17:5
大陸共通暦1777年:ベルネシア王国暦260年:秋。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。
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「成功したっ!?」
王都社屋の執務室にヴィルミーナの素っ頓狂な声が響く。
「はい。黒色油の高精度分離蒸留とある程度の脱硫に成功しました。ただし、研究室段階ですので実用化にはまだ大分かかるでしょうが、大きな前進です」
春頃、魔晶魔石公社からしれっと転職してきた女狐ヨングブールト女史は、元勅任上級宮廷魔導術士という経歴を評価され、白獅子の技研魔導技術部門のプロジェクトマネージャーに就いた。
『黒色油絡みで縁を持ったのだから、黒色油絡みで結果を出してもらいましょうか』とヴィルミーナに試練を与えられた形だが、そこは官僚組織たる宮廷魔導総局で揉まれたヨングブールト女史。『計画を成功させるため、いくつか支援と許可をいただきたくあります』と初っ端から条件交渉。
あれこれと中々に挑戦的な条件を羅列し、ヴィルミーナの強気な部分を刺激した。
『良いわ。貴女の要求を全て飲みましょう。ただし、コケたら相応の扱いをさせてもらうわよ』
ぎろりと睨むヴィルミーナに、ヨングブールト女史は細い狐目をさら細めた。
『ご期待にお応えすべく、最善を尽くします』
で。
なんとまあ、年内に結果を出してきた。
ヴィルミーナはちょっとビビった。
「どうやったの」
「なんてことはありません。総帥に頂いた資金で人材を揃え、方針を決めて能う限り実験を重ねただけです」
ヨングブールト女史は熾烈な魔導総局内の出世競争に敗れたものの、組織者として優れた資質があったらしく、マネジメント能力が高かった。が、その手法はちょっと癖が強かった。
ヴィルミーナは報告書を見て再び目を剥いた。
「ちょっと待って。20人も増員したの? たしかに人事権は認めたし、予算内で済ませてるけど……どこから引っ張ってきたの、これ」
「私の前職を御存じでしょう? この御時世、燻っている魔導術士は総帥の御想像よりずっと多いのですよ。特に魔導総局の外局に放り出されたりした連中の中には」
しれっとのたまうヨングブールト女史。
こいつ、古巣から人材を引っこ抜いてきよった。
ヴィルミーナはこういう人間を前世で幾度か見たことがある。
部下をごっそり連れて独立した奴。別会社に移ってから部下だった者達を次々引き抜いていく奴。そういえば『いつかあんたを見返してやるっ!』と10人くらい連れて群馬の田舎に向かった元部下の杉山君はどうなったんやろ。
考えが逸れ始めたヴィルミーナは密やかに深呼吸し、眼前の女狐へ集中し直す。
「しかし……このスタロドープ式の融合術式というのは随分とまあ、高くつくのね」
成功したとはいえ、費用対効果を見ると利益率はよろしくない。ぎりぎり採算が取れるか、状況次第ではアシが出る。この辺りを見てしまうと、素直に成功を喜べない。
「非主流の非合理的な術理ですからね。どうしても高くつきます。加えて、触媒も高価ですので」
ヨングブールト女史は説明を続ける。
「現在主流の魔導術式は分割された術式や術理を統合連結できるため、整備性や管理が容易く産業向きです。それにくらべ、スタロドープの魔導術式は複数の魔導術式を融合させて一つの術を仕上げるため、非常に整備性や作業性が悪い。しかし、その緻密性や精度はとても高い」
「なるほど。その緻密性と精度が問題だったわけか」
「それから、今回の成功はあくまで解答例の一つと御理解ください。あるいは、対症療法に過ぎないと」
「どういうこと?」怪訝そうに眉根を寄せるヴィルミーナ。
「先に述べましたように、スタロドープは整備性や応用性に欠けます。何かしら不都合が生じた場合、即応できません。また、修正や改善に莫大な費用が掛かります。今回の成功を現行術式で再現すること、あるいは、工学技術的な解決策に活かす。そう扱うべきですね」
ヨングブールト女史の進言に、ヴィルミーナは『ほぅ』と目を細めた。
「この成功の評価が落ちるわよ?」
「欠陥品をこさえたマヌケと記録されるよりマシです、総帥」
飄々といなすヨングブールト女史。ヴィルミーナは内心で『小癪な“小娘” め』と毒づく。
「結構。採算が取れる規模の精製施設を建設し、そこで着実に生産しながら別解を模索していくわ」
「それがよろしいかと」ヨングブールト女史は少し考え「これは純粋に好奇心でお尋ねしますが……現状、黒色油の需要はほとんどありません。精製しても行き先に困るのでは?」
「その辺りも考えているわ。いろいろね」
ヴィルミーナは薄く微笑んだ。
その微笑みの奥に凶暴さを見たヨングブールト女史は、密かに身を震わせた。
〇
重油の発熱量は石炭より高い。
4対3くらいの差だが、船舶用や産業用の燃料として使う場合、消費量は莫大となるためにこの差はとても大きくなる。また、蒸気機関はボイラーの性能が肝であるため、燃料の発熱量と鋼材の耐熱耐圧性が重要になる。
耐熱耐圧性に優れた鋼材がない状態で、高圧高温の大出力ボイラーを作るとどうなるか。
爆発します。どかんと激しく。近代イギリスでは規制されるほど問題になった。
白獅子財閥は重油と鋼材の双方を得ており、蒸気タービン技術も実用化水準に達した。黒色油の高純度精製技術も現状、独占中。重油を燃料とした高温高圧の蒸気機関が作れる。
ヴィルミーナは技術系総奉行のヘティと共に菓子を摘まみながら、言った。
「重油仕様の蒸気機関はしばらく白獅子だけで使うわ。燃料供給に難がある以上、主流の石炭仕様ほど売れないだろうからね」
「苦労して開発したのに、組織内需だけですか?」
ちょっぴり不満げなヘティに、ヴィルミーナは小さく肩を竦める。
「燃料の供給量もたかが知れているし、帝国に命綱を預ける気は無いわ」
「やはり油田の確保が急務ですね。発見できていないですけど」
当てならある。地球地理条件とある程度被るなら、北洋に油田がある。が、掘れない。技術がないし、海棲モンスターの危険を排除できない。
この世界では海上油田はあまり発展しないかもしれへんな。いや、そもそも石油資源自体が重視されへんかもしれん。あくまで魔導技術が主役か。難儀やなぁ。
「どうかされました?」
「いえ、少し考え事。大したことじゃないわ」
ヘティに声を掛けられ、内面から復帰したヴィルミーナは話を再開する。
「研究開発中の魔導機関はどう?」
「魔晶を食い過ぎて実用化困難ですね。今のところ話になりません」
苦々しく唇を尖らせつつ、ヘティは気分を変えるように告げた。
「でも、内燃機関は良いですね。例の揮発油。あれを魔晶油と混合させたら凄い出力を発揮しました。実用化が見えてきましたよ。近いうちに良い報告が出来ると思います」
「え? 混ぜた? 揮発油だけじゃダメなの?」
ヘティは困惑するヴィルミーナへ答える。
「魔導術式と相性が悪くて。多分、分離精製する時に魔素が減少してるんでしょうね」
「……工学技術的に解決できない?」
「不可能ではないと思いますけど、魔導術で解決できているのですから、工学技術的解決にこだわる必要はないかと」
ほぁ~……科学文明世界人と魔導技術文明世界人の違いやなあ。
ちょっとしたカルチャーショックを覚えつつ、ヴィルミーナは自身の見解を告げる。
「そうね。でもまあ、研究は続けさせて。代替技術はいくらあっても困らないし、権利関係を固めて先行利益を囲いたいから」
「わかりました。それと、研究者や技術者の応募が増えてますね」
「その辺りはヘティ達に任せる。予算関係は財務と相談して決めて」
ヴィルミーナは技術者や研究者の囲い込みのため、餌を用意していた。
まず開発物の命名権は開発した個人やチームに許し、個人の名誉を認める。
それに、特許権料の一部分配も認める(会社の金と設備を与えているから、全額は認めない)。
独立を求める場合は白獅子が100パーセント出資のうえ、専属独占契約を結ばせる。契約年次を重ねるにつれ、出資比率は最終的に49パーセントまで下げるが、優先特待契約は絶対条項だった。下手を打って倒産した場合? 権利も何もかも白獅子が分捕るよ。当然だよね。
近代初期の科学者や技術者、発明家は皆、研究開発と同じくらい資金集めに難儀していた。こういう気前が良い(リスクもあるが)職場は貴重なのだ。そりゃ応募者が殺到するわな。
ヴィルミーナのこうした技術者優遇姿勢に、側近衆や事業代表から『甘やかしすぎ』と御叱りを受けたことがあるが、この辺をザルにした結果、痛い目を見ているのが現代日本である。ヴィルミーナは同じ轍を踏む気はない。
「揮発油の内燃機関、軽油や灯油の照明器具や暖房器具。それから、アスファルトや潤滑油などの資材。脱硫して確保した溶融硫黄で作った薬剤や肥料。商材の数を揃えて、燃料と共に一斉に売り出すわよ。起こした広告会社や出版社を使って宣伝もバンバン打つ」
「大勝負ですね」
「楽しいでしょう?」
「とっても、です。ヴィーナ様」
ヘティとヴィルミーナは悪人顔で笑い合う。
〇
事は共通暦1777年の秋が深まる頃に決まった。
ベルネシア軍は金属薬莢式弾薬と樹脂補強式紙薬莢弾薬の両方を採用することにしたのだ。
少々長くなるが、事情を説明しよう。お付き合いいただきたい。
陸軍銃兵部隊や海軍海兵隊は濡れても泥に塗れても砂に塗れても、拭えば問題なく発砲できる金属薬莢式弾薬を推した。手荒く扱っても大丈夫だったことも高く評価されていた。
また、樹脂補強式紙薬莢弾薬では、樹脂成分のせいか大陸南方領土の高温で乾燥した地域だと、本国仕様の樹脂では乾燥割れを起こすことが判明。大冥洋群島帯や大陸東南方の高温多湿地域でも樹脂が濃い湿気に負けてしまう例が多数報告された(金属薬莢でも類似の問題が報告されていたが、発生比率は樹脂補強式紙薬莢弾薬の方が多かった)。
『セヴロ』製の金属薬莢式弾薬はこうした環境負荷にも強く、大陸南方でも東南方でも大冥洋群島帯でも問題を生まなかったが、お値段が高い。鉄製金属薬莢+樹脂皮膜処理は高くつきすぎた。この調達価格の問題でトライアルから早々に落伍している。
兵器は性能と同じくらい採算性と経済性が重視される。妥当な結果と言わざるを得まい。
では、金属薬莢式弾薬が完全支持されたかと言えば、そうではない。
樹脂補強式紙薬莢弾薬を推す者達は前述の問題を『運用地に合わせて配合を変えれば対応可能』『兵站部がきっちり管理すれば、補給上の混乱も起きない』『信じろ樹脂補強式の可能性を信じろ』
そして、特殊猟兵戦隊が現場に薬莢が残ることで『作戦時の隠密性が損なわれる』『秘密作戦に適さない。現場に薬莢が残っては我が国の関与が容易に発覚してしまう』と反対した。
特に後者の理由は情報機関や王国府の一部で問題視された。政治色が強い特殊作戦で“身バレ”はよろしくない。というか、非常に不味い。物凄く不味い。彼らは『国益の観点から樹脂補強式紙薬莢弾薬の採用を希望する』と横槍を入れた。
軍事的事情だけを追求するなら、小銃の最大ユーザーたる陸軍銃兵の意見が押し通るが、政治的事情が加わったことで『樹脂補強式紙薬莢弾薬の一部採用』という面倒が生じたわけだ。
これが両弾薬の採用の事情だ。
追補しておくと、新型弾薬に加え、既存小銃用の既存紙薬莢弾薬もしばらくは製造/配備しなくてはならない(当然ながら、銃やその整備部品なども金属薬莢式弾薬用と樹脂補強式紙薬莢弾薬用と既存小銃用、と扱うことになる)。
ふっざけんな、俺らを過労で殺す気かっ! と兵站と補給がキレたことも記しておこう。
で。
弾薬規格が決定すると、今度は小銃で揉め始めた。
これまでベルネシアはクレテア流の遊底駆動式小銃を開発し続けてきた。この流れ通り『次世代小銃は遊底駆動式で』と決まりかけていたところへ『イストリアのレバーアクション式』が乱入してきたのだ。加えて、実戦試験でセヴロ社の直動式遊底駆動式小銃が好評+高評価を得るに至り、遊底駆動式に『直動式派』が登場。
一部の物知らずが『金属薬莢式弾薬と樹脂補強式紙薬莢弾薬を両方撃てる銃を作ればいい』と言い出したが、銃器技師達が『バカは黙ってろ』と罵声の合唱を浴びせて蹴り飛ばした。
根本的に構造が異なる金属薬莢式弾薬と樹脂補強式紙薬莢弾薬を共用可能な銃など、開発不可能だった。
銃はあくまで弾丸の発射装置に過ぎない。主役は弾薬なのだ。
最終的に、ベルネシア軍は金属薬莢弾薬仕様の回転式遊底駆動式小銃を採用した。イストリアのレバーアクション式は国内銃器技師達の大反対で却下。セヴロの直動式は構造の複雑さが問題視され、却下。
結果、地球史風に言えば、ボーモント小銃に似た代物が生まれることになった。
弾薬規格は口径9・5ミリで樹脂被帽・鉛の単独弾芯・尖頭弾頭。セヴロの樹脂被帽弾頭が良好な弾道特性と銃身摩耗抑止効果を発揮したため、被帽処理が採用された。この辺りのコスト問題は甘受しうると決断したようだ。
一部採用の樹脂補強式紙薬莢弾薬の方は、特殊猟兵や特殊任務用に生産数が限られる分、少々高価でも速射性の高いセヴロの直動式遊底駆動式小銃と二重弾芯弾頭が採用された。セヴロの提案した内容が金属薬莢から樹脂補強式紙薬莢に変更されたと言えよう。
こうして、後世の収集家の間で『レアもの』と高値で取引されるマンリシャーモドキが少数生産された。
長々と記してきたが、ここでひとまず次世代弾薬/小銃選定問題は解決を見た――と思うじゃない?
ところがどっこい。
ここからがヴィルミーナの”面倒”になる。
次世代弾薬と小銃の選定が終わり、軍と軍需企業が量産計画を立て終え、それぞれの必要な資材や工作機械を方々に持ち掛けた。
その主要発注先は白獅子だった。
「!? 何、この注文数。去年の年間受注数の倍以上じゃない」
ヴィルミーナはテレサが持ち込んできた報告書に目を通し、ギョッとする。
軍需企業絡みの工作機械や建築資材の注文数が凄いことになっていた。商売繁盛と喜んで良い範疇を超えている。
アストリードが報告書にある内容を口で説明した。
「軍は次世代歩兵装備で他国に後れを取っていることを危惧しておりまして、初期量産から相当数揃えたいそうです。そのため、この注文量に」
「そう来たかぁ……」
眉間を押さえて唸りつつ、ヴィルミーナも理解する。
ベルネシアは列強だが、本国の国土と人口規模は中堅国家に過ぎない。それだけに軍のドクトリンは精鋭主義と火力主義だ。戦力不足を兵士と兵器の質、鉄量と炸薬量で補う。
「まず本国、次いで外洋。そう考えて良いのかしら? まさか、本国と外洋の同時配備とか言わないわよね?」
「それがそのまさかです」
確度は低いですが、と前置きしてからアストリードが『事情』を語る。
「近年の外洋情勢は不穏です。外洋派遣軍の第一線部隊に次世代装備の配備を急ぎたいのでしょう。これは私見ですけれど、飛空艦コーニンギン・ベルサリスの後継艦の建造が遅れてることも影響してると思います」
「言い分は分かるけれど、無茶をするわね……」
ヴィルミーナは気分を変えるように深呼吸し、書類を幾枚か読み返して疑問を口にする。
「これ、ウチが計画してる商戦攻勢と原料を食い合う、よね?」
「残念ながら」
眉を大きく下げ、アストリードはこくりと首肯した。
「今回の受注、カロルレンでのパッケージング・ビジネス、それと商戦攻勢。全てが人と物の資源を食い合っています。収益的にはとても良い数字になりますが、かなりキツいですね。添加合金鋼用の転炉が需要に応えられませんし、各製造工場は人もラインも足りません。各種素材と鉱物系原材料の調達も厳しいです」
「商売繁盛が苦境になるとか、なんて皮肉」
ヴィルミーナが煩悶するように唸り、アストリードは微苦笑混じりに尋ねた。
「どうします? 無理を通せば、何とかなると思いますが」
「いえ、無理はやめましょう。現状で無理をして実現しても、もっと酷い無理を押し付けられる未来しか見えないもの。それに、原料や素材は輸入に頼っているものも多い。イストリア、クレテア、聖冠連合、連中に付け入る隙は見せたくないわ。方々に頭を下げる方がマシよ」
「分かりました。それでは受注限界と生産管理の試算を出してきます」
「大変だろうけれど、お願いね」
アストリードの退室を見送り、ヴィルミーナは背もたれにぐったりと体を預け、再び大きく息を吐く。
「思うようにいかないぃいいい……」
〇
ウィレム坊やが4歳を迎えたこの年、ヴィルミーナは某マッド共に三輪車を作らせてプレゼントした。
当初、母ユーフェリアが転倒して怪我でもしたらと反対したが、レーヴレヒトが『そういう痛みを知ることも大事だから』と説得し、革製のヘルメットと膝当てを着用することで了承させている。
ちなみに、この三輪車はゴブリンファイバーの軽量ボディに(王妹大公家の家紋彫刻入りだ)、スライム皮革の疑似ゴムタイヤ。ペダルとハンドル回りは軽量で頑丈な魔鉱合金。前輪のみだが、簡易ブレーキまで装着されていた。一流バイクメーカーの御洒落ノベルティグッズみたいな有様である。
『簡単な造りで良いからね? 簡単な造りで良いからね?』
ヴィルミーナは注文の際に念を押した。二度言った。
なのに、現物はこの様だった。うーん。言葉が通じない。
ともかく三輪車を与えられたウィレム少年は大興奮。近頃は毎日、庭を三輪車で激走している。その後ろを仔犬のグリとグラ、子狸ポンタが大喜びで追いかける。優しい世界。
その日、ヴィルミーナが帰宅した時も、ウィレム坊やは庭で激走していた。
「ウィレムー。ただいまー」
「ままっ!!」
ウィレム坊やは小さな手をぶんぶん振り、ペダルを激しく漕いでヴィルミーナの許へ向かい――ヴィルミーナの眼前で急ブレーキ、後輪を大きく浮かせるジャックナイフ停車を披露した。
えぇ……
ヴィルミーナは我が子のドラテクにちょっと引いた。
「しゅごいでしょー」と得意げににっこり笑うウィレム坊や。
確かに凄い。凄いけど、これは褒めてええのか? 安全運転をするよう叱るべきなのか?
「うぃ、うぃれむ? あんまり危ないことは……」
「あとねー、こーゆーのもできるよー」
困惑する母を余所に、ウィレムはニコニコしながら再び走り出した。速度を乗せてから急ブレーキ、前輪をロックさせ、後輪を流し滑らせる三輪ドリフトを披露し――ハイサイドを起こして大きく転倒した。
「ウィレムーっ!?」「若様ーっ!?」
ぽーんと芝生場を転がるウィレム坊やに、仰天したヴィルミーナや家人達が大慌てで駆け寄る。遊びと勘違いした仔犬と子狸が尻尾を振りながら続く。
も、当のウィレム坊やはけろけろと笑いながら身を起こした。
「えへへ。ちっぱいしちゃった」
ヴィルミーナは我が子の無事に安堵して強く、優しく抱きしめた後、叱声を浴びせる。
「ウィレムっ! 危ないことはしちゃダメっ! 怪我したらどうするのっ!」
血相を変えて怒り出した母に、ウィレムは傷ついた顔を返す。
「ままにしゅごいのみしぇたかったんだもん……れんしゅうちたんだもん……」
待て、練習? 普段からこんなことしとるんかい。聞かされてへんぞっ!!
ヴィルミーナがぎろりと侍女達を睨みつけた直後、ウィレムが言った。
「ぱぱはじょうずってほめてくれたのに……」
ほう?
レヴは知っていた、と?
ふぅん。
ふぅーん。
知ってたんだぁ。知ってて私に黙ってたんだぁ。
……ふぅーん。そうなんだぁ。
その晩。夫妻は嫡男の養育を巡り、激論を交わした。
口論は決着がつかず、ヴィルミーナはレーヴレヒトをベッドから追い出し、一人で寝た。追い出されたレーヴレヒトは私室のソファで一人寝した。
これは今回が初めてではないし、最後でもなかった。




