフィへ問う。
「あのクソ野郎はどう仕掛けてくるかな?」
「想像もつきません」
デルフィネは酒杯を傾け、ゆっくりと深呼吸してから続ける。
「アンジェロ君に絆させる。ここまでが目論見通りとして、その先に何がしたいのか。長期的な計画なら、アンジェロ君を王妹大公家に溶け込ませ、王妹大公家を通じて白獅子やベルネシアの各種情報を奪う。しかし、アンジェロ君はベルモンテとの交渉が終われば、帰国する。つまりこの春いっぱい。時間の余裕が少なすぎる。何もさせられません」
長広舌を休止し、強い酒で舌と喉を湿らせてからデルフィネは首を傾げた。
「まさか子供への憐憫が国益交渉へ転嫁できると考えるほど、愚かでもないでしょう。帰国後のアンジェロ君の待遇を材料にしたところで、貴女個人の情理は揺さぶれても、王国府は屁とも思いません」
気に入らない、とヴィルミーナは天井を仰いで呟き、
「悪意を感じながら出方を窺うしかできない。子供を悪意の道具にすることも気に入らない。アンジェロの境遇は憐れとは思うけれど、王侯貴顕の世界では起こりえることで、甘受すべき事実なのかもしれない」
最奥にある心情を吐露した。
「不愉快だ。実に不愉快だ。現状の全てが猛烈に不愉快だ」
「“でも”?」
「そうだよ。デルフィ。“でも”、だ」
ヴィルミーナは悔しそうに呻く。
「あらゆる面倒を無視すれば、私に出来ないことは無い。たとえば私や白獅子の金と権勢でベルモンテの反公王派を懐柔し、民間軍事会社と併せてクーデターを起こさせ、アンジェロに玉座を簒奪させることだってできる」
その見解は過剰ではない。
ヴィルミーナ自身がエスロナの血族で、列強ベルネシアの有力王族で、大陸西方の大財閥総帥で、独自戦力まで保有する。その資本と戦力と列強ベルネシアの権勢を用い、本来の嫡流たるアンジェロを強力に支援すれば、現政権を叩き潰すことも不可能ではない。
しかし――
「“でも”、そこまでやれば、王国府も明確に私を国内不穏分子と見做すわ。業界も他社も他国も私を危険視して合法非合法を問わず潰しに掛かる。側近衆すら離反する者が出るでしょうね。皆、家庭や守りたいものを持ってるんだもの。私は皆の選択を止められない」
ベルネシアで築き上げた全てを代価にするほどの価値は、ベルモンテにない。ましてや、彼の国“如き”のために側近衆や事業代表達を失うなど、ありえない。
ヴィルミーナは言った。嘆くように。
「子供一人に絆されたくらいで、そこまでバカにはなれない」
「出来ることは何も無い、ですか」
天井を仰ぐデルフィネ。目を伏せるヴィルミーナ。
「無い。あの子はじきにベルモンテへ帰り、再び窮鳥となる。私はそれを止められないし、止める気もない。それに、動いてもベルモンテ公王の猜疑心と被害妄想を煽るだけよ」
「たしかに」とデルフィネも同意した。
ベルモンテ公王ニコロはソルニオル事変の時、被害妄想と不安からヴィルミーナの異母兄を殺害している。下手に動けば、アンジェロが危うくなるだけだ。
「であれば、暴君の疑心を招かぬ程度に厚遇して、いい思い出を作らせてやるくらいしか、出来ない。それはそれで残酷な仕打ちでもあるけれど」
お手上げ、というように両手を振り、ヴィルミーナは厭世的な面持ちで呟く。
「これって偽善? それとも独善かしら?」
「そんなつまらないことより、もう一杯どうです?」
デルフィネがボトルを手にして問うと、ヴィルミーナは仏頂面でグラスを突き出した。
2人は結局、ボトルを空けるまで呑み続けた。
○
ベルモンテ公王ニコロは、不安神経症で悲観論者で人間不信と猜疑心の塊である。
不安から十重二十重に情報を集め、悲観から三重四重の策を練る。無数に張り巡らせた謀略の縦糸と術策の横糸を決して編み違えない。
王になるよりも諜報機関の長官でも務めている方が本人にも、周囲にも幸福だったかもしれない。
そんなニコロはヴィルミーナという怪物に関してもきちんと調べていた。
その人格人柄人間性、性格性質気質、思考や感情のベクトル。そうしたプロファイルの末に、『弱み』を見抜いたのだ。
同時にヴィルミーナが持つ経済的権能、社会的権勢、政治的価値、外交的影響力も充分に把握していた。
ゆえに、複数筋から届く幾多の報告書を精査し、ニコロは判断する。
策は成れり。機は満ちたり。




