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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第3部:淑女時代

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239/336

18:3

遅くなって申し訳ない。

落とし物すると凄く落ち込むよね……

大陸共通暦1781年:春

大陸西方コルヴォラント:ベルモンテ公国:宮城

――――――――――

 ベルモンテ公国の宮城は港湾部から数キロほど内陸の高台に建っている。


 日本の城が二の丸、三の丸、天守閣と様々な建物から成るように、ベルモンテ公国の宮城も複合的施設である。外郭、内郭、本城、城内礼拝堂、兵舎、厩舎、倉庫、庭園、訓練場、あれやれこれや。

 宮城内郭内の一角。

 南方産の観葉植物が無思慮に植えられた西庭園にも、“あれやこれや”の一つがある。


 深藪を思わせる陰鬱な庭園の奥へ向かえば、四阿と呼ぶには少々立派な建物がひっそりと佇んでいた。

 書類上は宮城内小離邸。宮仕えの者達は西庭園を含めて『箱庭屋敷』と呼ぶ。


 12歳の少年、アンジェロ・キエッザはこの『箱庭屋敷』の住人だった。もう一人の住人は彼の父親で、一日の大半を寝室か縁側にあたるテラスのカウチに座り、曖昧に虚空を見つめながら過ごしている。


 アンジェロ少年は物心ついた時には既に『箱庭屋敷』で暮らしていた。物心ついた時からずっと、心と体を壊した父の世話をしてきた。屋敷担当の侍女と警備兵の個人的善意により施される教育を受けながら、この陰気な箱庭の中で過ごしてきた。


 彼が斯様な人生を送る遠因はユーフェリアであり、近因は公王継承を巡る内ゲバで、直接の原因は、ベルモンテ公王ニコロ・ディ・エスロナだった。


 ※   ※  ※

 内ゲバを制して玉座についたニコロが最初にしたこと。それは対立派閥――亡き兄の遺児を支持する者達の粛清だった。


 ある者は自裁させ、ある者は処刑し、ある者は追放し、ある者は監獄や修道院に押し込めた。もちろん資産や領地も没収した。

 親族とて容赦しなかった。従兄弟の首をはね、兄の妻に毒酒を呷らせた。追放した母方の親戚一家は三年と経たず客死したという。


 しかし、兄の遺児である甥は処刑しなかった。

 当時、甥は年端もいかず、ニコロの母――公太后が宮廷で泣き縋って孫の助命を乞うたことも大きい。


 不安神経症で被害妄想で猜疑心の強い悲観主義者ニコロは、甥を修道院ではなく『箱庭屋敷』に押し込めた。手元で監視するために。余人の接近を阻むために。ニコロは甥を名前では呼ばず、ただ『甥』と呼んでいる辺り、どのような感情を抱いているか窺えよう。


 さながら松平忠輝の嫡男徳松の如しだ。徳松は父の改易に伴い、赤子のうちに阿部重次へ預けられた。そして、阿部家中で虐げられ続け、ついに18の時、元服を許されぬまま焼身自殺を遂げた。神君徳川家康の孫が、だ。


 ニコロの『甥』は徳松ほど悲惨ではなかったが、その不遇から酒毒に溺れた。ベルモンテ公王嫡男の子に生まれながら完全に未来と希望を奪われているのだから、無理もない。

『甥』は現在、30代後半。既に重度のアル中で廃人に同然だった。ニコロの“計画通り”である。


 ただし、計画外もあった。

『甥』が手を付けた下女が子を産んでいた。当初、ニコロはこの甥の子――甥孫を母親諸共に抹殺するつもりだった。後顧の憂いは立つべし、だ。


 この時、『甥』の境遇を哀れんでいたベルモンテ公国枢機卿が助命嘆願に動き、政治的事情から甥孫は殺されずに済んだ。

 ただし、ニコロは枢機卿が提案した甥孫の修道院預かりを認めなかった。悲観主義者のニコロは不安の種を手元で監視せずにはいられない。そして、やはり名で呼ぶことなく『甥孫』と呼んでいた。


 ここまで記せばお分かりであろう。

『甥孫』がアンジェロ少年であり、心壊れた『甥』がアンジェロの父だ。

※    ※   ※


 共通暦1781年の春。優しい陽気のこの日、『箱庭屋敷』の許に近衛の一隊が訪れた。

「公王陛下がお召しです」


 慇懃無礼な口調であったが、アンジェロは別段気にしない。生まれて以来、辛く苦しく悲しいことが常だったアンジェロにとって、不当に侮られることなど日常茶飯事だった。


 アンジェロは近衛と共に斑岩の石畳を歩き、西庭園を出ていく。

 物心がついてから13回目の“外出”だった。


      ○


 公王の甥孫アンジェロはエスロナの名乗りを許されていない。

 下賤の血が混じった私生児にすぎぬため、母の姓を名乗らされている。むろん、アンジェロは生母も生母の家族にも会ったことがない。すでに死んでいる、とだけ聞かされていた。


 齢12。辛く悲しい生まれ育ちながらも、アンジェロ少年の顔には人生への失望も世界への諦観も無い。その青紺色の瞳には、無慈悲な現実に屈しない勇気と健気が宿っている。

 そして、アンジェロは美しい少年だった。


 謁見に相応しい礼装に着替えさせられたアンジェロ少年が、余人の居並ぶ玉間に到着する。

 女達が思わず溜息をこぼし、男達が唸る。誰もが、アンジェロ少年の名の由来たる天使染みた中性的美貌に目を奪われ、魅了されていた。


 否。

 小心の幽鬼王ニコロだけは違う感想を抱く。自らが冷遇し虐げる美少年を前にしても、その政治的危険性を再認識し、不安神経症と猜疑心が疼くだけだ。


 誰に教育されたのか、アンジェロは見事な礼法所作で玉間に片膝をつき、深く一礼する。

「ロランドの子アンジェロ。お召しにより参じました。公王陛下におかれましては御機嫌麗しく祝着至極にございます」

 その声は澄んだ鈴の音のようなボーイソプラノだった。


「余の面貌を見て機嫌が麗しいとは、よぉ舌を回すものよ」

 ニコロはうっそりと告げる。


 その猜疑と冷酷が澱み凝った声色に、玉間に居並ぶ者達が密やかに身を震わせる中、アンジェロはまったく動じない。長い睫毛を伏せさせ、微動にせずニコロの言葉を待っている。


 可愛げのない甥孫にニコロは顔の皺を歪めて不快そうに続けた。

「まぁいい。貴様に一つ役目を与える。これまでの飯代分くらいは働いてこい」

「非才非力の身なれど、陛下の御命令ならば身命を賭して」とアンジェロは即答。


 ふん、とニコロは頬杖を突き、落ちくぼんだ相貌でアンジェロをねめつけた。

「此度の役目に際し、貴様にエスロナを名乗ることを許す。アンジェロ・キエッザ・ディ・エスロナ。勅任特使とする。公王家エスロナの者として任を果たせ」

「身に余る栄、恐悦至極にございます。陛下とベルモンテのため、必ずや任を果たします」

「詳細は後に内務大臣のザンブロッタから聞け。以上だ。下がれ」


「は。失礼いたします」

 アンジェロは隙も乱れも無い所作で謁見の間を辞していった。一挙手一投足が美しい。まるで最高峰のバレエダンサーのようだ。


 ニコロは昏い眼差しで12歳の甥孫の背を見送り、北洋沿岸の姪を思い浮かべる。報告書や新聞の姿絵、似顔絵からその顔は知っているが、実際に会ったことは一度だけ。ユーフェリアの腕に抱かれ、王位継承権を破棄する手続きをしていた時だ。

 あの赤子が今や協働商業経済圏の怪物と呼ばれ、恐れられているという。


 ニコロは内心で嗤う。

 怪物はしょせん、獣だ。獣より人間の方がはるかに恐ろしい。


      ○


 ヴィルミーナはベッドに寝転がって書類に目を通していた。愛する夫レーヴレヒトはヴィルミーナを背中から抱きしめ、髪に顔を埋めるように寝息を立てている。片手がヴィルミーナの乳房を掴んでいるのは愛嬌だろう。


 夫に“甘え”られながら、ヴィルミーナは書類を読み進めつつ、来たる地中海の戦禍に備えた工作--聖王教会伝統派総本山の法王国を利用する策が上手くいっていないことに頭を悩ませていた。

 法王国の生臭坊主共は流石に金の扱いがこなれている。クレテアや聖冠連合の伝統派を看板にした工作は不調で、相当額の献金を匂わせても全く動じない。立案者のアレックスも気に病んでいる。


 どうしたものか。


 不意にレーヴレヒトが寝返りを打つ代わりに手を動かし、ヴィルミーナの乳房を揉む。

 くすぐったい。ヴィルミーナは控えめに微苦笑しつつ、肩越しにレーヴレヒトを窺う。すやすやと無警戒に眠りこけている。


 レーヴレヒトは地中海で事が起きたら、出征するかもしれない、と言っていた。第二次東メーヴラント戦争の時と同じように戦場へ浸透潜入し、情報を探るのだろう。


 不安はある。が、レーヴレヒトを信じるしかない。必ず帰ってくると。


 ただ、子供達も親の仕事に関心を持つ年頃だ。特殊猟兵のウェットワークをどう説明したものか。それに、白獅子の持つ光闇についても。


 答えの出ない問題に辟易し、ヴィルミーナは書類を投げ出して枕もとの魔導灯を消す。

 果報は寝て待て、言うしな。今日はしまいや。明日にはええ考えが浮かぶと信じよ。



 ところがどっこい。

 翌日の朝っぱらに届いた報せは、果報どころか凶報だった。

 ベルモンテの使者来たれり。


       ○


 ベルモンテ公国勅任特使一行は海路でクレテアへ、クレテアから飛空船でベルネシアに渡った。


 12歳のアンジェロ少年にとって、宮城の外に出ることも外国へ赴くことも、船に乗ることも飛空船に乗ることも初めてだった。世界の美しさを見ることも、初めてのことだった。


 この時、アンジェロ少年がどのような感想を抱いたのか。物心ついた時から宮城の外へ出られなかった籠の小鳥が、世界の広さと美しさに触れてどんな感情を抱いたのか。

 その心中は一万の言葉を費やしても語り切れない。とても表現しきれない……


 ともかくベルネシア王国王都オーステルガムに到着したアンジェロ少年は、一行と共に“王国府”へ向かった。

 そう、ヴィルミーナの許ではなく王国府へ参じた。


 すなわち、この訪問が秘密外交ではなく公式外交だった。

 戦禍が近づいているこの時節、ベルモンテ公国は堂々と使者を派遣した。それもロクな事前通告無しで12歳の“王族”を看板に。


 公式外交としてはあまりにも不躾。非礼ですらある。

 とはいえ、公式な王族外交とあっては無下にも出来ない。ベルネシアには列強としての器量が求められるからだ(列強相手の敬意を示されなかったことに不快感を見せることも忘れない)。

 ベルネシア外務省は『調整する』といって時間を稼ぎ、“上”へお伺いを立てた。


 で、だ。


 エンテルハースト宮殿。

 その一室にて、ベルネシア国王と王太子。王妹大公の代理として王妹大公嫡女。宰相と外務大臣。ベルネシア情報機関の王国府情報統括局長官が雁首を並べていた。


 レンデルバッハ家の面々は苦々しい顔つきを、王国府重臣方は困惑混じりの渋面を浮かべている。


「ベルモンテはどういうつもりなんだ?」

 苦虫を100匹くらい噛み潰したような顔で、カレル3世は御歴々ヘ問う。


「さっぱりです」

 宰相ペターゼンは小さく肩を竦め、外務大臣へ説明を求めるように目線を向けた。視線を向けられた外務大臣が隣の情報統括局長官へ顔を向ける。

「勅任特使アンジェロという少年がベルモンテ公王家エスロナ一族の人間という点に、間違いはありません。ただし、これまで公式には存在しない王族でした」


 長官の言葉にカレル3世が眉を顰める。

「どういう意味だ? 偽の王族なのか?」

「現公王ニコロの甥孫であることは間違いありません。アンジェロの父親は先代公王の亡き嫡男で、正式には未婚者ですが、手を付けた侍女に産ませた私生児です。このため、これまで公王家の一員として認知されておりませんでした」


「待て。先代の嫡男だと?」

「そうです」長官は不機嫌顔のヴィルミーナを一瞥し「ユーフェリア様の帰国騒動時に命を落とした公王嫡男。アンジェロはその孫にあたります」


 長官の説明にカレル3世の顔つきが険しくなる。ペターゼンと外務大臣も眉根を寄せ、眉間に深い皺を刻む。王太子エドワードが隣のヴィルミーナを盗み見る。

 ヴィルミーナは既に凶悪なほど眉目を吊り上げていた。


 カレル3世は剣呑な様子の姪を視界から外しながら、再び問う。

「では、この公式派遣は『ベルモンテは我々に貸しがある』、そういうメッセージか? だとして、連中の狙いはなんだ? 地中海有事の仲裁か? 聖冠連合とクレテアを説得しろとでも?」


「自らの無能を晒すようですが、わかりません。現時点で何が狙いなのか、把握しかねております」

 長官は首を横に振りつつ、どこか倦んだ顔で続けた。

「情報収集で確認した内容によれば、アンジェロとその父親はかなりの冷遇を受けております。親子は窮鳥の扱いを受けており、父親の方は既に酒毒で廃人状態だとか。母親とその一家は消息不明です。おそらくは既に処分されたかと」


「私の独自調査でも同様の報告を受けています」

 ヴィルミーナが口を開くと、自然、場の全員が目を向けてくる。

「親子はこれまで宮城の一角で飼い殺しを受けていたと。アンジェロはこの派遣までエスロナの名乗りを許されず、母方の姓キエッザを名乗っておりました」


 ふ、と息を吐いてヴィルミーナは言った。

「母と私の帰国によって、運命を狂わされた。そんなところです」


「だとしても、我が国に責任はありません。アンジェロ親子の苦境は現公王の差配で生じたものです。そもそも現公王が即位できたのは、ユーフェリア様の帰国あってのこと。感謝される謂れはあっても、非難を受ける筋はありません」

 外務大臣は強く言った。


 ペターゼンも首肯する。

「同感です。なるほど、先代公王の嫡男殿が命を落とした要因はユーフェリア様にあるやもしれません。しかし、そもそもユーフェリア様の帰国はベルモンテ公王が承認したものであり、財産その他の持ち出しも、正妻としての権利遂行でしかありません。アンジェロ殿の不幸な氏育ちに関しても、これは完全にベルモンテ公王家が原因です。我々に非はない」


「理屈ではな」

 カレル3世は不快感を込めた鼻息をつく。

「だが、気分が悪い」

「ええ。とても」とヴィルミーナは頷く。「実に不愉快です」


「それこそがアンジェロを派遣した狙いではないでしょうか。王家の皆様の御心に付け入ろうという策です。短期間の簡単な調査で、アンジェロやその家族の境遇が容易く判明したことも説明が付きます」

 長官の指摘にカレル3世の顔が大きく歪む。王太子エドワードも顔を大きくしかめた。ヴィルミーナに至っては明確に怒っている。


「推論ではあるが、悪意の塊みたいな策だな。反吐が出る」

 カレル3世は忌々しげに吐き捨てた。

 施政者には冷酷や悪意を持つ必要があることくらい、カレル3世も理解している。だが、不愉快なものは不愉快だ。気に入らないし、腹が立つ。気を宥めるように深呼吸した。

「謁見して向こうの用向きを質さねば、対応が打てないか」


「陛下。クレテアと聖冠連合が此度の件を注視しております。何卒、慎重な対応を」と外務大臣が釘を刺す。


「この外交で我が国とクレテア、聖冠連合の連携に掣肘を加える。それが目的かもな」

「両国と我が国の結束はいまだ強固とは言えませんが……それでも、我が国が両国よりベルモンテ、コルヴォラントを優先するなどありえない。経済的にも外交的にも利がありませんから」

 エドワードとペターゼンがやり取りする中、長官がヴィルミーナに問う。

「ヴィルミーナ様、王妹大公様はこの件で何かおっしゃっていましたか?」


 全員が一瞬で口を噤み、固唾を飲んでヴィルミーナの回答を待つ。


 ヴィルミーナはゆっくりと深呼吸してから、

「概ねは静観するとおっしゃっています」

 言った。

「ただし、此度の件で如何なる“犠牲”も被る気は無いと。王国が王妹大公家に犠牲を強いるなら、レンデルバッハの女に相応しい対応を取ると仰せです。私も母の見解に同意しております」


 全員が顔を強く強張らせた。カレル3世は王としてヴィルミーナを睨む。

「バカな真似だけはするな。ただでさえ、お前とユーフェリアは何かと悪目立ちしがちなのだ。王権を以って処さねばならなくなる」


「御宸襟を騒がせぬよう留意します、陛下」

 ヴィルミーナはすまし顔で応じる。


「ベルモンテめ。厄介な事態を招いてくれる……」

 エドワードのぼやきに、ヴィルミーナ以外の全員が同意するように眉間を押さえた。


      ○


「写真や似顔絵で見るだけなら、とっても可愛いわね」

 ヴィルミーナは資料からアンジェロ少年の似顔絵を手にし、小さく口端を歪めた。

「鬱陶しい事情がなければ、愛で倒したいくらい」


 可愛い男の子が好き。ヴィルミーナの大声では言えない嗜好である(本人曰く『可愛い男の子が嫌いな女なんていないでしょっ!』)。


「夫として呆れるべきか、妬くべきか」

 テーブルを挟んで向かいに座るレーヴレヒトが、微苦笑を浮かべた。


「どう思う?」

 ヴィルミーナがレーヴレヒトへアンジェロ少年の似顔絵を見せる。


「彼が陛下や君達の心理的動揺を狙った人選なら、既に成功しているな」

 レーヴレヒトは腰を上げ、ティーセットの許へ向かう。夫婦だけの時間だ。御茶も自分達で用意する。

「だが、純粋な外交的には右左も分からないただの子供。外交の実務を負う本命がいるはずだ。しかし……使節団の人員にそれらしい者はいない。合ってる?」


「ええ。だからこそベルモンテの意図が図り切れない」

 渋面を浮かべるヴィルミーナを横目にしつつ、レーヴレヒトは白磁のカップを二つ用意し、東南方産香草の蕾をいれた。


「難しく考えすぎだよ。心理的動揺を与えながら、その揺さぶりに乗じて攻撃を加える者がいない。なら、現段階はまだ相手が策を仕掛けてる最中ということだ」

「……これが、最初の一手に過ぎないと?」と訝るヴィルミーナ。


「ことは戦争を控えているし、ベルモンテの命運を左右する。十重二十重の策を打っていると考えるべきだろう。今回のカギはベルネシア戦役と同様に“時間”だな」

 レーヴレヒトは魔導術で温めたお湯をカップへ注ぐ。

 熱いお湯に浸された蕾がカップの中で開花するように花弁を広げ、お湯を仄かな桜色に染めていく。


「時間?」とヴィルミーナが目を瞬かせる。

「既に情勢は戦争へ向けて動いてる。コルヴォラント北部では戦力が集結してるし、コルヴォラント東西の方面連合艦隊も準備を進めてる。おそらくは事前につかんだ通り、夏以降、地中海で小競り合いが多発するだろう」


 レーヴレヒトは両手にカップを持ってテーブルに戻り、妻と自身の手元にカップを置いて着席した。

「彼らの計画ではその小競り合いを足掛かりに、秋口頃に戦端を切るつもりらしいが、場合によっては、その小競り合いから戦争開始が早まる可能性だってある。いや、その公算の方が高い。大勢の人間の思惑と利害が絡んでいるんだ。計画通りに事が運ぶ方が難しい」


「たしかに」と頷くヴィルミーナ。

「ベルネシア戦役時、カギは外洋派遣軍が本国へ到着するまでの時間だった。だからこそ、クレテアは短期決着を狙って20万もの兵力を投入したし、こちらも時間を稼ぐために防衛線を死守し、敵の兵站を徹底的に破壊した。時間が全てを決定する要素だった」


 夫の淹れてくれた御茶を口に運び、

「その論に従うなら、この可愛い坊やを使うベルモンテの策は、この春のうちに決するわけだ」

 ヴィルミーナはどこか表情を和ませた。

「こちらはただ進展を遅らせるだけで良い」


「もちろん、相手も然るべき手を打つはずだ。性格の悪い陰謀屋のようだし、何を仕掛けてくるやら」

 今生の幼き頃から頼りにしてきた相棒のぼやく様に、ヴィルミーナは柔らかな微苦笑を浮かべる。そして、再びアンジェロ少年の似顔絵を見る。

「それにしても……12歳、か」


「君に横恋慕した変態が暗殺者をけしかけてきたのは、たしか13の時だったかな」とレーヴレヒトはくすりと笑う。


「あの時は絶句したわ。児童性愛者に懸想されていたとか吐き気がする」

 ヴィルミーナは椅子の背もたれに体を預けた。表情筋が心からの不快感を表現する。

「多分……ベルモンテ公王は自分の行為を非道とは考えてないでしょうね」


「こちらの情理に付け入る妙手を打った。その程度の認識だろう」

 レーヴレヒトはアンジェロ少年の似顔絵を見つめながら、

「王としては優秀だ。情に動かされず権力を自身の許に一本化させ、国内を安定させた。二大国を相手にする戦争を控えた状況で、両国に影響力が強いベルネシアに狙いを定めて策謀を巡らせている。賢君の類だな。仕えたいとは思わない類でもあるが」

 言った。

「ヴィーナ。もしもの時、決断することになると思う」


「分かってる」

 ヴィルミーナは顔を憂鬱に歪め、

「優先順位は間違えないわ、レヴ。すべきことをする」

 大きく息を吐いて、祈るように言った。

「そんな時が来ないと良いのだけれど……」


    ○


 そして、ベルモンテ公国勅任特使アンジェロ・キエッザ・ディ・エスロナは王国府宮殿へ参内し、謁見の間へ足を踏み入れる。

 王妹大公名代としてヴィルミーナは諸官に混じって謁見に同席しており、謁見の間に入室した美麗な少年を見つめながら、思う。


 この愛らしい坊やは見た目通りの天使か。天使の面をした悪魔か。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 甥孫ってウィレム君とヒューゴ君の事ではなかったのか。一安心ですわ。 [気になる点] ベルモンテ公国何考えているのだろ? 今回の戦争は勝てないと見越して正当な王位継承者をベルネシアに逃がした…
[良い点] >ニコロは内心で嗤う。 >怪物はしょせん、獣だ。獣より人間の方がはるかに恐ろしい。 このニコロが言う「人間」が自分の事なのか、アンジェロ少年の事なのか判断が難しいw ニコロが自分の事を…
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