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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第1部:少女時代
23/336

3:4

大陸共通暦1761年:ベルネシア王国暦244年:晩冬。

大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国北部:王都オーステルガム。

―――――

 ヴィルミーナは眉間に深い皺を刻んでいた。


 出資している私掠船『空飛ぶ魔狼号』から得た押収書類(御上も検閲済み)は当たりだった。

 クレテアの海外領土総督府から本国への申請書で、イストリア連合王国の海洋領土で行われている産業を調べたいらしい。その中身に見過ごせない文言が並んでいた。


 水力以外の動力機関を用いているらしい紡績工場。量産された鉄鋼。

 つまり、蒸気機関らしいものと転炉らしきものの存在が示唆されている。

 

 所感の記述から推測するに、この魔導技術文明世界の蒸気機関や転炉は、地球近代文明のものとは微妙に違うかもしれない。しかし、意味することは同じだろう。


 ――もう産業革命が始まっとぅやんけ。イストリアの野郎。同盟国に隠しとったな? や、“お友達”の事情を掴めへん方が問題やな。


 ヴィルミーナは嘆息をこぼしつつ、これからのことを考える。

 産業の機械化と鋼鉄の量産化。近代産業文明への進歩と大量生産時代の始まり。その先に待つのは、これまでとは桁違いの破壊と殺戮。


 ヴィルミーナはカップを両手で持ち、魔導術で熱を伝えて冷めてしまった珈琲を温め直す。往時より上達した魔導術はカップが損なわれることなく、珈琲が微かに湯気を燻らせた。


 熱い珈琲を上品に啜り、ヴィルミーナは思索を続ける。

 方向性を変えて考えるならば、これはチャンスだ。

 これまでは周辺国との兼ね合いや時代適応性を考慮してきたが、ここからは気にすることなど何もない。持てる知識と情報をぶっこんで企業帝国を創設し、ベルネシア全体を発展、成長させる。そのうえで自由貿易市場経済圏を確立する。

 経済が相互関係を持てば、早々ドンパチで決着を付けようなんて出来ない。どれだけ嫌い憎み合おうと、手を携える方が儲かるし、戦争で経済が混乱し、流通が絶えてしまうからだ。

 人間は稼げているうちは喧嘩しない。


 注意すべきとしたら、この世界にはまだ市民革命が生じていないこと。

 啓蒙思想の普及など萌芽らしいものは窺えるが、決定打が足りないらしい。

 市民革命は世界秩序のパラダイムシフトだ。既存の権威――王侯貴族聖職者の否定。国民国家の誕生。民主主義への一歩。左派思想の勃興(特に人類の恥ずべき汚点、共産主義の登場)。


 薄汚いアカの跳梁を防ぐには中産階級の育成しかない。誰もが生活に余裕を持つようになれば、馬鹿馬鹿しい革命ごっこに関心など抱かない。

 この国の未来を守るには、王侯貴族や聖職者の特権を廃止し、民主化を進めていくべきだろう。

 もちろん、緩やかに段階的に、だ。急激な変化は大きな反発を招くし、バカの暴走を招く。

 到達目標は立憲君主制民主主義国家。王家はベルネシア人の象徴的代表者に昇華させる。


 遠大な計画だ。実現になん十年掛かるか分からない。私が生きているうちに実現できるかどうかも怪しい。破綻して現代欧州のように移民と難民の便所になってしまうかもしれない。

 不意に思う。


 レヴ君に会いたい。


 会って色々話したい。私の意見を聞いて欲しい。彼の考えが聞かせて欲しい。彼の聡明さを頼りたい。彼の冷徹さに恃みたい。

 私には彼が必要だ。


 余人がヴィルミーナの心情を聞かば、10人が10人、レーヴレヒトに恋していると判断するだろう。しかし、やっぱりヴィルミーナはレーヴレヒトに恋心なんて抱いていない。

 つまり、正しくはこういうことだ。


 私には彼が必要だ(ただし、相棒として)。


                      〇


 ヴィルミーナが色気の欠片もない想いを馳せている間も、世界は動いていた。


 大クレテア王国の首都ウェルサージュは春の兆しが遠い。

 50の半ばを迎える現国王アンリ15世は、俳優ダニエル・クレイグに似たダンディズム溢れる男で、初老の手前とは思えないほど筋骨がしっかりしている。若かりし日、王太子でありながら騎兵として戦場を駆けた頃から衰えを感じさせない。


 現王アンリ15世の王としての役割は、父である先代アンリ14世が杜撰に繰り返した戦争と、愚劣と吐き捨てたいほど莫大な浪費の尻拭いだった。


 父は自らを太陽王と称し、調子の良い連中が追従したが、アンリ15世に言わせれば、父は能天気なアホだ。意味のない戦争と馬鹿馬鹿しい浪費をせず、国内と外洋領土の整備と発展に投資していれば、今頃は憎たらしいイストリア人を蹴落として世界の覇権を握っていただろうに。


 先代アンリ14世が好き放題にした結果、今の大クレテア王国はアンリ15世が実施した増税と緊縮財政と植民地の搾取で何とか息をしている有様だった。


 貴族からも平民からも、足元の臣下からも不平不満は多い。

 彼が真面目に国家再生へ取り組めば取り組むほどに、周囲は先王時代の華やかさと享楽ぶりを懐かしみつつ、アンリ15世を皮肉るのだった。

 今生陛下の治世はいささか肩が凝りますなあ。と。


 それでも、アンリ15世は精力的に王としての務めを果たしていた。彼は偉大なるクレテアを蘇らせるという仕事に全霊を注いでいた。

 自らの手で立ち直らせたクレテアを王子――遅くにようやく授かった大クレテアの継承者へ伝えること。それが彼の為さねばならぬ大業であった。


 とはいえ、彼の献身的勤労の理解者は少ない。

 貴族達や親族衆はもちろんのこと、王妃である妻でさえ、アンリ15世を疎んじている。


 エスパーナ帝国から迎えた王妃はアンリ15世との間に王女5人と王子1人を産んだが、それは王妃として妻としての務めであり、一個の人間としての妻がアンリ15世に対してなんら情を抱いていないことは、肌を重ねれば嫌でも分かることだった。

 まあ、アンリ15世としても王妃を抱いているのは、“義務”だからであり、そこに情は無いが。


 ちなみに、色恋に目がないクレテア王族らしく、アンリ15世にも愛人が居る。しかし、けっして、国政に口は出させない。意見すら言わせない。


 アンリ15世にとって、政務は神から王権を授かった者の神聖な務め、神と祖国と全クレテア臣民への聖なる奉仕だった。性欲処理とストレス発散用の”愛玩動物”を関わらせるなどありえないのだ。


 この日もアンリ15世は朝早く起床し、朝食を摂る前から政務をこなしていた。王太子の頃から変わらない習慣だった。彼を軽んじる者達もこの勤勉さには脱帽していた。


 早朝の政務にひと段落を付け、アンリ15世は広い執務室で朝食を摂る。一人だけで。

 見る者によっては孤独で寂しい光景に映るかもしれない。しかし、アンリ15世にとってはこの朝食の時間こそ静かに自由な気分を味わえる時間だった。


 食事を済ませ、熱い御茶を飲みながら、アンリ15世は庭を眺める。

 執務室の外に広がる王宮の南庭は、昨晩のうちに降り注いだ雪がうっすらと積もり、晩冬の朝日を浴びて煌めている。ブナの枝には小柄な冬鳥達が停まっていて、身を寄せ合い、美しい声でさえずっていた。


 その優しい光景にアンリ15世が面持ちを緩めた、その刹那。


 心臓に強い痛みが走り、アンリ15世は思わずカップを落とす。白磁の高価なカップが大理石に衝突し、砕け散った。その後を追うようにアンリ15世は激痛の走る胸を掻きむしりながら、瀟洒な椅子から崩れ落ちる。


 部屋の外に控えていた侍従達が不審な音を聞き、ノックの後にドアを開け――目を剥いた。

「陛下っ!?」


 侍従達が慌ててアンリ15世の元へ駆け寄った。アンリ15世は胸を、心臓の辺りを掻き毟りながら苦悶し、滝のような脂汗を流していた。

「人を、いや、医者だっ! 医者を呼べ!!」「急げっ!!」




 結果から言えば、王宮付侍医や宮廷治療導術士達の奮闘により、アンリ15世は死神の手から逃れた。


 しかし、過労による心臓疾患が明らかになったことで、アンリ15世は色々と考え直さなくてはならなくなった。


 ベッドに横たわりながら、アンリ15世は考える。考える。ひたすらに考える。

 跡継ぎである第一王子はまだ12歳。とりあえずは早急に立太子せねばならないが、大国たるクレテアの玉座に座らせるには早すぎる。


 今、玉座に座らせたならば、たちまち重臣達や貴族共の傀儡と化してしまうだろう。自分が精力を注いで為さんとしたクレテアの再生が水泡に帰してしまう。


 それだけでは済むまい。

 北のベルネシア王国はイストリアと組んで以来、着実に国力を増している。あの薄汚い背教者共は我が国が僅かでも弱れば、卑怯卑劣な手を厭わずに襲ってくるだろう。

 野蛮なアルグシア人共も厚顔無恥の帝国人共も油断ならぬ。9年戦争で奴らがこの西方メーヴランドをどれほど荒廃させたことか。奴らは人の皮を被った小鬼猿ゴブリンだ。

 何より、欲深なエスパーナの連中が黙っているまい。あのケダモノの如き奴ばらは自分に何かあらば、我が国の王位継承へ口を挟んでくるに違いないのだ。


 自分が命あるうちに、玉座にて務めを果たせるうちに、少なくともクレテアを立ち直らせねばならぬ。国内の問題を少しでも解消し、我が子の負担を減らしておく必要がある。


 あるいは―――我が子とクレテアの未来を危ぶませる敵を打ちのめしておくべきか。

 今ならば……まだクレテアは戦うことが出来る。恐るべき財政破綻が訪れる前に勝利して戦勝賠償金と領土をもぎ取れたならば。


                     〇


 この時のアンリ15世の心情は如何なる歴史書にも記されていない。

 しかし、健康不安を抱えてから、アンリ15世が治世の方向性を転換したことは間違いなかった。倒れる以前のアンリ15世は財政の回復と健全化を目指した着実で堅実な内政を手掛けていた。

 だが、倒れて以降のアンリ15世は明らかに外征による問題解決を企図していた。新たな諮問機関の人員が周辺国の事情に通暁した人物と軍人だけで占められていた辺り、疑いようがない。




 大陸西方メーヴラントは動乱の時代へ向かって静かに進んでいた

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