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説明回。文字量が多めです
地球史において人類と石油の関わりは古い。
紀元前の古代オリエントで既に利用が確認されている。
もっとも燃料としてではなく、ヘロドトスが言うにはバビロンの塔と街造りにも使われていたらしい。アスファルトなどが船舶や建築物のシーリングやコーキングに用いられていたようだ。原油は燃焼時に悪臭と強烈な煤煙を生じさせるため、照明用燃料としてはあまり好まれなかったという。
実は中近代欧州でも石油の利用は確認されている。これらは欧州に散在するオイルサンドからの抽出で、その主な利用方法は医薬品――軟膏などの調整剤や殺虫剤、潤滑油が主だったという(聖人伝説由来の地で採油されたものが特に珍重されたらしい)。
ユニークなところでは、欧米で近代製油法が発明されたのは1850。日本でも1858年に佐久間象山の指導で原油を蒸留し、灯油を精製したとか。
ともかく石油の利用は燃料としてより、薬用品や建材、防水材、潤滑油が主目的だった。燃料として用いられ始めた19世紀中期以降にしても、照明用の灯油が主で、ガソリンなどは廃棄していた(揮発性が高く引火し易いため、処分に苦労したという)。
いろいろ端折って結論を言ってしまえば、石油の動力源利用はモータリゼーションが浸透した20世紀以降で、世界的に重要資源と認識されたのは第一次大戦前後からだった。
そのうえで、現代地球の石油系燃料や化合物は、二次大戦以降の高度に発展した化学と冶金学と工学の産物である。魔導技術文明世界18世紀で要求するもんじゃない。
そもそも、石油燃料需要の最大要因となった自動車にしても、最初期自動車エンジンはガソリンではなく、ベンゼン系のアルコール燃料で動いていた。それに人類初の内燃機関はガスエンジン。つまり、ガソリンなんか一滴も使ってない。
なのに、ヴィルミーナは前世知識の思い込みで、開発中の内燃機関にはガソリンが必要と見做している。これまで前世知識で大いに暴れてきたが、今回は前世知識で泥沼にハマっていた。
ヴィルミーナを擁護するなら、これまで長々と記したことは一般教養ではないし、義務教育で学ぶことでもなく、高校で学ぶことでもなければ、前世ヴィルミーナが選んだ学部で修めることでもない。
そんなヴィルミーナの蒙を啓くきっかけはまだ遠かった。
〇
大陸共通暦1776年:ベルネシア王国暦259年:初夏
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。
――――――――――
ベルネシア軍の試験場で、銃器技術者達がカロルレン製手動式機関銃を検分していた。
カロルレン軍樹脂補強式紙薬莢弾薬は、口径11ミリの蛋形弾頭。椎の実弾に比べて数ミリも小口径化されている。
銃身は一本。半ばから根元に掛けて放熱板が装着されている。機関部は長く前半部にハーモニカ型30連保弾板を装着、後半部に手回しハンドルで駆動する遊底作動機構が据えられている。遊底機構は多銃身斉射砲の設計を基にしているようだ。銃本体を支える三脚は簡素ながら頑健で、全高を数段階に調整できる。
その外見を地球世界の銃器で例えるなら、手回し発射機構を持つホッチキス型機関銃か。地球史の手動式機関銃ガトリングやガードナー、ノルデンフェルト辺りに当たる代物だろう。
技師が手回しハンドルを回すと保弾板が一発分排莢口へ向けスライドし、遊底が駆動して次弾を薬室に装填、撃針が炸薬を励起活性化して弾頭を放つ。続けて数発発射し、技師が呟く。
「かなりの高初速で射程も長い。重量があるだけに反動はあまり感じないが、集弾性が甘い」
「いや、線や面で制圧するなら精度はさほど問題にならない」
「弾倉が動く機構は擲弾連発銃、いや、回転式拳銃と大差ないな」
「要するに多銃身斉射砲の発射機構に擲弾連発銃の弾倉駆動機構をまとめただけだ。既存技術を上手く合体させてる。それ以上でも以下でもない」
「それは俺達が作ることも出来たってことだろう。発想力での敗北は技術力の敗北より腹が立つぞ」
技師達があーだこーだと言いながら、監督官によって分解された機関銃をさらにねっとりじっとり調べる。
「凄いな。装薬の励起反応で樹脂が完全燃焼している。薬室や銃身内に残留物がない。窮乏に喘いでいる国情でこんな弾薬を開発、量産したとは……大したもんだ」
「しかし、銃そのものは部品点数が多すぎるし、構造が複雑すぎる。故障したら兵隊じゃ直せないぞ」
「遊底の部品は鍛造と鋳造が半々。組み立ての際に各部品をかなり修正しているな。こりゃ一丁辺りの製作時間をかなり食うな」
「焼き付き防止と歪み防止に細かいところまで魔導刻印が施してある。凄いな、こりゃ」
技術者達は機関銃の検分を終え、イストリアのレバーアクション式小銃とアルグシアのボルトアクション式小銃を手に取る。
両銃を検分する技術者達が嬉々として銃を構えたり、弄ったり、試射したり、分解して中身を確認したり。
彼らの関心は銃から弾薬に移り、
「耐久性や野戦環境での信頼性は金属薬莢式の方が上だな」
「しかし、樹脂補強式も結構な強度だぞ。管理と扱いさえしっかりすれば問題ないように思うが……」
「最も注視する点は、アルグシアとカロルレン、完全敵対する両国が同様の弾薬を採択したことだ。口径や形状に差異はあるが、樹脂補強技術は同根だろう。どういうことだ?」
「妥当な推理をするなら、カロルレンで研究開発中だったものが、第一次東メーヴラント戦争でアルグシアに流出した、とか?」
あーだこーだと青空学会を始める。
彼らから少し離れたところで様子を見ていたレーヴレヒト・デア・レンデルバッハ=クライフ少佐が溜息を吐く。
「どうしました?」と副官の曹長が問う。
レーヴレヒトは玩具を前にした子供みたいな技術者達を眺めながら、冷たい声で言った。
「撃たれない連中は暢気で羨ましい」
「確かに」と曹長も倦んだ顔で呟く。
戦場で機関銃の弾幕や新型小銃の速射を浴びる身としては、彼らほど気楽にいられない。
楽しそうに議論を重ねる技術者達を一瞥し、レーヴレヒトは再び溜息を吐いた。
〇
レーヴレヒトが溜息を吐いていた頃、ヴィルミーナは白獅子を訪問してきた銃器メーカー『セヴロ』の主任技師と計画管理者から融資要請を受けていた。
働き盛りの中年後期男性の2人は、活力をみなぎらせて熱いプレゼンを繰り広げる。
エステルの仲介と推薦で場を設けたヴィルミーナは、『セヴロ』の2人によるプレゼンを聞き、手元の資料に目を落として思う。
またぞろ、とんでもないもん寄こしよってからに。ホントにこの世界のマッド共は始末に悪いわ。
『セヴロ』が持ち込んできたのは、軍が選定している次世代弾薬とは別規格の弾薬を用いた速射小銃の開発計画だった。
弾薬は金属薬莢の尖頭弾で、次世代弾薬規格の中で最小の9・5ミリ小銃弾。鉛の使用量を減らすために鉄と鉛の複合弾芯。弾芯の剥離を防ぐため硬質樹脂で被帽するという。
その薬莢もイストリアの真鍮製と違い、ベルネシアが豊富に所有する鉄資源を生かすべく鉄製薬莢だ。真鍮に比べて劣る弾性などを補うために樹脂で被膜するらしい。
ヴィルミーナは反応に困る。
そりゃ魔導技術文明世界技術史は地球技術史と比べようのない点がある。筆頭格として中近世の頃から飛空船が空を泳ぎ、市民革命前に後装式小銃が出回っていたり(地球史で後装式小銃が本格流通したのは19世紀後期からだ)。クェザリン郡の連中だけでもゴブリンファイバーやオークポリマーを作り出している。
だからって、冷戦終結後に登場した弾薬を先取りするのはやり過ぎだ。
軍事知識が限られるヴィルミーナは『セヴロ』の提案した弾薬規格が、どれだけ時代を先走ったものか気付いていない。
近代中期の技術や学識水準でこんな手の込んだ弾薬を思いつく『セヴロ』の技師達と、これほど手間暇の掛かりそうな弾薬を開発/生産する費用に、ただ呆れていた。
もっとも『セヴロ』の提案した新型銃器により、ヴィルミーナはさらなるげんなり顔を作る。
細かい話で恐縮だが、銃器の機構は野球の変化球みたいに様々だ。
たとえば、大まかに変化球カーブといっても、スローカーブやパワーカーブやドロップなどあれこれ違う。
遊底駆動式も同様だ。いんたーねっつのお手軽便利事典からぱぱっと引用すると、大本に回転式遊底と直動式遊底があり、地球史で主流になったのは回転式遊底で、ここにマウザー(ドイツ)系、リー・エンフィールド(イギリス)系、モシン・ナガン(ロシア)系と分派した。これらの系譜は一長一短であるが、もっぱら回転式マウザー系が大家といえよう。
そう、地球軍事史での遊底駆動式の“勝者”は回転式だった。
ヴィルミーナもこのことを知っている。地獄の海外行脚に雇用していたPMCの護衛達との雑談で聞いた(護衛の一人が持つ狙撃銃を巡る会話だった)。
直動式遊底は高い速射性を実現するが、どうしても構造が複雑になり、工作精度や資材の関係から故障や破損が多かった。このため、ボルトアクション式小銃が戦場の主役だった時代、駆動方式は信頼性の高い回転式が勝者となった。
なお、冶金技術や工作機械の性能が向上した現代地球の直動式ボルトアクションは、構造問題も解決しているが、魔導技術文明世界18世紀後期では先駆的過ぎる。
『セヴロ』の主任技師と計画責任者はそんな先駆的過ぎるブツを、ヴィルミーナに売り込んできたのだ。
否定し拒絶するんは簡単やけど。
ヴィルミーナは背もたれに体を預け、唇を親指で撫でる。
多様性という観点で言えば、ここで金を出して選択肢を増やすことは悪くない。軍で採用されなくても、白獅子民間軍事会社で採用しても良いし、スポーツや狩猟向けに売り出しても良い。
ただ、白獅子が金を出して、白獅子だけが採用する武器弾薬というのは、体裁が良くない。白獅子が独自工廠と兵站を保有しているように見えてしまう。これは方々から要らぬ疑いや面倒を招きかねない。
ヴィルミーナは少し考えてから確認を取る。
「軍に売り込む試作品と試験用弾薬を製造するために、融資が必要なのよね?」
「はい」と主任技師と計画責任者の2人が首肯した。
「試作品2丁と試験弾薬200発を白獅子にも納入すること。それを条件に融資するわ」
おおっ! と歓声を上げて喜色を浮かべるオッサン二人。
「ただ、私や組織を取り巻く政治やその関係の調整が要るの。少し待ってもらうけれど、構わないかしら?」
「分かりました。是非ともお力添えをよろしくお願いいたします」
ヴィルミーナの釘差しとも言える問いに、オッサン達は丁寧に一礼した。
ビジネスの話が終わり、ちょっとした雑談の場が設けられた。せいぜい15分ほど和やかに談笑して次回もよろしくね、とお開きになる。はずだった。
ヴィルミーナが黒色油の話を持ち出し、
「精製に苦労していてね。方々の有識者に知恵をお借りしているのだけれど、中々」
「新しいことに挑戦することは苦労が付きまといますなあ」
計画責任者が如才なく相槌を打ったところで、
「黒色油ではないですが、なにか似たような話があったような」
主任技師が何気なく言った。
ヴィルミーナが目を瞬かせた。
計画責任者が軽々に変なこと言うなと目で釘を刺したが、主任技師は同僚の配慮に気づかなかった。
「そうだ……泥土だか粘土だかを精製して、魔晶を取り出している技術に似たような話がありました。硫黄とかそういう不純物を除去して」
ヴィルミーナはくわっと目を見開く。
「――なんですって?」
突如、ヴィルミーナの紺碧色の瞳から冷たい眼光が発せられ、『セヴロ』の2人が思わず気圧された。
「詳しいお話を伺えるかしら」
おっかない女王を前に、計画責任者と主任技師はかくかくと首を縦に振るしかなかった。
〇
王都オーステルガムの王国府を中心とした官庁街に、魔晶魔石公社がある。魔導技術文明世界の最重要戦略物資である魔晶魔石は、自由競争経済を尊ぶベルネシアにおいても御上が強い統制権を発揮していた。ま、当然だろうが。
バロック調の厳めしい公社社屋の第一応接室は重厚な雰囲気を醸す内装が施され、最高級の調度品が並ぶ。公社の性格と権勢が窺えよう。
室内には二人の女性しかいない。一人は我らのアラサー淑女・ヴィルミーナ。もう一人は、
「王妹大公御嫡女様のおっしゃる通り、産業用魔晶の製造には結晶化抽出法が用いられています」
ヴィルミーナの向かい側に座って微笑む狐目の壮年女性は、元勅任上級魔導術士のヨングブールト女史。
ヨングブールト女史は王都の殺人事件からしばらくし、出世競争の敗北から早期退官。宮廷魔導総局から魔晶魔石公社に天下りしていた。
『セヴロ』の関係者から話を聞いてから数日後のこの日、ヴィルミーナは『餅は餅屋に』と魔晶魔石公社へ連絡を付けて助言を乞うことにし、公社を訪問していた。
石油が燃料として普及すれば、エネルギー市場で大喧嘩することになるだろう既得権益へ助力を乞う図々しさと太々しさ。しかも“前科”があるのに。いやはや面の皮が厚い。
公社としてはヴィルミーナが石油絡みであれこれ動いている話は掴んでいたから、此度の訪問を『一昨日きやがれ』と突っぱねたかった。が、相手は王族で大財閥の総帥。無礼非礼をして敵対は不味い。
というわけで、宮廷魔導総局から天下りしてきた腰掛け重役のヨングブールト女史にお鉢が回り、こうしてヴィルミーナの応対をしている。
ヨングブールト女史は官僚的な態度で丁寧に説明を続ける。
「ここ数年で天然、養殖モンスターの採取魔石も市場シェアを拡大しています」
10章でも触れたが、ある種のモンスターは家畜化されている。食品や運送に利用される烏竜、様々な産業に利用されるスライムなどが代表格だ。特にスライムは品種改良され、人糞処理の『トイレ用スライム』なんてある始末。
少し汚い話になるが、例を挙げよう。
たとえば、100人の人間が暮らしていれば、一日に100人分のウンコとオシッコが排出されるわけだ。そりゃあもう恐ろしい量である。
野戦陣地や難民キャンプのような上下水道もないところで最大の問題となるのが、実はこういう人間の生理現象だ。放っておけば悪臭が漂い、公衆衛生悪化を招くし、何より精神的に嫌すぎる。
ここで想像して欲しい。
トイレ用”だけ”で、いったいどれだけ大量のスライムが日々生育されているか。日々産業処理されて得られる素材と魔石は莫大な数になるだろう。たとえ、スライム一体辺りから採取される魔石がわずかでも、塵も積もれば山となる。古雑誌と空き缶も積もれば、良い額になるように。
また、海洋モンスターや素材を的にした海専門冒険者産業――地球史で言う捕鯨業者に近い――も、それなりに大きな産業だった。冒険者達が狩猟する海棲モンスターから採取できる素材や魔石、獣油などは市場で存在感を放っている。
ヨングブールト女史は一通りの魔晶魔石公社らしい事業説明をした後、
「王妹大公御嫡女様は魔晶の結晶化抽出法の応用による黒色油の精製を試したいとのことですが……」
“問題”へ踏み込んだ。
「公社は魔晶油の生産量増加以来、いろいろ苦労しております。このうえ、精製された黒色油に翻弄されることを望んでおりません」
鉄鋼業の革新によって石炭需要が激増し、石炭のコークス化処理の際に生じる魔晶油も大量に生産された。この石炭精製由来の魔晶油に加え、白獅子が植物性モンスター由来の人工魔晶油までこさえたもんだから、魔晶油関連の扱い――権益の代表者が誰になるか、で揉め事が生じた。
魔晶魔石公社で統制されるべきか、獣油や植物油の自由市場で扱うべきか。
石炭業界も『俺らの業界から出てる副次物だろ』と口出ししてくる。白獅子は主導権を要求しなかったが、人工魔晶油の権利をガチガチに守って譲歩する気がない(代わりに人工魔晶油の製造も白獅子に限られたが)。
王国府が仲裁にでも話がまとまらず、裁判沙汰になって、現在は魔晶魔石公社の外局が魔晶油を扱うことに落ち着いた。
つまり、ヴィルミーナと白獅子は人工魔晶油の件で魔晶魔石公社と揉めた過去――前科があった。
だからといって、ヴィルミーナが殊勝な態度を示すことは無い。往時に主導権を要求しなかったし、自分達は自分達の利権を守っただけ。非難される謂れはない、というスタンスだ。
ゆえに、
「我々の文明社会の根底が魔導によって支えられている以上、魔晶や魔石の需要が失われることは無いでしょう。事実、我が社が開発製造している蒸気機関にしても、魔晶魔石は欠かせず、魔導の技なくして生まれませんでした」
ヴィルミーナは柔和な面持ちでしれっと牽制打を放つ。
「御嫡女様。需要が喪失しないことと、需要が減ることはまったく別問題です。精製黒色油の登場が相対的に魔晶や魔石の市場へ影響が及ぼすことは間違いなく、その影響次第では魔晶魔石に関わる全ての人間が不利益を被りかねません。公社はその危機を甘受できないと申し上げます」
ヨングブールト女史も和やかな面持ちでさらりと牽制を打ち返す。
「なるほど、その御懸念は理解できます」
ヴィルミーナは小さく首肯しつつ、しかしながら、と続け、
「それほど懸念があるのなら、なおのこと、我が社の黒色油精製に技術協力すべきでしょう。仮に公社の協力によって黒色油の精製がなったならば、当然、その利益から公社へ配当が生じますし、事業への発言権も獲得できます」
逆に、と口端を柔らかく緩めた。
「そちらが協力を拒絶した末、我が社の努力で黒色油の精製に成功した場合、我々は一切の配慮無く、我が国が尊ぶ市場競争の戦いに挑むことになるでしょう」
ヤクザの論法である。手を貸すならパイを分けてやる。手を貸さないならぶっ潰すぞ。
ヴィルミーナ相手に『現物が出来る目途もないくせに、虚勢を張りよる』と笑う奴は一軍半選手以上になれない。この女怪がこれまで重ねてきた業績を考えれば、その言い分を『空手形』と一蹴するには怖すぎる。
ヨングブールト女史は回答せずに考え込む。ヴィルミーナの提案した内容は自身の職権や職責で対応できない。狐顔を微かに曇らせた後、小さく息を吐いてその旨を伝える。
「御嫡女様の御提案を私の身代では回答できません。役員会に掛けて議論しなくては。申し訳ありませんが、御返事は次の機会に控えさせていただきます」
「ええ。こちらも拙速に事を進める気はありませんから。ただし、遅滞も望みません」
時間は与えるが、棚上げは許さない。
ヴィルミーナの見解にヨングブールト女史は微苦笑しながら頷き、場は小休止に入った。
無難な雑談をいくつか交わした後、
「これは単純な疑問としてお聞きするのですけれど」
ヴィルミーナはヨングブールト女史へ問う。
「魔晶の結晶化抽出法で黒色油が精製できると思います?」
「あくまで個人的主観の雑談としてお答えするなら」
ヨングブールト女史は予防線を張ってから応じる。
「私個人は難しいと思いますね。魔晶の生産、精製技術はそれこそ共通暦制定以前から研究されてきました。それでもなお、人造魔晶や魔石の類が『詐欺』の代名詞になるほど、人為的精製は難しい」
前述(9:4参照)したように人造魔晶や魔石は『沼』だった。万物に魔素が介在するからと言って万物から魔晶や魔石を抽出できるわけではない。石油で言えばオイルサンドのような、含有魔素量の多い土壌や物質などから鉱物化を促進するだけだ。結晶化抽出法もその一例に過ぎない。
日本の戦国時代にヨモギに排泄物をかけて硝石丘を作った事例にしても、精製した火薬は輸入品に比べて品質が劣っていたという。
ヨングブールト女史は続けた。これも個人的意見ですが、と。
「黒色油の魔導処理を講じる方が良いかもしれません」
ヴィルミーナは物知らずの幼子みたく小首を傾げる。
「私は魔導工学に明るくありません。初等部入学前の子供にも分かるように教えていただけます?」
怪物の奥ゆかしい発言にヨングブールト女史は微笑みつつ、
「魔素は万物に介在します。たとえば、人体と一言にいっても、皮膚、臓器、骨、神経、血液、髪の毛一本、爪一枚にも別個に魔素が介在し、魔素含有量に差異があります」
素直に頷くヴィルミーナへ続けた。
「極論になりますが、魔素含有量の差異を基準として黒色油に含まれる不純物、その不純物だけに作用する魔導術理を構築し、不純物だけを抽出する仕組みを作れば、魔晶の結晶化抽出のように不純物を抽出できるかもしれません」
「黒色油から不純物を除去するのではなく、不純物から黒色油を取り除くのね」
ヴィルミーナの理解を肯定するようにヨングブールト女史は頷いた。
「あくまで理論的には、ですけれどね」
「実用化には時間と費用が掛かりそうね……」と渋面をこさえるヴィルミーナ。
「魔導術理の構築だけでもかなりの時間を要すると思いますし、研究開発だけでもかなりの負担になるかと」
ヨングブールト女史は公社重役らしいオチを付けた。
「黒色油は燃料化せず、従来通りの扱いの方が良いかもしませんね」
「ぐむぅ」
ヴィルミーナは思わず唸る。
そして、ヨングブールト女史へ紺碧色の瞳を向けた。経済界の怪物らしい冷たい光を宿して。
「貴女の個人的見解は大変興味深く、有益なものだった。この御厚意にどう報いれば良いかしら?」
刹那の静寂が応接室を支配する。
ヨングブールト女史は白獅子の女王が放つ暴威的な圧と酷薄な目線を受け流すように、
「戯れの雑談に過ぎません。お気になさらず」
柔和に微笑んで、ただ、と続けた。
「私の公社における立場は天下りの腰掛けでして、来年にはここを去ります。ところが、次の転職先が決まっておりません」
糸のように細められた狐目に鋭敏な光が宿る。
「能うなら、御嫡女様の財閥に再就職できれば、と思います」
ヴィルミーナは満足げに目を細めた。
「私の組織に腰かけで遊んでいられる仕事はありませんよ。軍から天下った方がよくおっしゃります。軍にいた頃よりこき使われる、とね」
ヨングブールト女史も狐目を楽しそうに細める。
「それは働き甲斐のある良い職場ですね」
ヴィルミーナはヨングブールト女史と握手して公社を辞した。




