閑話23:空へ挑む人々。
お待たせしました分、ちょっぴり長めです。
大陸共通暦1780年:ベルネシア王国263年:年末
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム
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試験航行に出ていた新造飛空艦が本国へ帰ってきた。
ベルネシア海軍新飛空艦コーニング・ロードヴェイクⅡ。
真っ青に塗装された船体はベルネシア軍が進めてきた海棲生物的姿をしており、まるでシロナガスクジラのようだ。洗練された流曲線が実に優美で麗しい。
海竜を模したコーニギン・ベルサリアと比べると一回り小さいが、性能的には大きく上回っている。将来的な改装と改修も視野に入れた余裕のある設計に加え、各所の造りも整備性や作業効率性が強く考慮されていた。大きな左右主帆は新設計に複層構造で左右合わせて48もの風系魔導術式が組み込まれており、その平均巡航速度はコーニギン・ベルサリアの倍近い。
武装は片舷24門と減らされているものの、全てが駐退複座機付火砲であり、火力密度の効率化が図られたため、門数が減っても戦闘火力自体は向上していた。
加えて、第二次東メーヴラント戦争で鹵獲された機関銃のコピー兵器も多数搭載しており、近接火力も高い。
装備で最も重視されたのが、魔導通信機器や捜索追跡系器材で、捜索哨戒飛空艇レブルディⅢ改修型で培われたノウハウを十二分に生かしていた。
ロードヴェイクⅡは戦闘艦艇である以上に、指揮管制艦としての役割を重視されている、と言えよう。
「ノルンハイムの。良い船を作ったな」
オーステルガム港近郊の某所。海軍飛空船離発着場へ向かう戦争巨鯨を眺めながら、ベルネシア造船業界の雄ラインヴェルメの社長が呟く。
「お褒めいただきどうも。グリルディⅤ型の初期生産はそちらに掻っ攫わられたけどね」
ベルネシア造船業界の巨人ノルンハイムの名物女会長が小さく肩を竦めた。
この時期、ベルネシア海軍は主力戦闘飛空艇の刷新も進めていた。老朽化したグリルディⅢ型は改修型も含めて完全退役。経年老朽化が目立つグリルディⅣ型も改修可能なものを除き、順次、新型のグリルディⅤ型に置き換えが決定していた。
「しかし……」
ラインヴェルメの社長が渋い顔で顎髭の先を摘まむ。
「飛空帆船の発展は頭打ちだな。これから先は機械化か高度3000の天井を超えるしかない」
造船業界の間では、帆走式飛空船舶はこれらが最終世代という認識が強かった。木材による船体と魔導術式+帆走式の飛空船はこれ以上の性能向上を望めない、と。
「機械化は動力機関の大きさと重量が厳しいわ。補機と燃料の重量も問題になる。高度3000の天井は、白獅子の言葉じゃないけれど、魔導技術の革新が無いと無理でしょうね」
ノルンハイムの女会長が意地悪な顔つきで問う。
「オーレンの。こさえてる試験船の具合はどうなの?」
「知ってるくせに。上手くいっとらんよ」と大手造船会社オーレンの老代表がぼやく「開発から手を引こうか迷っとるくらいな」
イストリアの外輪式汽船が普及し始めていたことも、彼らの認識を強めていた。
次世代飛空船は機関搭載飛空船だ、と。
しかし、実現は難しい。
ノルンハイムの代表が語ったように、今現在の船舶用蒸気機関はデカいわ、重いわ、とても飛空船に載せられる代物ではない。よしんば載せられたとしても、離陸限界重量の大半を食われている。畢竟、搭載量が圧迫されてしまい、実用船舶として役に立たない。
飛空船の動力機関搭載は難しかった。
それでも、造船会社に挑戦しないという選択肢はあり得ない。海上船舶の汽船化が進んでいる以上、飛空船の動力化、機械化はもはや避けられない流れなのだから。
加えて、白獅子財閥が『展示会』を催したことも影響が大きい。
各種工作機械や作業車を公開。さらに小中大の各種サイズや目的別の蒸気機関を披露した。デモンストレーションに小型蒸気機関車を走らせたことで、小型でも相当量の出力を発揮する様を証明した。
となれば――白獅子の蒸気機関を用いて動力化飛空船を開発し、『世界初』の称号を得ようとする人々が現れるのは、当然のことだった。
〇
ここで共通暦1765年に振り返らせていただく(5:1辺りだ)。
ヴィルミーナはまだ小さかった技研で内燃機関やスクリュー、プロペラを研究開発させていて、当時の段階で評価試験水準に辿り着いていた。『飛行機誕生も近いわガハハハ』と笑っていたものだが……
運用試験船ユーフェリア号が製作されて進水したのは、ベルネシア戦役後でカロルレン大災禍の起きた1769年。そこから実用船が製作されるまでさらに数年かかっている。
1780年現在、動力機関式飛空船ならず。
これはヴィルミーナ自身が『難しい』と認めていた飛空船に搭載可能な軽量小型で高出力の動力機関を開発出来ずにいたからだ。
そりゃ学識も技術も下積みの無い状態でやってりゃあね。
飛空船を機械化する場合、浮遊機関+動力機関+補機+燃料を積むことになる。これだけの重量物を積んでは、積載能力や運送能力が大幅に減じてしまう。儲けが少ないどころか、燃料代や人件費などで赤字になりかねない。これまで有力な燃料――精製黒色油の調達目途が立たなかったことも大きかった。
しかし、添加合金鋼の更なる品質向上、工作機械の性能発展、技師の識見と経験獲得、職人や作業員の技能練熟、精製黒色油の開発と量産成功等々が蓄積し、小型機関車を作って人々の度肝を抜くまでになった。
で、だ。
白獅子の販売した工作機械や作業車から動力機関を引っこ抜いたり、単体販売された動力機関を改造したり、飛空船に搭載して動力化を試みるアマチュア発明家が出始めた。
いや、“この手の人々”は『展示会』前から、ベルネシアに限らずイストリアにもいた。
地球世界において空を目指す人々は強烈な行動力を持つ趣味人や、一種の狂気性を孕んだ道楽者だった。墜落して怪我をしたり命を落としたりする危険より、失敗して周囲の嘲笑を浴びることより、『空を飛んでみたい』という欲求を優先する人間達だ。さもありなん。
魔導技術文明世界の空に挑んだ理由はもう少し切実だった。モンスターという脅威に満ちた世界。人間の領域が限られているがゆえに、人は空に活路を見出した。
浮揚機関が開発されて飛空船技術が確立される以前。まず魔導術による飛行が試みられ、その挑戦に失敗すると、鳥や飛行モンスターを模倣し、リリエンタールのように滑空機を製作して空を目指した。
もっとも、魔導技術文明世界における空への挑戦は冒険ではなく、生存のため、実利のためであり、グライダーでは全く要求を満たさなかった。そのため、飛空船技術が広まると瞬く間に駆逐されてしまった(最初期のグライダーは大半が『墜落死して当たり前』な代物で、死亡事故が頻発したことも、衰退の理由だ)。
が、趣味人達までが絶滅したわけではない。否。彼らを根絶することなど出来ない。
このギークな人々がイストリアとベルネシアで蒸気機関が発明され、蒸気船が建造されると、『じゃあ飛空船でも試してみよう』と考えるのは自然の流れだった。
彼らは『展示会』前から玩具のような小型蒸気機関をこさえ、模型の飛空船へ積んで飛ばす実験に勤しんでいた。かくて飛空船の機械化は大手造船会社から中小造船会社や造船工房、市井の学者先生や技術屋、職人、アマチュア発明家に道楽家、趣味人等々までが挑戦する熱い分野と化した。
まぁ……白獅子ほど資金と人材と設備と技術を持った組織でも実用化できないものを、市井の暇人共が作り出せるはずもなく。
繰り返すが、魔導技術文明世界における飛空船の機械化に求められているのは、実用性。ひたすらに実用性である。
ただ飛ぶだけのものに用はない。ライトフライヤーではダメなのだ。飛ぶだけなら今のままで十分なのだから。最低でもツェッペリン飛行船程度の積載能力(約11トンほど)が無ければ、話にならない。
なお、ヴィルミーナが懸念していた通り、購買層の中には動力機関を改造して事件事故を起こしたり、解体分析して模倣製作したりする輩が次々に現れていた。白獅子もイストリアもこの手の輩には容赦なく裁判で対決している。
おかげで白獅子の法務部門はがんがん経験値を重ね、法務を専門としたキーラが『賠償金で開発費が回収できそうですね』と冗談を口にするほどだった。
〇
「我が社は飛空船の機械化に挑戦する気はありませんよ」
ヴィルミーナは小ぶりなカレイの煮込料理を楽しみながら、北部沿岸候ダニエル・デア・ロイテールへ告げた。
北部沿岸候ダニエル・デア・ロイテールは王太子近侍カイの兄で、引退した父に代わって家督を継いでいた。三枚目系イケメンのカイと違い、ダニエルは厳めしい顔立ちに日焼けした肌と潮焼けした髪、立派な髭を持つ偉丈夫だった。
そして、ダニエルは同時に大手造船会社ノルンハイムの名誉顧問――ロビイストでもある。
大手造船会社ノルンハイムが北部沿岸候ロイテール家の管内に本社と主要施設を構えている関係から、両者はとても所縁が深かった。
この会食もダニエルがノルンハイムの意向を受けたうえでの“営業”だった。
「ヴィルミーナ様の白獅子は商用飛空船の建造だけでなく、グリルディⅢ型、Ⅳ型の改修を請け負い、優れた飛空船技術をお持ちと聞いています。機械化も不可能ではないのでしょう?」
ダニエルの探りに、ヴィルミーナは小さく肩を竦めた。
「御指摘は確かに。ユーフェリア号のような試験船は開発できるでしょうね。しかし、実用化は難しい。ユーフェリア号の開発、建造から実用化まで多くの時間と費用が掛かりました。挑戦を繰り返すことは、流石に躊躇しますよ」
それに、とヴィルミーナはアサリの貝から身肉を取りながら続ける。
「有体に言って組織として余裕がありません。国内各事業に加えてカロルレンとフルツレーテンにも大きな投資をしておりますから。地中海情勢もいろいろ怪しいですしね」
「なるほど」
頷きつつも、ダニエルはここで退く気など無いし、ノルンハイムから受け取っている金額がこの程度で諦めることを許さない。白ワインで喉を潤してから再度挑戦する。
「しかしながら、作れない訳ではない。そう受け止めてもよろしいですか?」
「過大な期待をされても困りますが」とヴィルミーナは予防線を張りつつ、認める。
コルヴォラント料理を出す富裕層向けのレストランは、昼時も手伝って大いに繁盛していた。紳士も淑女も魚料理や肉料理、パスタ料理などを楽しみながらパカパカとワインを開けている。
魚料理が片付き、卓にトマトソースのパスタが置かれた。どうでも良いことだが、ソースには魔導術でカチンコチンに冷凍保存されたトマトを解凍して用いている。
ダニエルはアプローチを換えた。
「仮に、ノルンハイムと共同開発という選択肢は可能でしょうか?」
「その共同事業が我が社の造船部門とノルンハイムを合併するといった話に発展しない限り、私は造船部門の向上心や挑戦意欲を無下にしないでしょう」
ヴィルミーナはフォークでパスタ麺を巻き取りながら、迂遠にメッセージを送る。
以前のように王国府が業界統廃合や合併等の“行政指導”を図った場合、ダニエルやノルンハイムが阻止するよう動け、という条件。もう一つは共同開発に社内が同意しなければ、ヴィルミーナは応じない。転じて、社内を説得する材料を挙げてみろ。
ダニエルはパスタを少々口にしてから、
「王国府がこの素晴らしい共同事業を損ねるような真似はしないでしょう。もちろん、両社の仲介に入った我が家の顔を潰すような無礼もね」
今度は赤ワインをグラスへ注ぐ。
「造船業界の巨人ノルンハイムの現場と技術に直接触れられる機会では、白獅子の積極的な賛同を得られませんか?」
「我が国屈指の造船会社から学ぶ機会は得難いものです。しかしながら、ノルンハイムもまた我が社の持つ技術を学ぶ良い機会を得られる。むろん、どちらが上ということではありませんけれどね」
のらりくらりとダニエルの営業をいなすヴィルミーナ。
実のところ、動力飛空船の実用化はヴィルミーナにとっても都合が良い。海運と空運の機械化がなれば、陸運とて旧来の馬頼りという訳にはいかない。そして、海運と空運の機械化は陸運の機械化を強烈に後押ししてくれるだろう。
つまりダニエルが提示すべき最適解は『後に陸運業界や馬車業界があれこれ抵抗しようとした時、ノルンハイムが率先して白獅子を支持し、造船業界をまとめて応援します』だ。
北部沿岸候という高位大身貴族たるダニエルは、このヴィルミーナの要求を察していた。が、北部沿岸候もノルンハイムも、そこまでの厄介事を背負いたくはなかった。
このヴィルミーナとダニエルの会食は由緒正しい狐狸の化かし合いで、ヴィルミーナの巧妙な防御の前にダニエルが攻めあぐねている。
パスタを平らげた後、デザートと珈琲が手元に並ぶ。残り時間は僅か。
赤いベリーソースが掛かった白いクリームチーズケーキは、濃厚なクリームチーズの風味とベリーソースの爽快な酸味が絶妙に絡み合い、味覚を幸せにする。
ヴィルミーナの手元のケーキが小さくなっていく様を一瞥し、ダニエルは降参の意を示す。先述したように望まぬ決断だ。しかし、それでも白獅子の技術と知見、経験が欲しい。厄介な代価を払ってでも。
「……分かりました。ノルンハイムは白獅子を全面的に応援、協力します。これで如何か?」
「ノルンハイムの友情は我が社にとって最大の財産になるでしょう」
ヴィルミーナはにっこりと微笑んで残っていたケーキを平らげた。
〇
正味な話、紙飛行機の発明がいつなのか、誰にも分からない。
紙自体は紀元前中国が発明していたし、凧の発明も中世期だから、同時期に紙飛行機が生まれていてもおかしくない。
火薬で羽ばたき式模型飛行機が飛ばされたのが1807年、蒸気機関搭載の飛行機模型が飛んだのは1848年で、1860年前後のイギリスには紙飛行機が広まっていたと言われてるし、1870年頃にはゴム動力飛行機が発明されているから、19世紀には存在したと考えていいだろう。
ただ……造りが単純だろうと作られないものは作られない。洗濯板が良い例だろう。子供でも作れる代物だが、近代まで製作されなかった。
魔導技術文明世界ではグライダーが衰退し、飛空船という技術ツリーへ突き進んでいた。固定翼に揚力を発生させて飛ぶという発想が無い。浮揚機関で気嚢にガスをぶっこみ、船体を浮かせ、風系魔導術で強引に動かして気流に乗る。
かくて魔導技術文明世界における紙飛行機は如何ほどであろうか。
せいぜいが専門家のいう『やり型紙飛行機(一般的に想像される三角形のアレだ)』があるくらいだろう。
しかし、現代地球の紙飛行機はそれこそ呆れるほど多様化している。航空工学や空気力学からのアプローチも増えているし、折り紙の世界的な普及も大きな役割を果たしている。学術誌に新機軸の紙飛行機が紹介されることもザラだ。
まあ、こうした紙飛行機の歴史やその多様性なんて、普通に生活していれば、まず興味も関心も抱かないだろう。ヴィルミーナにしても紙飛行機の四方山話なんて知らない。知ろうと思ったことすらない。そこに潜む重大性とか想像したことが無い。
であるから……この女は30を過ぎてやらかした。やらかしたのだ。
それは、ノルンハイムと共同開発について社内会議をしている時のこと。金銭や権利、開発後のデータ共有等々の細かい部分を話し合った末に迎えた休憩。
持ち込まれた飛空船や滑空機の模型を眺めながら、ヴィルミーナは前世を思い返していた。
あれはまだ弟が4、5歳の頃だっただろうか。手先が不器用な弟にせがまれ、ゴム飛行機の模型を組み立ててやったことがあった。
そういや、小学生ん時はクラスで紙飛行機を遠くまで飛ばす競争が流行ったとかで、一緒に紙飛行機の作り方を研究したこともあったなぁ。
そんな懐古的な気分に促されるまま、手元のレジュメを材料に“17回”も織り込むB2爆撃機みたいな紙飛行機を作った(有名なオリガミ・アーティストが考案したものだ)。
けったいな姿の紙飛行機は悠々と室内を飛翔し、会議室の向かい端の壁に当たるまですいすいと飛び続けた。
えらい久し振りにこさえたわりに、よぉ飛んだわ。ウケ狙いで覚えたもんやけど、案外、忘れへんもんやね。
ふと、ヴィルミーナは気づく。
会議室内の全員がヴィルミーナと紙飛行機を凝視していた。特に、技研関係者はヴィルミーナを見つめている。じぃ~っと、じぃ~~~っと見つめている。
え、なにこれは。
ヴィルミーナの認識では紙飛行機なんて、それこそ誰でも出来る手遊びだ。ちょっと変わり種をこさえたからと言って『なんだ、その紙飛行機?』と話題になる程度という感覚だった(ゆえの『ウケ狙い』だ)。
「ヴィ、ヴィルミーナ様、今のは?」
目を丸くしたままヘティが問う。他の側近衆や重役、技研関係者もヴィルミーナを睨むように凝視している。
異様な雰囲気に気圧されながら、ヴィルミーナはヘティの問いに応じる。
「なに、て。ただ紙飛行機を飛ばしただけでしょう? ちょっとはしたないとは思うけど」
ヴィルミーナは自分がやらかしたチョンボに気付かない。
紙飛行機の多様性が生じたのは現代に入ってからだと。自分のこさえた紙飛行機は、せいぜいが一般的なやり型紙飛行機しか存在しない時代において、異端中の異端だと気付かない。
技術屋達がヴィルミーナの紙飛行機を拾いあげ、
「なんだこれは。なんでこんな造りで飛ぶんだ?」「胴体と翼に分かれてない。全てで一つの翼を形成してる」「例えるなら、全翼機、といったところか」「凄い。こんな構造見たことない」
熱心に議論を交わし始める。
あ。とヴィルミーナは技術屋の様子から、ようやく自分の“やらかし”に気付く。
――やり過ぎたっ! この時代にあの紙飛行機はあり得へんっ!
「ヴィーナ様?」とヘティがガンギマリの眼差しで小首を傾げる。白獅子技術畑の総奉行は納得がゆくまで問い詰める気満々だった。技術屋達も鮫みたいな目つきでヴィルミーナを捉え、瞬きすらしない。
あかん。
ヴィルミーナは決断した。
「ちょっと、トイレへ」
腰を上げて逃げようとした、その刹那。ヴィルミーナはガシッと右手を強く掴まれた。
“侍従長”アレックスが柔らかな笑みを湛えていた。
「御説明を」
ひえっ。
で。
子供の頃、何かの本で読んだ。思い出せないけど、何かの本で読んだ。それだけ、それだけだから、あー残念だなー思い出せなくて残念だなー
こんな下手な強弁で逃げられるわけもなく。
ヴィルミーナはその日、技術屋達に散々追及され、紙飛行機作りに付き合わされた末、ゴム飛行機の件まで白状させられた。挙句、白獅子の技研内で新たな研究開発チームの発足を認める羽目になった。
自業自得であろう。
極秘研究のため、その名前は『新型飛空短艇開発チーム』と名付けられ、業界他社は「白獅子が今更飛空短艇?」と小首を傾げていた。一方で、このチームの創設以降、白獅子の技研が物凄い勢いで滑空機の資料を集め始めたことも、周囲を怪訝にさせていた。
空への新たな挑戦が始まったことを、世界はまだ知らない。
〇
オマケを記しておこう。
王妹大公家のレーヴレヒトの私室。
バレちまったもんはしゃーないとばかりに、ヴィルミーナはレーヴレヒトに協力を仰いでゴム動力模型飛行機を作ることにした。子供達のために。
レーヴレヒトはヴィルミーナの説明を聞きながら木材と薄紙、スライム皮革の疑似ゴムを使ってゴム飛行機をこさえた。主翼の“張り”と取り付け角、プロペラの“捻り”に難儀しつつも、手先が器用なだけあって3時間ほどで現物を作り上げる。
「だいたい、そんな感じ」とヴィルミーナが及第点を出す。
「なるほどなあ……ゴムの弾力を動力にして、このプロペラ? を回して風の力を起こすわけか。でも、帆ではなく、この平たい翼に風を当ててなんで飛ぶんだ?」
航空工学や空気力学など皆目見当のつかないレーヴレヒトの問いに、門外のヴィルミーナは学生時代に聞きかじった知識を引っ張り出して答える。
「たしか、翼に当たる気流の層の違いで揚力が発生するとかなんとか。詳しくは知らない。聞かないで」
「うろ覚えでこんなものを作れるんだから、君は凄いよ。それとも、君の前世世界が恐ろしいのかな」
「バカとアホと間抜けと欲深とロクデナシが大半を占める世界よ」
ヴィルミーナが自嘲的に笑う。
「可愛い俺の異世界人さん。この玩具を子供達に見せてやろう」
レーヴレヒトはヴィルミーナの頬に口づけし、完成したばかりのゴム動力模型飛行機を手にした。
そんでもって。
王妹大公家の園庭に子供達の大歓声が響く。
ウィレムと双子はもちろん、家人の子供達も大興奮した。歳に似合わず落ち着いているヴィンセント少年すら、この時ばかりは年相応の歓声を上げていた。
芝生の上を飛ぶゴム動力模型飛行機を追いかけて走り回る子供達と愛犬達+狸。
「皆、楽しんでるな。大成功だ」
「そうね」
レーヴレヒトに釣られ、ヴィルミーナも嬉しそうに笑う。
2人は気づかない。この日、子供達の抱いた感動と興奮の大きさを。
この日、ゴム動力模型飛行機を追いかけた子供達の中には、空に魅入られた者が幾人も居たことに気付かない。
そのことがもたらす歴史と世界への影響に、ヴィルミーナはまったく気づかなかった。
ヴィルミーナの紙飛行機は折り紙アーティストのマイケル・ラフォッセ氏が発明したArtDeco Wingがモデルです。
ア〇ゾンの同氏書籍(『LaFosse's Origami Airplanes』洋書です)の紹介ページで作り方が公開されているので、試作してみるのも一興かと。




