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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第3部:淑女時代

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238/336

18:2

ちょっと詰め込みました。申し訳ない。

 後世の地中海史において、大陸共通暦1781年の春は『謀略の季節だった』と認識されている。

 皮肉的な表現を好む、ある歴史家は『喜劇的なまでの愚かしさ』と同時期のコルヴォラント諸勢力の外交や策謀を評している。


 ※   ※   ※


 その日、一つの茶番が催された。

 ナプレ王国ウディノ伯ルイジ・ペツリーノの公使は王妹大公家を訪問した。進物に大量の冷凍オレンジと最上等オレンジ精油を持って。


 コルヴォラント趣味に満ちた王妹大公家の豪奢な応接室へ通され、公使はヴィルミーナとユーフェリアに対面すると、その場で両膝を突き、

「王妹大公様、王妹大公御嫡女様の御尊顔を拝し賜り、恐悦至極にございまするっ!!」

 敗残兵が慈悲を乞うように告げる。


「どうか、どうか、ナプレ王国に王妹大公様と御嫡女様の御寛恕と御助力を賜り下さいますよう、伏してお願いいたしまするぅっ!!」

 五体投地しそうな勢いであった。


 公使は50代半ば。相貌ふくよかな壮年紳士であり、おそらくは妻子も孫もいるだろう。誇りあるコルヴォラント男のはずだ。

 その公使が恥も外聞も体裁もかなぐり捨てて、ウディノ伯が命じた通り、全力で全身全霊を投じて、ひざまずいて、へりくだり、こびへつらっていた。宮仕えは大変だ。


 普段のヴィルミーナやユーフェリアなら、公使の面目と自身の外聞を慮ってすぐに態度を改めさせるところだが、ことは非常にデリケートな“血”の問題である。

 王妹大公家母娘は冷厳さと冷淡さを隠さない。すなわち、ウディノ伯の弱者戦略には付き合わない。


「公使殿。まずは着席されよ。話が始められない」

 ヴィルミーナは控えめな手振りと共に“命じ”、公使を椅子に座らせる。


 御付き侍女メリーナが王妹大公家母娘と公使の手元に白磁のカップを並べた。南小大陸産珈琲の優雅な香りが薫る。


 こちらの顔色を窺う公使へ、ヴィルミーナは言った。紺碧色の瞳に冷酷さを滲ませて。

「まず断っておくが、私は亡き父の御愛妾と異母姉になんら情を持っていない。今日までなんら接点がなく、顔も名前も知らない。血のつながりがあるからとて、姉妹の情は無いものと理解いただきたい」


「ベルモンテ公国第三王子正妻だった私としても、妾と私生児“如き”に掛ける情けも無い。卑しい私生児が正統嫡子たる我が娘の誼を欲するならば、本人がこの場にて縋りつくが筋であろう」

 母ユーフェリアは娘以上に苛烈な酷薄さを発揮していた。レンデルバッハの女らしい獰猛な威容を余すところなく放っている。


 王妹大公母娘から睥睨され、公使殿はバッとソファから飛び降りて芸術的なDOGEZA。

「御不興の段、平に平にっ! なれども当家はベルネシアと所縁薄きナプレの一伯爵家に過ぎませぬっ! 御不快なるつながりであろうとも、それに縋るしかない由、どうかどうか御斟酌賜りますようお願い申し上げまするぅっ!!」

 個人の誇りも尊厳も投げ打った全力の、全身全霊の哀願。


 しかし、そんなものに“誤魔化される”ヴィルミーナでもユーフェリアでもない。

「その忠心見事。されど、公使殿が如何に忠心と誠心を披露しても、私にも母にも、能うことと能わぬことがある」

 ヴィルミーナは背もたれに体を預け、紺碧色の瞳で公使を見つめる。さながら怪物が『こいつは食う価値があるのか』と見定めているよう。


「私は“それなり”の財閥こそ率いているが、公的には無任無官。王妹大公たる母も政や外交に意見を呈する立場にない。国王陛下と親族の好誼はあれど、英邁なる陛下は身内が情実を以って政に干渉することを好まれない。我らに公使殿の思い描くようなことは出来かねる」


「某はベルネシア王国の中枢へ、我がナプレ国王陛下の御真情と、我が祖国が置かれた苦しき立場への御理解をお聞き入れして頂きたいだけでございます。王妹大公様と御嫡女様にはその御声望に縋り、要路を御紹介いただくだけで十二分でございまするっ! 何卒、何卒、御厚情を賜れますよう、お願い申し上げますっ!」

 絨毯に額どころか顔面を押し付けながら懇願する公使殿。


 しかし、その姿を見おろすヴィルミーナとユーフェリアの目は酷く醒めている。

 なぜか。


 乞食の如く無様にへりくだっているようにしか見えないが、なりふり構わず哀切に満ちた懇願という体裁でガンガン“攻めている”。何よりも、これだけみっともなく振る舞いながら、公使はただ一度として取引を提案していない。助力に応じた場合に差し出す物を一切口にしていない。

 すなわち、公使は魂魄を投じた全力の演技をしているに過ぎないのだ。

 宮仕えたるもの演技くらいできて当たり前、腹芸が出来て一人前である。


 この“ガキ”。大胆不敵な奴やな。交渉人より詐欺師に向いとるわ。

 まあええ。こういう類なら遠慮なく足蹴にできる。


 ヴィルミーナは母へ目配せする。

 母ユーフェリアは鷹揚に頷き、応接ソファの肘置きと背もたれに体を預けた。


 紺碧色の瞳を獣のようにぎらつかせ、ヴィルミーナは言った。

「面をあげられよ、公使殿。貴殿と貴国の真心は相分った。貴殿の王と祖国への献身を慮り、王国府の要路を御紹介しよう。後は貴殿の才覚を以って先方と交渉されるが良い」


「なんと有難きご配慮っ!! 恐懼して御礼申し上げまするぅっ!!」

 公使は五体投地同然の平伏をしながら感謝の言葉を叫ぶ。ここまでくるとちょっと喜劇的過ぎて逆にイラっとする。


 最高の結果ではないが、ひとまずの目的達成を成し遂げた公使は、言葉を続けた。

「御骨折りいただく御礼をしたくありますが、某は限られた裁量と権限しかありませぬ。本国に報告し、改めて王妹大公様と御嫡女様に御礼を申し上げたくあります。御寛恕いただけますでしょうか」


 ヴィルミーナは頬杖をつきながら公使を睥睨し、告げた。

「礼など無用。面識なき御愛妾殿と異母姉殿に今後煩わされなければ、充分だ」

 言外に面倒な厄介事持ち込みやがって、と非難を浴びせる。


 それに、とヴィルミーナは続ける。

「当家はあくまで王国府の然るべき相手を紹介するだけだ。貴殿や貴国のために後押しすることも横車を押すことも無い。交渉事が失敗に終わっても当家は与り知らぬし、助力もせん。ゆめゆめ忘れるな」


「ウディノ伯に伝えなさい。ベルネシア王妹大公は二度とこの件で煩わされたくないと。私の手はかつてより長く暗がりの底まで届く。“彼女達”にもよく伝えておくように」

 激昂した大飛竜みたいな目つきのユーフェリアに睨まれ、公使は冷や汗塗れになりながら平伏した。

「は、ははーっ! 必ずやっ!!」


 かくて茶番劇は終了。

 公使は胆を竦めながらも、どこかやり遂げた達成感を覚えていた。この時は、まだ。

 

      ○


 結末から言えば、王国府外務省はナプレ王国ウディノ伯公使へ、ヴィルミーナの提案『通商破壊の禁止』以上に厳しい要求を提示した。


「有事の際はこちらに寝返れ」


 ソルニオル事変時の大粛清から再建した外務省もまた、大手柄を欲していた。

 地中海有事に際し、コルヴォラント南部のナプレ王国を調略して寝返らせたとなれば、これ以上ない外交成果である。


 ヴィルミーナや側近衆達がいじましく“戦術的”対策を図っていたというのに、ベルネシア外務省は国家権力という大鉈を振るい、“戦略的”に事態をひっくり返しに出たのだ。


 ナプレ王国を転がすことが出来れば、接触を試みているらしいベルモンテ公国も転ばせ易くなるだろう。ナプレとベルモンテの二国を転向させられたなら、そもそも地中海有事を防ぐことも不可能ではない。

 この場合、コルヴォラント内で内輪揉め--戦争が起きるかもしれないが、その時はせいぜい戦争市場として利用すれば良い。聖冠連合とクレテアも自国の若者を犠牲にするより、コルヴォラント人同士で殺し合わせることを選ぶはず。この工作を大いに歓迎するだろう。


 実に腹黒い。陰険で強欲で性格の悪いイストリアと同盟を組み、狡猾な商人気質の強いベルネシア人らしい外交手腕である。


 もちろん、一伯爵家の使いに過ぎない公使殿に、こんな薄ら恐ろしい提案へ回答する権限も裁量も無い。

 公使は返答を保留し、判断を仰ぐために大急ぎで帰国する以外、選択肢がなかった。


 ナプレの逃げ道を塞ぐため報道機関へ情報をリークするか検討されたが、この段階ではまだ止めておくことに決まった。


 外務省が狙う本命の標的は、かつて婚姻外交を持ったベルモンテ公国だ。この“前歴”があれば、接触した段階で調略工作、離間工作を展開できる。

 仮に両国が転ばなくとも、接触してきた情報をコルヴォラントに流せば、それはそれで不和を誘える。愉快なことになるだろう。


 ベルネシア外務省は陰謀と策謀を大いに楽しんでいる。

 いやはや。


 こうして這う這うの体で帰国することになり、公使はウディノ伯への報告を思い、気鬱になっていた。

 宮仕えは辛い。


      ○


大陸共通暦1781年:初春

大陸西方コルヴォラント:タウリグニア共和国:南部国境付近。

――――――――――

 タウリグニア共和国軍国境警備隊の哨戒班が、いつも通り国境周辺の担当地域を巡回していた。

 国土がブングルト山脈の一角にある関係か、春を迎えてもタウリグニアはまだ寒い。峰々は未だ真っ白な雪帽子を被っているし、キンキンに冷えて山風が肌を刺す。


 哨戒班は緑色ベースの軍服に革製野戦コートを重ね着し、耳元から顔を覆うようにマフラーでほっかむり。それでも寒い。風が“痛い”。


 堪りかねた伍長が尻ポケットからスキットルを取り出し、蒸留酒を一口舐める。ほう、と酒精臭い白息を吐いた。

「こんなクソ寒いのに巡回の量が例年の倍とかやってらんねーな」


「しょうがねぇだろ。戦争になりそうだってんだから」

 分隊長が伍長からスキットルを分捕り、ぐびりと一口呷る。


 地中海情勢の悪化はコルヴォラント北部の山岳地域にも及んでいて、タウリグニア国境の南側では、コルヴォラント諸国連合軍がぞくぞくと戦力を増強させている。

 向こう側の言い草では、タウリグニア経由でクレテア軍が侵攻してくる可能性に備えて、とのことらしいが……怪しい。どうにも怪しい。


 分隊長が双眼鏡で国境先の様子を窺うと、こちらを窺う向こうの哨戒部隊が確認できた。なんと無しに手を振ると、手を振り返してきた。向こうさんもやる気なし、か。そりゃこんな寒い中、真面目に戦争なんかやってられねぇわな。


 哨戒班は巡回を再開すると、増強された友軍部隊が稜線や丘陵斜面に小ぢんまりした建物をいくつもこさえていた。


 伍長が怪訝そうに彼らの作業を眺める。

「なんだあれ? まさかトーチカか? 板材(いたっぱ)と漆喰で?」

 今日びの銃砲に板材と漆喰のトーチカなんて何の役にも立たない。


「張りぼてだよ、張りぼて。遠目にゃあ分からん。敵が無駄玉を打ってくれりゃ儲けもん、てな」

 分隊長が皮肉っぽく告げると、伍長は鼻歌を歌い始める。

「はーりぼーてー、はりぼーてー」

「何スか、その歌」と後輩の一等兵が訝る。


「わからん。張りぼてと聞いたら歌いたくなった」

 伍長はしれっと応じ、溜息混じりに言った。

「戦争なんかしたくねェなあ。ずっとこうしてだらだら過ごしたいよ」


「確かに戦争はしたくねぇが、その理由はいただけねェな。給料分くらい真面目に働けバカ」

 分隊長が伍長の尻を蹴飛ばした。


       ○


大陸共通暦1781年:初春

大陸南方北部地中海沿岸:通称・海賊海岸。

――――――――――

 約10年前のソルニオル事変で大損害を被った海賊海岸の諸勢力は、未だに地中海の権益を取り戻せずにいた。


 彼らの主力産業たる海賊行為へ勤しもうにも、ソルニオル事変の地中海ミリタリーバランスが激変していた。

 今や地中海にはクレテア海軍の外洋戦列艦や聖冠連合海軍の海防軍艦、民間軍事会社と名乗る戦闘飛空艇が跋扈している。

 これらの重火力艦艇や強力な戦闘飛空艇の前に、海賊海岸の旧式帆走船舶や飛空船では太刀打ちできなかった。なんたって、得意の移乗攻撃をしようにも近づく前に叩きのめされてしまう。


 宗主国たるメンテシェ・テュルク帝国は海賊海岸へ特別援助したりすることは無かった。海賊海岸を取り仕切る太守達は独立採算の完全自治領主だったからだ。

 彼らが自治権を返上して完全にメンテシェ・テュルクへ服属するならともかく、自治領主であり続けるなら、海賊海岸の再建も復興も損失補填もすべて自前で贖わなければならない。

 海賊行為を見逃す代価の上納金を失った同地域の経済は悪化の一途を辿っていた。


 ――はずだった。


 エスパーナ大乱が起きたことで、風向きと潮目が変わった。一つの戦争が生み出す影響と波及。その典型例である。


 古来、戦火で治安が失われた地域は賊徒や凶徒の草刈り場に代わる。

 海賊海岸の海賊達はガルムラント地中海沿岸地域や南部沿岸地域へ遠征し、軍の庇護なきエスパーナの漁村や沿岸都市を襲撃し始めた。


 恫喝して上納金や物資を要求。断ったり反抗したりすれば、即座に略奪開始。金銭、宝物、文物、食料や各種資材に資源物、エスパーナ製の兵器や装備品、弾薬、挙句に船舶や飛空船、果ては人間まで一切合財を奪い尽くしていった。戦火を逃れようとする難民も容赦なく襲い、身ぐるみを剥いで奴隷として売り飛ばした。


 こうして、海賊海岸はエスパーナ大乱の”おかげで”、ようやっと本格的な再建を始めることが出来た。

 そんな海賊海岸の各太守の許へ、コルヴォラントの使者が派遣された。

 私掠船として雇われないか? と。


        ○


大陸共通暦1781年:初春

大陸西方コルヴォラント:ヴィネト・ヴェクシア共和国:首都ヴェクシア。

――――――――――

 コルヴォラント東部から北東部――鴉の腹から太腿の部分にある、この共和国は法制上の完全な平等という先駆的体制を持った稀有な国だった。同時に、コルヴォラント内で最大の海洋貿易国でもある。


 東レムス帝国が健在な頃から、地中海内海のチェレストラ海はヴィネト・ヴィクシアの庭であり、地中海全域において大きな権益を掌握し続けてきた。ただし、東レムス帝国の滅亡後、メンテシェ・テュルクや海賊海岸が隆盛して以来、その影響力を大きく落としていた。


 約10年前のソルニオル事変は海賊海岸が弱体化し、復権のまたとない機会であったが、上手くいかなかった。それどころか協働商業経済圏の発足後、外洋海運市場でイストリアに圧倒されたクレテア海運業界が地中海へ移ってきた。聖冠連合帝国も海賊海岸が弱っている間にその影響力を増強させていた。


 このままでは、クレテアと聖冠連合のおこぼれを恵んでもらう二流海運国に落ちぶれる。


 その危機感が海洋国家ヴィネト・ヴィクシア共和国を奮起させ、戦いに駆り立てていた。メンテシェ・テュルクの大艦隊を叩きのめした栄光を持ち、海賊海岸と伍して渡り合ってきた地中海屈指の海軍国家という誇りもある。


 実際、旧式艦艇や小型舟艇も含めれば、海上軍船と戦闘飛空船合わせて約250隻近い戦力を持つのだ(これに民間の武装商船も加わる)。やれる、と思うのは当然と言えば当然だろう。なんせ、この250隻という戦力は聖冠連合海軍の全戦力より多い。ここへモリア=フェデーラ公国などの戦力が参加する。


 こうした事情から、クレテア海軍も聖冠連合帝国海軍も地中海では鴨の群れにすぎぬわ。というのがヴィネト・ヴィクシア海軍の見解だった。


 そんなヴィネト・ヴィクシア海軍の旧式小型砲艦(スループ)家鴨(アナトラ)』号では、冷たい初春の潮風に晒されながら水兵達が砲撃の訓練をしていた。


 ちなみに、メーヴラント諸国の火砲が後装式かつ駐退複座器(油圧式、水圧式、自重式など様々)を搭載しているのに対し、ヴィネト・ヴィクシア海軍の火砲は全て前装式施条砲で、砲車搭載だった。射程と砲弾威力は伍しているが、発射速度は比べるべくもない。なお、これは他国の陸海軍も同様の模様。


 訓練は装薬と砲弾がもったいないから、実際には撃たないようだ。訓練用疑似装薬と訓練弾を突っ込み、水兵達が『どーん』と口で砲声を叫び、訓練弾と装薬を引っこ抜いて、また装填し直す。これが延々繰り返される。


 通気性の悪い船内砲郭内は水兵達の呼気と火照りで蒸し暑い。誰も彼も汗まみれになって、ひーこら言いながら砲撃訓練に勤しむ。

 

 正午を過ぎたあたり、ようやっと飯が出された。

 堅焼きした黒パン。魚と野菜のトマトスープ。これだけだった。


「近頃、飯がしょぼいぞ」「せめてパスタ食わせろ」「そうだそうだ。パスタ無しとか野蛮だぞ」

 水兵達からぶつくさ文句を言われ、“餌係”が眉目を吊り上げる。

「文句があるなら食うなっ!!」


 水兵達は『ちくしょー』と毒づきつつ、煎餅みたいに堅い黒パンをスープに浸し、柔らかくして齧る。

「ぬるぅいっ!」「スープくらいアツアツで寄こせよっ!!」「最悪だっ!」


 水兵達が悪態をこぼしながら昼飯を胃袋へ押し込んでいる頃、船内の将校室では船長以下の幹部達が従卒の給仕付きで昼食を摂っていた。


 アンチョビとバジルのパスタ。魚と野菜のトマトスープ。チーズとハムの盛り合わせ。そして、ワイン。実に”質素”だ。


 船長がワイングラスを緩やかに回しながら言った。

「聖冠連合帝国は沿岸海軍だ。練度もたかが知れている。海防軍艦群には留意が必要だろうが、同級の砲艦相手ならさして脅威ではあるまい」

「鹵獲を試みる機会も多そうですね」と若い幹部がにやり。

「そんなに賞金が欲しいのかね?」

「ええ。是非とも。金はいくらあっても困りませんから」

 他の幹部達も海賊染みた笑みを浮かべて首肯する。


 船長は苦笑して頷き、グラスを掲げた。

「よし、通商破壊作戦中は積極的に狙っていこうか。良き狩りを願って」

 幹部達もグラスを掲げ、古レムス語で唱和した。

乾杯(サルーテ)っ!!』


     ○


 最後に現ベルモンテ公王を御紹介しよう。

 現ベルモンテ公王ニコロ・ディ・エスロナはユーフェリアのおかげで玉座を得た男である。


 ユーフェリアの帰国騒動による争いで兄の公王家嫡男が命を落とさなければ、彼は今頃、公弟として兄に仕えているはずだった。

 いや、兄が命を落とした後も、兄の子を玉座に座らせ、摂政として仕えることも出来た。


 しかし、ニコロはそうしなかった。

 玉座に座れる機会を、全てを得られる機会を捨てて幼子に尽くすなど、わずかでも野心ある王族男子ならば、選択肢としてあり得ない。


 むろん、その選択が楽に達成されることも、あり得ない。


 ニコロを押す派閥と兄の子を押す派閥で暗闘が発生した。エスロナ家と門閥、閨閥、派閥の潰し合い。血みどろの身内同士の潰し合いだ。


 家族すら信用できぬこの権力抗争に勝利し、ニコロは玉座を得た。

 その代価に、小心的な気質から不安神経症を病み、強烈な猜疑心を持ち、被害妄想に駆られがちな悲観主義者になった。

 また、ソルニオル事変時にヴィルミーナの異母兄を暗殺したように、ニコロの小胆さは『不安の根を断て』と凶暴性へつながり易い。


 こうした内面の歪みはニコロの肉体も苛み、齢50代ながら酷く老け込んでいた。

 頭頂部は禿げ上がり、残っている髪も髭も真っ白だ。頬のこけた顔は深い皺が刻まれ、双眸も深く落ちくぼんでいる。180を超える長身のはずだが、猫背が酷いため170センチくらいにしか見えなかった。ある外交官は『幽鬼のようだ』と評したほどだ。


 彼には5人の子供がいたが、2人は5歳にならず夭折(この時代の出産と乳幼児は死亡リスクが高い)。残る3人のうち1人はニコロが王になった後に事故死した。

 時期が時期だっただけに、暗殺を疑ったニコロは、護衛や事故関係者を逮捕。異端審問もかくやという拷問を実施して”自白”させ、政敵達とその身内を冷酷に粛清している。


 前ソルニオル公はその有能さと冷酷さ、残忍な性癖から恐れられていたが、ベルモンテ公王ニコロはその小心に起因する凶暴性から周囲に恐れられている。


 生き残った二人の子と細君も、ニコロを恐れて滅多に顔を合わさない。下手に接して疑心や反感を買ったらどうなるか……


 現政権の重臣達は太鼓持ちとおべっか野郎ばかりだ。

 諫言や苦言などして不興を買ったらどうなるか……下手に注進して失敗に終わったらどんな目に遭わされるか……


 家族や臣下にここまで恐れられる公王ニコロだ。もちろん秘密警察紛いの情報機関を持っている。

 ナプレ王国の成金伯爵が亡き先代第三王子の愛人と私生児の伝手からベルネシアに接触し、『寝返り』を要求され、這う這うの体で帰国したことまで把握していた。


 同時に、ニコロは徹底的にヴィルミーナとユーフェリアを調べた。

“弱点”を突くために。

 強烈な猜疑心と不安神経症と被害妄想と小心的悲観主義者である彼の外交や交渉の方針は、自然、恐怖戦略と純粋な損得勘定が常となっていた。


 ニコロは白獅子財閥が武力と諜報組織を持っていることも把握。

 ヴィルミーナの子供を誘拐したり、財閥関係者を害して脅迫したりすることが難しいこと。また、“それ”を行った場合、ヴィルミーナは恐怖するよりも報復と復讐を決意する人間だと理解した。ヴィルミーナに恐怖戦略は有効に成りえない。


 損得勘定はどうか。

 こちらも芳しくない。新興ながら大財閥を形成しており、個人も組織も資産に不安はない。物欲や金銭欲も付け入る隙が無い。それに、これまでの経緯から考えて金や物でどうこうできる人間ではない。買収も懐柔も難しい。


 だが、弱点の無い人間など居ない。

 

 さらに詳しく調べさせ、ニコロはヴィルミーナの人間的善性を発見する。

 ヴィルミーナが主導した王都小街区建設や障碍者競技大会の開催。家人や財閥社員、その家族に対する姿勢や行動。身内と見做した人間への甘さ。寛容。寛恕。慈悲。慈愛。


 ベルモンテ公王ニコロは、これを“弱さ”と見做した。ヴィルミーナの付け入るべき”隙”と判断した。


 ニコロは配下に命じる。

「甥孫を連れてこい」

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― 新着の感想 ―
[一言] うむ、コルヴォラントはひどい
[一言] 『はーりぼーてー、はりぼーてー』 王立宇宙軍か、若いもんには元ネタが非常にわかりにくかった。 名作っポイらしいけど。
[一言] 虎の尾を踏もうとしてるベルモンテである、いや…大飛竜の逆鱗を突くか…
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