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お待たせしました。ちょっと長めです。
アンジェロ・キエッザ・ディ・エスロナはカレル3世の御前で深く一礼し、最高級の楽器が奏でるようなボーイソプラノで名乗る。
「私はアンジェロ・キエッザ・ディ・エスロナ。ベルモンテ公王陛下の勅任を受け、特使として参じました。名高き列強ベルネシア王国国王カレル3世陛下の御尊顔を拝する栄を賜り、恐悦至極に存じます」
「面を挙げられよ」
国王カレル3世が鷹揚に告げると、アンジェロは顔を上げ、姿勢を正す。
落ち着いた色味の上品な礼装、麗しい礼法所作、天使のような少年美。謁見の間に居並ぶ女達が思わず見惚れ、男達も溜息を禁じ得ない。
「先触れの書状では昨今、不穏な地中海情勢にて仕儀を図りたいとあったが」
「はい、陛下。コルヴォラントおよび地中海諸国は昨今、緊張を高めつつあり、日ごと戦火の気配を強くしております」
気負いも緊張もなく、凛と響く声色の心地よいことか。
「地中海はエトナ海に面する我がベルモンテ公国は、かくも不穏な情勢を鑑み、かつての御縁からベルネシアに協力を要請させていただきにまいりました」
「ふむ」
玉座に座ったまま、カレル3世は思案する。
さらりと語ったが、アンジェロの言葉はいくつか聞き逃せない要素を踏まえていた。
公王勅任特使として派遣されながら、公王の名を挙げず我が国と語り、助力を請願したのではなく、協力を要請と言っている。
「勅任特使殿に問おう。昨今の地中海。貴国は不穏な事態の主因を何とお考えか」
アンジェロは数瞬の思考後、答えた。
「カレル3世陛下。昨今の地中海情勢は、誰が悪い、という話ではありません。これまで重ねられてきた歴史と同じです」
「歴史」
カレル3世も重臣達も意表を突かれる。特使という立場と12歳という年齢から、アンジェロが地中海におけるクレテアと聖冠連合の非を訴えるものと思っていた。ところが、出てきた言葉は『歴史』ときた。
「地中海は古の時代より交易と貿易の権益を巡り、戦火が交わされてまいりました。此度の情勢不安もまた、繰り返されてきた既得権益と新規参入の争いです」
学級発表会で自由研究を語るように、アンジェロは淀みなく言葉を重ねていく。
「メンテシェ・テュルクが地中海から灰狼海に軸足を移して以来、コルヴォラント諸国はエスパーナと海賊海岸と共に権益を握っておりました。
そこへ協働商業圏成立後のクレテアが大々的に参入し、婚姻外交で結んだ聖冠連合と共に隆盛を始めました。既存勢力と新規勢力が地中海権益の主導権を巡って戦うことは必然の流れです。
かつてベルネシアが北洋権益を巡り、イストリアと干戈を交えたことと同じです。違いがあるとすれば、北洋は貴国とイストリアで完全に囲い込むことが出来ましたが、地中海には絶対的強者が居ないということでしょう」
カレル3世は目を瞬かせ、素早く壇下に控えるペターゼン宰相以下、重臣達を睨む。
おい、聞いていた話と違うぞ。
睨まれたペターゼン宰相、外務大臣、情報統括局長官が素早く、密かに首を横に振る。
こっちも聞いてません。
『アンジェロは純粋な外交官として能力不足。あくまでこちらの心理的動揺を誘う駒に過ぎない』。王国府はそう判断し、カレル3世へそう報告していた。鉄籠の窮鳥同然の扱いを受けてきたことは間違いないのだから、王国府の分析と判断は妥当だった。
ただ、彼らは知らなかった。
ベルモンテ使節団がベルネシア訪問までの移動中と参内までの待機の間、アンジェロに徹底的な詰込み教育を施していたことを。そして、アンジェロがその無茶に応えられるだけの才覚を有していたことを。
出鼻を挫かれた感を覚えつつ、カレル3世はアンジェロへ問う。
「此度の戦が歴史の必然と踏まえたうえで、貴国は我が国に如何なる協力を求める?」
最も重要な口頭試問。
アンジェロはその小さな体の背筋をピンと伸ばし、堂々と告げた。
「クレテア、聖冠連合の両国との仲介をお願いしたく」
「ほう?」
「剣で物事を決することはおよそ文明人の所業に非ず。我がベルモンテは平和を愛する文明国であり、ベルモンテ公王陛下は平和を希求する仁君であらせられます。クレテア、聖冠連合の両国と言葉を以って和を模索する機会を設けたいのです。どうか列強ベルネシアに御協力してくださるよう、」
アンジェロは再び片膝をつき、頭を深く下げた。
「伏してお願い申し上げます」
気品に溢れた所作、天使のような美少年がひざまずいて嘆願する様。誰もが崇高な宗教画の光景を幻視していた。情理に篤い人間ならば、仏心を絆されて流されるままに了承してしまいそうな雰囲気すら漂っている。
ヴィルミーナは内心で舌を巻く。
なんとまあ。完全な“素”でこれかぃ。薄ら恐ろしいわ。伯父様はどう応じるやら。
「貴国はコルヴォラント諸国と同盟を組み、既に戦の準備を整えている。特使殿の言に嘘偽りがあるとは申さぬが、和を求めて我が国の仲介を乞いながら、戦に備える道理は如何に」
カレル3世の問いに、アンジェロは顔を上げて涼やかに告げた。
「汝平和を欲するならば、戦の備えをせよ」
「古代レムスの警句か」
「如何に我が国、我が王が平和を愛し、求めようとも、周辺諸国との協調と協和を図らねばらず、また危急存亡の秋近くにあって、戦が起こらぬと期待して何もせぬ道理が許されましょうか。斯様な無責任な国と王の下に、如何に臣民が結束、連帯できましょうか。和戦両構えは矛盾ならず。国家と王の努めであります」
アンジェロは凛とした眼差しを湛えながら、詠うように語る。
「も一つ問おう」
カレル3世は無自覚に厚意を抱きつつ、アンジェロを見定める。
「我が国は協働商業経済圏の軍事協定にてクレテアを支援する約定がある。貴国とクレテアが事を構えたなら、我が国はクレテアに味方する。貴国の回答は如何に」
「申し訳ありませんが、その問いは勅任特使として私の権限を超えます。お答えできぬ不実を御寛恕くださいますよう、お願い申し上げます」
アンジェロは再び頭を深々と下げる。
「答えられぬ、か。しかし、勅任特使殿。今の問いに答えられぬとあっては、外交官として不足だ。我々が貴国へ求める仕儀はまさに有事において、貴国の決断と身の振り方なのだ」
カレル3世は12歳の少年を詰問せねばならない不快感を覚えつつ、王としての責任を果たす。
「貴殿のいうベルモンテの懇請に是とするわけにはいかん。我が意をベルモンテに持ち帰り、全権大使なりなんなり、権限と裁量を持った人間を急派することだな」
話は終わりだ。そう言いたげに言葉を切ったカレル3世。宰相ペターゼン以下重臣達も、諸官も謁見の終わりとアンジェロの交渉の敗北を確信した。
が。
「カレル3世陛下の御言葉、まさしく道理でございます」
アンジェロは動じることなく告げ、まっすぐにカレル3世を見て、
「ゆえに、“今、陛下がおっしゃったように”本国へ全権大使を派遣するよう緊急報告をいたします。改めて我が国と我が王の懇請をお聞きいただけますよう、お願い申し上げます」
告げる。
「また、全権大使の派遣と懇請交渉の完了まで我が国のベルネシアに対する誠意として、王族の末端たる私が人質として貴国に留まります」
想定の斜め上を行く提案に、カレル3世と重臣達、諸官があんぐりと口を開け、目を丸くした。
ヴィルミーナは絶句しつつも、納得がいった。
この坊主が送り込まれた理由はこれか。なら、この提案にはオマケが付くはず。おそらく――
ヴィルミーナの予測を肯定するように、アンジェロは頭を垂れて言った。
「お聞き届けいただけるのなら、我が身の預かり先は王妹大公様の許をお願いしたくあります」
そう来るわな。ヴィルミーナは確信し、表情筋を総動員して苦り切った不機嫌顔を浮かべる。
ベルモンテの的は王妹大公家や。
ウチを『弱い』と見做して、狙いを定めとる。
刹那、ヴィルミーナの胸中にどす黒い苛立ちが沸き上がった。
前世において、ヴィルミーナはブラックエコノミー社会に頭のてっぺんまでどっぷり漬かり、資本主義の光と闇の狭間で活動していた。いや、限りなく黒に近いグレーゾーンを主戦場にしてきた。
そうした経験からヴィルミーナは『弱い』と見做されることの危険性を、厭というほど理解している。
利権と権益の闇に潜む人でなし共は、相手を『弱い』と判断したなら、一切合財を奪い、食い尽くそうと襲ってくる。
奴らに食いつかれたら、骨の髄までしゃぶられ、尊厳など塵も残らぬほど踏み躙られてしまう。
もちろん、ヴィルミーナも金の海を泳ぐ人食い鮫の一匹だった。『弱い』と判断した相手へ容赦なく牙を剥く。肉も骨も食い散らし、残骸を水底へ打ち捨ててきた。
であるから、ヴィルミーナは『弱い』と見做されることを決して看過しない。
仮に相手がこちらを『弱い』と判断したなら、その判断が誤りだと理解するまで、徹底的に抵抗し、叩きのめす。
地獄の海外行脚を経験して以来、ヴィルミーナの人生哲学であり、人界の真理であり、固定概念だった。
ようようやってくれるわ。
ヴィルミーナは目を鋭く細め、確信する。
あの坊主の扱いはともかくとして、ベルモンテには”教訓”を与えなあかんなぁ。
○
「あの性根の曲がった低能一族め……未だこれほど不快にさせるとは」
ユーフェリアは額に青筋を浮かべ、目尻をわずかに痙攣させていた。今にも髪が天を衝きそうな雰囲気だ。愛犬ガブが我が子達を連れて庭園へ逃げ出したほどだった。
「ベルモンテ公王の指図なのか、それとも他に絵図を描いた人間がいるのか」
「あの陰気な次男坊に決まってるわ」
ヴィルミーナの疑問へ、ユーフェリアが吐き捨てるように言った。
「いい、ヴィーナ。現ベルモンテ公王ニコロは根暗の陰気な性悪よ。あの腐った魚人のような目をよく覚えてるわ」
ユーフェリアは娘へ説くように語る。端正な顔を苦々しく歪めながら。
「傲慢で尊大でいつも『俺が俺が』と前に出る長男。驕慢の色狂いでいつも好き放題に振る舞ってた三男坊。その間に挟まれた根暗で陰気で鬱陶しい次男坊。それが奴よ」
散々な言い草であるが、ユーフェリアにしてみれば、控えめな表現だった。本音では汚い言葉遣いで侮蔑と罵倒の限りを尽くしたいくらいだ。
「御母様の御指摘通りとして、ベルモンテ公王が私達を標的と判断した材料は何でしょう? 確かに私はこれまで悪目立ちしてきましたが……」
「腐りきった汚物の考えなんて想像もしたくないけれど」
憎々しげに前置きしつつ、ユーフェリアは娘へ告げる。
「あの不愉快な下衆は相手の弱みに付け込むのではなく、相手の善意や良心を弱点と見做すのよ。ヴィーナは商売こそ冷徹だけれど、その他は違う。そこを弱点と見たのかもしれない」
「嫌な奴ですね」とヴィルミーナが顔をしかめる。
と。
「いっそあの不快な血統を滅ぼしてしまおうかしら。そうしたならば、ヴィーナがあの地で女王になりえるし、ウィレムが王になることも可能だもの」
薄ら恐ろしいことを言い出したユーフェリアに、ヴィルミーナは端正な顔をひきつらせた。
「ベルモンテ女公王、なんて肩書より王妹大公の娘である方がずっと好みです。もちろん、私の子供達にも王妹大公家の公子公女以外の立場を与える気はありません」
ユーフェリアは不満げに唇を尖らせる。
「ヴィーナがそういうなら、見逃してやるか」
どうやら怒り任せの発言ではなく、本気の思案だったらしい。これだからレンデルバッハの女は怖い。ヴィルミーナも相応に腹を立てていたが、母の憤慨振りを前にすると、逆に冷静になってしまう。
そんな娘の心中を知ってか知らずか、ユーフェリアは不満顔でのたまう。
「……でも、件の子をウチで預かるのは嫌。エンテルハーストの貴賓室にでも放り込んで」
「そういう訳にもいかないでしょう。法的に御母様はベルモンテ公王子夫人なんです。当家を差し置いて余所に与らせては、御母様の面目が立ちません」
「面目なんてどうでもいい。関わりたくない」
道理を説くヴィルミーナに、ユーフェリアは与り知らぬと吐き捨てる。
「御母様が再婚なさっていれば、話も変わっていたのでしょうけれど、こればかりは」
頑固な母の態度にヴィルミーナが思わずぼやく。と、ユーフェリアは瞬間沸騰したように憤慨した。
「なんでそんな酷いこと言うのっ! これまで母と娘の2人でずっと頑張ってきたのにっ!」
「や。事実を言っただけ――」
「ヴィーナはママがベルモンテでどんな仕打ちを受けたか知らないから、そんな淡白な態度を取れるのよっ!! とにかく、ママは絶対に認めないし、許さないっ! 預かるというならクレーユベーレの別邸にでも放り込んでおきなさいっ!」
「……そうなると、私も子供達もクレーユベーレにゆかねばなりません」
「!? なんでヴィーナとウィレム達まで行くのよっ!? 王立憲兵隊にでも見張らせておけばいいじゃないっ!」
「ですから、それでは王妹大公家の面目が」
「そんなもの知ったことじゃないっ!」
母娘が、というか母が一方的に癇癪を起して怒声を飛ばし、娘が宥め、諭し、説得するというやり取りが続く。
子供部屋まで届くユーフェリアの剣幕に、
「ママとおばあちゃん、喧嘩してるの?」
「まさか。ちょっと難しい話し合いをしているだけですよ。さ、若様。お勉強の時間ですよ」
侍女長はしれっと告げ、微笑みながらウィレムを学習室へ案内していく。
王妹大公家母娘の口喧嘩は珍しいことだが、これまでも幾度か起きていた。そして、最終的にはヴィルミーナがユーフェリアの納得する落としどころを見出し、軟着陸させる。
家人達は此度もそうなるだろうと考えていて、実際、ヴィルミーナはそうすべく、奮闘していた。
母を宥めながら、ヴィルミーナは思う。
くそぅ。これも全部、ベルモンテが悪い。絶対にカタぁとったるかんなぁ……っ!
○
ベルモンテ公国勅任特使アンジェロ・キエッザ・ディ・エスロナの使節団が王妹大公家に到着した。
王立憲兵隊の護衛に加え、白獅子の民間軍事会社の警護員も同行していた。まるで重犯罪者の移送みたいだ。
アンジェロがベルネシア国王カレル3世との謁見が済むと、使節団は大半が帰国してしまっていた。そのため、王妹大公家に訪れたのは、アンジェロと身の回りを世話する侍女2人。それと護衛の2人、計5人だけ。
侍女と護衛はいずれも出自が低い。侍女2人は世襲騎士家の出で、護衛2人は此度の任務に合わせて叙任を受けた当代騎士という有様。露骨な人選だった。
「特使の護衛と侍女は案山子にもなりません。私一人でも容易に制圧可能です」
ヴィルミーナの護衛頭はどこか呆れ気味に報告した。
「特に、あの護衛共。連中が自分の部下だったなら、今すぐ解雇してます」
「侍女の方は?」
「あれが間諜や曲者の類だとしたら、そこらの子供でも勤まります。仮に連中が真の実力を隠して演技しているというなら、4人全員が歴史上最高の名優でしょう。侍女としての評価は、侍女長曰く侍女を名乗る最低限の水準を満たしているだけ、とのことです」
護衛頭の回答に、ヴィルミーナは思わず溜息をこぼした。
「徹頭徹尾舐められている、と感じるのは私の被害妄想かしら」
護衛頭は気の毒そうな顔で問う。
「若様方はどうなさいます? 当家に逗留中、どうしても接触の機会が生じますが……」
「子供達を害するような真似はしないだろうとは思うけれど、毛先一本分でも子供達の心身を傷つけたなら、即座に無力化しろ。死にさえしなければ、やり方は問わん」
刹那、ヴィルミーナが冷たい暴圧をまとい、護衛頭が思わず背筋を伸ばす。
ヴィルミーナの命令を逆説的に捉えるなら、子供達が害されるような事態を防げない時点で、護衛達の重大な瑕疵となる。
かといって、早合点でアンジェロ達を“無力化”したら、それはそれで国際問題だ。匙加減が非常に難しい。
護衛頭は溜息を抑え込み、内心で嘆く。
こりゃ特使一行が出ていくまで胃が痛くなる日々が続きそうだな……
○
アンジェロ・キエッザ・ディ・エスロナは籠の窮鳥として生まれ育った。
物心ついた時には既に母はおらず、父は酒毒で廃人同然であった。同情的な侍女と警護(看守と同義だ)が辛うじて教育や躾を施したが、それとて“業務”という態度がありきだった。
世が世なら玉座を継ぐ王子として扱われていただろうに。
しかしながら、王妹大公家の応接室に通されたアンジェロは、まさしく貴顕に相応しい気品に満ちていた。その佇まいと一つ一つの所作は美しさすら感じられる。少年の美、その到達点と評しても良いだろう。
はぁ……ほんま、ばりかわええ。ベルモンテ絡みやなかったら愛でられたのに……
ヴィルミーナは詮無き事を思いつつ、隣に座る母を一瞥した。
母ユーフェリアはアンジェロに対し、どこまでも冷淡な態度を向けていた。どれほど美しく身だしなみを整え、着飾り、礼儀作法に則っていようと、ドブネズミはドブネズミ。そう言いたげな目つきをしている。
まったくブレへんなぁ……ま、これが御母様の強みでもあるんやけど……
同席しているレーヴレヒトは穏和な表情をしつつ、顕微鏡を覗くような目つきでアンジェロとその一行を観察していた。アンジェロ達の体つきや仕草、挙動、体勢などから“特徴”を分析している。いざという時、首狩りを行うためだろう。コワイ。
こっちはこっちで平常運転やし……頼もしいと思うべきか、首狩り人やのぅて“私の夫として”振る舞えと脇を突くべきか……
なんやもう頭痛ぁなってきたわ。
倦んだ気分を押し殺しつつ、ヴィルミーナはアンジェロに言った。
「当家滞在中、私が貴方に求めることは一つだけ。悪さはするな」
そこらの坊主に向けるような言い草だった。特使にも、王子にも掛けるべき言葉ではない。
アンジェロは大きく困惑した。ヴィルミーナの言葉が何かの暗喩なのか、含みを持たせているのか、分からない。
言葉通り受け止めたアンジェロの侍女と護衛達は『何て言い草だ』と眉を顰める。
他方、レーヴレヒトが微苦笑を湛え、ユーフェリアはやや呆れ顔を浮かべる。侍女長と護衛頭が思わず瞑目し、御付き侍女メリーナがヤレヤレと肩を竦めた。
室内の全員を無視してヴィルミーナは続け、
「違法なこと、非合法なこと、政治的な面倒が生じること、公序良俗に反すること。一般良識から外れる悪さはするな。それ以外は概ね、好きにしてよろしい。
当家で穏やかに過ごすのも、我が国で各種茶会や夜会に参加しても構わない。分からないことがあれば、時々に応じて家中の者に聞きなさい。
ああ、それともう一つ」
真顔で問う。
「食べられない物は?」
「え」
アンジェロは目を瞬かせ、正直に答える。
「す、好き嫌いはありません」
「結構。食事はお代わり自由よ。好きなだけ食べなさい」
ヴィルミーナは呆然とするアンジェロを余所に、侍女長へ告げる。
「特使殿と御一行を客間へ案内して差し上げて」
「え? え? え? あの、王妹大公嫡女様?」
完全に予期せぬ展開にアンジェロ少年が年相応に戸惑うも、ヴィルミーナは関係ないと言わんばかりにぱんぱんと柏手を鳴らして急かす。
「ほれ。さっさと行くっ!」
「えぇー……」
アンジェロ少年は目を丸くしたまま侍女長に連れ出されていった。
室内に残っていた面々の中で、レーヴレヒトがくすくすと喉を鳴らす。
「あの子も何かしらの交渉や質疑応答に備えて気張っていただろうに」
「そういうのは王国府の役人がすべきことよ。私はそんなことしない。したりするもんですか」
ヴィルミーナは不満顔に加え、唇を尖らせる。
「向こうの都合なんか知ったことじゃないわ。預かり役として歓待するだけよ。ええ。そうよ。たらふく美味いもの食わせて、たらふく遊ばせて、満足と共にお帰り頂くわ」
「お金渡してその辺の宿にでも放り込んでおけばいいのに」とユーフェリアはどこまでも冷淡に言い放つ。
「それにしても……可愛い子でしたね……天使様の御顕現と言われても信じますよ」
メリーナが眼福を反芻しながらしみじみと呟く。
「まあ、それは否定しない」
ヴィルミーナもしみじみと、物凄く残念そうに言った。
くそぅ。ベルモンテのつながりがなけりゃあ、素直に愛でられたんやッ! もしくは面倒な背景がなければっ! あああ、口惜しやぁっ!
12歳の美男子を愛でられないことを嘆くヴィルミーナさん。三十路の人妻で三児の母です。




